ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)11



 (最新見直し2009.3.7日)

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【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)11、三種神器譲り、御受けの紋】
 皇太子オシホミミ、三種神器を授かる
みくさゆつり みうけのあや      三種譲り承けの文
ふそゐすす ももそひに    二十五鈴 百枝十一穂に
ヒタカミの  みくらのあとに またみやこ        ヒタカミの 御座の跡に また都 
うつしてなつく たかのこふ          移して名付く "タカの首"   
つほわかみやの とのしまも      壺若宮の 門の州も   
たかやいらかも ふつくなり    高屋甍も 悉く成り    
うらよきひに わたましの 占の吉き日に 渡ましの   
きみはあまてる よつきみこ         君は天照る 世嗣御子
はははひのまえ むかつひめ  母は日の前 向つ姫 
いむなほのこの うふみやは      斎名ホノコの 産宮は
ふちおかみみの おしほゐに           フヂオカ耳の オシホヰに  
あれますみこの にむせふ      生れます御子の 乳にむせぶ 
むつきしめして おしひとの          ムツキ湿して オシヒトの
をしほみみとそ きこしめし         ヲシホミミとぞ 聞し召し
たかわかみやに ひたします          タガ若宮に 養します  
ひたるのときに おもいかね        ひたるの時に オモイカネ
わかひめともに もりそたつ         ワカ姫共に 守り育つ
よろまろとり そはにあり         ヨロマロ一人 側にあり 
きみはよわくて みそきまれ          君は弱くて 水濯ぎ稀れ 
おはさりませは かうのとの         叔母去りませば 代の殿
まつりとるゆえ  よろまろお          政執る故 ヨロマロを 
ひたかみのかみ きみはこそ        ヒタカミの守 君は去年
つほおしたひて みゆきなる          壺を慕ひて 御幸なる
たかのみやこお ひきうつし         タガの都を 引き移し
かうのたくはた ちちひめと         代のタクハタ チチ姫と  
そふのつほねも そなわれは        十二の局も 備われば 
みうちのいわひ ととのひて         御内の祝 調ひて   
かみにみつけの かんつかい        神に御告げの 神使
かるきみのの しまつうし            カル君の子の  シマツウシ     
のほるほつまの をはしりの   上るホツマの  ヲハシリの  
さかにゆきあふ  をしかとは 坂に行き合ふ 御使人は  
みうちにはへる かすかまろ         御内に侍る カスガマロ 
かたまおすえて まつのかけ       担(かたま)を据えて 松の蔭 
しまつはこまお のりはなち          シマツは駒を 乗り放ち
ことほきをゑて にしひかし         言祝(ことほぎ)終えて  西東  
ゆきかひさかの にのこる          行き交ひ坂の 名に残る
あきかえるとき またあえは          秋帰る時 また会えば
ゆききのおかの なこそゑる         行き来の丘の 名こそ得る
かねてほつまと ひたかみの               予てホツマと 日高見の
さかいにてまつ ふつぬしか        境に出待つ フツヌシが
さかむかひて うゐまみゑ         逆迎ひして 初まみえ 
をちとをゐとの さかつきの         叔父と甥との 杯(さかづき)の 
ささのなかめは いわのうゑ        酒の和めは 岩の上
ふりはよろしき はまひさし           風(景色)はよろしき 浜日差し
なみうちかきり いわあらふ           波打際 岩洗ふ
みるめあふかゐ ゆるはまお           海松布・アフ貝 緩浜を  
とえはもなし ふつぬしも         問えば名も無し フツヌシも  
なこそもかなに かすかまろ      「名こそもがなに」 カスガマロ
こそしる ふつのみたまの ささむかひ    名こそ知る フツの尊の 酒迎ひ 
かゐのはまくり あふをち    貝の蛤 会ふ御叔父
をゐのみるめも としなみの    甥の見る目も 年並の 
なこそしるへゆ ちなみあふはま         名こそ知るべゆ 因み合ふ浜
なこそなる さけのむあゐに さくらの     勿来成る 酒呑む合に(添え) 桜の実
あきかえるも さけおくる  秋帰る日も 酒送る
かたしおとりて さかなのり    堅塩取りて 肴海苔
おなしみちて みやにいる    同じ道して 宮に入る
うほきみかとに いてむかふ              央君門に 出で迎ふ 
をしかむしろに たちなから         御使莚に 立ちながら 
きみここのゑの しとねおり        君九重の 褥(しとね)降り
にききます みことのり           六重に聴きます 御言宣 
なんちおしひと わかかわり       「汝 オシヒト 我が代り 
つねのよさしも みたたしそ         常の任も  満た足しぞ
ちちのはるあき たみおなて         千々の春秋 民を撫で   
このやさかにの まかりたま       このヤサカニの 環珠  
かくしひると もちゆれは         吾が貴日霊と 用ゆれば
なかこますくに たもつなり         ナカコ真直ぐに 保つなり  
やたのかかみは たてにふれ      ヤタの鏡は 経に触れ 
もろとのさかお かんかみよ         諸人の清汚を 鑑みよ   
またやゑかきは にあつけ        また八重垣は 右に預け 
あらかみあらは よくむけて         争みあらば 能く平けて 
めくみやわせと みてつから        恵み和せ」と 己手づから 
たまふみくさお うけたまゑ     賜ふ三種を  受け給え  
なおもおもゑよ たからもの        なおも重えよ 宝物 
みることわれお みることく          見ること我を 見る如く 
めとるちちひめ あひともに        娶るチチ姫 相共に    
つねむつましく みやひなせ      常睦まじく みやびなせ 
われふたかみの みちおなす        我二神の 道を成す(経矛の道を完成する)
わかつらつら みちゆかは        我が子つらつら 道行かば
ひつきのさかゑ あめつちと          日月の栄え 天地と  
まさにきわなし ふつぬしと         まさに際無し(境界無し) フツヌシと
みかつちつねに はんへりて まつりこともれ      ミカツチ常に 侍りて 政事守れ
まゆみぬの やとよのはたと             檀(まゆみ)布 八豊の幡と
はくわゆみ ははやおそえて たまふのみ         桑弓 ハハ矢を添えて 賜ふのみ」  
をしかむしろお おりにけり      御使莚を 降りにけり
あるひわかひこ かうとのに              ある日 ワカヒコ 代殿に 
のほりこかねの はなおとふ          上り黄金の 放を問ふ
たかきこたえて のきみの          タカギ答えて 「日の君の
みやもるからす こかねはく         宮守る カラス 黄金吐く
つひにきかやも こかねさく          終に木茅も 黄金放く   
いさこうみこも しかしかと       砂子海鼠も 然々と
なかめたかわ こかねさく          眺め違わず 黄金放く
ひさみるやまと たたゑたまゐ  日栄見る山」と 讃え給いき


 時は、ウビチニ暦二十五鈴(フソイスズ)、百枝十一穂(モモエソヒホ)の年のことです。
 昔、アマテル神は祖父トヨケ神(現・伊勢外宮祭神・豊受大神)の坐すヒタカミ国(旧・陸奥)のケタタケツボ(方丈壺 現・多賀城市、仙台市)ヤマテ宮(仙台宮)に御幸され、トヨケからアメナルミチ(天成神道)を学ばれました。この由緒ある聖跡にこの度、輝かしい新都が再建されました。

 宮城の造作も無事に完工して、宮殿の甍(いらか)もついに葺き終わった頃合を見計らってフトマニ(太占)を占い、吉日を選んでアマテル神の皇子オシホミミは大勢の供奉神(ぐぶしん)を伴って粛々(しゅくしゅく)と木の香も真新しい新宮に渡御になりました。
 この新宮の名をタカノコウ・ツボワカ宮(多賀の国府、壺若宮)と名付けました。
 今日の良き日を共に祝おうと全国からヒタカミに押し寄せた国民は、唯々、一様に感極まった面持ちでヨロトシ、ヨロトシ(万歳、万歳)を声の限りに繰り返して皇子オシホミミをお迎えしました。

 この君はアマテル神の世継の皇子で、母はヒノマエムカツ姫(日前向津姫、現・伊勢皇大神宮別宮 荒祭神社祭神、三重)、またの名をセオリツ姫と申し、真名(イミナ)をホノコ(穂の子)と言いました。
 母ホノコの出産のため特別に用意された産屋は、フジオカ山(藤岡山、伊勢外宮内)の麓のオシホイ(忍穂井、現・上御井(かみみい)神社、下御井(しもみい)神社)のみみ(縁)に新造されました。ご誕生の皇子は気高く美しい母の乳を勢いよく咽ぶ様に飲んで、いつもおむつをお湿りさせていたところから真名(いみな)をオシヒトと名付けられ、公式にオシホミミの名を一般に広く知らせて国を治めました。

 オシヒトはアマテル神の先例にならい幼い時から親元を離れてタガ(現・多賀神社、滋賀県)若宮の祖父イサナギの元で大切に育てられました。
 イサナギがいよいよ臨終の時を向かえると、君の遺勅により、これより後はオモイガネ(阿智神社祭神八意思兼神、長野県)とワカ姫(アマテル神の姉)夫妻に養育を託されます。お二人はともに協力してネの国(北陸)とサホコチタル国(山陰)を治めつつオシヒトの教育に専念しました。
 君のご学友としていつもヨロマロ(万麿、八代目タカミムスビ、タカギ)が、唯一人お側に侍って共に成長しました。しかしながら君は天性のご麗質からかお身体はさほど強健とはいえず、むしろ禊(みそぎ)も稀にしか出来ないお優しいお体でした。
 この後、オモイカネ夫婦が共に神上がり、伯母(ワカ姫)の去った後は七代目タカミムスビ・タカキネが、コウノトノ(御守殿)として政務を引き継ぎアシハラナカ国(近畿・中国地方)を治めることになりました。この事情から八代目タカギ(ヨロマロ)は急ぎ本国に帰り、ヒタカミの国神として政治を執ることになりました。

 昨年君は、アマテル神の旧跡のケタタケツボを慕ってヨロマロの居るヒタカミに御幸になりました。この時慣れ住んだタガ(多賀、滋賀県)の都の名をも引き移し(現・多賀城市、宮城県へ)、カウ殿(タカキネ)の娘のタクハタチチ姫(楮機千乳姫、真名スズカ姫、現・片山神社祭神、旧名・鈴鹿御前、三重県)を正式に后と定めて、古式に則り十二人の局達も皆備わった所で宮中の婚儀の用意も万端整いました。

 アマテル神に、この晴れの結婚の儀をご報告する重要な神使い(カンツカイ)役として選ばれたのは、ツガルの君(大己貴、津軽大公)の子のシマヅウシ(島津大人)でした。
 即日、鹿島立ちしたシマヅウシは、ホツマ国(関東・東海地方)へと馬を走らせて登り、一方天上からの勅使は宮中に侍るカスガマロ(現・春日大社祭神、天児屋根 アメノコヤネ)で、こちらもホツマ国へと降り、お互い約束の地オバシリ(現・御殿場市、静岡県)の行逢う坂(ゆきあうさか)を目ざしました。
 たまたま先に約束の坂に着いたカスガマロは、馬を休ませようと己の堅間(かたま、目の細い竹または柳籠、旅行用荷物入れ)を松の木の陰に据えて、シマヅの来るのを待ちました。間もなく馬を飛ばしてやって来たシマヅウシは白駒を乗り放って飛び降りると、共に今度の婚儀の寿ぎ(ことほぎ)を交わし、休む暇もなく再会を期して西へ東へと走り去りました。

 この場所は後々までも「行き交い坂」(ゆきかいざか)の地名として残りました。(現・駒門、大阪、神山地区か、御殿場市、静岡県)。又、秋に両使者が帰る時、同じ所で出合ったので「行き来の岡」とも名付けられました。

 これは以前の出来事です。ホツマからヒタカミの国境まで勅使を境(酒)迎えに出かけたフツヌシ(現・香取神宮祭神、千葉県)と勅使のカスガワカヒコ(カスガマロ・天児屋根)は共にこの時の出合いが伯父と甥の初対面となりました。
 お互い寿を祝い合って後、甥のワカヒコは伯父の境(酒)迎えを感謝しつつも快く受けました。二人の酌み交わす酒席からの眺めは、丁度浜辺に突き出た庇(ひさし)の様な岩上の絶景の高台で、白波は絶えることなく打ち寄せ岩を洗い続けていました。ワカヒコは、そちこちに打ち寄せられた海枩(みるめ、食用海藻)や蛤(はまぐり)が散り敷かれたゆるやかな浜ののどかな風情に魅せられて、思わずこの浜の名を伯父に聞きました。このとっさの問いにさすがのフツヌシも言葉につまって、
 「名こそもがな」(名前があるのだろうか)とつぶやきました。これを聞いたカスガマロはすぐに即興の歌を詠みました。
名こそ知る フツの御霊(みたま)の 酒迎い(ささむかい)
貝の蛤(はまぐり) 会う御伯父(みおじ) 甥の海枩(見る目)も
年波(としなみ・年齢)の 名こそしるべゆ 因(ちな)み合う浜

(名は解りました。今フツヌシの御心のこもった酒迎いを受けて、伯父と甥の私は蛤の貝の様に親しく合うことが出来ました。又、この甥は、(伯父の)見る目も御覧の様に今では年頃の若者になりました。名前は決まったも同然。この因み合う浜の。) 名前が「なこその浜」(勿来、いわき市、福島県)と決まったのを祝おうと二人は近くから桜の果を採って食べ酒を呑んで思い出としました。再び秋帰る日にも同じ風光明媚なこの岩の上で酒(境)送りの宴が開かれ、この時は固塩(かたじお)と魚(さかな)と海苔(のり)を酒の摘みにした所から、酒を呑む合間に摘む食べ物のことを、この時から酒の肴(さかな・魚)と言うようになりました。

 今度、アマテル神からの勅命を受けて、急ぎフツヌシとアメワカヒコは初対面の時と同じ道を通って、ヒタカミのタカのコウに入城しました。
 今日は結婚の儀を間近に控えて、皇位継承に欠かすことの出来ない三種神器(ミクサノカンタカラ)がアマテル神から皇子オシヒトに授与される一世一代の栄えある一日です。
 ヒタカミの大君(タカギ)はあたかも二人の到着を今か今かと待っていたかの様に自ら門まで出迎え宮城内へと誘いました。

 オシカ(勅使)カスガワカヒコは、宮に入ると端正に打たれた筵(むしろ)の席上に登り、並居る諸神を前にして直立不動のまま凛とした声でアマテル神の詔のりを皇子オシヒトに告げました。
 この時天子オシホミミは九重(ここのえ)の褥(しとね・座布団)を三重(みえ)降りて六重(むえ)の褥の上で身を糺し慎んで君の詔のりを拝聴しました。
詔のり(天照神)
 汝、オシヒト 我が代わり 常(つね・世)のよさし(統治の委任)も
身糺(みただ)しぞ 千々(ちぢ)の春秋(はるあき) 民を撫(なで・育)
このヤサカニのマガリタマ(八坂瓊曲玉) 我(ア)がクシヒル(竒し霊)と
用ゆれば  中心(ナカゴ)正直(マス)ぐに 保つなり
ヤタノカガミ(八咫鏡)は タテ(左手、左大臣)に触れ(用いよ)
諸人(モロト)のサガ(善悪)を鑑(かんが)みよ
又、ヤエガキ(八重垣剣)は ツ(西、右大臣)に預け アラカミ(荒神)あらば 良く向け(平定)て 恵み和せと 御手自(みてず)から
賜うミグサ(三種神宝)を 受け給え 尚も思えよ 宝物(神宝)
見るごと(毎)我れを 見る如く 娶るチチ姫(楮機千乳姫)
相伴(あいとも)に 常睦まじく ミヤビ(愛情)なせ
我、両神(ふたかみ・イサナギ、イサナミ)の 道(教)をなす
我が子つらつら 道(天成神道)行かば 日嗣(ひつぎ)の栄え
アメツチ(天地)と 正に際なし(天壌無窮) フツヌシ(香取神宮祭神)と
ミカヅチ(鹿島神宮祭神)常に 侍(は、左右)んべりて
政事(まつりごと)守(モ)れ マユミ布(真弓の木の繊維の布)
ヤトヨ(八豊幡、天皇旗)の旗と ハクワ弓(莢桑の弓)
ハハヤ(羽羽矢)を添えて 賜うのみ
 以上、アマテル神の勅語を威儀を正したまま正確に伝え終えると、勅使(オシカ)は深々と三拝した後に静かに筵(むしろ)を降りました。

 ある一日、ワカヒコはコウドノ(国府殿)に昇殿して金華山(宮城県牡鹿半島先端の島)を遠望しながら、その名の由来をお聞きしました。この時のタカギの答えは、

 「天日の君(アマテル神)がケタタケ宮に入御以来、この宮を守護する金色の烏(からす)があたり一面に黄金を吐きだし、遂には木も茅も黄金の花を咲かせる様になり、海辺の砂や魚類達、貝や海鼠(なまこ)等までもが金色に輝きました。今でもここからの朝な夕なの眺望は金華山の名に恥じることなく黄金色の花を咲かせ続けて、いつまで見続けても美しいこの山を誰もがヒサミル山(久視山)と称えるようになりました。」












(私論.私見)