| 大祓詞(おおはらいのりと)文考 |

| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 「にっぽん文明研究所の大祓え」、「【祝詞】大祓詞 おおはらえのことば」その他を参照する。れんだいこは今日ふと祝詞(のりと)を知っておきたくなり急きょサイト化した。既成の祝詞文を推敲し、その意味を探った。 神社庁指定の「大祓詞」(おおはらへののりと、原文は平仮名の部分が万葉仮名)は大正3年に内務省が制定したもので、以降神社本庁の定本として各神社で用いられているが、古来の原文から離れていると思われる。これを仮に「定本・大祓ののりと」と命名する。通説は、「大祓のことば」と読むようである。 「定本・大祓ののりと」とは別に別文「六月晦大祓祝詞(みなづきつごもりのおおはらえののりと」(出典:延喜式卷八「祝詞」)がある。これを仮に「別文・大祓ののりと」と命名する。れんだいこは、こちらの方が原文に近いと見立てるので、これを下敷きに記述を取り入れ推定復元した。まだ十分にはできていないが、判明次第更に書き直すものとする。これを仮に「れんだいこ文・大祓ののりと」と命名する。 その違いは、天津神の罪、国津神の罪を列挙している下りが顕著で、「定本大祓詞」では削除されている。「別文・大祓ののりと」には記載されている。れんだいこは、「別文・大祓ののりと」の方が正しいと見立て、徒に原文改訂は良くないと考え復活させた。但し、「別文・大祓ののりと」の記載も語調が不自然で、そのままでは使えなかった。そこで修正した。両者の罪の違いが却って興味深い。 更に、後半の下りでも記述が違う。れんだいこは、別文の方を採った。これにより、「天つ宮ごともちて、天つ金木(かなぎ)を本(もと)打ち切り末打ち断ちて」の「天つ宮ごともちて」の後に「大中臣(おおなかとみ)」を挿入することにする。更に、別文では末尾に「四国(よくに)の卜部」が登場している。これをどう読み解くべきか。何か重要なヒントが隠されているように思われる。いずれにせよ、別文の記載が正しいと見立て、別文にある以上採りいれるべきとして採用した。 他にも気がついたことは、「定本大祓詞」の文節が不自然に区切られており、ただでさえ分かりにくいのに余計に分かりにくくされていることだった。意味が通るよう、れんだいこ式に仕切りなおしした。もう一つ、後半に出てくる「持」を「持つ、持ち」として解読されているのを排して、「も」と解して前の文節に括った。「以」も「も」と読むが、その使い分けについては今後考察することにする。正しいかどうかは分からないが、訳文上はかく理解した方が意味が通ずるのでそうした。これは、れんだいこの新たな発見の一つになった気がする。 そういう訳で、「れんだいこ文・大祓ののりと」を創案した。ここに、「れんだいこ文・大祓ののりと」の万葉仮名原文、現代文、解釈文を記しておく。全体に格調の高い美文になっている。且つ隠語による暗喩が込められており、古代史上の最大政変をそれとなく伝承している気がする。幾度も復唱暗誦することで自ずと意味が通ずるように工夫されているように思われる。 留意すべきは、あくまで天津系の手になる「大祓詞」であり、出雲系の「大祓詞」が対置的に別に存在すると考えられることである。但し、こちらは秘されていると思われその限りで不明である。出雲国造奏上文「出雲国造神賀詞」(いずものくにやっこかむよごと、又はかむほぎのことば)があるが、それは出雲系の「大祓詞」とは又別文であろう。「出雲国造神賀詞」については「出雲国造家考」で確認する。 2009.3.4日、2010.01.12日再編集 れんだいこ拝 |
| 【「六月晦(みなづきつごもり)の大祓詞(おおはらへの言葉)」読み下し(れんだいこ編現代文)】 | |||||||||||
「禊祓詞(みそぎはらへの言葉)」は、次の「大祓詞(おおはらへの言葉)」の前振りとして奏上される。「禊祓詞(はらへの言葉)」を受けて、「大祓詞(おおはらへの言葉)」が奏上される。
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| 【「六月晦(みなづきつごもり)の大祓詞(おおはらへの言葉)」読み下し解析文)】 | ||
「禊祓詞(はらへの言葉)」を受けて、「大祓詞(おおはらへの言葉)」が奏上される。
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を法(の)り別ける。生膚断絶(いきはだたちし) 死膚断死(しにはだたちし 白人胡久美(しらひとこくみ) 己(おの)が母犯せる罪 己が子犯せる罪 畜(けもの)犯せる罪 昆虫(はうむし)の災い 高つ神の災い 高つ鳥の災い 畜倒(けものたおし) 蟲物(まじもの)為(な)せる罪 |
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| かく宣らぱ、天つ神は、天の磐門(いはと)を押し かく聞こしめてば、【皇御孫の命の朝廷を始めて天下(あめのした)四方(よも)の国(くにぐに)には】罪といふ罪はあらじと。 |
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| 速川(はやかは)の瀬にます かく |
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| 【「六月晦(みなづきつごもり)の大祓詞(おおはらへの言葉)」万葉仮名原文(れんだいこ編)】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「天津系祓詞(はらへの言葉)」を受けて、「天津系大祓詞(おおはらへの言葉)」が奏上される。
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| Re::れんだいこのカンテラ時評547 | れんだいこ | 2009/03/04 |
| 【大祓詞(おおはらへの言葉)「宣命書き」読み下し文】
高天原(たかまのはら)に神留(づま)り坐(ま)す。皇親(すめらがむつ)神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)以(も)ちて、八百万(やおよろづ)の神等(たち)を神集(つど)へに集へ賜(たま)ひ、神議(はか)りに議り賜ひて、我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと)は 豊葦原水穂國(とよあしはらのみづほのくに)を 安國(やすくに)と平(たひら)けく知ろし食(め)せと 事(こと)依(よ)さし奉(まつ)りき。 此(か)く依さしりし國中(くぬち)に、荒振る神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神掃ひに掃ひ賜ひて、語(こと)問ひし。磐根(いわね)、樹根立(きねたち)、草の片葉(かきは)をも語止(や)めて、天(あめ)の磐座(いわくら)放ち、天の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだり)し依さし奉りき。 かく依さし奉りし四方(よも)の國中(くになか)と 大倭日高見(おほやまとひだかみのくに)を安國と定め奉りて、下(した)つ磐根に宮柱(みやはしら)太敷(ふとし)き立て、高天原に千木(ちぎ)高知(たかし)りて、皇御孫命の瑞(みづ)の御殿(みあらか)仕(つか)へ奉りて、天の御蔭(みかげ)、日の御陰と隠(かく)り坐して、安國と平けく知ろしめさむ國中に成り出(い)でむ。天の益人等(ますひとら)が、過(あやま)ち犯しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は、天つ神、國つ罪、許許太久(ここだく)の罪出でむ。 かく出でば 天つ宮事(ごと)以ちて 天つ金木(かなぎ)を本(もと)打ち切り、末打ち断ちて、千座(ちくら)の置座(おくきら)に置き足(た)らはして、天つ麻菅(すがそ)を本刈り断ち、末刈り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、天つ祝詞(のりと)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ。 かく宣らば 天つ神は天の磐門(いはと)を押し披(ひら)きて、天の八重雲を伊頭(いつ)の千別きに千別きて 聞こしめさむ。國つ神は高山(たかやま)の末、短山(ひきやま)の末に上(のぼ)り坐して、高山の伊褒理(いぼり)、短山の伊褒理を掻(か)き別けて聞こしめさむ。 かく聞こしめしてば、罪と言ふ罪はあらじと 、科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)の御霧(みぎり)、夕(ゆふべ)の御霧を朝風夕風の吹き拂(はら)ふ事の如く、大津邊(おほつべ)に居(お)る大船(おほふね)を舳解(へと)き放ち、艫解(ともと)き放ちて、大海原(おほうなばら)に押し放つ事の如く、彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本を、焼鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)以ちて打ち掃ふ事の如く、遺(のこ)る罪はあらじと祓へ給ひ清め給ふ事を高山の末、短山の末より佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ。 速川(はやかわ)の瀬に坐す瀬織津比賣(せおりつひめ)と言ふ神、大海原にも出でなむ。かく出で往(い)なば、荒潮(あらしほ)の潮の八百道(やほぢ)の八潮道(やしおぢ)の潮の八百曾(やほあひ)に坐す。速開都比賣(はやあきつひめ)と言ふ神も加加呑(かかの)みてむ。 かく加加呑みてば 気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主(いぶきどぬし)と言ふ神、根国(ねのくに)、底国(そこのくに)に気吹き放ちてむ。 かく気吹放ちてば、根国、底國に坐す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と言ふ神も、佐須良ひ失ひてむ。かく佐須良ひ失ひてば罪と言ふ罪はあらじと祓へ給ひ清め給ふ事を天つ神、國つ神八百萬神等共に 聞こしめせと白(まを)す。 -------------------------------------------------------------------------------- (れんだいこ読解意訳文、現代口語訳) その昔、原日本には八百万(やおよろず)の国津神の住む豊葦原の瑞穂の国と云われる中国が在った。高天原王朝は、豊葦原の瑞穂の国を治める出雲王朝に国譲りを仕掛けた。度々の使者を送ったがらちが開かず、遂に軍事戦と談判により投降させることに成功した。その国譲り戦で勝利したフツヌシとタケミカヅチが高天原に凱旋してきた。 高天原を治めるカムロ「ギ」の命(みこと)とカムロ「ミ」の命の発令により、高天原系の八百万の神々が天の安の河原に集まった。出雲王朝の支配者であり、豊葦原の瑞穂の国の盟主である大国主命の国譲りの件が報告され、議論に議論を重ねた結果、いよいよ豊葦原の瑞穂の国の平定に乗り出すことに評定が決着した。 アマテラスは、オシホミミの命に、葦原中国を統治するよう命じた。オシホミミの命は、息子の天津彦火のニニギの命に役目を譲った。アマテラスは、オシホミミの命の進言を受け入れ、「ニニギの命よ、そなたに葦原中国の支配を任せます。さっそく取り掛かるように」と命じた。こうして、アマテラスの命で、ニニギの命が天降ることになった。 アマテラスは、出発に当り、ヤタの鏡と草薙の剣と八坂の勾玉(まがたま)を授け、これをお守りとして祀るよう言い渡した。これを三種の神器と云う。最後に稲穂を渡し、豊葦原の瑞穂の国の食物とせよと命じた。オモヒカネには祭事と政事を執るよう言い渡した。他にアメノコヤネ(中臣氏の祖神)、フトダマ(忌部氏の祖神)、アメノウズメ(猿女氏の祖神)、イシコリドメ(鏡作の祖神)、タマノオヤ(玉作の祖神)が従った。他にアメノオシヒ(大伴氏の祖神)、ヒコホノ二ニギ、アメノイワトワケ、タジカラヲ、アメツクメの各命が随伴した。これを仮に天孫族叉は高天原軍と命名する。 ニニギの命は、国津神の神々に使者を送り、大国主命の国譲りの件を伝え、豊葦原の瑞穂の国の統治権を渡すよう迫った。国津神系は大混乱に陥り騒々しくなったが、拒否して一致共同して抗戦する旨伝えてきた。抗戦派の荒ぶる神々は大倭日高見の国を盟主として抵抗の構えを見せた。 高天原軍は遂に討伐に向かうことになった。ニニギノ命一行は、「東に美(う)まし國ありと聞く。我いざこれを討たん」と宣べ、幾重にも折り重なった分厚い雲を掻き分けに掻き分けて、日向の高千穂の峰に天降った。この地に堅い基礎に太い宮柱を建て、屋根は千木に高く聳え立つ豪勢な宮殿を建て、国津神を威圧した。稲作を進め、国津神の蒙を開き、高天原の征服事業は着々と進展した。 しかし、完全制圧できず、国津神軍との抗争が続いた。高天原は業を煮やして、徹底した軍事行動による殲滅を宣言した。残虐非道の掃討戦が始まった。それでも国津神は降伏せず、地の利を生かして各地の高い山低い山に立て篭もって抵抗し始めた。高天原は手を焼いた。 高天原軍は遂に軍事による徹底殲滅方針をあきらめ、武装解除し恭順するならば反逆した過去の罪を問わず制裁処罰しないこと、過去を祓い給い清め給いきれいさっぱり清算して公平な人材登用を進め、共に和して新日本を創建することを明らかにした。反逆徒が立て篭もる各地のアジトへ使者を送り、出向いて告げた。 これにより、或る神達は豊葦原の瑞穂の国から立ち去り大航海に出向いた。或る神達は投降し始めた。豊葦原の瑞穂の国は溶解状態に陥り、投降相次ぐ事態となった。豊葦原の瑞穂の国の皇統を為す根の国、底の国の代表が高天原軍と協議を行い、制裁処罰されず公平な人材登用を行うなことを条件に帰服した。これが、高天原と豊葦原の瑞穂の国の合意となって、その後の日本が開かれた。 祝詞(のりと)は、この経緯を確認するために遺す奏上文である。この国の成り立ちに於ける「抵抗の罪を問わず、過去を洗い流し、祓い給い、清め給い、天津神と国津神の八百万の神々が相和して新日本を創ることを申し合わせて、国が開かれた」と云う史実の重みを子々孫々に伝える為のものである。 -------------------------------------------------------------------------------- 【大祓詞(おおはらへの言葉)考】 以上、「大祓詞(おおはらへの言葉)」をれんだいこ式に解読した。既成の下手にして拙い解読よりよほど値打ちがあるだろうと自負する。れんだいこが、「大祓詞(おおはらへの言葉)」に注目するのは、そこに大和王朝創建時の歩みと確認事項、国づくりの理念及び精神が格調高く濃密に詠われていることを認めるからである。事実、「大祓詞(おおはらへの言葉)」は、永らく日本政治の原理として踏襲伝統とされてきた。今この価値が忘れられようとしている。 他方で思うのは、パレスチナに於けるイスラエルの飽くことなき徹底殲滅思想である。これを思えば、「大祓詞(おおはらへの言葉)」の価値が際立つ。そういうメンタリティーから急きょ、「大祓詞(おおはらへの言葉)」を解読することになった。現代は、イスラエル軍の徹底殲滅思想とハーモニーするような政治、経済、文化、学問が幅を利かせている。が、れんだいこは、これらを推進する国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの頭脳は案外賢くないのではなかろうかと思っている。もっと云えば、中身が空疎な狂人思想ではなかろうかと思っている。 そういうものなら我らが学ぶに値せずである。そうとならば、我々の政治、経済、文化、学問システムを我らなりに再度創出せねばならないのではなかろうか。既成のインテリはここが分かっておらず、今もひたすらネオ・シオニズムイデオロギーの捕囚に甘んじ、これを良しとしている。ウヨサヨはとてつもない腐敗した知性の汚濁のなかに在る。共に著作権狂いしているが、定向進化の法理によりもっと狂って盛んに小難しい社会へと誘い、終いには自分で自分の首を絞めて恍惚するところまで向かうであろう。 そんなこんなを確認するための「大祓いの祝詞考」となった。 「大祓いのりと考」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kodaishico/nihonshindoco/noritoco/noritoco.htm) 2009.3.4日 れんだいこ拝 |
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「定番・大祓詞(おおはらへの言葉)」の他に「
「中臣の壽詞」があり、これを確認しておく。内容が大きく変わっている。
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| 【十種大祓】 | |||||||||||||||||
| 「十種大祓」とは、「先代旧事本紀」の「天孫本紀」に記載されている祝詞で、神道に深く関わった物部氏のルーツ邇藝速日命(饒速日命にぎはやひのみこと)が伝えたとされる「十種神宝」(とくさのかんだから、天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ))に関連した呪文であり、「十種大祓」(とくさおおはらい)又は「布留部祓」(ふるべのはらい)、俗に「布瑠の言」(ふるのこと)、「ひふみ祓詞」とも云われる。ネット上では「フルベフルヘト解読」、「十種大祓」で確認できるが、原文かどうかは分からない。
「十種の神宝」は、沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死返玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちかへしのたま)、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)の10のアイテムを指す。
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