ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)24



 (最新見直し2009.3.7日)

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【ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)24、コヱ国ハラミ山の文】
 コノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)桜の誓い
こゑくにはらみやまあや      コヱ国ハラミ山の文
そもそもに みまこににきね     そもそもに 御孫ニニキネ
にはりみや つくはをさむ     ニハリ宮 ツクバに治む
としすてに すすふちゐそ     年既に  三鈴二千五十
つらつらと おもせたみの     つらつらと 思せば民の
ふゆるほと まさゆえ     増ゆる程 田は増さぬ故
かてたら ひらはおたは    糧足らず 平場の生田は
みつたえ たかたあめの     水絶えず 高田は雨の
ふらとし たねほろほす     降らぬ年 種を滅ぼす
かわかみの みつおかけひに     川上の 水を懸樋に
はこはと これくつれは     運ばせど これも朽つれば
いせきたて つつみきつきて     井堰立て 堤築きて
やまみつお とりてたかたお     山水を 取りて高田を
ひらかんと いつかもふね     拓かんと 逸の鴨船
いせつけ めくりこえとも     イセに着け 巡り請えども
ををんかみ ゆるさここに     大御神 許さずここに
かりすまゐ やまたたかく     仮住い 山田のタカク(高倉山)
みやかわの かみよりいせき つつみつき     ミヤ川の 上より井堰 堤築き
ついたかのお なせは    遂に高野を 田となせば
とせうちに みつほなる     五年の内に 瑞穂 成る   
ほかそやの いせきなる  他に十八処の 井堰成る
ときあまてる  みことのり        時に天地照る 御言宣 
やしまめくれと ふれたまふ         「八州巡れ」と 告れ給ふ
ときふそこすす ゐも               時二十九鈴 五百の一枝 
みそやきさらき ついたちと   三十八(穂) 二月 一日と
むめはなみ みあえて     梅の花見の 御饗して    
ひよみのみやの かとてのり      日夜見の宮の 門出宣
むかしひよみの おもいかね              昔日夜見の オモイカネ  
こよみつくりて ここあり        暦作りて ここにあり
のちむらくもに ゆつりおく         後ムラクモに
むらくもあめの    譲り置く      ムラクモ
をんともに あすかにはへる    御供に       アスカに侍る
たちからを をやのあととて    タチカラヲ     親の後とて
ここにあり みかりのとも    ここにあり     恵りの御供
こふゆえに むらくもめして    請ふ故に      ムラクモ 召して
みことのり なんちむらくも    御言宣       「汝 ムラクモ
こよみなす かかみくもれは    暦 成す       鏡 曇れば
たまふは あめふたゑなり    賜ふ名は      アメフタヱなり」
ふたゑけふ みあえおなせは    会・饗        祝をなせば
かといてに みはたのとめの    門出に       御機の留の
をんふみお みまこにたまひ    御文を       御孫に賜ひ
かかみお こやねにたまひ    御鏡を       コヤネに賜ひ
つるきお こもりにたまひ    御剣を       コモリに賜ひ
のたまふは さきにみくさの    宣給ふは      「先に三種
たからもの みこおしひとに    宝物        御子オシヒト
たまひは あにみまこて    賜ひしは      兄孫 得て
ふとたまと かくやまはねの    フトタマと     カクヤマ 羽の
をみとなる こやねものぬし    となる」     「コヤネ・モノヌシ
きよひとか はねのをみなり    キヨヒトが     羽の臣なり
きみをみ こころひとに    君と臣       心 一つに」
かのとりの かたちはやたみ    「右の鳥の     形は八民
くひはきみ かかみはたはね    頭は君       鏡は左羽
つるきか もののへはあし    剣 右羽 (剣臣)       モノノベは足」
かかみをみ すえほろふれは    「鏡臣       末え (潰え)滅ぶれば
たみはなれ ひつきふま    民 離れ       日月 踏まれず (恵みの日月も世に留まらず)
つるきをみ すえほろふれは    剣臣        末え滅ぶれば
ものへわれ うはわるる    モノベ 破れ     世を奪わるる」
やたをみは そろはふはるの    ヤタ臣は      繁栄ふ春の
たみわさお かんかみるそ    民業を       鑑みる目ぞ
かきをみは よこまおからし    垣臣(=剣臣)は       汚曲を枯らし
もののへの ちからもるそ    モノノベの     力 守る手ぞ」
このゆえに みくさおわけて    この故に      三種を分けて 
さつくは なかくひとに    授く意は      "長く一つに
なるよしお あやにしるして    和る" 由を     文 (御機の文)に記して
をてつから ふみおみまこに    御手づから     文を御孫に
さつけます せおりつひめは    授けます      セオリツ姫
みかかみお もちてかすかに    御鏡を       持ちてカスガ
さつけます はやあきつめは    授けます      ハヤアキツ姫
みつるきお もちてこもりに    御剣を       持ちてコモリに
さつけます たひうやまひ    授けます      三度 敬ひ
みなうくるかな          皆 受くるかな
しかるのち みくさたからお    然る後       三種宝
ひつにいれ しるしはさかき    櫃に入れ      標は
さきかりは たちからをなり    先駆は       タチカラヲなり
つきかつて おおものぬしと    次 カツテ      オオモノヌシ
みくさひつ やふさみくるま    三種櫃       八房御車
つきこやね かこむまやその    次 コヤネ      駕籠・馬・八十の
もののへ いせよりたちて    モノノベ等     イセより発ちて
あすかみや これよりみつの    アスカ宮      これより水の
にしのみや まつかんさきの    西宮        まずカンサキの(播磨の神崎)
おおゐほり まなゐいたり    大井 掘り      マナヰに至り
ぬさおさめ こゑのねくに    幣 納め       越の根の国
あちはせか みねこしささく    アチハセが     峰輿 捧ぐ
これめし しらやまみねお    これに召し     白山峰を
みめくるに ななめなら    巡恵るに      斜めにならず
このこしは つくれると    「この輿は     誰が造れる」と
のたまえは ここりめいわく    宣給えば      ココリ姫 曰く
まこなす いとうけすてめ    「孫が成す     妹 ウケステメ
あかかたに くろそのつみと    アカガタに     クロソノツミ
うむみこお ころひつくにの    生む御子を     暮日つ国
きみなす くろそのつめる    君となす      クロソノツメル
きみのはは けわしきみねの    君の母       険しき峰の
こすときに みねこしつくり    越す時に      峰輿 造り
そたつ いまここて    子を育つ      今 ここに来て
まみゑなす みまこよろこひ    見えなす      御孫 喜び
くにこし やまはみねこし    「国は      山は峰輿
そのかえに みちみのももお    その返に      三千実の桃を  
 たまわれは はなみのももは    賜われば      「花見の桃は
まれなりと くにつとになす    稀なり」と     地苞になす
やよいもち みあえむめに    三月十五日     御饗の梅に
きみゑみて むめにみくさの    君 笑みて      梅に三種
かといても むめにこして    門出も       梅に輿 得て
このみあえ あめのしるしと    この御饗      熟の標と
おりかさし いたるたかしま    折り 髪挿し     至る タカシマ (高島)
ささなみの さくらよしと    細波の       桜も好しと
おりかさし くまのよろきの    折り 髪挿し     クマ野 ヨロギ野
んと おおたみしまか    田にせんと     オオタミシマ
いかわなす おとたまかわの    井・川 成す     オトタマ川
しらすなに ひるねおる    沿す野に      昼寝して居る
ちまたかみ たけそな    チマタ守      身の丈 十七尺
つらかかち はなたかさ    面 カガチ      鼻高さ 七寸
かかみ            目は鏡
ともやそかみ              供の八十守
おそるれは みまこうすめに    恐るれば      御孫 ウスメ
みことのり なんちめかちに    御言宣       「汝 粧ちに
とふへしと うすめむねあけ    問ふべし」と    ウスメ 胸 開け
もひほさけ あさわらいゆく    下秘ほ 曝け     栄さ笑い行く
ちまたかみ さめかくする    チマタ守      覚めて「かく為る
なにゆえや いわくみまこの    何故や」      曰く「御孫の
みゆきさき かくおるそ    御幸先       かく居るは誰ぞ」
こたえいふ かみのみまこの    答え言ふ      「神の御孫の
みゆきなす うかわかりやに    御幸なす      ウカワ仮屋に  
みあえて あひまつなかた    御饗して      合ひ待つ 長留
さるたひこ うすめまたとふ    サルタヒコ」    ウスメ また問ふ
いつれから ゆくやこたえて    「何れから     行くや」 答えて
われゆかん またとふなんち    「我 行かん」    また問ふ「汝
しるきみ いきますとこお    知るや 君      行きます所を」
こたえいふ きみはつくしの    答え言ふ      「君はツクシ
たかちほそ われはいせ    タカチホぞ     我はイセの南
 なかたかわ なんちわかお    ナカタガワ     汝 我が名を
あらわさは われもいたさん    顕さば       我も出ださん」(名を君が世に顕さん)
かえこと みまこよろこひ    返言す       御孫 喜び
うのはなも またかさしゆく    卯の花も      また髪挿し行く
さるたて たけのいわくら    サルタして     健の岩塊   
おしはなち いつのちわきの    押し放ち      逸のチワキ
よろいさき たけかかみの    ヨロイサキ     ダケ(岳山)やカガミ (鏡山)
みおつち つむみかみやま    ミオ(三尾)  の土      積む ミカミ山(三上山)
いせきつく さるたおほめて    井堰 築く      サルタを褒めて
みおのかみ このむうすめお    ミオの守      好むウスメを
 たまわりて そのあらはす    賜りて       その名 顕す
さるへと かくらおのこの    猿部等と      神楽獣の  
きみもとなり          君の元なり
みことのり みおちわきも    御言宣       「ミオチワキ
ここに これかかみなり    田はここに     これ 鏡なり」(田に水を張った様子)
かりみやお みつほなつく    仮宮を       ミヅホ(水圃)と名付く
たかゆき ぬさささけて    タガ(多賀)に行き     幣を捧げて
みのにゆき あまくにたまの    ミノ(美濃)に行き     アマクニタマ
よろこひも むかしかすかに    喜びも       昔 カスガ
うるりゑて うむたかひこね    瓜 合て       生む タカヒコネ
ささけもの おのおのまくわ    捧げ物       各々 マクワ
ひとかこと やそよろこひて    一籠と       八十 喜びて
くもちわけ しなのすわより    雲路 分け      シナノ スワ (信濃)(諏訪) より
みちひけは はらみやまから    導けば       ハラミ山から
よもて すそのひろし    四方を見て     「裾野は広し
みつうみ すそのん    水を埋み      裾野 田にせん」
たちからを やもほらしむ    タチカラヲ     八方に掘らしむ
うみも やまなかと    の名も      東はヤマナカ(山中湖)と
きねあす かはくちと    東北はアス (明見湖)    北はカハクチと(河口湖)
 ねつもとす にしのうみ    北西 モトス (本栖湖)      西はニシノウミ(西湖)
つさきよみ しひれうみ    西南キヨミ(精進湖)      南はシビレウミ(四尾連湖)
きさすと            東南はスド(須戸沼)
にはりたみか              ニハリの民が
むれきたり うみほりつちお    群れ来り      湖 掘り 土を 
みねあけ やふさはかりと    峰に上げ      「八房 はかり」と
あにこたえ なかもかな    天に答え(告げ)      「中の土 もがな」
うつろゐか あわうみさらえ    ウツロヰが(空の神)      アワ海 渫え
みおのわと ひとにないて    ミオの土と     人 担い来て
あさに なかみねなせは    朝の間に      中峰 成せば
かみのなも ゐつあさまみね    上の名も      ヰツアサマ峰
やまたかく みつうみふかく    山 高く       湖 深く
ならひなし みねふるゆき    並び無し      峰に降る雪
 いけみつの すえこちさとの    池水の       末 九千里の
なりて およふみよに    田と成りて     及ぶ 三万反に
はたとしに さらえなせとて    「二十年に     渫え なせ」とて
さかおりの みやいります    サカオリの     宮に入ります
あつかりの おおやますみか    預りの       オオヤマスミ
みあえなす かしはささく    御饗なす      御膳 捧ぐ
あしつひめ ひとめされて    アシツ姫      一夜 召されて
ちきりこむ            契り交む
かえるにはりに              帰るニハリ
ゆきすきの みやいのりの    ユキスキの     宮に祈りの
おおなめゑ みくさうけお    大嘗会       三種の受けを
あにこたえ みやにをさむる    天に答え      宮に納むる
そのかさり かくやはたあり    その飾り      八幡あり
そのあすか おおんたからに    その翌日      大御宝
おかましむ            拝ましむ
こやねかしまに              コヤネ カシマ
としこゆる ものぬしひと    年 越ゆる      モノヌシ 一人
ひたかみの いせきなしなし    ヒタカミの     井堰 成し成し
ひすみまて ををちよろこひ    日隅 詣で      祖父 喜び
そのちちか やまとのかみと    「その父が     ヤマトの神
なりのち まこあいたく    成りて後(世を去って後)       孫に会いたく
としよると てつからみあえ    年 寄る」と     手づから御饗
ものぬしも よろこひいわく    モノヌシも     喜び曰く
わかきみの やまやふさの    「我が君の     山を八房
ゐゆきなす おおちおとろき    居雪 成す」     祖父 驚き
われたとひ あらたなすとも    「我 たとひ     新田 成すとも
これしら きみまことの    これ 知らず     君は真の
てらすかみ よよのみをやそ    照らす守      代々の上祖ぞ(=幾代の上祖)
まめなせと くにさかいまて    忠 なせ」と     国境まで
おくりてそ なこりあるなり    送りてぞ      名残あるなり
ものぬしは うみへにしに    モノヌシは     海辺を西に
めくりつつ さしゑにあらた    巡りつつ      指絵に新田
おこさしむ さとわたりて    興さしむ      サドに渡りて
あらたなす こしもとりて    新田 成す      に戻りて
いせきなすかな          井堰 成すかな
とききみ おほすことあり    時に君       思すことあり
こやねて にはりととめ    コヤネして     ニハリに留め
かつてして うみへおのほる    カツテして     海辺を上る
みゆきふれ おおやますみは    御幸 告れ      オオヤマスミは
ゐつさきの かりやむかえ    ヰヅサキの     仮屋に迎え
みあえなす かしはなすとき    御饗なす      膳なす時
あしつひめ いめはらめと    アシツ姫      「妹 孕めり」と
もうすゆえ いせつけんと    申す故       「イセに告げん」と
よそひなす ときそのはは    装ひなす      時に その母
あねつれて かりやにいたり    姉 連れて      仮屋に至り
まみゑこふ めせもうさく    見え 請ふ      召せば申さく
いもとさえ わかいつくしの    「妹さえ      我が慈しの
あねありと ことはかされは    姉あり」と     言葉 飾れば
ふたこころ あねいわなかお    二心        姉 イワナガ
めせはその かたちするとく    召せば その     容 鋭く
みめあしく かれきもけし    見目 悪しく     故に肝消し
みやひかえ やはりあしつと    ミヤビ 変え     やはりアシツと
のたまえは ちちおとろきて    宣給えば      父 驚きて
つましかる かくあらんとて    妻 叱る       「かく有らんとて
いたさお いそきかえれと    出さぬを      急ぎ帰れ」と
おひやれは ははあねうらみ    追い遣れば     母・姉 恨み
しもめて いもとおとさん    下侍して      妹 陥さん
あたまくら            他枕
ついいつわり              遂に偽り
しろこて きみきこゆる    シロコ宿で     君に聞ゆる
うたかひに たひやよはに    疑いに       旅屋を夜半に
たちいてて いせかえます    立ち出でて     イセに帰えます
ひめひと ねさめゆけは    姫 一人       寝覚めて行けば
まつさかに せきとめられて    マツサカ(松阪)に     塞き止められて
しろこやに かえりちかつて    シロコ宿に     帰り誓つて  
ねたまれの わかはちすすけ    「妬まれの     我が恥 濯げ
このさくら むかしひををち    この桜       昔 曽祖父
さくらうし このはなささく    サクラウシ     この木 捧ぐ
ををんかみ おうちうえて    大御神       大内に植えて
いせのみち なるはなるるお    妹背の道      和る離るるを
はかります さくらあらは    計ります      桜 意 有らば
わかはらみ あたたねならは    我が孕み      他種ならば
はなしほめ まさたねならは    木 萎め       真種ならば
うむときに さけちかひて    生む時に      咲け」と誓ひて
ここうゑ さとかえます    ここに植え     里に帰ます
そふみちて みなつきはつひ    十二 満ちて     六月初日
みつこうむ そのゑなあや    三つ子 生む     その胞衣の紋
むめさくら うはなかわり    梅・桜        卯花と替り
あやしめは きみつくれと    怪しめば      君に告ぐれど
かえなくて ひめすそのに    返 無くて      姫は裾野
うつむろ めくりしはの    埋室し       周りに柴の
かきなして ははちかひて    垣 成して      母子 誓ひて
なかあり あたたねならは    中にあり      「他種ならば
ほろひんと つけやけは    滅びん」と     火を着け 焼けば
あつかりて はひいてんと    熱がりて      這ひ出でんとす
みねたつ みつはきかけて    峰の       水 吐きかけて
ひとつつ みちひきみこお    一人づつ      導き 御子を
はひいたす もろとおとろき    這ひ出す      諸人 驚き
けして ひめひきいたし    火を消して     姫 引き出し
みこしもて みやおくりて    御輿 以て      宮に送りてサカオリ宮)
いせつく            イセに告ぐ  
しろこさくら              シロコの桜
うまれひに さきたえは    生れ日に      咲きて絶えねば
あめみまこ かもふねはやく    天御孫       カモ船 早く
とはさて おきつつけは    疾ばさせて     オキツに着けば
きちとひて さかおりにつく     飛びて      サカオリに告ぐ
ひめうらみ ふすまかふりて    姫 恨み       衾 被りて
こたえなし かえことすれは    応え 無し      返言すれば
きみしはし おもひわかの    君 しばし      思ひてワカの
うたみそめ おきひこて    歌見 染め      オキヒコをして
さおしかと ひめいたたきて    直御使人      姫 頂きて
おきつもは にはよれとも   『沖つ鳥は      辺には寄れども 
さねとこも あたわかもよ    添床も       適わぬ
はまつちとりよ          放まつ千鳥よ』
このうたに うらみなんた    この歌に      恨みの斜
とけおちて きもにこたえの    解け落ちて     肝に応えの
かちはたし すそのはしりて    徒歩 裸足      裾野 走りて
おきつはま きみよろこひて    オキツ浜      君 喜びて
こしならへ ゆくおおみやは    輿 並べ       行く大宮は(サカオリ宮)
やますみの みちむかえて    ヤマスミの     道迎えして
みところに すわかみあえは    御所に       スワ守 会えば  
すはしりて さかおりみやに    すばしりて     サカオリ宮
いりまして もろかみきけよ    入りまして     「諸守 聞けよ  
われさきに はなかさして    我 先に       花を髪挿して
かけとほる これゑなあや    駈け徹る      これ 胞衣の紋
いみななす はつてるは    斎名 成す      初に出る名は
ほのあかり いみなむめひと    ホノアカリ     斎名 ムメヒト
つきは なもほのすすみ    次の子は      名もホノススミ
さくらきそ すえはなもひこ    サクラギぞ     末は名もヒコ
ほおてみの いみなうつきね    ホオテミの     斎名 ウツキネ
またひめは うむより    また姫は      子を生む日より
 はなたえ ゆえこのはな    花 絶えず      故にコノハナ
さくやひめ            サクヤ姫
みやつくりて              宮造りして
おわします なつめかみか    御座します     ナツメの守
うふきなす ははもて    産着 成す      母の乳を以て
ひたします こやすのかみそ    養します      肥やすの守(子安神)
ひとなりに さくらきかにの    人成りに      サクラギ 汚泥の
くさなせは すせりくさにて     成せば      スセリ草にて
かにはきて くさかれいゆる    汚泥 掃きて     腐枯れ 癒ゆる
すせり かれしらひけの    名もスセリ     故 白髭
すせりもて たみよみかえる    スセリ 以て     民 蘇る
まもりとて はたきうくる    守りとて      開きて受くる
みやゐこれかな          宮居 これかな」
そののちに きみこのやまに    その後に      君 熟山
のほりて なかこやすめ    登り見て      ナカゴ 安めり
やつみねに ゐゆきたえは    八峰に       居雪 絶えねば
よよも とよゐゆきやま    代々の名も     豊居雪山
このしろの たつたつたの    熟精の       タツタの
かみこと このしろいけの    の形       高聳池
みやことり らはななくれは    ミヤコ鳥      ラハ菜 投ぐれば
たはむれる とりたすきとて    束むれる      鳥たすきとて
ゐます こもりなす    衣に埋ます     コモリ 絵に成す
ちよみくさ みはもしみて    千齢見草      御衣に染みて(君の御衣に染めて)
さまうつす まままつりお    様 写す       随に政を
きこしめす このあきみつほ    聞し召す      この秋 瑞穂
ちからなす かれやまはとの    力 なす       故 熟果留
みはとなす あやとめ    御衣となす     紋に果を留め
おるにしき おおなめまつる    織る       大嘗 祭る
みははこれ            御衣はこれ
はおなはめは              ハオ菜を食めば
ちようる わかなおなし    千齢を得る     若菜も同じ
にかけれと はおなはももの    苦けれど      ハオ菜は百々の
ましにかく ちよおのふれと    増し苦く      千齢を延ぶれど
たみくわ ひとなり    民 食わず      根は人の態
よめな はなやゑかおよ    葉は嫁菜      花 八重顔よ
らははくは もくさかふろは    ラハハク葉     もぐさかぶろ葉
まして をいわかやく    血を増して     老いも若やぐ
わかむすひ このこくわに    ワカムスビ     籠子(蚕)を桑に
いとなせは ここりひめて    糸 生せば      ココリ姫 得て
みはささく こゑねくにそ    御衣 捧ぐ      蚕得根[越根]の国
ものぬしは きたよりめくり    モノヌシは     北より巡り
こゑて かのすすむ    越に来て      右の絵を進む
ここりひめ あやおりなす    ココリ姫      紋に織り和す
とりたすき あめささけて    鳥たすき      に捧げて
またにしの ははみやけと    また西の      母が土産と
のこる            世に残る
たかいたれは              タガに至れば
つえつま あさひめむかふ    ツエが妻      アサ姫 迎ふ
ものぬしは くわよきて    モノヌシは     桑 好きを見て  
あさひめに かひきぬおる    アサ姫に      繭 醸ひ[蚕 飼ひ] 衣 織る
たちぬひの みちをしゆれは    経緯の       道 教ゆれば
をこたまの かみまつりて    ヲコタマの     神を祭りて
ゐくらたし みはさしつくり    五座 治し      衣 差し作り
たちぬひの みちをしゆれは    <民に>経緯の       道 教ゆれば
 やもとほり こゑくにのかみ    八方 徹り      蚕得国の神
をこのさと こかひゑるなり    ヲコの里      繭醸 得るなり
あめみまこ またやまめくり    天御孫       また山 巡り
ひゑて はらいたむとき    峰に冷えて     腹 痛む時
こもりその みくさすすめて    コモリ 直の     身草 進めて
これたす ましわる    これを治す     実と葉 交わる
ひとみくさ はこねうすき    人身草       根 箱根空木
くきひと ひとみ    茎 一垂       四枝五葉 人身
しろはな あきあつき    小白花       秋 実は小豆
あまにかく よこしうるほひ    甘苦く       脾臓 潤ひ
むねたす ももくさあれと    胸を治す      百草あれど
はらみ ことまさるゆえ    ハ・ラ・ミの三(ハオ菜ラハ菜ミ草の三草)    殊 優る故
くさほめ はらみやまなり    三草 褒め      ハラミ山なり
ふたかみの くになかはしら    二神の       国中柱
おきのつほ あまてるかみの    オキの壺      アマテル神
ひたかみの かたたけみやの    ヒタカミの     カタタケ宮
なかはしら けたつほふみ    中柱        ケタ壺の碑
ゐつかみの はらみはつほは    逸神の       ハラミハツホは  
よもやもの なかはしらなり    四方八方の     中柱なり
ををんかみ はらをきみと    大御神       ハラの央君
たまふ にはりたみか    名を賜ふ      ニハリの民が
したふ ふりわかれて    子と慕ふ      振りも分かれて
もとたみと みつきはわかれ    元民と       水際 別れ
しわかみの みはしらまま    地上の       御柱の随
なることく まつりほつまに    成る如く      政 ほつま
ととのひて ふよろやちて    調ひて       二万八千 経て
みそすすの こよみなすころ    三十の      暦 なす頃
くにも しはかみほつま    国の名も      "地上ホツマ"
あまねくに うつりたのしむ    遍くに       写り 楽しむ(伝播し)(栄える)
よよゆたか            弥々豊か
やよろとして              八万年 経て
ひたかみの きみよりめせは    ヒタカミの     君より召せば
もろともに みやのほれは    諸共に       宮に上れば
ちちみかと みこふたかたに    父帝        御子二方に
みことのり            御言宣
われよはひおい              「我 齢 老い
ひたるゆえ いまよりあにも    ひたる 故      今より兄も
やまと あすかをきみと    名はヤマト     アスカ央君
はらをきみ ともむつみて    ハラ央君      共に睦みて
ゑとかみの そのそのたみ    ヱト神の      その日 その民
もることく ゑとしかきけ    守る如く      兄弟 確かと聞け
くにたみお わかものせな    国民を       我がものにせな(民は君のものにあらず)
きみその たみのきみなり    君はその      民の君なり (民の為にこそ君が在る)
はこね ふたゑめくみそ    民 [田]  は箱根      二重 恵みぞ
かにめてる きみなし    此に愛でる     君は明も為し
ふたもなし かみかかみの    蓋も為し      神の鏡の
あまてらす ひつきのきみと    天地 照らす     日月の君
 まもるはこねそ          守る箱根ぞ」
ついほる ゐつをはしりの    終に掘る      ヰツヲハシリ
ほらあなに みつからいりて    洞穴に       自ら入りて
はこねかみ まつりのちに    箱根神       祭りて後に
はらをきみ のこしことより    ハラ央君      遺言より
ふたたみの あらそいあれは    二民の       争いあれば
とみやりて やわしさはきて    臣 遣りて      和し 裁きて
なにことも おたみたてて    何事も       老民を立てて
にいたみの かけはらより    新民の       欠けはハラより
つくなわ かれうち    償わす       故に万の内
むつましき ゑとなつけて    睦じき       兄弟を名付けて
はらからと いふもとおりそ    "ハラカラ"と    言ふ本在ぞ
はらをきみ ゐつさきみやに    ハラ央君      ヰヅサキ宮
はこねかみ とせまつりて    箱根神       三年 祭りて
おきつほの みねよりなかめ    オキツボの     峰より眺め
おきつほの みねよりなかめ    オキツボの     峰より眺め
みことのり なんちやまくひ    御言宣       「汝 ヤマクヒ
やまうしろ ほりつちお    山後        野を堀り 土を
ここあけ おおひのやまお    ここに上げ     大日の山
うつすへし ひとゑたたり    写すべし」     一枝に足り
ひゑのやま そのいけみつか    "ヒヱの山"     その池水が
そろに のりみのれは    田のソロに     乗りて実れば
 みそろいけ ままありいけの    "ミソロ池"     儘在り池
にしいわや            西場や
はむしなお              実 食む 五品を
ゐつわけて なかすゐしかわ    厳別けて      流す 五枝川
せきいれて あれわいけて    堰き入れて     粗地を活けて
なるかみお わけしつむる    鳴神を       別けて静むる
かくつちと みつはめうむ    カグツチと     ミヅハメを生む (鳴神の主ウツロヰを手懐け、雷を火と水に別ける)
あおいと かつらいせの    葉と       妹背
みことのり あめふりてり    御言宣       「天地は振り照り
まつたきは いかつちわけて    全きは       雷 別けて
かみおうむ これとこたちの    神を生む      これトコタチ
さらゐつ わけいかつちの    更の稜威      "別雷
あまきみと をしてたまわる    天君"」と      ヲシテ 賜わる
ひろさわお おおたほら    ヒロサワ(広沢池)を     オオタに掘らせ
くになす あまねくとふる    国となす      普く徹る
ほつまふり たのしみうたふ    ホツマ振り     楽しみ歌ふ
つかるには ぬまほりあけて    ツガルには     沼 掘り上げて [空けて]
たみつうむ あそへおかの    田水 埋む      アソベの丘
ゐゆきやま なよさとうみて    居雪山       七万 潤みて
かつしまや かつみねやまと    数洲や       数峰山と
しまあいに かつうおなれは    洲間に       数魚 現れば
このうおお あらたいれて    この魚を      粗田に入れて
こやす            地を肥やす
あまのこやねも              アマノコヤネ
かすかくに とふひのおかに    カスガ国      トフヒの丘
やまとかわ ほりつくれる    ヤマト川      掘りて造れる
みかさやま            ミカサ山
ゐよいふきは              伊予のイフキ
あめやまに うつしなす    アメ山に      写し 田を成す
あすかきみ かくやまうつし    アスカ君      カグヤマ 写し (香久山にこれを真似て)
みやも はせかわほりて    宮の名も      ハセ川 掘りて
あすかかわ ふちおたとなす    アスカ川      縁を田と成す
すかたひめ きみにもふさく    スガタ姫      君に申さく
これわろし むかしくしひこ    「これ 悪ろし    昔 クシヒコ
いさめお あさけるけかれ    諌めしを      嘲る穢れ
みそきなす これおすつれは     なす       これを棄つれば
またけかれ なにかみありと    また穢れ      何神あり」と
いさむれは かくやまをきみ    諌むれば      カグヤマ央君
これきか おうなまつり    これ 聞かず     「女の政
いつこある なんちこの    何処 ある      汝は この田
おえ つまならと    子は生えず     妻にならぬ」と
けふさりて とよまとの    交 去りて      トヨマドが女の
はつせひめ つまとめさるる    ハツセ姫      妻と召さるる
あすかかは おおやますみは    アスカ川      オオヤマスミ
これうつし さかむおのに    これ 写し      サカム (相模)の小野
あらたなし かくうえて    新田 成し      の木 植えて
まうらかみ よよたちはなの    マウラ守      代々 "橘の
きみなる            " となる
きみさかおりの              君 サカオリ
つくるも はらあさまみや    付くる名も     ハラアサマ宮
よそおひは こかねかさり    装ひは       黄金を飾り
たまうてな うるしいろとり    玉高殿       漆 彩り
かけはしの すへれゆうの    懸橋の       滑れば 木綿の
たひつけて かけはししたふ    足袋 付けて     懸橋 慕ふ
たひすかた なおゆたかにて    旅姿        なお豊かにて
そよろとし みつほのほれは    十万年       瑞穂 上れば
たみやすく にわすむつる    民 安ぐ       庭に棲む鶴
ちよみくさ そそきはむ    千齢見草      濯ぎ 根を食む
いけかめ おはむよろの    池の亀       葉を食む 万の
うらかたは あふとはなると    占形は       '合ふと離る'と
かめうらは みつわくわか    亀占は       '水 湧く湧かぬ'
みこころお つくすみまこの    実心を       尽す御孫
ほつまなるかな          ホツマ 成るかな


 今から約三千年前、天孫降臨の神話で名高いニニギノ尊(ニニキネ)が、ツクバのニハリノ宮で政を執っていた頃のことです。永く平和が続いたとはいえ、つらつらと思いいたせば、民の増加の割には、水不足から田の開発も思うにまかせず、お米の収穫も不足がちになっていました。ニニキネは思案の末、ある新田開発の計画案を練り上げ、遷都の候補地探しと新田開発の指導をかね、諸国巡狩をアマテル神(天照神)の座すイセ(伊勢)に赴き直訴します。が、アマテル神はそう易々とはこの新しい提案をお許しにはなりませんでした。

 やむなく、このイセに仮宮を建てて仮住まいして、お許しが出るのを待つことになりました。とはいえ、いつも民の暮らしが豊かにと願う若きニニキネにとって、新田開発への思いは断ちがたく、ならば先ず実行あるのみと高地の山田原(ヤマダガハラ・現伊勢市)の宮川の上流に井堰を築き、堤を造って水を引き、ついに高地を水田とすることに成功します。五年も経たぬうちに、瑞穂も豊かに実り、民も賑わい秋祭が盛大に行われました。他にも十八ケ所もの井堰を次々と完成させ、そこここの村から秋祭を楽しむ民の声がにぎやかに聞こえてきました。

 この吉報を心から悦んだアマテル神は、早速ニニキネに詔をし、「八洲(やしま)めぐれ」と、お触れを発します。頃は二月一日、梅の花見をかねて、ヒヨミノ宮(日算宮・暦を司る所)で門出の宴が盛大に開かれました。アマテル神は、門出の祝に自ら記した御機織留之御紀(みはたおりとめのおんふみ・物実としての勾玉)一巻を御手ずから、御孫(みまご)に賜いました。

 御鏡(みかがみ)は、コヤネ(天児屋根・あまのこやね・現春日大社祭神)に授けて左大臣とし、御剣(みつるぎ)をコモリ(大物主三代目)に授け右大臣と定め、ここに正式にニニキネを自分の三代目皇位継承者として三種神宝(ミクサノカンタカラ)を譲りました。ニニキネは三種神宝を櫃(ひつ)に入れ、印として榊を立てて供の者にかつがせ、先鋒はタチカラオ(手力雄)が勤め、次、カッテ(勝手神)、コモリの順に騎馬を供が引き、続いて三種神宝の櫃(ひつ)、次にヤフサミクルマ(八英之御輿)に乗ったニニキネが進み、次にコヤネの馬が行き、その後ろを駕や馬を引く八十余人の物部等が続きました。

 イセより発って先ず、兄クシタマ・ホノアカリの座すアスカ宮に行き、言祝(ことほぎ)をすませると、ミツのニシノ宮(西宮)に出て、手始めにカンザキ(神崎)に大堰(おおいせき)を掘り新田を開いて後、北上して丹後半島のマナイ(真奈井原)に至りトヨケ神(伊勢外宮祭神)を祭るアサヒ宮に詣で、幣(ぬさ)を納めます。

 コエネノ国(北陸)に入り、アチハゼの館に宿った折りに、アチハゼが峰輿(みねこし・山岳地帯でも斜めにならず乗れる御輿)を献上し、早速これに召して、白山峯を巡り見ました。ニニキネはこの輿(こし)が大層気に入られて、「この輿は誰が造ったのか」と、お聞きになり、その時ココリ姫(菊桐姫・現白山姫神社祭神)がお答えになるには、「我子(あこ)が造りました。義理の妹ウケステメです。妹は、アカガタ(赤懸神洲・中国)で、クロソノツミ王の妻となり、山岳地帯の厳しい国で、子を生み無事に養育してコロビツ国王(崑崙王)を立派に即位させました。この王の名前をクロソノツメル君といい、その君の母(西王母)が、山険しく登り難き峰々を越すために、初めて峰輿(みねこし)を発明しました。今ここに来朝し、ニニキネ君に拝謁をいたします」。

 これを聞いた御孫は大変喜び、この奇遇を祝って、「今日からこの国の名をコシ(越)の国としよう」、「山の名は峰輿(みねこし・白山)とする」と、のたまい、ウケステメには峰輿のお返しにミチミノ桃(三千寿)を賜い、母は、「花も果も楽しめる桃はめずらしい」と、国の土産にしました。

 三月十五日、アチハゼの館で御饗(みあえ)の庭に梅の花が薫り美しく咲くのを見て、君が微笑んでおっしゃられるには、「梅の花見の宴(うたげ)に門出して早一ヵ月半を過ぎた今、又梅の花見と峰輿(みねこし)を得た。これも天の御心にちがいない」と、梅の花を頭上に折りかざして出発し、琵琶湖の西を巡り高島郡のササナミという所まで来ると、もうそこには桜の花がちらほらと咲き出していました。「桜の花もまた美しい」と、今度は桜花を手折りかざしながら南下し、クマノとヨロギ地区に新田を開こうとヨロギの館に至ります。コモリ(大物主)の子のオオタ(現・太田神社)とミノシマ(現・箕島神社)に農業指導をして、堤を築き水路を整備させ、クマノ田とヨロギノ田を開拓しました。

 一行は再び旅を続けて南行し、オトタマガワの里にさしかかると、なんと、道の分かれ目の白砂に大男が大の字に寝そべって、大胆にも高いびきをかいて行く手を阻んでいます。身の丈なんと十七尺、毛深い顔は真っ赤で、かがち(ほうずき)の様で、巨大な鼻は七寸近くもあり、目は鏡の様にランランとして眼光鋭く、この者こそチマタ神(岐の神)ならんと察した御孫は、供の八十神に向かって、「誰か、何者か尋ねよ」と、命じてはみたものの、皆、その形相(ぎょうそう)に恐れをなして近づく者はいません。御孫は、かたわらに侍るウズメ(天鈿女)に、「汝の美貌で問うてみよ」と、命じました。

 ウズメはとっさに胸を開ると豊かな乳を現わし、裳紐(もひも)をへその下まで押し下げて、突然あざ笑いながら、この者に近づきました。チマタ神は、女の笑う声にビックリして目を覚ますと、あられもなく乳をさらけ出して半ば裸同然の姿で腰をくねらせて近づいてくるウズメを目の当たりにしてビックリ、「いったいこれは何の真似だ」と、少々慌てて聞きました。ウズメいわく、「この道は御孫の御幸先であるぞよ。行く手を塞ぐおまえこそ誰ぞ」と。答えて言う、「アマテル神の御孫が御幸(みゆき)と聞いて、ウカワ(鵜川)に仮宮を建てて御饗(みあえ)の用意をし、ここ道の分かれ目で、おいでをお待ちしておりました。私はここタカシマのナガタで生まれたサルタヒコと申す者です。どうか私の名前を御孫にお取り次ぎ下さい。君の御幸のお供つかまつります」。

 この話を君に告げると、御孫は大変悦んで、サルタの用意した御饗(みあえ)を快く受けると、サルタを新たに供神として加え、ウカワに咲き満つるウノ花(卯の花)を頭上に折りかざして再び旅を続けました。この両人の劇的な出会いの後、サルタヒコはウズメに恋して、この度もニニキネの特別な計らいで、めでたくウズメはサルタヒコの妻となり、又両人は、サルベラの君(猿部之君)と神名も賜わって、神楽男子(かぐらおのこ)の初めとなりました。

 一行は、イサナギが生前、政(まつり)を執られたタガに詣で、幣(ぬさ)を奉げた後、アメクニタマ(天国玉・金山彦の子)の館があるミノ(美濃)に寄りました。この時のアメクニタマ翁の喜びようは大変なもので、翁の言うには、「私はある不幸な出来事があって、家を嗣ぐ我が子アメワカヒコを失い、途方に暮れていましたところ、幸いにカスガ(春日神社祭神)から子宝に恵まれるというウリの種を得て植えたおかげで、今ここに我が娘オグラ姫の夫として高貴なタカヒコネ(アチスキタカヒコネ・大国主の子)をめでたく迎えることができました。これはもう我が子が新しく生まれたような喜びです。ニニキネの旅の前途を祝って八十人の供の者達一人一人に、一籠(ひとかご)ずつマクワウリを用意しましたので、私とこの喜びを分かち合っていただきたいのです。どうぞ皆様の咽をうるおして下さい」と言いつつ、良く熟れた甘いマクワを川で冷やして配りました。おもわぬごちそうに、八十余神は皆喜び感謝しつつ、スワの神(現・諏訪神社祭神)の道案内で山路を進み雲路(くもじ)に分け入って、無事シナノ(科ノ国・長野)に至り、カイ(甲斐)に行き、国見のためにハラミノ山(逢莢山・現富士山)に登頂しました。

 眼下に広がる広大な裾野を見たニニキネは、一年中山に残雪のある水の豊かなこの地に田を開こうと決意して、都をツクバからこの地に遷すことを決定します。ハラミ山は秀麗にして高く、山の周囲に点在する八湖(古代ニニキネ時代の八湖:東にヤマナカ湖、東北にアス湖、北はカワグチ湖、北西にモトス湖、西にニシノ湖、西南にキヨミ湖、南はシビレ湖、東南はスド湖)は、あくまで深く青い水を湛えています。

 君はこの広々とした美しい景色を称えて詔し、「峰に降る雪は、やがて八つの湖に貯えられ、やがてその支流は九千里もの広野原に開いた新田を潤すし、三万人もの民を養うことになろう。さあ、今から二十年計画でこの土地を開拓しよう」と、諸神に伝えて下山し、その頃ホツマ国(ハラミ山を中心にした東海・関東地方)の政庁を兼ねていたサカオリ宮(現・浅間神社)に入りました。

 宮では、国守護(くにしゅご)のオオヤマズミ(大山祇)が歓迎の御饗を開きます。この新都の決定に華やいだ宴席で、ニニキネのおそばに侍って御膳(みかしわ)を捧げたのが、みめ美しく心優しいオオヤマズミの末娘のアシツ姫でした。ニニキネはそのたおやめぶりが一目で好きになられてしまい、その夜姫を召されて愛のちぎりを結ばれました。

 翌朝早くツクバに発ったニニキネは、早速ニハリの宮にユキ・スキの宮(悠紀・主基)を建てて、天神地祗をお祭りし、一世一代の大嘗祭(だいじょうさい)を執り行いました。アマテル神から三種の神器を譲り受けたことを天にご報告するとともに、国民の平和と繁栄永かれと祈られました。その宮前の飾り付けには、花のかぐわしい橘の木と、八色に染められた八幡(やはた)が立てられました。翌日の即位式には国民の前にお立ちになり、押し寄せる民から歓呼の声で迎えられて、ヨロトシ、ヨロトシ(万歳、万歳)の声はいつまでも天地に響き渡りました。

 ユキ、スキ宮での大嘗祭も無事終え、晴れてアマキミ(天皇)となられて、静かに年を越した君でしたが、どうしても忘れられないアシツ姫への恋心は日に日につのるばかりです。ついにニハリの宮を左大臣のアメノコヤネに任せて、カッテに命じて、「東海道をイセに上る」と、御幸のお触れをだします。今度も、オオヤマズミはイズサキ(伊豆崎)の仮宮にニニキネをお迎えして御饗をしました。再びアシツ姫が君に御膳(みかしわ)を捧げるおりに、顔を赤らめ恥ずかしげに、「妹(いめ)、孕(はら)めり」と、そっと打ち明けます。

 これを聞いて喜んだニニキネは、明日にも一緒にイセに座すアマテル神に報告に発とうと話され、アシツのために旅支度を整えます。その時です。前触れもなくアシツの母が姉を連れて訪れ、君に是非にもお目どうり下さいと願い出ます。何事かと母を通し聞いてみると、「実は妹のアシツより美しい姉を連れてまいりましたのでお召し下さい」と、何やら男心を誘うような口ぶりです。つい二心(ふたごころ)をおこしたニニキネは、姉のイワナガ姫をお召しになります。と、どうでしょう。身体はゴツゴツしていかつく、顔はあまりにも醜く、びっくりした君は肝を潰して奥に引っ込んでしまいます。

 やや落ち着いた君は、以前にも増してアシツへの思いが募り、「やはりアシツ」と、のたまえば、これを聞き知った父オオヤマズミは驚いて、母を厳しく叱責し、「男心は男にしか解らないのだ。こうなることは最初からわかっていたから、あえて姉を君の前に出さなかったものを、余計なことをしてくれた。早くミシマに帰れ」と、追いやりました。この父の仕打ちに逆恨みした母と姉は、下女(しもめ・女官)に賄賂(まいない・ワイロ)をにぎらせて、「アシツが浮気してできた他の男の種です」と、君に告げさせ、妹を陥れる陰謀を一夜がかりで練ります。

 シロコ(白子)の宿まで来た時、この卑劣なささやきがついに君の耳に入ります。思えば、たった一夜のちぎりで子供ができてしまったことの疑いが生じて、旅宿に姫を置き去りにして、夜半のうちに供を引き連れイセに帰ってしまいます。

 朝目覚めて、一人取り残されたのを知って途方に暮れた姫は、気を取り直し、身重の体を引きずって君の後を追ってマツザカ(松坂)にたどり着きますが、ここから先へは関止められてなんとしても通してもらえません。わけもわからないまま、泣く泣くとぼとぼとシロコの宿まで戻ってきます。ふと、自分が母と姉から妬まれ、いわれなき罪に落とし込まれたことを悟った時、何故か毅然として今までの不安が吹っ切れた姫は、自分の運命に正面から立ち向かおうとする強い心がよみがえり、一本の桜に誓いをたてます。

 昔、ひいおじいさんの名をサクラウチといい、アマテル神の左大臣だった頃、イセの道(伊勢は妹背/いもおせ/の略・男女の相性)を占う桜を大内宮に植えて、今では左近の桜として、右近の橘とともに政に欠かせないまでになっています。

 「桜よ、さくら、心あらば、私に降りかかった妬まれの恥じをそそいでおくれ。もしお腹の子が仇種(あだだね)ならば花よしぼんでしまえ。正種(まさだね)ならば子が生まれる時に、花よ咲け。絶えることなく咲け」と、三度(みたび)誓い、桜に思いを込めてここに植え、里のミシマ(三島)に帰りました。

 日が満ちて六月一日、無事三つ子を出産します。不思議なことに、その胞衣(えな)に美しい文様が浮かび上がり、最初梅、次に桜、最後に卯の花が写し出されたのです。瑞祥(ずいしょう)ではないかと、早速イセに居る君に伝えますが、何の返事もありません。姫は、自分の疑いが晴れていないのを改めて知らされて、失意の底へと落ち込み苦しみの果てに、我と我が子の無実を明かそうと自殺を決意します。

 ハラミ山(富士山)の裾野に無戸室(うつむろ・出入り口の無い立穴式住居)を造り、まわりを柴垣で囲み、母と三人の子は最後の誓いを立てて中に入ります。「本当に仇種(あだだね)ならば、一緒に死のう」。

 火を付け焼けば、子供達は熱さにもがいて這い出ようとします。これを知ったハラミ山のコノシロイケ(子代池)の竜が、助けに現われ、水を吹きかけ雨を降らせて、御子を一人一人導き這い出させます。
 諸人は驚いて大勢駆けつけ、火を消してアシツ姫を引きい出し、子供達と姫を御輿に乗せてサカオリ宮に送り届け、イセに一部始終を告げます。

 実はこの頃ニニキネは、シロコの桜が姫が子を生んだ日から咲き続けて絶えないのを知って、はやる心で、カモ船を飛ばしてオキツ浜(興津浜)に着くと、早キジ(伝令)をサカオリ宮に飛ばし、姫に会いに来た旨を伝えます。
が、今だ閉じたままの姫の心は、素直に君に会う力も無く、かたくなに衾(ふすま・ふとん)をかぶったまま身動き一つしません。
 キジは飛び返って、君に姫の様子を報告すると、君はしばし思案した末に、和歌を短冊にしたためて、今度はオキヒコを正式の勅使として、この歌を姫に届けさせます。

 沖つ藻(も)は  辺(へ)には寄れども  清寝床(さねどこ)も あたわぬかもよ  浜つ千鳥よ

 オキヒコから歌を押し戴いた姫は、この歌を読んで、今までの恨みの涙も一度に解け落ち、君への思いが胸に込み上げて、素直でいじらしかった昔の心に返った今、君に会いたさの一心から、裸足のまま裾野を走りに走ってオキツ浜に待つ君のふところに飛び込みました。君も、心から姫との再会を喜んで、二人は御輿を仲良く並べてサカオリ宮に向かいました。

 宮に着くと間もなく、君は諸神、諸民を前にこう宣言されました。「私は先に、アマテル神の詔を受けて八洲巡りした折に、コシ国では梅の花を頭上にかざして旅をし、タカシマのササナミでは桜を手折りかざし、ウカワでは卯の花をめでかざして歩いたものだが、この時の美しい思いが姫の胞衣(えな)に写し出されたに違いない。早速、今からこの三人の子供達に名を付けよう。最初に炎の中から這い出した子はホノアカリ(火明尊)とし、真名(いみな)をムメヒト(梅仁)としよう。次の子の名をホノススミ(火進尊)とし、真名(いみな)をサクラギ(桜杵)とする。末に這いだした子は正に火の子、ヒコ・ホホデミ(彦炎出見尊)とし、真名(いみな)をウツキネ(卯杵)としよう。又、姫には子供を生んだ日から桜花が断(た)えず咲いているので、今よりコノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)という、美しい名を贈ろう」。

 ニニキネは、昔アマテル神が御降誕になられたサカオリ宮の旧跡に、新たに宮を建てて、母子共々ここに住み、古式にのっとりナツメノ神(保育神)が三人の御子に産着(うぶぎ)を織って献上しました。姫は三人の子供達を、乳母の力を借りずに自分の乳だけで立派に育て上げたので、後にコヤスノ神(子安神)と呼ばれるようになりました。

 この度の喜びの報を聞いて、シナノの国から四科(よしな)の県主(あがたぬし)が土産を携えて参上し、それぞれ言祝(ことほぎ)を終えた後、「アマテル神の先例もあることですから、どうか私達に御子達の胞衣(えな)を祭らせて下さい」と、四人が同時に願いでました。君は一瞬考えた末にニッコリと笑って何事もなかったように、よしな(四科県主)に計りました。「ハニシナ主(埴科)はアマテル神の胞衣(えな)を納めてあるエナガタケを祭れ。ハエシナ主(波閇科)及びサラシナ(更級)とツマシナ(妻科)は、この三胞衣(みえな)を持ち帰り各々その山の尾に納めて守るべし」との詔がありました。この物語が「よしなに計らう」の語源となりました。

 ニニキネは秀でた真(まこと)の政(まつり)で国を治めたので、ホツマ国と称えられて、民は豊かに富み栄え、平和の時代が長く続きました。すでに高齢に達した君は、故あって恋する妻のコノハナサクヤ姫とも遠く離れたここツクシ(九州)のタカチホ宮に滞在しています。ツクシはニニキネが青春をかけて新田開発に情熱をそそいだ土地で、日夜、月澄(つきす)むまでも身を尽くして働いた思い出深い国です。このニニキネの働き振りから、ツクシの国名も生まれました。

 この二度目のツクシへの旅は、人生最期の、自らに約した完結への旅でもありました。君は毎日、朝の間(早朝)に、愛する妻のホツマの国に昇る日にお祈りをして、日向かう国(ヒウガ)と呼ばれるようになりました。又、姫は朝間(あさま)、朝間に君の御滞在になられるツクシの国のタカチホに沈む月に向かって祈り、今は共に老い、別れ別れに離れようとも、太陽の君と、月の姫の心はいつも一つに結ばれていました。

 コノハナサクヤ姫は日垂(ひた)る時を迎えて、ツクシに沈む月に「サヨウナラ」を伝え、ついにハラミの峰で神上がり、又ニニキネも姫を追ってタカチホ峰に入り神上がられました。最後はご一緒に美しい夫婦(めおと)の神となられました。たとえこの世で離ればなれになろうとも、いつの日にか生まれかわって巡り会えるのを信じつつ。。。

 後にコノハナサクヤ姫は、アサマの神(浅間神)・又子安神と称えられて富士浅間宮に祭られ、ニニキネはワケイカズチの神(別雷神)として、賀茂神社に祭られイズの神(尊厳な神の威光)と称えられました。

 幾星霜を経て後、オシロワケ天皇(人皇十一代景行)のツクシ巡狩のみぎり、コノハナサクヤ姫とニニキネの美しい生涯に思いを馳せた君は、日向国(ひうがのくに)を「妻(つま)の国」と名付けて、二神への愛の手向け(たむけ)としました。今この物語の名残をとどめる都万神社(つま・木花之開耶姫祭神)が、西都(さいと)市の妻町に歴史の証として鎮まっています。












(私論.私見)