ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)9



 (最新見直し2009.3.7日)

 「ウィキペディアのホツマツタヱ」その他を参照する。



【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)9、ヤクモ撃ち琴つくる文】
 ソサノオの八岐(やまた)の大蛇(おろち)退治と出雲建国の歌
やくもうち ことつくるあや      穢隈討ち(八雲) 琴作る文
あらかねの つちにおちたる     粗かねの 地に堕ちたる
さすらをの あめのおそれの みのかさも      流離男の 雨の慮れの 蓑・笠も
ぬかやすまん やとなく    脱がで休まん 宿も無く
ちにさまよひて     地にさ迷いて
とかめやる すりやわことに     咎め破る(疲れ果てる) 逸り疚事に
たとりて ついにねのくに     辿り来て 遂に根の国
さほこなる ゆけのそしもり つるめそか     サホコなる 弓削の裾守 ツルメソが
やとにつくむや しむのむし      家戸に噤むや 血の虫
さたのあれをさ あしなつち               サタの粗長 アシナツチ
そをのてにつき やうめと      添のテニツキ 八女生めど
おひたちかぬる かなしさは    生い立ちかぬる 悲しさは
ひかわのかみの やゑたには     '氷川の上の 八重谷は
つねにむらくも たちのほり  常に叢雲 立ち昇り
そひらにしける まつかやの    背に茂る 松・榧の
なかにやまたの おろちて     中にヤマタの オロチ居て   
ははやかかちの ひとみけと         ハハやカガチの 人身供と 
つつからるる ななむすめ    ツツガせらるる 七娘'
のこるひとりの いなたひめ これもはまんと       残る一人の イナタ姫 これも食まんと 
たらちねは てなてあしなて いたむとき タラチネは 手撫で足撫で 痛む時 
そさのみことの かんとひに    ソサの尊の 上問ひに
あからさまにそ こたゑけり     明らさまにぞ 答えけり
ひめおんやと いやといに      「姫を得んや」と 斎問いに
みなはたれそと うらとえは     「御汝は誰ぞ」と 裏問えば 
あめのおととと あらはれて     天の弟と 露われて
ちきりおむすふ いなたひめ      契りを結ぶ イナタ姫 
やめるほのほの くるしさお 病める炎の 苦しさを 
そてわきさきて かせいれは    袖脇裂きて 風入れば 
ほのほもさめて こころよく     炎も冷めて 快く 
わらへのそての わきあけそ    童の袖の 脇明けぞ
ひめはゆけに かくしいれ              姫は弓削屋に 隠し入れ
すさはやすみの ひめすかた    スサは優みの 姫姿
ゆつのつけくし つらにさし     髻の黄楊櫛(つげくし) 面に挿し
やまのさすきに しほりの    山の狭隙に 八搾りの 
さけおかもして まちたまふ     酒を醸して 待ち給ふ 
やまたかしらの おろちて     八岐頭の オロチ来て 
ふねのさけお のみゑいて  八槽の酒を 飲み酔いて 
ねむるおろちお つたにきる      眠るオロチを 寸に切る 
ははかさきに つるきあり   ハハが尾先に 剣あり 
ははむらくもの にしあふ      ハハ叢雲の 名にし負ふ
いなたひめて おおやひこ              イナタ姫して オオヤヒコ
うめはそさのを やすかわに     生めば ソサノヲ ヤスカワに 
ゆきてちかひの をのこうむ    行きて「誓ひの 男の子生む
かついえは あねかに     吾勝つ」と言えば 姉が目に 
なおきたなしや そのこころ     「なお汚しや その心
はちおもしら のみたれ 恥をも知らぬ 世の乱れ 
これみなそれの あやまちと     これ皆それの 誤ちと 
おもえはむせふ はやかえれ    思えばむせぶ(むかつく) はや帰れ」 
そさのをはちて ねにかえる    ソサノヲ恥ぢて 根に帰る 
のちおおやひめ つまつひめ     後オオヤ姫 ツマツ姫 
ことやそうみて かくれすむ      コトヤソ生みて 隠れ住む
たかまはむつの はたれかみ                タカマは六つの ハタレ神
はちのことくに みたるれは     蜂の如くに 乱るれば
かみはかりて はたれうつ     神議りしてハタレ討つ 
きみはみそきの さくなたり     君は禊の サクナタリ 
はたれゐとふの たねおゑて     ハタレ厭ふの 種を得て 
みよをさまれと みなもとは 御代治まれど 源は 
ねのますひとに よるなれは     根のマスヒトに 因るなれば 
いふきとぬしに うたしむる     イフキトヌシに 討たしむる 
うなつきむかふ やそつつき      頷き向ふ 八十 続き  
さほこのみやの あさひかみ     サホコの宮の アサヒ神 
をかみていたる いつもちの      拝みて至る イツモ地の 
みちにたたすむ したたみや    道にたたずむ 下民や
かさみのつるき なけすてて               笠・簑・剣 投げ捨てて
なにのりこちの おおまなこ      何宣言の 大眼 
なんたはたきの おちくたる ときのすかたや      涙は滝の 落ち下る 時の姿や
やとせふり おもいおもえは     八年ぶり 「思い思えば
はたれとは おこるこころの     ハタレとは 驕る心の
われからと ややしるいまの     我から」と やや知る今の
そさのをか くやみのなんた     ソサノヲが 悔みの涙
おちおいの しむのあやまち     叔父・甥の  「シム(親族)の誤ち
つくのえと なけきうたふや    償のえ」と 嘆き歌ふや
あもにふる あかみのかさゆ しむのみき    「天地に殖る 吾が実の瘡ゆ シムの幹
みちひはさまて あらふるおそれ      三千日挟まで 粗ぶる恐れ」
かくみたひ きもにこたえて     かく三度 肝に応えて
なさけより さすかにぬるる     情けより さすがに温るる
いふきかみ しむのつくはえ     イフキ神 シムの蹲え
ともなんた こまよりおりて     共涙 駒より降りて
そさのをの ておひきおこす     ソサノヲの 手を引き起す
しむのより あいゑることは     血の寄り 「天癒える殊は
のちのまめ いさおしなせは     後の忠 功(いさおし)成せば
はれやらん われおたすけて     払れ遣らん 我を助けて
ひとみちに ますひとうたは     一途に マスヒト討たば
まめなりと うちつれやとる     忠なりと 打ち連れ宿る
さたのみや のりおさためて     サタの宮 法を定めて
はたれねも しらひとこくみ     ハタレ根も シラヒト・コクミ
おろちらも うちをさめたる     オロチらも 討ち治めたる
おもむきお あめにつくれは     趣を 天に告ぐれば
たかまには ゆつうちならし     タカマには 弓打ち鳴らし
うすめみの かなてるおみて     ウスメ身の  奏でるを見て
ををんかみ くわもてつくる むゆつこと   大御神 桑以て作る 六弦琴
たまふわかひめ むつにひく     賜ふワカ姫 むつに弾く
かたきかなて めかはひれ    カダ・フキ奏で メカハヒレ
そのことのねは いさなきの    その琴の根は イサナギの 
かきのかたうつ いとすすき    垣の葛打つ 糸薄 
これおみすちの ことのねそ    これを三筋の 琴の根ぞ 
かたちははなと くすのはお かたかきとうつ       形は "放" と 葛の葉を "葛掻" と打つ
ゐすことは ゐくらにひひく     五筋琴は 五方に響く
ねおわけて わのあはうたお     音を分けて ワのアワ歌を
をしゆれは ことのねとほる いすきうち    教ゆれば 言の根徹る イスキ打ち 
むすちのことは ゑひねふる    六筋の琴は 酔ひ眠る
おろちにむつの ゆつかけて     オロチに六つの 弦掛けて
やくもうちとそ なつくなり     八雲打とぞ 名付くなり
かたふきかなて めかはひれ 葛・蕗・奏で  茗荷・飯・領巾 
これもてたての なにしあふ     これも手立の 名にし負ふ   
やまたあかたお もちたかに               ヤマタ県を モチタカに
たまえはあわの いふきかみ      賜えばアワの イフキ神
もろかみはかり そさのをか               諸守議り ソサノヲが
こころおよする しむのうた  心を寄する シムの歌 
みのちりひれは かはきえて    実の塵放れば 汚消えて
たまふをしては ひかはかみ    賜ふヲシテは ヒカハ神
はたれねおうつ いさおしや     ハタレ根を討つ 功や
そこにもとゐお ひらくへし     「そこに基を 開くべし」 
やゑかきはたも たまはれは     八重垣旗も 賜はれば
ふたたひのほる あめはれて     再び上る 天晴れて
うやまいもふす くしひより     敬い詣す 貴日 より  
すかはにきつく みやのなも くしいなたなり     清地に屹く 宮の名も  "貴日方" なり
さほこくに かえていつもの くにはこれ    サホコ国 代えてイヅモの 国はこれ
あめのみちもて たみやすく               陽陰の道以て 民安ぐ 
みやならぬまに いなたひめ はらめはうたに    宮成らぬ間に イナタ姫 孕めば 歌に
やくもたつ いつもやゑかき   「八雲立つ 出雲八重垣
つまこめに やゑかきつくる そのやゑかきわ      妻籠めに 八重垣造る その八重垣わ」
このうたお あねにささけて やくもうち    この歌を 姉に捧げて 八雲打ち
ことのかなてお さつかりて    琴の奏でを 授りて
うたにあわせる いなたひめ     歌に合せる イナタ姫
ついにくしたえ あらはれて  遂に貴妙 現れて
やゑかきうちの ことうたそ    八重垣内の 琴歌ぞ 
うむこのいみな くしきねは      生む子の斎名 クシキネは
ことにやさしく をさむれは    殊に優しく 治むれば 
なかれおくめる もろかなも     流れを汲める 諸が名も 
やしましのみの おほなむち     ヤシマシノミの オホナムチ 
つきはおおとし くらむすひ 次はオオトシ クラムスヒ 
つきはかつらき ひことぬし     次はカツラキ ヒコトヌシ
つきはすせりめ ゐをみめそ    次はスセリ姫 五男三女ぞ 
きみくしきねお ものぬしに    君クシキネを モノヌシに  
たけこおつまと なしてうむ    タケコを妻と なして生む  
あにはくしひこ めはたかこ    兄はクシヒコ 女はタカコ
おとはすてしの たかひこね                弟はステシノ タカヒコネ
くしきねあわの さささきに               クシキネアワの ササザキに 
かかみのふねに のりくるお      鏡の船に 乗り来るを 
とえとこたえす くゑひこか    問えど答えず クヱヒコが 
かんみむすひの ちゐもこの     「カンミムスビの 千五百子の 
をしゑのゆひお もれおつる     教えの結ひを 漏れ落つる
すくなひこなは これといふ     スクナヒコナは これと言ふ
くしきねあつく めくむのち     クシキネ篤く 恵む後
ともにつとめて うつしくに     共に努めて 現し国  
やめるおいやし とりけもの     病めるを癒し 鳥獣
ほおむしはらひ ふゆおなす    穢虫祓ひ 映ゆをなす 
すくなひこなは あわしまの     スクナヒコナは 央州の
かたかきならひ ひなまつり     カダカキ習い 雛祭 
をしゑていたる かたのうら あわしまかみそ      教えて至る 加太の浦 淡島神ぞ
おほなむち ひとりめくりて     オホナムチ 一人廻りて
たみのかて けししゆるせは     民の糧 獣肉(けしし)許せば
こゑつのり みなはやかれす     肥え募り 皆早枯れす
そはほむし くしきねはせて これおとふ     稲穢虫 クシキネ馳せて これを問ふ 
したてるひめの をしえくさ    シタテル姫の 教え草 
ならいかえりて をしくさに    習い帰りて 押草に
あふけはほをの むしさりて   扇げば穢の 虫去りて
やはりわかやき みのるゆえ    やはり若やぎ 実る故
むすめたかこお たてまつる     娘タカコを 奉る
あまくにたまの おくらひめ  アマクニタマの オクラ姫 
これもささけて つかえしむ     これも捧げて 仕えしむ 
したてるひめは ふたあおめ     シタテル姫は 二青侍 
めしてたのしむ やくもうち       召して楽しむ 八雲打
おほなむちには くしひこお                オホナムチには クシヒコを
おおものぬしの かわりとて    オオモノヌシの 代りとて
ことしろぬしと つかゑしめ   コトシロヌシと 仕えしめ
おのはいつもに をしゆるに    己はイヅモに 教ゆるに 
ひふみむもやそ ふたわらの    一二三六百八十 二俵の
ひもろけかそえ たねふくろ    ヒモロケ数え 種袋 
つちはつちかふ をんたから    槌は培ふ 御宝
うゑたすかても くらにみつ    飢え治す糧も 倉に満つ
あめかせひてり みのらねと   雨・風・日照り 実らねど 
あたたらくはり うゑさせす   アタタラ配り 飢えさせず 
のちにわかひめ ひたるとき    後にワカ姫 ひたる時 
やくもゐすすき かたかきお     八雲・ヰススキ カダカキを
ゆつることのね たかひめお たかてるとなし    譲る琴の音 タカ姫を タカテルとなし 
わかうたの くもくしふみは おくらひめ    ワカ歌の クモクシ文は オクラ姫 
さつけてなおも したてると  授けて名をも シタテルと
なしてわかくに たまつしま    なしてワカ国 玉津島
としのりかみと たたゑます       トシノリ神と 称えます
いつもやゑかき おほなむち              出雲八重垣 オホナムチ
やゑかきうちて たのしむる    八重垣内で 楽しむる 
ももやそひたり こにみつるかな    百八十一人 子に満つるかな


末っ子のソサノオは、母への甘え足りない思慕の情が募るほどに宮中での乱暴が過激になり皆を困らせていました。息子の悪戯(わるふざけ)に心労が絶えない母イサナミは、何とかソサノオのオエクマ(汚穢・隈、汚れ禍い)を祓い除こうとクマノ宮(現・和歌山県、熊野本宮大社)を建てて神に祈る毎日でした。そんなある日のことです。ついにソサノオは三熊野(みくまの)の山に火を放って山林を焼く悪事をしでかしました。この時母イサナミは、村の民に迷惑を掛けまいとクマノ宮に籠って火の神カグツチ(迦具土神)に祈り火を鎮めようとしましたが、不運にも燃え盛る炎に巻かれて死んでしまいました。ソサノオは最愛の母を自らの悪事により殺してしまった呵責の念にさいなまれて、身の置きどころ無き日々をもんもんと送っていました。

 アマテル神が祖父トヨケ(豊受大神・伊勢外宮祭神、母イサナミの父)から緊急の知らせを受け、宮津(みやず)の宮(現・京都府、籠神社・この)に滞在中のことです。トヨケは自ら天寿を悟って臨終の時を迎えると、アマテル神を初め諸神(もろかみ)達を集めて、最も重要なクニトコタチ(国常立尊)の詔(みこと)のりを遺言した後、サルタヒコ(猿田彦)に洞(ほら)を閉ざさせて神上がりました。

 クニトコタチの詔のり

 「君は幾世の御祖(みおや)なり」
 (日嗣(ひつぎ)の君こそは万世一系の天皇である)

 ソサノオはそんなある日、アマテル神の名代としてトヨケをアサヒ神としてお祭した朝日宮(現・京都府、比沼麻奈井神社・ひぬまない)に参詣した折に、人込み中の一人の美しい手弱女(たおやめ)に心を奪われてしまいました。姫の供の者に名を尋ねると、「アカヅチ(九州・ツキスミ、早見県主)の娘ハヤスウ姫(現・大分県、早吸日女神社・はやすいひめ)です」とのこと。早速アカヅチに姫との結婚を申し入れたものの、結局ソサノオ自身の日頃の悪行が災いして、宮中の神議(カミバカリ)で新しく立てる宮(号)が認められず、この縁談は無情にも破談となりました。

 ソサノオの元々わがままな性格に加えて、血気盛んな若き偉丈夫(いじょうふ)の夢は無残に砕け散り、やりどころ無き鬱憤を晴らすかのように宮中に向けた怒りがついに爆発。あろうことかアマテル神の后の一人ワカサクラ姫ハナコ(現・奈良県、若桜神社・わかさくら)が新嘗祭(にいなめさい)の為にアマテル神の御衣(ミハ)を一心に織る頭上から屋根を破って斑駒(ぶちごま)を投げ込み、動転したハナコが手に持った梭(ひ)で身を突き死んでしまいました。事ここに至り、常に理性を持って弟に接してきたアマテル神も愛する后を失った悲憤を胸に秘めたまま、怒りを噛み殺して尚もソサノオを諭(さと)そうと歌をお与えになりました。

 天(アメ)が下(シタ)  和(ヤワ)して巡る  日月(ヒツキ)こそ
 晴れて明るき  民の父母(タラ)なり
 (天下を隈(くま)なく照らし恵む日月こそが、民を豊かで平和にする父母なのだ)

 この歌の神意が悟れずこの後も悪行を重ね続けたソサノオはついに神議(カミバカリ)に掛けられて、チクラ(千科)のミキダガレ(三倍死,三百六十科が死罪で、その3倍)の罪科を宣告されました。幸い中宮セオリツ姫の情けにより追放刑に減刑されて、今は寄辺なき流浪雄(サスラオ)に身をさらしています。

 華やかで何不自由のない宮中を追放されてシタタミ(下民)となり、荒々しい粗金のような地上をさまよう惨めなソサノオは、兄アマテル神への恐れから蓑笠(みのかさ)姿に身をやつしていました。罪人となった今はゆっくりと身体を休める宿も無く、一夜の清潔な寝床もありません。食い物を乞いて村から村へとさまよい、先々で待ち受ける冷たい罪人を追いやる目、口汚なくののしられ門先(かどさき)から門先へ。身を摩(す)り、心は辱(はじ)にわななき、一軒また一軒と這い回りつつ、ついにネの国(北)サホコ(山陰)のユゲ(弓削)のソシ守(現・松江市、許曽志神社・こそし)をしているツルメソなる遠縁の者の家に転がり込み、身内の虫(厄介者)として身を隠しています。

 この地方を治めていたサダ(現・島根県、佐多神社)のアレオサ(荘老)のアシナヅチ(脚摩乳)とソオ(現・鹿児島県曽於郡)出身のテニツキ(紀・手摩乳)の間に実は八人の娘達がいましたが、七人の姫達は成長を待たずして皆ヤマタノオロチの餌食となってしまい、両親は毎日悲しみに暮れていました。

 ヒカワ(現・島根県、斐伊川)の上流のヤエ谷(八重谷)には、常に叢雲(むらくも)が立ち上ぼり、深い山の尾根に繁る松や榧(かや)の林の中に八岐の大蛇が潜んでいました。ハハ(大蛇)やカガチ(錦蛇)の人身御供(ひとみごくう)としてすでに七姫までが犠牲になり、たった一人残ったイナダ姫(現・島根県、稲田神社)もオロチは食おうと虎視眈々と狙っていました。父母はイナダ姫の不憫な運命を思うと姫の手を撫で足を撫でてはひたすら嘆いていました。

 この痛ましい話を聞き知ったソサノオは、情熱の赴(おもむ)くままにサタのアレオサ(荘老)の宮に乗り込み事情を聞くと、アシナヅチとテナヅチは胸の痛みを一気に語って聞かせました。この可哀相なイナダ姫の話しに胸が裂ける思いのソサノオは、とっさに姫を救おうと決心し、「姫と結婚させてくれ」と願い出ました。突然の申し出に驚いた両親は、やっと正気に戻って逆に、 「貴方様は誰でしょうか」と聞き返しました。「私はアマテル神の弟ソサノオです」と、ここで初めて身分を明かして、イナダ姫との婚約を結びました。この時のイナダ姫はオロチの毒に当てられて高熱に苦しみ病んでいました。この病状を見たソサノオは剣で姫の着物の脇縫(わきぬい)を裂いて風通しを良くすると、姫の熱も序々に下がって快方に向いました。これが、少女や子供の着物の袖の脇開け(身八口・みやつくち)の起源となりました。

 ソサノオはイナダ姫をユゲ家に隠し入れると、己(おのれ)は姫の衣装を身にまとって姫姿に変装し、髪には浄(きよ)めた黄揚櫛(つげぐし)を挿(さ)し、いよいよたった一人でヒカワ(斐伊川)の上流の八重谷へと乗り込み、山の開けた桟敷(さじき)に八搾(やしぼり)の酒を醸(かも)してオロチの出現を待ちました。身を潜めることしばし、突然四方は黒い叢雲(むらくも)に覆(おお)われたかと思う間もなく雷鳴とともに現われた八岐頭(やまたかしら)の大蛇(おろち)は、前もって据え置いた八槽(ヤフネ)の酒を飲み干すとすぐに酔って眠ってしまいました。ソサノオはこの時とばかり八束(やつか)の剣を振りかざし、眠る大蛇(オロチ)をずたずたに斬り裂くと、その尾先に一振りの剣が表われました。これこそが後世までも名高い羽羽叢雲剣(ははむらくものつるぎ)の出現です。

 八岐大蛇を退治して後、ソサノオはイナダ姫との間に愛の結晶の一男オオヤヒコ(旧・大屋彦)を儲けました。大蛇退治と男子出生の吉事に自信をつけたソサノオは、罪人として下民(シタタミ)に落とされた身分も忘れ、この喜びを姉に伝えたい一心からヤス川(現・滋賀県、野洲川・御上神社か)辺に住む姉シタテル姫(ワカ姫)のところに馳せ参じて呼ばわりました。「我は誓いの男子(おのこ)生む、我勝(アカツ)」。

 この言葉は先に宮中から下民に落とされた時、追われる様にネの国サホコの国に向かう途中、アマテル神に特別のお許しを乞うて母の面影を慕い、親愛の姉シタテル姫(この時期ワカ姫はオモイカネと結婚してシタテル姫と名を改めている)の住むヤス川辺に赴(おもむ)いたものの、やはり日頃の凶暴なふるまいから面会を許されず、遠路はるばる訪ねてきた空しさを晴らすかの様に、姉の厳しい質問「ここに来た真意は何ですか」に対して勝手に誓いを立てました。「ネ(北)の国に行ったら子を生んで、女子なら我が穢(けが)れ、男子なら我は清く正しい、これ誓いなり」。

 今回もソサノオは一方的に先の誓いに応えたものの、姉の目にはまだまだ到底認め難い過ちの数々を犯した弟を許せませんでした。「またもや汚いその思い上がった心。恥を知らぬか。この八年間にも及ぶ世の乱れは元はと言えば全ておぬしの犯した罪ではないか。思い出すだに胸糞(むなくそ)悪いわ。さっさと帰れ」。ソサノオは思いもかけぬ姉の怒りに今度ばかりは恥入ってしおしおとネ(北)に帰りました。

 後にイナダ姫は二人の間にオオヤ姫(旧・大屋姫)を生み、三番目にツマツ姫(紀・柧津姫)、そしてコトヤソ(旧・事八十)を生んで共に隠れ住みました。

 思えばソサノオ追放から此の方、国中で蜂起した六種族のハタレ頭(カミ・魔王)共が、アマテル王朝打倒を叫んで仲間を集め暴徒と化し、雪崩(なだれ)を打つように宮中目指して四方から押し寄せて来ました。戦いと略奪により、国中は蜂の巣をつついた様に乱れて民は土地を離れてさまよい、田畑は荒廃して主なき室屋(むろや・立穴住居)は燃え落ちたままあちらこちらに棄てられていました。民は貧しく苦しい暗黒の時が流れていきました。

 この国難に対して再三宮中では神議(カミバカリ)が開かれ、ハタレ打倒の決議により禊司(みそぎつかさ)のカナサキ(住吉神)を初めタケミカヅチ(建御雷、鹿島神宮祭神)、フツヌシ(経津主、香取神宮祭神)、カダマロ(荷田麿、稲荷神社摂社荷田神社祭神)、イブキヌシ(気吹戸主、岐阜県、伊富岐神社祭神)、クマノクスヒ(熊野牟須美、熊野本宮大社)、タチカラオ(手力雄、岐阜県、手力雄神社祭神)等の勇将の働きでハタレ頭(カミ)も皆取り縛り、動乱は鎮圧されました。この戦いでアマテル神は瀧の落ち降る清流の瀬で静かに禊(みそぎ)をして、ハタレの嫌う呪いの種を感得し、この種を武器として諸将に与えて苦しい八年間の戦乱を戦勝に導きました。今君の御世は再び平和になり、希望の光が差し初めました。

 とはいえ、まだまだ油断は禁物です。今度の八年近くに及ぶ騒乱の元凶は全てネ(北)の益人(ますひと・代官)等による陰謀が諸悪の根源にあり、益人は未だに成敗されずにサホコ(山陰)の国に潜伏して蠢(うごめ)いています。ここで君は新たにイブキドヌシを益人(マスヒト)倒伐軍の大将に任命しました。イブキドヌシはこの重責を誇り高く承諾すると、八十騎馬共のスメラミイクサ(神軍)を引き連れて、先ずサホコ(山陰)の宮を目指して進みました。ここトヨケを祭るアサヒ宮で一同戦勝祈願を済ませ、尚も進むといよいよ出雲路に入って来ました。

 と、先程から道端に佇(たたず)む下民(シタタミ)風情の益荒男(ますらお)が突然イブキドヌシの馬前に飛び出して笠、蓑、剣を投げ捨てて平伏し、どこか拝む様な面持ちで何やら告げんと独り言をつぶやき、その大眼(おおまなこ)からは瀧の様な涙が落ち降っていました。この時の痛ましい姿こそ、八年ぶりに再会した惨めな姿の伯父(おじ)ソサノオその人でした。つらい隠遁の日々に思い思えばハタレ(魔王)とは、全て驕(おご)った己の心が招いたもの、諸悪の根源は己にあったと悟った今、ソサノオの反省の涙はとどめなく流れ落ちました。伯父(おじ)ソサノオは、甥(おい)イブキドヌシに土下座して、この哀れな血縁(シム)の罪人(つみびと)に再起の機会を与え給えと嘆き歌いました。

 天下(アモ)に降る  我が蓑笠ゆ  血縁(シム)の身木(ミキ・男子)
 三千日間(ミチビワサマ)で  荒ぶる  恐れ
(宮中から粗野な下界に落ち、下民となりさまよう哀れな蓑笠姿の我が身、これも皆我が悪い心根が犯した罪でございます。三千日もの長き間、国を内乱に落とし入れました事、アマテル神に心からお詫び申し上げます。)

 ソサノオがこの血と涙の歌を三度(みたび)歌い終わる頃、イブキドヌシは歌の真情に触れて胸を詰まらせると、人の情けにより共に涙して頬を濡らしました。伯父の土下座姿を見かねたイブキドヌシは、駒より降りてソサノオの手を取り引き起こしながら言いました。「アマテル神のお許しを得るために、これから忠義を尽くして、勲功(イサオシ)を立てればきっと君の御心も晴れるに違いない。さあ我を助けて下さい。一緒に力を合わせ益人供を討伐して手柄をたてましょう」。今はお互い昔の肉親同士に返って親しく語り合った後、全員うち連れ立ってサダの宮に向い宿をとりました。サダの宮では早速戦略会議を開いて敵情を聞き戦法を定めました。この後、ソサノオを迎えて力を得たスメラミイクサ(神軍)は、ハタレの根拠地を初めシラウドコクミ(祝詞・大祓詞、白人胡久美)の益人等、大蛇(オロチ)の残党共も、一網打尽に打ち滅ぼして堂々の凱旋を果たしました。
 この時の戦況が逐一アマテル神に報告されると宮中の全員が戦勝の喜びに沸き立ち、それはもう上や下への乱痴気騒ぎの初まり初まり。。。
 
 この時巫女のウズメ(天鈿女・あまのうずめ)が弓弦(ゆみづる)を打ち鳴らして音に合わせて舞い歌うのを見ていたアマテル神は、後に桑の木で造った六弦琴(ムユズゴト)をワカ姫(天照神の姉)に賜わり、ワカ姫はこの琴を睦(むつ・六音階)に弾き分けて、葛(カダ)、蕗(フキ)、曲(カナデ)、茗荷(メガ)、羽(ハ)、巾(ヒレ)の音を楽しみました。この六弦の琴は、あたかも酔って眠る大蛇(オロチ)に六弦(ムスジ)の糸を掛けて捕えた如くに八雲打琴(ヤグモウチ・八雲琴)と命名しました。

 又、葛垣琴(カダガキ・日本版琵琶の原形)はイサナギ宮の玉垣に茂る葛(カダ)の葉を打つ糸薄(いとすすき)を見て携帯に便利な三弦の琴を造り、その形は丁度葛の葉と花をあしらったものでした。五弦を張った五弦琴(イスコト)は、弾くと五臓(ごぞう)に響いて血の巡りを良くし、この琴の音に合わせてワ(地)のアワ(天地)歌を教えたところ、皆覚えが良くなり歌が広まったので、イサナギの垣打つ糸薄(いとすすき)に因んで五弦琴(イスコト)と名付けました。

 カダ(葛)、フキ(蕗)、カナデ(曲)、メガ(茗荷)、ハ(羽)、ヒレ(巾)の六音階の琴の音の名称は、大蛇退治やハタレ頭(カミ)、シラヒトコクミ等の大乱を無事勝利に導いた重要な戦略でした。先にアマテル神が瀧の落ち降る渓流で、「ハタレ破れ」の願いを込め禊して得た呪いの種が、後に六種の有用な武器となり、この種をアマテル神から賜わった武将達の活躍により無事内乱も収まり平和な御世に戻りました。

 ここでアマテル神は論功の人事により、モチタカ(イブキドヌシの真名・イミナ)を、この度のシラウドコクミとその一味を打ち治めた凱旋将軍に任じ、世に有名なヤマタ大蛇(オロチ)と同名のヤマタ県(あがた、現・三重県大山田村と伊賀地方)を褒美に賜いました。と同時にアワ(淡洲、現・滋賀県)のイブキ神(現・三重県大山田村、阿波神社)の神名をも授与しました。

 この時、一堂に参集した諸神達は、ソサノオの歌った真心を寄せる”血涙(シム)の歌”について話し合いました。この反省の歌により、ソサノオの犯した過ちは祓い浄められて罪が完全に消えた事が認められると、アマテル神はソサノオにヒカワ(斐伊川)の上流のヤエダニ(八重谷)でハタレ根を打ち取った功(いさおし)を称えてヒカワ(氷川)神の神名を賜いました。そして尚も「そこに本居を開くべし」と、詔のりして八重垣幡(ヤエガキハタ・皇室親衛隊長)も授与しました。

 ソサノオは再び天下晴れて八重垣臣(ヤエガキトミ)に復活出来た喜びを感謝し敬い申し上げようと、八年振りにアマテル神の坐す宮中に昇殿しました。自らの招いた苦難の人生とはいえ、あまりにも暗く惨めな八年間も、ここ宮中には一瞬にして忘れさせる威厳と安らぎがありました。ここは我が生まれし故郷、今は亡き父母と会話した処、尊敬する兄アマテル神や、慈(いつく)しの姉ワカ姫、兄ツキヨミと若き日々を過ごした心の世界。こここそが己(おの)が高天原の原風景なのだ。時は流れ人の面影は移ろえど、我が血が騒ぐ、我が涙が呼ぶ。有難きかな、尊きかな我が生まれながらの命。

 今度、アマテル神の御稜威(みいず)によりソサノオがシラヒトコクミや大蛇と戦って勝利し、諸悪のけがれを取り除いた清浄(スガ)の地に宮を賜わり新築することになりました。その宮の名(号)も、長い逆境の時代にいつも身の近くに居て支え、夢と希望を与え続けた妻イナダ姫に心から感謝の意を込めてクシイナダ宮(奇稲田宮、くしいなだ、現・島根県出雲大社、旧・杵築大社、きつきのたいしゃ)と名付けました。ここに言う奇(くし)とは、霊妙なる日の御霊(天照神)に感謝する意味が込められています。この時初めてサホコ(細矛)国を改めて、出雲国(いずものくに)の建国を世に広く触れ知らしめました。ソサノオは己(おの)が国出雲を天の御心に添う天成神道(アメナリノミチ)を持って治められたので、民の暮らしも豊かに平和が蘇りました。

 理想は高く情熱のままに進められた新宮の建築は、思いの外長い年月を要しました。その間最愛の妻イナダ姫が新たに身籠(みごも)り、このおめでたを知ったソサノオの喜び様は例えようもなく大きく、晴れて明るい出雲の未来を予感させました。

 八雲立つ  出雲八重垣  妻籠(つまご)めに
 八重垣造る  その八重垣を
 (八色の瑞雲が立ち昇る美しき新生の出雲国、かくも尊き皇御国(すめみくに)を八重垣の臣の私が守るのだ。今新しい子を孕む妻イナダ姫を新築なったクシイナダ宮に大切に籠(こ)めて八重垣で囲み優しく守ってあげよう。その八重垣を守る我は)

 後にソサノオは、この建国の喜びを歌った出雲八重垣の和歌を親愛なる姉ワカ姫に捧げると、姉はアマテル神から授かった八雲打琴(ヤグモウチ)で作曲した琴曲(そうきょく)をイナダ姫に伝授しました。イナダ姫は終日(ひねもす)この八重垣打ちの琴歌に合わせて曲を奏でて楽しんでいました。

 この様に和やかな琴の音に誘われるようについに奇妙(クシタエ、霊妙)が現われて、イナダ姫は出雲建国以来初の御子クシキネ(奇杵、通称大国主)を出産しました。この真名(イミナ、実名)クシキネの意味は、奇しき(霊妙)琴の音と共に生まれたことにより名付けられました。実際にクシキネは殊(こと・琴の音の様)に優しく国民を治めたので、人柄を慕って教えを乞いに集まる諸人達は、皆名付けてヤシマシノミ(八洲一の紳士)のオオナムチ(大己貴)と称えました。次に生(あ)れます御子の名は、オオトシ・クラムスビ(大歳倉魂)。次はカツラギ・ヒコトヌシ(葛城一言主)。最後に生(あ)れます姫の名はスセリメ(酸芹姫)で、ソサノオはイナダ姫との間に五男三女の子宝に恵まれました。

 アマテル神は後に、弟ソサノオがヤエガキトミ(八重垣臣)に復活した後の初の一子クシキネをオオモノヌシ(大物主)に取り立てて我が慈しの娘(現・宗像三女神)の長女タケコ(別名沖津島姫、現・滋賀県、竹生島神社、祭神都久夫須麻姫)を妻として結ばせました。 クシキネ(通称大物主)とタケコとの間に生れます御子達は、長男の名はクシヒコ(奇彦・別名事代主、通称エビス神)、次に生れます姫の名はタカコ(高子・別名高姫、高照姫)、弟はステシノ・タカヒコネ(現・奈良県、高鴨神社、祭神阿治須岐高彦根命、別名捨篠社とも言う)の二男一女の子に恵まれました。

 クシキネ(別称オオナムチ)は、生まれながらにして優しい性格の持ち主で、人々の信望も厚く、国土経営にも優れた手腕を発揮しました。雨の多い冷害の年も、台風による被害にも、日照り続きの乾ばつにも人々を飢えから守る為の倉には、備蓄米が満ち満ちて国は平和を謳歌していました。

 そんなある日、オオナムチが農業指導のために大国の郷(さと、現・豊郷、滋賀県愛知川町付近)を巡視していた折り、ササ崎(現・滋賀県蒲生郡、佐々貴神社)付近の湖の彼方から鏡を舳先(へさき)に付けた舟が近づいてくるのに出合いました。オオナムチが供の者に、「あれは何者か」と聞きますが、誰も答えられませんでした。その時一人クエヒコ(現・奈良県大神神社、摂社久延彦神社)が進み出て申し上げるには、「あの神はカンミムスビ(タカミムスビ六代目、白山神社祭神)の千五百人もある御子の中でもどうしようもない、教えの指をもれ落ちた(落ちこぼれの)スクナヒコナでございます」と答えました。

 この話しを聞いて何故か感動を覚えたオオナムチは思うところあって、スクナヒコナを丁重に迎えると手厚く恵んで、共に力を合わせて一緒に諸国を巡り国民の糧となる水田開発に努め、養蚕や裁ち縫いの技術を女性達に教え広めて国土経営に尽くしました。又、病める者のためには薬草を栽培して、時には人間にとどまらず鳥や獣の病気も治す愛情を注ぎました。ある時は、稲子(いなご)の大量発生の報を聞くとどんな遠方にも一緒に馬で駆けつけて、オシ草(玄人)という薬草を桧扇(ヒオウギ、アヤメ科の多年草、別名カラスオウギ)の葉で扇いで虫祓いをし民の糧を守りました。

 この頃オオナムチ(通称大国様)は、立派に成長した息子クシヒコ(通称エビス様)を己の重職の大物主(おおものぬし)の代役に立てて、事代主(ことしろぬし)として宮中に仕えさせました。自らはゆかりの故地出雲に戻って再び農業指導と国土経営に専念していました。いつも温かく迎えてくれる人々の頭上には、国の誇りとしてクシイナダ宮の千木(ちぎ)がそそり立っていました。お国入りから数年もすると、オオナムチの良き指導と民の協力により早くも豊作を迎えました。その石高はざっと12万3千6百80人の供奉神達にそれぞれ米二俵づつを飯料(はんりょう)として配っても余りがあり、多くの米倉には備蓄の籾米(もみごめ)が満ち満ちていました。

 オオナムチは肩に籾を入れた種袋を背負って国々を巡回しては飢えに苦しむ民が無いようにと天の援助米(アタタラ)を配って農業指導をして歩きました。又、手には新田開発の土木工事に欠かせない槌(つち)を携えて現場に赴き、井堰(いせき)を造り、堤(つつみ)を築き、懸樋(かけひ)を引いて皆と一緒に泥まみれになって働きました。 こんなところから槌(つち)は土(つち)を培(つちか)い育てるお宝(御田から出来る米の意)の象徴となりました。

 この様に、一見順風満帆の二人の国造りにも、満れば欠けるのたとえがあるように、暗い人生を暗示するかのような、むら雲がおおい始めるのを誰が知りえたでしょうか。

 。。出雲の国譲り。。

 ついにオオナムチは国(出雲)が豊かになり過ぎたが故に、又その温厚な人柄と人望高きが故に、いわれなき諸悪の根源として宮中から攻撃され国を追われて最北の地の津軽に追放されてしまいました。

 この事件があってからのスクナヒコナは一人オオナムチを離れて、アワ国(現・滋賀県)に伝わるカダガキ(葛垣琴)を一心に習得すると、あまりにも献身的に、あまりにも国に思いを託した自分の生き方をさらりと捨て、心の苦しみを背負ったまま諸国流浪の行脚に身をやつしました。津々浦々を巡り歩いてカダガキで弾き語る物語は、いつも決まって人の心が美しく優しく輝いた天神四代のヒナ祭りの物語でした。人々が忘れ去っていたヒナ祭りの物語を全国に教え広めて(淡島願人、アワシマガンニンの起源)やがて年老いるとついに和歌の国のカダの浦に一人至り、ウビチニ・スビチニの微笑む雛の国へと神上がりました。

 今日でも人々はあまりにも一途であまりにも壊れやすかったスクナヒコナの人柄に心を寄せてアワシマ神(アワの国に出現した神)をご当地の淡島神社(現・和歌山市加太、祭神少彦名神)にお祭りしています。毎年弥生の三日になると、全国各地から持ち寄った雛人形を社前に奉納し、雛流しの神事を盛大に祝ってスクナヒコナを偲んでいます。












(私論.私見)