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日本神話に登場する神々は、見事なまでに系譜的に天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)に分かれている。天津神は、高天原から天降った神の総称、それに対して国津神は天津神が来日してくる以前の日本列島各地に生息していた土着の神々の総称である。日本神話は、この識別に立って天津神系よりする天地創造譚、神々誕生譚、国譲り譚、神武東征の国取り譚、歴代天皇譚を記している。日本神話に興味のない者にはチンプンカンプンかも知れないが、興味を持つ者には常識である。
問題は、天津神と国津神の識別において、記紀神話、古史古伝各書の記述、論者の分析が錯綜していることにある。その最大の難関が天照大神、スサノオの命、二ギハヤヒの尊を廻って出自を天津神系で捉えたり国津神系で捉えたり複相していることにある。当然、臣下の諸豪族も複相することになる。これでは歴史が解けない。にも拘わらず、渾然一体のまま日本神話が語り継がれている。ここに日本神話が決して史書足りえず神話譚として受け止めざるを得ない秘密がある。とは言いながら、随所で日本古代史を記しており、貴重な史書とせざるを得ない。これを「日本神話ジレンマ」と云うことにする。
「天津神国津神考」の必要は、「日本神話ジレンマ」を読み解くだけに意義があるのではない。もう一つ、天津神系よりする記紀神話に依拠して日本古代史を読み取るのではなく、天津神渡来以前の国津神系の統治していた日本古代社会を読み取る為にも必要となっている。この社会を解析せねばならない理由として、天津神渡来によって国津神系が駆逐滅亡されたのではなく、或る時点より両者が「和をもって尊し」とする和睦路線に道を開き、婚姻政策等も含め両者融合の日本史を切り開き、この伝統がはるけき今日まで継承されており、決して祖略に扱うべきではないからである。なお且つ、日本の政治権力史は天津神系が掌握して来たものの、その裏面史は常に国津神系が支えてきたと思われるからである。
ごく最近の史学の動きとして、邪馬台国が天津系渡来以前の国津系の最期の王朝であった可能性が見えてきつつある。これによると、邪馬台国は出雲―河内―大三輪系譜の部族連合国家であったことになる。この政体は遺跡と共に史上から抹殺され、今日では僅か二千余文字の魏志倭人伝でしか知ることができないが、「実在した滅ぼされた王朝」であった可能性が強い。従来の邪馬台国論争は、邪馬台国をプレ大和王朝と位置づけ、且つ政権的に陸続的に理解した上で所在地論争に耽ってきた。これは虚妄だったと云うことになる。今や、「実在した滅ぼされた王朝」として邪馬台国を位置づけ、その所在地を比定せねばならない。同時に、邪馬台国的部族連合国家政体の脆弱さとシタタカさを同時的に理解せねばならない。
「国津神と天津神考」にはそういう意義がある。
2010.10.5日 れんだいこ拝
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