ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)29



 (最新見直し2009.3.7日)

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【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)29、タケヒト (神武)大和討ちの紋】
 タケヒト・大和討ち、神武東征

たけひとやまとうちあや     タケヒト 大和討ちの文
かんやまと いはわれひこの    カンヤマト     イハワレヒコ
すへらきは みをやあまきみ    皇は        御祖天君
よつみこ ははたまより    四つの御子     母はタマヨリ
あにみやの ゐつせたかの    兄宮の       ヰツセ多賀の
をきみなり みをやあまきみ    央君なり      御祖天君
つくしたす とせをさめて    筑紫 治す      十年 治めて
ひたるとき あまきみお    ひたる時      天君の璽を
たけひとに さつけあひらの    タケヒトに     授け アヒラ
かみなる きみみやさきに    神となる      君 宮崎
たねこと まつりとるゆえ    タネコ等と     政 執る故
しつかなり かくやまとみ    静かなり      カグヤマの臣ニギハヤヒ)
なかすねか ままふるえは    ナガスネが     儘に奮えば
さはかしく はらのをきみは    騒がしく      ハラの央君
かてととむ かれになかすね    糧 止む       故にナガスネ
ふねととむ おおものぬしか    船 止む       オオモノヌシ
うたんと たかをきみは    討たんとす     多賀の央君
おとろきて つくしくたり    驚きて       筑紫に下り
ともたす ものぬしひとり    共に治す      モノヌシ 一人
たみをさむ ときたけひと    民 治む       時にタケヒト
あひらひめ めとりうむみこ    アヒラ姫      娶り 生む御子
たきしみみ            タギシミミ
きみとしよそゐ              君 歳 四十五
ものかたり むかしみをや    物語り       「昔の上祖
たかむすひ ひたかみうみて    タカムスビ     ヒタカミ 生みて
もます すきあまひの    一千万年      過ぎて天日の
ををんかみ あめなるみちに    大御神       陽陰なる道
たみたす みこおしひと    民を治す      御子のオシヒト(オシホミミ)
ゆつりうく みまこきよひと    譲り受く      御孫 キヨヒト(ニニキネ)
またうけて わけいかつちの    また受けて     ワケイカツチ
 あまきみと あめのいわくら    天君と       天の岩塊
おしひらき いつのちわきに    押し開き      逸のチワキ
をさまりて みをやつかふ    治まりて      御祖に継がふ
みちあきて ひかりかさぬる    道 開きて      光 重ぬる
としかす ももなそこよろ    年の数       百七十九万
ふちよもも なそへるまて    二千四百      七十年 経るまで (アマテルの誕生からウガヤの死まで)
 おちこちも うるはふくにの    遠近も       潤ふ 地の
 きみありて あれもみたれ    君 ありて      あれも乱れず
 あめのみち はやるうた    陽陰の道」     万に流行る歌
のりくたせ ほつまちひろむ   『乗り下せ      ホツマ方 平む
あまもいわふね          天下 斎船
しほつちの をきなすすめて    シホツチの     翁 勧めて
にきはやか いかんゆきて    「ニギハヤか    如何ぞ 行きて
むけさらん もろみこに    平けざらん」    諸御子も「実に
いやちこと さきをしての    いやちこ」と    「先にヲシテ
こたえつら きみすみやかに    答えつら      君 速やかに
みゆきなせ            御幸 なせ」
あすすきみゑの              天鈴キミヱの (51年)
かんな あみこみつから    十月三日      天御子 自ら
もろひきて ふねいたる    諸 率きて      御船の至る
はやすひと よるあまおふね    速吸門       寄る 海人小船
あひわけか とえくにかみ    アヒワケが     問えば「国守
うつひこそ わたつりにて    ウツヒコぞ     海の釣にて
きくみふね むかふはみふね    聞く 御船      向かふは御船」
みちひくか あひこたえて    「導くか」     「あひ」と答えて
みことのり しいさほすえ    御言宣       椎竿の末
もたしめて ふねひきいれ    持たしめて     船に引き入れ
たまふ しいねつひこの    名を賜ふ      シイネツヒコ
ひくふねの うさいたれは    率く船の      宇佐に至れば
うさつひこ ひとあかりやに    ウサツヒコ     "人上がり屋"に
みあえなす かしはてよる    御饗なす      膳に寄る
うさこひめ たねこつまと    ウサコ姫      タネコが妻と
ちちとひ つくしをしと    父に問ひ      筑紫のヲシ
あきくに ちのみやこす    安芸の国      チノ宮に<年を>越す
やよひには きひたかしまに    (天鈴52年)三月には      吉備高嶋
なかくにの まつりをさめて    中国の       政 治めて
とせます うちととのひ    三年 坐す      内に調ひ
みふねゆく            御船 行く
 あすすゐそゐ              天鈴五十五年ヲシヱ)
きさらきや はやなみたつる    二月や       速浪 立つる
みつみさき なみはやの    御津崎       名も "浪速の
みなとより やまあとかわお    港" より      ヤマアト川(大和川)を
 さかのほり かうちくさかの    逆上り       河内 草香
あうゑもろ やかたいくさ    アウヱモロ     館に軍
ととのひて たつたのみちは    調ひて       龍田の道
ならひ いこまこゆれは    慣らひ得ず(対処できず)     生駒 越ゆれば
なかすねか いくさおこして    ナガスネが     軍 起して
わかくにお うはわんやわと    「我が国を     奪わんやわ」と
くさえさか たたかひあわす    孔舎衛坂      戦ひ合わす
ゐつせみこ ひちうたれて    ヰツセ御子     肱を撃たれて
すすみ すへらきふれる    進み得ず       告れる
はかりこと われまこ    議り事       「我は日の孫
ひにむかふ あめさかえは    日に向かふ     天に逆えば
しりそきて かみまつりて    退きて       神を祭りて
ひのままに おそはあたも    日の随に      襲わば仇も
やふれんと みなしかりとて    破れん」と     皆 「然り」とて
やおひく あたもせまら    八尾へ退く     仇も迫らず
 ミフネユク チヌノヤマキテ  みふねゆく ちぬやまきて    御船 行く      茅渟の山城で

 ヰツセカル キノカマヤマニ  ゐつせかる かまやまに    ヰツセ 枯る     紀の竃山に

 オクラシム ナクサノトヘカ  おくらしむ なくさとへか    葬らしむ      名草のトベが

 コハムユエ ツミシテサノエ  こはむゆえ つみしさのえ    拒む故       潰して狭野
 クマノムラ イワタテコエテ  くまのむら いわたてこえて    熊野ムラ       磐盾 越えて
                                    (船上からの景観の描写)

 オキオコク ツチカセフネオ  おきこく つちかせふねお    沖を漕ぐ      旋風 船を

 タタヨハス イナヰイサチテ  たたよは いなゐいさちて    漂わす       イナヰイ 騒ちて

 アメノカミ ハハワタカミヤ  あめのかみ ははわたかみや    「天の守      母 海守や
                                <父は>

 イカカセン クカニタシナメ  いかかん くかたしなめ    如何がせん     陸に窘め

 マタウミト イルサヒモチノ  またうみと いるさひもちの    また海」と     去る サヒモチの

 ウミノカミ ミケイリモマタ  うみかみ みけいりもまた    海の神       ミケイリもまた

 サカナミノ ウミオウラミテ  さかなみの うみおうらみて    逆波の       海を恨みて

 カミトナル          かみとなる            神となる
 
       スヘラキミコモ        すへらきみこも              皇御子も

 ツツカナク ユクアラサカニ  つつかなく ゆくあらさかに    恙 無く       行く荒坂に

 イソラナス ニシキトコハミ  いそらなす にしきとこはみ    イソラなす     ニシキド 拒み

 ヲエハケハ ミナツカレフシ  をえはけは みなつかれふし    汚穢 吐けば     皆 疲れ臥し

 ネフルトキ タカクラシタニ  ねふるとき たかくらしたに    眠る時       タカクラシタに

 ユメノツケ タケミカツチニ  ゆめつけ たけみかつちに    夢の告げ      「タケミカツチに

 ミコトノリ クニサヤケレハ  みことのり くにさやけれは    御言宣       『地 騒やければ
                                 (アマテル)

 ナンチユケ カミニコタエハ  なんちゆけ かみこたえは    汝 行け』      神に答えは

 ユカストモ クニムケツルキ  ゆかとも くにむけつるき    『行かずとも    国平け剣

 クタサント カミモウメナリ  くたさんと かみもうめなり    下さん』と     神も『宜なり』

 ミカツチノ フツノミタマオ  みかつちの ふつのみたまお    『ミカツチの    フツの霊魂を

 クラニオク コレタテマツレ  くらおく これたてまつれ    倉に置く      これ 奉れ』

 アヒアヒト タカクラシタカ  あひあひと たかくらしたか    『あひあひ』」と  タカクラシタが

 ユメサメテ クラオヒラケハ  ゆめさめて くらおひらけは    夢 覚めて      倉を開けば

 ソコイタニ タチタルツルキ  そこいたに たちたるつるき    底板に       立ちたる剣

 ススムレハ キミノナカネノ  すすむれは きみなかねの    進むれば      君の長寝の

 ヲヱサメテ モロモサムレハ  をゑさめて もろもさむれは    汚穢 冷めて     諸も覚むれば

 イクサタチ ヤマチケワシク  いくさたち やまちけわしく    軍立ち       山道 険しく

 スエタエテ ノニシチマヒテ  すえたえて しちまひて    末え絶えて     野にしぢまひて

 スヘラキノ ユメニアマテル  すへらきの ゆめあまてる    皇の        夢にアマテル

 カミノツケ ヤタノカラスオ  かみつけ やたのからすお    神の告げ      「八尺の烏を

 ミチヒキト サムレハヤタノ  みちひきと さむれやたの    導き」と      覚むれば 八尺の

 カラスアリ オオチカウカツ  からすあり おおちうかつ    烏あり       老翁が穿つ
                                           (八尺烏)

 アスカミチ イクサヒキユク  あすかみち いくさひきゆく    あすか道      軍 率き行く

 ミチヲミカ ミネコエウタノ  みちをみか みねこえうたの    ミチヲミが     峰 越え ウタの

 ウカチムラ          うかちむら            ウカチ村
 
       ウカヌシメセハ        うかぬしめせは              ウガヌシ 召せば

 アニハコス オトハモウテテ  あに おともうてて    兄は来ず      弟は詣でて

 ツケモフス アニサカラエト  つけもふす あにさからえと    告げ申す      「兄 逆らえど

 ミアエシテ ハカルクルリオ  みあえて はかるくるりお    見合えして     謀る 転を
                                  (観察)         (絡繰)

 シロシメセ カレニミチヲミ  しろしめせ かれにみちをみ    知ろし召せ」    故にミチヲミ

 サカスレハ アタナスコトオ  さかすれは あたなすことお    探すれば      仇なす言を

 オタケヒテ ナンチカツクル  おたけひて なんちつくる    お猛びて      「汝が造る

 ヤニオレト ツルキヨユミト  おれと つるきゆみと    屋に居れ」と    剣よ弓と

 セメラレテ イナムトコナキ  せめられて いなむとこなき    攻められて     辞む処方なき

 アメノツミ オノカクルリニ  あめのつみ おのくるりに    陽陰の潰      己が転に
                                   (運の尽)

 マカルナリ オトハモテナス  まかるなり おとはもてなす    罷るなり      弟は持て成す

 キミトミモ ヨシノヲノヱノ  きみとみも よしのをのゑの    君 臣も       吉野峰の縁の
                                 (君も臣も)

 ヰヒカリモ イワワケカミモ  ゐひかりも いわわけかみも    ヰヒカリも     イワワケ守も

 イテムカフ          いてむかふ            出で迎ふ
 
       タカクラヤマノ        たかくらやまの              高倉山の

 フモトニハ ヱシキカイクサ  ふもとには ゑしきいくさ    麓には       兄シギが軍

 イハワレノ カナメニヨリテ  いはわれの かなめよりて    磐余の       に寄りて
                                          (中心に集結して)

 ミチフサク スヘラキイノル  みちふさく すへらきいのる    道 塞ぐ       皇 祈る

 ユメノツケ カミオマツレヨ  ゆめつけ かみまつれよ    夢の告げ      「神を祭れよ

 カクヤマノ ハニノヒラテニ  かくやまの はにひらてに    香久山の      埴の平皿に

 ヒモロケト カミノヲシエニ  ひもろけと かみのをしえに    ヒモロケ」と    神の教えに

 ナサントス オトウカシキテ  なさんと おとうかして    為さんとす     弟ウカシ 来て
                                 (合す)

 シキタケル カタキアカシモ  しきたける かたきあかしも    「磯城長       葛城別主も

 ミナコハム キミオオモエハ  みなこはむ きみおもえは    皆 拒む       君を思えば

 カクヤマノ ハニノヒラテノ  かくやまの はにのひらての    香久山の      埴の平皿の

 ヒモロケニ アメツチマツリ  ひもろけに あめつちまつり    ヒモロケに     天地 祭り

 ノチウタン ウカシカツケモ  のちうたん うかしつけも    後 討たん」     ウカシが告げも
                                           (弟ウカシ)

 ユメアワセ          ゆめあわせ            夢合せ
 
       シイネツヒコハ        しいねつひこは              「シイネツヒコは

 ミノトカサ ミオモツウカシ  みのかさ もつうかし    蓑と笠       箕を持つウカシ

 ヲチウハノ タミノスカタテ  をちうはの たみすかたて    翁・姥の       民の姿で

 カクヤマノ ミネノハニトリ  かくやまの みねはにとり    香久山の      峰の埴採り

 カエコトハ ミヨノウラカタ  かえことは みようらかた    返言は       弥の占形
                                              (重大)

 ユメユメト ツツシミトレト  ゆめゆめと つつしみとれと    努々と       謹しみ採れ」と

 ミコトノリ チマタニアタノ  みことのり ちまたあたの    御言宣       ちまたに仇の

 ミチオレハ シイネツヒコカ  みちおれは しいねつひこか    満ち居れば     シイネツヒコが

 イノリイフ ワカキミクニオ  いのりいふ わかきみくにお    祈り言ふ      「我が君 地を

 サタムナラ ミチモヒラケン  さたむなら みちひらけん    定むなら      道も開けん

 カナラスト タタチニユケハ  かならすと たたちゆけは    必ず」と      直ちに行けば

 アタモミテ サマオワラヒテ  あたもて さまわらひて    仇も見て      様を笑ひて

 ヨケトフス カレニカクヤマ  よけとふす かれかくやま    避け通す      故に香久山

 ハニトリテ カエレハキミモ  はにとりて かえれはきみも    埴 採りて      返れば君も

 ヨロコヒテ イツヘオツクリ  よろこひて いつへつくり    喜びて       斎瓮を作り
                                           (=陶器)

 ニフカワノ ウタニウツセル  にふかわの うたうつせる    丹生川の      ウタに写せる
                                            (端) (「写す」の連体形)

 アサヒハラ アマテルトヨケ  あさひはら あまてるとよけ    朝日原       アマテルトヨケ

 フマツリハ ミチオミソマタ  まつりは みちおみまた    二祭は       ミチヲミぞ また

 カンミマコ アメマヒカヒコ  かんみまこ あめまひひこ    カンミ 孫      アメマヒが曾孫

 アタネシテ ワケツチヤマノ  あたねて わけつちやまの    アタネして     別雷山の

 ミヲヤカミ ミカマツラセテ  みをやかみ まつらて    上祖神       三日 祭らせて

 アタオウツ          あたうつ            仇を討つ
 
       クニミカオカニ        くにみかおかに              国見が丘に

 イクサタテ ツクルミウタニ  いくさたて つくるみうたに    軍 立て        作る御歌に
 
 カンカセノ イセノウミナル  かんかせの いせのうみなる   『神風の       妹背の生み成る
                                            [伊勢の海なる]

 イニシエノ ヤエハイモトム  いにしえの やえはいもとむ    往にし代の     八方 這い回む

 シタタミノ アコヨヨアコヨ  したたみの あこよよあこよ    下民の       天子 弥々 天子よ
                                  [細螺]                  →7文

 シタタミノ イハヒモトメリ  したたみの いはひもとめ    下民の       い這ひ回めり
                                 [細螺] <ここにもまた>

 ウチテシヤマン        うちしやまん          討ちて しやまん』
 
 コノウタオ モロカウタエハ  このうたお もろうたえは    この歌を      諸が歌えば

 アタカツク シハシカンカフ  あたつく しはしかんかふ    仇が告ぐ      暫し考ふ

 ニキハヤヒ サスラヲヨスト  にきはやひ さすらをよすと    ニギハヤヒ     「流離男 寄す」と

 オタケヒテ マタヒコトカモ  おたけひて またことかも    お猛びて      また一言 交も

 アメカラト イクサオヒケハ  あめからと いくさひけは    「から」と    軍を退けば

 ミカタヱム          みかたゑむ            味方 笑む
 
       ネツキユミハリ        ねつきゆみはり              十一月七日

 シキヒコオ キキスニメセト  しきひこお ききすめせと    シギヒコを     雉子に召せど

 アニハコス マタヤルヤタノ  あに またやるやたの    は来ず      また遣る 八尺の

 カラスナキ アマカミノミコ  からすなき あまかみみこ    カラス 鳴き     「天守の御子

 ナンチメス イサワイサワソ  なんちめす いさわいさわそ    汝 召す       いさわ いさわぞ」

 ヱシキキキ イトウナスカミ  ゑしききき いとうなすかみ    兄シギ 聞き     「いとう なす守

 ヲヱヌトキ アタカラストテ  をゑぬとき あたからすとて    汚穢ぬ時      仇 枯らす」とて
                                           [仇カラス]

 ユミヒケハ オトカヤニユキ  ゆみひけは おとゆき    弓 引けば      が屋に行き

 キミメスソ イサワイサワト  きみめすそ いさわいさわと    「君 召すぞ     いさわ いさわ」と

 カラスナク オトシキオチテ  からすなく おとしきおちて    カラス 鳴く     弟シギ 怖ぢて

 カタチカエ カミノイトウニ  かたちかえ かみいとうに    容 変え       「守のいとうに

 ワレオソル ヱヱナンチトテ  われおそる ゑゑなんちとて    我 畏る」      「愛々 汝」とて

 ハモリアエ ママニイタリテ  はもりあえ ままいたりて    煽り上え       随に到りて

 ワカアニハ アタストモフス  わかあには あたすもふす    「我が兄は     仇す」と申す

 トキニキミ トエハミナイフ  ときにきみ とえみないふ    時に君       問えば 皆 言ふ

 トニサトシ ヲシエテモコヌ  さとし をしえても    「弟に諭し     教えても来ぬ

 ノチウツモ ヨシトタカクラ  のちうつも よしたかくら    後 討つも      好し」と タカクラ

 オトシキト ヤリテシメセト  おとしきと やりしめせと    弟シギと      遣りて示せど

 ウケカハス          うけかは            肯はず
 
       ミチヲミカウツ        みちをみうつ              ミチヲミが撃つ

 オシサカト ウツヒコカウツ  おしさかと うつひこかうつ    オシサカと     ウツヒコが撃つ
                                          (シイネツヒコ)

 オンナサカ ヱシキノニケル  おんなさか ゑしきにける    オンナサカ     兄シキの逃げる

 クロサカニ ハサミテウテハ  くろさかに はさみてうては    クロサカに     挟みて撃てば

 タケルトモ フツクキレトモ  たけるとも ふつくきれとも    ども       悉く斬れども

 ナカスネカ タタカイツヨク  なかすねか たたかいつよく    ナガスネが     戦い 強く

 アタラレス トキニタチマチ  あたられ ときたちまち    あたられず     時に忽ち
                                  (果たせず)

 ヒサメフル コカネウノトリ  ひさめふる こかねうのとり    甚雨 降る      黄金鵜の鳥

 トヒキタリ ユハスニトマル  とひきたり ゆはすとまる    飛び来たり     弓弭に留まる

 ソノヒカリ テリカカヤケハ  そのひかり てりかかやけは    その光       照り輝けば

 ナカスネカ タタカヒヤメテ  なかすねか たたかひやめて    ナガスネが     戦ひ 止めて

 キミニイフ ムカシアマテル  きみいふ むかしあまてる    君に言ふ      「昔 天地照る
                                (タケヒト)           (ここではオシホミミ)

 カミノミコ イワフネニノリ  かみみこ いわふねのり    守の御子      斎船に乗り
                                   (テルヒコ)

 アマクタリ アスカニテラス  あまくたり あすかてらす    天下り       アスカに照らす」

 ニキハヤヒ イトミカシヤオ  にきはやひ いとみかしやお    「ニギハヤヒ    妹 ミカシヤを

 キサキトシ ウムミコノナモ  きさき うむみこのも    后とし       生む御子の名も

 ウマシマチ ワカキミハコレ  うましまち わかきみはこれ    ウマシマチ」    「我が君はこれ

 ニキハヤヒ アマテルカミノ  にきはやひ あまてるかみの    ニギハヤヒ     アマテル神の

 カンタカラ トクサオサツク  かんたから とくささつく    神宝        十種を授く」

 アニホカニ カミノミマコト  あにほかに かみみまこと    「あに他に     神の御孫と

 イツハリテ クニウハハンヤ  いつはりて くにうははんや    偽りて       国 奪はんや

 コレイカン          これいかん            これ 如何ん」
 
       トキニスヘラキ        ときすへらき              時に皇

 コタエイフ ナンチカキミモ  こたえいふ なんちきみも    応え言ふ      「汝が君も

 マコトナラ シルシアランソ  まことなら しるしあらんそ    真なら       璽 あらんぞ」

 ナカスネカ キミノユキヨリ  なかすねか きみのゆきより    ナガスネが     君の靫より

 ハハヤテオ アメニシメセハ  ははやてお あめしめせは    羽々矢璽を     に示せば
                                          (タケヒト)

 カンヲシテ マタスヘラキモ  かんをして またすへらきも    神璽        また皇も

 カチユキノ イタスハハヤノ  かちゆきの いたすははやの    歩靫の       出す 羽々矢の

 カンヲシテ ナカスネヒコニ  かんをして なかすねひこに    神璽        ナガスネヒコに

 シメサシム ススマヌイクサ  しめさしむ すすまいくさ    示さしむ      進まぬ 戦

 マモリイル          まもりいる            守り入る
 
       ネンコロオシル        ねんころしる              懇を知る

 ニキハヤヒ ワカナカスネカ  にきはやひ わかなかすねか    ニギハヤヒ     「我がナガスネが

 ウマレツキ アメツチワカヌ  うまれつき あめつちわか    生れ付き      天地 分かぬ

 カタクナオ キリテモロヒキ  かたくなお きりもろひき    頑を」       斬りて 諸 率き

 マツロエハ キミハモトヨリ  まつろえは きみもとより    服えば       君は本より

 クニテルノ マメオウツシミ  くにてるの まめうつしみ    クニテルの     忠を映し見
                                 (ニギハヤヒ)

 イハワレノ コヤニヘオネリ  いはわれの こやねり    磐余の       仮屋に方を練り
                                              (方策)

 トシコエテ コセノホフリヤ  としこえて こせほふりや    年 越えて      巨勢のホフリや
                                   (天鈴56年)     (=葛)

 ソフトヘト ヰノホフリラモ  そふとへと ゐのほふりらも    層富トベと     吉野ホフリ等も

 ツチクモノ アミハルモノオ  つちくもの あみはるものお    土蜘蛛の      網 張る者を
                                           (縄張する者)

 ミナコロス タカオハリヘカ  みなころす たかおはりへか    皆 殺す       高尾張侍が

 セヒヒクテ アシナカクモノ  せひひくて あしなかくもの    背 低くて      足長蜘蛛の

 オオチカラ イワキオフリテ  おおちから いわきふりて    大力        穢気を放りて

 ヨセツケス タカノミヤモル  よせつけ たかのみやもる    寄せ付けず     多賀の宮 守る

 ウモノヌシ クシミカタマニ  うものぬし くしみかたまに    ウモノヌシ     クシミカタマに

 ミコトノリ モノヌシカカエ  みことのり ものぬしかかえ    御言宣       モノヌシ 考え

 クスアミオ ユヒカフラセテ  くすあみお ゆひかふらて    葛網を       結ひ 被らせて

 ヤヤコロス          ややころす            やや殺す
 
       スヘヲサマレハ        すへをさまれは              総べ治まれば

 ツクシヨリ ノホルタネコト  つくしより のほるたねこと    筑紫より      上るタネコと

 モノヌシニ ミヤコウツサン  ものぬしに みやこうつさん    モノヌシに     「都 移さん

 クニミヨト ミコトオウケテ  くにみよと みことうけて    地 見よ」と     御言を受けて

 メクリミル カシハラヨシト  めくりみる かしはらよしと    巡り回る      「橿原 好し」と

 モフストキ キミモヲモヒハ  もふすとき きみをもひは    申す時       君も思ひは

 オナシクト アメトミオシテ  おなしくと あめとみて    同じくと      アメトミをして

 ミヤツクリ キサキタテント  みやつくり きさきたてんと    宮造り       「后 立てん」と

 モロニトフ ウサツカモフス  もろとふ うさつもふす    諸に問ふ      ウサツが申す
                                          (ウサツヒコ)

 コトシロカ タマクシトウム  ことしろか たまくしうむ    「コトシロが    タマクシと生む
                                   (ツミハ)

 ヒメタタラ ヰソススヒメハ  ひめたたら ゐそすすひめは    姫 タタラ      ヰソスズ姫は

 クニノイロ アワミヤニマス  くにいろ あわみやます    地の色       阿波宮に坐す
                                 (世の映)       (琴平宮)

 コレヨケン スヘラキヱミテ  これよけん すへらきゑみて    これ 好けん」    皇 笑みて

 キサキトス コトシロヌシオ  きさき ことしろぬしお    后とす       コトシロヌシを
                                               (ツミハ)

 ヱミスカミ マコノクシネオ  ゑみすかみ まこくしねお    ヱミス神      孫のクシネを
                                               (クシミカタマの子)

 アカタヌシ ヤシロツクラセ  あかたぬし やしろつくら    県主        社 造らせ
                                  (磯城)

 メノフソカ マツルオオミハ  ふそ まつるおおみは    十月の二十日    祭る 大三輪
                                   (天鈴56年)

 カンナミソ カンヨリニナモ  かんなみそ かんよりも    神南備ぞ      神 拠りに名も
                                              (神に肖り)

 カンヤマト イハワレヒコノ  かんやまと いはわれひこの    カンヤマト     イハワレヒコの
                                (神山下=三輪山下)

 アマキミト アマネクフレテ  あまきみと あまねくふれて    天君と       あまねく告れて

 トシサナト カシハラミヤノ  としさなと かしはらみやの    年 サナト      橿原宮の
                                     (天鈴58年)

 ハツトシト ミヨカンタケノ  はつとしと みよかんたけの    初年と       弥 カンタケの
                                                 (神武)

 オオイナルカナ        おおいなるかな          大いなるかな


 

 カンヤマト・イワワレヒコの天皇(すめらぎ)は、父御祖天皇(みおやあまきみ)の四番目の御子として生まれました。母はタマヨリ姫、兄のイツセはタガの親王(をきみ)です。父、御祖天皇は十年もの長きにわたり九州に御滞在になり農業開発と治安に努めた政治を執り、今では民も豊かに平和に暮らしておりました。父が神上がられる時、天皇(あまきみ)の位をタケヒトにお譲りになつた後に、宮崎山の洞に自ら入られ神上がり、後にアヒラの神となられました。九州の国政を担って政を執るタケヒトには、タネコという有能な補佐役がおられ、共に協力して国の安定に努めたために、国民は益々豊かになり、政治も安定して、永く平和な歳月が続いていました。

 ところが静かで安定した歳月にもついに波風がたち初め、やがて憎しみの渦がむら雲となって、あっという間に全国を覆いつくし、国が乱れ初めるのを誰一人として止めることができませんでした。

 その頃、大和のニギハヤヒに仕えていたカグヤマノ臣(とみ)を名乗るナガスネヒコが、ある事件を引き起こします。事の発端は、ニギハヤヒと結婚した妹のミカシヤ姫になかなか世嗣子(よつぎこ)が恵まれないのを心配した兄ナガスネがアメオシクモによって春日大社の蔵に大切に秘蔵されていた、「世嗣紀」(よつぎふみ)を無断で持ち出し、勝手に書き写してしまいました。蔵守(くらもり)の直訴により事件が発覚します。事の重大さから国政を司どる大物主クシミカタマは、何度もナガスネに勅使を送り真意を問い正しますが、まともな返答が得られません。「蔵守が事は何か知らん。我存ぜず。」と突っぱねます。

 実は、時の天皇が遠い九州に居られるという事情から、葦原中国(あしはらなかくに)の政治に空白が生じ、それを良い事に、日頃からナガスネは、掟を乱す勝手な振る舞いが、目だつようになり、天をも恐れぬ傍若無人な態度に、良民から次々と訴えが届きます。事ここに至っては、もはやナガスネを抑えられる人とてなく、世の中が不穏な空気に包まれて、騒がしくなっていくばかりでした。

 その頃の慣例として、大和のニギハヤヒの王朝に対して、関東・東海地方を治めていたハラ親王(おきみ)から、同胞(はらから)としての好意で、初穂(年貢米)を上納し大和の政権を支えていました。ハラ親王がナガスネの行為に対してケジメをつける為に、一時食糧支援を中止する決定をするや否や、ナガスネは全国の船の運行を武力により止めて、特に中国(なかくに)の最重要な河川の交差路だった山崎の関を無謀にも武力によって封鎖するという敵対行為に及びます。
 タガに居て、タガ親王を守護し、葦原中国と山陰・北陸地方を兼ね治めておられた右大臣の大物主は、直ちに軍を率いてナガスネに戦いを挑み討ちとろうとしました。全国の物部(兵)の指揮を執る大物主の素早い決断に、何不自由なく、有能な臣下に助けられ政務に専念してこられたタガ親王は、大変驚いて、ツクシ親王の弟のタケヒトの元に逃げ下ってしまいました。

 丁度その頃タケヒトは、アタの県主(あがたぬし)の娘アビラ姫を娶り、お生まれになったのがタギシミミでした。君が四十五才になられた年の事です。世間に流行歌(はやりうた)が蔓延します。

乗り下せ  秀真路(ほつまじ)
弘(ひろ)む  天磐船(あまのいわふね)

 この歌を知ったシホツチの翁(おきな)は、タケヒトに東征を勧め、「ニギハヤヒと臣(とみ)ナガスネの勝手な振る舞いで中国が乱れて国が危ない。タケヒト汝行きて断固戦い、平定せよ」と、力強い支援の言葉を受けて、居並ぶ諸神(もろかみ)も異口同音「そうだ、当然だ」「先の世嗣紀の答えもだ。打て。君よ、一日も早く我ら率いて御狩に発たれよ」「今、国を救う者はタケヒト君をおいて誰あらん」と、強い熱気が立ち上り「万歳(よろとし)万歳」の歓喜の声が日隅(ひすみ)にこだましていきました。

 十月(かんな)三日、タケヒトは自ら指揮を執り軍船を引き東征の旅に発ちました。分乗した船には供の武将や多くの物部等に混じった、皇子(みこ)や臣(とみ)も思いは一つ、命をタケヒト君に預けた片道の船旅です。船が速吸門(はやすいと)にさしかかると、一漁船がタケヒトの指揮する親船に近付き、何やら大声をかけるのに出合います。アヒワケが何者か問うと、何と国神のウツヒコとの返事です。
 「天御子の御幸を、私が曲田浦(わだのうら)に魚釣に出かけた時に聞いて、お迎えに上がりました。どうか私共も一緒に君の御軍にお供させてください。」と、願い出ました。
 「それなら先ず、水先案内をしてくれるか」
 「あい」と、答えると、船にあった椎の竿の根元を持たせて親船に引き入れます。それを見ていたタケヒトの詔があり、「椎根津彦(しいねずひこ)」という名前を賜わりました。

 椎根津彦の水先案内で行く船は、順風をいっぱいにはらんで、やがて宇佐につきました。宇佐では宇佐津彦が、ヒトアガリ仮室(や)で、君、臣(とみ)一行の歓迎の饗を開き、その時、君の膳(かしわで)に御仕えしたのがウサコ姫でした。君の側近として同席したアメタネコは、ウサコ姫のたおやめぶりが大層気に入られ、父ウサツヒコの許しを受けて妻として、後に二人はツクシの勅使(おし)となられました。
 その後、船出して安芸(あき)の国のチノ宮で年を越し、その年四月(やよい)には吉備国(きびのくに)に行幸され、タカシマ宮で中国(なかくに・中国地方)の政務にあたられます。
 ナガスネヒコの反乱でタガ親王(をきみ)を欠き、一人で大物主として、全国の兵(物部達)を統轄してきたクシミカタマは、タケヒトを援護して密に連携しあいます。タケヒトは長期戦に備え兵糧の備蓄、武具の調達、兵の訓練等々、軍備を整えるためにタカシマ宮に三年間ご滞在になりました。

 再び船を連ねて出航し、二月(きさらぎ)に、三津御崎(みつみさき)に至ると、流れが急になり、速浪(はやなみ)の渦巻くところは真に浪の花を見るような壮観です。心打たれた君は、上陸地の港を浪速(なみはや)と名付けました。
 浪速の港からヤマト川を河内の草香邑(くさか)まで逆上り、県主(あがたぬし)のアウエモロの館につきます。
 大物主クシミカタマとの打ち合わせどうり、当地の兵と合流し、いよいよ軍(いくさ)の準備もすべて整います。また土地勘のあるアウエモロを指揮官としタツタ街道をとうり大和への遠征をこころみますが、タツタ街道は兵が二人並んで進めないくらいの難所が続き、戦術的にも危険が多すぎます。とって返し生駒山を東に一気に越え、大和盆地に進軍しました。
 迎え討つナガスネ軍の反撃はすさまじく、ナガスネが、「我が国を奪えるものか」と、言うや戦いを挑み、特にクサエ坂の合戦は激しく、イツセ皇子は流れ矢に肘を射られ、神軍(かみいくさ)も大苦戦します。スベラギも戦略的変更を余儀なくされ、一時撤退を全軍に触れます。 「我は日の神の子孫(まご)、この戦いは、日に向かって弓を引き、天(あめ)の御心に逆らっていた。潔く一旦退いて神をお祭りし、日の御影に従って戦いに挑めば、必ず敵(あだ)は破れて我らが勝利間違いなし」
 この詔を受けて諸神も皆、「しかり、もっともだ」と、兵を引き、ヤオ(八尾)まで退却しました。敵の追撃もありませんでした。

 再び船団を組み東進しはじめたところ、停山城(ちぬのやまき)の港で、イツセの皇子(みこ)が、肘に受けた矢傷で無念にも、タケヒトに託した思い半ばのまま戦死されました。紀伊国(きいくに)のかま山の地で葬祭を行い、この地に手厚く葬りました。
 近くの名草村(なぐさむら)の名草戸部(なぐさとべ)なる者が、この葬儀に反抗し、邪魔だてするので、成敗した後、軍団は再び進み行き、熊野神と速玉(ことさか)の神に和幣(にぎて)を捧げて武運を祈り、海に戻り、敵の背後から良き上陸地を探し、盤盾(いわたて)の沖を迂回して船を出したところ、突然暴風雨の襲来に合い船は遠く沖に流され、寄る辺なき木の葉の如く翻弄され、船団は闇にのみ込まれ、ちりじりとなってあわや海の藻屑となる寸前でした。この時、この苦難にじっと耐えて、黙々とタケヒトに従ってきたイナイイが突然泣きいざちて、
 「天の神よ母海神(ははわだかみ)やどうして助けて下さらないのか。陸(くが)では苦しい戦いを強いられて、また海の災いと。もうだめだ」と、言うや否や剣を抜いて海に入水してしまい、後にサビモチの海の神として祭られました。
 ミケイリもまた、荒れ狂う逆浪を恨み苦しんで後を追って入水して神になられました。
 スメラギとタギシミミは、この不幸な出来事にも耐え抜いて、戦意は少しも衰えるご様子もなく、二人とも無事にこの難局を乗り越えて、軍戦を整え次の戦略拠点の荒坂津(あらさかつ)に向かいました。
 この海岸にはニシキドという悪魔の一党共が湾内深く潜んでいて、イソラの魔術を使って毒気を吐きかけて、行交う船を奪い漁民を苦しめていました。
 スベラギの軍船は悪名高きニシキド退治に向かい、切り立つ岩山に囲まれた湾内に静かに上陸して辺りの様子を窺っていると、どこともなく炎を吐きながらニシキドの軍勢が湧き出てきました。スメラ軍は毒気を吹きかけられると、皆めまいがして、やがて太陽が幾重にも輝いて驚かしたかと思うまもなく、皆疲れ伏して戦意を失い深く眠り込んでしまいました。

 その頃、この地方に高倉下(たかくらした)という者が住んでいました。高倉下に夢の告げがあり、天照神がタケミカズチに詔りして、葦原中国が大分乱れて騒がしいので、「汝行って治めよ」と言うと、タケミカズチ神の応えは、
 「行かずとも、我が国平定剣(くにむけのつるぎ)を下し降ろせばよい」
天照神も「もっともなことだ」とお応えになり、タケミカズチは我が先祖伝来のフツノミタマの剣を、「高倉下の倉に置いておくから、タケヒト君に奉れ」「あいあい」と高倉下が答えたところで夢が覚めました。
 あまりにも奇妙な夢に驚いた高倉下が半信半疑ながら倉を開いてみると、底板に突き立った剣があり、早速タケヒト君の元に詣でて、剣を君に奉るとどうでしょう。イソラの術で長い眠りに陥っていた諸神も皆、術が解け、うそのように蘇って士気も高揚し、イソラ共を討ち果たすと再び軍(いくさ)立ちしました。

 飛鳥への山路は険しくて、時として分け入った道の末が絶えて消えてしまい、何日もさまよった挙句に同じところに戻ってきた辛い行軍でした。天皇(あまきみ)は、野に暮れて星降る夜のしじまに、岩根に身を横たえまどろむうちに、夢に天照神のお告げあり、「ヤタノカラスを道案内とせよ」と。
 目が覚めてみると、丁度目の前にヤタノカラスと言う翁が尋ねて来て、翁は飛鳥の嶺嶺を越えて道なき道を切り開いて軍を引導し、先陣を行く軍師ミチオミは、ヤタノカラスに従って嶺嶺をいくつも越えて、やっとウダのウガチ村にたどり着きました。

 早速ウダの県主のウガ主を呼びにやりました。兄は現われずに弟が参上して告げ申すには
 「実は兄は陰謀を企んでいます。君の饗(みあえ)を開いて誘いだして恐ろしい仕掛けで殺す計画です。くれぐれもご用心下さい」
 それを聞いたミチオミは、逃げ隠れしている兄ウガ主を見つけ出し問いつめたところ、兄ウガシはミチオミに対し、
 「てめいどもは、どうせ戦いに負けて遅かれ早かれ皆殺しだ。ざまあみろ。面白えや」と敵対的な汚い言葉を大声で浴びせて逃げ出しました。 ミチオミ等は、ウガシを剣や弓で追い立てて、
 「おまえの造った家に入れ」と大勢で罠の仕掛けられた家に追い込むと、天罰てきめん自らの仕組んだ罠にまんまとはまって遂に死んでしまいました。
 弟ウガシは、精一杯のもてなしをし、君を初め臣(とみ)や兵(つわもの)どもにも振る舞いをして歓迎しました。
 ウガシがスメラギ軍に従ったのを知った吉野尾上(よしのおのえ)のイヒカリという県主も、又、イワワケの国神も皆、タケヒトに帰順して出で迎えると、戦への支援を申し出ました。
 しかしまだ高倉山の麓には、兄シギ軍がイワワレの中心に陣取って、天皇の神軍(すめらいくさ)の行く手の路を塞いで動ずる気配もありません。スメラギは神に祈りを捧げたその夜、夢の告げに、「カグ山の土を採って平盆(ひらで)を造り、神饌(ひもろぎ)を捧げて、天神地祗を祭れ」とありました。
 そこへ弟ウガシが息急切って飛び込んで来て告げるには、「自分は密かに供の者を放って四方の様子を探らせたところ、未だに、磯城(しぎ)の八十タケル(やそたける)、葛城(かだき)、甘樫(あかし)等が、君に敵対しています。君の戦いを勝利さすには先ず、カグヤマの土で平盆を造って、神饌を捧げて天神・地祗を祭って、後に敵を討てばよろしいかと考えます。」と。
 このウガシの告げも正に夢合わせとなりました。
 「シイネズヒコは蓑笠姿の老人に変装し、ウガヌシは箕(み)を持つ老婆の姿に身をやつして、カグ山の峰の土を採って参れ、もし問われたらば、「昔からの占いのためです」と返答すればよい。汝らの幸運を祈る。夢ゆめ怠り無く慎みて採ってまいれ」との詔がありました。

 二人はカグ山目指して出発しました。道という道には敵が大勢たむろして、不審な二人を待ち構えています。シイネズヒコは、何とかこの難関を切り抜けようと心の中で、一心に神に祈って申しあげました。
 「我が君こそが、この国を平定できる人格神です。さすれば自ずから国は治まり、民も豊かに道も開けるでしょう。必ず、必ず」と、誓って進み行くと、敵もこの落ちぶれ老夫婦の姿を見て、皆冷やかし笑い、咎めだてることも無く、避け通してくれました。

 そんな訳で、幸運にもカグ山の峰の土(はに)を採って帰ると、君も大層お悦びになられて、早速この土で厳盆(いずべ)を造って神祭をされます。宇田のニブ川の近くに、丹後の国に祭られている朝日原の社を移して、アマテル神とトヨケの二神を祭り、祭主(まつりぬし)はミチオミに決まりました。又、ゼンミムスビの子孫のアタネは、別雷山(わけいかずちやま)の御祖神を三日間お祭りした後に、敵(あだ)を討伐しました。 君は、敵状視察に適したウダ県(あがた)の最高峰の国見丘(くにみがおか)に本陣を設営して、四方を望んで作られた御製の歌

神風の伊勢の海なる昔(いにしえ)の
八重這い求む (したたみ)の 我子(あこ)よよ我子よ
下民の い這い求め 討ちてしやまん

 御歌を、皆が一斉に歌ったところ、敵の者がニギハヤヒにこの歌を告げると、ニギハヤヒはしばし考えた末に、「サスラオはごめんだ」と大声で叫び、又言うには「天の心に則った神軍だ。我ら一言もない」と言うや、戦いを引いて退却しました。味方の兵達はおお喜びでわきたちました。
 十一月(ねずき)弓張りの日、天君は先に高倉山の麓に陣取って道を阻んでいるシギヒコに、再度使いをだします。神軍に服(まつ)ろい、君に会うよう伝えますが、兄シギは相変わらず戦陣を張って帰順しようとしません。
 再び今度は、ヤタノカラスを使者として飛ばせて説得にあたらせました。
 「天皇(あまきみ)の御子が汝を召しておられるのだ。さあさあ早く決断されよ」
 兄シギはこれを聞くと怒りだして言い放つには、「ウトウをなす神(善意を現わす神)何ぞと。ちゃんちゃら可笑しいわ。吐き気がする。そこにカラスが啼きおって、一矢(いっし)を報いてやる」と、弓を引いたので、今度は弟の家に行き、
 「君が召しているのだ。さあ早く、さあ早く」
 と、カラスが啼けば、弟シギは怖じけずけ、変心して言うには、
 「神の善意には、心から畏れ多くおもっています。もうどうなっても構わぬ」
 と言いつつ、葉盛の饗(みあい)を随員達に振る舞った後、覚悟を決めて、君の御前に詣でて、
 「我が兄は君に敵対しています」
 と申し上げました。その時君が、諸神に戦略を問うと皆異口同音に、
 「説いて、諭して、教えてもなお抵抗して来ない時には、後討つもやむなし」
 と一決しタカクラシタと弟シギとを使者に立て説得に行かせます。が、兄シギは、取り合おうともせず、受け流して聞き入れません。
 事ここに至っては、戦あるのみ。ミチオミは忍坂(おしざか)で敵を討ち、ウツヒコは女坂で敵と戦い、兄シギが逃げ行く黒坂の要所を一気に挟み討ちにします。
 ナガスネ最後の守備軍の兄シギや葛城(かたき)、生樫(あかし)等の戦は強く、味方もたじたじで、一進一退の戦にもつれこみ決着がつかないままの状態が続きます。

 その時、たちまちのうちに天が曇ったかとおもうと氷雨が降りだし、どこからともなく金色(こがね)の鵜の鳥が飛び来て、天皇(あまきみ)が手にする弓の弭(ゆはず)に止まりました。その光は四方に照り輝いて、敵味方双方の兵達を驚かせました。
 ナガスネは戦い止めて、君に対し大声で訴えるには、
 「昔、天照神の天孫が天盤船(あめいわふね)に乗って日高見の国からここ飛鳥に天下り後に天照国照(あまてるくにてる)は、ニギハヤヒ君となって、照り輝く政(まつりごと)を治めて皇統を守り、我が妹のミカシヤ姫を妃とし、生まれた御子の名は、ウマシマチ君である。我が仕える君はニギハヤヒ君だけだ」
 「天照神が御神宝の十種宝(とくさたから)を授けた正統な君であるぞ。それを神の皇孫(みまご)と偽って国を奪いにきたのか。返答せい」

 その時、スメラギは落ち着いて答えられました。
 「汝が君が真実(まこと)と言うなら、天君(あまきみ)の証拠となる神璽(おしで)があるはずだ」
 そこで、ナガスネがニギハヤヒ君の靫(ゆき)から取り出した羽羽矢璽(ははやて)を高高と揚げて天皇に示せば、又スメラギも歩靫(かちゆき)の中から取り出したのが羽羽矢の璽(おしで)。これをナガスネヒコに見せ示せと命じました。
 双方とも、複雑で割り切れない気持ちのままに守りを固めて休戦状態が長く続きました。ニギハヤヒは次第に、天君(あまきみ)の人柄と、天孫の子孫にふさわしい威光を感じるようになり、親しみを覚えて、お互いねんごろな気持ちを抱くようにすらなっていました。

 「引き替え、我が腹心の臣(とみ)ナガスネヒコは、生来の頑固者で、今回の戦いでも天地の分別を教え説いても聞く耳をもたず、不幸で厄介なことになってしまった」
 ニギハヤヒは、こう言い終わや否や涙を押し隠して、ナガスネを切り殺すと兵をひきいて天皇の御前に降伏しました。
 君も本来備わった国照宮の人柄と忠義心を誉めたたえて、イワワレの仮宮でお互い親交を温め合いました。

 年を越えてもなお網を張って抵抗するツチグモ等を、虱潰しに殺して、国の秩序の回復に専念していました。ところがアシナガグモという賊は大力(おおちから)で、迎かえ撃つタカオハリベは、背の低い小男だったので、岩木を振り回して抵抗する敵を退治することはできませんでした。そこで君は、タガの宮を一人守るクシミカタマに詔りして、「良い戦術はないか」と。
 大物主は考えて、大きな葛網(くずあみ)を編んで、これを敵に被せてからめ取り、やっとのことで退治することができました。

 全ての戦いも終わり一段落したところで、九州から上京したタネコと、タガから呼び出された大物主クシミカタマに対し、天君(あまきみ)より詔があります。
 「都を移したいので、国を見て廻れ」
 詔を受けて二人は国中を巡り見た結果、
 「カシハラが最適地と存じます」
 と申し上げると、君も同じ考えであったと打ち明けられて、アメトミに命じて、橿原宮(かしはらみや)を完成させました。又、
 「后を定めようと思うが、良き姫を奨めよ」
 と、諸神に問いかけられると、ウサツヒコが申し上げるには、
「事代主(ことしろぬし)がタマクシ姫と結婚して産んだ姫のタタラ・イソスズ姫は、国一番の美女でございます。現在神の坐すアワ宮にお住まいになっているのも良い記しでございます」
 それを聞いた天皇(すめらぎ)は、大層喜ばれてイソズス姫を后とされました。

 姫の亡き父・事代主にはエミス神の名を贈られ、孫のアタツクシネを高市の県主(あがたぬし)に取り立てて社を造営させました。そこで十月二十日、神祭を盛大に執り行い、そこには全国の神がみが並び揃いました。この神祭にちなんで、名前の初めに神の字を付けて、カンヤマト・イワワレヒコの天君と命名して全国に触れてしらしめました。

 サナト(辛酉しんゆう)の年に、天君は橿原宮に即位されて、この年が橿原宮元年となりました。
 御代神武(みよかんたけ)の大いなるかな。













(私論.私見)

29-12 「たけひと」九州宮崎より大和へ向け出航

29-7 「たけひと」九州宮崎より大和へ向け出航(29-12)
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 あすすきみえに(きみえの:小笠原)(29-12)
かんなみか あみこみづから
もろひきて


あすず歴「きみえ」(ほつま歴 51/60後の甲寅きのえとら)の年の十月三日に「あみこ」(たけひと)自ら指揮して諸々の武将やお伴を引き連れて出航しました。




29-11~12 「たけひと」(後の神武天皇)は九州から大和へ東征に向かう決意を 

29-6 「たけひと」は九州から大和へ東征に向かう決意を (29-11~12)

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しほつちの おきなすすめて(29-11)
にぎはやか いかんぞゆきて
むけさらん


この歌を知った「しほつち」(世襲の名前、鹿児島)の翁は「たけひと」に東征(九州から大和へ)を勧めました。「にぎはやひ」とその臣たちの勝手な振る舞いは許されない。
「たけひと」汝が行って成敗(平定)しなさいと力強く支援の言葉を受けました。


 もろみこもげに(29-11)
いやちこと さきにおしての
こたえつら きみすみやかに(29-12)
みゆきなせ



居並ぶ諸神(神武天皇は四男だったので兄たち)も異口同音に賛同しました。先の「子宝のおしで」(世嗣紀)を盗み写した事の答えもあるではないか。君(たけひと)よ、一刻も早く我ら率いて御狩に発たれよ。

29-10 大和で流行った「たけひと」を乞う歌が九州まで広まる

29-5 大和で流行った「たけひと」を乞う歌が九州まで広まる(29-10)
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 よにはやるうた(29-10)

ところが、世間に流行り歌が蔓延しました。


 のりくだせほつまぢ
 ひろむあまのいわふね(あまもいわふね:小笠原)



乗り下せ、ほつま(秀真)路、弘む天の磐船

ここで、磐船とは岩でできた舟ではなく、「いわわれ」すなわち「清められた」という意味です。当時、舟は楠の木で造られていました。
「いわわれひこ」すなわち「かんたけ」(神武天皇)に、清められた舟に乗って、ほつま路(天の御心に沿った道・大和へ)に来て、早く平和にして欲しいという願いが込められています。

磐船の始まりは、天孫ににきねの兄の「くしたまほのあかり」が仙台から大和に天下ったとき、つくもから舟に乗ったのが最初。

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29-6~10 「たけひこ」(後の神武天皇)が、先祖神の下に平和で光輝いていた昔の話をします

29-4 「たけひこ」(後の神武天皇)が、先祖神の下に平和で光輝いていた昔の話をします(29-6~10)

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ものがたり むかしのみおや(29-6)
たかむすび ひたかみうみて


ここから、「たけひと」が昔の話をします。
昔、「みおや」(ここでは天神、先祖の神々)の「たかむすび」(たかみむすび、「ひたかみ」を結ぶ、旧陸奥の国、仙台、後の伊勢外宮「とよけの神」)が「ひたかみ」の国を創りました(生みました)。

「たかみむすび」の娘の「いさこ」さん(いさなみ)と金沢出身の「たかひと」(いさなぎ)が結婚されて生まれたのが天照大神であります。


も(お)ますよほ すぎてあまひの(29-7)
おおんかみ あめなるみちに
たみをたす


一千万年過ぎた後(昔々のその昔)、天日の御大神(天照大神)が生まれて「天なる道」(天の御心に沿った道、「とのおしで」という法典)に従って民を治めました。
も(お)=百、ます=十万、又は億、よ=万、ほ=年、才
お(「おおんかみ」)=天皇に対する最高位の敬語
み=それ以外の敬語


 みこのおしひと(29-7)
ゆづりうく


天照大神の日嗣の皇子の「おしひと」(おしほみみ)が天なる道を譲り受けました。(皇位継承しました)。

「おしひと」(おしほみみ)は仙台で生涯送られ、おくり名を「はこね神」といい箱根神社に祭られている。(箱は子宝、根はルーツという意味になっている、二人の子供は「ほのあかり」と「ににきね」)


 みまこきよひと(29-7)
またうけて わけいかつちの(29-8)
あまきみと


そして、御孫(天孫)の「きよひと」(弟)が更に皇位を引き継ぎました。そして、「わけいかつち」の天君となられました。(上賀茂神社)
「いかつち」(かみなり)を分けて治水(水田開拓)に成功させたの意味があります。


 あめのいわくら(29-8)
おしひらき いづのちわきに
おさまりて


天の岩倉を押し開いて神の意向(いず)に沿って道・進路を開くことができました。
(岩を砕いて、開拓して灌漑用水を切り開いたことを意味しています。古代は賀茂川のことを石川と言っていた。すなわち、水田開発に成功したことを言っています。)


 みおやにつかふ(29-8)
みちあきて(29-9)
 ひかりかさぬる(29-9)


御祖(「ひこほほでみ」、みおやにつかう天君4代目、その後の5代目「うがやふきあわせず」)に皇位を引き継ぎました。未来に道をつなぎました。
そして、国が光り輝きました。
水田に満々と潤った水が太陽に反射した光りと重なって輝いているようでした。


としのかす ももなそこよろ(29-9)
ふちよもも なそほへるまで
おちこちも うるはふくにの


平和な年月が続き、百七十九万二千四百七十年経るまで、四方八方国の隅々まで潤っている国です。
(こよみ:この世のわざをかんがみる)
百七十九万二千四百七十年:もも=百、な=七、そ=十、こ=九、よろ=万、ふ=二、ち=千、よ=四、ほ=年

きみありて あれもみだれず(29-10)
あめのみち


君(天皇)がおられて、村々(人々)も乱れず、天の御心に沿った道が貫かれていました。(法治国家でありました)

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29-5~6 九州で「たけひこ」(後の神武天皇)が「あびらつ姫」を娶る

29-3 九州で「たけひこ」(後の神武天皇)が「あびらつ姫」を娶る(29-5~6)

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 ときにたけひと(29-5)
あびらひめ めとりうむみこ(29-6)
たぎしみみ きみとしよそい



一方、九州では「たけひと」(後の神武天皇)が「あびら姫」(最初のお妃)を娶り、そこで生まれた皇子が「たぎしみみ」です。そのとき、君「たけひと」の年は四十五才でした。

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29-3~5 大和では掟を乱す者が現われ、不穏な空気になる

29-2 大和では掟を乱す者が現われ、不穏な空気になる(29-3~5)
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ここで話が変わります。神武東征のきっかけになります。

 かくやまのとみ(29-3)
ながすねが ままにふるえば(29-4)
さわがしく



ところが、香久山の臣と名乗る「ながすねひこ」が、掟を乱す勝手な振る舞いをするようになり、世の中が不穏な空気に包まれて騒がしくなってきました。中心に居るべき天皇が九州へ行っていたので、勝手な振る舞いをしても注意する者がいなかった。
「ながすね」は、「あめふとたま」の孫、「とよけ」(たかみむすび系)の神の孫



 はらのおきみは(29-4)
かてととむ



「はら」親王(おきみ)は、初穂(年貢:かて)の上納を停止(とどめる)しました。

「はら」親王(おきみ)(富士見山市浅間神社の前身)は関東・東海を治めており、「ながすね」の行為にけじめをつけるために、上納を停止したということであり、今まで「やまと」に上納をしていたことが分かります。



 かれにながすね(29-4)
ふねととむ



それを知った「ながすね」は舟の通航を止めてしまいました。

「ながすね」は武力により当時の河川の要であった山崎(サントリーワイナリーの付近)の関を封鎖するという敵対行為に及びます。
(三十綾に詳細が出てきます)

 

おおものぬしが(29-4)
うたんとす(29-5)



「ながすね」の敵対行為を知った大物主(「くしみかたま」:「そさのう」の七代目)が、「ながすね」を討とうとしました。



 たがのおきみは(29-5)
おとろきて つくしにくだり
ともにたす


多賀親王(いつせ皇子)は、この武力騒動に驚いて「筑紫」(現在の九州の総称)に下って、弟「たけひと」の居る所へ逃げ、そこで共に(一緒に)政治を執られました。
この時においては、多賀(滋賀県)が全国の中心であった。


 ものぬしひとり(29-5)
たみおさむ



そのため、大物主(くしみかた)一人が民を治めることになりました。

物主は全国の物部(兵)の指揮をとっていました。「ものぬし」は「そさのう」の末裔にあたり、このときの「ものぬし」は「くしみかたま」と言いました。

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29-1~3 「たけひと」(後の神武天皇)は父の臨終で遺言を授かりに九州へ行く

たけひと(後の神武天皇) 大和討ち の綾
29-1 「たけひと」(後の神武天皇)は父の臨終で遺言を授かりに九州へ行く(29-1~3)
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かんやまと いわわれひこの(29-1)
すべらぎは みおやあまきみ
よつのみこ



「神やまといわわれひこ」の「すべらぎ」(天皇)は「みおやあまきみ」(父御祖天皇:うがやふきあわせず命)の四番目の御子として生まれました。
この時点では「たけひと」と呼ばれており、後の神武天皇のことであります。



 はゝはたまより(29-1)
あにみやの いつせはたがの(29-2)
おきみなり



神武天皇の母は「たまより姫」です。
兄宮の「いつせ皇子」は「たが」親王(おきみ)です。



 みおやあまきみ(29-2)
つくしたす そとせおさめて


「みおやあまきみ」(父御祖天皇:うがやふきあわせず命)は筑紫(現在の九州の総称)に御滞在になり、十年間もの長きにわたり筑紫を治めてきました。
それまでの九州にいた勅使が絶えてしまったので治まらなくなり、天皇、自らが出向きました。



ひたるとき あまきみのにを(29-2)
たけひとに さづけあひらの(29-3)
かみとなる


その父「みおやあまきみ」(御祖天皇:うがやふきあわせず命)がご臨終のとき(ひたる:太陽が沈む、海の彼方に沈む)、遺言で「あまきみ」(天皇)の荷(地位、役割)を「たけひと」(神やまといわわれひこ、後の神武天皇)に授けられました。
つまり、「みおやあまきみ」(うがやふきあわせず命)は遺言を言うために、滋賀県の多賀にいた「たけひと」(後の神武天皇)を九州まで呼んだことになります。
「みおやあまきみ」(うがやふきあわせず命)は、遺言を授けた後、洞に自らお入りになり「あひら」の神となられました。
「あひら」(うがやふきあわせず命)は吾平山上陵:九州大隅半島中央部にあります。



 きみみやざきに(29-3)
たねこらと まつりとるゆえ
しつかなり


君(たけひと)は宮崎(宮崎神宮)で「たねこ」(春日大社「あめのこやね」の子供の「おしくも」の子供)という補佐役たちが九州の国政を担ったので国は豊かで平和で安定していました。

「みおやあまきみ」(父御祖天皇)が農業開発と治安に努めた政治を執られたあとをしっかりと引き続いたことが読みとれます。

ジョンレノ・ホツマ
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29-12 「たけひと」九州宮崎より大和へ向け出航

29-7 「たけひと」九州宮崎より大和へ向け出航(29-12)
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 あすすきみえに(きみえの:小笠原)(29-12)
かんなみか あみこみづから
もろひきて


あすず歴「きみえ」(ほつま歴 51/60後の甲寅きのえとら)の年の十月三日に「あみこ」(たけひと)自ら指揮して諸々の武将やお伴を引き連れて出航しました。

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29-11~12 「たけひと」(後の神武天皇)は九州から大和へ東征に向かう決意を 

29-6 「たけひと」は九州から大和へ東征に向かう決意を (29-11~12)

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しほつちの おきなすすめて(29-11)
にぎはやか いかんぞゆきて
むけさらん


この歌を知った「しほつち」(世襲の名前、鹿児島)の翁は「たけひと」に東征(九州から大和へ)を勧めました。「にぎはやひ」とその臣たちの勝手な振る舞いは許されない。
「たけひと」汝が行って成敗(平定)しなさいと力強く支援の言葉を受けました。


 もろみこもげに(29-11)
いやちこと さきにおしての
こたえつら きみすみやかに(29-12)
みゆきなせ



居並ぶ諸神(神武天皇は四男だったので兄たち)も異口同音に賛同しました。先の「子宝のおしで」(世嗣紀)を盗み写した事の答えもあるではないか。君(たけひと)よ、一刻も早く我ら率いて御狩に発たれよ。

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29-10 大和で流行った「たけひと」を乞う歌が九州まで広まる

29-5 大和で流行った「たけひと」を乞う歌が九州まで広まる(29-10)
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 よにはやるうた(29-10)

ところが、世間に流行り歌が蔓延しました。


 のりくだせほつまぢ
 ひろむあまのいわふね(あまもいわふね:小笠原)



乗り下せ、ほつま(秀真)路、弘む天の磐船

ここで、磐船とは岩でできた舟ではなく、「いわわれ」すなわち「清められた」という意味です。当時、舟は楠の木で造られていました。
「いわわれひこ」すなわち「かんたけ」(神武天皇)に、清められた舟に乗って、ほつま路(天の御心に沿った道・大和へ)に来て、早く平和にして欲しいという願いが込められています。

磐船の始まりは、天孫ににきねの兄の「くしたまほのあかり」が仙台から大和に天下ったとき、つくもから舟に乗ったのが最初。

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29-6~10 「たけひこ」(後の神武天皇)が、先祖神の下に平和で光輝いていた昔の話をします

29-4 「たけひこ」(後の神武天皇)が、先祖神の下に平和で光輝いていた昔の話をします(29-6~10)

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ものがたり むかしのみおや(29-6)
たかむすび ひたかみうみて


ここから、「たけひと」が昔の話をします。
昔、「みおや」(ここでは天神、先祖の神々)の「たかむすび」(たかみむすび、「ひたかみ」を結ぶ、旧陸奥の国、仙台、後の伊勢外宮「とよけの神」)が「ひたかみ」の国を創りました(生みました)。

「たかみむすび」の娘の「いさこ」さん(いさなみ)と金沢出身の「たかひと」(いさなぎ)が結婚されて生まれたのが天照大神であります。


も(お)ますよほ すぎてあまひの(29-7)
おおんかみ あめなるみちに
たみをたす


一千万年過ぎた後(昔々のその昔)、天日の御大神(天照大神)が生まれて「天なる道」(天の御心に沿った道、「とのおしで」という法典)に従って民を治めました。
も(お)=百、ます=十万、又は億、よ=万、ほ=年、才
お(「おおんかみ」)=天皇に対する最高位の敬語
み=それ以外の敬語


 みこのおしひと(29-7)
ゆづりうく


天照大神の日嗣の皇子の「おしひと」(おしほみみ)が天なる道を譲り受けました。(皇位継承しました)。

「おしひと」(おしほみみ)は仙台で生涯送られ、おくり名を「はこね神」といい箱根神社に祭られている。(箱は子宝、根はルーツという意味になっている、二人の子供は「ほのあかり」と「ににきね」)


 みまこきよひと(29-7)
またうけて わけいかつちの(29-8)
あまきみと


そして、御孫(天孫)の「きよひと」(弟)が更に皇位を引き継ぎました。そして、「わけいかつち」の天君となられました。(上賀茂神社)
「いかつち」(かみなり)を分けて治水(水田開拓)に成功させたの意味があります。


 あめのいわくら(29-8)
おしひらき いづのちわきに
おさまりて


天の岩倉を押し開いて神の意向(いず)に沿って道・進路を開くことができました。
(岩を砕いて、開拓して灌漑用水を切り開いたことを意味しています。古代は賀茂川のことを石川と言っていた。すなわち、水田開発に成功したことを言っています。)


 みおやにつかふ(29-8)
みちあきて(29-9)
 ひかりかさぬる(29-9)


御祖(「ひこほほでみ」、みおやにつかう天君4代目、その後の5代目「うがやふきあわせず」)に皇位を引き継ぎました。未来に道をつなぎました。
そして、国が光り輝きました。
水田に満々と潤った水が太陽に反射した光りと重なって輝いているようでした。


としのかす ももなそこよろ(29-9)
ふちよもも なそほへるまで
おちこちも うるはふくにの


平和な年月が続き、百七十九万二千四百七十年経るまで、四方八方国の隅々まで潤っている国です。
(こよみ:この世のわざをかんがみる)
百七十九万二千四百七十年:もも=百、な=七、そ=十、こ=九、よろ=万、ふ=二、ち=千、よ=四、ほ=年

きみありて あれもみだれず(29-10)
あめのみち


君(天皇)がおられて、村々(人々)も乱れず、天の御心に沿った道が貫かれていました。(法治国家でありました)

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29-5~6 九州で「たけひこ」(後の神武天皇)が「あびらつ姫」を娶る

29-3 九州で「たけひこ」(後の神武天皇)が「あびらつ姫」を娶る(29-5~6)

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 ときにたけひと(29-5)
あびらひめ めとりうむみこ(29-6)
たぎしみみ きみとしよそい



一方、九州では「たけひと」(後の神武天皇)が「あびら姫」(最初のお妃)を娶り、そこで生まれた皇子が「たぎしみみ」です。そのとき、君「たけひと」の年は四十五才でした。

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29-3~5 大和では掟を乱す者が現われ、不穏な空気になる

29-2 大和では掟を乱す者が現われ、不穏な空気になる(29-3~5)
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ここで話が変わります。神武東征のきっかけになります。

 かくやまのとみ(29-3)
ながすねが ままにふるえば(29-4)
さわがしく



ところが、香久山の臣と名乗る「ながすねひこ」が、掟を乱す勝手な振る舞いをするようになり、世の中が不穏な空気に包まれて騒がしくなってきました。中心に居るべき天皇が九州へ行っていたので、勝手な振る舞いをしても注意する者がいなかった。
「ながすね」は、「あめふとたま」の孫、「とよけ」(たかみむすび系)の神の孫



 はらのおきみは(29-4)
かてととむ



「はら」親王(おきみ)は、初穂(年貢:かて)の上納を停止(とどめる)しました。

「はら」親王(おきみ)(富士見山市浅間神社の前身)は関東・東海を治めており、「ながすね」の行為にけじめをつけるために、上納を停止したということであり、今まで「やまと」に上納をしていたことが分かります。



 かれにながすね(29-4)
ふねととむ



それを知った「ながすね」は舟の通航を止めてしまいました。

「ながすね」は武力により当時の河川の要であった山崎(サントリーワイナリーの付近)の関を封鎖するという敵対行為に及びます。
(三十綾に詳細が出てきます)

 

おおものぬしが(29-4)
うたんとす(29-5)



「ながすね」の敵対行為を知った大物主(「くしみかたま」:「そさのう」の七代目)が、「ながすね」を討とうとしました。



 たがのおきみは(29-5)
おとろきて つくしにくだり
ともにたす


多賀親王(いつせ皇子)は、この武力騒動に驚いて「筑紫」(現在の九州の総称)に下って、弟「たけひと」の居る所へ逃げ、そこで共に(一緒に)政治を執られました。
この時においては、多賀(滋賀県)が全国の中心であった。


 ものぬしひとり(29-5)
たみおさむ



そのため、大物主(くしみかた)一人が民を治めることになりました。

物主は全国の物部(兵)の指揮をとっていました。「ものぬし」は「そさのう」の末裔にあたり、このときの「ものぬし」は「くしみかたま」と言いました。

ジョンレノ・ホツマ

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29-1~3 「たけひと」(後の神武天皇)は父の臨終で遺言を授かりに九州へ行く

たけひと(後の神武天皇) 大和討ち の綾
29-1 「たけひと」(後の神武天皇)は父の臨終で遺言を授かりに九州へ行く(29-1~3)
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かんやまと いわわれひこの(29-1)
すべらぎは みおやあまきみ
よつのみこ



「神やまといわわれひこ」の「すべらぎ」(天皇)は「みおやあまきみ」(父御祖天皇:うがやふきあわせず命)の四番目の御子として生まれました。
この時点では「たけひと」と呼ばれており、後の神武天皇のことであります。



 はゝはたまより(29-1)
あにみやの いつせはたがの(29-2)
おきみなり



神武天皇の母は「たまより姫」です。
兄宮の「いつせ皇子」は「たが」親王(おきみ)です。



 みおやあまきみ(29-2)
つくしたす そとせおさめて


「みおやあまきみ」(父御祖天皇:うがやふきあわせず命)は筑紫(現在の九州の総称)に御滞在になり、十年間もの長きにわたり筑紫を治めてきました。
それまでの九州にいた勅使が絶えてしまったので治まらなくなり、天皇、自らが出向きました。



ひたるとき あまきみのにを(29-2)
たけひとに さづけあひらの(29-3)
かみとなる


その父「みおやあまきみ」(御祖天皇:うがやふきあわせず命)がご臨終のとき(ひたる:太陽が沈む、海の彼方に沈む)、遺言で「あまきみ」(天皇)の荷(地位、役割)を「たけひと」(神やまといわわれひこ、後の神武天皇)に授けられました。
つまり、「みおやあまきみ」(うがやふきあわせず命)は遺言を言うために、滋賀県の多賀にいた「たけひと」(後の神武天皇)を九州まで呼んだことになります。
「みおやあまきみ」(うがやふきあわせず命)は、遺言を授けた後、洞に自らお入りになり「あひら」の神となられました。
「あひら」(うがやふきあわせず命)は吾平山上陵:九州大隅半島中央部にあります。



 きみみやざきに(29-3)
たねこらと まつりとるゆえ
しつかなり


君(たけひと)は宮崎(宮崎神宮)で「たねこ」(春日大社「あめのこやね」の子供の「おしくも」の子供)という補佐役たちが九州の国政を担ったので国は豊かで平和で安定していました。

「みおやあまきみ」(父御祖天皇)が農業開発と治安に努めた政治を執られたあとをしっかりと引き続いたことが読みとれます。