| 出雲王朝史3、大国主の命王朝史考 |

| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 出雲王朝神話は、原出雲とスサノウ出雲の鼎立時代の次に両王朝を統一する大国主の命王朝を生む。大国主は数々の迫害を乗り越えてスサノウ王朝の王権を継承し、東西出雲王朝を統合する。ここでは、この時代の様子を確認する。大国主の命については別サイト「大国主の命考」で確認する。千家尊祀著「出雲大社」その他参照。 2008.4.10日 れんだいこ拝 |
| 【オオナムヂの素姓譚】 |
| 後の大国主の命になるオオナムヂの素姓を確認しておかなければならない。オオナムヂをスサノオの直系の子息とみなしたり、6世の代の孫とされている書き物もあるが却って混乱する。れんだいこ独眼流史観によれば、後のスサノウ王権継承譚からも判明するようにオオナムヂをスサノウの子孫と看做すよりは、原出雲系の在地の神々の子孫と理解すべきではなかろうか。史書の記述よりも神話の方が正確に伝承していることもあるという好例だろう。 一説に、国引き神話の主人公であるヤツカミヅオミツノ(略称「オミツノ」)が、フノズノの娘のフテミミをめとって生んだ子がアメノフユキヌ。アメノフユキヌが、サシク二オオの娘のサシク二ワカ姫をめとって生んだ子がオオナムヂとされている。これによれば、「オミツノ」の孫がオオナムヂと云うことになる。仮に、世代、血脈的にこの系譜が間違いにしても、この系譜上の出自であることは間違いないように思われる。 |
| 【いなばの白兎譚】 | |
スサノオ時代に続く神話として「いなばの白兎譚」がある。記紀神話におけるオオナムヂ初登場の逸話である。
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| オオナムヂ=大穴持命。イナバ=因幡、稲羽。ヤガミ姫=八上比売。ホウキ=伯耆国(現在の島根県と比定されている)。キサ貝姫=。うむ貝姫=。 | |
| 「いなばの白兎譚」の前段は、原出雲内の政争の存在と、後に出雲王朝を支配することになるオオナムヂの人品骨柄の物語譚であろう。もう一つ、オオナムヂの医師的能力が語られている。兎とワ二の駆け引き譚は、隠岐の島、因幡の国、伯耆の国の歴史的繋がりをも暗喩している裏意味もあると思われる。 後段は、原出雲の族長達が絶世の美女イナバの国のヤガミ姫争奪競争で、オオナムヂが選ばれた事を伝えることで、オオナムヂが将来性豊かな力量の持主であったことを示唆している。「オオナムヂのイナバの国のヤガミ姫との結婚譚」は、オオナムヂが八十神(やそがみ)と争った結果、少なくともイナバの国ひいては原出雲(東出雲)王朝の王権相続権を手に入れたことを寓意しているのではなかろうか。かく確認したい。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【兄弟達のオオナムヂ迫害譚】 | |
オオナムヂのその後の原出雲(東出雲)王朝内の他の王族達との抗争が次のように伝えられている。
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| サシクニワカ姫=刺国若比売。キサ貝姫=*貝比売。うむ貝姫=蛤貝比売。木の国=紀の国(現在の和歌山県に比定されている)。オオヤ彦神=大屋毘古神で五十猛神ともいう。 | |
| 「兄弟達のオオナムヂ迫害譚」は、後に原出雲王朝を支配することになるオオナムヂの頭角出世が並大抵でなかったことを伝えている。オオナムヂに対する治療の下りは、原出雲王朝時代の医療先進国ぶりをも伝えている。注目すべきは、「オオナムヂの母サシクニワカ姫がカミムスヒの神に願った」とあることである。これは、オオナムヂの母がサシクニワカ姫であること、サシクニワカ姫とカミムスヒが同盟関係にあることを伝えている。次に、キサ貝姫、ウム貝姫の献身ぶりである。これは、キサ貝姫の一族、ウム貝姫の一族がオオナムヂを後援していたことを寓意している。次に、オオナムヂが「大じじに当る縁戚の木の国のオオヤ彦神のところへ避難」したとあることで、木の国が縁戚関係にあることを見て取るべきだろう。そのオオヤ彦神のつてで「スサノウのいる根の堅州(かたす)国」へ行くことになったのも興味深い。これは、スサノウの西出雲王朝が「根の堅州(かたす)国」であることを教えている点でも意義深い。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【オオナムヂのスサノオ王権継承譚】 | |
オオナムヂは、原出雲内で苦心惨憺しつつも次第に頭角を現していく。そのオオナムヂは、出雲西域のスサノウ系出雲王朝の嫡女・スセリ姫(須世理姫、 須勢理毘売)と結婚することにより後押しを得る。この経緯が次のように記されている。これを仮に「オオナムヂのスサノオ王権継承譚」と命名する。
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| スセリ姫=須勢理昆賣。葦原シコ男=葦原色許男。 | |
| 「オオナムヂのスサノオ王権継承譚」は、オオナムヂがスサノオ王朝の嫡女・スセリ姫と恋仲になり、スサノウの繰り出す数々の試練を乗り越え、遂にスセリ姫と王権神器を手に入れたことを物語っている。こうしてオオナムヂがスサノオ王権を継承し、出雲統一王朝を創始していくことになったことを伝えている。これを仮に出雲王朝と命名する。先行する東部の原出雲王朝、西部のスサノウ王朝と区別する必要がある時には仮に出雲統一王朝叉はオオナムヂ出雲王朝と命名する。 興味深いことは、スサノオの娘スセリ姫がスサノオとの初対面で恋に落ちたことである。これは、オオナムヂがよほど男ぶりが良かったことを暗喩している。次に、スサノウ王朝の神器が「生太刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、天の詔琴(あまののりごと)」であったことをも教えている。次に、スサノウが逃げるオオナムヂを追って辿り着いたところを「ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)」と記していることである。「ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)」とは、イザナギが黄泉の国へ逝ったイザナミを訪ね逃げ帰ったところでもある。これは偶然の奇遇だろうか。重要な事が隠喩されていると思うが分からない。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【オオナムヂの出雲王朝創始譚】 | |||
スサノウ系出雲王朝の支援を得たオオナムヂは原出雲を平定し、これにより出雲統一王朝を創始する。この経緯が次のように伝えられている。
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| 【オオナムヂの様々な名前譚】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オオナムヂは色々な名前を持った。次の通りである。それらは、オオナムヂのそれぞれの面を語っている。
日本書紀の一書には、「大国主命、またの名を大物主神、または国作大己貴命と号す。または葦原醜神という。または大国玉神という。または顕国玉神という」とある。 |
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| 「オオナムヂの様々な名前譚」は、オオナムヂの様々な顔を伝えている。葦原シコヲ神は醜男であっとも男前であっとも記されているが、英雄色を好む好色であったさまを伝えている。八千矛神とは軍神であったことを伝えている。ウツクシ国玉神は、出雲王朝の勢威を拡張したことを伝えている。大国玉神は出雲王朝を見事に大国化させたことを伝えている。オオクニ主の命はズバリそのものであろう。大物主神は、大和王朝との絡みで出て来る名前である。大国様は七福神に出て来る。
2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【オオナムヂとスクナヒコナの共同による出雲王朝形成譚】 | |||||||||
或る時、カンムスビ神の御子スクナヒコナの神が現われ、オオナムヂとスクナヒコナは力を合わせて天下を創り治めた。その後の出雲王朝の歩みが伝えられている。
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| 【オオナムヂとスクナヒコナの温泉湯治療法考】 | |||
| オオナムヂとスクナヒコナは、温泉湯治療法に長けていたことで知られる。日本各地の温泉に関する神社には大国主命と少彦名命の二神を柱として祭祀しているところが幾つかある。全国各地に逸話が残されており、これを確認する。 四国の愛媛県の松山にある道後温泉は神代の頃からある日本最古の名湯として知られる。開湯には様々な説があり、伊豫国風土記には、大国主の命が重病の少彦名命(すくなひこなのみこと)を助けようとして掌に乗せて温泉に入れたところ、不思議とよみがえり、温泉の側にあった玉の石を踏んで立ち上がり、「真暫寝哉(ましましいねたるかも)」(暫く昼寝をしたようだ)と叫んで、石の上で舞ったと言われている。この伝承から、大国主命と少彦名命の二神を道後の湯の神として、道後温泉本館側の湯神社に祭祀してある。 玉造の湯について、出雲風土記は次のように記している。
嶋根郡の前原(さきはら)の埼の宴遊について、出雲風土記は次のように記している。
出雲風土記の「意宇郡 忌部の神戸の条」は次のように記している。
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| 【大国主の命とスクナヒコナの神の対立譚】 | |
大国主の命とスクナヒコナの神との間に多少の対立があった様子が播磨国風土記の神前(かんざき)郡の条で次のように伝えられている。
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| 「大国主の命とスクナヒコナの神との間に多少の対立」をどう読むべきか。出雲王朝経営上の方針の違いがあったと読むべきであろう。但し、友誼的関係内のことであり敵対関係の逸話ではないように思われる。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【大国主の命とアメノヒボコとの壮絶な戦い譚】 | ||
大国主の命とアメノヒボコとの壮絶な戦い譚が播磨国風土記の揖保(いいぼ)郡、粒岡の条で次のように伝えられている。
播磨国風土記のしさはの郡、御方の里の条で次のように伝えられている。
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| 大国主の命とアメノヒボコとの壮絶な戦い譚をどう理解すべきか。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【出雲王朝の政体の特質としての「神在月合議政治」譚】 | |
出雲王朝の合議制政治が次のように伝えられている。
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| 「出雲王朝の政体の特質譚」は、出雲王朝が、葦原の中つ国の国津神の同盟の芯の位置に居たことを物語っている。族の祭政一致政治を踏まえた緩やかな自由連合国家として、寄り合い評定式の合議制による集団指導体制を敷いていたものと推測される。毎年十月は、全国会議を催したと云うことであろう。この「神在月合議政治」は、出雲王朝の平和的体質を物語っているように思われる。恐らく、その年の五穀豊饒を感謝し、独特の神事を執り行いながら政治的案件を合議していたのではないと思われる。これが日本のその後の権力体に伝統的に継承されていくことになった面があると思われる。神在祭については「出雲神道、出雲大社考」で考察する。 出雲王朝は、高天原王朝の如くな支配被支配の統一国家と違い、支配権力を振るうよりは徳政的な政治を特質とする共同文化圏的な盟主的地位を保持していたことになる。出雲はこうして日本古代史の母なる原郷となった。古事記、日本書紀では「根の国」とも記すが、謂れを知るべきだろう。出雲王朝政治は祭政一致であり、今日に於いては古神道と云われるものである。これについては、「日本神道の発生史及び教理について」、「日本神道の歴史について」で考察する。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【大国主の命の手腕考】 | |
| 大国主の命は、政治、経済、農業、医療、文化のあらゆる面での国作りの神であり、日本の神々のなかのスーパースターである。出雲神話の主役で、全国の国津神の総元締みたいな存在である。英雄神としては、日本の素盞鳴尊やギリシア神話の英雄のように怪物退治といった派手なことはやっていないが、少彦名神とコンビを組んで全国をめぐって国土の修理や保護、農業技術の指導、温泉開発や病気治療、医薬の普及、禁厭の法を制定、といった数々の業績を残した偉大な神であることも知られている。大国主大神はその霊力によって、住みよい日本の国土を築かれました。それはすべてのものが豊かに成長する国土で、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれた。 オオナムチを主祭神、スクナヒコナと下照姫を配祀している播磨一の宮の伊和神社の由緒略記は次のように記している。
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| 【大国主の命の政治思想考】 | |
「大国主神の道(出雲大社教)」が大国主の命の政治思想、人生教理を次のように伝えている。これを確認する。
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| 【スクナヒコナの神退場譚】 | |
スクナヒコナの神が退場する。日本書紀に次のように記されている。
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| スクナヒコナの神退場の寓意は何か。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【大トシの神登場譚】 | ||
スクナヒコナの神が居なくなり、大国主の命が、このあとどの神と協力して国作りを進めたらよいかと思案する。これ以降、大国主の命の当時の名称「大己貴命」が「大己貴神」と敬称が変わる。この頃、次のように述べている。
大国主の命の嘆きが伝わり、古事記は「海をてらして依り来る神あり。これを大トシの神(大物主の神)と云う。大和の三輪山なるオオミワの神」と記している。日本書紀も「神光海を照らして忽然に浮び来れる神は、オオクニヌシノカミの幸魂・奇魂であり、三輪山の神にほかならぬ」と記している。 大国主の命は以降、大トシの神(大物主の神)と共に国を経営して行った。
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| 大トシの神とは何者か。大トシの神は大物主の神であるとされているが、大物主の神は大国主の命の別名ともみなせる。この辺りの考察を要する。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【「出雲の御魂の理譚」】 | ||||||||||||||||||||
大国主の命は、出雲思想の伝統的御魂の理に従い祭祀を司った。「出雲の御魂の理」とは次のようなものである。
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| 「出雲の御魂の理譚」は、出雲王朝の政治理念を表象している。それによると、和魂で徳治主義政治を、幸魂で産業振興政治を、奇魂で霊力政治を、荒魂で武断政治を伝えており、出雲王朝がこれに則った政治を執り行った事が判明する。これが日本政治の原型とも云えよう。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【大国主の命の艶福家ぶり、政略結婚譚】 | ||
大国主の命が各地豪族の娘との政略結婚で支配権を拡げていったことが伝えられている。最初の妻の八上姫との間に木俣神をもうけているが、正妻須世理姫との間には子供を設けていない様子である。しかし、諸国の豪族の姫との間に多くの子供をもうけており、日本書紀一書には「その御子すべて一百八十一(モモソヤハシラアマリヒトハシラ)の神ます」と記されている。艶福家ぶりを発揮しており、出雲の縁結びの神として祀られる所以でもある。これを確認しておく。
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| マタマツクタマノムラ姫の命=。ヤヌノワカ姫の命=。アヂシキタカヒコネ=阿遅志貴高日子根の命。カムヤタテ姫=神屋楯姫。タケミナカタ=多建御名方。 | ||
| 神話に於ける結婚とは、政略結婚による豪族間の同盟を物語っているものと思われる。政略結婚は、結婚政策で版図を広げたという意味と同時に極力武力によらなかったことを隠喩しているとも考えられる。これも叉日本政治の原型と云えよう。 2011.7.17日再編集 れんだいこ拝 |
| 【大国主の命のヌナカワ(沼河)姫との結婚譚】 | ||||
(古事記)大国主(八千矛神)と高志(越)の国のヌナカワ(沼河、奴奈川)姫との交情風景は麗しい。或る時、オオナムヂは越の国に行き、ヌナカワ姫に屋外から次のように求愛する。
ヌナカワ姫は、いまだ戸を開けず、内から歌って聞かせた。
「かれその夜は合はさずて、明日の夜御合したまひき」。こうしてヌナガワ姫を娶してミホススミの命を生み、ミホススミの命は美保の郷に住むことになった。建御名方神(タケミナカタ)もこの姫から生まれた。 |
| 【大国主の大和の国旅立ち譚】 | |||||
古事記の伝えるところ、ヌナカワ姫の元から戻ってきた大国主対して、スセリ姫の嫉妬が激しかった。大国主は次のように歌っている。これを仮に「大国主の命のぬば玉歌」と命名する。
大国主が、大和の国に向うべく旅支度を始めた。スセリ姫は、大国主に大御酒杯(おおみさかずき)を取らせて、立ち依り指挙げて、歌よみし歌。歌謡の詞書きとして「その夫の神わびて、出雲より倭の国(やまとのくに)に上りまさむとして、束装(よそひ)し立たす時に 片御手は御馬の鞍に繁け、片御足はその御鐙に蹈み入れて、歌よみしたまひしく」云々とある。愛する夫との永の別れになることを覚悟した痛切な恋歌となっている。
二人は互いが杯を交わし、手を首に掛け合って別れを惜しんだ。「かく歌ひて、すなはち盞結ひして、項繁けりて、今に至るまで鎮ります。こを神語といふ」とある。大国主は旅立ち、スセリ姫は留まり鎮座することになった。 |
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| この逸話は重要である。僅かにこれだの記述であるが、大国主が大和の国に向ったことを示唆しているからである。このことは出雲王朝と河内王朝、三輪王朝との絡みを考える上で意味がある。この旅立ちの際にスセリ姫が詠った歌意を「正妻のスセリ姫が嫉妬激しく」なる解説があるが無用であろう。よほどの重大決心で大和へ向かおうとする夫の大国主に対する恋歌と受け取るべきであろう。大国主は艶福家で知られているが、正妻のスセリ姫との信頼が厚かったことを逆に教えると受け止めるべきであろう。 2011.7.16日 れんだいこ拝 |