元の理に基づく十全のご守護泥海こふきの天地創造観

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年1.6日
 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「十全のご守護」について確認しておく。これを小難しく語る教理が多い。中には著作権つきで語る者も居る。しかしそれは教祖の「ひらがなの教え」の御心に反しているのではなかろうか。れんだいこが分かり易く且つ真髄をついた言葉で語ってみたいと思う。且つ「十全のご守護」を全体と個の働きの両面から確認してみたいと思う。既成の説き分けは案外と饒舌渾然にされており、正確とは言い難いと思う。


【十全のご守護、神の日々のご守護の理】
 人間創造に当ってご守護された十柱の神様のお働きを図示すれば次のようになる。天理王の命はこの八方八柱から成っており、子(ね)に国常立命、丑(うし)と寅(とら)の間の丑寅に大食天命、卯(う)に雲読命、辰(たつ)と巳(み)の間の巽(たつみ)に国狭土命、午(うま)に面足命、未(ひつじ)と申(さる)の間の未申に惶根命、酉(とり)に大戸辺命、戌(いぬ)と亥(い)の間の戌亥に月読命が位置してお働きされている。
 (「
天之理U・十柱の神々」その他参照)
神(命みこと)名
平仮名神名
表象
男女 親神守護
人間身の内のご守護お働き理説き
世界での守護お働き理説き
方位、星座
神楽づとめの際の神楽面
一柱
国常立命
くにとこたち
龍(宙を舞う)
男神 第一(番目)親神守護 (元の神)
人間身の内の眼(め)胴うるおい
「水の理」のお働き
世界では万(よろづ)水の守護
北(坎、陰陽陰/水)、天にては月
獅子面で頭一つ、尾一条(筋)の大龍
を背負う
二柱
面足命
おもたり
大蛇(地を這う)
女神 第二(番目)親神守護(元の神)
人間身の内の温(ぬく)み、体温調節
「火の理」のお働き
世界では万(よろづ)火の守護
南(離、陽陰陽/火)、天にては日
獅子面で頭十二、尾三筋、尾の先に
三つの剣がある大白蛇
三柱
国狭槌命
くにさずち
女神 第三(四)親神守護(道具神)
人間身の内の皮膚や筋繋ぎ
女一(いち)の道具(女性器)の働き
世界ではよろづ繋(つな)ぎの守護
東南(巽、辰巳、陽陽陰/風)
背に亀を背負う
四柱
月読命
つきよみ
鯱(しゃち)
男神 第四(三)親神守護(道具神)
人間身の内の骨つっぱり
男一(いち)の道具(男性器)の働き
世界ではよろづ突っ張りの守護
北西(乾、戌亥、陽陽陽/天
鼻高で背に鯱を背負う
五柱
雲読命
くもよみ
鰻(うなぎ)
女神 第五親神守護(道具神)
人間身の内の飲み食い出入り、ぬめり。
摂食、排泄のお働き
世界ではよろづ水気上げ下げの守護
東(震)(卯、陰陰陽/雷)
*****
六柱
惶根命
かしこね
鰈(かれい)
男神 第六親神守護(道具神)
人間身の内の息吹きかけ、呼吸の働き
世界ではよろづ風の守護
南西(坤、未申、陰陰陰/地)
***** 
七柱
大戸辺命
おおとのべ
黒蛇
男神 第七親神守護(道具神)
出産時に、親の胎内から赤子を引き出す働き
世界ではよろず引き出し一切の守護
西(酉、陰陽陽/沢)
***** 
八柱
大食天命
たいしょくてん
河豚(ふぐ)
女神 第八親神守護(道具神)
出産時に親と子の胎縁を切る働き。
出直しの
時、息を引き取る世話の働き
世界ではよろず切ること、区切り一切の
守護
北東(艮、丑寅、陽陰陰/山)
*****
九柱 
伊耶那岐命
いざなぎ
男神 第九番目親神守護(雛形神
男親、岐魚または人魚
人間身の内の男雛型
「種宿しこみの理」の働き
十柱
伊耶那美
いざなみ
女神 第十番目親神守護(雛形神)
女親
人間身の内の女雛型
「苗代の理」の働き

【易】
 易は、元々は占いだが、過去の事実から学んだ法則的な知識を基礎に、今後の推移進行を予測するのが本当の意味での易である。特徴として、世界の一切の現象を陰と陽の二元で解釈し、陰の要素と陽の要素の組み合わせの仕方で多様な事象を解析している。現象が停止しないと考えるのが易で重要な点で、陰と陽、陰から陽、陽から陰にとさまざまに入れ替わる変化を占う。陰とは暗、夜、地、女など、陽とは明、昼、天、男 など。

 陰を示す卦符と、陽を示す卦符の三本の組み合わせによる8種類の八卦で占う。
陽陽陽 いぬい (西北) シャチ 西側
陰陰陰 ひつじさる (西南) カレイ 西側
陰陽陽 (西) クログツナ 西側
陰陰陽 (東) ウナギ 東側
陽陰陽 (南) 苗代
陰陽陰 (北)
陽陽陰 たつみ (東南) カメ 東側
陽陰陰 うしとら (東北) フグ 東側

【八柱の神の相互関係考】
 親神天理王命の十全の守護によって、人間はじめ万物は皆なその生成を遂げている。この世は親神の身体であって、世界はその隅々にいたるまで親神の恵みに充ちている。月日両神は万物の親、万有守護の大元である。萬物一切の生成化育は、親神の分身とも云える、日夜万物にお働き下さる十柱の神の「十全のご守護」に支えられている。

 月日の御入込みなくては神の御働きできぬ。万物は陰陽和合即ち月日より産れ出で、各々形を現わし、この世に生命を有す。人間も又月日の神魂より産まれたる分身にして、身体は八柱の神の御心の顕われなければ、生まれ出ることも育つこともできない。神が入り込み御住い下さるが故、心身の自由用自在が叶い、その心に乗って神が御働き下さる。無形の精神、有形の肉体共に月日が親である。肉体は小宇宙、世界は大宇宙で神の一体である。これらのことを前提で了解しつつ、以下、十柱の神の相互関係を悟らせていただく。


 十柱の神様の関係は、国床たち(水の理)とおもたり(火の理)を東西の横綱として「二つ一つ」の大作用を及ぼしている。東三神・女神は国さずち、大食天、雲よみ。西三神・男神は月よみ、大とのべ、かしこ根。東西の三神が三役として横綱を輔弼しつつ相互に立て合っている。月よみ(突っ張り)と国さずち(つなぎ)、雲よみ(飲み食い出入り、水気上げ下げ)とかしこ根(息吹き分け)、大とのべ(引き出し)と大食天(切る理)が対照している。これら八神の助けを得てイザナギ、イザナミのギミ二柱が「二つ一つ」となられて中宮に治まっている。これで十柱の神が出揃うという関係にある。 

 世界八方八柱神より御変化する神仏数量りがたく、神道はこれを八百万神と云う。仏法は無量諸仏という。観音という観音は皆な月日と仰せられ、一世の間にも色々と御変化下されて神とも仏ともなり、木仏金仏にまで入り込んで、善を勧め悪を戒め、種々と霊験を現わして、人間を教え導き育て下されている。昔より高山には大社を祀り、詣り場所がある。紀州高野山、山城比叡山、甲州身延山、飛騨の高山、越中館山、加賀の白山、肥後の阿蘇山等々然り。

 親神天理王命の御心は「親心慈愛の情け」である。このご守護を受けるには足納という誠が必要である。欲を離れて心澄ますのが誠である。親神天理王命のご守護に対する埃を去るに従い「親心慈愛の情け」が広く大きくなる。万の徳はこれより出ずる。これを受ければ受けるほど正直清浄な心になり、心の曇りが去り明鏡止水の境地に至る。こうなると天地明らかにして万物が鮮やかになる。世界中の事が天理故、如何なる事も皆な分り知るようになる。

 大抵の者は、身上が事情に迫ってにっちもさっちも進退窮まらねば心が定まらない。教祖は、『人の好く者は神も好く。心の定まらん者、聞いて心に定めのつかん者は幽霊や。そんな者に元気を入れて聞かせるには及ばんぜ。到底天理の道具には成れん』、と仰せられた。身体は借り物、我が心が我の自由である。この心の自由を磨くのが人の道である。


 因縁のせいにしている間は、そういう心の間は天理の話しを聞いても身につかぬ。心の定まらぬ者は天理の話を聞いても心に納まらん。心を定め決したら変らん迷わん動かん。この心を神が喜び、神が喜べば御働き下さる。人を助ける、人の為になる、人を引き立てるの心あれば目が利くようになる。例えば、親は我が子の事によく目が利くが、これは我が子に対して「情け」が深い故よく見分けがつくようになるからである。『何かよろずの助け合い胸の内より思案せよ。一名一人の心に誠。一ツの理があれば内々十分六つまじいという。世界成る程の者、成る程の人と云うは常に誠一ツの理で自由用と云う。よく聞き取れ。人を助ける心は真の誠一ツの理で助ける理が助かる、人を助けると云う理によって我が身が助かるという。よく聞き取れ』、と仰せ下さる。

 親神天理王命の「親心情け」を受けると人の心がよく見えるようになる。逆にこのご守護を受けぬ者は見分けのできぬ者になる。了見の狭い者は目が利かず、見分けがつかんことになる。神の働きを得て誠の徳を備うるものは人を感化する事大である。小川は僅かな事でも濁る。朝の心が夕に変わるが毎度の如き心にては人の上に立ちて教えることはできない。古言に「豪傑涙に脆し」と云う如く英雄豪傑は情が深い。情が深いから徳がつく。情が深い故、この人の為には命をも惜しまんという様な絆が生まれる。そういう組織が強い。苦労して来た人ほど同情心が強いのもこの理による。 

【国常立(くにとことたち)の命】

 国常立(くにとことたち)の命は男神(おとこがみ)にして、御姿(おすがた)は頭(かしら)一つ、尾一筋(すじ)の大竜(だいりゅう)なり。この世界の国常(くにとこ)を見定め給う。国を見定め給う故(ゆえ)に、くにみさだめの命(みこと)とも申す。人間を宿し込みの時の「つく息」の理をもって、月様と申す。月様が先に立ち給うゆえ、日月(ひつき)と言わず、月日(つきひ)という、また三十日を一月という。

 国とこたちの命の働きにより、人間身の内(うち)にては、眼うるおいの守護の神なり。即ち、眼に湿(うるお)いは この神よりの借物。又、水はこの神の守護にて、この世の一の神なり。(「十六年本に記された「十柱神」の守護の理」) 

 国とこたちの神楽面は獅子面。「頭一つ、尾一条(筋)の大龍」を表象させている。これは、人間の骨格と一致している。「神の古記」は次のように記している。
 国とこたちの命ハ、天にてハ月様なり。この神ハ男神にして、御姿ハ、頭(かじら)ひとつ、尾(おふ)ハひとすじの大龍なり。この世界、国とこを見定めたもふ。この理をもって国とこたちの命とゝ云う。
 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、観世音菩薩、釈迦如来と現われ、法を授け給う。又、先に出て法を説く理をもって千手(せんじゆ)観音という。皆なこの神の理なり。伝教大師(天台宗開祖)はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)月様(つきさま)。指は左親指。
 国とこたちの命は月様にして第一(二)番親神。おもたりの命と対。ご守護は「水の理」。水の源は見えぬ故に「みず」と云う。この神は、身の内にては目胴潤(うるお)い、水気保ちの御守護を司る。水の潤いが働き下されて目が見える。
【目のご利益】
 目は月日、月日鏡とも云う。人間造りは目(眼)が最初のもので、いわば眼が元始まりになっている。これを思えば、眼の重み、国とこたちの働きの重みが分かろう。眼は水晶と同じ明水。眼ほど大切なるものはない。もし眼が見えざれば如何であるか。まずは眼で見分けする。物の黒白、曲直、遠近、長短、善悪の区別ができるのも眼のお陰である。人が「眼で語る」所以がここにある。山海の景色、見物事、芝居や活動を見て楽しめるのも、物を見分けてこその眼の楽しみである。
【水が元、水が台】
 水は万物の元、万物の元、世界の元であり、万物の親であり、水が台になっている。身体は月様の清水の固まりである。水は宇宙の万象に現す元素にして千変万化万体の徳を出す根元である。天上天下、水のない所はなく水の入り込み働かざる所なく、千変万化霊妙不可思議の妙用を供えている。森羅万象ことごとく水より生じ水にて生命を保つ。万物は水が養っており水の養わざるものはない。

 水ほど低いものはない。水は、宇宙間を切れ目なく隔てなく万物養い続ぎ育てる。故に水ほど力あるものはない。いわゆる方円の器に従いて万能の効用働きを成す。この世は水の世界。万物は水土より生じ、水気入り込んで生成化育をなす。

 国とこたちの命の働きにより、水はどこへ流るとも流れ流れて宇宙間に満ちて切れ目がない。動きが自在で天にも地にも如何なる高山、山林、谷底、里にも水が湧き循環している。海、河、池、沼、堀、井戸に水あり、上に登りては雨、気体となる。
【水の性質】
 水には色がなく匂いも味もない。水は化学上、中性。水は多くの化学物質、鉱物、栄養素を溶かす。栄養素が溶け込んだ水分が栄養分を身体全体へ運び、細かい血管にまで届ける。水は物質の構造を壊すことなく、栄養分や薬、ミネラルを体内に吸収させ、細胞で使うことを可能にしている。

 水には水圧がある。植物に摂取された水分は、重力に反して上へ流れることができ、高い木のてっぺんにまで栄養素と水分を届けることができる。水が凍るときは、上から下へと凍っていく。また氷は水面に浮くので、冬でも魚は生きることができる。

 地球上の水の97%は海にある。地球には海水から塩分を取り除き、精製された真水を地球上の至る所に雨として降らせる天然の降雨システムがある。蒸発作用により、塩分は海洋に残し、水分だけを大気中に引き上げ、雲を作る。雲は風に乗って移動し、植物や動物、また人間のために、陸地に雨をもたらす。蒸発作用とは、地上に生命を維持するための水の浄化と供給のシステムである。水をリサイクルし、再利用のシステムでもある。
【水のご利益】
 水なしには生物は生きられない。植物も動物や人間も、身体の大部分が水分から成り立っている。人間の体の約3分の2(約70%)が水分で、その身体から一日約2リットル以上の水分が排出され、睡眠中にも汗として流れ出ている。飲み水にもなり汁物、野菜などの煮炊きにも御用をする。水のお陰で洗濯も掃除もできる。田畑に作物が育つのもすべて水の働きがあってのことで、水の恵みの大切さに改めて気づかされる。水の徳は有形無形に渡り、説き尽くせず宇宙一切の元動力である。
【水の効用】
 水によって曲直を分けることができる。例えば建築地の高低を分けるに水盛定規は水が正直の元になっている。
 その昔、水泥固まり土塊を生成し泥海となり、泥海の水泥分けて陸地を造り、天地を開闢して陸上に万物生ずるに至りました。水土合して草木生じ、水気を吸い、雨露の潤いを受けて生長発育します。水中の魚貝、藻、苔、田地山林畑の作物は勿論、文明の汽車、汽船、電車、電燈、ガスの類、機械等ことごとく水の働きによらざるありません。

 水は方円の器に従いその効用を成します。水ほど力のあるものはありません。如何なる巌でも砕き、穴もあけ、堤防をも壊し、激しく動けば巨船もひっくり返す力があります。「柔よく剛を制す」と云われるように、柔らかい水が硬いものに対して最強の力を発揮します。革の堅いものも水に浸せば柔らかくなります。
 老子が次のように述べている。
 上善は水のごとし。水は善く万物を利して、而(しか)も争わず。衆人の悪(にく)むところに処(お)る。故に道に畿(ちか)し。

 解釈は次の通り。
 上善即ち最高の善とは、道徳的な善不善を指すのではなく、自然の秩序に倣って生命を愛でることを意味しています。その上善は水の理に導かれています。水は、万物の器に従い善く万物を利してしかも争いません。衆人の悪(にく)むところに処(お)るの『悪むところ』とは、さげすむ、疎んじるような場所を云います。水はその低いところにとどまって自在を得ています。このような水の謙虚な姿勢が自然にかなった生き方であり豊かな人生の基であります。これが人生道の極意です。
【水の理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、この世治め月様の水の心に合わせることです。人間に於いては情けの心になります。水の理に合わせて正直に素直に頭を低くして低き心で通ることで、水の理のご守護を受けるようになりまう。

 水が方円の器に随うように器の理に順応するのが良く、謙虚に慎み深く通るのが宜しい。我が強過ぎたり、他人の欠点ばかりを見て不足したり、神の理を立てずに自分の思いばかりを立てる者は神が道具に使いにくい。神に用いられない者は窄(すぼ)む。水に潤いがあるように人を潤わせる心を持つのが良い。自ら額に汗して率先垂範し無私の心で陰徳を積むことが大事。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになります。足納が正直、足納は治まる水の理です。治める心、足納と云う理が心の澄む理になります。足納の理が治まらぬ故八埃を生じます。

【面足(おもたり)の命】
 面足(おもたり)の命は女神(おんながみ)にして、御姿は頭十二、尾三の大蛇(だいじゃ)なり。人間を宿し込み給うた後(のち)は、日々(にちにち)に身が重くなる故、をもたりの命と申す。 又、日々に理を増す、日輪様(にちりんさま)とも申し、宿し込みの時の「ひく息」の理をもって 日様(ひさま)と申す。日様の尾に三つの剣ある故、この理をもって、悪気(あくき)なる女をじやけん(蛇剣・邪見)と今にもいう。また、頭十二ある一つの頭にて、一月ずつ頭かわりて守護下され、日々に十二支の方に頭を取り巻き、一刻(とき)ずつ頭代りてお照し下さる。この理をもって、一年を 十二月と定め、一日を十二刻(とき)とす。(時間の守護)

 人間の内にては、温味(ぬくみ)の守護の神なり。即ち、温味は この神よりの借物又、火はこの神の守護にて、この世の一の神なり。
 おもたりの命の神楽面は「頭が十二、尾が三条(筋)、三つのけんある大蛇」を表象させている。これは、人間の脳神経と下半身の神経と一致している。「神の古記」は次のように記している。
 頭十二ある一つの頭にて、十二月の間、一月づつ代わりて守護う。また十二時つつ頭代わりて、目を一時とす守護ごうあるゆえに一ヶ年を十二月と定め、一日を十二刻(とき)と云う。
 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、三尊(ぞん)の阿弥陀如来と現われ給う。また、心の澄んだる理を以て、勢至(せいし)菩薩といい、大きく見える故、かんだい(寛大)ともいう、観音(かんのん)も皆なこの神の理なり。三尊佛はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)日様(ひさま)なり。指は右親指。
 おもたりの命は火様にして第二(一)番目親神。国とこたちの命と対。ご守護は「火の理、日の理、温みの理」。日夜万物にお働き下さる。温みは水に添い千変万化霊妙不可思議の妙用ありて万物の徳を出す。日様が東より上がり給い日々に日を貸すゆえひがしという。
【おもたりの命様のご守護、働き】
 おもたりの命の働きにより、身の内にては、温み、温熱の御守護を司る。三千六百筋の血の働きを始め体内の体温を計り下さる。人間の身体は水だけでは成り立たず温みがなければ生命にならない。但し、熱がありすぎても命が危く、ほど良いぬくみのご守護で命が保たれている。人間の体温の平熱は36度5分、6分が良いとされている。この基準に1度2度体温が狂うだけで例えば38度熱があっても35度を下回っても正常に行動できなくなる。おもたりの命様のご守護で体温が一定に保たれている。
 おもたりの命の働きにより、世界同じく、温み一切、火気、照光一切は皆な日様也。火、日光及び温熱なくては世界は片時も立ち行かぬ。金属の如き堅き物も火に掛れば柔らかとなり溶解する故に百般の用途を自由に満たす事を得る。文明の汽車、汽船、軍艦、鉄橋、建築、機械、器具、飲食物の拵え製造、日常生活に関する百般の用途、物品等ことごとく火の働きによらざるなし。火気は天地に満ちいわゆる気体にして体なく、手にて握る事もできぬものなれど、その働き偉大である。昼は御光りを受け、夜は火を点じ電灯、ガス、ランプなどを以って立ち働くことができる。
 日様の暖かみ照らし下さって万物が育つ。火の燃ゆる日の照る光一切点ずるこの陽徳がなくば世界は暗黒厳寒で何もできざる也。粒毛草木も温みを入れて下さるので芽切る、生え出る、成長し花咲き実る。日様温みありて衣食住万物がこの世に現れ、その用をなし、人間始め生物立ち働く自由用が叶う。身の内の温み世界の暖みは悉く日様貸し下さる賜物。
【火の理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、日の理に合わせて分け隔てなく照らす温かい情愛の心、誠の心で通ることである。朝は日の出を拝しお陰を受けるのが良い。日々年々変わらぬ温かい心で通るのが良い。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。

【水火対の理諭し】
 「元の理」では、十柱の神の中でも、月様(国とこたちの命)と日様(おもたりの命)の二柱が対として一番の台親になっている。陰陽の理、二つ一つの理、天地の理、月日の理、火水の理が相補している。天地間万物一切は月日二神の水気温みの二つなり。この両神が万物に入り込み下さるにより道具神様の御働きできる。水霊火霊は万物の源、有形無形一切に入り込みあり。親神の月日両神のうち月様(国とこたちの命)の働きを空間力、日様(おもたりの命)の働きを時間軸で捉える向きもある。
 日本の神社にて行われている祭りもこの二柱の理を称え執り行われている。日本人の先祖である縄文人がそもそもこの月日の理を称え、岩を祀り、山を祀り、木を祀り、祈りをささげてきた。日本神道はこの教理に深く根ざしており縄文(古)神道に辿りつく。縄文(古)神道を探求すれば出会うのが龍(水)と蛇(火)で月日二柱の守護から始発している。天理教理は、縄文(古)神道の系譜に位置している。
 火と水とが一の神。水に温みが添い下ろされて一体となり水火同体。水あって火があり、火が添うて水気が働く。火の中に水あり、水の中に火あり。この水霊火霊にて万物を現わし、これによりて万物生育をなし又身命を保つ。火気ありて水の霊働く、温みがなくては万物は一日もこの世に活きることできん。水には必ず温み和合下さって一切万物に入り込み下さるで生を保ち、同じく照光あって皆な育つ。万物の生ずる悉く水気に温み御添い下さって生じ育つ。人間始め一切動物は水気温みの借り物。身上はこの二つが入り込み、月日和合下されたる証拠の現物なり。月日は万物の親なり根本なり。
 粒毛草木食物に味わいのつくのも水気温みの力よる。酒、醤油、酢、穀物、野菜、果物、塩、魚類など飲食に供する物は勿論、衣類道具家屋に至るまで衣食住ことごとく水気温みで作られている。月様水気に温み和合下さって万物各々生命を有して生成化育をなす。
 人間の母親の胎内へ宿し込み、日々の理の増すも成長するも、草木の育つも、花咲くも実るも、味のつくも、月日より水気を与えたり温めたり守護下さる故に育つなり。月は万物の元の父に物を引き与え下さる。日は万物を育て下さる元の母。月日は天地の夫婦。南無と云うも同じ事。月日ありて天地あり。天地ありて夫婦あり。夫婦ありて人間あり。人間ありて万物あり。万物ありてそれぞれの用をなす。されば月日の守護は高大無限の南無なり。大海の潮はなむ/\と何時も変わらぬ働きあるは天地の息。波と云うはなむと云うも同じ也。

 女は臺。臺一切は日様の理にて上に乗るものが天となる。天と地、月日陰陽を象りて夫婦を拵え給う。これ人間万物の根本。皆な人間は天地の内に寝る。
 十二支の理
 水気に温み二つあって昼夜を生ず。昼夜あって四季あり。月日あって天地あり。月日の根がありて十二支。十二支あって東西南北艮坤巽乾の八方が定まり、天地陰陽の気にて人間万物生い育つ。宇宙間はこの水気温みの満ちきつたるで道と云う。月様の水に日様の光が写って月日並びて明らかとなる。月日陰陽和合の賜物なり。水気温みが1年12ヶ月、1日昼夜12刻24時間の運行を支配し、春夏秋冬の変化に応じた気温をはじめ、すべてのぬくみ、火に関わるご守護を下さっている。
 道の理
 水火の二つが満ちて居る故、道と云う。身の内と云うこの身の内が道なり。道とは身体に習うて行わねばならぬ。身と云う、鏡と云う、八形と云うも、八タの鏡と云うも同じことにて、人間身上は前世より今日迄の心の鏡として心通り身を現し貸し与え下さる心の形なり。故に身に現れる理が諭しなり、身の内神、宇宙も同じ神の誠で立つ。身上あって幸福円満に世界立ち生える道が誠。
 陽気は月日の御心也。陽気に合わぬ心を埃というて病生ずる。故に万の物体は腐敗すれば水土に帰り又は火にかければ火と成って無形に帰る。水の徳、水の働きと火の徳、火の働きと同じく皆なこの世の万物は水と火に懸ければ種々と変化を成す。

 人体の血の循環の一部に滞りが起き変色して病痛みの元となる。手足を使えば手足の血液がよる。腹を立てれば顔が赤くなるが如く身の内に血が固まり悪血ができる。気が勇めば血が勇むというて巡りがよくなる。悪血は誠のない悪心不浄なる心からできる。頭は天。これが不順して胴体下部の血液が逆上して頭に漲り脳痛む如し。
【水火の理のご守護にかなう心遣い】
 慈悲深いと云う親切、親に切なる心、育てる心、恵むという我が身を忘れての親心、慈悲の心、大慈大悲と言う如くは皆な月日親様の心を云う。情けと慈悲、この二つが肝要で、誠さえあれば結構に神が通させて下さる。誠のないものは通れぬ。苦労した人ほど人を育て繋ぐ慈悲心が強い。夫を大切にする、親を大切にする真心は誠。誠なれば天の守護厚きにより、たとえ苦悶の境遇にありても遂には助け上げられる。『誠一つより強き長きものはない』、『つく息(月)ひく息(日)が退いたら如何な強敵たりともし方はあるまい』と仰せ下さる通り。如何な強力智者といっても水気温みが狂うたら一寸に力は出ん。
 2016.10.21日、「明治十六年本説話体の永尾楢治郎/泥海こふき」 によれば次の通り。永尾楢治郎は、お指図書取り人に指名された最初のお指図筆取り人。
 男性根源神格/月様・くにとこたちの命…頭一つ尾一つの大竜。女性根源神格/日様・をもたりの命…頭十二尾三つ、尾の先には三つの剣がある大蛇。男は宙を舞う竜。女は地を這う蛇。

 女は十二の頭で目の前のすべての事を把握する。しかも、臭いや色まで確りと見分け嗅ぎ分けする力を持つ。竜は足元の事には気がつかないのであるが、対極を見る力、先を見通す力を持っている。蛇剣は邪険を連想させる。三つの尾は繋ぎの数。その先にある三つの剣は切る働き。つまり、繋ぐ理と切る理の組み合わせ。繋ぐためには切らねばならん。女が邪険であるのは、命を繋いでいく使命あるからだと思う。これが女の性のひとつなのかもしれない。

 男と女は別の生き物。同じだと考える事から悲劇が始まる。天上を舞う竜と地上を這う蛇。竜の眼には地上のことは映らない。逆に、蛇の眼には全体と行く先は映らない。竜の眼にはそれが見えてある。男は女のように色を見分け、臭いを嗅ぎわける力は備わっていない。女は十二の頭、二十四の目で現実をしっかりと見ている生き物。口と鼻も十二ある。男は頭一つ、目が二つ、口と鼻も一つだ。これが同じである筈はない。同じではないから対話が必要となる。だが、お互いの違いを分かっていないと対話にはならない。男性原理と女性原理/くにとこたちとをもたり。その姿から、実に多くの事を学ぶ事ができる 。

【国狭土(くにさづち)の命】
 国狭土(くにさづち)の命は女神にして、御姿は亀(カメ)なり。亀というものは、皮強く、地附きたるもので、踏ん張り強く、倒(こけ)ぬもの。女の一の道具に仕込み給う。女の一の道具は、亀の甲の理をもって、おめこという。おなごというも同じ理なり。なお、亀は土色(つちいろ)なるゆえ、この理をもって亀に国さづちの命と神名を授け給う。

 人間身の内にては、皮繋(つな、続)ぎの守護の道具たる神なり。即ち 、繋ぎものは残らず、この神の世話取りなり。
 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、普賢菩薩、弁財天、金神、結之(結び)の神は皆なこの神の理なり。黄檗の達磨大師(だるまだいし、禅宗開祖)はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)源助(げんすけ)星。指は右人差指。
 国さづちの命は亀様にして第三(四)番目親神。月よみの命と対。ご守護は「繋ぎの理」で日夜万物にお働き下さる。水の働き、火の働き、突っ張りの働きに加えて繋ぎの働きがないと人間、世界の創造ができない。
 国さづちの命の働きにより、身の内にては、温み、温熱の加減の御守護を司る。皮膚、皮下組織、内臓皮質、筋肉、女性の生殖器官等々が、この神様のお働きの守護によっている。身の内は表面皮の破れぬ様総身を包み、身体全部内面は骨筋肉道具節々等一切の繋ぎ合わせの切れぬ様破れぬ様の御守護を司どる。女一の道具の働きで子供が産まれ、親子、子孫の繋ぎができる。人間は天との繋ぎが切れたら死ぬ。金銭食物の繋ぎが切れれば貧乏する。人を繋ぐ心は誠。この神様の心也。心と身と離れぬ如く指でも両手十本が合うて十全と云う。手が足を助けず足が手の為に働かぬ時を不全と云う。

 国さづちの命の働きにより、世界同じく、宇宙間の万物の皮繋ぎ、結ぶもの、縁を繋ぎ、有形無形の一切の繋ぎ、金銭の繋ぎ、経済を司る。万づ柔らかき物及び柔らかいと云う理は皆なこの神様の理にて始まる。この神様の理がなければ世界中の物は皆なバラ/\である。人間も交際も交合も、親子、主従、夫婦、兄弟の縁、愛情で繋がらぬものはない。人の世話やき、媒介、周旋とか皆な繋ぎの役である。道路、河川、橋、電信電話線等舟でも皆な繋ぎの理。家屋でも皆な立つと繋ぎて組合す。硬きものでは物が繋げぬ如く柔らかく優しい心で繋げる。柔らかき物に味わいあり。

 この世は皆な繋ぎ合いにて立ち行く。八社の神様が一つの心に繋がり下さってこの世の万の物は日々繋がって行く。人間が数あって社会。人間も一人では何の楽しみも幸せもない。多人数が繋がって楽しみあり。そこに陽気が生じて日々が幸福に暮らせる。人は互いに繋ぎ合うと云う理を押し広げて行けば社会の全体の繁栄を保ち、陽気に暮らすと同じ理となる。

【亀の理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、亀の理に合わせて踏ん張り強く、心倒さず辛抱し、切れることなく繋ぎにつないでいく心、傷も綻びも繕い治めていく心で通ることである。この世は万事万物繋がって保たれ完全となり円満に成立をなす。身体でも痛むと云うは繋ぎ下さって居る体内の骨とか筋とか内部の繋ぎが切れるから痛い。身の内では皮が腐るとか皮に関する病は勿論又身の内の繋ぎが切れて痛みとなり我が身が倒れる。不足腹立ちで繋ぐべき所を繋がず人と繋ぎを切るのは埃。

 又この神様は世界にては掃除役の神様とも云う。心の掃除すれば神に繋がる、人に繋がる。天の繋ぎが切れたればこの世に居れぬ。人を繋ぐは神を繋ぐも同一。互いに助け合う理は我が身を繋ぐ幸福を得る道なり。人を切り人を苦しめて我が幸福を求めようとする心は我の身体我の幸福を破るのも同じ理になる。ならんと言えば「はい」、いかんといえば「はい」と言うて、切れるところをつなぐ態度、物や金への執着をなくし、報恩のつなぎ・つくしに徹して通ることが大切である。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。

【月読(つきよみ)の命】
 月読(つきよみ)の命は男神にして、御姿は鯱(シャチ)なり。鯱というものは、勢強く変にしゃくばるものゆえ、男の一つの道具に仕込み給う。男一の道具は、この理をもってせいのこ(勢の子)という。なお、男というものは、宿し込みの時、上より突くゆえ、この理をもって、鯱に月よみの命と神名を授け給う。 

 人間身の内にては、骨の守護の道具なる神なり。即ち、骨はこのよりの借物。この世のよろづつっぱりものは残らず、この神の御世話取りなり。 
 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、八幡菩薩、地蔵尊は皆なこの神の理なり。聖徳太子はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)破軍(はぐん)星。指は左人差指。
 月よみの命は鯱様にして第四(三)番目親神。国さづちの命と対。ご守護は「骨突っ張りの理」で日夜万物にお働き下さる。日夜万物に「骨突っ張りの理」を授け貸し下さる。万づ堅め、括り、締り、突っ張りはこの神様の力なり。水の働き、火の働き、突っ張り、繋ぎの働きに加えて骨突っ張りの働きがないと人間、世界の創造ができない。
 月よみの命の働きにより、身の内にては、「骨突っ張り」の御守護を司る。骨格器官、関節、靭帯、男の生殖器等々が、この神様のお働きの守護によっている。人間が立っこと座ること、寝ること起きること、関節の折りかがみで思うように身体が動き、力を出して支えることができるのも、男一の道具が突っ張れるのもこの理の働きによる。大骨十二本、小骨三百六十本の骨折れぬ様御守り下され、突っ張る力、倒れぬ力、立つ事の自由用をご守護下される。

 月よみの命の働きにより、世界同じく、草木をはじめ地上に自ら立っているものすべてを支えている。人間に万ず立てる御心にて身の立つ、会計の立つ、日々無事に立つ、万ず立てて下さる神様也。一日立つ、一年立つ、一代立たせ給う。草木粒毛一切が立ち、突っ張りとなり立つもの建築物一切の立って倒れぬ御守護を司る。この神様の理がなければ世界中の物事は皆なグジャ/\でしゃんとしたものは一つもない事になる。骨なしでは立つ事も歩む事もできない。草木でも風が吹いても容易に倒れぬから花実を結ぶ。家屋建物等沢山の重荷が乗るとも挫けぬ。倒れぬその他立つ物一切この神様の理で立って倒れぬのである。人間の心にもこの神様の理がなくては何事も思惑通り成立せざるなり。人が我が心に定めた真実誠は一筋たて抜く、立て通すという、狂わん迷わん変わらん立ちきった心が大事である。これのない者は何事も成立成功するものではない役に立たぬ。天の理を立て筋道を立てる。親を親に、上を上に、天の恩人の恩を重ね全て道を立てぬから立たぬ。

【鯱の理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、鯱の理に合わせて「一に勢い」の勢いで立ち働き、人を背負って立つ、不正を跳ね除け突っ張る心で通ることである。人を立て、神を立て、互い助け合い立て合いで行くのが良い。心に張りのなきものは身体も強う成れぬが如く、例えば着物でも糊を付けシャンとしたら強い如く、誠を立て抜く挫けぬ踏ん張るという心が肝要である。人の為に我が身を捨てても片肌ぬいでも助けようとするのを男立てという。その真実誠の強き心がこの神の御心に叶う。

 この神のご守護に対する埃は、誠を立てず我さえ立てばと云う心である。人を踏み倒してでも自分を立てようとするは神を倒すも同一なる故、必ず我が身が倒れることになる。物事を成就さすには我が心の埃を切り抜き、強き熱心を立て貫く心なくてはならぬ。例えば七八分迄仕上げて一二分の所で挫けるが如く、全て事に接して変わる挫けるのは、この神様の徳を失いたることによる。全て仕上げる心なくば心に骨のなきが如し。神様の御言葉に、『親となり子となるは因縁事情から成ったもの。その親に孝行をせず親と云う理を忘れ親に不行すれば、こんどの世は何になるとも分りがたない。この理、話しに伝えておこう』、と仰る。一家が立つも国が立つも然りで、親ありて我が身の今日あるものなれば、親と云う恩を忘れ親という理を立てて行く心がなくば我が身の理が立たぬは天の理なり。例えて申さば下駄は頭に被るべきにあらず足に履くもの。帽子も足に履くものに非ずして頭にかぶる如し。この神様の理を立てぬから立つものが立たん。人体では骨が枯れたり腐ったり全て突っ張れぬ、暮らしが立たぬ、思いが立たぬ。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。

【女一の道具、男一の道具対の理】
 国さつちの命、月よみの命二神が月日の一の道具神様。立てると続ぐは相補の理。人を立てるから繋がる、繋ぐから立つ。木でも芯が立たねば成木せぬ。芯は中にありて皮が繋がる。芯を立てるから立つ。人を繋がぬ、繋ぐべき所を切る、甚だしきは人を倒して我が幸福を得ようとする心にて人と戦い恨み合いの埃が生ずる。繋ぎ合い助け合い立て合いという神の御心を破り反する故、神に切られる。梅は両方和合、夫婦にて子の授かる理。
 国さつちの命の女一の道具、月よみの命の男一の道具の使い方によって色情間違いが起こる。見えん所に出る病気、人に見せて恥ずかしい身上の多くは皆な色情に関わっている。兄弟が夫婦になったり親子が夫婦になったりする如くの甚だしい色情間違いにより片輪になることがある。男女の道、正しいが天の理也。故にこの道が綺麗にあれば神の八形としての人間の雛形は立派に形造られるものなり、と聞かせていただく。

【雲読の命(くもよみのみこと)】
 雲読(くもよみ)の命は女神にして、御姿は鰻(ウナギ)なり。ウナギというものは、つるつくもので、頭の方へも尾の方へも出入りするものゆえ、人間の飲み食い出入の道具に使い給い、この理をもって、ウナギに雲よみの命と神名を授け給う。

 人間身の内にては、飲み食い出入は、この神の借物。世界では水気上げ下げは、この神の世話取りなり。
 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、文殊菩薩、龍王、神農、薬師如来、水神、善女、八大龍王は皆なこの神の理なり。顕真大師(一向宗開祖親鸞上人)はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)暁の明星(みょうじょう)。指は右中指。
 雲よみの命は鯰(なまず)様にして第五(六)番目親神。かしこ根の命と対。ご守護は「水気上げ下げ、飲み食い出入りの理」で日夜万物にお働き下さる。
 雲よみの命の働きにより、身の内にては、「飲み食い出入り」の御守護を司る。消化、吸収、排泄に関わる消化器、泌尿器、循環器、血液の巡り等々が、この神様のお働きの守護によっている。食物の味を八万四千の毛穴より天に昇るその味を受け取り下さって草木粒毛一切に味を授け給う。この神様がなくては食物の道が止まり飲み込めぬ。かくては身を養う食う事ができぬ。子供が生れ落ちるや誰教えねど乳を吸う力、乳の如き慈悲なるものの出るも皆な神が人間可愛いの真実の甘露である。一家にては食物拵え等内で働く。
 雲よみの命の働きにより、世界では、水及び水蒸気の降り昇りの御守護を司る。実乗り一切、宇宙間の生命一切に飲み食いをさし養いを付けて下さる。草木に水の昇る養いをつけ下さる。物を干すにも水気蒸発して上るから乾く。月様の水の昇り降り出入りの働き一切を自由自在に使わして貰える。

 水は上に昇りては或いは雲となり霞霧もやとなり雨露となり雪氷霜雹となりて妙用を成し、下にありては泉水、河水、井水、谷川、溜め池、堀等を使用する。或いは食物の煮炊き、湯茶、入浴、洗濯物等を干せば水気が乾きて昇る。降った水が蒸発して昇る故地上も乾く如く、あるいは溝畔、水管、水車、水道、等設けて自由自在に水を使用する事のできるのはことごとくこの神様の守護によりて叶う。太陽から地球へのエネルギーの吸収、地球から宇宙への廃熱の放出も水の循環の働き。地球の気温が程よく保たれるのも然りである。
【ウナギの理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、「ウナギの理」に合わせて自由闊達に出し入れし、これを惜しまぬ心で通ることである。糧食の不自由、作物不作、金銭、財産、物質の先案じと溜め込み、飲み食いできぬ、あるいは便通じに関する器官の腐敗障り等はこの神様の御意見である。報恩、感謝、親孝行の実践と繋がっている。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。

【惶根の命(かしこねのみこと)】

 惶根(かしこね)の命は男神にして、御姿は鰈(カレイ)なり。カレイというものは身薄く、扇(あお)げば風をすものゆえ、人間の息を吹き分けて、言葉(もの)をいわす道具に使い給い、この理を以て、カレイにかしこ根の命と神名を授け給う。

 人間身の内にては「息吹き分け」。世界では「風」。如何なる音(ね)が出るも、如何な悪しきを吹き払うも、この神の世話取りです。 

 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、大日如来は皆なこの神の理なり。円光大師(浄土宗開祖法然上人)はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)坤位(けんい)の星団(坤(ひつじさる)の方(ほう)に集まる星なり)。指は左中指。
 かしこ根の命はカレイ様にして第六(五)番目親神。雲よみの命と対。ご守護は「息と風の理」のお働き。日夜万物に「息と風の理」を授け貸し下さる。息と風に関する事は宇宙間の万物一切、この神様の理である。
 かしこ根の命の働きにより、身の内にては、「息吹き分けの理」の御守護を司る。呼吸器一切、音声、言語、聴覚機能等々が、この神様のお働きの守護によっている。人間が呼吸できるのは、のどで食物と空気の出入りが分けられるからである。言葉が使え耳が聞こえるのも音が聞こえるからである。音は空気の震えが耳の鼓膜に届くことにより様々な音色を生む。匂いを嗅ぎ分けられるのも然りで、これらは皆な「息吹き分けの理」のお働きによる。目耳鼻口の四ツより入り喉を通り肺より口に通じ口舌にて呼吸を働かし、息吹き分けする、その工面をする。カレイは目が両側によっており、「左右を平等に見渡せる」能力を持つ。この理合いが貰われた。
 かしこ根の命の働きにより、世界同じく、水気に火気が添い給うて空気あり風を生ず。水火風三つにより自由用自在の御働き下さる。息、風、空気生じ万物生成し化育す。衣食住ことごとく火生風の賜物也。空気は水に温みが添うてあるものなり。水も温みと風がなくては流れぬ。水に温みが添って風となって入り込み下さって人間も息を吸うて生きる。風あるから鳥でも空中をたつ事ができる。世界では大気(空気)の対流、気候の変化、また、人間相互のコミュニケーションを司っている。風の働きで気温が変化し、雨雲が風によって海から陸に運ばれて恵みの雨をもたらし、鳥や飛行機が空中を飛べるのも、この神のご守護があってこそである。風がなくては万物一日も生きて働く事ができぬ。草木に至るまで呼吸し、空気の流通即ち風によって万物生育繁茂する。飛行機等虫鳥類も同じく風の力で飛行する。何千石の積荷をする帆前船も風の力で運搬す。電信電話を以って何百里隔たり居て話ができ、或いは無線電話とか皆な風の働きなり。世界に空気があるだけで流通する風がなければ窒息死する。水中に棲息する魚でも空気が通わねば死す。例えば夏日、暑さ激しくして風なき時は苦しい如く、全く風なき時は生きる事ができない。空気が自由用に変わって流通下さるで、清き新しき空気を吸いて動植物の身が養える。皆な風によって養う。

 音声一切音のするもの皆なこの神様の理。声の優れてよき人は前世より余程天の理に叶うた心が使うてあるなり。因縁言葉の優劣もこの神様。美声の徳弁舌話子の達者上手。風なり言葉なり六臺始まり六く睦まじき風。六臺とは木火土金水風火と水が合うて風が出る。息は風なり。火水風よりほかに神はないと仰せ下さる。水気温み風三つにて宇宙の万物は自由用自在の働きが叶うゆえ三宝大荒神也。人間始め一切の動物も息が通って五体が生きる。

【カレイの理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、「カレイの理」に合わせて良きものは身に付け悪しきものは身に付けない、使い分けを間違えぬ心、自分の心を人の下に置いて、人の分け隔て差別をせぬ心で通ることである。息一つ言葉一つを使い分けることが大切だと教えられている。息が切れたら死ぬ。言葉息に関する器官聞分けに関する器官の病一切の障り皆なこの神様御意見である。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。

【飲み食い出入り、息吹き分け対の理】
 雲よみの命、かしこ根の命の二神が月日の一の道具神様。

【大戸邊の命(おおとのべのみこと)】

 大戸邊(おおとのべ)の命は男神にして、御姿は黒蛇(クログツナ)なり。クログツナというものは、勢い強く引いてもれぬゆえ、人間出産の、子を胎内より引き出す道具。また、世界では、立毛(りゅうけ)を地より引き出し、その他万(よろず)引出すものの道具に使い給う。重い物を引き出すには大綱(おおづな)が要るゆえ、この理をもって、黒ぐつなに、大とのべの命と神名を授け給う。にてもくろと(玄人)とは、この理をもっていう。この神は百姓の神。 

 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、不動明王(ふどうみょうおう)。役行者(えんのぎょうしゃ)、弘法大師(真言宗開祖空海上人)はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)宵(よい)の明星(みょうじょう)。指は左薬指。
 大とのべの命はクログツナ様にして第八(七)番目親神。大食天の命と対。ご守護は「引き出しの理」で日夜万物にお働き下さる。
 大とのべの命の働きにより、身の内にては、「万づ引出し引伸ばしの理」の御守護を司る。人間手足に付き添い働き、働き一切、金銭食物、体力、知力を引き出し伸ばし、社会で立身出世等々が、この神様のお働きの守護によっている。お産の時はこのご守護の理で引き出されている。三千六百筋の切れぬよう力を以って働かせ、筋伸び縮みの守護をして下さる。
 大とのべの命の働きにより、世界同じく、あらゆるものの出生、生物一切の身体、筋の伸び縮み、身の内器官の働きを自由自在、種から芽をふく発芽、生育、技術・技量等々が、この神様のお働きの守護によっている。世の中の物を引出す理は皆なこの神様の理。身の内にては産まれ出る時の引き出しの守護。日々は成人させて引伸ばし下さるの守護。草木粒毛万引出しの守護、全て衣食住に供するものは皆な然り。商売にては売り先、買い手を引出す守護。この神様の理があって世界中の物が勢いありて出て来る、力伸びる、登る力があるなり。引く力も同じ。伸びざれば何物も用に立たぬ。身体も伸び縮み自由が叶う故、思うまゝに動くことができる。

 身体伸びぬは草木も肥が足らねば伸びぬ太らんと同一。人の事に尽くすという肥が足らず前世より徳を積まず我が身引き身欲の事ばかり心をよせる小さいこすい心では、この神様のご守護がいただけない。心低いものは徳を積んで高くなる。伸びるはその道に徳を積む理。伸びぬはこの神の道を止めて居る故である。つる類一切はこの神様の理。つる類全て粒毛草木山にも野にも穀物野菜豆類等ある如く皆なこの神様の理によって成長成木して花実を結ぶ。八十八夜は米の理にて米と云う字は八十八と書くが如く一年の四分の一也。八十八ヶ所。弘法大師は粒毛引出しの神にして大とのべの命の御変化なり。

【クログツナの理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、「クログツナの理」に合わせて物の値打ち、人の値打ちを引き出す心、物事に結構という理を味わう心、人を褒め人を立て、子育て、人育の心で通ることである。廃る物を生かし、幼い者を育てる上で自らが玄人にならせてもらう努力に励むことが大切だと教えられている。身体伸び縮みの不自由筋に係る病気は勿論引出し引き与えに関する有形無形の不自由はことごとくこの神の御意見なり。この神様の心は、よく働く人を引出し導き、人に教え、人に与え、人を引き立て、人を引き連れ、人を世に出し、人を手引きし、人に満足を与える。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。

【大食天の命(たいしょくてんのみこと)】

 大食天(たいしょくてん)の命は女神にして、御姿は鰒(フグ、河豚)なり。鰒というものは、食えば よく中(あた)るものゆえ、人間の出産の時、母胎との縁を切り、出直しの時、此世(このよ)との縁を切る道具。また、世界では、剪(かみそり)、刃物、その他、よろづ切るものの道具に使い給う。このものは、腹の大きくなるものにて、人間も腹が張れるほどの大食すれば持命(じみょう)がなくなるゆえ、この理を以って、フグに大食天の命と神名を授け給う。この神は、鬼門の神ない。

 仏法にては(仏教に顕われての神様の御変化)は、虚空臓菩薩、妙見菩薩、鬼子母神。また、橋詰(はしづめ姫)、縣様、二月堂、聖天、儒来(じゅなり、らい)、宇治穴多(うじあなた、県)、毘沙門天、鬼門、暗剣殺は皆なこの神の理なり。日蓮大師(法華宗開祖日蓮上人)はこの神の働きなり。
 星天は(天にては)鬼門位の星座(艮(うしとら)の方に集まる星なり)。指は右薬指。
 大食天(たいしょくてん)の命はフグ様にして第七(八)番目親神。大とのべの命と対。ご守護は「区切り、切断、切り離しの理」で日夜万物にお働き下さる。

 大食天の命の働きにより、身の内にては、「親子の胎縁切りの理」の御守護を司る。産まれ出る時の親子肉縁を切り分け下さる。人間も胎内より切って下さらねば引き出し下さることができぬ。切って下さるから生まれて出る、それで続がる。出産と同時に胎縁切り、縁切り、死ぬる際の息切り、日々にては噛み分け、口中の歯、指先の爪、体内からの免疫反応などの機能等々が、この神様のお働きの守護によっている。医者の手術もこの理の働きです。はさみ、包丁、ナイフ、のこぎりなどの切れ物道具一切のご守護に与っている。

 大食天の命の働きにより、世界同じく、世界にては刃物一切の切る事の御守護下さる。腹袋の消化仕分け、刃物の切れ味は皆なこの神の御心の現われにて切るなり。見分け、聞分け、善悪の仕分け、智恵の働き、心の捌け、心の発散、思い切り、諦め、スッパリとした心、判定する智の働き、決断力、物質の変化、変動の働き等々が、この神様のお働きの守護によっている。この神様の理がなければ世界中の物は切り分けることができない。一年にては節分にて節分は一年の節中の初まり。大地の変動で山や平野ができるのも、「切り離しの理」のご守護である。
【フグの理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、「フグの理」に合わせて万事周到に準備して切る、そうでなければ切ることはしないという心で通ることである。未練、執着、我欲の思いを潔く断ち切る心も然り。常日頃から出すべきものは思い切りよく出し、惜しまずに施していくのが良い。我さえ良くばの悪因縁を積んだ結果できたような物や金への執着はきっぱりと断ち切って、人を助ける心の道への切り替えの道を通ることが大切である。思い切らなば人を立てる事できぬ。我欲をはなれねば人を助けるとか社会の為に働けざる如し。悪しき心の埃を思い切る故、神の心に繋がる善に繋がる。手や足を切る切り傷等はこの神様の御意見である。いわゆる決断力の欠乏するはこの神様の入込み徳を失うたもの也。この神様は思い切りのよきスッパリとしたきれいな定まった心を好み給う。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。

【引き出し、切り対の理】
 国さつちの命(皮繋ぎ、女一の道具)、月よみの命(骨突っ張り、男一の道具)二神が月日の一の道具の対神様。雲よみの命(飲み食い出入り)、かしこ根(息吹き分け)の命の二神が機能充実の道具の対神様。大とのべの命(引き出し一切)と大食天の命(切る一切)が仕上げの道具の対神様。

 身の内も世界も万事、万物が切れては繋がり繋がったものが切れで成り立って居るなり。万物事成す間は繋ぎと切る理。物の切り分けのよくつく者を賢いと云う。智恵は表裏は切り分け。裏表は一体の理故、この理を腹に入れておかねば悟り諭しはできん。

【伊弉諾の命(いざなぎのみこと)】
 伊弉諾(イザナギ)の命は男神にして、御姿は岐魚(ぎぎょ)なり。また、人魚(にんぎょ)ともいう。 このものは、今の人間の顔にて、鱗なく、肌も綺麗なるもの。心も真直(まっすぐ)で正直なるもの、この理をもって、いざなぎの命と神名を授け給い、これを雛形(ひながた)として、人間の「種子」(たね)に使い給うた。   
 この神は人間の父にて、その証拠に伊勢の内宮/天照皇大神宮は、この神の御理(おんり)なり。
 星天は(天にては)七夕の牽牛星。牽牛(けんぎゅう)という七夕星(たなばたぼし)にて、天の川を隔(へだ)てて現われ給う。指は左小指。

 イザナギの命は岐魚(ぎぃぎょ)様にして第九(十)番目親神。イザナミの命と対。ご守護は人間をお創り下された時の「男ひな形、種の理」で日夜万物にお働き下さる。これを仮に「イザナギの理」と命名すると、人間の子種のご守護、世界では種物一切の子種、物種を司っている。人間をはじめ動物も植物も種があってこそ子孫が続く。代々種に還って生まれ更るから品種改良、成人が進む。神様は「種なくしては実乗らうまい」と仰せ下さる。 

【イザナギの理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、岐魚(ぎぃぎょ)の理に合わせて脇目もふらず真一文字に向こうへ向こうへと進んでゆく一条の心、素直正直の心、苦労は楽しみの種と、何でもどうでもの精神で、理の種を蒔く心、おつとめの勤修に一心に励む心で通ることである。一条心にもたれて、神の田地に種を蒔くことが大切だと教えられている。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。
 教祖は、「岐様(ウオ/岐魚)の鰭(ひれ)に五つの筋(すじ)がありた。これが五本の指と成りた」と仰せられている。ここ最近の博物学研究において、「人間の祖先にあたるシーラカンスのような魚の胸びれや尻びれが段々と手足に進化変化し、サンショウウオかトカゲのような姿で陸に上がった、と発表されている。

【伊弉册の命(いざなみのみこと)】
 伊弉册(イザナミ)の命は、女神にして、御姿は巳(み)なり。また、白蛇(しろぐつな)ともいう。このものも、今の人間の顔にて、鱗(うろこ)なく、肌も綺麗なるもの。心も正直なるゆえ、この理をもって、イザナミの命と神名を授け給い、これを雛形として、人間の「苗代」(なわしろ)に使い給うた。
 この神は、人間の母親なる神にて、その証拠は伊勢の下宮(げぐう)/天照皇大神宮は、この神の理なり。 
 星天(天にては)は七夕の織女(おりひめ)という七夕星にて、天の川を隔てて現われ給う。指は右小指。

 イザナミの命は白蛇(シロクツナ)様にして第十(九)番目の親神。イザナギの命と対。ご守護は人間をお創り下された時の「女ひな形、苗代の理」で日夜万物にお働き下さる。これを仮に「イザナミの理」と命名すると、女子の子宮、卵子、月のものと受胎のご守護、世界では、田地苗代もの一切を司っている。子供が母親の胎内に宿って成長できるのも、植物が地に根を張り育つのも、皆な「いざなみの理」のご守護である。神様は「屋敷は神の田地やで、蒔いたる種は皆な生える」と仰せ下さる。天理を神の田地に蒔き付けておく事が肝要である。

【イザナミの理のご守護にかなう心遣い】
 この理のご守護にかなう心遣いは、「シロクツナの理」に合わせて慈愛深く助け一条に励む心、母なる大地のようにすべてを抱えて受け入れる心、種を腐らさぬよう、芽を出し根が付くよう育てる心である。この理に適うよう心がけて通れば結構の理を味わう日々を迎えることになる。逆で通るとご守護が頂けないことになる。
 復元第29号は、御教祖伝史実校訂本の上には、御教祖(おやさま)はイザナミの命の御魂で、人間元創(はじま)りの親様であらせられる、とある。諸井政一の正文遺韻抄12−13pに、神様のお話しに、『この屋敷へ、木仏、金仏、石仏を据えたところで、神が入り込んでものを言わする訳にいかんで。元なる親の魂に、人間五体の生を受けさして、神が天よりその心を見澄ましていた』と伝えられる、とある。

【イザナギ、イザナミ対の理】

 イザナギの命、イザナミの命の二神は夫婦父母にして月日二神に添い給う。又、月よみの命、国さつちの命に添い給う時とあり。元々なき人間世界の時に、この二神が人間の雛形と成って下さった。

  「ウオとミィは人間の顔で、体もいらいらの鱗がなかったので、その姿を見て、いらいらのうろこがないので、『いらいらのない』と云う語呂合わせ的な意味で、いらなぎの命、いらなみの命という神名がつけられた」 との口伝がある。
(松谷武一/H15.05.22日「
元の理と世界たすけ」参照)

【ドジョウの理】
 月日両神は泥海の中にたくさんいたドジョウを食べられて賞味し、その心根(こころね)を味わい、人間創造の際の「種」とした。これで、人間作りの全ての機能が備えられた。
 このことがお筆先では次のように誌されている。
 このドジョウ 何のことやと 思うている
 これ人間の 種であるぞや
四号123
 このものを 神が引き上げ 食うてしもて
 段々守護ぅ 人間と為し
四号124
(私論.私見) 「種としてのドジョウ」について
 これを思案するのに、「八台」の次に、人間創造の「種」としてドジョウが必要であったと悟らせていただくことができる。何故人間の“ たね” はドジョウなのか?。ドジョウは漢字で“ 泥鰌” と書く。英語では、weather fish(天気予報をする魚)と書き、未来を感知する能力があるとされている。れんだいこが思うに、ドジョウの表象するものは精子、卵子のようなものではなかろうか。この教理よりドジョウも大事にせねばならないことになる。ドジョウは泥の中にいながらも体を汚さず白い身を保つことから、「泥の中でも清らかに生きる」理合いが導かれたとも言われている。




(私論.私見)