出雲国造家考



 (最新見直し2010.01.11日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、出雲国造、出雲国造神賀詞を確認しておく。

 2008.4.7日 れんだいこ拝


【出雲国造詞 】
 国譲りの際の大国主の命の要望により出雲大社が建立され、出雲神道が存続することになった。しかし、高天原王朝よりお目付け役が派遣される。やって来たのは天穂日の命(アマノホヒの命)であった。アマノホヒの命は、出雲東部の意宇に拠点を設け大領を拝し、意宇川上流の熊野大社を祀りながら、出雲東部の杵築(きずき)に設けられた出雲大社を監視し始める。監視官たる天穂日命の子孫がは出雲国造家の地位を得、出雲大社の斎主になる。千家氏、北島氏の家系がそれである。

 「先代旧事本紀」(せんだいくじほんぎ)によれば、崇仁天皇の御世、天穂日の命の11世の孫が出雲国造家に任命されている。出雲国造家は次第に土着化し、高天原王朝と出雲王朝の架け橋的役割を果たしていくことになる。平安時代の霊亀年間715−717年頃、元正天皇の御世、出雲国造家はそれまで本拠地にしていた意宇を離れ杵築に移り住んだ。意宇にの地には新たに神魂(かもす)神社が建立され、熊野大社で執り行われていた火継式などを引き受けさせている。出雲国造家の意宇の大領と杵築の兼務は798(延暦17)年まで続き、杵築に一本化する。今日まで「千家」家が出雲大社の祭祀に専修している。

 2010.01.11日 れんだいこ拝

【出雲国造神賀詞 】
 奈良時代の中ごろから平安時代の中ごろまで、出雲国造は、その代替わりの度ごとに朝廷に参上して、「延喜式」巻8に残る「出雲国造神賀詞(かんよごと)」を奏上して天皇に忠誠を誓う慣わしを続けた。その文意は、朝廷の「大祓詞(おおはらへの言葉)」の対になっており、掛け合いの様が窺えよう。

 【出雲国造神賀詞 】(いずもこくそうかむよごと)(いずもこくそうかむほぎのことば)が「出雲大社松山分祠」にサイトアップされているので、これを転載しておく。
 八十日は在れども、今日の生く日の足る日に 
 やそかひはあれども、今日(けふ)のいく日の足る日に、
 出雲國の國造姓名、恐み恐みも申し賜はく、
 出雲(いずも)の国の国造(くにのみやつこ)姓名(かばねな)、恐(かしこ)み恐みもまをしたまはく、
 掛けまくも恐き明御神と大八嶋の國知ろしめす天皇命の
 かけまくも恐き明御(あきつ)神と 大八嶋(おほやしま)の国しろしめす天皇命(すめらみこと)の
 大御世を手長の大御世と斎ふと(若し後の斎の時には後斎の字を加ふ)為て、
 大御代(おほみよ)をたながの大御代と斎(いは)ふと(もしのちのいはひのときはのちのいはひのもじをくはふ)して、
 出雲國の青垣山の内に下つ石根に宮柱太知り立て、
 出雲の国の青垣、山の内に、下(した)つ石根(いはね)に宮柱太(ふと)しりたて、
 高天原に千木高知り坐す伊射那伎の日真名子
 高天原(たかまのはら)にちぎたかしりいます いざなぎのひまなご 
 加夫呂伎 熊野大神 櫛御気野命 國作り坐し大穴持命、
 かぶろき くまぬのおほかみ、くしみけぬの命(みこと)、国つくりましおほなもちの命、
 二柱の神を始めて、百八十六社に坐す皇神達を、
 ふたはしらの神を始めて、ももやそまりむつの社(やしろ)にます皇神(すめかみ)たちを、
 某甲が弱肩に太襷取り挂けて、伊都幣の緒結び、天の美賀秘冠りて、
 それがしがよわかたにふとたすき取りかけて、いつぬさの緒(を)結び、天(あめ)のみかげかがふりて、
 伊豆の真屋に麁草を伊豆の席と苅り敷きて、伊都閉黒まし、
 いつのまやに あらくさを いつのむしろとかりしきて、いつへくろまし、
 天の厳和に斎みこもりて、志都宮に忌ひ静め仕へ奉りて、
 あめのみかわにいみこもりて、しづみやに いはひしづめつかへまつりて、
 朝日の豊栄登に伊波比の返事の神賀吉詞を奏し賜はくと奏す。
 朝日のとよさかのぼりに いはひのかへりごとのかむほぎのよごとをまをしたまはくとまをす。
 高天の神王高御魂命の皇御孫命に、
 たかまのかぶろきたかみむすびの命(みこと)のすめみまの命に、
 天下大八嶋國を 事避り奉りし時、
 あめのしたおほやしまの国を ことさりまつりしとき、
 出雲臣等が遠祖、天穂比命を國體見に遣はしし時に、
 出雲のおみらがとほつおや、あめのほひの命をくにかたみにつかはししときに、
 天の八重雲を押し別けて天翔り國翔りて、
 あめのやへぐもをおしわけてあまかけり国かけりて、
 天下を見廻りて返事申し給はく、  
 あめのしたをみめぐりてかへごとまをしたまはく、
 豊葦原の水穂國は、昼は五月蝿如す水沸き 夜は火瓮の如く光く神在り。
 とよあしはらのみずほの国は、昼はさばへなすみずわき、夜はほへの如くかがやく神あり。
 石根木立青水沫も事問ひて荒ぶる國なり。
 いはねこのたちあほみなわもこととひて荒ぶる国なり。
 然れども鎮め平けて皇御孫命に 安國と平けく知ろしめし坐さしめむと申して、
 しかれどもしづめたいらけてすめみまの命に やすくにとたひらけくしろしめしまさしめむとまをして、
 己命の児、天夷鳥命に 布都怒志命を副へて天降し遣して
 おのれ命のみこ、あめのひなとりの命に ふつぬしの命をそえてあまくだしつかはして
 荒ぶる神達を撥ひ平け、國作しし大神をも 媚ひ鎮めて大八嶋國の現事顕事事避らしめき。
 荒ぶる神どもをはらひむけ、国つくらししおほかみをも まはひしずめて、おほやしまの国のうつしあらはにごとことさらしめき。
 乃ち大穴持命の申し給はく、
 すなはちおほなもちの命のまをしたまはく、
 皇御孫命の静まり坐さむ大倭國と申して己命の和魂を
 すめみまのみことのしずまりまさむおほやまとの国とまをしておのれ命の和魂(にぎみたま)を
 八咫鏡に取り託けて倭大物主櫛厳玉命と御名を称へて大御和の神奈備に坐せ、
 やたかがみにとりつけてやまとのおほものぬしくしみかたまの命とみなをたたへて 大御和(おほみわ)の神奈備(かむなび)にませ、
 己命の御子、阿遅須伎高孫根の命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ、
 おのれ命のみこ、あぢすきたかひこねの命のみたまを葛木(かつらかき)の鴨(かも)の神奈備にませ、
 事代主命の御魂を宇奈提に坐せ、
 ことしろぬしの命のみたまをうなでにませ、
 賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて、
 かやなるみの命のみたまを飛鳥(あすか)の神奈備にませて、
 皇御孫命の近き守神と貢り置きて、八百丹杵築宮に静まり坐しき。
 すめみまの命のちかきまもりのかみとたてまつりおきて、やほにきづきの宮にしずまりましき。
 是に親神魯伎神魯備の命の宣はく、
 ここにむつかむろぎかむろみのみことののりたまはく、
 汝天穂比命は天皇命の 手長の大御世を堅石に常石に伊波ひ奉り、
 いましあめのほひの命はすめらみことの たながのおほみよをかきはにときはにいはひまつり、
 伊賀志の御世に幸はへ奉れと仰せ賜ひし
 いかしのみよにさきはひまつれとおほせたまひし
 次の随まに供斎(若し後の斎の時には後斎の字を加ふ)仕へ奉りて
 つぎてのまにまにいはひごと(もしのちのいはひのときは、のちのいはひのもじをくはふ)つかへまつりて、
 朝日の豊栄登に神の禮白臣の禮白と御祷の神宝献らくと奏す。
 朝日のとよさかのぼりに神のゐやしろおみのゐやしろとみほぎのかむだからたてまつらくとまをす。
 白玉の大御白髪在し、赤玉の御阿加良び坐し、
 しらたまのおほみしらがまし、あかたまのおほみあからびまし、
 青玉の水江玉の行相に明御神と大八嶋國知ろしめす天皇の手長の大御世を、
 あをたまのみずえのたまのあひゆきに、あきつみかみとおほやしまの国しろしめすすめらみことのたながのおほみよを、
 御横刀広らに誅ち堅め、
 みはかしのひろらにうちかため、
 白き御馬の前足の爪、後足の爪の踏み立つる事は、
 しろきみうまのまえのあしのつめ、しりへのつめのふみたつることは、
 大宮の内外の御門の柱を上つ石根に踏み堅め、
 おほみやのうちとのみかどのはしらをうはついはねにふみかため、
 下つ石根に踏凝し立て、振り立つる耳の弥高に天の下を知ろしめさむ事の志のため、
 したついはねにふみこらしたて、ふりたつるみみの いやたかにあめのしたをしろしめさむことのしるしのため、
 白鵠の生御調の玩物と 倭文の大御心も多親に、
 しらとりのいきみつきのもてあそびものと しづのおほみこころもたしに、
 彼方の古川岸此の古川岸に生ち立てる若水沼間の弥若叡に御若叡坐し、
 をちのふるかわきしこちのふるかわきしになりたてるわかみぬまのいやわかえにみわかえまし、
 須すぎ振る遠止の美の水の弥乎知に御袁知坐し、
 すすぎふるおどのうるはしのみずのいやをちにみをちまし、
 麻蘇比の大御鏡の面をおしはるかして見行す事のごとく、
 まそびのおほみかがみのおもをおしはるかしてみそなはすことのごとく、
 明御神の大八嶋國を 天地日月と共に安けく平けく知しめさむ事の志の太米と、
 あきつみかみのおほやしまの国を あめつちひつきと共にやすらけくたひらけくしろしめさむことのしるしのためと、
 御祷の神宝をフげ持ちて
 みほぎのかむだからをささげもちて、
 神の禮白、臣の禮白と、恐み恐みも天つ次の神賀吉詞
 神のゐやしろ、おみのゐやしろと、恐み恐みもあまつつぎてのかむほぎのよごと
 白し賜はくと奏す。
 まをしたまはくとまをす。

【出雲国造神賀詞現代口語訳】
 【出雲国造神賀詞 】(いずもこくそうかむよごと)(いずもこくそうかむほぎのことば)が「出雲大社松山分祠」にサイトアップされているので、これを転載しておく。
 八十日と日柄は数多く有りますが、今日のこの吉日にあたりまして、出雲国造姓名が恐れ畏まって申し上げまするに、言葉にかけて申し上げるのも畏れ多い御現神としてこの日本の国を治められます天皇様の大御世を長久の大御世でありますようにと寿ほぎますために、出雲国の木々の青々と生い茂る山々があたかも垣根のようになすころに、地の下にある盤石な石まで深く宮の柱が立ち、又大空高く千木が立つ御神殿に御鎮座遊ばされます、伊射那伎の鐘愛され給う御子で、最も尊い神なる熊野大神櫛御気野命と、この国土を開拓し治められた大穴持命と、二柱の神を始めと致しまして国中に鎮まり坐す百八十六社の皇神等を、私の弱肩に太い襷を取り掛けて、斎み清めた木綿の緒を組紐として結び、木綿の鬘を頭に戴き冠つて、斎み清めた真屋に人の手の触れられていない清浄な草を刈り清浄な席として敷き設け、 神饌を調理する竃の底を火を焚いて黒く煤づかせて、神厳な斎屋に篭って、安静なる神殿に忌み鎮めて御祭を営み、この朝日の差し昇る良き日にここに参朝して復命の神賀の吉詞を奏上致します事ここに奏します。

 高天原の尊貴なる神、高御魂命が皇御孫命に天の下の大八嶋国の国譲りを仰せになられました時に、出雲臣達の遠祖、天穂日命を国土の形成を覗う為にお遣わしになられました時に、幾重にも重なった雲を押し分けて天を飛翔し国土を見廻られて復命して申し上げられました事は、「豊葦原の水穂国は昼は猛烈な南風が吹き荒れるように荒ぶる神々が騒ぎ夜は炎が燃えさかるように光り輝く恐ろしい神々がはびこっております。岩も樹木も青い水の泡までもが物言い騒ぐ荒れ狂う国でございます。然れどもこれらを鎮定服従させて皇御孫命には安穏平和な国として御統治になられますようにして差し上げます。」と申されて、御自身の御子、天夷鳥命に布都怒志命を副へて天降しお遣わしになられまして荒れ狂う神々を悉く平定され、国土を開拓経営なされました大穴持大神をも心穏やかに鎮められまして大八嶋国の統治の大権を譲られる事を誓わせになられました。

 その時大穴持命の申し上げられますには、皇御孫命のお鎮まり遊ばされますこの国は大倭国でありますと申されて御自分の和魂を八咫鏡に御霊代とより憑かせて倭の大物主なる櫛厳玉命と御名を唱えて大御和の社に鎮め坐させ、御自分の御子、阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の社に鎮座せしめ、事代主命の御魂を宇奈提に坐させ、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の社に鎮座せしめて皇御孫命の御親近の守護神と貢りおいて御自分は八百丹杵築宮に御鎮座せられました。ここに天皇様の親愛せられます皇祖の神の仰せられますには、汝天穂日命は天皇様の長久の大御世をいつまでも変わる事無く御守護申し上げ、盛大なる御世として繁栄せしめ奉れと仰せ賜りましたお言葉を国造代々伝えて参りました通りに斎事をお仕え申し上げてこの朝日の差し昇る良き日に当たりまして神の礼白臣の礼白として御世の寿祝を祝福する神宝を奉献致します事を奏します。

 ここに献上致します白玉の如く天皇様の御髪が真っ白になるまでも御寿命は長くあらせられまして、赤玉の赤々と輝くように竜顔も勝れて麗しく御強壮にましまし、緒に貫いた青玉が水の江の行相のように整い乱れぬように明御神として大八嶋国を統治遊ばされます天皇様の長久なる大御世を捧げ奉ります御横刀にて広く世を打ち従えて揺るぎ無く礎を固めて、白い御馬の前足の爪、後足の爪を踏みたててここへつれ来る事は、大宮の御門の内外の柱を地の底までも踏み固め揺るぎ無いものとして、この馬の耳を振り立てます事は聞き耳を高々と立てる程天下を隆盛に治められます事への祝福でありまして、白鵠の生きた献物を御愛玩され倭文布の文様がしっかりと通っているように大御心も乱れる事無く、彼方や此方の古川岸に生え出る若々しい「みるめ」のようにますます若々しく若返りになられまして、奉献の物を濯ぎ清める淀の水が溯って流れるように若返りになられまして、真澄の大御鏡の面を払い清めて御覧になられます事のように、天皇様が大八嶋国を天地日月と共にいつまでも平安に統治遊ばされます事を祝福致します為にこれらの神宝を捧げ持って神の礼白、臣の礼白としてつつしみ畏まって祖先の神より代々伝わりますこのめでたき良き詞を奏上致します事を奏します。

 口語訳は主に神社新報社「延喜式祝詞教本」を参照した、とある。
 【出雲国造神賀詞 】(いずもこくそうかむよごと)(いずもこくそうかむほぎのことば)のれんだいこ式現代口語訳を提供しておく。
 今日という日をより良く生きる為の御言葉を、出雲国造姓名が恐れ畏まって申し上げさせていただきます。言葉にするのも畏れ多い明賢の御神にして、大八嶋の日本の国を治められます天皇様の大御世が長久の大御世でありますようにと寿(こと)ほぎさせていただきます。

 次に、出雲国の青垣の生い茂る神体山の麓に、盤石の基礎を持つ太い宮柱を立て、空高く千木を立たしめた神殿に鎮座しております、伊射那伎の愛され給う御子にして古来よりの尊い神なる熊野大神の櫛御気野命(くしみけぬの命)と、この国を創められた大穴持命(おほなもちの命)の二柱の神、これを始めとして国中に鎮まり坐す百八十六社の皇神等に寿(こと)ほぎさせていただきます。

 私の弱肩に太い襷を掛け、伊都幣(いつぬさ)の緒を結び、天の美賀秘を冠りて、伊豆の斎屋に清浄な草を敷き、 神饌を調理する竃の底の火を焚いて黒く煤づかせ、神厳な斎屋に篭って、安静なる志都宮(、しづみや)神殿を清浄に鎮めて祭祀を司り、朝日の差し昇る良き日にここに参朝して復命の神賀の吉詞(よごと)を奏上させていただきます。

 その昔、高天原の尊貴なる神、高御魂命(たかみむすびの命)が皇孫命に天の下の大八嶋国の国譲りを仰せになられました時に、出雲臣達の遠祖に当たる天穂日命(あめのほひの命)を国土の様子を覗う為にお遣わしになられました時に、幾重にも重なった雲を押し分けて天を飛翔し国土を見廻られて復命して申し上げられましたことは、「豊葦原の水穂国は、昼は五月ハエが飛び回るほど煩(うるさ)く騒ぎ、夜は炎が燃えさかるように光り輝く恐ろしい神々がはびこっております。岩も樹木も青い水の泡までもが物言い騒ぐ荒れ狂う国でございます。しからば、これらを鎮定服従させて皇孫命が安穏平和な国として御統治になられますように」とのことでありました。

 これにより、御自身の御子、天夷鳥命(あめのひなとりの命)に布都怒志命(ふつぬしの命)を副へて天降しお遣わしになられ、荒れ狂う神々を悉く平定され、それまで国土を開拓経営していた大穴持命を政治の表舞台から退け、国譲りと相成りました。

 この時、大穴持命は次のように要望されました。出雲の精神である和魂(にぎみたま)を八咫鏡(やたかがみ)に御霊代とより憑かせて、倭大物主櫛厳玉命(やまとのおほものぬしくしみかたまの命)と御名を称へて大御和(おほみわ)の神奈備(かむなび)に鎮座せしめ祀らせますよう。次に、御自分の御子、阿遅須伎高孫根命(あぢすきたかひこねの命)の御魂を葛木(かつらぎ)の鴨(かも)の社に鎮座せしめ祀らせますよう。次に、事代主命の御魂を宇奈提(うなで)に坐させ祀らせますよう。賀夜奈流美命(かやなるみの命)の御魂を飛鳥の社に鎮座せしめ祀らせますよう。さすれば皇孫命の守護神となるでせう。そう云い残して、八百丹杵築宮(やほにきづきの宮)へ鎮座為されました。

 天皇様直々の皇祖神であります神魯伎神魯備の命(かむろぎかむろみの命)の仰せられますには、汝天穂日命(あめのほひの命)は行きて天皇様の長久の大御世をいつまでも変わる事ないよう御守護し、盛大なる御世として繁栄せしめるよう奉れ。かく仰せ賜り、このお言葉通りに斎事にお仕え申し上げ、朝日の差し昇るいやさかの道を、神の礼、白臣の礼、白として御世の寿祝を祝福する神宝奉献を致しております。

 ここに献上致します白玉の如く天皇様の御髪が真っ白になるまでも御寿命は長くあらせられまして、赤玉の赤々と輝くように竜顔も勝れて麗しく御強壮にましまし、緒に貫いた青玉が水の江の行相のように整い乱れぬように明賢神として大八嶋国を統治遊ばされます、天皇様の長久なる大御世を守護しております。

 刃向かう者あらば、御横刀にて広く世を打ち従えて揺るぎなく礎を固めて、白い御馬の前足の爪、後足の爪を踏みたてて、大宮の御門の内外の柱を地の底までも踏み固め、揺るぎないものと為し、耳を振り立て高々と立てるのも、天下を隆盛に治められます為でございます。

 白鵠の生きた献物を御愛玩され、倭文の大御心も充分に踏まえ、あちこちの古川岸に生え出る若々しい「みるめ」のようにますます若々しく若返りになられまして、奉献の物を濯ぎ清める淀の水が溯って流れるように若返りになられまして、真澄の大御鏡の面を払い清めて御覧になられますよう。

 天皇様が明賢にして大八嶋国を天地日月と共にいつまでも平安に統治遊ばされます事を祈念致しまして、祈祷の神宝を捧げ持ち、神の礼白、臣の礼白を尽しますよう、つつしみ畏まって祖先の神より代々伝わりますこのめでたき良き詞を奏上致しますことを許されますよう奏します。

【出雲国造神賀詞考】
 出雲国造神賀詞によれば、出雲王朝系の皇孫は次のように祀られていることになる。
大国主の命 大神神社 奈良県磯城郡の三輪山
阿遅すき高日子根の命 大国主の命の子 高嶋神社 奈良県南葛城郡の葛城山
事代主の命 大国主の命の子 雲で(うなで)神社 奈良県高市郡
賀夜奈流美(かやなるみ)の命 飛鳥神社












(私論.私見)