| 泥海古記読本1 |

更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年3.4日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、みき教理の精華である「元始まりの理話し譚」(「泥海こふき」とも云う。以下、「元の理」と言い換える)を開陳しておく。これに関する解説は「泥海こふき論評」で、「元の理」そのものの解説は「泥海こふき逐条解説文」で為すことにする。 「元の理は、教祖がお筆先の中でも記しているが、総合的な話は信徒に対する口記で説かれていたものと思われる。教祖は、主だった信徒に筆記するよう促し、でき上がったものに目を通したが、満足するものはなかった。つまり、正式の定本はない。その後の応法の理過程で隠匿され、細々と語り継がれる運命を辿った。戦後になって復元が叫ばれ、自由に説ける時代を迎えたが、教祖が満足しなかった諸本を教理として聞き分ける体裁のまま今日に到っている。ここに、れんだいこが、「れんだいこ版『元の理』」を認め、世間の耳目を得てみたい。 2007.12.25日 れんだいこ拝 |
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| 【れんだいこ文法に則る書き換えについて】 |
| 以下、「元の理」諸本を確認するが、本サイトは考証より読解に重きを置いている為、原文をれんだいこ文法に則り以下のように表記替えする。 「さあ/\」は「さあさぁ」、「一段落々々々」は「一段落/\」、「めんめん」は「銘々」、「だんだん」は「段々」、「置く」は実際に「置く」の場合以外は「おく」、「無」は「な」又は「の」、「皆」は「皆な」、「話」は「話し」、「願」は「願い」、「付」は「つき」、「出来」は「でき」、「さしづ」は「指図」、「思やん」は「思案」、「いんねん」は「因縁」、「をや」は「親」、「さんげ」は「サンゲ」、「たんのう」は「タンノウ」、「成程」は「成る程」、「たすけ」は個人レベルで「助け」又は集合レベルで「救け」と書き換えた。 「元の理」の採録に当っては、「ゑ」は「へ」、「え」。「よふ」などの「ふ」は「よう」などの「う」。「へ」も必要に応じ「え」。「ハ」は「は」、「わ」。「バ」は「ば」。「わ」も必要に応じて「は」と書き換えた。文意上「に」を「は」、「は」を「に」に書き替えた箇所もある。「事」は和語的意味のものは「こと」と表記替えした。 |
| 【明治14年和歌体「山澤良助本、題名なしの泥海古記」】 | |
| 「こふきの研究」p56-73より 先ず和歌体と説話体の両本を紹介することにいたします。和歌体は、明治14年巳歳のもので、沢山の写本がある。歌に多少の差があるが、復元第14号で山澤為次氏の記しているように、百六十首本と、百六十一首本の二首に結着するようである。山澤本は、お筆先のように一枚に八首の歌を十六行に誌してある。各写本の相違についての考証は略す。復元第14号にならい、山澤良助筆「明治十四年三月記之、山澤良助」と表記されている写本を台本として、桝井本「此世初まりのお噺控え」によって第百六十一首を補足して紹介する。 |
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| 原文は語調重視で綴られている。これを、れんだいこ文法に則り、文意に沿って文節区切りとする編集替えしておく。従って原本とは首数が異なることになった。 | |
| 1 | この世は 本元なるは 泥の海 |
| 元なる神は 月日様なり | |
| 2 | それよりも 月様先へ 国床を |
| 見定めつけて 日様に談じ | |
| 3 | それ故に くにとこたちの命(みこと)様 |
| この神様は 元の親なり | |
| 4 | これからは 世界拵え 人間を |
| 拵えようと 相談きまり | |
| 5 | 人間を拵えるに それぞれの |
| 道具雛型 見出す模様を | |
| 6 | 見澄ませば 泥海中に 見えてある |
| 魚(うを)と巳(みい)とが 混じりいるなり | |
| 7 | この魚は 顔は人間 身体には |
| 鱗なしなる 人間の肌 | |
| 8 | それ故に 人魚と云う 魚なるぞ |
| 見澄ますところ 一条(ひとすじ)なるの | |
| 9 | 心見て 承知をさして 貰い受け |
| これに仕込むる 道具なるのは | |
| 10 | 見澄ませば しゃち(鯱)ほことて 変なるの |
| 勢い強き この勢を見て | |
| 11 | 貰い受け 食て了もぅては この者の |
| 心味わい 引き受けなして | |
| 12 | 男の 一の道具に 仕込みあり |
| 人間なるの 骨の守護う | |
| 13 | この魚に くにとこたちが 入り込んで |
| 夫婦始め 人間の種 | |
| 14 | それ故に 神名をつけて大神宮 |
| これなる神は いざなぎの神 | |
| 15 | この神は 何処に居るとな 思うなら |
| 当年巳の 十と六才 | |
| 16 | 存命で 在(おわ)しますなり この神は |
| 元の屋敷の 一の神なり | |
| 17 | 巳様は 白ぐつな(蛇)とて 肌合いは |
| 人間なるの 如くなるなり | |
| 18 | その心 真あ直ぐなるを 見定めて |
| これを引き寄せ 承知をさして | |
| 19 | 又他を見澄ませば 亀がいる |
| この亀なるは 皮強くにて | |
| 20 | 踏ん張りも 強くて倒(こ)けぬ この者を |
| 承知をさして 食て了うなり | |
| 21 | その心 味わいを見て 女子(おなご)の |
| 一の道具に 仕込み給いて | |
| 22 | 巳様へ 日様心 入り込んで |
| 夫婦始め 人間なるの | |
| 23 | 苗代に使うた これで一の神 |
| いざなみの神 伊勢では外宮 | |
| 24 | この神は 人間なるの 元の親 |
| この親様は 何処に御座ると | |
| 25 | 思うなら 当年巳の八十と |
| 四才にてこそ 山辺の郡 | |
| 26 | 庄屋敷 中山氏と云う屋敷 |
| 存命にてぞ 在(をわ)しますなり | |
| 27 | 現れて 在しますなり この親は |
| この世にいる 人間の親 | |
| 28 | 又亀は 人間の 皮繋ぎにも |
| 使うた道具 これに神名を | |
| 29 | くにさつち この神様は 親様の |
| 胎内こもり 抱きしめ御座る | |
| 30 | 今年から 三十年 経ちたなら |
| 名はたまひめ 元の屋敷へ | |
| 31 | 連れ帰り その上なるは いつまでも |
| よろづ助けの 守護下さる | |
| 32 | つきよみは しゃちほこなり これなるは |
| 人間骨の守護の神 | |
| 33 | この神は 当年とつて 巳の六十と |
| 一才にてぞ 現れ御座る | |
| 34 | くもよみは うなぎ(鰻)なるなり この神は |
| 人間の食い飲みの 守護神 | |
| 35 | この神は 当年巳の 五才にて |
| 存命にてぞ 在しますなり | |
| 36 | かしこねは かれい(鰈)なるなり この神は |
| 人間息の守護の神 | |
| 37 | この神は 当年巳の八才にて |
| 存命にてぞ 在しますなり | |
| 38 | たいしょくてんの命は ふぐ(河豚、鰒)なるぞ |
| この者心 味わいをみて | |
| 39 | 人間の死に生きの時 縁を切る |
| これはこの世の 鋏(はさみ)なる神 | |
| 40 | この神は 当年巳の三十と |
| 二才にてこそ 在しますなり | |
| 41 | をふとのべ 食物の神 この神は |
| 黒ぐつな(蛇)とて 引き出しの神 | |
| 42 | この神は とをねんみいの十と六いさ |
| 存命にてぞ をわしますなり | |
| 43 | 人間の 魂なるは 泥海に |
| いたどじょう この心見て | |
| 44 | 皆なの者 承知をさして 貰い受け |
| 食(くぅ)てその心 味わいを見て | |
| 45 | この八(やぁ)つ 人間魂 道具なり |
| これに皆々 神名をつけて | |
| 46 | 人間の子数は 九億九万人にて |
| 九千九百九十九人や | |
| 47 | この年を 経ちたるならば 因縁(いんねん)の
|
| 元の屋敷へ 連れ帰りてぞ | |
| 48 | 陽気なる 遊山遊びを させますと
|
| 月日様より 約束をなし | |
| 49 | 今ここで 元の神々 人間で
|
| 皆な存命で 現れている | |
| 50 | これまでは この親様の 出るまでは
|
| 我が身体(からだ)は 我がものなると | |
| 51 | 思ていた 心違いや この度は
|
| 親様よりの 教えを聞いて | |
| 52 | 発明(はつめい)して 真実心 誠をと
|
| 思う心は 家内(かなえ)残らず | |
| 53 | 借りものは 目へ潤いと 温みいと
|
| 皮繋ぎいに 芯の骨 | |
| 54 | 飲み食いや 出入りなるも 息なるも
|
| これ皆な神の 借りものなるぞ | |
| 55 | この事を 疑う者は 更になし |
| これ疑えば 御利益(ごりやく)薄し | |
| 56 | 借りものを 誠真実 思うなら |
| 何叶わんと 云う事はなし
|
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| 57 | この屋敷 人間創め 元のじば
|
| ここはこの世の 親里なるぞ | |
| 58 | この世の 元の屋敷の 因縁で
|
| 元の道具を 生まれ御座るで | |
| 59 | それをばな 見澄まし給え 四十
|
| 五年以前に 天降りあり | |
| 60 | 日々に 御話しありた その事を |
| 詳しく筆に 誌(し)るすものなり
|
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| 61 | 人間の 一の道具は 亀なると
|
| しゃちほことを これ身の内へ | |
| 62 | これよりも 九億九万と九千人
|
| 九百九十九人 子数を | |
| 63 | このぢばで 三日三夜に 宿し込み
|
| 三年三月 留まりありて | |
| 64 | これよりな 大和の国の 奈良・初瀬の
|
| 七里の間 七日かかりて | |
| 65 |
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| 産み下ろしあり これで神館(かみがた) | |
| 66 | 山城に 伊賀・河内と 三国(さんがく)に
|
| 十九日にて 産み下ろしあり | |
| 67 | そのあとは 四十五日で 他なるの
|
| 残る国々 産み下ろしあり | |
| 68 | これ故に 七十五日 をびやちう
|
| 産み下ろしたる ぢばは宮/\(まやこふ) | |
| 69 |
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| 成人をして 三寸にては | |
| 70 | 果てまして いざなぎ様は これにてぞ |
| をすぎまします この後なるは | |
| 71 | いざなみの命様なり その胎に
|
| 一度教えた この守護うにて | |
| 72 | 又親に元の人数(にんじゅぅ) 宿り込み
|
| 十月経ちた 事なるならば | |
| 73 | この人も 五分から生まれ 五分/\と
|
| 成人をして 三寸五分で | |
| 74 | 果てまして 又もや同じ胎内に
|
| 元の人数 三度宿りた。 | |
| 75 |
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| 四寸になりて また果てました | |
| 76 |
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| にいこり笑うて もうこれからは | |
| 77 |
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| お隠れました。 その年限は | |
| 78 | この年(ねん)は 九十九年の間なり
|
| 三度ながらも 九十九年や | |
| 79 |
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| 墓所(はかしょ)なり 三度めは | |
| 80 | 三原(はら)や そこで一宮 二墓なり |
| 三度三原 これ詣り所 | |
| 81 | これよりは 鳥獣(とりけだもの)や 畜類(ちくるい)に
|
| 八千八度(たび) 生まれ更わりて | |
| 82 | それ故に 人なるものは 何なりと
|
| 真似をできます ことであるなり | |
| 83 | この間 経ちたるならば その後は
|
| 月日様より 又御守護で | |
| 84 | 猿なるを 一人残り これなるは
|
| くにさつち様 この胎にてぞ | |
| 85 | 人間を 男五人と 女子を |
|
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| 86 | 宿まりて これも五分から 生まれ出て
|
| 八寸の時 水土分かり | |
| 87 | 一尺八寸の時 海山も
|
| 天地日月 分かりかけたり | |
| 88 | 一尺八寸までは 一胎(ひとはら)に
|
| 十人づつ 生まれでるなり | |
| 89 | これよりは 三尺まで 一胎に
|
| 男一人に 女子一人と | |
| 90 | 二人づつ 生まれでたなり この人を
|
| 三尺にて 物を言いかけ | |
| 91 | これ故に 今人間も三歳で
|
| 物も言いかけ 智恵もできます | |
| 92 | これよりな 今に於いても 一胎に
|
| 一人づつと 定まりなりし | |
| 93 | この人を 五尺なるに 海山も
|
| 天地世界も 皆なでき(け)ました | |
| 94 | 水中(みずなか)を離れ 出まして 地の上に
|
| 上がりましたる その時までに | |
| 95 | 成人に応じ 食物立毛(じきもつりゅうけい)も
|
| 不自由なきよふ 与えあるなり | |
| 96 | 段々と 食物にては 食い廻り
|
| 唐天竺(からてんじく)へ 上がり行くなり | |
| 97 | 人間を 授けた神の 証拠ふには
|
| をびや一条 現れてある | |
| 98 | この話し 宿り込むのも 月日様
|
| 生まれ出るのも 月日御苦労 | |
| 99 | 産む時の 守護下さる神様は
|
| たいしょくてん これなる神は | |
| 100 | 胎内の 縁切る神で 法華(?)様
|
| をふとのべへの 神様なるは | |
| 101 | 産む時に引き出しの神 真言で
|
| 産み出した後しまい 繋ぎは | |
| 102 | くにさつち この神様は 禅宗で |
| この三神(さんじん)は あつけん明王
|
|
| 103 | この三神 をびや一切御苦労で
|
| をびや許しは 腹帯要らず | |
| 104 | 凭(もた)れ物 七十五日 この間
|
| 毒忌み要らず この産式(さんしき)を | |
| 105 | 許しあり 常の身体で 穢れなし
|
| をびや許しは この屋敷にて | |
| 106 | 許し出す これはこの世の 人間を
|
| 創めかけたる 親の屋敷で | |
| 107 | この許し 三千世界 この世に
|
| 他にあるまい 生まれ故郷よ | |
| 108 | 人間を 宿し込みたる 屋敷なる
|
| 証拠現す 助け道開け | |
| 109 | 人間に 病と言うて なけれども
|
| 心違いの 道がある故 | |
| 110 | この道は 凡夫(?)心に 八ツあり
|
| 欲しい惜しいと 可愛い憎いと | |
| 111 | 恨めしと 腹立ち 欲と高慢と |
| これが八ツの 心違いや | |
| 112 | この違い 身の内なるの 悪しきいの |
| 譬え話の 胸のほこりや | |
| 113 | このほこり 積もり重なる それ故に |
| 病悩み(やまいなやみ)も 憂災難(うれいさいなん)も | |
| 114 | 何もかも 身の内守護 神様の |
| 心なおしの 意見立腹 | |
| 115 | 一列に てんりん様を 念ずるは |
| 八ツのほこり 十五才より | |
| 116 | 今迄に ほこりつけたと 思う事 |
| 心真実 さんげをいたし | |
| 117 | ほこりさい 速やか祓うた ことなれば |
| 病の根えは 切れて仕舞うで | |
| 118 | 他なるの よろづ助けも 同じ事 |
| 家内残らず 心澄まして | |
| 119 | 願うなら 家内睦まじ 人間を |
| 互いに助ける 心あるなら | |
| 120 | この心 神様より見分けして |
| よろづ助けや 御利益深く | |
| 121 | この世ふも 人間なるも できたのは |
| 月日様より 御守護なり | |
| 122 | この元を 知りたるものは 更になし |
| 天は月様 地は日様や | |
| 123 | この世界 天地日月 同じ事 |
| 地と天とは 実の親なり | |
| 124 | 父母(ちちはは)と云うのは 天地夫婦や |
| 南無と云うのも 同じ事なり | |
| 125 | 後なるは 道具衆なり 人間の |
| 五体残らず 神の借りもの | |
| 126 | 神様の 借りものなるは 一に眼(がん) |
| これは月様 借りものなるぞ | |
| 127 | 身の内の 温み一切 日様の |
| 借りものなるや これ南無と云う | |
| 128 | 皮繋ぎ くにさつちなる 神様の |
| 借りものなるぞ 芯なる骨は | |
| 129 | つきよみのみこと様の 借りものや |
| これで阿彌なり 飲み食い出入り | |
| 130 | くもよみの みこと様の 借りものや |
| これで五倫 五体と云うなり | |
| 131 | 息吹くは かしこね様の 借りものや |
| 息で物言う 風で吹き分け | |
| 132 | これこそは なむあみたぶと 六台や |
| 次なる神様(切る神様は) たいしょくてん | |
| 133 | 後なるの をふとのべゑの 神様は |
| 立毛引き出し 百姓の神 | |
| 134 | この神も 寄り集まりて 御座る故 |
| 方位八方 許しまします | |
| 135 | この内に 東三神(ひがしさんじん) 女子神(おなごかみ) |
| 西三神は 男神なり | |
| 136 | 辰巳いは くにさつち様 仏法の |
| 普賢菩薩に 達磨弁天 | |
| 137 | 戌亥(いぬい)は つきよみの神 仏法の |
| 八幡菩薩 聖徳太子 | |
| 138 | 東は くもよみの神 仏法の |
| 文珠菩薩 龍王神農 | |
| 139 | 薬師様 薬の守護す いしやともに |
| 書物文字も 智恵も御守護う。 | |
| 140 | 坤(ひつじさる) かしこねの神 仏法の |
| 大日様に 法然様 | |
| 141 | 丑寅は たいしょくてん 仏法の |
| 虚空蔵菩 薩妙見様 | |
| 142 | 鬼子母神 橋詰様と 儒来(?)と |
| 県様(あがたさま)とは 同じ方なり | |
| 143 | 西とりは をふとのべ様 仏法の |
| 不動明王に 弘法大師 | |
| 144 | この屋敷 人間創め元の神 |
| 在わします故 よろづ助けを | |
| 145 | この世を 創めてからに 今迄は |
| この助けをば できぬことから | |
| 146 | これ迄は 医者薬も 人間の |
| 修理肥にて 拵(こしら)えありた | |
| 147 | これからは 医者や薬も 呪(まじな)いも |
| 拝み祈祷も いらんことやで | |
| 148 | 神々の 拝み祈祷や 占いや |
| これ人間の 恩の報じ場 | |
| 149 | 神様の 御話し聞いて 思案して |
| 真実心 叶うたことなら | |
| 150 | 何にても 叶わん事は なけねども |
| 心違えば 薬飲むなり | |
| 151 | 人間は 死に行くなぞと 言うけれと |
| 死に行くやない 借りもの返す | |
| 152 | 返すのは 身の内ほこり 積もる故 |
| 身の内神が 退きなさる | |
| 153 | この事を 着物に譬え 話する |
| 心の汚れ 洗わぬ者は | |
| 154 | 洗わずば 着ている事が できぬから |
| なんぼ惜しても 脱ぎ捨てるなり | |
| 155 | 着物でも なんぼ汚れて あるとても |
| 水で洗えば 着て気がよろし | |
| 156 | 人間も 心の汚れ 払うたなら |
| 神も喜び 守護下さる | |
| 157 | 人間は 死ぬると云うは 着物うを |
| 脱ぎ捨てるのも 同じ事なり | |
| 158 | 神様は 話しばかりで 人間の |
| 心の汚れを 洗いなさるで | |
| 159 | この話し 水と神様同じ事 |
| 汚れたるもの 洗い澄まする | |
| 160 | 助かるも 心次第や 一列に |
| 早く心を 澄ますことなり | |
| 心さい 速やか澄んだ ことならば | |
| 親様よりは すぐに与えを |
| 【明治14年和歌体 「堀内与蔵本」】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「和歌体十四年 堀内与蔵本」(「史料掛報第68号」より)。山澤本タイプ以外の唯一の和歌体本である。
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| 【明治14年本説話体/中山眞之亮「題名なしの泥海古記」】 | |
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| 【明治15年本説話体/山田伊八郎「泥海古紀聞問記」】 | |
植田義弘氏の「中山みき 泥海古記の真実」(学研、2013.9.11日初版)に山田伊八郎氏の「こふき」が紹介されている。これを転載しておく。(読み易くするために、れんだいこ文法に則り編集替えした)(「山田伊八郎「聞問記」説話体15年本」)
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| 【明治16年本説話体の桝井本/「神の古記」】 | |
「明治16年本説話体の桝井本/神の古記」。註・上田本、宮森本、梶本本、喜多本(23)などによって補う。(読み易くするために、れんだいこ文法に則り編集替えした)
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| 【山名大教会初代会長夫妻自伝(大正5年)の泥海古記】 | |
「山名大教会初代会長夫妻自伝(大正5年)の泥海古記」(P64-69)。
|
| 【明治十九年本/教祖御在世中の記としての泥海古記】 |
| 明治十九年本/教祖御在世中の記としての「泥海古紀」。(趣意不改変にてれんだいこ文法に則り書き換え済み) |
| 泥海時代
この世の本元なると云ふのは、人間もなく世界もなく、だゞ泥海ばかり。その中に二神あり。これ即ち今日の月輪と、日輪、これなり。 日は面足の命と云ふなり。御姿は頭十二、尾に三すじの剣ある大蛇なり。即ちこれは日の大神の神霊の神憑りあらせられたる、権威ある動物なり。 この二神曰く、「泥海の中に二人いるばかりでは、誰か神と云ふて敬するものもない、気のいずんだる事ともなる。故に、人間を云ふものを拵らえ、その上世界を始めて、人間に神が入り込みて、萬の事を教えて守護すれば、陽気な遊び、その外に何事も見て楽しまれる」事と、二神の相談定まりまして、この人間を拵らえるには種と苗代、道具、雛型なくてはかなわぬ。この道具、雛型、見出す模様、二神それより泥海中を見澄ましたまへば、 北の方にあたりて、岐魚と云ふ魚がいる。今の世で云うている人魚なり。又南の方にあたりて巳がいる。この世に云ふ白蛇なり。この二ツのものを見るに、この心まことにたゞしきその故に、その姿と心を見て、これを引きよせて、人間を創造する種と、苗代との雛型に貰い受けよふと相談しまして、この二ツのものを引き寄せた。二神の申されるに、この度人間と云ふものを造るにつき、その身の姿も心をもって、人間の種、苗代の雛型と貰ひ受けたく、然る上は世界を創造して天地開墾なしたる上は、人間よりその身二人をこの世の一乃神と云うて禮拝さす。又世界年限満ちたるなれば、因縁地場へ人體として生まれだし、陽気遊びをさせる。両名、これに満足にて、二ツの者を貰い受けて直ちに神名を授けてイザナギ(伊弉岐)命、イザナミ(伊弉美)命とつけたまふなり。 それよりも男女一の道具、五體の道具、人間自己の魂を見出す模様と、相談ましまして、二神泥海中を見澄ましたまふに、乾の方にあたり一ツのものあり、この者へんにして実に踏ん張り、勢い強く、これ今世でいふ鯱(しゃち)と云ふ魚なり。この者を引き寄席て、承知をさして、貰い受け、食うてその心味をみて男一の道具と定めて、尚人間骨の道具とする。故にこの理をもって月読尊と名を授けたもふ。 又巽の方に一ツのものある。この者は、皮強くこけぬものにて、国床にひっついているものにて今世にいふ亀なり。この者を引き寄せて、承知をさして貰い受け、その心味を見て女一の道具と定め、尚人間の皮繋ぎとす。故にその理をもって、國狭土尊と名を授けたまふなり。 又東の方にあたりて一ツものあり。このもの頭の方にても、尾の方にても、自由に出入するもの、勢い強くすべて豊かにして、ぬる/\として、ぬめりある。これ今世に鰻(うなぎ)と云ふ魚なり。この者を引きよせて、承知をさせて、その心味を見て、人間呑み食い出入する道具となしたもう。故にこの理をもって、雲読尊と名を授けたまふなり。 即ちこの五ツのものをもって五體の道具とするなり。尚人間息吹分けする道具を見出す模様を。それより、二神泥海中を、見澄ましたもふに、坤の方にあたりて、一ツのものあり。このものは、身薄き姿にて、勢強く、丸なるもの角なるものは、風を出す事できん。このものは身薄きゆへ風を生ず。今世に云ふ鰈(かれい)なり。このものを引きよせて承知をさせて、その心味わいをみて、行き吹き分けの道具とす。故にこの理をもって、惶根尊と名を授けたもふ。 この上は、人間の一の楽しみ、食物の立毛引出しの道具ひながた、見出すもよふの相談ましまして泥海中を見澄ませば、西の方にあたりて一ツのものあり。このものは至極引く力強く、今世に云ふ黒蛇(くろくつな)にて、このものを引きよせて承知をさして、貰い受けて、その心味わいを見て、食物の立毛草木地上より引き出しの道具と定めたまふなり。この理をもって、大戸邊尊と名を授けたまふ。 それより人間死に臨んで、この世との縁を切る道具なくば叶わず、見れば泥海中に艮の方にあたりて、一ツものあり。この者は至って大食するもので、腹の袋大きく、よくあたりて、切るに強き、勢いあり。今世の河豚(ふぐ)なり。即ちその心味わいを見て、息の根を切る道具と承知をさせて、貰い受け、この理をもって、大食天尊と名を授けたまふなり。これにて人間創造の道具雛型、全部揃うなり。 それより二神ご相談ましまして、人間一人ずつの自己の心魂を見定めたまふなり。見渡す処に泥海中に鰌ばかり。このもの、数は九億九萬九千九百九十九すじで、三寸の丈なり。これを月日両神引き寄せて、その心味わいを見て人間自己の魂と定めたまふなり。これを神かはりたまふと云ふて今世に云ふ神道のおはなしと云ふなり。是にて月日の相談定まって、是より人間夫婦の宿し込み始めたまふなり。 創造時代 人間の父親種はイザナギでありして、男一の前の道具として鯱を仕込みたもふて、鰌を人間の魂と定め、即ちこれに月様の神霊御入り込みたまい、父親となりたまふ。 人間の母親苗代はイザナミでありまして、女一前の道具として亀をお仕込みたまふて、即ちこれに日様の神霊入り込みたまふて、母親となりまたふ。 こゝにおいて、イザナギ、イザナミの二神宿し込み済みて、天の岩戸にて三年三月の間とゞまりたまふ。その天の岩戸と云ふのは泥海中の事にて、今世の大和国山辺郡生屋敷村中山氏の屋敷の地面なり。又宿し込みの地場は今の中山氏の屋敷の地場の由。この度はここに甘露台据える処の由、それは月日様からの御話なり。 人間生みおろしの理由 イザナギ、イザナミの二命(みこと)、九億九萬九千九百九十九人の種は、一腹の中に宿りて三年三月。その間、腹を養ひたまふて、天の岩戸より出現ましまして、最初はイザナギ、泥海中の泥をよけなして、産場を拵いたまう。その処より、イザナミが産み下ろしたまふ。初めは、今世の大日本大和国奈良初瀬の七里四方へ、七日かゝりて産みおろしたまふ。残る大和國中に四日かゝりて産み下ろしたまふ。それより今世の山城、伊賀、河内、三ヶ国の地場へ、一ヶ国へ六日目、六日目にて都合十九日に産みおろしたまふなり。都合三十日にして四ヶ国へ胎内の子数、半分産みたまふ、残るを日本の国中へ四十五日かゝして、産み下ろしたまふ。合わせて七十五日の間に、九億九萬九千九百九十九人の人の種を残らず、産み下ろしたまふなり。 この子数如何にして宿し込み、又産み下ろしたまふたか、その証拠に、正月には数の子を食わして祝わしてあるとの事。因みに云ふ今の人間が安産して、六日經てば六日だれと云ふて呼び名つけて祝する事、一ヶ国にて産み下ろしの理を御祝いする事なり。 大和一ヶ国は十一日だれと云ふて国中祝いをするも、これ最初産み下ろしの理なり。三十日を半滞と云ふてイザナミの胎内の子数半分、四ヶ国へ産み下ろしの理にて、人間が元の親神の御苦労なされた通りするなり。即ち七十五日たちて、親のゆみ上げとゆふは七十五日にて、胎内の子数残らず産み下ろしたまふ理をもっての事なり。 人間生まれ出し五分からや 人間の生まれだしは五分なり。この人間は、イザナミが息をかけて養育なしたまふて九十九年の年を經て三寸までに成長するとき、イザナギは逝去なしたまふ。人間も悉く死去しまたるなり。イザナミ御一体で一度教えたる守護にて又元の人数を宿し込み、それより又、天の岩戸に六ヶ月の間、止まりて元の如く大和を始めとして、日本国中の地場へ、七十五日の間にて右の人数を産み下ろしたまふなり。これも五分から生まれ九十九年の年を經て、三寸五分と成長するなり。その養育もイザナミの尊息をかけてまわりたまふなり。こゝに至りて皆な死去した。それよりイザナミの胎内へ又もや、元の人數を宿し込み、この度は十ヶ月の間は天の岩戸に止まりて、元の如く大和を始めとして、日本国中の地場へ、七十五日の間に右人數を産み下ろしたまふなり。これも五分から生まれて、九十九年の年を経て四寸となり、この養育もイザナミの息に成長するなり。こゝにてイザナミはこの通り順次成長する事ならば、末には五尺の人間に相成る事、二ツこりと笑ふて逝去なしたまふなり。即ち元の人間も續いて皆な残らず死去するなり。 これより九億九萬九千九百九十九人に自己の心魂をば、鳥畜類や種々なる動物に、八千八度生まれ変りとなしたまふて、この理にて今人間も萬の動物のする事は、どんな事でもまねをするなり。この間、変化中の年限は最も泥海中の中に九千九百九十九目に又皆な動物類も死んでしまったのである。 人間のつなき親は猿であった。 人間の縁つなぎとして、女猿一匹残りているなり。これ、人間皮繋ぎの理と女の一の道具として使われた国狭土尊の変化する所にして、導き神、伊勢にては猿田彦命なり。この女猿の胎内へ、男五人、女五人と都合十人、宿し込みたまふなり。右十人の男女産みて五分から生まれて、綿々と成長して八寸となりたる時に、泥海中も高低が出来かけた。即ち八寸の男女十人が交わりて一腹に十人宿りて、その子を産み下ろし、又それをくり返し/\、元の人数九億九萬九千九百九十九人揃いて、その時に至りて人間、一尺八寸と生育するよふになった。 人間が成長するに従て、変化に応じて天地世界とわかるなり。この時、泥海の水と土と分かりたるなり。これより一腹に男一人女一人と宿ることと定まりて、人間三尺と成長したるなり。時に至りて、天地山川開けて、人間も始めて言語を發するなり。この三尺の理を以って、今人間も三才となったら必ず言葉がしかと解ることはありがたくもこの理なり。 是より、人間成長に応じ段々と食物のある方へ喰いまわりて、唐天竺の地場へ渡り、又各々外国へと渡り行くなり。この處にて天地全く開けて、世界八方八柱の神が御守護下さるなり。即ち人間泥海中を離れて、五尺の体と成長して地に居住するなり。元の人數九億九萬九千九百九十九人の内、大和国へ産み下ろしたる人間が、今世の日本国の人種なり。 日本人を大和魂と云ふ紀元は この理から思案すれば、人間は皆な兄弟である。即ち日本は根なり、唐天竺は枝なり。外の国々の先々は枝葉なり。故に珍しき事物はこの理にて、月日二神が花や実として枝先に教えたまふとゆえども、皆な我日本国へ帰り来るなり。大和即ち、日本を、神形、神国、眞国とも云ふなり。 即ち最初泥海中より、五尺と成長する道すがらを、世界中に知りたるものは更になし。この度は月日二神元の始めの地場へ天降りて御話し下さると云ふのは、この世の年限経ちたる故の事。この年限は、泥海中の間は九億九萬年なり。五尺の人間となりては、四十九年以前の天保九年十月二十六日、朝の五ツ時に至りて、九千九百九十九年にて、この内の六千年の間の事物を教へ下さる。この六千年の間を日本にては、神代と云ふて、人間皆な命名をもちゆるなり。 これより人間は自覚をまして、慾を生じて悪氣盛んと成る故に、元泥海の始め、人間女雛型苗代と御なり下されたイザナミ、人体へ変化なして天照皇太神と現れたまふて、人間の衣食住の道を教へたまふなり。これは泥海時代に月日二神と御約束なされた通り、世界を創造して天地開墾なしたる上は、人間よりその身二人をこの世界一乃神と云ふて禮拝さすと申されたのであり、又イザナギの心魂は人体と変化ましまして神武天皇(一書に日本天照皇大神)と現れたもふて、悪神を制し、国中を始め、政治を始めて、萬民を治め、国々を始めたもふなり。 世界年限満ちたるなれば、因縁地場へ、人体として生まれだし、陽氣遊びをさすと仰せられた、天保九年十月二十六日は、この世界御創造下さる時の約束の年限九億九萬九千九百九十九年と云ふ、年限であるから、先に生まれさしておいた、元イザナミの心魂を再び人体を受けさして、人間創造の元の地場に、引きよせて、陽氣遊びをさしてやるとの事である。 この度は人間のたてながしの館(やかた)の内造りをするのやと仰せられて、即ち天理教教祖の出現であります。教祖即ち、人間母親神、イザナミは先に天照皇太神と現れ、又中山美岐子様と現れ、全世界を極楽世界、即ち甘露台世界となさん為に出現ましましたのである。 |
| 【諸井国三郎と「元の理」】 | |||
諸井国三郎さんの御話よりの「元の理について(その一) 」、「元の理について(その二) 」、「元の理について(その三) 」(大正五年一月発行「山名大教会初代会長夫妻自伝」、文進堂)。
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| 【芹沢光治良本「もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)」】 | |
「芹沢光治良本/もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)」
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| 【芹沢家本「もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)」】 | |
芹沢家本「もとはじまりの話 泥海古記(どろうみこうき)」。
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「元の理について(その二)」、「元の理について(その三)」。(「山名大教会初代会長諸井国三郎夫妻自伝」(文進堂、大正5年1月発行))
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(私論.私見)