万葉集巻1



 (最新見直し2011.8.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、万葉集巻1について確認しておく。「訓読万葉集 巻1 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―」その他を参照する。

 2011.8.28日 れんだいこ拝


【雄略天皇】
 巻1(1)。万葉集の巻頭を飾るの御製歌。この歌は長歌になっている。長歌とは、5、7、5、7、5、7…と適当な長さで続けていき、最後を7、7で締める歌のことを云う。
 泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に(あめ)の下しろしめしし天皇(すめらみこと)(みよ)
原文  篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居  師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母
和訳  籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(つ)ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも
現代文  籠(かご)よ 美しい籠を持ち 箆(ヘラ)よ 美しい箆を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ 君はどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? この、そらみつ大和の国は、すべて僕が治めているんだよ 僕こそ名乗ろう 家柄も名も

【舒明(じょめい)天皇】
 巻1(2)。万葉集巻一の二番目に収録されている、舒明(じょめい)天皇の香具山に登りまして望國(くにみ)したまへる時にみよみませる国見の御製歌(おほみうた)
 高市の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代
原文  山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者
和訳  大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は 
現代文  大和には多くの山があるけれど とりわけ立派な天の香具山 その頂に登って大和の国を見渡せば 土地からはご飯を炊く煙がたくさん立っているよ 池には水鳥たちがたくさん飛び交っているよ ほんとうに美しい国だ この蜻蛉島大和の国は

 天の香具山(あまのかぐやま)は大和三山の一つに数えられ、現在では香久山とも書く。その昔、天から降りてきた山ともいわれる大和で最も格式の高い山である。

【中皇命(なかすめらのみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)】
 巻1(3)。
 天皇の、宇智(うち)の野に遊猟(みかり)しましし時に、中皇命(なかすめらのみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして献(たてまつ)らしめたまへる歌。
原文  八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃  梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執<能> <梓>弓之 奈加弭乃 音為奈里
和訳  やすみしし わご大君(おおきみ)の 朝(あした)には とり撫でたまひ 夕(ゆふへ)には い縁(よ)せ立たしし 御執(みと)らしの 梓(あずさ)の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり 朝猟(あさかり)に 今立たすらし 暮猟(ゆふかり)に 今立たすらし 御執(みと)らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり
現代文  わが天皇が朝には手に取ってお撫でになり、夕方にはお取り寄せになって立たれるご愛用の梓の弓の中弭に響く音が聴こえてくるようです。朝猟りにいま立たれたようです。夕猟りにいま立たれたようです。ご愛用の梓の弓の中弭の響きが聴こえてきます。

 この歌の大君は舒明天皇。この長歌は舒明天皇が宇智の野で猟りをされていたとき、中皇女の間人老をして献上した歌ということになっている。つまり中皇女の間人老はこの猟りの場所にはいなくて、他の場所(飛鳥の宮?)から宇智で猟りをする天皇のことを詠ったことになる。中皇女、間人老については同じ人物のことを指すのかまたは二人の人物なのかなどはっきりとしたことは分かっていないが、中皇命とは次の天皇の中継ぎとして立つ皇女という意味で皇后か皇女のことになり、ひとりの人物と解釈するなら中大兄皇子の娘の間人皇女あたりかとも言われている。

【中皇命(なかすめらのみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)】
 巻1(4)。
 3歌の(かえ)し歌。
原文  玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
和訳  玉きはる 宇智の大野(おほの)に 馬並(な)めて 朝踏ますらむ その草深野(くさふかの)
現代文  魂の極まる命)宇智の広々とした野に馬を連ねて朝に踏んでおられるでしょう、その草深い野を

 この歌は先の巻1(3)の歌につけられた反歌。作者はおそらく長歌と同じく中皇女の間人老。「たまきわる」は宇智にかかる枕詞で「魂の極まる命(うち)」といった意味を持つ。現代語訳してしまっては単純な一首であるが、この歌に込められた深い「想い」を感じ取ることができる。

【】
 巻1(5)。
 幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌(讃岐國安益郡(あやのこほり)(いでま)せる時、軍王(いくさのおほきみ)の山を見てよみたまへる歌)
原文  霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨<座> 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有 我母草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之  焼塩乃 念曽所焼 吾下情
和訳  霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣()け居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越す風の 独り居る 我が衣手(ころもて)に 朝夕に 返らひぬれば 大夫(ますらを)と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子(あまをとめ)らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下情(したごころ)
現代文

【】
 巻1(6)。
 5歌の(かえ)し歌。
原文  山越乃 風乎時自見 寐<夜>不落 家在妹乎 懸而小竹櫃
和訳  山越しの 風を時じみ 寝(ぬ)る夜おちず 家なる妹を 懸けて偲(しの)ひつ
現代文

【】
 巻1(7)。明日香川原宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇] / 額田王歌 [未詳]
 明日香の川原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
原文  金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
和訳  秋の野の み草刈り葺き 宿れりし宇治の 宮処の仮廬(かりいほ)し思ほゆ
現代文

【】
 巻1(8)。後岡本宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇位後即位後岡本宮]
 後の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代(額田王歌)
原文  熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
和訳  熟田津(にきたづ)に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
現代文

【】
 巻1(9)。幸于紀温泉之時額田王作歌
 紀の温泉()に幸せる時、額田王のよみたまへる歌
原文  莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
和訳  莫囂円隣之大相七兄爪謁気(三諸(みもろ)の山見つつゆけ) 我が背子がい立たしけむ 厳橿(いつかし)が本
現代文

【】
 巻1(10)。中皇命徃于紀温泉之時御歌
 中皇命の紀の温泉に(いま)せる時の御歌
原文  君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
和訳  君が代も 我が代も知るや 磐代(いわしろ)の 岡の草根を いざ結びてな
現代文

【】
 巻1(11)。中皇命徃于紀温泉之時御歌
 中皇命の紀の温泉に(いま)せる時の御歌
原文  吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核
和訳  我が背子は 仮廬作らす 草なくは 小松が下(もと)の 草(かや)を刈らさね
現代文

【】
 巻1(12)。中皇命徃于紀温泉之時御歌
 中皇命の紀の温泉に(いま)せる時の御歌
原文  吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾 [或頭云 吾欲 子嶋羽見遠]
和訳  我が欲りし 野島は見せつ 底深き阿胡根(あこね)の浦の 玉ぞ拾はぬ [或頭云 我が欲りし子島は見しを]
現代文

【中皇命(なかすめらのみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)】
 巻1(13)。中大兄皇子(なかつおほえのみこ)〔近江宮に天の下知らしめしし天皇〕の三山(みやま)の歌
 中大兄(なかちおほえ)三山(みつやま)の御歌
原文  高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相<挌>良思吉
和訳  香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき 神世(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ 現身(うつせみ)も 嬬(つま)を あらそふらしき
現代文  香具山は 畝傍山を妻にしようとして 耳梨山と争ったそうだよ 神代からそうであったらしいよ 昔からそうだったから いまでも畝傍山を妻にしようと 耳梨山と争ってるんだってさ

 中大兄皇子(なかつおほえのみこ)は後の天智天皇のこと。この長歌は大和三山(やまとさんざん)といわれる三つの山、天の香久山(あまのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)の伝説を詠ったものです。大和三山は藤原京を囲むように三角形の位置に並んでいる。まさに三角関係。

【中皇命(なかすめらのみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)】
 巻1(14)。中大兄皇子(なかつおほえのみこ)の三山の歌、巻一(十三)に付けられた反歌のうちのひとつ。
 13歌の返し歌。
和訳  香具山と耳梨山(みみなしやま)とあひし時 立ちて見に来し 印南国原(いなみくにはら)
現代文  香具山と耳梨山が争ったとき それを止めようと阿菩(あぼ)の大神が 印南国原まで来たんだってさ

【中皇命(なかすめらのみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)】
 巻1(15)。こちらも中大兄皇子(なかつおほえのみこ)の三山の歌、巻一(十三)に付けられた反歌のうちのひとつ。
和訳  綿津見(わたつみ)の 豊旗雲(とよはたぐも)に入日射(さ)し 今夜(こよひ)の月夜(つくよ) さやけかりけり(よく照りこそ)
現代文  海の上をたなびく雲に夕日が射して輝いている うん 今宵の月は清らかであってほしいものだなあ

【額田王(ぬかだのおおきみ)】
 巻1(16)。天皇の、内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に勅(みことのり)して、春山の万花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千葉(せんえふ)の彩(いろどり)とを競(きそ)わしめたまひし時に、額田王の、歌を以(うた)ちて判(ことわ)れる歌。天智天皇(中大兄皇子)が藤原鎌足(中臣鎌子)に勅し、春山の花の咲きほこる様と秋山の彩とを競わせたとき額田王(ぬかたのおほきみ)が答えて詠った歌
 近江の大津の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 冬ごもり 春さり来(く)れば 鳴かざりし 鳥も来鳴(きな)きぬ 咲(さ)かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入りても取らず(聴かず) 草深み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみじ)をば 取りてそ偲(しの)ふ 青きをば 置きてそ歎(なげ)く そこし恨(うら)めし 秋山われは
 冬が過ぎて春になると いままで鳴かなかった鳥も来て鳴きます 咲かなかった花も咲きます でも山は茂りあっていて入って手にも取れないですよね 草も深く手折って見ることも出来ないですよね 一方 秋の山は木の葉を見るに付け 黄葉を手に取っては賞賛し まだ青いまま落ちてしまった葉を手に取って また地面に置いては歎いてしまいます そんな一喜一憂する 心ときめく秋山こそ 私は好きです

 春と秋のどちらがよいかを競わせるお話は源氏物語にも出てくるが、はるか万葉集の昔からあったことになる。額田王は最初春を称えておきながら最後に秋を選んでいる。額田王(ぬかたのおほきみ)は女性で、はじめ中大兄皇子(なかつおほへのみこ、後の天智天皇)の弟の大海人皇子(おほしあまのみこ、後の天武天皇)の妻で一女を生んでいるが、後に天智天皇の妻になっている。

【額田王(ぬかだのおおきみ)】
 巻1(17)。額田王の近江国(おふみのくに)に下りし時に作れる歌、井戸王(ゐのへのわふきみ)のすなはち和(こた)へたる歌。この歌は天智天皇が都を近江に移すときに、住み慣れた大和の都を離れ、いままで自分たちを護ってくれていた三輪山のご加護からも離れていく寂しさと不安を、額田王(ぬかたのおほきみ)が詠ったものと言われている。
 額田王の近江國に下りたまへる時よみたまへる歌
 味酒(うまさけ) 三輪(みわ)の山 青丹(あをに)よし 奈良の山の 山際(ま)に い隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積(つ)もるまでに つばらにも(かに) 見つつ行かむを しばしばも 見放(さ)けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや
 味酒の三輪の山を 青土の美しい奈良の山々の間に 隠れてしまうまで何度でも 道の曲がり角ごとにしみじみと 振り返って見てゆこうと思っているこの山を 心なくも雲よどうか隠さないでいてね

 大和盆地の東にひっそりと鎮座する三輪山。神秘的な風貌の三輪山は、大名主(おほなのぬし)と呼ばれる白蛇が住む山として古事記にも有名。ご神体はなく山全体が神仏として崇められている。額田王は、三輪山に対して、土地を離れてもどうかこれからも見護っていてほしいとの祈りの言葉を捧げている。

【額田王(ぬかだのおおきみ)】
 巻1(18)。先の額田王の長歌に付けられた反歌です。この歌も作者は額田王。
 返し歌。
 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなむ 隠さふべしや
 三輪山をどうしてこのように隠すのですか せめて雲だけでも心あってほしいものです 隠さないでいてくださいね

 大和盆地の東にひっそりと鎮座する三輪山。神秘的な風貌の三輪山は、大名主(おほなのぬし)と呼ばれる白蛇が住む山として古事記にも有名。ご神体はなく山全体が神仏として崇められている。額田王は、三輪山に対して、土地を離れてもどうかこれからも見護っていてほしいとの祈りの言葉を捧げている。

【額田王(ぬかだのおおきみ)】
 巻1(19)。天皇の蒲生野(かまふぬ)遊猟(みかり)したまへる時、額田王のよみたまへる歌
 井戸王(ゐとのおほきみ)の即ち(こた)へたまへる歌
 綜麻形(へそがた)の 林の(さき)の さ野榛(ぬはり)の 衣に付くなす 目につく我が()

【額田王(ぬかだのおおきみ)】
 巻1(20)。天皇の、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌。
 あかねさす 紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
 茜色の あの紫草の野を行き その御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら ああ あなたそんなに袖を振ふらないでよ

【額田王(ぬかだのおおきみ)】
 巻1(21)。皇太子の答へませる御歌〔明日香宮に天の下知らしめしし天皇、謚(おくりな)して天武天皇にといふ〕
 額田王の「あかねさす…」の歌に答えて大海人皇子(おほしあまのみこ 後の天武天皇)が詠んだ歌。
 紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
 紫草のように香れる君がもし憎かったなら いまは兄の妻の君を どうして恋い慕うことがあるものか

 この歌は先に紹介した

吹黄刀自(ふきのとじ)
 巻1(22)。十市皇女(とほちのひめみこ)の伊勢の神宮(おほみがみのみや)参赴(まゐで)たまへる時、波多の横山の(いはほ)を見て、吹黄刀自(ふきのとじ)がよめる歌
 明日香の清御原(きよみはら)の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 河の()の ゆつ磐群に草むさず 常にもがもな 常處女(とこをとめ)にて 

 巻1(23)。
 麻續王(をみのおほきみ)の伊勢國伊良虞(いらご)の島に(はなた)へたまひし時、()の人の哀傷(かなし)みよめる歌
 打つ麻(そ)を麻続の 王海人(をみのおほきみあま)なれや 伊良虞(いらご)の島の 玉藻刈(たまもか)ります
 打った麻を績(う)む麻海人(をみのおほきみ)は海人なのかな いやいやそんなはずはないのに 伊良碁(いらご)の島の玉藻をわびしく刈ってらっしゃるよ

 麻続王(をみのおほきみ)は伝承不詳の人物で、罪があって稲葉の国に配流になったと云われている。その麻続王の流離譚をモチーフに、誰かによって詠われたもののひとつと思われる。「打つ麻を」は「打って柔らかくした麻」から「麻」を引き出す枕詞。

 巻1(24)。
 麻続王これを聞きて感傷して和(こた)へたる歌。
 うつせみの 命を惜しみ 浪にぬれ 伊良虞の島の 玉藻刈りをす(()む)
 儚いこの命を惜しみ 浪にぬれてはわたくしは 伊良虞の島のこの玉藻を刈り そして食べているのです

 「うつせみの」は「命」を引き出す枕詞。

 巻1(25)。天武天皇(かつての大海人皇子)の作で、壬申(じんしん)の乱に関係する物語歌といわれている長歌。
 天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
 み吉野の 耳我(みみが)の峰に 時なくそ 雪は降りける 間(ま)なくそ 雨は零(ふ)りける その雪の 時なきが如(ごと) その雨の 間なきが如 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来(こ)し その山道を
 吉野の耳我の山には 時知れず雪が降るという 絶え間なく雨が降るという その雪や雨の絶え間ないように 道を曲がるたびに 物思いを重ねながら その山道を辿ってきたことだよ

 壬申の乱とは、六七二年、皇位継承を巡って、大海人皇子が吉野に隠棲し、その後、兄の天智天皇の子である弘文天皇(大友皇子)の近江朝廷を倒して、天武天皇となるまでの戦い。額田王の「味酒 三輪の山…」のところで紹介したように、天智天皇によって近江に遷された都が、この壬申の乱のあと再び奈良の大和に戻される。天武天皇が自分がまだ大海人皇子(おほしあまのみこ)だったころ、皇位継承を巡る争いの中で近江を去り、奈良の吉野にこもる道中を回想して詠ったものといわれている。耳我の峰とは吉野の金峯山のことか。その峯に絶え間なく降るといわれる雪や雨のように、曲がり角ごとに絶え間なく物思いをしながらその山道を来たという。後に兄の子である弘文天皇の近江朝廷に反乱を起こすことにもつながる隠棲の道中なわけなので、胸中の複雑さが知られる。

 巻1(26)。
 或ル(マキ)ノ歌
 み吉野の 耳我の山に 時じくそ 雪は降るちふ 間なくそ 雨は降るちふ その雪の 時じくがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を

天皇の吉野の宮に幸せる時にみよみませる御製歌(おほみうた)
 巻1(27)。天武天皇の吉野の宮に幸(いでま)しし時の御製歌(おほみうた)。
 よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ
 昔のりっぱな人が、よき所としてよく見て「よし(の)」と名付けたこの吉野。りっぱな人である君たちもこの吉野をよく見るがいい。昔のりっぱな人もよく見たことだよ

 巻1(28)。百人一首にも取られている持統天皇(女性の天皇です)の有名な一首、持統天皇の御製歌(おほみうた)。
 藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 春過ぎて 夏来(きた)るらし白妙(しろたへ)の 衣乾(ころもほ)したり 天(あま)の香具山(かぐやま)
 春も終わり夏がやってきたようですね 天の香具山に(神祭りの)純白の衣が乾されているのが見えますよ

 百人一首や新古今和歌集では「春過ぎて夏来(き)にけらし白妙(しろたへ)の衣乾(ころもほ)すてふ天(あま)の香具山」となっているが、これは平安時代の歌の好みに合わせて詠い変えられたもの。

 巻1(29)。
 近江の荒れたる都を()く時、柿本朝臣人麿がよめる歌
 玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原の ひしりの御代よ ()れましし 神のことごと (つが)の木の いや継ぎ嗣ぎに 天の下 知ろしめししを そらみつ 大和を置きて 青丹よし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか 天離(あまざか)る (ひな)にはあらねど* 石走(いはばし)る 淡海(あふみ)の國の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ 天皇(すめろぎ)の 神の(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 霞立つ 春日か()れる 夏草か 繁くなりぬる ももしきの 大宮處(おほみやどころ) 見れば悲しも

 巻1(30)。返し歌。
 
 楽浪の 志賀の辛崎(からさき) 幸(さき)くあれど 大宮(ひと)の 船待ちかねつ

 巻1(31)。返し歌。
 
 楽浪の 志賀の大曲(おほわだ) 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも

 巻1(32)。高市古人(たけちのふるひと)の近江の旧堵(きゅうと)を感傷して作れる歌〔或る書に云はく、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)といへり〕
高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が近江の(みやこ)()れたるを感傷しみよめる歌
 古(いにしへ)の 人にわれあれや ささなみの 古(ふる)き京(みやこ)を 見れば悲しき
 古い時代の人間だからか私は、楽浪の近江の旧都を見ると心がいたむことだよ。

 天武天皇の壬申(じんしん)の乱によって近江朝廷は敗れ、都は再び大和の飛鳥地方(奈良県)に戻される。この歌はその後に古びてしまった近江の都へ立ち寄った高市古人が、繁栄していた昔の近江を思い出し感傷にふけり詠んだものとみなされている。

 巻1(33)。
 ささなみの 国つ御神の 心(うら)さびて 荒れたる京(みやこ) 見れば悲しも
 楽浪の地の神の御心も衰えて、荒廃に帰してしまったこの都を見ると、ほんとうに悲しいことだなあ。

 この歌も先の歌と同じく、力を失い衰退してしまった都の地霊を慰める鎮魂歌のようなもの。

 巻1(34)。
 白波の 浜松が枝の 手向(たむけ)ぐさ 幾代まてにか 年の経ぬらむ

 巻1(35)。背の山を越えし時に、阿閉皇女(あへのひめみこ)の作りたませる御歌。阿閉皇女(あへのひめみこ)は草壁皇子の妻。この歌は夫を亡くした翌年に紀州(和歌山)を訪れたさいに詠まれたものといわれている。
 勢()の山を越えたまふ時、阿閇皇女(あべのひめみこ)のよみませる御歌
 これやこの 大和(やまと)にしては わが恋ふる 紀路(き)にありといふ 名に負(お)ふ背(せ)の山
 紀州路にあると聞いてかねて大和で心ひかれていた背の山。ああ、これこそその名にそむかぬ背の山だわ。

 巻1(36)。
 吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌
 やすみしし 我が大王(おほきみ)の きこしをす 天の下に 國はしも (さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と 御心を 吉野の國の 花散らふ 秋津の野辺に( ) 宮柱 太敷き()せば ももしきの 大宮人は 船()めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし( ) 落ち(たぎ)つ 滝の宮處(みやこ)は 見れど飽かぬかも

 巻1(37)。

 反し歌
 見れど飽かぬ 吉野の川の常滑(とこなめ)の 絶ゆることなく また還り見むや

 巻1(37)。背の山を越えし時に、阿閉皇女(あへのひめみこ)の作りたませる御歌。阿閉皇女(あへのひめみこ)は草壁皇子の妻。この歌は夫を亡くした翌年に紀州(和歌山)を訪れたさいに詠まれたものといわれている。
 勢()の山を越えたまふ時、阿閇皇女(あべのひめみこ)のよみませる御歌
 これやこの 大和(やまと)にしては わが恋ふる 紀路(き)にありといふ 名に負(お)ふ背(せ)の山
 紀州路にあると聞いてかねて大和で心ひかれていた背の山。ああ、これこそその名にそむかぬ背の山だわ。

 巻1(38)。この歌は持統天皇が吉野の宮に行幸したとき、同行した柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が詠んだものだといわれている。
 やすみしし わご大君(おほきみ)  神ながら 神さびせすと 吉野川 激(たぎ)つ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳(たたな)はる 青垣山(あおがきやま) 山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみじ)かざせり 逝(ゆ)き副(そ)ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕(つか)へ奉(まつ)ると 上(かみ)つ瀬に 鵜川(うかわ)を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も 依(よ)りて仕ふる 神の御代かも
 わが天皇が、神そのものとして、神々しくおられるとして、吉野川の流れ激しい河内に、見事な宮殿を高くお作りになり、そこに登り立って国土をご覧になると、何層にも重なる青い垣根のごとき山では、山の神が天皇に奉る貢ぎ物として、大宮人らは春には花を挿頭(かざし)に持ち、秋になると紅葉を頭に挿しているよ。
宮殿をめぐって流れる川の神も、天皇の食膳に奉仕するというので、大宮人らは上流には鵜飼いを催し、下流には網を渡して魚を捕っているよ。
ほんとうに、山も川もこぞってお仕えする神たる天皇の御代だなあ。

 持統天皇(ぢとうてんわう)は天武天皇(てんむてんわう)の妻で、天武天皇が亡くなった後即位する。ほんとうは持統天皇は自分の子である草壁皇子(くさかべのみこ)を天皇にしたかったようで、姉の子である大津皇子を謀殺したりと無益な血も流したようですが、結局、草壁皇子は病弱で即位できずに亡くなってしまったため、持統天皇が即位することになりました。

 宮廷歌人・柿本人麿(かきのもとのひとまろ)の歌はこれが万葉集の中で一番最初に出てくる歌である。

 巻1(39)。この歌は先に紹介した巻一(三十八)の柿本朝臣人麿の長歌に付けられた反歌。
 返し歌。
 山川も 依(よ)りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せすかも
 山の神も川の神も一丸となって仕え従う現人神(あらひとがみ)の天皇は、神そのものとして、いま激流ほとばしる河内に船出されようとしておられるよ

柿本朝臣人麿が(みやこ)に留りてよめる。
 巻1(40)。
 伊勢國に幸せる時の歌
 嗚呼児(あご)の浦に (ふな)乗りすらむ 乙女らが 珠裳の裾に 潮満つらむか

柿本朝臣人麿が(みやこ)に留りてよめる。
 巻1(41)。
 (くしろ)() 答志(たふし)の崎に 今もかも 大宮人の 玉藻苅るらむ

柿本朝臣人麿が(みやこ)に留りてよめる。
 巻1(42)。
 潮騒に 伊良虞の島() 榜ぐ船に 妹乗るらむか 荒き島廻(しまみ)

 巻1(43)。當麻真人麿(たぎまのまひとまろ)の妻が旅に出た夫を案じて詠んだ一首。
 わが背子は 何処(いづく)行くらむ 奥(おき)つ藻(も)の 隠(なばり)の山を 今日か越ゆらむ
 私の夫はどのあたりを旅しているかな。きっと遠い彼方の隠の山を今ごろは越えているころでしょう。

 隠(なばり)は今の三重県名張市。

 巻1(44)。石上(いそのかみ)大臣(おほまへつきみ)従駕(おほみとも)つかへまつりてよめる。
 吾妹子(わぎもこ)を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 國遠みかも

 巻1(45)。軽皇子(かるのみこ)の阿騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麿の作れる長歌。
 やすみしし わご大君(おほきみ) 高照らす(ひかる) 日の御子(みこ) 神ながら 神さびせすと 太敷(ふとし)かす 京(みやこ)を置きて 隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒山道(あらやまみち)を 石(いわ)が根 禁樹(さへき)おしなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さりくれば み雪降る 阿騎(あき)の大野に 旗薄(はたすすき) 小竹(しの)をおしなべ 草枕 旅宿(たびやど)りせす 古(いにしへ)思ひて(ほして)
 阿騎(あき)の野に宿る旅人打ち靡(なびき)き眠(い)も寝(ぬ)らめやも古思(いにしへおも)ふに
 ま草(くさ)刈る荒野にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見(かたみ)とそ来(こ)し
 東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
 日並皇子(ひなみしのみこ)の命(みこと)の馬並(な)めて御猟(みかり)立たせし時は来向かふ
 わが大君、高く輝く日の御子、皇子は神そのものとして神々しく、立派に君臨されている京(みやこ)を後にして、隠(こも)り国の泊瀬(はつせ)の山の真木(まき)が茂り立つ荒々しい山道を、岩や木々を押し分けて坂鳥の鳴く朝にお越えになり、玉の輝くような夕暮れになると、雪の降る阿騎の大野に旗薄や小竹を押しのけて、草を枕の旅宿りをされている。懐かしき父の想い出を胸に。

 軽皇子(かるのみこ)は草壁皇子(くさかべのみこ)の子。

 巻1(46)。この歌は先の巻一(四十五)の柿本朝臣人麿の長歌につけられた人麿自身作による四首の反歌のうちのひとつ。
 阿騎(あき)の野に 宿る旅人 打ち靡(なびき)き 眠(い)も寝(ぬ)らめやも 古思(いにしへおも)ふに
 阿騎の野で夜を過ごす旅人は、心しずかに寝入ることが出来るだろうか。いや、出来はしないよ、これほど昔のことが思い出されるというのに。
 

 巻1(47)。この歌も巻一(四十五)の柿本朝臣人麿の長歌につけられた人麿自身作による四首の反歌のうちのひとつ。
 ま草(くさ)刈る 荒野にはあれど 黄葉(もみちば)の 過ぎにし君が 形見(かたみ)とそ来(こ)し
 騎の野は草を刈るしかない荒野だけれど、黄葉のように去っていった君の形見としてまたやって来たんだよ。
 

 巻1(48)。この歌も巻一(四十五)の柿本朝臣人麿の長歌につけられた人麿自身作による四首の反歌のうちのひとつ。
 東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ
 東の野の果てに曙光がさしそめて、振り返ると西の空には低く下弦の月が見えている。
 

 巻1(49)。この歌は巻一(四十五)の柿本朝臣人麿の長歌につけられた人麿自身作による四首の反歌のうちの最後の一首。
 日並皇子(ひなみしのみこ)の 命(みこと)の馬並(な)めて 御猟(みかり)立たせし時は 来向かふ
 日並皇子の命が馬を連ねて出猟なさったあの暁の時刻が、今日もやって来るのだ。

 日並皇子とは草壁皇子のことで、太陽と並ぶ皇子という皇太子の意味。その日並皇子(草壁皇子)が馬を並べて出猟されたかつての時刻がもうすぐやって来る…そして同じように今度はその子である軽皇子が出猟するのだと詠っているわけです。なんとも連作の最後を締めるに相応しい見事な一首ですが、もちろんこの歌も単なる過去を想い出している感傷歌の類のものではありません。

 巻1(50)。
 藤原の宮(つく)りに()てる民のよめる歌
 やすみしし 我が大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ) 荒布(あらたへ)の 藤原が上に ()す國を ()したまはむと 都宮(おほみや)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに 天地(あめつち)も 依りてあれこそ 石走る 淡海(あふみ)の國の 衣手の 田上(たなかみ)山の 真木さく ()のつまてを 物部(もののふ)の 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らに 鴨じもの 水に浮き居て ()が作る 日の御門に 知らぬ國 依り巨勢道(こせぢ)より 我が國は 常世にならむ (ふみ)負へる (あや)しき亀も 新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまてを (もも)足らず 筏に作り (のぼ)すらむ (いそ)はく見れば 神ながらならし
 

 巻1(51)。この歌は志貴皇子(しきのみこ)の作で、非常に有名な一首の一つ。
 明日香の宮より藤原の宮に遷り()しし後、志貴皇子のよみませる御歌
 采女(うねめ)の袖 吹きかえす 明日香風(あすかかぜ) 都を遠み いたづらに吹く
 采女の袖を明日香の風が吹きかえしているよ。いまはもう京も遠くなりむなしく吹くことだなあ。

 志貴皇子は天智天皇の子。壬申の乱で大海人皇子が勝利し、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位したのち、京は藤原京へと遷された。この歌は京が遷されたのち、志貴皇子がかつての宮だった明日香を訪れて詠んだもの。

 巻1(52)。
 やすみしし 我ご大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ) 荒布の 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始めたまひて 埴安(はにやす)の 堤の上に あり立たし ()したまへば 大和の 青香具山は 日の(たて)の 大御門に 青山と ()みさび立てり 畝傍の この瑞山(みづやま)は 日の(よこ)の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山(あをすがやま)は 背面(そとも)の 大御門に よろしなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影面(かげとも)の 大御門よ 雲居にそ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御影の 水こそは 常磐(ときは)に有らめ 御井のま清水
 

 0053 藤原の大宮仕へ()()くや處女が共は(とも)しきろかも
 巻1(53)。 
 明日香の宮より藤原の宮に遷り()しし後、志貴皇子のよみませる御歌
 采女(うねめ)の袖 吹きかえす 明日香風(あすかかぜ) 都を遠み いたづらに吹く
 采女の袖を明日香の風が吹きかえしているよ。いまはもう京も遠くなりむなしく吹くことだなあ。

 巻1(54)。この歌は坂門人足(さかとのひとたり)の作で、大宝元年(701年)の秋、持統天皇が文武天皇とともに紀伊国の「紀の牟婁(むろ)の湯」(白浜温泉)に行幸したとき、同行した坂門人足が詠んだ歌。
 坂門人足(さかどのひとたり)。或ル本ノ歌、
 巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな 巨勢の春野を
 巨勢山のつらつら椿を、その名のようにつらつら見ては賛美したいものだなあ。巨勢の春の野を。

 巻1(55)。この歌は先に紹介した巻一(五十四)の歌とおなじく持統天皇が文武天皇とともに紀伊国の「紀の牟婁(むろ)の湯」(白浜温泉)に行幸したとき、調首淡海(つぎのおびとあふみ)が詠んだ作といわれている。
 太上天皇の紀伊國に幸せる時、調首淡海(つきのおびとあふみ)がよめる歌
 あさもよし 紀人羨(きひとともし)しも 亦打山(まうちやま) 行き来(く)と見らむ 紀人羨しも
 麻の裳もよい紀の国の人は羨しいものだなあ。真土山を行き帰りに見れる紀の国の人は、ほんとに羨しものだ。

 巻1(56)。
 春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)
 河上の 列列椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は

 巻1(57)。
 二年(ふたとせといふとし)壬寅(みづのえとら)、太上天皇の参河國に幸せる時の歌。長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)
 引馬野(ひくまぬ)に にほふ榛原 入り乱り 衣にほはせ 旅のしるしに

 巻1(58)。
 高市連黒人
 いづくにか 船泊てすらむ 安禮(あれ)の崎 榜ぎ()み行きし 棚無小舟(たななしをぶね)

 巻1(59)。
 譽謝女王(よさのおほきみ)
 流らふる 雪吹く風の *寒き夜に 我が()の君は ひとりか()らむ

 巻1(60)。
 長皇子(ながのみこ)
 宵に逢ひて (あした)面無み 隠(なばり)にか ()長き妹が 廬りせりけむ














(私論.私見)



0061 大夫(ますらを)幸矢(さつや)()挟み立ち向ひ射る圓方(まとかた)は見るに(さや)けし



右の一首は、舎人娘子(とねりのいらつめ)従駕(おほみとも)つかへまつりてよめる。




三野連が(もろこし)(つか)はさるる時、春日蔵首老がよめる歌



0062 大船(おほぶね)の対馬の渡り海中(わたなか)(ぬさ)取り向けて早帰り来ね




山上臣憶良(やまのへのおみおくら)が、大唐(もろこし)に在りし時、本郷(くに)(しぬ)ひてよめる歌



0063 いざ子ども早日本辺(やまとへ)に大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ




慶雲(きやううむ)三年(みとせといふとし)丙午(ひのえうま)、難波の宮に幸せる時の歌



0064 葦辺(あしへ)ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ



右の一首は、志貴皇子。



0065 霰打ち安良禮(あられ)松原住吉(すみのえ)弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも



右の一首は、長皇子




太上天皇(おほきすめらみこと)の難波の宮に幸せる時の歌*



0066 大伴の高師の浜の松が根を()きて()る夜は家し偲はゆ



右の一首は、置始東人(おきそめのあづまひと)



0067 旅にして物(こほ)しきに家語(いへごと)も聞こえざりせば恋ひて死なまし



右の一首は、高安大島。



0068 大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや



右の一首は、身人部王(むとべのおほきみ)



0069 草枕旅行く君と知らませば岸の黄土(はにふ)に匂はさましを



右の一首は、清江娘子(すみのえのをとめ)が、長皇子に(たてまつ)れる歌。姓氏ハ詳カナラズ。




大宝(だいはう)元年(はじめのとし)辛丑(かのとうし)、太上天皇の吉野の宮に幸せる時の歌



0070 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥(きさ)の中山呼びそ越ゆなる



右の一首は、高市連黒人。





大行天皇(さきのすめらみこと)の難波の宮に幸せる時の歌



0071 大和恋ひ()()らえぬに心なくこの()の崎に(たづ)鳴くべしや



右の一首は、忍坂部乙麻呂(おさかべのおとまろ)



0072 玉藻刈る沖へは榜がじ敷布(しきたへ)の枕の(ほとり)忘れかねつも



右の一首は、式部卿(のりのつかさのかみ)藤原宇合



0073 我妹子を早見浜風大和なる()を松の樹に吹かざるなゆめ



右の一首は、長皇子。




大行天皇の吉野の宮に幸せる時の歌



0074 み吉野の山の荒風(あらし)の寒けくにはたや今宵も()が独り寝む



右の一首は、或るひとの云はく、天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)



0075 宇治間山(うぢまやま)朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに



右の一首は、長屋王




寧樂(なら)の宮に天の下知ろしめしし天皇の代*






和銅元年(はじめのとし)戊申(つちのえさる)天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)



0076 大夫(ますらを)(とも)の音すなり物部(もののふ)大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも




御名部皇女(みなべのひめみこ)(こた)へ奉れる御歌



0077 吾が大王(おほきみ)ものな思ほし皇神(すめかみ)の嗣ぎて賜へる君なけなくに




三年庚戌(かのえいぬ)春三月(やよひ)藤原の宮より寧樂の宮に遷りませる時、長屋の原に御輿(みこし)(とど)めて古郷(ふるさと)廻望(かへりみ)したまひてよみませる(みうた) 一書ニ云ク、飛鳥宮ヨリ藤原宮ニ遷リマセル時、*太上天皇御製ミマセリ



0078 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ




藤原の京より寧樂の宮に遷りませる時の歌



0079 天皇(おほきみ)の 御命(みこと)(かしこ)み (にき)びにし 家を置き
   隠國(こもりく)の 泊瀬の川に 船浮けて ()が行く河の
   川(くま)の 八十隈(やそくま)おちず (よろづ)たび かへり見しつつ
   玉ほこの 道行き暮らし 青丹よし 奈良の都の
   佐保川に い行き至りて ()が寝たる 衣の上よ
   朝月夜(づくよ) さやかに見れば (たへ)の穂に 夜の霜降り
   磐床と 川の()(こほ)り ()ゆる夜を (やす)むことなく
   通ひつつ 作れる家に 千代まてに ()まさむ君と (あれ)も通はむ




反し歌



0080 青丹よし寧樂の家には万代に(あれ)も通はむ忘ると()ふな



右の歌は、作主(よみひと)未詳(しらず)




五年(いつとせといふとし)壬子(みづのえね)夏四月(うづき)長田王(ながたのおほきみ)を伊勢の斎宮(いつきのみや)に遣はさるる時、山辺の御井にてよめる歌



0081 山辺(やまへ)の御井を見がてり神風(かむかぜ)の伊勢處女(をとめ)ども相見つるかも



0082 うらさぶる心さまねし久かたの天のしぐれの流らふ見れば( )



0083 (わた)の底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む



右ノ二首ハ、今(カムガ)フルニ御井ノ所ノ作ニ似ズ。若疑(ケダシ)当時誦セル古歌カ。




長皇子と、志貴皇子と、佐紀の宮にて倶宴(うたげ)したまふときの歌



0084 秋さらば今も見るごと妻恋に鹿()鳴かむ山そ高野原の上



右の一首は、長皇子。