唐古、鍵遺跡考



 

 「ウィキペディア纒向遺跡」その他参照



【箸墓古墳】
 南大阪、難波から堺方面へ向かうと、北の淀川に比される南の大和川が流れている。その源は、大阪湾から上ること70キロメートルで、上流は、笹置山に発する初瀬川である。この大和側は、古代から大阪と奈良を結ぶ海上ルートとして知られているが、その上流、奈良盆地東南部に入っての、最初の津というべき場所が、「唐古、鍵遺跡」である。初瀬川と寺川に挟まれた低い盆地、その初瀬川の数キロ上流には、三輪山をのぞむ「纏向遺跡」や、卑弥呼の墓とされる「箸墓」がある。

 「唐古、鍵遺跡」は、佐賀の吉野ヶ里遺跡に次ぐ弥生時代の大集落跡で、遺跡の広さ30キロ、環濠の直径は400メートル、この遺跡は、近鉄樫原石貝駅より20分のところにあるが、この他、田原本町には、五つの「鏡作神社」がある。代表的なのが、「鏡作坐天照御魂神社」 ( カガミツクリニマスアマテルミタマ ) 、八咫の鏡を作った石凝姥命の子孫の鏡作師が、この地において鏡を鋳造したことを起源としている。他に、「鏡作伊多神社」が田原本町の宮古と保津にひとつづつ、鏡作麻気神社 ( 小坂 ) 、鏡作神社 ( 石見 ) などにある。このあたり、「鏡」を作る技術者のメッカであったのだろう。この唐古・鍵遺跡は弥生時代前期から始まり、古墳時代の始まる頃衰退し、それに変わるように纏向遺跡や箸墓が出現してくる。














(私論.私見)