日本神道の歴史1、発生史及び教理について



 (最新見直し2010.04.19日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 先の第二次世界大戦(大東亜戦争)敗戦後、占領軍GHQにより施行されたいわゆる「神道指令」により、戦前の国家神道は政府の直轄機構から切り離され、民間宗教団体となった。現在、伊勢神宮を頂点にした全国約7万9千社の神社を傘下におさめる神社本庁がそれらを取り仕切っている。

 問題は次のところに有る。神社本庁傘下の諸神社が、現在でも日本神道の顔となっているものの、それらが本来の日本神道を代表しているのかという疑問がある。歴史を大きく捉えてみれば、明治政府以降作為された「官制神道」つまり「政策神道」は、日本の悠久の歴史の中で培われた古来よりの神道からすれば、むしろ異端とも云えるものではなかろうか。つまり、神社本庁に組み込まれている現在の姿も仮のそれでしかないのではなかろうか。そういう気づきから「日本神道とは何か。その教理と歴史について」愚考してみたい。

 2005.7.8日 れんだいこ


【「日本は神の国思想」とその批判について】
 かって森首相が「日本は神の国」と述べたことにより轟々(ごうごう)たる批判を浴びた。れんだいこは、こういったところに目くじらし、逆にせねばならない政治運動に対して不作為する現下のサヨ運動に対して食傷している。この手合いとは百年議論しても通じないだろう。とはいえ、実は知らないというだけの余りなオボコさで「正義」しているだけの「成長期特有の善意ミス」の場合もあろうから、以下、手加減しながら意見しておく。

 問題は批判のスタンスにある。れんだいこは、森首相発言に纏わりついている政治的なものまでは擁護しないが、「日本は神の国」との観点についてはその通りと思っている。欲を云えば、「日本は神々の国」とするのがより正しい。この言を補強する為には、「神とは何ぞや」が問われねばならないが、西欧的神概念とは違う日本的神概念の下での「日本は神々の国思想」と捉えることはむしろ大事と考えている。 

 マルコポーロの「東方見聞録」に於ける「黄金の国ジパング」の意味を考えねばなるまい。日本は「黄金の国」とされたが、「当時は黄金をふんだんに産出していたところから命名された」と受け取られているのではなかろうか。れんだいこは、それはそれで史実であるかも知れないが、それだけでないと思っている。金を豊富に産出いるという意味で「黄金の国ジパング」と云われていたばかりではなく、「黄金」という言葉が指し示す豊かな理想郷という意味を表象していたのではなかろうか。つまり、「黄金の如く素晴らしい国」という意味ではなかろうか。即ち貴金属の中で一番値打ちものなのが黄金のように、人が住むのに理想的な自然環境に恵まれ、そういう恵まれた環境の中で人々が相和しつつ暮らしている素晴らしい長寿の国という憧憬が「黄金の国ジパング」の真意ではなかろうか。

 ある時、れんだいこはそう気がついた。比較の問題になるが、思いやれば海と野と山がこれほど並存して、海の幸、野の幸、山の幸に恵まれている国はない。暑さ寒さも適当で、四季折々が有り、一日の時間帯も24時間を均等に三分させており、太陽が昇り始めてからの8時間、日が次第に沈み行く8時間、日が落ちてからの8時間という按配(あんばい)になっている。至るところ山紫水明、風光明媚で景勝地に事欠かない。富士山の容姿がそういう日本を代表している。

 これらが「神々の国日本」の内実である。これが、「黄金の国ジパング」の意味するところなのではなかろうか。そう云えば、古代の人々は自ら、この国を「豊葦原の瑞穂の国」(とよあしはらのみずほのくに)と自覚してきた。中国に対しては「日出る国」と申し述べてきた。朝鮮は「朝が鮮やかな国」と申し述べてきたのだろう。いずこの国も、実体に即して誉れを言挙げしてきたことが分かる。

 日本はそういう国として誉れを持てばよい。徒(いたずら)に半身構えして批判することはない。問題はむしろ次のことにある。そういう恵まれた国の政治がことのほか貧困で、今では世界一の自殺率を示す国になり、更に強い者と要領の良い者のみが富み、弱者が棄民される世の中になりつつある。国際金融資本に羽交い絞めされており、更にその下僕国にされつつある。それを構造改革だなどと称し、自称インテリがブラボーと阿諛追従し続けている。ここに問題がある。この貧困を何としようぞ。

 2005.9.30日 れんだいこ拝

【「豊葦原の瑞穂の国に於ける古代の信仰教義」について】
 古来より日本の地は「豊葦原の瑞穂の国」と表記されている。それとどう関係するのかどうか分からないが奇しくも、現在においても日本列島各地津々浦々まで神社仏閣が点在している。その数約8万2千社と云われる。明治になっての神社統制化政策により相当数が整理されており、それ以前は12万社余を数えていたと思われる。この数が他の諸外国に比べて多いのかどうか判断する資料を持ち合わせていないが相対的に夥しいほど多いのではないか、かってはもっと甚だしく多かったのではなかろうかと思われる。これには小さな社(やしろ)や祠(ほこら)は含まれていない。個人の家で祀っている神棚や稲荷(いなり)まで含めると、果たしてどういう数になるのだろうか。

 日本列島に神社仏閣が形成されてきた歴史には奥ゆかしいものがある。神社の場合、凡そ発祥の時期すら定かでなく、祭神は特定されているものの教祖、創始者は隠れており、特段の教義、教理、教典もないままに、我が国古来よりの信仰として今に息づく固有の宗教となっている。これを日本神道と云う。

 西行が、伊勢参宮の折に詠んだとされる歌がある。実際には、吉野―大峯山の庵での山中での思いかも知れない。
 「何事の 在(おわ)しますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」。

 山蔭基央氏は、このことを説明して、著書「神道の神秘 - 古神道の思想と行法(上)」(春秋社)の中で次のように述べている。
 概要「神道は、無教祖・無教義・無戒律・無偶像・無組織です。 しかも、かっては社殿もなかった。列島に生きた名も遺さない人々の間で生まれ、育まれ、 できあがってきたものです」。

 日本神道に共通するのは「僅かばかりの言挙げしか持たぬままに専ら神主が所作法で伝える儀式」である。神道教理がない訳ではない。一見ないように思われるだけで、実は下手な明文教典より以上の高度な内容を持っている。つまり不立文字になっている。そう窺うべきではなかろうか。その思想はかなり高度なものであり今日にも通用するものである。日本神道は、大宇宙の原理を奥深くで弁証法的に捉えており、それ故に固定的な概念を持つ文字では表現できない。不立文字の裏面にそういう機微を窺うべきではなかろうか。日本神道は、人と社会とがその宇宙の法理法則に合わせて万物との調和を図りながら処世して行くようその手法と儀式の格式を生み出している。関係者諸人がこれを共々に知り悟り味わうという信仰体系となっている。

 日本神道の奥義は、ある意味で今日の科学的諸所見より進んだ知見を控えさせている。近代及び現代資本主義がもたらしつつある資本の無際限無定見増殖による地球環境汚染、社会貧富の差、階級対立、人心荒廃、人間疎外現象等々を思うとき、日本神道の奥義ははるか昔に近代及び現代資本主義思想の限界を見据えており、故に自然との共生を目指すところから作法を生み出している。星座や天地自然の運行法則、森羅万象(花鳥風月、山川草木)の中に汎神論(pantheism)的に神の摂理を見てとり、神々しさを感じ、それを「八百万(ヤオヨロズ)の神」として奉り、それらの霊気を感じとり、体得し、その上で「神と共にある道」を探求しようとしていたように思われる。人間もまた自然の一部であり、大自然は感謝と畏敬の対象であった。且つ、太陽と月と星の三位一体の天文暦学を確立し、吉凶を占っていた形跡が認められる。後に中国式天文学と混合するが、日本文字の創造と同様な処方で日本的神道なるものを生み出していた窺うべきであろう。

 この宇宙観、自然観の下で、人は神の命を分け与えられて生きているとしていた。生命は神の分霊(わけみたま)であり、神の子であり、人はそれぞれの土地の神である産土神(うぶすな神)のお陰を蒙って生きており、その恵みを受けながら暮らしているとしていた。村里には鎮守の森があり、社(やしろ)を建て信仰した。人は、産土神を祀る氏神に依り、氏子として結ばれた。四季の恵みを享受し、諸々の神に感謝し、祭りを祝し、恩返ししながら生きていくのが正しい生き方としていた。最後には産土神に導かれて、祖霊のまします世界へ帰ると云う死生観を確立していた。これを「惟神(かんながら)の道」と云う。「惟神(かんながら)の道」は西欧ユダヤ的征服支配思想と反する。この手法を非科学的とするのではなく現代科学を超えていると受け止めるべきで、今も斬新にして探求すべきというべきではなかろうか。

 日本神道は更に、この自然との共生処方を応用して社会に於ける氏子達の共生手法をも生み出していた。神人和楽を目指し、その理想社会づくりに向けての助け合い思想と作法をも内包していたのではなかろうか、ということが逆に見えつつある。そういう思想が何故に日本に生み出され、他の諸国では未発達となったのかは分からない。日本の山紫水明、瑞穂の国としての天然自然の豊さの賜物なのだろうか。それは分からない。

 こういう特徴を持つのが日本神道であるが、その後の神道は次第に形骸化してしまい、形式だけの行事や祭礼に忙しくするばかりとなった。だがしかし、これは偶然ではなく、神道の形骸化が意図的故意に政策化された結果と見るべきではなかろうか。その転回点の第一歩は日本神話上の「国譲り譚」から始まる。以降、日本神道の極意は表舞台から退き、今日まで定向的に退化することになった。故に、「国譲り」以前以後の神道を峻別し、以前の神道の内実を確認し、有用有益なものであればと云う但し書きの下で現在風に復権させねばならないのではなかろうか。こう問われているわうに思われる。

 2005.9.30日、2011.7.21日再編集 れんだいこ拝

【「採集経済時代の古代日本の信仰」について】
 人類社会史の最初は採集経済より始まる。その頃の信仰ぶりはどのようなものであったのだろうか。

 日本神道は、人類誕生のどの地点からかは分からないがいつしか形成され、それぞれの部族が隆盛繁栄する「弥栄(いやさか)の原理を尋ねる道」として続いて来たものである。その最初期の太古においては、霊地、霊山、霊峰、霊物自体に神が宿るとみなして「ご神体」とし、これを敬っていたように思われる。これは何も日本だけではない。人類の原基の信仰として共通している。これを如何に宗教化させたのかにより違いがあり、日本は神道を創ることにより高度なものにしたと思えば良い。日本三霊山は、「富士山、立山、白山」の三山を云う。立山もしくは白山を除外して御嶽山を加える説もある。日本七霊山は、「富士山(静岡県、山梨県)、立山(木曾)、白山(木曾)、大峰山(大和)、釈迦ヶ岳(大和)、大山(伯耆)、石鎚山(伊予)」。異説として、白山を除外して御嶽山(木曾)、釈迦ヶ岳を除外して月山(山形県)を加える説もある。

 著名な霊山、霊峰を南から確認する。
 宇良部岳(沖縄の与那国島)、鹿児島の宮之浦岳、開聞岳、長崎の雲仙岳、熊本の阿蘇山、宮崎の高千穂峰、大分の由布岳、久住山、福岡の英彦(ひこ)山、求菩提山、徳島の剣山、愛媛の石鎚山、広島の弥山、島根の三瓶山、鳥取の伯耆大山、大和地方の葛城山、金剛山、大峯山、釈迦ヶ岳、和歌山の熊野三山、高野山、京都の愛宕山、鞍馬山、滋賀の比叡山、比良山、伊吹山、富山の石動山、木曾の立山、白山、御嶽山、長野の戸隠山、飯縄山、穂高岳、愛知の鳳来寺山、静岡の富士山、秋葉山、山梨の七面山、鳳凰山、新潟の八海山、神奈川の大山、箱根山、東京の高雄山、御岳山、茨木の筑波山、埼玉の両神山、栃木の日光山、男体山、白根山、群馬の赤木山、棒名山、妙義山、福島の帝釈山、磐梯山、岩手の早池峰山、山形の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)、吾妻山、葉山、蔵王山、宝珠山、あ北の鳥海山、青森の恐山、岩木山、北海道の利尻山等々。

 日本の場合、土地毎に必ず霊山が祀られていると思えば良い。これらの霊山には必ず祀りの聖地がある。これを神社との繫がりで見れば、有名なところとして大神神社(奈良)の三輪山、出雲大社(島根)の八雲山、諏訪神社上社(長野)の守屋山、吉野金峰千寺の大峰連峰の金峰山(きんぷせん)、金鑽(かなさな)神社(埼玉)の御室ガ岳、宇佐神社(大分)の御許山、御上神社の三上山、本宮浅間大社の富士山などがある。これを神奈備山(神体山)と云う。

 日本神道の要諦として、これらの霊山に対する登山信仰、山岳信仰が介在している。登山信仰は山頂登山により霊気を貰う業として受け継がれている。山岳信仰は、山地水明の瑞穂の国と云われる日本に於いて特有に発達した神奈備山信仰と合体している。神奈備山信仰とは、故郷の鎮護山を、「もりやま」、「はやま」、「神奈備山」などと呼び「祖霊、神霊のすまう他界の山」として崇拝する信仰を云う。 山麓で祭祀が行われた。 これらの信仰は現在も民間信仰として広く行われている。山麓での山の神祭祀はのちには神社神道にと展開していった。 鎮守の森や小高い丘を背後にもつ神社のたたずまいは山岳信仰の面影を今に伝えるものである。後に奈良時代になり修験道が生まれるや、山岳修行による超自然力の獲得により験力を得る修行の山となった。

 ご神体を「御霊代(みたましろ)」とも云う。霊地、霊山の森林奥地にある巨木や巨岩、巨石などを神が内在する目印即ち「依代(よりしろ)」として祀り、何らかの祭祀を行っていたとみられる跡が数多く発見されている。巨石、巨岩の御座所を「磐座(いわくら)」と云う。樹木の御座所を「神籬」(ひもろぎ)と云う。広島の葦獄山や、富士の愛鷹山、大和の三輪山などが代表的なものであるが、古代日本人の祭祀目的の巨木、巨石が各地に今でも存在する。

 こうした聖なる土地を、カタカムナ文献では「イヤシロチ」と呼び、その特別な場所のことを「神奈備」(かんなび)、神霊を迎える場を「斎庭・忌庭」(ゆにわ)と云う。我々の祖先は、こうした聖地に「社」(ヤシロ)を定め、更なる聖域に「奥宮」を祀った。ここに注連(しめなわ)を張り、榊(さかき)を立て廻らし「神籬」(ひもろぎ)や「磐境」(いわさか)とした。ここに神を招き寄せ諸人が感応した。当時の暦法に従い神職を祭主とする祀りが執り行われ、諸人による祭りで神威を分かちあった。これが日本神道による祀りの原点であったと思われる。

 西欧的宗教学では、これをアニミズムと云う。アニミズムのアニマとはラテン語で、「息をする、息づくく」を意味する。同時に「命、霊、風」の意味をも持つ。日本の古神道は、このアニミズムにヒフミの理(ヒ=霊(火、ヒ)、フ=風(息、吹く)、ミ=水(生命、身))を重ねたところに特質が認められる。この時代の神道を仮に「原基神道」又は「元神道」と命名する。 

 2005.9.30日、2011.7.21日再編集 れんだいこ拝

【「神道の神前小道具」について】
 神社の祭殿の小道具について確認しておく。まず真榊(まさかき)。一対の真榊が神前に立てられている。両側の檜の棹にはそれぞれ榊の枝葉が付けられる。向かって右に鏡と玉、左に剣が懸けられる。その下には、青、黄、赤、白、紫の5色絹が垂らされる。これを神具と云う。その由来は定かではない。通説は、天照大神が天岩戸にお隠れの時、八百万の神々が集い謀って、天の香具山の榊を運び出し、上枝に勾玉、中枝にハタの鏡、下枝に青和て(あおにぎて)、白和て(しろにぎて)を取りかけたとの故事を引き合いに出すが、当然それ以前の発祥も考えねばならない。

 御鏡。

 勾玉(まがたま)。勾玉の起こりは縄文時代と云われている。狩りの時、獲物を手に入れるとびに、その獲物の歯を一本抜いて穴を開け、それを身に付けて装飾品としたと云う。巴形に湾曲している形は、霊魂を象徴している。玉と魂の音が同じであることにより、特に神聖なものとされている。生命力を魂が象徴し、玉に通じ、勾玉に通じる。歴史的には、縄文時代か弥生時代のいつごろからかは分からないが新潟県糸魚川(いといがわ)産の青色の翡翠(ひすい)の勾玉が全国に出回るようになる。魏志倭人伝には、邪馬台国の台予(とよ)が魏の国へ大型の翡翠の勾玉を2個贈ったことが記されている。当時の秘蔵的宝物であったことが分かる。記紀神話では、天照大神がイザナギの命から授かった「八坂にの勾玉」をスサノウの命との誓約の時に、心の潔白を証明するために用いている。これは、勾玉が、「高天原の王位のシンボル」として扱われていたことを意味している。埴輪(はにわ)の中には、勾玉を身に付けた巫女(みこ)の人物像が多数出土している。神聖な神力のシンボルであったことが判明する。今日の宮中儀式でも、皇位を示す三種の神器の一つに「八坂にの勾玉」が使われている。 

 2005.9.30日 れんだいこ拝

【「農業経済時代の古代日本の信仰」について】
 時代が下りやがて農業経済へと移行する。それと共に、農耕祭祀が取り入れられるようになった。神道は適応し、その頃までに次第に神の概念、神話、祭事法、共同体の掟、倫理観などを形成していった。 従来の日月信仰、海・山・川・草木の自然神信仰に加え、農業・商業・漁業・鍛冶などの生業産業の産土(うぶすな)守護神信仰、智恵の神などの機能神信仰、土地の神や氏族の祖神などを祀る氏神信仰等々多様な信仰を生み出していった。次第にそれぞれの伝統的祭祀法が形成され体系化されるに至った。

 当時の人々は、こうして定められた社を中心に、一種の共同体的な集落を形成し、この集落の中から、人品骨柄に優れた霊能力者をして祭祀を司らしめ、五穀豊穣を願い、作物を収穫すれば神饌として献じ、神恩感謝の祈りを捧げたようである。神の御前では司祭を別格とすれば他の誰でもが平等であり、一切の重要な決定は祭祀によって行われたようでもある。

 春秋2季の祭り(春祭りはその年の実りの祈りと予祝のための、秋祭りは実りへの感謝のための祭り)を恒例とし、その他日照りや風水害、疫病など神の荒ぶるしわざに対する神を和めるための臨時の祭りが行われた。

 現在、初詣をはじめ、 神前結婚式、初宮参り、七五三、成人式、安産祈願、合格祈願など、神社に出掛けて祈願する行事は日本文化の中に定着しているが、神道が日常生活の中に息づいていることを証左している。神道は意識的な宗教行為としてよりも、長い伝統の中で習慣化された無意識的儀礼行為として本領を発揮している。

 この時代にもそれなりの大変革が起っているように見える。つまり、当初の神道においては、単に巨石や巨岩、巨木などの天然物を礼拝対象としていたと思われるが、何時の頃からか神殿(宮)、鳥居、狛犬、神饌、御輿などと云った様式や形式を確立して行くこととなった。但し、これを漸次発展と見做すべきか、異文化の混入による結果の新事象と見做すべきか争点となるところである。

 この時代までを「豪族氏神信仰」と看做すことができる。れんだいこは、この頃までの神道を仮に「古神道」、ないしは「縄文神道」と云うことにする。古神道は、正式には「惟神の道」(かむながらのみち)として認識されねばならない。この「惟神の道」は、人間の第六感に訴えるところの神人交通による神人合一、顕幽一致を前提にしており、その意味で、「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」は、日本神道の真髄を的確に捉えた名言のように思われる。

 付言すれば、明治以降、国家神道が形成され、それらの学者たちの説くところによれば、古神道とは、野蛮かつ無知蒙昧な原始時代の呪術信仰に過ぎなかったとして顧慮しようとしない。しかし、宇宙の万有の神に内在する活きた自然の法則と感応しようとする古神道の奥義のそれは、今の科学とは又違う当時の科学であったとする視点から見直されなければならないのではなかろうか。 

 2005.9.30日 れんだいこ拝

【「禊信仰」について】
 日本神道には独特の「禊祓い信仰」がある。これにより「清め儀式」が伴う。これにより、共同体の秩序の乱れや災い、事故に対処する鎮魂儀式を行う。個人の場合には心身の不浄を除く。或いは死、疫病、出産、月経に伴う危険を浄め。その為の作法は神社によって異なり様々なものになっている。但し、思想としては「浄め」の儀式で共通している。民俗学では、「ケガレ」を「気枯れ」即ちケ(生命力)がカレた状態(枯渇)とし、祭などのハレの儀式でケを回復するという考え方も示されている。日本神話上では、黄泉の国から戻ったイザナギが禊をしている。これは、黄泉の穢れを払う行為であり、その最中に何柱もの神々が誕生している。また、祓われた穢れそのものからも神が誕生している。

 興味深いことは、日本神道に派仏教的な輪廻転生思想が認められないことである。業とか因縁思想もない。西欧のユダヤ―キリスト教的な罪、懺悔的なものもない。代わりにいわば禊祓いで蘇生する浄めがあると思えば良い。宗教思想的に見て、日本神道の方が高度と云えるのではなかろうか。

【「言霊信仰」について】
 日本神道には加えて独特の「言霊信仰」がある。祝詞(のりと)はこれにより生みだされている。

【「日本精神」について】

【「日本古代史との結び付き」について】
 神道を知ることは、日本の古代史に迫ることになる。それは日本人の起源問題にも通底しており「日本肇国(ちょうこく)史」と重なっている。それが為に、日本の歴史を知ることは同時に日本神道の本質を説き明かすことにもなる。













(私論.私見)