ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)5



 (最新見直し2009.3.7日)

 「ウィキペディアのホツマツタヱ」その他を参照する。



【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)5、ワカの枕詞の文】
 和歌の枕言葉の紋、イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉
わかのまくらことはのあや  ワカの枕詞の文
もろかみの かみはかりして     諸神の 神議りして
ものぬしか まくらことはの ゆゑおとふ     モノヌシが 枕言葉の 謂を問ふ
もろこたゑねは あちひこか     諸答えねば アチヒコが
これはみそきの ふみにあり    これは 禊の文にあり
もろこふときに おもひかね     諸請ふ時に オモヒカネ 
これときいわく ふたかみの これ説き曰く 二神の
おきつほにゐて くにうめと     オキツボに居て 国生めど
たみのことはの ふつくもり    民の言葉の 悉(ふつ)曇り
これなおさんと かんかゑて   これ直さんと 考えて
ゐねななみちの あわうたお      五音七七道(五・七調)の アワ歌を
かみふそよこゑ いさなきと     上二十四声 イサナギと
しもふそよこゑ いさなみと    下二十四声 イサナミと
うたひつらねて をしゆれは    歌ひ連ねて 教ゆれば
うたにねこゑの みちひらけ     歌に音声の 道開け
たみのことはの ととのゑは     民の言葉の 調えば
なかくにのなも あわくにや           中国の名も アワ国や(央国)
つくしにみゆき たちはなお ツクシに御幸 橘を
うゑてとこよの みちなれは   植えてトコヨの 道成れば
もろかみうけて たみおたす        諸神受けて 民を治す
たまのをととむ みやのなも    魂の緒留む 宮の名も
をとたちはなの  あわきみや   復橘の 央き宮
みこあれませは もちきねと    御子生れませば モチキネと
なつけていたる  そあさくに   名付けて至る ソアサ国
さくなきのこの  いよつひこ   サクナギの子の イヨツ彦
うたにことはお  ならわせて   歌に言葉を 習わせて
ふたなおもとむ  あわつひこ               二名を求む アワツ彦
そさにきたりて みやつくり              ソサに来りて 宮造り
しつかにゐます きしゐくに    静かに居ます キシヰ国
たちはなうゑて とこよさと    橘植えて トコヨ里
さきにすてたる ひるこひめ    先に捨てたる ヒルコ姫
ふたたひめされ はなのもと    再び召され 花の下
うたおをしゑて こおうめは     歌を教えて 子を生めば
なもはなきねの ひとなりは    名もハナキネの 人態(なり)は
いさちおたけひ しきまきや    騒(いさ)ちお猛び しし(頻)捲きや
よのくまなせは ははのみに   世の隈成せば 母の身に
すてところなき よのくまお    捨て所 無き 世の隈を
わかみにうけて もろたみの かけおつくなふ    我が身に受けて 諸民の 欠けを償ふ
みくまのの みやまきやくお のそかんと    御隈野の 御山木焼くを 除かんと
うむほのかみの かくつちに     生む火の神の カグツチに
やかれてまさに おわるまに    焼かれてまさに 終る間に 
うむつちのかみ はにやすと    生む土の神 ハニヤスと 
みつみつはめそ かくつちと   水ミツハメぞ カグツチと 
はにやすかうむ わかむすひ    ハニヤスが生む ワカムスビ
くひはこくわに ほそはそろ  これうけみたま   頭はこくわ(蚕桑)に ほぞ(臍)はソロ これウケミタマ
いさなみは ありまにおさむ  イサナミは アリマに納む 
はなとほの ときにまつりて  花と穂の 時に祭りて 
ここりひめ やからにつくる ココリ姫 やから(族)に告ぐる
いさなきは おひゆきみまく    イサナギは 追ひ行き見まく
ここりひめ きみこれなみそ なおきかす    ココリ姫 「君これな見そ」 なお聞かず
かなしむゆえに きたるとて    愛しむ故に 来たるとて 
ゆつのつけくし おとりはお    ゆづ(髻)のつけくし(黄楊櫛) おとり(辺)歯を 
たひとしみれは うちたかる    灯とし見れば 蛆たか(集)る
いなやしこめき きたなきと     厭(いな)や醜女(しこめ)来 汚なきと
あしひきかえる そのよまた    足退き帰る  その夜また
かみゆきみれは かなまこと     神行き見れば かな真(まこと) 
いれすはちみす わかうらみ    「容れず恥見す 我が恨み
しこめやたりに おわしむる    醜女八人に 追わしむる 
つるきふりにけ えひなくる    剣振り逃げ 葡萄投ぐる
しこめとりはみ さらにおふ    醜女取り食み 更に追ふ
たけくしなくる これもかみ       竹櫛投ぐる これも噛み
またおひくれは もものきに     まだ追い来れば 桃の木に
かくれてももの みおなくる    隠れて桃の 実を投ぐる
てれはしりそく えひゆるく   てれば退く エヒ(葡萄)緩く 
くしはつけよし もものなお  櫛は黄楊(つげ)好し 桃の名を 
おふかんつみや いさなみと     オフカンツミや イサナミと
よもつひらさか ことたちす     黄泉辺境(よもつひらさか) 言立す
いさなみいわく  うるわしや   イサナミ 曰く 麗しや
かくなささらは ちかふへお ひひにくひらん        かく為さざらば 千頭(ちかふへ)を 日々に縊(くひ)らん 
いさなきも うるわしやわれ     イサナギも 麗しや我
そのちゐも うみてあやまち なきことお     その千五百 生みて誤ち 無き事を
まもるよもつの  ひらさかは   守る黄泉(よもつ)の 辺境は 
いきたゆるまの かきりいわ    生き絶ゆる間の 限り磐
これちかえしの かみなりと    これ霊返しの 神なりと
くやみてかえる もとつみや         悔みて帰る 本つ宮
いなしこめきお  そそかんと             穢(いな)醜女きを 濯がんと
おとなしかわに みそきして    オトナシ川に 禊して
やそまかつひの  かみうみて   八十曲つ霊の 神生みて
まかりなおさん かんなおひ    曲り直さん 神直霊(かんなおひ)
おおなおひかみ うみてみお    大直霊神(おおなおひかみ) 生みて身を 
いさきよくて のちいたる    潔(いさぎよ)くして 後至る
つくしあわきの みそきには 筑紫央きの 禊には
なかかわにうむ そこつつを    ナカ川に生む 底ツツヲ
つきなかつつを うわつつを    次中ツツヲ 上ツツヲ
これかなさきに まつらしむ    これ カナサキに 政らしむ
またあつかわに そことなか    またアツ川に 底と中
かみわたつみの みかみうむ    上ワタツミの 三神生む
これむなかたに  まつらしむ    これムナカタに 政らしむ
またしかうみに  しまつひこ   またシガ海に シマツ彦
つきおきつひこ  しかのかみ  次オキツ彦 シガの神 
これはあつみに まつらしむ       これはアヅミに 政らしむ
のちあわみやに みことのり              後アワ宮に 御言宣 
みちひきのうた  あわきみよ   導きの歌 「アワ君よ 
わかれおしくと つまおくる       別れ惜しくと 妻送る
をうとはゆかす ゆけははち    夫は行かず 行けば恥
しこめにおはす よしあしお しれはあしひく          鬼霊に追わす 善し悪しを
しれはあしひく  よもつさか      知れば足退く 黄泉坂
ことたちさくる うつわあり       言立ち栄くる 器あり」
みそきにたみの ととのいて               禊に民の 調いて
いやまととほる あしひきの     イヤマト徹る 葦引きの 
ちゐものおたの みつほなる           千五百の生田の 瑞穂成る
まとのをしゑに かかんして             マトの教えに かかんして
のんあわくには てんやまと       のんアワ国は てんヤマト
ひきてあかるき あしはらの              引きて(率きて])明るき 葦原の
うたもさとれよ まとみちの 歌も悟れよ マト道の
とほらぬまえの あしひきの    徹らぬ前の 葦引きの 
まくらことはは  うたのたね   枕言葉は 歌の種 
あしひきはやま ほのほのは   あしひきはやま ほのぼのは
あけぬはたまは よるのたね    あけぬばたまは よるの種 
しまつとりのう  おきつとり   しまつとりのう おきつとり
かもとふねなり  このあちお   "かも" と "ふね" なり この味を
ぬはたまのよの うたまくら      ぬばたまの夜の 歌枕 
さめてあかるき まえことは    覚めて明るき 前言葉
こころおあかす うたのみち     心を明かす 歌の道
みそきのみちは みおあかす    禊の道は 身を明かす 
やまとのみちの おおいなるかな        ヤマトの道の 大いなるかな

【(れんだいこ訳)ワカの枕詞の文】
 ワカの枕詞の文

 ある日、宮中に諸神が集い神議(かみばかり)が行われました。この時、モノヌシが枕言葉の謂を問うたところ誰も答えることができなかった。アマテル神の姉ワカ姫の夫アチヒコ(思兼命)が口を開いて云った。 「これは禊の文にあり」。諸神は異口同音にアチヒコに言いました。「私達に是非聞かせて下さい」。オモイカネは、皆の願いに応えて慎み深く一礼すると静かに物語を始めた。

 イサナギとイサナミの両神(ふたがみ)が、今の淡海(アワウミ)の瀛壷宮(オキツボ)に居られて国造りされていた時の事。この宮で多くの国を生み治めたが、各地の言語が違うことを気にかけ言葉の乱れを正すことにした。そこで、アから始まりワで終わる五・七調の歌いやすいアワ(陽陰)歌を考案した。上(かみ)の二十四声をイサナギが歌い、下(しも)の二十四声をイサナミが歌い連ねてカダガキ(ビワの原型)を打って弾き歌い、アワ歌を教えて廻った。「アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ」。アワ歌を歌えば、自ずと音声も整って言葉が明白になり、民の乱れた言葉も自然に直った。これを記念して今までナカ(中)国と呼んでいた近畿地方を新たに分割して、最初にイサナギ・イサナミが国の再建に尽くしたこの地をアワ(淡海)国と名付けた。後に両神(ふたかみ)はツクシ(九州)に行幸されて御幸橘を架け、クニトコタチの理想郷トコヨの国を表わす橘の木を宮前に植えて政道を行った。

 ツクシ(九州)三十二県(ミソフアガタ)の国神達は、君の築いた偉業を忠実に受け継いで国民(くにたみ)を平和に治めた。諸神は君の偉大な御霊(たま)の緒(お)を留めるここツクシの宮をオトタチバナノアワキミヤ(緒止橘之阿波岐宮)と名付けた。この宮で生まれた三番目の御子の名をモチギネ(月夜見命)と云う。その後君はソアサ国(四国)へと行幸し、この地を治めていたサクナギの子のイヨツヒコ(伊予津彦)にアワ歌を伝授した。イヨツヒコはアワ歌を教え広めたこの宮の名をアワ宮(阿波)と名付けて、自らも二つ目の名前アワツヒコ(阿波津彦)を願い出て許され、アワ、イヨの両国を治めた。

 イサナギは次にアワツヒコソサ(南紀伊)の渚に来(キ)たりて宮を造り、静(シず)かに居(イ)ましたので、この地をキシイ国(紀州)と名付けました。ここでも橘の花を植えて理想郷のトコヨ里(常世)を造りました。先に身のオエ(汚れ)を流すために捨てられたアマテル神の姉ヒルコ姫も、再び両親(イサナギ・イサナミ)の元に召されて、今はこの宮でご家族一緒に仲睦まじく暮らしていました。ヒルコ姫も今美しく成長されて、名前もワカヒルメ(姫)と変わりすっかり災いは祓い除かれました。

 ワカヒルメがちょうど母イサナミから満開の桜花の下で和歌の手解(てほど)きを受けている時の事です。丁度母が、第四子をお生みになったので、その子の名をハナキネ(花杵・素戔鳴)と名付けました。しかし美しい名前にも関わらず、ハナキネは長ずるにおよび、常に泣叫(いざち)・雄叫(おたけび)母を困らせて、ある時は重插(しきまき)をして新嘗祭(にいなめさい)用の神田をだめにし、田に馬を放って畔(あぜ)を決壊させるやら民を苦しめて、世にクマ(災い)をなしていました。

 母イサナミは、息子ハナキネの扱いに苦しみぬいた末に心の内を明かしました。「先に身のオエを流すために幼いヒルコを川に流し捨てて、美しいワカヒルメとして復活したのに、今となっては成長したハナキネのクマ(災い)を流し捨てる術(すべ)も無く途方に暮れています。唯、私にできるのは、世間に大変御迷惑をかけた悪事を全て我が身に受けて責任をとり、諸民の損害を償うのみです」。 

 このように民の安全を心から願って熊野三宮を建てて、災害がこれ以上及ばないようと神祭りもねんごろに行いました。この後、あまねくお触れを出して諸民に与えた損害をくまなく償いました。本宮の名をクマノ宮(熊野)と呼ぶようになったのも、息子のクマ(災い)が民に及ばぬようにとの計らいからこの宮を建てたことによります。 

 ハナキネは母の苦悩も解らぬまま、あろうことか熊野三山に火を放ち、山林火災を起こす一大事をしでかしました。末子のハナキネにとって甘えてもなお甘え足りない大切な母を悪戯(わるふざけ)とはいえ死に追いやる結果となりました。母イサナミは勢いづく山火事をなんとか消火しようと、本宮に籠って一生懸命に祈願を続け、火の神のカグツチ(迦具土)を生んで消化を願いますが、ついに火にまかれて焼死してしまいました。

  この死の間際に生んだ神の名は土の神のハニヤス(埴安姫)と水神のミズハメ(網象女)でした。続いてこのカグツチとハニヤスが結ばれて生まれ出た神の名をワカムスビ(稚産霊)といいます。この神の首(頭)からは蚕(かいこ)と桑が生え出て、濟(へそ)からは稲が生え出てきました。後に人々はこの養蚕と稲をつかさどる神を崇めてウケミタマ(宇迦御魂神・稲荷神)として祭りました。最後まで心を尽くし身を挺(てい)し民を守ったイサナミの亡骸(なきがら)は、大勢の民の手により現・熊野市のアリマ(有馬)に納められました。人々はイサナミの美しい心を愛でて、今日でも春祭は花を飾って祝い、秋祭は初穂を奉げて徳を偲んでいます。

 イサナミの葬儀でイサナギの妹ココリ姫(菊桐)は一族(やから)の者達を集めてキッパリと告げました。「イサナギは、妻を追って亡骸を見に行くことはなりませぬ」。又、ココリ姫は念を押すようにイサナギにも強い口調で告げました。「君、これな見そ」(君よ、死体を絶対見てはなりません)。イサナギはそれでも聞こうとはせず、「我が最愛の妻を突然なくし、悲しみにいたたまれずこうしてやって来たのだ。誰が何と言おうともう一度妻に会わずにはいられないのだ」。 

 外は夜の帳(とばり)にとっぷりと包まれ、遺体を安置する洞穴(ほらあな)は正に射干玉(ぬばたま)の真っ暗闇です。イサナギは頭に差した黄楊(つげ)の櫛(くし)を抜くと清めの祓いを済ませ、櫛の雄鳥歯(おとりば)に火を付けダビ(手火)にしてそおっと明りを近づけて見ると、ああ恐ろしや、腐乱した死体に蛆(うじ)がたかり所かまわず這い回っているではないか。「ああ何と醜く汚い姿よ」と叫んで不気味な洞から足を引き返し逃げ帰りました。 

 その夜のことです。イサナギは苦楽を共にした妻への恋しさに耐え兼ねてついに神の姿(霊体離脱)となって会いにいきました。気が付くとイサナミが目前に現われて、恨めし気に言い放ちました。「要(カナ)、真実(マコト)入れず恥見す我が恨み、醜女八入(しこめヤタリ)に追放(オワシ)むる」 (あなたは重要な死という現実を受け入れられず、見てはならない私の死体を見た。私はこれ以上恥をかかぬよう、死体を守る醜女(しこめ)八人に命じて追っ払います)。

 イサナギは恐ろしい醜女の追跡に剣を振りながら命からがら逃げ出しました。途中でエビ(ぶどう)を摘んで投げつけると醜女等は我先に競って食らいついたので、一旦ほっとしたのも束の間、更に追いついて来たので、今度は竹櫛(たけぐし)を投げるとこれも又噛み食らい、また追って来るので、近くの桃の木に身を隠して、桃の果を投げつけました。すると不思議なことに醜女等は全員退散して恐ろしい逃走は終わりました。この時、君いわく、「鬼から逃れるには、エビ(ぶどう)を投げれば一時避けられ、黄楊(つげ)櫛は鬼を払うに竹櫛より勝れているようだ。桃こそは見事に鬼を退散させて悪夢から救ってくれた功により、新たにオオカンズミ(大神津果)の神名を賜おう」。

 イサナミはついに、自分への思いを断ち切らせるために自ずからこの世に姿を表わしました。その頃すでにイサナギは妻を慕って、ヨモツヒラサカ(黄泉平坂)に辿り着き、妻の姿を求めて岩山をさまよい歩いていました。それを知ったイサナミは、坂の途中に千人で引くほどの大岩(千引岩・ちびきいわ)を据えて二人の間を塞ぐと、向き合って立ち、ハッキリと事断(ことだち)を誓いました。イサナミはいわく、「愛する夫よ、これ以上私の死を受け入れないなら、毎日貴方の族(やから)千人の頭(こうべ・首)を絞め殺します」。イサナギも答えていわく、 「愛する妻よ、それなら我は毎日千五百人を新たに生んで国を再生し、二度と過ちを犯さぬ事を誓ってみせよう」。

 生と死と、愛と別離の誓いを立てたヨモツヒラサカは、人が死に臨んで息絶(いきた)ゆる瞬間の幽明界(ゆうめいさかい)を絶ち塞ぐ境界岩(カギリイワ)です。 イサナギはこの岩座(いわくら)を「これ道返(誓)し(チカエシ)の大神なり」と名付けて悔みつつも、本宮(モトツミヤ・熊野)に帰りました。黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)から帰還した君は、醜く汚れた我が心身を濯(そそ)ごうと願い、音無川(オトナシガワ)で禊(みそぎ)をして新たな神々を次々と創造しました。まずヤソマカツヒ(八十真光津日)の神を生んで後、汚(けが)れた心を素直にしようと、カンナオヒ(神直日神)、続いてオオナカヒ(大直日神)神を生み心身を清潔(いさぎ)良く保ちました。

 この後にイサナギはツクシ(九州)のアワキ宮に行幸し、美しい睡蓮(すいれん)の咲く近くのオトナシ川で「穢・醜めきを濯がん」と禊(みそぎ)した。八十曲つ霊の神 生みて 曲り直さん上直霊 大直霊神生みて身を 潔くして後 至る。この時に生んだ神の名は、ソコヅツオ(底筒男)、次にナカヅツオ(中筒男)、ウワヅツオ(上筒男)の三神で、この神はカナサキ(金折命・住吉神)に祭らせました。又、ムナカタ(宗像)に行きアヅカワ(安曇川)で禊をして生んだ神の名は、ソコワタツミ(底海祗)、ナカワタツミ(中海祗)、そしてカミワタツミ(上海祗)の三神で、この神はムナカタ(宗像命)に祭らせました。又、シガウミの渚に行き禊をして生んだ神の名は、まずシマツヒコ(島津彦)、次オキツヒコ(沖津彦)、シガノ神(志賀彦)の三神でこれはアズミ(安曇命)に祭らせました。

 イサナギは再びアワ宮(淡海)に帰ると間もなくトヨケ(豊受神)からイサナギに詔がありました。「導きの歌 アワ君よ 別れ惜しくと 妻葬送(オク)る 夫(オウト・追人)は行かず 行けば(妻)恥 醜女(しこめ)に追わす善し悪しを 知れば足引(あしひ)く 黄泉坂(ヨモツサカ) 言立ち栄くる器あり器量(ウツワ)あり」。

 今は心身の穢(けが)れも禊(みそぎ)により濯(そそ)がれて、民の暮しも整い国の平和がよみがえりました。大八洲(オオヤシマ)の隅々にまで言葉が通じ合うようになり、クニトコタチ以来の人の道の真(まこと)を伝える瓊(ト)の教えも益々行き渡っていよいよ国は栄えました。葦引(あしび)きの千五百(チイオ)反の小田の瑞穂も秋の実りを迎えて、収穫祭の音が村々から楽し気に聞こえてきます。ヤマト(大日本)の言源にもなったヤマト(弥真瓊・イヤますます・マことの・トの教えがととのうる国・法治国)に感謝して神前にカカン(かがり火)して、ノン(祝詞・のりと)をアワ国に奉げ、デン(神鈴・拍手)を打って、ヤマトの国の豊穰(ほうじょう)と案寧(あんねい)を祈りました。

 葦を引き抜いて水田となし豊かな実りを得て明るい国とした葦、黄泉(ヨミ)の国から足を引き返したイサナギの足は同音異義語ですが、その心には同じ国造りの天意が含まれています。

 この様に歌の道とは、まだ世の中が乱れてお互い言葉もまちまちで通ぜず、真瓊道(マトミチ)が行き渡っていない暗い時代のイサナギ・イサナミの国生みの苦労が「足引きの」枕言葉として後世まで記憶され歌の種として伝えられました。

 「足引きの」は山又は峰にかかり、「仄仄(ほのぼの)」は明けにかかり、「射干玉(ぬばたま)」は夜の闇にかかる真黒(まっくろ)の種です。「島つ鳥」は鵜(う)にかかり、「沖つ鳥」は鴨(かも)と船にかかるその謂(いわ)れは、太古、船を創案した六人を船魂(ふなたま)神といい、その第一がシマツヒコ(島津彦)という神で、アワ国(淡海)のアズミ川(安曇川)で朽ちた木に乗って川を下る鵜(う)の鳥を見て筏(いかだ)を造り、後に棹(さお)を差すことを覚えて船の大本(おおもと)を造りました。二番目がその子のオキツヒコ(沖津彦)で、鴨が浮遊しているのを見て初めて櫂(かい)を造ったので鴨船(かもぶね)と名付けました。射干玉(ぬばたま)の様に、暗い世の中の乱れを正した努力を枕(まくら)にして夜を過ごせば、やがて豊かで秩序ある明るい暁(あかつき)を迎えて前言葉に変わります。真(まこと)に心を明かすのは和歌(うた)の道です。禊(みそぎ)の道は身を潔(あか)し、このように身も心も潔斎(けっさい)する弥真瓊(ヤマト)の道はなんと偉大なることでしょう。

 2007/05/02

 ホツマツタヱ御機の五(ヰ) 和歌の枕詞のアヤ
 第五代タカミムスビのタマキネは、自家で行っていたタカマの祀りを、天照大御神に伝えることによって、国家祭祀にまで高められた。大御神はイサワの宮の一室をタカマ(高間)と呼び、アユキ・ワスキを祀って朝な夕な礼拝された。その最高神が天御祖神(アメノミヲヤ)である。タカマでは重臣を集めて国政会議も行われた。それは天御祖の御前で公明正大な政(まつりごと)を行うという、大御神の信念に基いていた。そこで行われる国政の会議は「タカマ議り」とか「神議り」と呼ばれ、重要な会議には大御神も臨席されて議事をお聞きになり、決裁を下されたのである。

 ある神議りの場で、型通りの議事が一段落した時、大物主クシキネ・オホナムチ(大国主)が、「和歌の枕詞はどのようにして出来たのでしょうか」と質問した。 誰もこの質問に即答する事は出来なかったが、一人書籍を繰っていた碩学(せきがく)のアチヒコ・オモイカネが「そのことは、『禊の書(ふみ)』に記録されています」と答えた。 皆膝を乗り出して「是非内容をお教え下さい」と乞うた。 「それでは」と、アチヒコは禊の書を片手に、分かり易く噛み砕いて説明を始めた。

 「第六代天神オモタル・カシコネには嗣子が無く、それが原因で国が乱れました。その時国政議会はイサナギ・イサナミ(ふたかみ)をピンチヒッターとして第七代天神に抜擢したのです。両神は国家再建に向けて緊急の法整備を済ませ、各地の産業振興やトラブルの解決に取り組み、これらを軌道に乗せると、先代の轍を踏まぬよう、一心に日嗣の御子の誕生を祈られました。そして首尾よく日嗣の御子であるワカヒト君を設けられ、君子教育を第五代タカミムスビのタマキネに委ねて、オキツボ(滋賀県大津市坂本付近)のオキツの宮に落ち着かれました。そこで改めて国家の進むべき道を模索されたのです。

 当時は各地の方言や個人訛りがひどくて、天神の勅すらも国中の人々に十分に伝える事が困難で、言葉が通じないための行き違いや紛争も絶えませんでした。そこで両神は、言語と発音の標準化を行って、人民に教育を施すべきだと考えました。本来の日本語は四十八音で、その中に五つの母音を含んでいます。両神はこの四十八音を国中の人々が正確に発音し、聞き取れるようにする効果的な教育の方法として、アからワまでを歌い連ねたアワ歌を考え出されたのです。
 アカハマナ イキヒニミウク
 フヌムエケ ヘネメオコホノ
 モトロソヨ ヲテレセヱツル
 スユンチリ シヰタラサヤワ

 五七調のリズムは、日本語の表現に最も適している上に、四十八音がピッタリと収まります。このアワ歌を人々に教えるに当たっては、前半の二十四音をイサナギが歌い、後半の二十四音をイサナミが続けて、二人して歌い聞かせる方法を採りました。人々は楽しみながら聞き覚え、自分たちも歌い楽しんでいるうちに、自然に標準の発音が身に着いて、誰とでも話が通じ合えるようになったのです。両神が教え広めたアワ歌の発音は、ナカ州(クニ)(近畿・山陽地方)の人々の標準的な発音でした。だからアワ歌の普及によって、ナカ州はアワ州とも呼ばれるようになりました。
両神はその後ツクシ州(九州)に行幸され、アワ歌の普及と共にツクシの各地に橘(蜜柑)の植栽を振興されました。これはクニトコタチが建国事業の中心に蜜柑を据えた「常世の道」政策に倣ったもので、その成果によってツクシ各地は大変豊かになりました。両神のご努力によって豊かに安定した地域は重臣達に後を託し、経営を任された臣達も人民本意の施政を行いました。こうして両神はオトタチハナのアワキ宮(宮崎市内)を本拠として、偉大な足跡をツクシ全域に印されたのです。そのアワキ宮でお生まれになった御子はモチキネと名付けられ、やはりタマキネの下に遊学されました。後のツキヨミの神です。

 さて、ツクシの経営が軌道に乗ると、両神は休む間も無くソアサ州(四国)に回られました。イサナギの父アワナギの出身地であるソアサは当時、叔父サクナギの長子イヨツヒコが経営に当たり、弟のアワツヒコが補佐していました。ウビチニの血を引く一族の祖神アメヨロズ神が開拓に当たって以来、「常世の道」政策も順調に推移していたので、両神は人々にアワ歌を習わせる言語教育の方法をイヤツヒコに授けるだけで十分でした。また両神はアワツヒコの要望を容れて、ソアサの統治を更に木目細かく行わせるべく、イヨ邦(クニ)とアワ邦の二つに分割し、アワをアワツヒコに治めさせることにしました。

 次に両神は、紀伊水道を渡ってソサ州(紀伊半島)に行かれたのですが、そこのキシヰ邦(和歌山県)に宮を造り、じっくりと経営に当たられました。ここでも蜜柑の栽培を主要産業として、やがてキシヰ邦は「常世里」と呼ばれるまでに経済的発展を遂げます。さて、ツクバで生まれた両神の第一子ヒルコ姫は、両親が厄年に当たっていたので、禍を避けるために捨てられ、カナサキに拾い育てられたことは、皆さんご承知の事と思います。この頃になって両神にもようやく心のゆたりが生じたと見え、ヒルコ姫を呼び戻して、三人で熊野地方の経営に着手されました。カナサキの手解きで歌の素質が見事に開花したヒルコ姫は、両神を助けて人々にアワ歌を教える役目をこなし、一家は四季の花を愛でる幸せな時期を過ごされたのです。

 そしてイサナミはクマノで三人目の男子をお産みになり、ハナキネと名付けました。後のソサノヲです。ところが、この子は癇癪持ちで我が強く、気に入らない事があると泣き喚いたり怒鳴ったりで、手の付けられない子でした。ある時、早苗が出揃った苗代に、何と、もう一度種を蒔いて稲の成長を阻害するという、悪戯にしてはあまりにも重大な嫌がれせをしたのです。親を困らせるばかりでなく、人々が精魂込めて耕作した田に植えるべき苗を台無しにしてしまう暴挙でした。

 『天の節 宿れば当たる 父の汚穢(おえ) 男(ヲ)の子は母の 隅となる』 。イサナミはハナキネの所業をすべて自分の責任だと深く心に刻み、稲作の減収を償う決心をしました。熊野地方は海岸近くまで丘陵地が迫り、水田耕作が可能な場所はごく限られているので、人々の生活は楽なものではありませんでした。イサナミはハナキネの所業によって、乏しい米収が更に減少してしまった庶民の困窮を立て直すために、山焼きをして、傾斜地には桑を植えて養蚕を興し、平地は水利を整えて水田や農地を増やす事業を進めました。ところが、必死に働くイサナミに不幸が襲ったのです。急に風向きが変わって山焼きの火に取り囲まれたイサナミは、逃げ場を失ってお亡くなりになりました。志半ばで事故に遭われたイサナミでしたが、事業は軌道に乗って動き出したので、絹や農作物の産業は熊野地方にしっかりと根付きました。

 イサナミは身を挺して火の神カグツチを動かし、土の神ハニヤスと水の神ミズハノメを生み出して、農産業の守護神ワカムスビをこの地に招いたと言う事が出来ましょう。イサナミの亡骸はアリマ(三重県熊野市有馬町花の窟神社)にお納めし、その後この地の人々は、毎年桑の花が咲く春と、稲穂が色付く秋に、イサナミを偲んでお祭りをしています。 さて、この葬儀を取り仕切ったイサナギの姉ココリ姫は、すべてが済んでから遠方の親族に知らせを出しました。 イサナギの悲しみはあまりにも深かったので、ココリ姫が必死に制止するのも聞かず(キミコレナミソ)、イサナミを一目見たいと窟(いわや)に入りました。窟の中でユズの黄楊櫛(つげくし)の端に植えられた太い歯を折り取って、火を点け翳(かが)して見ると、既に時間の経ったイサナミの亡骸には蛆虫がたかっていました。

 生前の面影を追い求めてきたのに、何と汚らわしく変わり果ててしまったことか。イサナギは気落ちして足取りも重く帰ってきました。その夜イサナギは夢の中で再び窟に入りました。夢の中に立ち現れたイサナミは『私が汚れて変わり果ててしまったという悲しい現実を受け入れず、地の底までわざわざ来て私に恥を掻かせましたね。恨みに思いますよ。』と言うなり八人の醜女(シコメ・地獄の女鬼)に命じて、挑みかかってくるではありませんか。イサナギは後ろ手に剣を振り振り、必死に逃げました。醜女はしつっこく追って来ます。 坂道を木の根や枝に捕まって這い登るように逃げていくと、ふと掴んだ蔓に山葡萄がたわわに実っていました。イサナギが剣で蔓を断ち切って投げると、醜女は山葡萄の実を争って貪り食べ、食べ終わるとまた追いすがってきました。今度は身に着けていた竹櫛を投げると、これも拾って噛み砕いて食べ、また追って来ます。あわや追い付かれようとした時、イサナギは桃の大木の後ろに逃げ込んで、桃の実をもいで投げ付けました。すると醜女は後退りをしながら消え去りました。イサナギの夢は一旦途絶えました。

 ここでイサナギが醜女の厄難を避けるため、咄嗟に用いた呪具について、その霊力の程を観察すると、山葡萄はさほどの効力を持ってはいないようです。また櫛は、竹より黄楊の方が霊力において優れていそうです。桃はさすがにウビチニ・スビチニのシンボルとされているだけあって、素晴らしい霊力を持った樹木でした。このことから、イサナギは桃の実を「大神つ実」と称えられたのです。 それはさておき、まだ夢の中に在りながら、現実を認識するに至ったイサナギは、イサナミに永遠の別れを申し渡します。まだ恨みの心が解けないイサナミは言いました。 『ああ、何と悲しい事でしょうか。この私に辱めを与えたまま、あなたは永遠に私から離れて行ってしまうのですね。そのような仕打ちをなさるなら、私はあなたの領民千人を毎日殺してしまいますよ。』イサナギは毅然として言い放ちました。 『本当に悲しい事だ。お前の心情は分かるが、折角一緒に苦労して国の基を築いてきたのだから、お前が千人を殺すなら、私は千五百人生まれるようにしてみせよう。お前が居なくとも、この国の安定と繁栄は私が守って見せる。』こうしてイサナギは、ヨモツヒラサカでイサナミに言絶ち(ことだち)をしました。イサナギはヨモツヒラサカに限り岩を立て、夢から覚めました。 この限り岩は「道返し(チカエシ)の神」といって、自由に行き来することを出来なくした、この世とあの世とを隔てる岩の扉です。

 死後の世界を覗き見たイサナギは、さすがにそのショックと汚らわしさを払い切れずに、本つ宮(熊野本宮)に打ち萎れて帰ってきました。イサナギはこの汚れを濯いで何とか立ち直らなければいけないと、本つ宮の脇を流れる音無川で来る日も来る日も禊を繰り返し、身の内から[ヤソマカツヒの神]を引き出しました。それらは、元々イサナギの身の内に居て、健全な精神と健康を支えてくれる善神なのですが、不浄の体験によってすっかり捻じ曲がってしまった神々でした。イサナギはこの神々の曲がりを直して身の内へ戻しました。曲がりが直った神々のことを[神直日神(カンナオヒ)]とか[大直日神(オオナオヒ)]と呼びます。

 こうして失意のどん底から立ち直って身の汚れを一切浄化したイサナギは、宗教心に目覚められました。これまでイサナミと共に国の骨格を整え、産業の振興や文教政策を行って国の安定を計り、成果を上げてきましたが、自分の心に宗教心が不足していたことを覚られたのです。

 その後イサナギは単身巡幸し、ツクシのアワキ宮に滞在されて、ナカ川で行った禊でソコツツヲ・ナカツツヲ・ウワツツヲの三神を生み出されました。ツツヲという神はツツガ(災禍、牢)を祓うためにツツシム(斎戒する)ことを意味し、イサナギ自身の体験に基づいて生み出された神と思われます。この三神はカナサキに祭祀を命じられました。また北九州に行かれてアツ川(現在の釣川か?)での禊から、底、中、上のワダツミ三神を生み出され、ムナカタに祭祀を命じられました。そしてシガ海(玄界灘)で行った海水の禊から霊感を得られ、シマツヒコ・オキツヒコ・シガ三神の祭祀をアツミにお命じになりました。この三神は船を発明した神として古来崇敬されてきた神々です。

 年老いたイサナギは近江に戻り、余生をアワ宮で過ごされました。後のタガの宮です。イサナミ亡き後、精神修養に没頭されたイサナギは、自ら得られた宗教観念を国家統治の柱に据えるべく思索を巡らせました。そして晩年、集大成である[導きの歌]を勅として公布されたのです。(私の拙い解説を聞くよりも、暗誦できるようになるまで、繰り返し音読してみて下さい。如何に芸術的で精神的な含蓄に富んだ歌であるか、お分かりになる筈です。
 『導きの歌
 アワ君よ  別れ惜しくと
 妻送る   夫(オウト)は行かず
 行けば恥  醜女(シコメ)に追わす
 良し悪しオ 知れば足引く
 黄泉坂   言断ち裂(サ)くる
 器あり   禊に民の
 整いて   イヤマト徹(とお)る
 足引きの  千五百(チイヲ)の織田の
 瑞穂成る  マトの教ゑに
 カカンして ノンアワ州は
 デンヤマト 引きて明るき
 葦原の   歌も悟れよ
 マト道の  徹らぬ前の
 足引きの  枕詞は
 歌の種   足引きは山
 ほのぼのは 明けヌバタマは
 夜の種   島つ鳥の鵜
 沖つ鳥   鴨と船なり
 この味オ  ヌバタマの夜の
 歌枕    覚めて明るき
 前詞    心オ明かす
 歌の道   禊の道は
 身オ明かす ヤマトの道は
 大いなるかな

 (アワ君と呼ばれている天神の私は、余りにも突然妻が急逝したために惜別の念止まず、あの世まで追い掛けて会いに行った。しかしたとえ夫であれども行ってはならない世界で、結局亡き妻に恥を掻かせてしまった。醜女に追わせるほど怒った妻の心情を知って、足取りも重くあの世から帰ってきた。この世とあの世の境である黄泉坂には、厳然と両世界を分け隔たれ遮蔽物がソンザイシ、それを越えてはならないのだ。黄泉の国から生還した私は禊によって穢れを拭い去り、天神としての勤めを全うし平和な治世を取り戻すことができた。

 初代天神のクニトコタチから伝えられた神宝[トとホコ]を授けられて天神になった私は、神宝の価値を深く知らず、漫然と治世を行ってきたが、禊を行うことによって初めて大いなる(イヤ、ヤ)真実(マ)である[トの教ゑ]の奥義に達することができた。それはまさしく[イヤマト]と言える悟りの境地である。イヤマトを悟ったことで、私は精神を高揚させ前向きに生きることができるようになった。妻への未練の心である[足引き]は、国の豊穣を願う心である[葦引き]に換わり、葦を引き抜いて稲を植える事業に情熱を傾けることによって多くの湿地が新田に変わり、稲穂がたわわに稔った。

 [マトの教ゑ]を実践(カカン)した私に天御祖神は恩頼(ふゆ)を降ろし賜り(ノン)、またその御威光を人々に分け与えたことによって、アワ州は理想郷となり、やがて日本全土へと広がりを持つ(デン)ことになったのだ。クニトコタチ以来、国政の柱とされてきたトの教ゑは普通の原理なのだ。
[トの教ゑ]の奥義は  (ヤ、マ)のヲシデ二文字に集約される。 (ヤ)のオシデは天を表す丸と地上に立てられたアンテナを表し、神に御霊を降ろし賜ることを祈る行為を意味する。また、 (マ)のオシデはその祈りを聞き届けて御霊を降ろし賜る神の御意志を意味する。

 精神的に未熟だった私に、この奥義に達するイヤマトの悟りを開かせてくれた[足引き]の体験が、いかに貴重な神の御差配であったかを、歌の儀式として、後の世の人々に伝えたい。つまり、ヤマを歌に詠み込む時に、自動的に[足引き]の体験が連想される様に様式化するのだ。[足引き]を歌枕とか枕詞と呼んで、ヤマを詠う場合の歌の種とすれば、イヤマトの悟りを開いた私の貴重な体験を後世に伝えることができるのだ。

 我が日嗣の御子であるワカヒトが生まれた時の記録の歌にウヲヤヤマスミは、  久方の 光生れます ウヒナメエ・・・・と詠い込んだ(四アヤ)。この歌から[久方]は[光]を導く歌の種となり、人々は自動的に日の神ワカヒトの誕生という歴史事実を連想するようになった経緯がある。このような歌の種を枕詞と呼んでワカ(和歌)の形式に採り入れることにしよう。既に[ほのぼの]は[明け]、[ぬばたま]は[夜]、[島つ鳥]は[鵜]、[沖つ鳥]は[鴨または船]の夫々歌の種とされているが、今後はこれらを枕詞と呼ぶことにする。

 次の一節で、枕詞の使い方とその文学的効果を味わってみてほしい。
  この妙味(アジ)オ ヌバタマの夜の 歌枕 覚めて明るき 前詞
歌の道は人の心を明らかにし、禊の道は身の内を清浄にする。この二つの道が相俟(ま)ってイヤマト(ヤマト)の道になるのだ。国中の人々がこの道を志し、身も心も明るく晴れやかになる時、日本は真にヤマトの国と称えられる素晴らしい国家になるのだ。)』

 ホツマツタエ 天の巻 5アヤ イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉

 ある日、宮中に諸神が集い神議(かみばかり)が行われました。取り立てて難しい問題も無く無事に打ち合わせも終わり、皆ほっと一息ついたところで大物主(おおものぬし)のオオナムチが一同に質問をしました。「こうしてせっかくお集まりの皆様に是非聞きとうございます。私はいつも枕言葉とは何なのか解りませんでした。そのいわれを知っておいでの方に是非お教えを乞いたく思います」。その時は誰も答えられず、やっと皆の会話がおさまった頃にアマテル神の姉ワカ姫の夫アチヒコ(思兼命)が口を開きました。「これは確か禊(みそぎ)の文の中にあります」。諸神はこの一言を聞くと異口同音にアチヒコに言いました。「私達にも是非聞かせて下さい。皆からもお願いします」。オモイカネは、皆の願いに応えて慎み深く一礼すると静かに物語を始めました。

 イサナギとイサナミの両神(ふたがみ)が、今の淡海(アワウミ)の瀛壷宮(オキツボ)に居られて国造りされていた時の事です。この宮を起点にして大八洲(おおやしま)を巡幸し、農業の普及に努め民を豊かにして後、法を定めて治安を計り、平和で豊かな国の再建を成し遂げました。この時イサナギは一段落したのもつかの間、自らがやり残した重大な責務を思い起こしました。それは、国民相互の心を伝達し合う言葉の乱れを正すことでした。オモタル・カシコネ(五代目天君・あまきみ)の御世、日嗣(ひつぎ)の御子に恵まれず長期に渡り皇統が絶えたままでした。世は混乱して秩序を失い言葉はまちまちで、国としての統一を欠いていました。何とか正しい言葉を教えて民に人の道(天成の道)を教え導かねばならない。との思いから君はイサナミと一緒に考えた末に、アから始まりワで終わる五・七調の歌いやすいアワ歌を考案しました。
 
 上(かみ)の二十四声をイサナギが歌い、下(しも)の二十四声をイサナミが歌い連ねてカダガキ(ビワの原型)を打って弾き歌い、アワ歌を教えて諸国を行幸しました。

  アカハナマ  イキヒニミウク  フヌムエケ  ヘネメオコホノ
  モトロソヨ  ヲテレセヱツル  スユンチリ  シヰタラサヤワ

 アワ歌を歌えば、自ずと音声も整って言葉が明白になり、民の乱れた言葉も自然に直って秩序も回復し国も平和に治まりました。これを記念して今までナカ(中)国と呼んでいた近畿地方を新たに分割して、最初にイサナギ・イサナミが国の再建に尽くしたこの地をアワ(淡海)国と名付けました。後に両神(ふたかみ)はツクシ(九州)に行幸されて、国を初めて建国したクニトコタチの理想郷トコヨの国を表わす橘の木を宮前に植えて、ここでもアワ歌を民に教えて言葉を正すと人の道も自ら整い国も豊かになりました。

 イサナギが去った後も、ツクシ(九州)三十二県(ミソフアガタ)の国神達は、君の築いた偉業を忠実に受け継いで国民(くにたみ)を平和に治めました。諸神は君の偉大な御霊(たま)の緒(お)を留めるここツクシの宮をオトタチバナノアワキミヤ(緒止橘之阿波岐宮)と名付けました。この宮で生まれた三番目の御子の名をモチギネ(月夜見命)と言います。その後君はソアサ国(四国)へと行幸し、この地を治めていたサクナギの子のイヨツヒコ(伊予津彦)にアワ歌を伝授して国中の民に歌を歌わせると、言葉の音声も整ってここでも国民を平和に治めることができました。イヨツヒコはアワ歌を教え広めたこの宮の名をアワ宮(阿波)と名付けて、自らも二つ目の名前アワツヒコ(阿波津彦)を願い出て許され、アワ、イヨの両国を治めました。

 イサナギは次にソサ(南紀伊)の渚に来(キ)たりて宮を造り、静(シず)かに居(イ)ましたので、この地をキシイ国(紀州)と名付けました。ここでもクニトコタチ建国の橘の花を植えて理想郷のトコヨ里(常世)を造りました。先に身のオエ(汚れ)を流すために捨てられたアマテル神の姉ヒルコ姫も、再び両親(イサナギ・イサナミ)の元に召されて、今はこの宮でご家族一緒に仲睦まじく暮らしていました。ヒルコ姫も今美しく成長されて、名前もワカヒルメ(姫)と変わりすっかり災いは祓い除かれました。

 ワカヒルメがちょうど母イサナミから満開の桜花の下で和歌の手解(てほど)きを受けている時の事です。丁度母が、第四子をお生みになったので、その子の名をハナキネ(花杵・素戔鳴)と名付けました。しかし美しい名前にも関わらず、ハナキネは長ずるにおよび、常に泣叫(いざち)・雄叫(おたけび)母を困らせて、ある時は重插(しきまき)をして新嘗祭(にいなめさい)用の神田をだめにし、田に馬を放って畔(あぜ)を決壊させるやら民を苦しめて、世にクマ(災い)をなしていました。

 母イサナミは、息子ハナキネの扱いに苦しみぬいた末に心の内を明かしました。「先に身のオエを流すために幼いヒルコを川に流し捨てて、美しいワカヒルメとして復活したのに、今となっては成長したハナキネのクマ(災い)を流し捨てる術(すべ)も無く途方に暮れています。唯、私にできるのは、世間に大変御迷惑をかけた悪事を全て我が身に受けて責任をとり、諸民の損害を償うのみです」。

 このように民の安全を心から願って熊野三宮を建てて、災害がこれ以上及ばないようと神祭りもねんごろに行いました。この後、あまねくお触れを出して諸民に与えた損害をくまなく償いました。本宮の名をクマノ宮(熊野)と呼ぶようになったのも、息子のクマ(災い)が民に及ばぬようにとの計らいからこの宮を建てたことによります。

 ハナキネは母の苦悩も解らぬまま、あろうことか熊野三山に火を放ち、山林火災を起こす一大事をしでかしました。末子のハナキネにとって甘えてもなお甘え足りない大切な母を悪戯(わるふざけ)とはいえ死に追いやる結果となりました。母イサナミは勢いづく山火事をなんとか消火しようと、本宮に籠って一生懸命に祈願を続け、火の神のカグツチ(迦具土)を生んで消化を願いますが、ついに火にまかれて焼死してしまいました。この死の間際に生んだ神の名は土の神のハニヤス(埴安姫)と水神のミズハメ(網象女)でした。続いてこのカグツチとハニヤスが結ばれて生まれ出た神の名をワカムスビ(稚産霊)といいます。この神の首(頭)からは蚕(かいこ)と桑が生え出て、濟(へそ)からは稲が生え出てきました。後に人々はこの養蚕と稲をつかさどる神を崇めてウケミタマ(宇迦御魂神・稲荷神)として祭りました。最後まで心を尽くし身を挺(てい)し民を守ったイサナミの亡骸(なきがら)は、大勢の民の手により現・熊野市のアリマ(有馬)に納められました。人々はイサナミの美しい心を愛でて、今日でも春祭は花を飾って祝い、秋祭は初穂を奉げて徳を偲んでいます。

 イサナミの葬儀でイサナギの妹ココリ姫(菊桐)は一族(やから)の者達を集めてキッパリと告げました。「イサナギは、妻を追って亡骸を見に行くことはなりませぬ」。又、ココリ姫は念を押すようにイサナギにも強い口調で告げました。「君、これな見そ」(君よ、死体を絶対見てはなりません)。イサナギはそれでも聞こうとはせず、「我が最愛の妻を突然なくし、悲しみにいたたまれずこうしてやって来たのだ。誰が何と言おうともう一度妻に会わずにはいられないのだ」。

 外は夜の帳(とばり)にとっぷりと包まれ、遺体を安置する洞穴(ほらあな)は正に射干玉(ぬばたま)の真っ暗闇です。イサナギは頭に差した黄楊(つげ)の櫛(くし)を抜くと清めの祓いを済ませ、櫛の雄鳥歯(おとりば)に火を付けダビ(手火)にしてそおっと明りを近づけて見ると、ああ恐ろしや、腐乱した死体に蛆(うじ)がたかり所かまわず這い回っているではないか。「ああ何と醜く汚い姿よ」と叫んで不気味な洞から足を引き返し逃げ帰りました。

 その夜のことです。イサナギは苦楽を共にした妻への恋しさに耐え兼ねてついに神の姿(霊体離脱)となって会いにいきました。気が付くとイサナミが目前に現われて、恨めし気に言い放ちました。「要(カナ)、真実(マコト)入れず恥見す我が恨み、醜女八入(しこめヤタリ)に追放(オワシ)むる」 (あなたは重要な死という現実を受け入れられず、見てはならない私の死体を見た。私はこれ以上恥をかかぬよう、死体を守る醜女(しこめ)八人に命じて追っ払います)。

 イサナギは恐ろしい醜女の追跡に剣を振りながら命からがら逃げ出しました。途中でエビ(ぶどう)を摘んで投げつけると醜女等は我先に競って食らいついたので、一旦ほっとしたのも束の間、更に追いついて来たので、今度は竹櫛(たけぐし)を投げるとこれも又噛み食らい、また追って来るので、近くの桃の木に身を隠して、桃の果を投げつけました。すると不思議なことに醜女等は全員退散して恐ろしい逃走は終わりました。この時、君いわく、「鬼から逃れるには、エビ(ぶどう)を投げれば一時避けられ、黄楊(つげ)櫛は鬼を払うに竹櫛より勝れているようだ。桃こそは見事に鬼を退散させて悪夢から救ってくれた功により、新たにオオカンズミ(大神津果)の神名を賜おう」。

 イサナミはついに、自分への思いを断ち切らせるために自ずからこの世に姿を表わしました。その頃すでにイサナギは妻を慕って、ヨモツヒラサカ(黄泉平坂)に辿り着き、妻の姿を求めて岩山をさまよい歩いていました。それを知ったイサナミは、坂の途中に千人で引くほどの大岩(千引岩・ちびきいわ)を据えて二人の間を塞ぐと、向き合って立ち、ハッキリと事断(ことだち)を誓いました。イサナミはいわく、「愛する夫よ、これ以上私の死を受け入れないなら、毎日貴方の族(やから)千人の頭(こうべ・首)を絞め殺します」。イサナギも答えていわく、 「愛する妻よ、それなら我は毎日千五百人を新たに生んで国を再生し、二度と過ちを犯さぬ事を誓ってみせよう」。

 生と死と、愛と別離の誓いを立てたヨモツヒラサカは、人が死に臨んで息絶(いきた)ゆる瞬間の幽明界(ゆうめいさかい)を絶ち塞ぐ境界岩(カギリイワ)です。 イサナギはこの岩座(いわくら)を「これ道返(誓)し(チカエシ)の大神なり」と名付けて悔みつつも、本宮(モトツミヤ・熊野)に帰りました。黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)から帰還した君は、醜く汚れた我が心身を濯(そそ)ごうと願い、音無川(オトナシガワ)で禊(みそぎ)をして新たな神々を次々と創造しました。まずヤソマカツヒ(八十真光津日)の神を生んで後、汚(けが)れた心を素直にしようと、カンナオヒ(神直日神)、続いてオオナカヒ(大直日神)神を生み心身を清潔(いさぎ)良く保ちました。

 この後にイサナギはツクシ(九州)のアワキ宮に行幸し、美しい睡蓮(すいれん)の咲く近くのナカ川で禊(みそぎ)した時に生んだ神の名は、ソコヅツオ(底筒男)、次にナカヅツオ(中筒男)、ウワヅツオ(上筒男)の三神で、この神はカナサキ(金折命・住吉神)に祭らせました。又、ムナカタ(宗像)に行きアヅカワ(安曇川)で禊をして生んだ神の名は、ソコワタツミ(底海祗)、ナカワタツミ(中海祗)、そしてカミワタツミ(上海祗)の三神で、この神はムナカタ(宗像命)に祭らせました。又、シガウミの渚に行き禊をして生んだ神の名は、まずシマツヒコ(島津彦)、次オキツヒコ(沖津彦)、シガノ神(志賀彦)の三神でこれはアズミ(安曇命)に祭らせました。

 イサナギは再びアワ宮(淡海)に帰ると間もなくトヨケ(豊受神)からイサナギに詔がありました。
 導きの歌  アワ君よ  別れ惜しくと  妻 葬送(オク)る 夫(オウト・追人)は行かず  行けば(妻)恥  醜女(しこめ)に追わす 善し悪しを  知れば足引(あしひ)く  黄泉坂(ヨモツサカ) 事断割(コトダチサ)くる  器量(ウツワ)あり

 今は心身の穢(けが)れも禊(みそぎ)により濯(そそ)がれて、民の暮しも整い国の平和がよみがえりました。大八洲(オオヤシマ)の隅々にまで言葉が通じ合うようになり、クニトコタチ以来の人の道の真(まこと)を伝える瓊(ト)の教えも益々行き渡っていよいよ国は栄えました。葦引(あしび)きの千五百(チイオ)反の小田の瑞穂も秋の実りを迎えて、収穫祭の音が村々から楽し気に聞こえてきます。ヤマト(大日本)の言源にもなったヤマト(弥真瓊・イヤますます・マことの・トの教えがととのうる国・法治国)に感謝して神前にカカン(かがり火)して、ノン(祝詞・のりと)をアワ国に奉げ、デン(神鈴・拍手)を打って、ヤマトの国の豊穰(ほうじょう)と案寧(あんねい)を祈りました。

 葦を引き抜いて水田となし豊かな実りを得て明るい国とした葦、黄泉(ヨミ)の国から足を引き返したイサナギの足は同音異義語ですが、その心には同じ国造りの天意が含まれています。

 この様に歌の道とは、まだ世の中が乱れてお互い言葉もまちまちで通ぜず、真瓊道(マトミチ)が行き渡っていない暗い時代のイサナギ・イサナミの国生みの苦労が「足引きの」枕言葉として後世まで記憶され歌の種として伝えられました。

 「足引きの」は山又は峰にかかり、「仄仄(ほのぼの)」は明けにかかり、「射干玉(ぬばたま)」は夜の闇にかかる真黒(まっくろ)の種です。「島つ鳥」は鵜にかかり、「沖つ鳥」は鴨と船にかかるその謂(いわ)れは、太古、船を創案した六人を船魂(ふなたま)神といい、その第一がシマツヒコ(島津彦)という神で、アワ国(淡海)のアズミ川(安曇川)で朽ちた木に乗って川を下る鵜(う)の鳥を見て筏(いかだ)を造り、後に棹(さお)を差すことを覚えて船の大本(おおもと)を造りました。二番目がその子のオキツヒコ(沖津彦)で、鴨が浮遊しているのを見て初めて櫂(かい)を造ったので鴨船(かもぶね)と名付けました。

 射干玉(ぬばたま)の様に、暗い世の中の乱れを正した努力を枕(まくら)にして夜を過ごせば、やがて豊かで秩序ある明るい暁(あかつき)を迎えて前言葉に変わります。真(まこと)に心を明かすのは和歌(うた)の道です。禊(みそぎ)の道は身を潔(あか)し、このように身も心も潔斎(けっさい)する弥真瓊(ヤマト)の道はなんと偉大なることでしょう。













(私論.私見)