ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)25



 (最新見直し2009.3.7日)

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【ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)25、ヒコ尊 'ち'を得るの文】
 ヒコホホデミとトヨタマ姫
ひこみことちおゑるのあや ヒコ尊 'ち'を得るの文
みそふすす こもゑふそみほ うつきはつ 三十二鈴 九百枝二十三穂 四月初日 
わけいかつちの あまきみは ワケイカツチの 天君は
ふかきおもひの あるにより 深き思ひの あるにより
おおしまおして あわうみの    オオシマをして 央海の
みつほのみやお つくらしむ    ミツホの宮を 造らしむ
なれはひおみて うつらんと 成れば日を見て 移らんと
(フトマニに日を選んで)
さきにたらちを ひたるとき    先にタラチヲ ひたる時
はこねのほらに いりますお   ハコネの洞に 入りますを
ははちちひめは ことありて    母チチ姫は 言ありて
いせにいたりて をんかみに          イセに到りて 御神に  
あさゆふつかえ まつらしむ         朝夕仕え 奉らしむ
そよろとしへて いまかれに          十万年経て 去罷れに
はこねにもふて ぬさささけ          ハコネに詣で 幣捧げ
それよりいせに みゆきなる          それよりイセに 御幸なる 
をんかみおよひ ちちひめお         御神及び チチ姫を
おかみてあわの みつほくに           拝みて央の ミツホ国 
みやうつしなる むめひとは         宮移し成る ムメヒトは
はらにととまり まつりこと          ハラ(ハラアサマ宮)に留まり 政事 
こやねあつかり ものぬしは            コヤネ預り モノヌシは
ともなすゆえに みそくいお          供なす故に ミゾクイを
そえものぬしと はらのもり         副モノヌシと ハラの守 
にはりにいます すせりみや         ニハリに居ます スセリ宮  
むかしのあとに いまつくる        昔の跡に(ウカワ仮屋) 今造る
うかわのみやに うつります          ウカワの宮に 移ります
ふたあれすその うつみやは          二現 (二荒山)裾の ウツ宮は
おおつしのみや いまつくり          オオツシノ宮 今造り      
これたまわりて うつります    これ賜わりて 移ります  
ときにいみなの ゆえあれは        時に斎名の 故あれば
うかわおこえと ゆるされす         ウカワを請えど 許されず 
つねにかりして たのしめは          常に狩りして 楽しめば    
やまさちひこと またすせり       山鉤彦と またスセリ
つりたのしめは さちひこと                    釣り楽しめば 鉤彦と  
きみはみつから みかりなす              (ニニキネ)君は自ら 恵りなす
にしなかくにの やまおもて          西中国の 山表(山陽)      
いせきつつみに あらたなす       井堰・堤に 新田成す
にしにいたりて はけやまお         西に到りて 禿山を
とえはあれおさ あきといふ           問えば粗長 アキ(安芸)と言ふ
きのあるなにて なきいかん       「木の有る名にて 無き如何」
これおろちあり くにかみの    「これオロチあり 国神の   
ひめおのむゆえ みなやけは         姫を呑む故 皆焼けば
にけてひかわに きられける          逃げてヒカワに 斬られける
しかれとやまは かふろなり         然れど山は 禿なり 
いまにきこりの          今にきこりの
いとまあき あまきみえみて    暇 飽き」       天君 笑みて
なけくと あかつちかみに    「嘆くな」と    アカツチ守
これをしゑ すきのたねお    これ 教え      檜・杉の種を
うゑさしむ とせになりて    植えさしむ     十年に成りて
みねこもる たみつもたえ    峰 籠る       田水も絶えず
くにゆたか またやまかけも    国 豊か       また山陰
みめくりて ところところに    巡恵りて      所々に
いせきなし たかたひらきて    井堰 成し      高田 拓きて
かえります ゆたかなるとし    帰ります      豊かなる年
 みよろへる            三万 経る
ときにつくしの              時にツクシ
をさまら みこみくたりお    治まらで      御子御下りを
こふゆえに きみきこしめし    請ふ故に      君 聞こし召し
しのみやお つくしをきみと    シノ宮を      ツクシ央君
みことのり うつきねはらの    御言宣       ウツキネ ハラの
みやにゆき いとまおこえは    宮 (ハラアサマ宮に行き      暇を乞えば
むめひとも ともにのほりて    ムメヒトも     共に上りて
みつほなる あまきみをかむ    ミツホなる     天君 拝む
ときにきみ つくしはかての    時に君       「ツクシは糧の
たらさるか てれはゆきて    足らざるか     てれば 行き巡て
おまさん かれむめひとお    田を増さん     故 ムメヒトを
をきみと こやねものぬし    央君とす      コヤネモノヌシ
もろともに ここにととまり    諸共に       ここに留まり
まつりきけ うつきねすせり    政 聞け       ウツキネスセリ
きたのつに ゆきてをさめよ    キタノツに     行きて治めよ
いささわけ あれむつめよ    イササワケ     あれば睦めよ」
あまきみは にしのみやより    天君は       西の宮より
かめのり つくしうましの    カメに乗り     ツクシウマシ
うとつき つくしあまねく    ウド(鵜戸)に着き     ツクシ 遍く
めくりかり いせきつつみに    恵り回り      井堰・堤に
あらたなす のりさたむれは    新田 成す      法 定むれば
すみよしの まこほたかみや    スミヨシの     孫 ホタカミ
しかのかみ つくしこえは    シガの守      ツクシに請えば
そをはて かこにこえとも    ソヲハテ     カゴ(鹿児島)に請えども
ひめもすに つきすむまても    ひめもすに     月 澄む迄も
つくし とせさしゑ    実を尽し      三年に指絵
ほほなりて つくりおこない    ほぼ成りて     造り行い
をさめしむ のちみつほに    治めしむ      後にミツホに
かえませは むめひとをきみ    帰えませば     ムメヒト央君
しわかみの ほつまみやに    シワカミの     ホツマの宮
 かえりますかな          帰りますかな
ゑとみや きたつありて    兄弟の宮      キタツに在りて
こころみに うみさちひこか    試みに       海鉤彦が
さちかえん やまさちひこも    「鉤 換えん」    山鉤彦も
うなつきて ゆみやとり    頷きて       兄は弓矢 取り
やまかる うみいり    山に狩る      弟は海に入り
つりなす ともむなしく    釣をなす      共に空しく
さちあら ゑはゆみやかえ    サチ(実・質) 有らず     兄は弓矢 返え
もとむ とはちおとられ    鉤を求む      弟は鉤を取られ
よしなくて にいもとめは    由なくて      新鉤 求めば
ゑはうけ もとはたれは    兄は受けず     元鉤 徴れば
たちに ひともれと    太刀を鉤に     一箕に盛れど
なおいかり さわなきもとの    なお怒り      多無き 元の
ちおはたる はまうなたれ    鉤を徴る      浜に頂垂れ
うれふとき かりわなおつ    憂ふ時       雁 罠に陥つ
これとく しほつつをち    これを解く     シホツツの老翁
ゆえとふ ままことふる    故を問ふ      まま(そのまま)に答ふる
をちいわく きみうれひ    老翁 曰く      「君 な憂ひそ
はからんと めなしかたあみ    図らん」と     目無し堅網
かもいれ うたふたつけて    カモに入れ     歌札 付けて
きみものせ あけともつな    君も乗せ      帆 上げ 艫綱
ときはなつ つくしうましの    解き放つ      ツクシウマシ
はまつく かもあみすてて    浜に着く      カモ・網 棄てて
ゆきいたる そをはてかみの    行き至る      ソヲ ハテ守
みつかきや うてなかかやく    瑞垣や       高殿 輝く
くれて はゑはゆつりは    日も暮れて     ハヱ葉ユツリ葉
しきもして いねまつ    繁き茂して     寝もせで待つ
あまとも あけむれてる    海女の共      明けて群れ出る
わかひめか まりわかみつ    若姫が       椀に若水
くまんと つるへはぬれは    汲まんとす     つるべ 撥ぬれば(上げる)
かけうつる おとろきいりて    影 写る       驚き入りて
たらつく そらつかみかは    親に告ぐ      「空つ神かは
まれひとと ちちみはもお    稀人」と      父は御衣を
のそみて やゑたたみお    望み見て      八重の畳を
しきもうけ ひきいれまして    敷き設け      率き入れ申して
ゆえとふ きみあるかたち    故を問ふ      君 ある形
のたまえは はてかみしはし    宣給えば      ハテ守 しばし
おもふとき うともりきたり    思ふ時       ウド守 来たり
かたあみの かもある    「堅網の      誰がカモか 有る
としのあさ うたえそむるお    年の朝       歌合 添むるを(歌札が付いているのを)
とりみれは わかのうたあり    取り見れば     ワカの歌あり」
しほつつか めなしかたあみ   『シホツツが     目無し堅網
はるへらや みちひのたまは    張るべらや     満干の珠
はてかんかせ          ハテの神風』
ときはて もろあまめして    時にハテ      諸海女 召して
これとふ ひきめひかん    これを問ふ     ヒキ女は「布かん
あらこあみ くちめつりも    粗籠網」      クチ女が「釣り」も
よしなしや あかめひとは    由無しや      アカ女 一人は
めなしあみ ここはてかみ    「目無し網」    ここにハテ守
もろあまお あかめにそえて    諸海女を      アカ女に添えて
めなしあみ よもひれとれは    目無し網      四方 張れ取れば
おおたいか くちかみさき    大鯛が       クチを噛み裂き
まえよる あかめはくちに    前に寄る      アカ女はクチに
もとて たいおいけすに    元鉤 得て      鯛を生簣に
まつへしと つくれはては    「待つべし」と   告ぐれば ハテは
さきしる ゆめにたいて    先に知る      夢に鯛 来て
われうおの よしなきために    「我 魚の      由無き為に
くちささく われはみけにと    クチ 捧ぐ      我は御食に」と
みことのり たいうおきみ    御言宣       「鯛は魚君
みけのもの しるしうろこ    御食の物      印は鱗
みつやま うつしかえす    三つに 山      移して換す(鱗を山に置き換える)
みつやまの たいはこれなり    三つ山の      鯛はこれなり
くちいむ あかめほめて    クチは忌む」    アカ女を褒めて
よとひめと            "ヨド姫" と 
きみて              君は鉤を得て
よろこひに しかのかみて    喜びに       シガの守して
かえさしむ わにのりゆき    返さしむ      ワニに乗り行き
しのみやて やまくいまねき    シノ宮で      ヤマクイ 招き
もろともに うかわにゆけは    諸共に       ウカワ(ウカワ宮)に行けば
 みやあいて とえはやまくい    宮 会いて      問えば ヤマクイ
これむかし きみかちおかり    「これ昔      君が鉤を借り
とらお いまとりかえし    取られしを     今 取り返し
とみやから しかのかみして    弟宮から      シガの守して
かえさしむ しかはちおもち    返さしむ」     シガは鉤を持ち
たてまつる みやうかかひて    奉る        宮 窺ひて
わかちそと いいつつたつお    「我が鉤ぞ」と   言いつつ立つを
そてひかえ まちちといえは    袖 控え       「待ちち」と言えば
みやいかり みちなくわれお    宮 怒り       「道なく(道理無く)我を
なせのろふ にはおとから    なぜ呪ふ      兄には弟から
のほるはす こたえいなや    上るはず」     応えて「否や
くちいとお かえかすはす    朽ち糸を      換えて貸すはず
しれさち しらはおとえ    知れば幸      知らねば弟へ
こまはひに わひことあれと    駒這ひに      詫び言 あれ」と
いえはなお いかりふねお    言えば 尚      怒りて船を
こきいたす たまなくれは    漕ぎ出す      を投ぐれば
うみかわく しかおひゆきて    海 乾く       シガ 追ひ行きて
ふねにのる みやとひにくる    船に乗る      宮 飛び逃ぐる
やまくいも はせゆきみやの    ヤマクイも     馳せ行き 宮の
ひけは しかまたなくる    手を引けば     シガ また投ぐる
たまのみつ あふれすてに    の水       溢れて既に
しつむとき なんちたすけよ    沈む時       「汝 助けよ
われなかく おとこまて    我 長く       弟の駒して
かてうけん ここゆるして    糧 受けん」     ここに許して
むかひふね みやかえりて    迎ひ船       宮に帰りて
むつみてそさる          睦みてぞ去る
はてつみは きみもふさく    ハテツミは     君に申さく
わかとて とよつみひこと    「我が子」とて   トヨツミヒコ
とよたまめ たけつみひこと    トヨタマ姫     タケツミヒコ
おとたまめ つれてきみお    オトタマ姫     連れ率て 君を
おかましむ きみはつくしの    拝ましむ      君はツクシの  (三十二県の)
かみあつめ われつまいれん    守 集め       「我 妻 入れん
もろいかん ときほたかみ    諸 如何ん」     時にホタカミ
もふさくは さきこふとき    申さくは      「先に請ふ時
きみのも つくしのをきみ    君の名も      ツクシの央君
これここの あまつかみなり    これ ここの     天つ守なり
おまかせに むかしははきみ    お任せに      昔 母君
あまきみに ひとちきりて    天君に       一夜 契りて
のちめす きみまつはかる    後に召す      君 まず諮る
なおよしと かこしまみやに    尚 好し」と     カゴシマ宮
うつります とよたまひめお    移ります      トヨタマ姫を
みきさきに すけうちしもめ    御后に       スケ下侍
たりつつ つほねなり    二人ずつ      六局も成り
ととのえは そのあすに    調えば       その翌三日に
とよつみか たまかさそろえ    トヨツミが     玉笠 揃え
たままりも たりもた    玉椀        六人に持たせ
みつささく こえおそろえて    水 捧ぐ       声を揃えて
ももひなき まくはいのちの   『モモヒナギ     交はい後の
の かわみつあひて    三日の日の     川水 浴びて
うひちにの かみからしもゑ    ウヒヂニの     上から下へ
はなむこにみつ          花婿に水
まいらせふ まいらせふ      参らせふ      参らせふ』
このときに みそふあかたの    この時に      三十二
かみうたい よろたのしむ    守 歌い       万(大いに)と 楽しむ
しかるのち さきみゆきの    然る後       先の御幸の
いせきみな みこころそえて    井堰 皆       実心 添えて
にいたなす つくしみそふの    新田 成す      ツクシ三十二の
みめくりて かこしまます    回恵りて      カゴシマに坐す
としとしに みのりふえて    年々に       実りも増えて
くにゆたか ことしうえつけ    国 豊か       今年 植付け
てれよし うさあかたに    照れど好し     ウサの県に
はやらて さつきもちの    流行らせて     五月の十五日
はるいわひ もちゐはゑしき    張祝        餅飯・ハヱ 飾き
うけかみに いはふほなかと    ウケ神に      斎ふ 穂長
ゆつりはの ほつまあそひの    ユツリ葉の     ほつま遊び
みつほうた たのしにきはふ    みつほ歌      楽し賑わふ
とよくに みそふのあかた    トヨ(豊の国)の国      三十二の県
みなはやる かとまつはゑは    皆 流行る      門松・ハヱ葉
ゆつりはも はるしきかさる    ユツリ葉も     春 設き飾る
もとおりや            本在や 
とよにきはひて              トヨ 賑ひて
むよろとし てもあそくに    六万年       経てもアソ(阿蘇)国
 またこえ かれみやつくり    まだ肥えず     故 宮 造り
 うつります かんかえて    移ります      地を考えて
かそみねの かそうおいれて    数峰の       数魚 入れて
 こやし かけろふのひの    田を肥やし     陽炎の火
こえくにの たけいわたつは    コエ(肥国)国の      タケイワタツ
くつおあけ あそひめゆなに    沓を上げ      アソ姫 斎餞に
たてまつる きみめしあけて    奉る        君 召し上げて
うちきさき ここにもむよろ    内后        ここにも六万
として しかのかみたは    年を経て      シガの守方
またみて つくしのみやに    まだ満てず     ツクシの宮
うつります はおかんかえて    移ります      地を考えて
あふらかす いれかすやの    油粕        入れてカスヤ(粕屋)
はにみつる そのほかみその     満つる     その他 三十の
まねくゆえ めくりかんかえ    招く故       恵り 考え
つくしみや ゆたかこえて    尽くし宮      豊かに肥えて
たみやすく ここにもむよろ    民 安ぐ       ここにも六万
として すすあいた    年を経て      三鈴の間
しはらくも やすまたみお    しばらくも     休まで民を
たすゆえに きさきつほねも    治す故に      后・局も
みこうま かれこれおほし    御子 生まず     かれこれ思し
みやすてて うといたれは    宮 棄てて      ウドに至れば
はてかみの まねくかこしま    ハテ守の      招く カゴシマ
ゆきまさ きさきはちちに    行きまさず     后は父に
これつく はてかみうとに    これを告ぐ     ハテ守 ウドに
もふさくは きみたのさや    申さくは      「君 楽さずや
しからすそ つほねはあれと    然らずぞ      局はあれど
おうます かれすておき    子を生まず     故に棄て置き
たたとり つれしはらく    ただ一人      連れてしばらく
ここあり つくしたみお    ここにあり     ツクシの民を
おもふはかりそ          重ふ 図りぞ」


 アマテル神の御孫ニニキネ(天孫ニニギ)は、ツクバにニハリの宮を開いて最初の都としました。
 後にハラミ山(現・富士山)の麓にハラアサマ宮を建てて都を移し、コノハナサクヤ姫共々ホツマ国(東海・関東地方)を平和に治めていました。二人の間には、愛の証しの三つ子が授かり今では子供達も立派な青年に成長しました。
 長男のホノアカリ・ムメヒト(梅仁)はハラ宮に居て民を治め、次男のホノススミ・サクラギはツクバのニハリの宮で政りを執り、三男のヒコホホデミ・ウツキネはフタアレ山(二荒山)の裾野にウツノ宮(宇都宮)を造って民を治めていました。

 そんなある日のことです。
 父ニニキネは、長い間熟慮を重ねた末、三番目の都をアワウミ(淡海)に移すことに決定します。新しくミズホノ宮(瑞穂)をオオシマに命じて造営することにしました。これは、子供達の成長を待って、すでに新田開発も済んだ関東地方からアシハラナカクニ(葦原中国)へ都を移すことにより、西の国々で新たに水田開拓を進めて民の糧を増やし豊かで平和な国を造りたいとの深い思いからでした。

 ミズホノ宮が完成すると君は先ず、太占(フトマニ)で占い吉日を選んで遷都を決行しました。真っ先に父オシホミミの霊地ハコネノ山(現・箱根神社)に詣でて弊(ヌサ)を奉げた後に、イセ(伊勢)に坐(イマス)アマテル神と母のタクハタチチ姫にお目にかかり拝礼を済ませて、その後新都のミズホ宮に入られました。
 このようなわけで、ムメヒトはハラ宮に留まり政事(マツリゴト)を執ることになりました。アメノコヤネ(現・春日大社ご祭神)は鏡の臣として、ミシマミゾクイ(三島神社祭神オオヤマズミの子)は副物主(ソエモノヌシ)として、両人でハラ宮を補佐しました。
 ニハリ宮に坐すスセリ宮は、昔ニニキネが全国巡狩の折に淡海の湖西でサルタヒコから御饗(ミアエ)を受けたウカワ(鵜川)の仮宮の跡にウカワの宮(現・白髭神社)を建てて移りました。
 ウツノ宮のウツ宮(ウツキネ)は、オオツシノ宮(大津四ノ宮)を今度新造して賜わりました。実はこの時ウツキネは、昔父のニニキネがウカワでウノ花をかざして旅した思い出に因んで命名した自分の名と同じウカワノ宮を望みましたが、この時は許されませんでした。
 この頃のウツキネ(ヒコホホデミ)はいつも山で狩をして楽しんでいましたので、人呼んでヤマサチヒコ(山幸彦)と名付け、又次男のスセリ(ホノススミ)は常に湖で魚釣を楽しんでいましたのでウミサチヒコ(海幸彦)と呼びました。

 君はミズホノ宮に移り落ち着く間もなく、自らヤマオモテ(山陽)とヤマウシロ(山陰)地方の巡狩に出発しました。
 行く先々で、農業指導をして堰(いせき)を造り、堤で水を引いて次々と新田を開いて進みました。
 西の中国地方に行った時の事です。前方にハゲ山が多いのに気付いた君は、村長(むらおさ)を呼んで土地の名を聞いたところ、
 「ここでは、アキ(安芸)と呼んでいます」と答えました。天君(アマキミ)は、
 「アキというのは木がある名前なのに、何故木がないのじゃ」とお尋ねになりました。
 「良くぞ聞いて下さいました。これには深いわけがございます。昔は、山々に木が繁って水も多く水田も実り豊かでした。が、ご存じの様に八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が初めこの山に住み着いて、国神(クニカミ)の姫を奪い呑み殺すので、皆で山を焼いたところ、幸いオロチ(大蛇)は出雲のヒカワ(簸川)に逃げ去り、ソサノオ(素戔鳴)に殺されて事は収まりましたが、お陰でここらの山はカブロ(蕪)の様につるっぱげの様です」
 「今だにここの木こり達は、暇明(いとまあ)きで、もうアキアキしています」
 この話を聞いた君は、悪いとは思いつつも、ついに吹き出して、微笑みながらおっしゃいました。
 「諸民よ、なげきなさるな。我、計らん」と言いつつ伴のアカツチ(赤土)に指図して檜と杉の種を蒔き、苗木を山に植林させたので、十年も経った頃には、峯も緑が濃く繁って田水も絶えることがなく、きこり達も山の仕事を得て豊かな国になりました。
 又、山陰(ヤマカゲ)地方も巡って、所々に必要な堰(いせき)を築き高地にも水を引いて新田を次々と開き、喜びにわく民の秋祭を見て後にミズホノ宮にお帰りになりました。この後長い間、ミズホ宮の御世は事もなく静かな年月が過ぎました。

 突然、ツクシ(九州)からキジ(伝令)が次々と緊急を伝えてきました。
 「ツクシの方々で内乱が発生してどうにも治まりません。大至急皇子(みこ)の御狩(みかり)をお願いします」
 君はこの急報を聞いて早速シノ宮(ヒコホホデミ)をツクシオキミ(筑紫親王)に任命して、ツクシに下降させることにしました。ウツキネは命を受けると先ずハラ宮に飛び、ムメヒトに暇乞いをして後、帰路はムメヒトと一緒にミズホ宮に上って天君(アマキミ)に拝謁しました。その時君は、前後して馳せ参じたスセリと三人を前にツクシの状況を判断して話しました。

 「おそらく今度のツクシの内乱は、食糧不足が原因だろう。誰を遣(や)っても事は簡単に収まるまい。長い年月になるので今回は我自ら御幸(みゆき)しじっくりと国状を視察して新田開発を指導し、民の糧を増やして国を安定させようと思う」
 三人は以外な君のお言葉に戸惑いを隠せず、黙って次の言葉を待ちました。
 「今回は我が後任にムメヒトを親王とする。コヤネとモノヌシ(大物主、事代主)は、諸(とも)にここミズホ宮に留まって政を助けよ。又ウツキネとスセリは、キタノツ(現・敦賀)に行きネノ国(北陸)を治めよ。汝等二人いさかいがあると聞くが、仲良く睦めよ」と深き思いを込めて言い残しました。

 君はニシノ宮(西宮)からオオカメ船で多数の供奉神(グブシン)を伴ない船出し、ツクシの国のウマシのウド(鵜戸)の仮宮に着きました。
 その翌日から早々に、ツクシ三十二県(ミソフアガタ)の巡狩に出発しました。
 全国をあまねく巡り見て、民情を視察しながら必要とあらば川の上流に堰を築いて、新川を堤で導き用水路を巡らして新田開発を進めました。先ず食糧の増産を計り民の生活を豊かにして後に法(ノリ)を定めて国を安定させました。
 ほぼツクシ全域の指導を一通り終えた頃に、スミヨシ(住吉)の孫のホタカミやシガの国神達が、君を新造なったツクシノ宮(筑紫宮)に招待して、骨休みを進言しました。又、ソオの国神のハデもカゴ宮(現・鹿児島神宮)に、君の来訪を乞いましたが、君は丁重に辞退して、来る日も来る日も月が高々と頭上に澄み渡るまで身を尽くしてツクシの国造りに没頭しました。
 三年目には全三十二県の土地実測図もほぼ完成して、今後の開拓を各国神に指示して後にミズホノ宮にお帰りになりました。ムメヒト親王は父ニニキネの帰京後再びホツマノ国のハラ宮にお帰りになりました。

 キタノツで共に国を治めていた兄弟のスセリとヒコホホデミは、ある政の暇な日を見計らって、兄の海幸彦が弟の山幸彦に提案しました。
 「今日は試しに、お互い釣と狩りの道具をとりかえっこしようじゃないか」弟もそれは面白そうだと思いうなずき、兄は弓矢をとって山に狩りに出かけ、弟は海に行き釣をしました。しかしその日は共に獲物は取れず、むなしく宮に帰ってきました。兄は弓矢を弟に返して、釣針を返すように迫りますが、弟は針を魚に取られてしまい返せず、やむなく別の針を返そうとしますが、兄は受け取りません。
 「貸した元の針を返せ」と、凄まれて、苦しまぎれに自分の命の次に大切な太刀をつぶして一蓑(ヒトミ)に盛って返しますが、兄は益々怒りだし、
 「多くは要らん。元の針を早く返せ」と詰め寄り威(おど)します。ホホデミは一人悩んでなすすべもなく海辺をうなだれてトボトボと歩いていました。

 その時、松林の方から聞える罠に落ちた鳥の羽音に気付いて近づくと、必死であがく罪なき一羽の雁(カリ)の様子が丁度今の自分の境遇と同じように思えて、そっと罠を解いて逃がしてやりました。この様子を遠くから見ていたシオヅツの翁(オジ)は、他ならぬホホデミの様子を心配し眺めの良い松の根元に座を進めると、自分の弁当を分け与えて一緒に食べながら事情を訪ねました。一部始終を聞いたオジはホホデミの不安そうな様子を打ち消すように、
 「君よ心配ご無用じゃ。私に任せなさい」と言うや、メナシカタアミ(目無し潟網)をカモ船に投げ入れて、歌を詠み歌札(ウタフダ)に記し網にくくりつけて、君を船に乗せると、帆を上げ伴に艫綱(ともづな)を解き放させました。船は帆に風をはらんで西の海へとすべるように渡り、やがてツクシウマシのウドノ浜に着きました。

 君はカモ船と網を置き去りにしたまま従者に伴なわれるままに陸路を西へと急ぎました。峠から遠望すると、夕日に写し出されるソオハデカミの瑞垣(みずがき)は、朱玉のウテナ(高殿)を頂いて燦然と輝き、四位を照らして日暮れてなお余光を放っていました。
 やがて日も落ちて門前に着いた頃は、とっぷりと夜の帳(とばり)につつまれて、しじまが闇を覆っていました。この夜更けに住人を起こすこともならず、君は石垣のハエバ(ウラジロ)と井戸のほとりのユズリハ(譲葉)を集めて敷き座ると、まんじりともせず夜明けを待つことにしました。

 朝まだき小鳥の声とともに天(アマ)の戸(ト)が開き、元旦の朝日とともに門から群れ出てきた乙女達は若水を汲みに井戸に走りよると、一人の若姫が手に持ったマリ(椀)につるべをはねて若水をそそぎました。その時動く水面に高貴な若者の影が写り、驚いた乙女達は屋敷にかけ戻ると、父に知らせました。
 「若き貴人(まれびと)がユズリハの木の元に居られます」この報を聞いたハデズミは、そのお姿とお召し物をかいま見て、
 「なんとまぼろしか、はたまたまれなる天子様かな」と言いつつ、早速八重の畳を敷いて君を迎え入れ、突然の来訪の事情をお尋ねしました。
 君が事の一部始終を一気に話し終えると、ハデ神がしばし考え込んでいる間に、新年朝早々にウド守が網を持って駆け込んで来て告げました。
 「主なきカモ船の中に潟網(かたあみ)が残されていましたので、お届けしました」
 ハデズミがふと網を見ると新年の朝にふさわしく和歌が歌札に染められていました。

シオヅツが  目無し潟網  張るべらや
満干(みちひ)の珠(たま)は  ハデの神風

 この歌を読んだハデ神は、すぐに大勢の海女を集めて釣針を探す方法を皆に相談しました。するとヒキ女が申すには、 「大目の粗籠網(あらこあみ)を曳きましょう」クチ女がいわく、
 「釣をして探すのが一番です」。アカ女一人だけが、
 「目無し潟網(めなしかたあみ)を張りましょう」と答え、ここでハデは諸海女(もろあま)に、アカ女を助けて目無し網を張るように命じました。

 四方の海で魚を取っていると、大きな鯛がグチ(イシモチの俗称)をくわえてアカ女の前に寄ってきました。見ればグチの口に釣針が掛かったままにあり、アカ女はグチから針を抜いてタイに言いつけました。
 「生簀(いけす)で待ってなさい」と告げ、ハデ神のところに急ぎ針を献上しました。
 実はハデ神は前夜の内に、夢でこのことをすでに知っていました。夢の中に大鯛が現われていわく、
 「我は、魚供の無益な行為を謝り、迷惑なグチを捕えて釣針を返しに来ました。我もどうか君の御食(みけ)にしてください」
 君は話を聞いて鯛の心意気をたいそう愛(め)でて詔されました。
 「鯛は魚王(うおきみ)である。神饌(しんせん)の常の御食(つねのみけ)と定めよ。又鯛の家紋を三つに山の三鱗(みつうろこ)とせよ」
 この時皆は、鯛の紋を三つ山に絵描き写してから鯛を愛でて海に返してやりました。しかしグチは、この時から神の御食(みけ)には良くない魚となりました。君はアカ女の功を誉めたたえて、ヨド姫(淀姫)の名を賜いました。

 今、君は念願の釣針を手に入れてたいそうお悦びになり、ツクシでなすべき業(ワザ)を残した自分に代わって一刻も早く兄に針を返そうと、シガノ神をスセリ宮に遣わしました。
 シガノ神はツクシからワニ船に乗ってニシノ宮に行き、陸路シノ宮に入って、この地の神ヤマクイ(日吉神社祭神)を招き、事と次第を打ち合わせてから一緒にウカワ宮に参上しました。
 スセリ宮は遠来の客を伴って上京したヤマクイに心良く面会して、
 「それはそうと今日は又何か面白い話しでも持って来たのかな」と、ご機嫌の様子でした。ヤマクイはシガの方を見やりながら、
 「実はここにある物は、宮もご存じと思いますが、昔君の釣針を弟ホホデミが借りて魚に取られて返せなかった針です。今やっと取り返して遠い宮からはるばるとシガの神を遣いにお返しに参りました」
 この時シガは、両手で釣針をうやうやしく掲げて奉りました。
 宮は、なにくわぬ顔でそっと針を窺い見て、
 「我が針ぞ」と、言いつつもそっと立ち去ろうとする様子を察したシガノ神は、君の袖を軽く押さえて思わず、
 「待ちぢ」と制すれば、宮は急に血相を変えて怒り出して、
 「道理もわきまえずに、我をなぜ呪う。兄に対して弟自ら上京して返すべきではないか、礼儀知らずめ」シガは答えていわく、
 「いなや、弟宮のしわざにあらず。海幸彦といわれるほどの者なら当然朽ちた釣糸を新しく替えて弟に貸すはず。この道理を知ればこそ海幸彦。なれど知らなかったなら、弟に駒這い(コマバイ)になって詫びよ」と言えば、宮は益々怒りだしてウカワ宮の前を波が洗う湖へと船を漕ぎ出しました。

 そこでシガはハデ神から預かった干(ひ)の玉を、懐から取り出して水中に投げ込むとたちまち水が減り湖が干上がりました。シガはスセリ宮を追いかけて行き船に飛び乗ると、宮は船を飛び出し逃げ出しました。ヤマクイも走って宮に追い着き、宮の手を引けば、シガが今度は満ちの玉を投げると玉の水が溢れ水が増して、ついに宮が溺れかかり、正にあわやというその時、
 「汝助けよ、我長く弟の駒(こま)して糧(かて)受けん」と心から詫びて叫びました。
 ことここに極まり、宮を許して迎え船を出して助け入れて、皆一緒にウカワ宮に戻って仲直りして、それぞれ国に帰って行きました。

 一方ハデズミは、ある日自分の二男二女をホホデミの御前に引き連れて伺いました。
 「我はスミヨシ神(住吉)の孫にして、姓はカモ(鴨)名をハデヅミと申します。又ここに居ります我が二男二女は、長男の名はトヨズミヒコ(豊祇彦)、次女はトヨタマメ(豊玉姫)、三男タケズミヒコ(建祇彦)と四女オトタマメ(乙玉姫)でございます。どうか今後共お見知りおきいただきとうございます」と正式に挨拶をされました。
 君はこの後、ツクシ三十二県の国神を一堂に召集すると、諸神に問いかけました。
 「我は今、妻を迎えようと考えるが汝等の意見はいかがかな」この時、ホタカミが申し上げるには、
 「君はもう前に、父君のニニキネからツクシ親王(おきみ)の名を賜わっておられます。すでにツクシの天君です。どうか君の御意のままにしてください。昔、母君のコノハナサクヤ姫を天君ニニキネは、御巡幸の途次、一夜の契りを結んで、後に正式に后とされましたが、君は事前に我等にお計り下さり、大変ありがたい良い事と感激しております」と、皆の同意を得るかのように四方を見回して発言しました。
 この場で君は、トヨタマ姫を御后(みきさき)に定め、スケ、ウチメ、シモメ、の三階級の局を二人ずつ選んで六人が揃いました。

 婚礼の準備も全て整い、式場をカゴシマ宮に移して結婚の儀式が金、銀の花を添えて盛大に開かれました。
 この座でツクシ三十二県の神々も皆、祝い歌を謡い楽しみ、やがて万歳万歳(ヨロトシ、ヨロトシ)の声が感動の渦となって国中に広がっていきました。

 婚儀三日目の朝の事です。
 トヨタマ姫の兄トヨズミヒコが六人の局達に、皆揃いの玉笠をかぶらせ、手にはそれぞれタママリモ(玉椀)を持たせて新婚の二人が室から出てくるのを、今か今かと声をひそめて待っていました。
 戸が空くと、突然皆一斉に声を揃えて歌い、マリモの水を二人に降りそそぎました。

桃雛木(ももひなぎ) 馬具合(まぐばい)後の  三日の日(みかのひ)の
川水浴びて  ウビチニの  上(かみ)から下(しも)へ
花婿(はなむこ)に水  まいらせふ  まいらせふ

 この後、君はカゴシマ宮にトヨタマ姫とお住まいになり、ツクシ三十二県を巡り見ては新田開発に努め国土の改善を進めました。このお陰で今では実りも増して国も豊かになり平和が続きました。
 今年は日照りが強かったものの、川水を堰止め、溜池をたくさん掘らせたことで、干ばつもなく例年通り早苗(さなえ)の植え付けもうまく済みました。喜んだウサノ県主のウサツヒコは国中に命じて植え付けの苗月(サツキ)の十五(モチ)日に、花の正月と称して春祝いのお祭をしてウケモチノ神(稲荷神)に豊作祈願の儀式を定めました。
 神前に大きな供え餅を捧げて、昔ホホデミが敷いて元旦の朝を待った故事にならい、餅の下にハエハ(裏白)を敷いて穂長の稲穂にたとえ、又ユズリハも飾ってアズマ歌を謡い、上(神)から下(民)まで祭を楽しみ国中賑い豊かになったので、この国の名を豊(トヨ)の国と名付けました。
 次第に三十二県にもこの祭が流行して、後に正月元旦の儀式となりました。幸を待ち神を待つ門松を立て、ハエハとユズリハをお供え餅に敷いて飾る風習を国中で祝うようになりました。

 君はトヨタマ姫と一緒になられてから後も、ツクシの民の為に身を粉にして働き続け、一時も休む日とてなく、民を助けて身を尽くしました。しかし残念にも后にも局にもまだ子供が出来ませんでした。君はこの事を心配して一時期すべての政(まつり)を離れて、辛い運命を明るい未来に変えた最初の第一歩のウドの仮宮に戻って、たった一人トヨタマ姫だけを伴って籠る決心をしました。
 ハデ神からの、
 「カゴシマ宮に来てゆっくりお過ごしください。お待ちしています」との誘いにも、妻トヨタマ姫を通じて丁重に断わりました。すると、ハデ神からウド御滞在の君に思い遣りの文が届けられました。
 「君は民のために働きすぎて、自分が楽しく遊ぶことをわすれてしまわれたのです。どうか何も考えず、全て捨ておき、トヨタマと気ままにお過ごし下さい」

 いつも君の御心は、これもそれも唯々ツクシの民の行く末を思んばかるばかりです。












(私論.私見)