ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)4



 (最新見直し2009.3.7日)

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【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)4、日の神の瑞御名の紋】
 アマテル神の誕生と即位
 (4-1~2) 「おおやまずみ」が「いみな」のいわれを話す
 4-3~5 日高見国で五代目「たかみむすび」は「たまきね」が継ぐ
 4-5~7 「とよけ神」は東の君として「おおなめこと」大嘗祭を
 4-7~8 「とよけ神」は天成道を得た神がいないと嘆く

 (4-9~10) 「とよけ神」は、はらみ山(富士山)に登り人口増加を知る

 4-10~13 「たかみむすび」は娘の「いさなみ」に子種が授かるよう祈願
 
4-13~14 「いさなぎ」「いさなみ」は「はらみやま」(富士山)に登り、「このしろ池」の水で清め祈る
 4-15 「いしごりどめ」が鋳物の真澄鏡を進呈
 4-15~16 「いさなぎ」は真澄鏡を神に見立てて、世継ぎを乞う
 4-16~17 お鉢巡りの行で千日目に兆しが見える 
 4-17~20 女神の受胎のときを知る
 
4-20~23 床神酒(床入り)の作法と「とつぎ」の説明
 4-23~24 孕んで十ヶ月経っても生まれませんでした
 
4-24~27 元旦の日の出と共に天照神が誕生する
 
4-27~28 「とよけ神」の教えより、割礼の儀が行なわれる
 4-29 「しらやま姫」が御子を産湯に使わせる
 4-29~30 「あかひこ」は絹糸を紡ぎ、「なつめ」が産着を仕立てる

 4-30~31 母乳の出が細く「みちつ姫」から授乳したが目は閉じたまま
 
4-31~33 瞳が開き祝福を受け君として即位する
 4-33~34 位山の笏(さく)を持つ者が神の末裔に

 4-34~37 御子は自らを「うひるぎ」と名乗る

 4-37 「しらやま姫」は「きくきり姫」の名を賜う

 4-38~39 天照神の新嘗祭がとり行われる
 
4-39~40 天照神は十六年間「天の原」(はらみの宮)に住まわれる
 4-40~42 「たまきね」は「てくるま」を作って参上
 
4-42~43 天照神は日高見(仙台)へ御幸
 
4-43~44 「わかひと」という「いみな」を奉りました
 4-44~45 天照神を高天原に、両神は「おきつ宮」に帰る
ひのかみの みつみなのあや 日の神の 瑞(みず)御名の文
もろかみの かみはかりなす 諸守の 守議なす
たかまにて おおものぬしか  タカマ(高天)にて 大物主が
ひのかみの ゐみなのあやお もろにとふ 日の神の いみ名(諱)の謂(由来)を 諸に問ふ 
おおやますみの こたえには  大山祗尊(オオヤマスミノ )の 応えには
みをやのしるす うたにあり 御祖の記す 歌にあり
もろかみこえは やますみか つつしみいわく 諸守請えば 山祗尊が 謹み曰く 
むかしこの くにとこたちの やくたりこ 昔この 国常立(尊)の 八降り子
きくさおつとの ほつまくに 木草を苞(つと)の 秀真(ほつま)国
ひかしはるかに なみたかく  東遥かに 波高く
たちのほるひの ひたかみや 立ち昇る日の 日高見や
たかみむすひと くにすへて 高皇産霊尊(タカミムスヒ)と 国統て 
とこよのはなお はらみやま かくやまとなす  常世の花を ハラミ(蓬莱参)山 カグ(香久)山となす
ゐもつきの まさかきもうゑ よようけて  五百継ぎの 真栄木も値え 世々承けて
をさむゐつよの みむすひの 治む五代(いつよ)の 皇産霊(みむすび)の
ゐみなたまきね もとあけお 諱(いみ名)玉気根 元明を
うつすたかまに あめみをや 移(写)すタカマに 天御祖(あめみおや)
もともとあなみ みそふかみ 元々天並 三十ニ神
まつれはたみの とよけかみ  祭れぱ民の トヨケ(豊受)神 
ひかしのきみと みちうけて  東の君と 道うけて
おおなゑことも まさかきの 大嘗事(おおなえごと)も 真榊の 
むよろにつきて ゑつきは 六万に継ぎて 植え継ぎは
ふそひのすすの としすてに 二十一の鈴の 年既に
もふそよろなち ゐもふそに    百二十万七千 五百二十に 
かんかみれとも かんまこの  鑑みれども 神孫の
ちゐもうしある そのなかに  千五百大人(うし)ある その中に
あめのみちゑて ひとくさの 天の道得て 人草の 
なけきおやわす かみあらす  嘆きを和す 神あらず 
あらねはみちも つきんかと あらねば道も 尽きんかと
なけくとよけの はらみやま  嘆くトヨケの ハラミ山
のほりてみれと やしまなる  登りて見れど 八州(やしま)なる
よろますたみも うくめきて 万増す民も 蠢(うごめ)きて  
みちならえぬも ことわりと  道習えぬも 理と
やはりなけきて ひたかみの やはり嘆きて 日高見の 
みやにかえれは いさなみの 宮に帰れば イサナミの 
ちちにもふして よつきこも  父に申して 世嗣子も
かなとおほせは うらなひて がなと覚せば 占ひて
つきかつらきの いとりやま ツキカツラキ(葛城)の イトリ(斎鳥)山
よつきやしろの いろしては 世嗣社の 色垂(しで)は
あめのみをやに いのらんと 天御祖に 祈らんと 
とよけみつから みそきして     トヨケ自ら 禊して
やちくらちきり ぬきんつる 八千座契り 抜きんづる
いつちかみのり とほりてそ  厳霊(いづち)神祈(の)り 通りてぞ 
あめのみをやの まなこより  天御祖の 眼より 
もるるひつきと あもとかみ 漏るる日月と アモト(天元)神
みそふのかみの まもるゆえ  三十二の神の 守る故
こたねなること おほゑます  子種成ること 覚えます
このころきみは はらみやま のほりていわく  この頃君は ハラミ山 登りて曰く
もろともに くにくにめくり たみおたし 諸共に 国々廻り 民を治し 
ひめみこうめと つきこなく  姫御子生めど 嗣子無く  
たのしなきとて いけみつに  楽し無きとて 池水に
たのめおあらひ ひるにのり  左の目を洗ひ 日霊(ひる)に祈り
かのめおあらひ つきにのり 右の目を洗ひ 月に祈り
いしこりとめか ますかかみ いつくりすすむ イシコリトメが マス鏡 鋳造り進む  
いさなきは あめおしらする イサナギは 天を治らする
うつのこお うまんおもひの ますかかみ  現の子を  生まん思ひの マス鏡
まてにひるつき なつらえて 両手に日霊月 擬(なづ)らえて
かみなりいてん ことおこひ 神生(な)り出でん 事を請ひ
くひめくるまに あくりこふ     頭(くひ)回(めぐ)る間に  アグリ請ふ  
かくひおつみて みたまいる かく日を積みて 霊魂入る
かとはちりけの あやところ 門はチリケ(身柱)の 綾所
おこなひちかに なるころは 行ひ千日に なる頃は
しらはきそみて さくらいろ  白脛染みて 桜色
あるひをかみか をゑとえは   ある日男神が ヲエ(汚穢)問えば 
ひめのこたえは つきのをえ 姫の答えは 月の汚穢
なかれととまり みかののち   流れ止まり 三日の後 
みのきよけれは ひまちすと   身の清ければ 日待ちすと
をかみもゑみて もろともに 男神も笑(え)みて 諸共に
おかむひのわの とひくたり 拝む日輪の 飛び下り
ふたかみのまえ おちととむ 二神の前 落ち留む 
おもわすいたく ゆめここち    思わず抱く 夢心地
さめてうるほひ こころよく  覚めて潤ひ 快く
みやにかえれは やますみか ささみきすすむ 宮に帰れば ヤマスミが ササ酒進む
かれをかみ とこみきしるや 故男神  「床酒知るや」  
めのこたえ ことさかのをか みちきけは 女の答え 「コトサカノヲが 道聞けば
とこみきはまつ めかのみて のちをにすすむ 床酒は先ず 女が飲みて 後男に進む
とこいりの めはことあけす   床入の 女は言挙げず  
をのよそい めかしりとつく 男のよそい 女が知り婚ぐ   
したつゆお すえはたかひに うちとけて  舌露を 吸えば互いに 打ち融けて
たましまかわの うちみやに  玉島川の 内宮に
やとるこたねの とつきのり 宿る子種の 婚ぎ法 
こおととのふる とこみきは 子を調ふる 床酒は
くにうむみちの をしゑそと 国生む道の 教えぞと
かくましわりて はらめとも とつきにうます   かく交わりて 孕めども 十月に生まず
としつきお ふれともやはり  やめるかと 年月を 経れどもやはり 病めるかと
こころいためて こそむつき 心傷めて 九十六月
ややそなわりて あれませる あまてるかみそ やや備わりて 生(あ)れませる アマテル神ぞ
ふそひすす ももふそゐゑた としきしゑ 二十一鈴 百二十五枝 年キシヱ
はつひほのほの いつるとき  初日ほのぼの 出づる時 
ともにあれます みかたちの 共に生れます 御形の
まとかのたまこ いふかしや  円の玉籠 訝かしや 
うをやをきなの やますみか ことほきうたふ   大老翁の ヤマスミが 寿(ことほ)ぎ歌ふ
むへなるや ゆきのよろし もみよつきも 「むべなるや 幸の喜も 御世嗣も
よよのさいわひ ひらけりと 弥々の幸 開けりと 
おほよすからに ことふくも  オオヨスガラ(栄よ優ら)に 寿くも 
みたひにおよふ ゆきよろし  三度に及ぶ 幸(ゆき)喜(よろ)し
ひとのとわしの こたゑにも 人の問わしの 答えにも
とよけのかみの をしゑあり  トヨケの神の 教えあり
さわるいそらの みそきにて 障るイソラの 禊にて
ゑなのかこみは おのころの 胞衣の囲みは オノコロの
たまことならは ゆきよろし 玉籠と成らば 幸喜
ひらけとて いちゐのはなの さくもちて 開らけとて 一位の花の 笏(さく)持ちて  
いまこそひらく あまのとや 今こそ開く 天の戸や
いつるわかひの かかやきて 出づる若日の 輝きて  
しらやまひめは うふゆなす 白山姫は 産湯成す
あかひこくわに ひくいとお アカ彦桑に 引く糸を  
なつめかおりて うふきぬの みはたてまつる  ナツメが織りて 生絹(うぶきぬ)の 御衣(みはた)奉る
たらちめの つかれにちしる ほそけれは  タラチ女の 疲れに乳汁 細ければ   
ほいゐのかみの みちつひめ ホイヰの神の ミチツ姫
ちちたてまつり ひたすれと    乳奉り 養(ひた)すれど 
ひとみおとちて つきひなや  瞳を閉ぢて 月日無や
たまのいわとお ややはつあきの もちのひに     玉の岩戸を やや初秋の 望の日に
ひらくひとみの よろこひに  開く瞳の 喜びに
つかれもきゆる みめくみや 疲れも消ゆる 御恵みや
あめにたなひく しらくもの 天にたなびく 白雲の
かかるやみねの ふるあられ   架かる八峰の 降る霰(あられ) 
ひすみにこたま このみつお 弥州(ひすみ)に反響(こだま)  この瑞(みつ)を
ぬのもてつくる やとよはた  布もて作る 八豊幡 
やすみにたてて きみとなる  八隅に立てて 君となる
くらゐのやまの いちゐさく 位の山の 一位笏
よになからゑて さくもつは かみのほすゑそ 世に長らえて 笏持つは 神の穂末ぞ
おはひめか こゑねのくにに 叔母姫が 越根の国に
みはおりて たてまつるとき   御衣織りて  奉る時
なくみこの こゑききとれは あなうれし 泣く御子の 声聞き取れば 「あな嬉し」
これよりもろか なおこひて これより諸が 名を請ひて 
おはよりとえは うひるきと 叔母より問えば ウヒルキ(大日霊貴)と
みつからこたふ みこのこゑ 自ら答ふ 御子の声
きききるときは おさななの 聞き切る時は 幼な名の
うはおおいなり ひはひのわ  ウは大いなり ヒは日の輪  
るはひのちたま きはきねそ  ルは日の霊魂 キは熟(きね)ぞ  
かれうひるきの みことなり 故ウヒルキの みこと(命)なり 
きねはめをとの をのきみそ キネは女男の 男の君ぞ
ふたかみおはお たたゑます 二神叔母を 称えます
きくきりひめも あなかしこかな キクキリ姫も あな畏(かしこ)かな
あかたまの わかひるのるは あおきたま 明玉の 若日の霊は(明けの太陽) 青き魂
くれひのみたま ぬはたまなりき   暮日の霊魂 ぬばたまなりき
ひさかたの ひかりあれます ういなめゑ 久方の 光生れます 初嘗会
あゆきわすきに つけまつり  アユキワスキに 仕(つ)け祭り 
みこひたさんと ふたかみの 御子養さんと 二神の
みこころつくす あまのはら 御心尽す 天の原
そむほゐますも ひとひとそ 十六年居ますも 一日(ひとひ)とぞ
おほすはめくみ あつきなり 思すは恵み 篤きなり
むかしたまきね ちかいして 昔タマキネ 誓いして
かつらきやまの やちみそき  葛城山の 八千禊
すみていとりの てくるまお 済みて斎鳥の 出車を
つくりかつらの むかひとて 造り桂の 迎ひとて
はらみにつたふ あるかたち ハラミに伝ふ ある形 (経緯) 
ふたかみゆめの ここちにて   二神夢の 心地にて
あひみたまえは とよけにて   会ひ見給えば トヨケにて
あめみこひたす ものかたり 天御子養す 物語り  
めすてくるまお ひたかみゑ  召す出車を 日高見へ 
みゆきのきみは やふさこし 御幸の君は 八房輿
おちつもはへる けたこしも 御乳つ母(も)侍る 方輿も 
みなけたつほの やまてみや 皆 ケタツボの ヤマテ宮
みこのひかりの てりとほり  御子の光の 照り徹り
やもにこかねの はなさけは  八方に黄金の 放さけば
ひのわかみやの わかひとと 日の分宮の 若人と
とよけゐみなお たてまつる  トヨケ諱を 奉る
ふたかみおそれ わかみやに  二神畏れ 若宮に
むへそたてしと あめにあけ むべ育てじと 天に上げ
おきつのみやに かえります  オキツの宮に 帰ります
あめみこまなふ あめのみち 天御子学ぶ 天の道
ひとりはんへる ふりまろは 一人侍んべる フリマロは 
むよやそきねの よつきこそ 六代ヤソキネの 世嗣子ぞ
たかみむすひの ゐつよきみ タカミムスビの 五代君 
ひことにのほる あまつみや  日毎に上る 天つ宮
わかひとふかく みちおほす   若人深く 道を欲す
あるひのとひに まことなお ゐみなとたたゑ ある日の問に 真名を 諱と称え
あねにみつ われはよつなり これいかん  姉に三つ 我は四つなり これ如何ん  
たまきねいわく ゐみなには タマキネ曰く 諱には
たらによつきに なとのりと あわせよつなり  父母に世嗣に 名とノりと 合せ四つなり 
あまつきみ ひよりとまてお つくすゆゑ 天つ君 ヒよりトまでを 尽す故
ひとにのります きねとひこ うしものりなり  ヒトに乗ります キネとヒコ  ウシも乗りなり
めはのらす ふたをやふたつ    女は乗らず 二親二つ
をにうけて こおうむゆえに    男に受けて 子を生む故に
なにひめ またこなにひめ   何子姫  また子何姫
なにおとも おなにともつく 何小 とも  小何とも付く
めのなみつ をのなのりよつ 女の名三つ  男の名乗り四つ
たたゑなは いくらもつけよ 称え名は 幾らも付けよ
ゐみなとは しむにとほれは まことなるかな    諱とは  シムに通れば 真なるかな

【(れんだいこ訳)日の神の瑞御名の文】
 日の神の 瑞(みづ)御名の文

 諸々の守(重臣)が集まってイサワの宮の高天(原)で神議りが行われた際、大物主クシヒコが、日の神として崇められている大御神の生い立ちと、ワカヒトという斎名(ヰミナ)について問うた。この問に対して、大山祗が、御祖の記す歌にその事が書かれていますと答えた。諸守が「是非ともそれをお聞かせ下さい」と請うたので、謹(つつ)しみかしこまってその長歌に解説を加えながら次のように語り始めた。

 「昔、この国を最初に開いた天神初代にあたる国常立(クニトコタチ)には八人の御子「くにさづち」が生まれ、その御子が事績を継いで、「やもやくだり」(やくたり、八方に天降る)して、それぞれの国を治めました。 そのうちの一人が、木や草をお土産に持って「ほつま(秀真)国」に天降りました。東遥かに波高く立ち昇る日の日高見国を治めました。「くにさづち」は、この地方を治めていた「たかみむすび(高皇産霊(タカミムスビ)」と共にこの国を統治しました。常世の花(建国のシンボルである橘、たちばなの花)を「はらみ(蓬莱参)山」(現富士山)に植えて、天の香久山と称えました。クニトコタチ以来、暦の木として代々の天神が五百継ぎの真栄木も値え、世々承けて治めて参りました。五代目の皇産霊の諱(斎名)玉気根(タマキネ)が天御祖神信仰を国家宗教儀式として確立しました。元明を映す高天(原)に居られる天御祖(あめみをや)、元基天並(もともとあなみ)の三十ニ神を祀りました。

 民の豊受神は、東の君と慕われて、「くにとこたち」の定めた天成道(あめなるみち)を受け継いで、大嘗(おおなゑ)事(大嘗祭)を司りました。真榊(真栄木)の六万に継ぎて、植え継ぎは21の鈴の年既に百二十万七千五百二十を経ておりました。クニトコタチ以来の天神の血筋を引く神孫は千五百も数え上げる事ができるのですが、その多々ある中で陽陰の道を得て万民を導き、人々を生の苦しみから少しでも救済するほどの徳を持った人物は見当たらりませんでした。

 トヨケは、道も尽きんかと嘆いてハラミ山に登りて試案を凝らしました。「八州なる万増す民も蠢きて道習えぬも理」と嘆きてヒタカミの宮に帰り、イサナミの父に申した。「何とかにて世嗣ぎ子が欲しいのですが、授かりません」。フトマニで占ったところ、ツキカツラキの斎鳥(いとり)山に世継ぎ社(やしろ)を建てて色幣(いろしで)を奉げ、天御祖神(アメノミヲヤ)に祈るが良いと託宣されました。トヨケは自ら禊して、八千回の禊を誓って契りました。厳そかな祈りが聞き届けられたかのように、天御祖神(アメノミヲヤ)の眼より漏るる日月と天元(あもと)神、三十二の神の守護を得て、子種成る感覚を覚えました。
 この頃、君はハラミ山登りて述懐されました。曰く、 「諸神と一緒に国々を巡って、民を平和に豊かに治めてきました。姫皇子は生まれましたが、世継ぎになる男の子に恵まれず、先のことを考えると気が重く楽しくありません」。君は「はらみ山」の山頂にある子代池(このしろ池)の水で左の目を洗ひ日霊に祈り、右の目を洗ひ月に祈りました。イシコリトメがマス鏡(真澄鏡)を鋳造り奉りました。イサナギは、天地を領(治)める「うつ」(尊い)の子を生もうと願いました。マス鏡を両手に持って日・月になぞらえて(神に見立てて)、神の出現されることを請い願いました。富士山の首巡り(お鉢巡り、道巡り)の行をして、「あぐり」(天恵・天霊降)を請い願いました。このように、日を積み重ねて、御霊が「ちりけ」(天柱、身柱)の綾(合)所に入ることがわかりました。行が千日になる頃には白脛が血の気を帯びて桜色に染まって参りました。
 ある日、男神のイサナギがイサナミに生理の汚穢の様子を問いました。姫の答えは、 「月の汚穢は流れ止まって三日も経てば身も清く、その日を待っております」。男神も笑みて諸共に拝むと、日輪の光が辺り一面を覆い、二神の前に落ち留まったかに見えました。我を忘れて抱き合い夢心地になり、覚めて潤い快く安らぎと至福の思いで満たされました。

 宮に帰るとヤマスミが察知して神酒を用意して待ち構えていました。酒が勧められ呑むほどに、男神は、「床神酒の作法を知っていますか」と聞いた。女神の答えは「コトサカノヲから教えを受けたところによると、床酒は先ず女が飲みて、その後に男に勧めるのが作法です。床入りに当たっては女が言挙げしてはならず、男が催し、女が受け入れて初めて婚ぎ(とつぎ)が成立します。舌と舌をからませて互いに舌露を吸い合いうちに打ち融けて、御腹(玉島川の内宮)に子種が宿ります。これが良い御子を授かる婚ぎ法(トツギノリ)です。床神酒の儀式は、子を授かると同時に、これが国生む道の教えでもあります」。

 こうして両神は交わり懐妊したのですが、十ヶ月経って予定日になっても産まれず、どんどん年月が過ぎて行き、病気ではないかと本人も周囲の者達も心配をしました。けれども九十六月を経過してようやく陣痛が始まり、お生まれになったのがアマテル(天照)神です。二十一鈴目の百二十五枝年キシヱの年の元日の初日がほのぼの出づると共にお生まれになりました。その御形は日輪と同じ玉籠だったのです。訝かしや(何と不思議なことではありませんか)。大老翁のヤマスミが寿ぎ歌いました。「むべなるや(おめでたく、でかしたことよ)。御世嗣賜り、弥々の幸開けり」。
このめでたさを祝って、お祝いの寿ぎが三度に及び、喜びあいました。

 御世嗣が卵の形でお生まれになったことについて重臣達が問いがあり、ヤマスミは次のように答えた。「トヨケの守の教えあり。卵の形でお生まれになった胎児には障るイソラの禊にて、胞衣の囲みはオノコロの玉籠であり、卵でお生まれになった御子を卵からお出ししなければなりません。玉の岩戸を開くような扉開けをせねばなりません。幸喜開らけ」。こう述べて、一位の木の笏以ちて切開したところ、天の戸が開いて日輪が顔を覗かせたかのように、御子が出づる若日の輝きて現れ出ました。シラヤマ姫は産湯を使わせ、アカヒコが養蚕して出来た絹糸をナツメが織り上げて産着布やおくるみとして奉りました。母親のイサナミは産後の疲れがひどく乳の出が細かったので、宝飯(ホイヰ)の守の妻ミツチ姫(満乳津姫)が乳母の役を買って出ました。

 こうして人々がかいがいしく御子の養育に当たったのですが、瞳を閉じたまま半年余りを経過し、初秋の望の日(七月半ば)になってようやく瞳を開かれました。ニッコリと笑った顔を覗き込んで、人々は手を叩いて喜び、心配も疲れも瞬時に消え去りました。この御子の誕生に瑞祥が現れました。天に懸かる白雲がたなびいて、ハラミ山の八つ峰に霰(あられ)が降ったのです。天御祖神が御子の誕生を祝福して、日の御霊が宿るニゴタマを霰として降らせたのだと人々は想い、この瑞祥に因み布で作った八豊(やとみ)幡を宮の八隅に立てました。御子は幼いながら君として即位されました。アマテル神を卵からお出しする時に、玉の戸を開くのに用いた位の山の一位笏は、世に長らえて笏ですが、この笏は位山(岐阜県大野郡宮村)に産するイチヰの木で作った笏(さく)でした。長じて偉大な指導者となられたアマテル神を敬慕する者は、その象徴として笏(さく)を携えるようになりました。だから後の世においても大御神所縁の人々なのです。

 越根の国の叔母姫(白山姫)が、アマテル神の誕生を祝ってご自分で織り上げた御衣を奉りました。元気に泣く御子の声聞き取り、「あな嬉し」と喜びました。これより諸臣が名を請い、伯母姫がお聞きしたところ、御子が「ウヒルキ」と自ら答えました。諸臣はただの泣き声としか聞こえない御子の声を、しっかりと聞き切った伯母姫は、次のように説明されました。「幼名のウ は'大い'なり。ヒは日輪。ル は日の霊魂。キはキネと同じく男子の名の最後に付ける音熟ぞ。こうして御子の幼名はウヒルギと決まりました。 大日霊貴の尊なり。キネは女男の男の君ぞ」。二神が叔母を称えてキクキリ姫と名を贈りました。「きくきり姫」という名前の「きく」は、霧がかかってはっきり見えないときのように、言葉がはっきり聞き取れない言葉を聞き取って名付けたという意味です。何と機知と教養に富んだシラヤマ姫の受け答えだったことでしょう。

 キクキリ姫も「あな畏かな」。「明玉の 若日の霊(る)は青き魂、暮日の霊魂(みたま) ぬばたまなりき」(訳、昇り行く若々しい太陽は、真っ赤に燃える中に青い霊魂を宿しており、光を失って沈み行く太陽は、ヌバタマのように真っ黒な玉の中に、また新たに生まれ出る赤い霊魂を宿しているのだなあ。日の申し子であるウヒルギ御子も成長と共に、世の中に清浄で強力な気を漲らせ、たとえ世の中が暗く打ち沈んだ時でも、そこには明るく朝の燃えるような光源を宿している、そのような君になって欲しいものだ)。新しい光が射し込んだようにタカマに輝かしい日が訪れました。世嗣ぎ子の誕生をアユキ・ワスキに報告する初嘗祭(ウヒナメヱ)が厳粛に執り行われました。「あゆき」(天ゆきの宮、悠紀殿)と「わすき」(主基殿、すきでん)にそれぞれ祭壇を設け神を祭りました。天の原には、御子の無事の成長を祈り、立派に養おうとの二神の御心が尽くされました。御子(天照神)は「天の原」(はらみの宮、現富士山の麓)に十六年間お住まいになり、一日たりとも疎かでない恵み篤き日々をお過ごしになりました。

 昔、タマキネは、世嗣子の誕生を願って天御祖神に誓いを立て、カツラギ山で八千回の禊をされました。禊を済ませたタマキネはイトリの輦(てぐるま)を造ってカツラの迎えいとして、はらみ宮に参上されました。そして私達が天御祖神の御霊を受けるための条件は夫婦和合だと教えてくれました。両神は当時の事をまざまざと呼び起こし、夢を見ているような心地で思い返しているうちに、トヨケが天御子を教育している情景が目に浮かびました。両神は思いました。「世嗣子を教育するには、知識とか判断力や行動力だけを養っていては不十分なのだ。天から御霊の恩頼(ふゆ)を受けられる神性を身に着けなければ、本当の日の御子には成れない。その教育を施すことができるのはタマキネ以外には居ない」。

 善は急げと早速タマキネの同意を取り、「てぐるま」を召して日高見へ向かいました。既に即位して君となっていた御子は八房の輿に乗り、身の回りの世話をする近習も侍り、ト・ホコを治めたケタコシも加えて進んで行きました。トヨケが待つケタツボ(宮城県多賀城市付近)のヤマテ宮に一行が到着すると、御子は光り輝くように神々しく見えました。辺り一面も黄金の花が咲いたような景観に包まれました。天御祖神が御子を歓迎しているのでしょう。

 この有様にトヨケは「日の若宮のわかひと」(通称「わかひと」)と御子に斎名(いみな)を奉りました。両神は我が子ながら畏敬の念を禁じ得ず、「私達の宮に置いても、これ以上教育することは出来ません」と言って後事をタマキネに委ね、オキツの宮(滋賀県大津市付近)に帰って行きました。天御子ワカヒトはこうしてタマキネの元で天道(アメノミチ、陽陰の道)を学んだのです。ご学友としてフリマロが唯一人付き添いました。フリマロはタカミムスビの六代目ヤソキネの世継子で、トヨケの孫に当たります。五代目の君トヨケは毎日天つ宮に昇り、ワカヒトの勉学を導きました。ワカヒトは天道の奥義を極めたいと心底から望んで勉学に励みました。

 ある日のこと、ワカヒトはタマキネに質問をしました。「真名(まことな)を称えて斎名(ヰミナ)とも言いますが、姉の斎名がヒルコで三音なのに、私の斎名がワカヒトと四音なのは何か理由があってのことなのでしょうか」。この質問にトヨケは次のように答えました。「斎名を付ける時に考えるべきことは、男性では四つあります。それは先ず親(タラ)とのつながり、それから世嗣ぎであるかないか、そして良い意味を持つ名であること、最後にその人が持って生まれた社会的使命である法(ノリ)です。この四つを考え合わせて斎名を付けるのです。ワカヒトは天つ君の立場ですから、人民のために一(ヒ)から十(ト)までを尽くすという使命を担っているのでヒトと付けられたのです。同様にキネ・ヒコ・ウシなども法を表しており特別な社会的使命を担った斎名なのです。女性の場合は法を考えません。二た親とのつながりを考えて良い二音を選び、その前か後ろにコかオを付けるのです。それは男性と巡り合って子を生むからなのです。だから女性の斎名は三音で、男性の斎名は法の分だけ多く四音になります。斎名の付け方にはこのような決まりがあるのですが、称え名はいくら長い名を付けても、沢山の名を持っても構いません。斎名とは、当人の心根に染み透って、その人の真価を発揮させる力を持つものです。言い換えると、その人の人格を決定する四つの言霊なのです。斎名とはシムに通れば真なるかな」。

 2007/04/14

 ホツマツタヱ御機の四 日の神の瑞御名(ミズミナ)のアヤ  

 [訳文の前に]
 今村氏の訳ではここにはホツマツタヱの暦についての詳述が述べてありますが、大部分省略します。

 スズ暦はクニトコタチの考案によるとされるが、天照大御神の生誕は二十一スズのことで、スズ暦が始まってから既に百二十万年余りを過ぎており、大御神のご逝去は五十スズであるから、大御神は百七十四万年弱を生きた事になり、この数値を加えれば優に人類の発生段階に迫ろうとするほどの数値になる。筆者はこの疑問に科学的な解答を与える事は不可能と考えている。即ち、スズ暦で現される大きな数値には宗教的な意味が込められており、科学万能の現代人感覚では理解困難と言わざるを得ないのである。現代と同じ太陽太陰暦を持っていた時代背景からして、この大きな数値は、宗教的な意味合いを加味して解釈しなければ思考の渋滞を免れない。従って、スズ暦に現れる大きな年数や月数を、筆者は仮に宗教年・宗教月と宛てて訳す事にするので、あらかじめご了承願いたい。

 [訳文]

 御子オシヒト・オシホミミに日嗣を譲ってイサワの宮に引退された天照大御神は、タガノコフで日高見の開発統治に専念するオシヒトを支えて国政議会を預かって居られた。大御神はその名の通り、国の隅々まで照らす太陽のように、全ての人々が均等に恵みを受けて快適な生活を送れる世の中にしようと勤めておられた。イサワの宮には定期的に参議の重臣が集まって神議りが行われ、大御神の御心を反映する政策が討議された。イサワでの定例会議が行われたある日、議事が終了して大御神も自室に戻られた後に、大物主クシヒコが「今、私達全国民から日の神として崇められている大御神の生い立ちと、ワカヒトという斎名(ヰミナ)について、詳細をご存知の方はお教え下さい」と問いかけた。


 この質問に対して、オオヤマスミが「私の父が歌で綴った記録にその事が書かれています」と答えた。参議の諸臣はこぞって「是非ともそれをお聞かせ下さい」と乞うたところ、ヤマスミは謹んでその長歌に解説を加えながら語り始めた。内容は次の通りである。「昔、皆さんご存知の通り、クニトコタチの事績を継いだトホカミヱヒタメの八人の御子は総称してクニサツチと申し上げ、八人が日本全国を分治する方式を採りました。父神の出身地である常世国を起点として、先ず日高見に国家基盤を置いて果樹や穀物、野菜の栽培技術を普及させながら、ホツマ邦(関東)を始め次第に分治の輪を広げ、国家形態を整えていきました。八人の中からトの尊が互選されて指導的な立場に立ったのですが、既に日高見に磐石な基盤を築いていたヒの尊である初代タカミムスビ(二アヤ参照)は、この国家事業を側面から強力に支えました。本州中央部を開発されたトの尊は、父天御祖神を象徴する果樹として橘を常世の花と名付け、栽培を振興しました。橘の実はカグと呼ばれるので、、ハラミ山はカグ山とも呼ばれるようになったのです。クニトコタチ以来、暦の木として代々の天神が植え継いで来たマサカキも多くを数え、世も移り変わりましたが、代々のタカミムスビは常に天神を後見して国政を補佐し、主に祭祀を執り行う役割を担っていました。

 そして五代目タカミムスビのタマキネが、日本民族共有の天御祖神信仰を国家宗教儀式として確立したのです。天上に存在すると信じられていた元明けを地上に具象化してタカマの祭りとし、アユキの宮には天元神と八元神を、そしてワスキの宮には天並神(あなれ)と三十二神を祭りました。人々は、天地自然の摂理を整えて万物を創造した日本民族の祖神である天御祖神に守られていることを、はっきりと意識することができるようになったので、タマキネをトヨケ神とか東(キ)の君と呼んで崇敬しました。七代目天神のイサナギ夫妻が一度崩壊しかかった国家の再建に向けて奮闘しておられた時代、国政議会を預かっておられたタマキネは、もう次代のことを憂慮しておられました。


 『マサカキの植え継ぎは二十一本目のスズに及び、その間百二十万七千五百二十宗教年を経て、クニトコタチ以来の天神の血筋を引く男子は千五百人も数え上げる事ができるのだが、その中に天ナル道を習得して万民を導き、人々を生の苦しみから少しでも救済するほどの徳を持った人物は見当たらない。このままでは両神(ふたかみ)の国家再建への努力も無駄になってしまうのではないだろうか。』トヨケは暗澹たる気持ちでハラミ山へ登りました。日本列島の中心にある高みに居て、あるべき国家像を思い描いてみたのです。トヨケは思いました。『理想的な国家とは、すべての人民が自分の生を正面から見据え、生きる価値を見出すことができる国家なのだ。天ナル道はそれを可能にする立派な教義だが、その教義を教え広める優れた人材が見当たらない。両神が全国を巡幸して標準語を普及させたので、日本中の人々が同じ言葉で意思を通じ合えるようになった。次の段階は天ナル道を国家理念として国民の一人一人に植え付ける教導が必要なのだ。』こうして思考整理を済ませたけれども、トヨケの心は晴れず、重い足取りで日高見の宮に戻りました。

 両神も無事に全国統治を成し遂げ、次の目標に向けてトヨケと同じようなことを考えていたのです。イサナミは父のトヨケを訪ねてその心情を訴えました。『何とかにて世嗣ぎ子が欲しいのですが、授かりません。』トヨケはフトマニで占い、ツキカツラギのイトリ山に世嗣ぎ社を建てて色幣(いろしで)を奉げ、そこに篭って天御祖神に祈りました。そして自ら八千回の禊を誓って実行したのです。この途方もない願掛けによる必死の祈りが聞き届けられたかのように、天御祖神の眼に日と月の光が差し、それを取り巻く天元神や三十二神が祝福の笑みを浮かべた幻想に囚われたのです。トヨケは世嗣子を得ることができるという確信を持ちました。

 この頃ギミ両神はハラミ山に登って述懐されました。『二人で日本中を巡り人々の生活安定を計って、姫御子を一人設けることは出来たけれども、世嗣ぎの御子が得られなければとうてい心安らかに過ごすことは出来ない。』両神は世嗣ぎ子の誕生を願って、富士の湧水(原文イケミズ)で左の目を洗っては日の御霊に祈り、右の目を洗っては月に祈りました。両神の擁立者の中でも鋳造技術では随一のイシゴリドメがマス鏡を造って奉りました。イサナギは天(アメ)を治めるほどの器量を持った御子を設けたいとの一心で、イシゴリドメに進められた通り、左右両手に持ったマス鏡を日霊と月に見立て、人として顕現することを願って、首を巡らす毎に降霊を祈りました。こうして日を積んでいく内に、御霊が降って身柱(チリケ・第七頚椎)から身体の中に入り込んで行くように感じ出したのです。この業が千日にも達する頃、イサナギの白い脛が血の気を帯びて桜色に染まってきました。

 ある日イサナギはイサナミに生理の経過を聞きました。姫は次のように答えました。『月潮(ツキノオエ)は流れ止まって三日経ちました。今は身も清く、日の御霊を受け入れるには最適な時ですので、お待ちしております。』男神もニッコリと微笑んで二人して拝むと、眩い光が辺り一面を覆い、あたかも日輪が飛び降って両神の前に落ち止まったかに見えました。両神は思わず我を忘れて時を過ごし、夢心地から覚めると安らぎと至福の思いで満たされたのです。宮へ帰るとヤマスミも既に察知して、ササ神酒を用意して待ち構えていました。男神は、『床神酒の作法を知っていますか。』と聞きますと、女神は次のように答えました。『コトサカノヲから教えを受けたところによると、床神酒は先ず女が飲んで、その後に男に勧めるのが作法です。床入りに当たっては、女が言挙げしてはならず、男が装うのを女が知って初めて婚ぎ(とつぎ)が成立するのです。そして精液の受け渡しを行えば互いに打ち解けて御腹に子種が宿ります。こうして良い子供を生むための教えが婚ぎ法(トツギノリ)です。床神酒の儀式は、胎児を正常に整える婚ぎ法の教えであると同時に、国家を建設する道の重要な教えでもあるのです。』

 こうして両神は交わり懐妊したのですが、十ヶ月経って予定日になっても産まれず、どんどん年月が過ぎて行き、病気ではないかと本人も周囲の者達も心配をしました。けれども九十六宗教月を経過してようやく陣痛が始まり、お生まれになったのがアマテル神です。二十一スズ目の百二十五枝(七千五百宗教年台)キシヱの年の元日、ほのぼのとした初日と共にお生まれになったその御形は、日輪と同じく球形の卵だったのです。何と不思議なことではありませんか。私の祖父に当たる先々代のヤマスミは、この誕生を祝って次のように歌いました。『でかした。でかした。これでクニトコタチ以来続いてきた天の祀りも安泰となり、天神の世系も保たれることが約束された。末永く人々が幸福に暮らせる基が今開かれたのだ。何としてもめでたい事だ。』

 ところで人々は、御世嗣が卵の形でお生まれになったという、世にも不思議な現象をどう受け止めれば良いのか、判断できずにいました。それは吉事なのか凶事なのか、重臣達は思い切ってトヨケに聞いてみました。そしてトヨケの説明を聞いてなるほどと頷き、ほっと胸を撫で下ろしました。その説明はこうです。『純真無垢な胎児には、世間に居る邪悪な心を持った者の念が作用して、障害を及ぼすことが多いのです。増して天神の世嗣の誕生ともなると、嫉妬心に凝り固まった者達の念がイソラという悪鬼を生み出し、胎児に悪さをしようとします。この障りを避けるために、私は願掛けをして八千回の禊を行いました。この禊によって、胎児を包んでいる胞衣が厚く強まって卵の殻のようになったのです。この強い胞衣がイソラの祟りを撥ね返して、世嗣の御子を守っているのです。』 さて、卵でお生まれになった御子を卵からお出ししなければなりません。玉の岩戸を開くような切開手術は、イチヰの木を薄く削って作った?(さく)を用いて慎重に行われました。そして天の戸が開いて日輪が顔を覗かせたかのように、現れ出た御子は光り輝いて見えました。イサナギの姉のシラヤマ姫は産湯を使わせ、アカヒコが養蚕して出来た絹糸をナツメが織り上げて産着布やおくるみとして奉りました。さすがに母親のイサナミは疲れがひどく、乳の出が細かったので、宝飯(ホイヰ)の守の妻ミツチ姫が乳母の役を買って出ました。

 こうして人々がかいがいしく御子の養育に当たったのですが、瞳を閉じたまま半年余りを経過し、七月半ばになってようやく瞳を開かれました。ニッコリと笑った顔を覗き込んで、人々は手を叩いて喜び、心配も疲れも瞬時に消え去りました。この御子の誕生に瑞祥が現れました。天に懸かる白雲がたなびいて、ハラミ山の八つ峰に霰(あられ)が降ったのです。天御祖神が御子の誕生を祝福して、日の御霊が宿るニゴタマを霰として降らせたのだと人々は想い、この瑞祥に因み布で作ったヤトヨ幡を宮の八隅に立て、御子は幼いながら君として即位されたのです。

 さて、アマテル神を卵からお出しする時に、玉の戸を開くのに用いたのは、位山(岐阜県大野郡宮村)に産するイチヰの木で作った?でした。長じて偉大な指導者となられたアマテル神を敬慕する者は、その象徴として?を携えるようになりました。だから後の世においても、?を持つのは大御神所縁の人々なのです。
         
 コヱネ州(石川県)にお住まいだった伯母シラヤマ姫は、アマテル神の誕生を祝ってご自分で織り上げた御衣を奉った時、泣く御子の声をお聞きになって『あな嬉し』と聞き取りました。このことから諸臣は『御子がどのような名をお望みなのかお聞き下さい』と頼み、伯母姫からお聞きしたところ『ウヒルギ』と御子自ら答えられました。諸臣はただの泣き声としか聞こえない御子の声を、しっかりと聞き切った伯母姫は、次のように説明されました。『ウは大いなること。ヒは日の輪。ルは日の霊魂を意味し、ギはキネと同じく男子の名の最後に付ける音です。』 こうして御子の幼名はウヒルギと決まりました。両神は伯母姫を称えてキクキリ姫と名を贈りました。何と機知と教養に富んだシラヤマ姫の受け答えだったことでしょう。

 御子のウヒルギ命名を祝って、先々代オオヤマスミが詠った和歌アカタマノ ワカヒルノルハ アオキタマ  クレヒノミタマ ヌバタマナリキ(訳)昇り行く若々しい太陽は、真っ赤に燃える中に青い霊魂を宿しており、光を失って沈み行く太陽は、ヌバタマのように真っ黒な玉の中に、また新たに生まれ出る赤い霊魂を宿しているのだなあ。日の申し子であるウヒルギ御子も成長と共に、世の中に清浄で強力な気を漲らせ、たとえ世の中が暗く打ち沈んだ時でも、そこには明るく朝の燃えるような光源を宿している、そのような君になって欲しいものだ。新しい光が射し込んだように、タカマに輝かしい日が訪れました。世嗣ぎ子の誕生をアユキ・ワスキに報告する初嘗祭(ウヒナメヱ)が厳粛に執り行われました。

 両神は天神として多忙な中でも御子を手元に置き、手塩に掛けて育てました。そして、日の申し子を立派な君主として大成させるには親としてどうすれば良いのかを、常に考えて居られました。それほどまでに恵み厚く、心を尽くして御子を育てたのです。両神にとっては一日とも思える十六年が過ぎたある日、語らい述懐されました。『昔タマキネは、世嗣子の誕生を願って天御祖神に誓いを立て、カツラギ山で八千回の禊をされた。禊を済ませたタマキネはイトリの輦(てぐるま)を造ってカツラの迎えだと、ハラミの宮に居た私達に伝えてくれた。イトリの輦は天御祖神が遣わす御霊をお運びする乗り物で、桂の木は夫婦和合の象徴とされている。八千回の禊によって天御祖神から御霊を降ろされたタマキネは、それを私達に仲介してくれたのだ。そして私達が天御祖神の御霊を受けるための条件は夫婦和合だと教えてくれたのだ。』

 両神は当時の事をまざまざと呼び起こし、夢を見ているような心地で思い返しているうちに、トヨケが天御子を教育している情景が目に浮かびました。両神は思いました。『世嗣子を教育するには、知識とか判断力や行動力だけを養っていては不十分なのだ。天から御霊の恩頼(ふゆ)を受けられる神性を身に着けなければ、本当の日の御子には成れない。その教育を施すことができるのはタマキネ以外には居ない。』善は急げと早速タマキネの同意を取り、輦を召して日高見へ向かいました。既に即位して君となっていた御子は八房の輿に乗り、身の回りの世話をする近習も侍り、ト・ホコを治めたケタコシも加えて進んで行きました。トヨケが待つケタツボ(宮城県多賀城市付近)のヤマテ宮に一行が到着すると、御子は光り輝くように神々しく見えました。辺り一面も黄金の花が咲いたような景観に包まれました。天御祖神が御子を歓迎しているのでしょう。

 この有様にトヨケは日の若宮のワカヒトと御子に斎名(いみな)を奉りました。両神は我が子ながら畏敬の念を禁じ得ず『私達の宮に置いても、これ以上教育することは出来ません。』と言って後事をタマキネに委ね、オキツの宮(滋賀県大津市付近)に帰って行きました。天御子ワカヒトはこうしてタマキネの元で天道(アメノミチ)を学んだのです。ご学友としてフリマロが唯一人付き添いました。フリマロはタカミムスビの六代目ヤソキネの世継子で、トヨケの孫に当たります。五代目の君トヨケは毎日天つ宮に昇り、ワカヒトの勉学を導きました。ワカヒトは天道の奥義を極めたいと心底から望んで勉学に励みました。ある日のこと、ワカヒトはタマキネに質問をしました。『真名(まことな)を称えて斎名(ヰミナ)とも言いますが、姉の斎名がヒルコで三音なのに、私の斎名がワカヒトと四音なのは、何か理由があってのことなのでしょうか。』この質問にトヨケは次のように答えました。『斎名を付ける時に考えるべきことは、男性では四つあります。それは先ず親(タラ)とのつながり、それから世嗣ぎであるかないか、そして良い意味を持つ名であること、最後にその人が持って生まれた社会的使命である法(ノリ)です。この四つを考え合わせて斎名を付けるのです。ワカヒトは天つ君の立場ですから、人民のために一(ヒ)から十(ト)までを尽くすという使命を担っているので、ヒトと付けられたのです。同様にキネ・ヒコ・ウシなども法を表しており特別な社会的使命を担った斎名なのです。女性の場合は法を考えません。二た親とのつながりを考えて良い二音を選び、その前か後ろにコかオを付けるのです。それは男性と巡り合って子を生むからなのです。だから女性の斎名は三音で、男性の斎名は法の分だけ多く四音になります。斎名の付け方にはこのような決まりがあるのですが、称え名はいくら長い名を付けても、沢山の名を持っても構いません。斎名とは、当人の心根に染み透って、その人の真価を発揮させる力を持つものです。言い換えると、その人の人格を決定する四つの言霊なのです。』

 ホツマツタエ 天の巻 4アヤ アマテル神の誕生と即位

 昔、この国を最初に開いたクニトコタチには八人の御子がありました。御子の名前の頭文字をトホカミエヒタメといい、この八人を総称してクニサッチと呼びました。その中の一人トノクニサッチは、有用な木や草の種を土産に携えてホツマの国に天降りました。
 ホツマの国はハラミ山(現・富士山・蓬莱山)を中心とした東海・関東地方で、トの神が天降った所からト下国ともいいました。

 この頃、東方はるか彼方の国をヒタカミ(日高見)の国と称しました。高き波の上に日の昇る美しい国を表わした名です。トのクニサッチは彼の地を治めていたタカミムスビと協力して東国を平和に統治しました。この時、クニトコタチ建国のシンボルの花、常世(トコヨ)の橘(たちばな)の花もハラミ山に植えて、この秀峰の名をカグヤマ(天香久山)と称えました。
 時は下り、六万年で折鈴(さくすず)となり枯れるという真榊(まさかき)を代々植え継いでヒタカミ国を治めていたのは、タカミムスビの五代目の真名(いみな)タマキネです。
 タマキネは天上(てんじょう)の高天原(たかまがはら)のサゴクシロ宮に鎮座する四十九神をヒタカミの地に勧請して、地上の高天原としました。 四十九神の名は、中心に座(いま)すアウワのアメミオヤ(天御祖神)神、次に元明け(モトアケ)のトホカミエヒタメの八元(ヤモト)神、続いてアイフヘモヲスシの天並(アナミ)神、そして三十二(ミソフ)神の計四十九神です。タマキネがこの四十九神を招き祭って以来、民の生活(くらし)も豊かに栄え、平和が長く続きました。
 諸民は天から豊饒(ほうじょう)を授かった神に、尊敬の念を込めてトヨケ(豊受)の神と呼び称えました。

 又、トヨケは東の君(ひがしのきみ・東王父)とも慕われて、クニトコタチの定めた天成道(アメナルミチ)を受け継いで、神を祭る大行事(オオナメゴト)を司りました。
 六万年毎に植え継いできた真榊は、すでに二十一鈴(フソヒノスズ)となり、年は百二十万七千五百二十年にもなりました。しかし今冷静に考えてみると、神の子孫と称する氏(うし)は千五百人にも増えたといえ、その中に民の悩み苦しみを本当に理解して、天成道(アメナルミチ)により人々の嘆きを解決出来る者は一人もいないではないか。
 「いなければ道も尽きてしまう」と日毎悩んだトヨケは、ついに意を決して国で一番高いハラミ山に登って国々を展望して見ると、八洲(やしま)の民は増大を続けて蠢(うごめ)き騒がしくさまよい、これでは人の道も学べないのは道理だとやはり嘆いてヒタカミの宮に帰りました。父の悩みをひしひしと感じていた娘のイサコ(イサナミ)は父に申し上げて「世嗣子(よつぎこ)も、がな」といえば、父は早速フトマニ(大占)を占った後に、中国(なかくに・現奈良)に赴いて月桂城(つきかつらぎ)の鳳山(イトリやま)に世嗣社(よつぎやしろ)を新造し子種が与えられんことを祈願しました。

 世嗣社(よつぎやしろ)の八隅(やすみ)には八色(やいろ)の垂(しで)を立てて、宇宙神のアメノミオヤ神に祝詞(のりと)を捧げ、トヨケ自ら一心に禊(みそぎ)を重ねて八千座(ヤチクラ・八千回)印を契る頃には、神の稜威力(いずち)が通じて神意(しんい)が表われるのを感得しました。
 アメノミオヤ神の眼(まなこ)から漏れ出る日霊と月霊そして天元(アモト)神に三十二(ミソフ)神がお守り下さるゆえ、必ずや子種に恵まれんことを覚えました。

 この頃、イサナギ、イサナミはやはりハラミ山に登って日毎に朝日の出る東方に向かって百拝(ひゃくはい)を重ねていました。そんなある日両神は共にお互いの悩みを話し合われて、
 「私達は、一緒に全国を巡幸して国の再建を計り、民を豊かに治めて平和な国をつくりました。すでに姫皇子(ひめみこ)は生まれたものの国の政(まつりごと)を継ぐ嗣子(つぎこ)に未だ恵まれませんので、先の楽しみがありません」と素直に打ち明けました。

 二人はこの後、ハラミ山頂の子代池(このしろいけ)の池水で左眼を洗い日霊に祈り、右眼を洗って月霊に祈り、イサナギはシコリドメ(石凝姥)が鋳造して君に捧げた真澄鏡(ますみのかがみ)を二枚取り出すと、それぞれ日と月にたとえ両手に捧げ持って神の出現を乞い願いました。八峰(やつみね・富士八峰)の首巡り(お鉢巡り)の行を通して、その間にアグリ(天恵)を乞い願い続けました。日を重ねて行が丁度千日目になる頃に御魂(みたま)がチリケ(身柱)の門の紋所(かどのあやどころ)に入るのを感じると同時に、白脛(しらはぎ)が桜色に染まりました。
 ある日男神が女神に生理を聞くと、姫の答えは、「月経(ツキノオエ)も三日前に終わり今は身も清くなりましたので、日の神をお待ちしています」と答えると、男神も思わず微笑んで、共に旭日を拝むとどうでしょう、日の輪が突然飛び降って両神の前に落ち留まりました。二人はおもわず日の霊(たま)を抱くと恍惚境をさまよい、やっと夢心地から醒めた後も心は潤い心地良く宮に帰り着きました。

 お帰りを心配してお待ちしていたオオヤマズミが、早速二人に笹神酒(ささみき)をお勧めすると、イサナギは女神に、「トコミキ(床神酒)の意味を知っているかね」と尋ねました。
女神の答えは、「はい、コトサカノオ(事解雄)から作法を聞いております。床神酒は先ず女が先に飲んで後に男に勧めるのが習わしです。床入りの時は女は先に言葉を掛けずに、男の素振りや様子を察して床に入り性交します。又舌液(シタツユ)をお互いに吸えばもっと打ち解けて、玉門川(タマシマガワ)の内宮(うちみや・子宮)に子種が宿るのが嫁ぎ法(トツギノリ)で、子を整うる床神酒は、国生む道の教えぞと、伺っております」
 このように教えに従って交わって孕んだものの、十ケ月経っても生まれず、年月を経れどもやはり生まれないので両神の心労は増すばかりでした。九十六ケ月目になってやっと臨月を迎え、備わりご降誕になられたのがアマテル神でした。

 二十一鈴(フソヒスズ)、百二十五枝(モモフソイエダ)、年キシエ、初日がほのぼのと出ずる時に、丸い玉子の御形(みかたち・袋子)でお誕生になられた天子(みこ)のお姿を、皆一様に不思議でいぶかしく思いました。
 この時、御祖翁(みおやおきな)のヤマズミがご降誕を祝して言寿ぎ(ことほぎ)をされ、感極まって朗々と詠い上げました。

宣(む)べなるや  雪(幸先)のよろしも
御世嗣(みよつぎ)も  代々(よよ)の幸い  開けり
と、一晩中に渡り寿(ことぶ)き心から国の未来を喜び祝って、詠うその回数も三度(みたび)に及びました。
 雪(幸先)もよろしい。玉子の姿で生まれた天子の姿に対する人々の疑問に翁は答えました。
 「トヨケ(豊受)の神の教えにあります。害を及ぼすハタレ(悪魔)の一派イソラの障害から君を守ろうと身を固めて祈祷したので、生まれ出た時自然に玉子に守られていたのは幸運の記しです」
 玉の岩戸を開けとばかりに一位(いちい)の木の笏(さく)の先(はな)を持って、今こそ天の戸は開かれんと胞衣から御子を取り上げました。その時出ずる若日が天地に輝き渡り、イサナギの妹のシラヤマ姫が御子を産湯につかわせました。両神初め諸臣、民の喜びはたとえようもなく、唯々歓喜の声が万歳(ヨロトシ)、万歳(ヨロトシ)の波となって国中に伝えられました。
 先にアカヒコ(赤彦)は桑の繭(まゆ)から糸を引いて紡ぎ、ナツメ(夏目)が織って産着に仕立ててこの御衣を奉りました。
 母のイサナミは長期間の懐妊の疲れから乳の出が細かったので、広く乳母を求めて、ホイイの神のミチツ姫(満乳津姫)が添え乳(そえぢ)をして御子を養育しました。が、しかしいつまでも瞳を閉じた天子に月日は無く時は止まったままです。この間両親の心配は絶えませんでした。やっと七月十五日(ハツアキノモチノヒ)に開いた両眼の潮の目の愛らしい事、民の拍手(てうち)の喜びに母の疲れも消え去るみ恵みでした。
 天に棚引く白雲の掛かる八峰(やみね・富士八峰)に降る霞(あられ)、日の達する国の隅々に丹子玉(ニコダマ)となりこだまするこの瑞兆(みず)を、布に表わして八豊幡(ヤトヨハタ)を作り高御座(たかみくら)の八隅に建ててここに即位し君となられました。

 玉子の姿で生まれたアマテル神を取り上げる際に、被っていた胞衣(えな)を割くのに用いた、位(くらい)の山の一位の笏(さく)をこの時関係者一同に賜わり、以来子々孫々笏を持つ者は神の末裔(まつえい)となりました。

 叔母姫(白山姫)がコエネ(扶桑北)国で織った御衣を進上する際、天子(みこ)の泣く声が「アナウレシ」と聞こえたので、これが君の最初の言葉となりました。これを知った諸神達が叔母姫に是非お名前を聞いてほしいと懇願して、姫から天子(みこ)に問うたところ、自ら「ウヒルギ・大日霊貴」とお答えになられました。
 この声を良く聞き切ってみると、天子は自分の幼名(おさなな)を名乗られ、その意味は、「ウ」は大いなり、「ヒ」は日の輪、「ル」は日の霊(ちまた)、「ギ」は杵(きね)で、杵は女夫の男の君を表わします。このようなわけで、君の幼名(オサナナ)はウヒルギの天子(みこ)となられました。

 両神は叔母が「良くぞ天子の名を聞き切ってくれた」と大いに称えて、キクキリ姫(菊桐姫)の名を新たに賜いました。
 ああなんと天子の賢くも尊い最初のお言葉でありますことか。
赤玉(あかたま)の  若日霊(ワカヒル)の霊(ル)は  青き玉
暮日(くれひ)の御霊(みたま)  烏羽玉(ぬばたま)なりき

 真赤に昇る新年の初日とともに、ご降誕あらせられた天子様、若き日の
御霊は青き未来を密めておられます。紅色(くれない)の日暮れの
太陽は大きく輝いて、今宵の夢を育む烏羽玉色です

 久方の朝日とともに降誕された君の初の大嘗祭(だいじょうさい)が十一月半ば(旧冬至)に、厳粛に執り行なわれました。

 アユキの宮(悠紀殿・ゆきでん)にはアメトコタチ(天常立神)の九星(コホシ)を勧請して祭りました。アメノミナカヌシ(一)神とトホカミエヒタメの(八)神です。ワスキの宮(主基殿・すきでん)にはウマシアシガイヒコチ神(可美葦牙彦道神)の十一神を勧請して祭り、その神々は方位を守るキツヲサネ(東西中南北)の(五)神と、アミヤシナウの(六)神です。君の即位を天の九神と地の十一神にご報告して、君はめでたく天、地、人の信任を受けて正式に君となられました。

 両神は天御子(あめみこ)を立派な指導者とすべく昼夜御心を尽くして養育され、思えばここハラミノ宮にすでに前後十六年間もお住まいになられたのも、あっという間の一日の出来事のように思われました。それもこれも天子への熱き愛情と深き恵みの賜物ゆえのことです。

 以前の事です。タマキネは桂城山(かつらぎやま)で八千回に及ぶ禊(みそぎ)をして世嗣社(よつぎやしろ)に誓いを立てて満願かなった後に、桂(かつら)材で鳳凰(イトリ)の鳳輦(てぐるま)を初めて造り、桂のお迎えと称してハラミノ宮に参上しました。
 その時の様子は、突然の天御子(あめみこ)お迎えの報に両神は夢心地で出迎えお会いになると、正にトヨケご自身が遠路を押しての来訪で、驚くやら嬉しいやらでそれはもう感無量の一大事でした。
 両神とトヨケの話す話題は一にも二にも天御子の教育方針に終始しました。話が一決すると我が子を抱いた母親が、天子(みこ)共々ヤフサコシ(八房輿)にお召しになり、御乳津母(オチツモ)及びトヨケはケタコシ(方丈輿)に乗っていました。その後を供の者達が続いて、ゆらゆらと日の出の国ヒタカミへと向われ、全員無事に方壷(けたつぼ)のヤマテ宮(仙台宮)に入城しました。

 その時のことです。天子(みこ)の玉体が燦然と輝きを発ち、瑞光四方に照り徹(とお)ったかと思うまに、八方(やも)に黄金(こがね)の華が咲き、海の真砂や魚、山の草木も黄金色に染まりました。
 この光景に感動したトヨケは、天子に日の若宮のワカヒト(若仁)という真名(いみな)を奉りました。両神は天御子の威光に恐れ入って、 「我が宮には過ぎたる君、これ以上親元において育てる自信がありません」と言い残して、高天原(宮中)に天子を上げるとオキツノ宮(瀛洲宮)に帰られました。

 ヒタカミの国のヤマテ宮に入られた天御子は、アマツミヤ(天つ宮)で来る日も来る日もアメナル道(天成道・帝王学)を真摯に学ばれ、お側にはいつもフリマロ(振麿)が一人ご学友として侍っていました。
 このフリマロは六代目タカミムスビ、ヤソキネの世嗣子で、生涯に渡りアマテルカミを補佐して政を執られたタカキネです。 タカミムスビ五代目のタマキネは、天御子の祖父(おじ)として、又厳格な教師(おしえど)として毎日天つ宮(あまつみや)に詣でて、クニトコタチの永遠なる思想、人の道の奥義である天成道(アメナルミチ)を講義されました。

 ワカヒト君は深く真理を求め天道の奥義を追求してやみませんでした。そんなある日のこと、君はタマキネにこの様な質問をされました。
 「真名(まことな)をイミナと称して、姉の名は三音(みつ)我は四音(よつ)なのはいかなる訳(わけ)ですか」 タマキネは天子の向学心に感じ入りながらも、やさしくお答えになりました。
 「イミナ(真名)の男名(おとこな)が四音(よつ)なのは、まず父母からの二音(ふたつ)と世嗣(よつぎ・姓)に名(な)宣(のり)の二音(ふたつ)を合わせて四音(よつ)になります。天つ君は一(ひ)から十(と)までを完全に備えて人の上に宣(の)るので仁(ひと)と名宣(なの)ります。
 しかし女性は名宣(なの)らないので、二親からの二音(ふたつ)と、男性と結ばれて子供を生むので、何子姫又は子何姫や何於(ナニオ)や於何(オナニ)とも名付けます。これにより女性の名前は三音(みつ)で男性の名が四音(よつ)となります。
 又、タタエナ(称名)は、その人の功績次第で、たくさん付けるべきです。
 この様にイミナ(真名)というのは、人格や血統(シム)にまで影響するので真心を込めて付けるべきです」













(私論.私見)