ここで、日本神話を研究する。先だって「ユダヤ聖書神話」を考察した(「ユダヤ聖書神話考」)。翻って、日本神話を知らないことに気づいた。日本神話は、日本古代の歴史書である旧事記、古事記、日本書紀、各地の風土記、古語拾遺、釈日本紀、古史古伝等々に書き付けられている。ここでは、それらの真偽は問わない。日本国の成り立ちを神話という体裁で遺しているそのことと内容の歴史的意義を高く認めたい。日本神話は、ギリシャ神話、ユダヤ聖書神話と共に、世界で最も詳しい記述を残している。我々は、このことを誇りに思うべきではなかろうか。その日本神話を知らないことは不幸であろう。
付言しておけば、戦前の歴史学者の泰斗の評の高い津田左右吉氏は、記紀に書かれている神話記述は大和朝廷の役人たちが天皇家の権威をたかめるために机上で創作したとして全体として信用できないという説を唱えた。これにより、日本神話を軽視する流れが生まれた。日本のマルクス主義歴史学はこの系譜から生み出されている。しかし、れんだいこの受け止め方は違う。津田史学の本意は、近代天皇制による当時の日本神話に対する皇国史観的歪曲理解を批判することに主眼があったのであり、日本神話の否定自体が目的であったのではないと理解すべきではなかろうか。実際の津田史学については知らないので舌鋒が鈍るが、津田史学はかく理解される時にのみ価値があり、日本神話否定論を唱えていたとしたら歴史の屑かごに入れられるべきであろう。
とすれば、日本のマルクス主義歴史学は本来なら、古代史解明の貴重な資料として非皇国史観的理解による日本神話研究に精力的取り組むべきだったのであり、日本神話否定、却下に向かうべきではなかった。史実は、津田史学の最も悪しき方向への了解に向かったことになる。そういう意味で、れんだいこの日本神話研究こそ、日本マルクス主義歴史学が誤った学的態度の今時の軌道修正に向かう営為であるということになる。誰かかく共認せんか。
2006.12.3日、2010.08.07日再編集 れんだいこ拝 |