| ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)3 |

| 【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)3、一姫三男生む殿の紋】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 3綾目次 3-1 両神(「いさなぎ」「いさなみ」)の生まれた子供の数と産屋の数が合わないことを問う(3-1~2) 3-2 両神(「いさなぎ」「いさなみ」)は筑波で最初のお子さんを生みました。(3-2~3) 3-3 「いさなぎ」「いさなみ」の最初のお子さんは「ひるこ姫」と言い、なんと、両親とも厄年でした(3-4~5) 3-4 厄を祓うため子供を川に捨て、翁に拾い育てられる(3-5) 3-5 「いさなぎ」「いさなみ」は世継ぎの男の子を生む決意をする(3-6~7) 3-6 「いさなみ」が二番目に妊娠した子は流産する(3-7~8) 3-7 「いさなぎ」「いさなみ」は子供の授かり方に間違いが(3-9) 3-8 セキレイを例に求愛の在り方を教えます(3-10~11) 3-9 「いさなぎ」「いさなみ」は正しい授かり方で求愛を(3-11~13) 3-10 両神「いさなぎ」「いさなみ」は国の再建に励みます (3-13~15) 3-11 念願の皇子「うほひるぎ」(天照神)が誕生(3-15~16) 3-12 豊受神より「わかひと」と名付けられる(3-16~17) 3-13 「いさなぎ」「いさなみ」に次男「つきよみ」が筑紫で生まれる(3-18) 3-14 厄のとれた「ひるこ姫」は「わかひるめ」に(3-18~19) 3-15 末っ子「そさのお」が和歌山で生まれ、周囲を困らせ母が「くまの宮」を建立(3-19~20) 3-16 「いさなぎ」「いさなみ」が一姫三男を生み、産屋が五つある理由です(3-21~22) |
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| イサナギ・イサナミの御子誕生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 【(れんだいこ訳)一姫三男生む殿の文】 |
| 諸神がタカマでの儀式を済ませ寛いでいたある時、参議の一人のツワモノヌシ(兵主)が次の問いかけました。「両神(フタカミ)が一人の姫と三人の御子をお産みになられた宮殿は五つあると聞きますが、どういう事なのでしょうか」。重臣のカナサキが答えて次のように語りました。「その昔、二神は筑波にて新婚生活を始めました。お互いに身体の違いを較べ合ったところ、女神には生り成り足らぬ陰没(めもと)がありました。男神には成りて余る逸物(男根)がありました。これを合せて御子を生もうとして、凹凸の交はい(ミトノマグバイ)をしたところ、女神が子を孕(はら)みました。生まれて来た子の名はヒルコ。しかれども、この時の父いさなぎの齢は四十歳、母いさなみは三十一歳。共に天の節の陽陰の節が宿る厄年でした。天の節が宿る年に生まれる子供は父に汚穢(おえ)が宿ります。男の子ならば母が隈(くま、災い)を受けることになります。何か悪い事が起こるのではないかと、両神はこの言い伝えが次第に心配の種になりました。愛情を注いで育てた期間は三年にも満たないけれど、捨て子は育つという言い伝えに従って、斎奇舟(いわくす舟、楠の木をくりぬいて作られた舟)に乗せて捨て子しました。予(か)ねて相談を受けていたこの爺(カナサキ自身)が待ち構えて拾い、西殿(現兵庫県西ノ宮)で養いました。
初めからやり直すことにして二神は、男神は左、女神は右回りに廻りました。二人が出会った時、次のように歌い合いました。男神の陽陰歌は「あなにゑや 美し乙女に会いぬ時」(何とうれしいことか、美しい乙女に会えた)。女神応えて「わなにやし 美し男に会ひきとぞ」(あぁうれしい、美男子に会えました)。(注、三つの間違いが直されたことになる。一つは、女神が左、男神が右回りしたのを、男神は左、女神は右廻りにしたこと。二つ目は、.女神が男神より先に歌ったのを止めて、男神が先に歌ったこと。三つ目は、.掛け合い言葉が五音・四音の歌だったのを五音・七音の歌に代えたこと) 両神は、アワの歌を導きにして赤子をつつむ胞衣(えな)のように優しく取り囲んで、国生みすることになりました。大和秋津州(本州)、淡路島、伊予と阿波二名(四国)、隠岐の三子(隠岐諸島)、筑紫(九州)、吉備の児島(瀬戸内の島々)、佐渡、大島。その足跡は日本全国に及びました。更に生みて海、川、山の幸を生みだしました。木の祖(おや)、ククノチ(草)の神、茅(かや)の姫。野の祖(おや)の「のつち」(野の霊)神たちも現われました。 陽陰(あわ)歌の教え通りに農工産業が大いに振興し、両神はハラミの宮に居て政治を司ることになった。既に八州の地を生んでいたので、両神が次に為すべきことは、人民を守ってこの国の平和を恒久的に維持する優れた日嗣の君を生むことでした。この願いが通じて日の神を生み、御名をオオヒルキ(大日霊貴)と名付け称えました。大日霊貴は国の希望となり麗しく、その神威が隅々まで照り通りました。イサナギ、イサナミは、神威と威光がただごとでないのを知り、奇しき日(霊)の宿る「くしひる」の子を此処に留めておくわけにいかないとして天に送り、君に相応しい天神の儀式と天地を結ぶ御柱の道を教えることになりました。 そういう事情から、ハラミ山(富士山)を大日山と呼び代えることになりました。トヨケの神(豊受神)は、考えてワカヒトと斎名(いみ名)を捧げました。この後、二神は、ツクシ(筑紫、九州の総称)に行き御子を生みました。その時に生まれた皇子をツキヨミの神と申します。ツキヨミの神を日の道を補佐させる為に天の宮中に上げました。これにより太陽と月の輝きが生まれました。 これの先、「おえくま」(穢れや禍、けがれ、わざわい)を祓うために捨てられたヒルコ姫は今、充分に慈(いつく)しく成長され、天の神の妹として名前もワカヒルメ (分日霊妹)となりました。 ソサ国(紀伊半島和歌山)で生まれたソサノヲは、常に雄猛び、鳴きわめき、国の民を困らせていました。イサナミは、ソサノヲの乱暴狼藉を自分の汚穢(不徳)と受け止め、国の民の苦労迷惑を身に受けて、民を守るために「くまの宮」(熊野宮)を建てました。イサナミは、ここにお住まいになって、ソサノヲの悪行の償いに努める生活をなされました。この様にそれぞれ御心を尽くしました。 イサナギ、イサナミは、一人の姫と三人の御子を産みましたが、まだまだ「つきみてす」(充分に備わらず、未熟児の胞衣(えな)が破れて流産するような生みの段階でした。「ひよるこ」(未熟児)が泡となって流れ去りました。よって、この子は子供の数に入りません。葦舟に乗せて、吾(あ)が恥(はじ)と流しました。これにより「あはち」(淡路島)と名づけられました。 このようにして、御心を尽くして生まれたのが一姫三男の神です。この時代に、君(きみ)と臣(み)の道と、「との教え」を生み広めました。これに逆らい、以前に戻るならば、敢然と矛をもって打ち破ります。 両神は日本の国の基(もとい)を築き上げられました。この二柱の神が御子たちをお産みになった宮殿は、ワカヒト、ウヒルギを産まれた天のハラミ(富士山)の宮、ヒルコ姫ワカヒルメを産まれたツクバ(筑波山)のイサ宮、ヒヨルコを早産された淡路の宮、モチキネ・ツキヨミをお産みになったツキスミ(九州)の宮、そしてハナキネ・ソサノヲが産まれた熊野の宮と、合わせて五つの殿ということになるのです。 |
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参考として、「ホツマツタヱ御機の三 一姫三男生む殿のアヤ」を転載しておく。
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参考として、「ホツマツタエ 天の巻 3アヤ、イサナギ・イサナミの御子誕生」を転載しておく。
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