| ヤマトタケルの御子にして第14代の仲哀天皇2年の2月、仲哀天皇と神功皇后は、揃って北陸に行宮(あんぐう)をつくり滞在していた。3月、天皇は一人南海道(紀伊半島から淡路、四国方面)に行幸していた。この時、九州の熊襲が反乱した為、征伐に向かった。神功皇后は、越の角鹿(つぬが、敦賀)のケ飯宮(けひのみや)に居た。報告を受け、九州に向かった。若狭を経て豊浦津(とようらのつ、山口県下関市)に着いた。ここで、海神(わたつみ)の如意珠(にょいたま)を手に入れ,穴門豊浦宮(あなたのとようらのみや)を建立した。神功皇后一行が関門海峡を渡ると、北部沿岸の首長たちが次々に恭順した。 |
仲哀天皇は、筑紫(北九州)の香椎宮(かしいのみや)に拠点を設け、熊襲征伐を前に神おろしの儀式をするために琴を弾いていた。建内宿禰(たけうちのすくね)は神がおりてくる神聖な場所で控え、神託がくだるのを待っていた。見ると、仲哀天皇の后、オキナガタラシ姫に神がかり、神託を告げた。「仲哀天皇はなぜ熊襲の反乱を憂えているのか。熊襲は討つだけの価値の無い国なのに。西の方に新羅国がある。その国には金銀をはじめ、目もくらむような珍しい宝が多くある。私はその国を帰服させ、あなたに差し上げようと思う」。
しかし、仲哀天皇は、この神託を信じなかった。「高いところに登って西の方を見ても国は見えない。ただ、海が見えるだけだ。そのような国があるはずがない。あなたは偽りをいう神だ。私を欺こうとしている。私は聞き入れない」。そういうと、天皇は琴を押し退けて弾くのをやめてしまった。怒った神は、「およそこのあめのした(天下)はお前が統治すべき国ではない」として、天皇に死(黄泉の国行き)を宣告した。天皇は進言を聞き入れて、そろそろと琴を引き寄せ、しぶしぶ弾きはじめたところが、まもなく琴の音が聞こえなくなった。不安になったタケウチノスクネがすぐに火をともすと、天皇はすでに事切れていた。 |
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