仲哀天皇−神功皇后−応神天皇神話考



 (最新見直し2006.12.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 第14代仲哀天皇、神攻皇后、応神天皇を見ておくことにする。

 2006.12.14日 れんだいこ拝


【14代、仲哀天皇譚】

 ヤマトタケルの御子にして第14代の仲哀天皇2年の2月、仲哀天皇と神功皇后は、揃って北陸に行宮(あんぐう)をつくり滞在していた。3月、天皇は一人南海道(紀伊半島から淡路、四国方面)に行幸していた。この時、九州の熊襲が反乱した為、征伐に向かった。神功皇后は、越の角鹿(つぬが、敦賀)のケ飯宮(けひのみや)に居た。報告を受け、九州に向かった。若狭を経て豊浦津(とようらのつ、山口県下関市)に着いた。ここで、海神(わたつみ)の如意珠(にょいたま)を手に入れ,穴門豊浦宮(あなたのとようらのみや)を建立した。神功皇后一行が関門海峡を渡ると、北部沿岸の首長たちが次々に恭順した。

 仲哀天皇は、筑紫(北九州)の香椎宮(かしいのみや)に拠点を設け、熊襲征伐を前に神おろしの儀式をするために琴を弾いていた。建内宿禰(たけうちのすくね)は神がおりてくる神聖な場所で控え、神託がくだるのを待っていた。見ると、仲哀天皇の后、オキナガタラシ姫に神がかり、神託を告げた。「仲哀天皇はなぜ熊襲の反乱を憂えているのか。熊襲は討つだけの価値の無い国なのに。西の方に新羅国がある。その国には金銀をはじめ、目もくらむような珍しい宝が多くある。私はその国を帰服させ、あなたに差し上げようと思う」。

 しかし、仲哀天皇は、この神託を信じなかった。「高いところに登って西の方を見ても国は見えない。ただ、海が見えるだけだ。そのような国があるはずがない。あなたは偽りをいう神だ。私を欺こうとしている。私は聞き入れない」。そういうと、天皇は琴を押し退けて弾くのをやめてしまった。怒った神は、「およそこのあめのした(天下)はお前が統治すべき国ではない」として、天皇に死(黄泉の国行き)を宣告した。天皇は進言を聞き入れて、そろそろと琴を引き寄せ、しぶしぶ弾きはじめたところが、まもなく琴の音が聞こえなくなった。不安になったタケウチノスクネがすぐに火をともすと、天皇はすでに事切れていた。
 香椎宮=。建内宿禰(たけうちのすくね)。オキナガタラシ姫=息長帯日売。

【神攻皇后譚】

 タケウチノスクネは、仲哀天皇の遺体を殯宮(あらきのみや)に移し、国中から大祓(おおはらい)のための幣帛(みてぐら)を集めて、国家的な大祓の儀式を行い、再び神おろしの神託を行った。後継は、オキナガタラシ姫のお腹にいる御子と決まり、「これは天照大神の心だ。また、底筒神、中筒神、上筒神の三柱の大神だ。今、本当に西の国を求めようと思うならば、天つ神、国つ神、山の神、川の神、海の神をはじめ諸々の神々にことごとく幣帛を奉れ」とのご託宣が下された。

 オキナガタラシ姫が神功皇后となり、福岡県甘木市付近に進出し、一気に筑後川を渡り、山門郡に侵攻し、土蜘蛛の女首長・田油津姫を征伐した。征討を終えた後、香椎宮に戻り、新羅(しらぎ)征伐を準備し始めた。「和魂が王の身を守り、荒魂が先鋒として軍船を導くと神が皇后に教えられた」。

 神功皇后は、玄界灘を船で進み、対馬海流を乗り切り、朝鮮半島の新羅へ攻め入った。新羅国の王がやって来て、 「東に神国あり、日本と云う、聖王います、天皇と云うと聞いております。その神威に対して兵力で防ぐことは出来ません。今後は天皇のご命令通りに従い、貢物を奉りお仕えしたいと思います」と帰順した。皇后は、持っていた杖を新羅の国王の家の前に突きたて、「これも全て住吉三神のお陰です。すぐに荒御魂を、国をお守りになる守護神としてお祭りするように」と言い渡した。海を渡って日本へ帰ろうとした折、皇后は産気づいた。日本で御子を産む意志を持つ皇后は、産気づいたお腹を鎮めようと、石を取って着物の腰につけ、出産を抑えた。こうして、筑紫国に帰り、御子は生まれた。その地を宇美と名付けた。 

 後継騒動が起った。仲哀天皇の息子のカゴサカノミコとオシクマノミコが皇位を狙った。御子は邪魔な存在でしかなかった。そこで、誓約狩(うけひがり)をすることになった。狩りの最中、怒り狂った大きなイノシシが突如現れ、カゴサカノミコの登っているクヌギを掘り倒した為、逃げ遅れたカゴサカノミコはイノシシに食い殺されてしまった。皇后は喪船で帰朝し始めた。オシクマノミコは単独で軍勢を集め皇后を待ちうけた。皇后軍とオシクマノミコ軍が戦い、皇后方が優勢になり、オシクマノミコ軍は山城まで撤退した。ここで体勢を立て直し、激しく反攻してきた。

 タケフルクマの命が一計を案じた。神功皇后の使者となり、御子が亡くなったことを伝え、降伏することを申し出た。使者の指差す方を見ると、皇后方の兵は手に持っていた弓のつるを切ってまさに降伏しようとしていた。オシクマノミコは騙され、弓のつるを取り外し無防備になった。その一瞬の油断を見逃さず、タケフルクマの命が命令を下した。その掛け声とともに、皇后軍が攻めてきた。降伏したとばかり思っていた皇后軍が突然弓を放ってきたことを驚いたオシクマノミコは、逢坂(おうさか)まで逃げ延びたが多くの兵が討ち取られてしまった。かろうじて船に飛び乗ったオシクマノミコであったが、ついに追い詰められてしまった。

 いざ吾君(あぎ) 振熊が 痛手負はずは ニホドリの 淡海(あふみ)の海に 潜(かづ)きせなわ
 (さぁ、君よ。フルクマのために痛手を負うよりは、淡海の海に潜って死んでしまおう)

 と歌い、湖に身を投げて死んでしまった。

 神功皇后は、新羅を平定し、北部九州に戻って御子(後の応神)を産む。瀬戸内海を東行路で大和に戻り、摂政となって君臨した。

 タケウチノスクネは、御子をつれて禊(みそぎ)を近江(滋賀)および若狭国(福井)を巡歴した後、越前国(福井)の敦賀に仮宮を造ってそこに住まわせた。そのときに、御子は夢を見た。夢の中で一人の神が現れた。「私はイザワケの大神である。私の名前と御子の御名を変えたいと思うがどうか?」。「今後はイザワケの大神をミケツオオカミ(御食つ大神)とお呼びしよう」。この神が今の気比大神である。また、傷ついたイルカの鼻の血が臭かったので、その浦を血浦と名づけたが、今は角鹿(つぬが)と呼んでいる。
 カゴサカノミコ=香坂王。オシクマノミコ=忍熊王。タケフルクマの命=建振熊命。イザワケの大神=伊奢沙和気大神。ミケツ大神=御食つ大神)

【応神天皇譚】
 応神天皇9年4月、竹内宿禰が筑紫に派遣され、民情を視察していた。この時、宿禰の弟の甘美内宿禰(うましうちのすくね)が、「竹内宿禰が天下を狙っています。筑紫で謀をしており、朝鮮半島の三韓を招きいれ、天下乗っ取りを計画しています」と讒言した。これを聞いた応神天皇は、使者を遣わして竹内宿禰を殺させようとした。竹内宿禰は嘆き悲しんでいたところ、竹内宿禰とそっくりな壱岐の直(あたい)の祖・真根子が身代わりになって自刃した。竹内宿禰は密かに筑紫を抜け出し、大和に入った。そこで、深湯(クガタチ)によって無実を証明した。竹内宿禰が甘美内宿禰を斬り殺そうとしたが、天皇の勅により放免され、紀直(きのあたい)の祖に隷民として授けられた。

 応神天皇には三人の息子がいた。上からオホヤマモリの命、オホサザキの命、ウヂノワキイツラコである。或る時、応神天皇は、オホヤマモリとオホサザキに、「お前たちは年上の子と年下の子ではどちらがかわいいと思う?」と尋ねた。長兄のオホヤマモリは、「年上の子がかわいいと思います」と答えた。オホヤマモリが答える姿を見たオホサザキは、父上はウヂノワキイツラコを後継者にしたいのではないか?と推量し、天皇の意向に逆らわないように「年上の子はすでに大人になっているのでそれほど気がかりもありません。しかし、年下の子はまだ大人になっていないので、こちらのほうがかわいいと思います」と答えた。応神天皇は、「オホサザキよ。そなたが行ったことはわしの思っている通りだ」と褒めた。この発言を踏まえて三人の子の任務を与えた。「オホヤマモリよ、そなたは山と海の部を管理しなさい。オホサザキは私の統治する国の政治を執行して報告しなさい。ウヂノワキイツラコは皇位を継承するように」。こうして、次男オホサザキは応神天皇の意に背くことはなかった。

 或る時、応神天皇は日向の国のモロガタの君の娘、カミナガ姫の容貌がみめ麗しいと聞き、側に仕えさせようと呼び寄せようとした。オホサザキは少女を乗せた船が難波津に着いたと聞いて見に行った。少女のあまりの美しさに感動したオホサザキは結婚したくなり、タケウチノスクネのところに相談に行った。タケウチノスクネはオホサザキの願いを聞き入れ、天皇にその旨伝えた。まだ、姫を見ていない天皇は皇子の願いを快く認めた。新嘗祭の当日、天皇はヒメにお酒を受ける柏を持たせ、皇太子にお与えになった。そのとき天皇は歌を歌った。

 いざ子ども 野蒜(ひる)摘みに 蒜摘みに わが行く道の 香ぐはし 花橘は 上枝(はつえ)は 鳥居枯らし 下枝(しづえ)は 人取り枯らし
 三つ栗は 中つ枝の ほつもり 赤ら嬢子(をとめ)を いざさらば 宜らしな  
 (さぁ、皆の者よ、野蒜を摘みに行こう。野蒜を摘みに行く道の、香りのよい花橘は、上の枝は鳥が止まって枯らし、下の枝は人が折り取って
  枯らし、中ほどの枝に蕾(つぼみ)のまま残っているその蕾のような、赤くつややかな少女を、さぁ、お前の妻にしたらよかろう)

 その後に、天皇はもう一首歌を歌った。

 水溜る 依網(よさみの)池の 堰(ゐ)くい打ちが さしける知らに ぬなはくり 延(は)へけく知らに 我が心しぞ いや愚(をこ)にして 今ぞ悔しき
 (依網(よさみ)の池の堰(い)の杭を打つ人が、杭を打っていたのも知らないで、じゅんさいを取る人が手を伸ばしているのも知らないで、私の心はなんと愚かであったことか、今になってみると悔しいことだ)

 こう歌ってカミナガヒメをお与えになった。その少女を賜った皇太子はこう歌った。
 道の後(しり) 古波陀(こはだ)嬢子(をとめ)を 雷(かみ)のごと 聞こえしかども 相枕まく
 (遠い国の古波陀の少女よ、雷のようにやかましく噂されていたが、今では手枕をして一緒に寝ていることよ)
 道の後 古波陀嬢子は 争はず 寝しくをしぞも うるはしみ思ふ
 (遠い国の古波陀の少女は、拒むことなく素直に私と寝てくれたことをすばらしいと思う)

 と歌った。

 応神天皇が崩御した。父の命で山と海を管理していたオホヤマモリは、末弟のウヂノワキイツラコが皇位を継承するのに内心不満であった。オホヤマモリはひそかに兵を集め、弟を殺害しようと考えた。以前より兄の不満に気付いていた次兄オホサザキは、兄の謀反をいち早く察知した。オホサザキ様の使者から知らされたウヂノワキイツラコは、身代わりを立て備えた。自身は、賤しい身分の姿に変装し、舵をとって船の上に立っていた。そこへ、オホヤマモリがにたどり着き、船に乗ろうとした。ウヂノワキイツラツコは山の上にいるものと思い込んだオホヤマモリは、目の前の船頭がイツラツコだと全く気付かず、話しかけてきた。四方山話しているうちに宇治川の中ほどまで渡ってきた。細工されていた船が一気に傾き、オホヤマモリはあっという間に河に投げ出された。水面に浮かび上がったときに歌った歌は、

 ちはやぶる 宇治の渡に 棹執りに 速けむ人し わがもこに来む
 (宇治川の渡し場に、棹を操るのに敏捷な人よ、私の味方に来ておくれ)

 オホヤマモリが死んだ後、オホサザキとワキイラツコは皇位を譲り合った。ところが、ウヂノワキイラツコが早く世を去ったので、オホサザキが第16代の仁徳天皇となって天下を治めることになった。
 オホヤマモリの命=大山守命、オホサザキの命=大雀命。ウヂノワキイツラコ=宇遅能和紀郎子。カミナガ姫=髪長比売。

【倭の五王】
 478年、倭王の武が宋の順帝に対して次のように上奏している。
 概要「歴代倭王は、身に甲冑を纏いて山川を踏渉し、東は毛人の55カ国を征し、似士は衆夷の66カ国を服し、渡りて海北の99カ国を平らげて、土を拡め畿(くに)を遥かにした云々」。












(私論.私見)