日本文化の結晶ともいうべき和歌。和歌の道はワカ姫の神によって確立された。ワカ姫の名に因んで「ワカの歌」と名付けられたが、単純化して「ワカ」と呼ばれるようになり、漢字伝来以降「和歌」の漢字が当てられて今日に至ったのである。ワカ姫は、第七代天神イサナギ・イサナミの第一子として、ツクバのイサ宮(茨城県真壁郡付近)でお生まれになった。この時父は四十才、母は三十一才で、共に天の節(アメのフシ厄年)に当たっていたので、両親に降りかかる災厄がワカ姫にまで及ぶのではないかと心配され、両神は満三才に満たないワカ姫をお捨てになった。捨て子は育つという言い伝えに従われたのである。ワカ姫を拾ったのは重臣のカナサキだった。カナサキの妻も自分の乳を与えて可愛がり、二人して宝物のように慈しみ育てたので、ワカ姫は幸福にスクスクと育っていった。ワカ姫が拾われた宮は広田神社、養育された宮は西宮戎(えびす)神社として、共に兵庫県西宮市に現存する。
さて、日本には子供の成長を祝う数々の風習が伝えられてきた。現代における一般的な風習の多くは、縄文後期に当たるこの時代既に一般化されていた。話はワカ姫から暫らく離れるが、この時代における子供の成長を祝う一般風習に触れておこう。情操は嬰児の時身に着くものである。嬰児に注ぐ愛情は過ぎることがない。日本人は見ず知らずの他人の子であろうとも、嬰児をあやして喜ばせる行為を自然に行ってきた。アワワとかチョチチョチとか、あやし言葉を掛けたり、手を打って顔を近付け、目を細めて見せる。目が見えるようになったばかりの嬰児は、大人から受ける愛情を本能で知り、安心と喜びと幸福を感じ取るのである。一年目の誕生日には赤飯を供え、離乳食から一般食へ切り替えのお祝いをする。そして箸を使って自分で食べる訓練を始める。この前後に、伝い歩きから、話した手を振ってバランスを取るようになる。この「立ち舞い」と言われる仕草を初めてみせると、大人たちは「立った立った」と大喜びをして囃し立てる。いよいよ幼児の仲間入りである。三度目の冬には神を整えて、今度は児童の仲間入りである。大人たちは児童の健やかな成長を祈って年中行事を行う。まず元旦には餅を供え天地自然の神を敬う。女の子なら三月三日に桃の花を飾り、雛祭りを行う。男の子なら五月五日に菖蒲を飾り粽(ちまき)を供える。また、七月七日はタナバタ祭りを行い、九月九日は菊と栗の祝いをする。五年目の冬の祝いには、男子は袴、女子は被衣(かつき)を着て正装する。少年少女は一歩大人に近付いたことを認めるようになる。この風習が多少の変化を遂げて、三千年余りを経た今日も、七五三の行事などに残っているのである。縄文後期の子供教育は、アワ歌を教えて常に歌わせることから始まる。
アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シイタラサヤワ
アで始まりワで終わる四十八音のアワ歌を、カダガキという楽器を打ち、琴を弾いて合わせ歌うと、発音も発声も良くなって、身体各部の働きは増し、頭脳は発達し、神経系の応答も良くなる。子供のみならず、アワ歌を歌えば健康が増進し、病気を寄せ付けず、長寿が得られるのである。日本語は単音語で、一音一音が意味を持つと共に、一音一音に神が宿る。アワ歌を歌わせることは言語教育であり、また天地自然の神を敬う教育の始まりでもある。この教育原理に長じているカナサキは自ら実践して長寿を保ち、住江の翁と称えられた。さて、ワカ姫は幼い頃から賢く、アワ歌を覚えると間もなく、養父カナサキに東西南北(キツサネ)の名がどうして付けられたのかを尋ねた。翁はワカ姫に次のように説明した。『毎朝お日様が出て昇っていきますね。お日様が姿を現す方角を日頭(ひがしら)と言って、その言葉が詰まって東と言うようになったのです。そしてどんどん昇っていったお日様は、すべてのものを明るく照らし出すので、皆が物を見ることが出来るのです。お日様が一番高く昇った時が最も明るいのでその方角を皆見(南)と呼ぶのです。南を過ぎてだんだん落ちていったお日様は、燃えたぎるように煮え沈んでいきますね。煮え沈むが詰まって西と呼ぶようになったのですよ』。
ワカ姫は目を輝かせて翁を見上げ、一心に聞き入っていた。翁は続けた。『お米と水をお釜に入れて炊く時に、初めはぼうぼうと火頭が釜を包むほど火を強くしますね。煮え立って、煮え花がなみなみ(ミナミ)と立ってくると火を弱めます。そして水気が少なくなってだんだんと煮え沈むのです。何事もなく平和な時には一日一回ご飯を炊いて食べますが、これも東西南北の名の元になっているのです。大昔には二回だったのが、一と月に三回の米飯をするようになると、人の寿命は百万才になり、一と月に六回米飯を取るようになって二十萬年の寿命になりました。そして今の世は一日一回米飯の食事を取るので、二萬年しか生きられなくなってしまったのです。美味しいからと食欲に任せて、米飯ばかりしていると長生きすることが出来ません。だから天神(あまかみ)になるような人は、一と月に三回の米飯を心掛けて、その上チヨミ草という苦菜の葉や穂を食べるのです。そうすればお日様が南に達したときのように、またご飯が煮え立ったときのように、いつも快活に生きる事が出来るのです。
そして天(ア)の精気を受けて長生きする事が出来ます。そのような生き方をしたいと願って、宮は南向きに建てるのです。南向きに建てた宮の後ろの方角を北と言います。夜、お日様が地面の裏側の北を通っているとき、人は寝るので北をネとも言うのです。ものごとの状態はすべて方角に例える事が出来ます。これを方位と言いますが例えば、もし訪ねて来た人と口喧嘩をしてしまったとしましょう。もう会わないぞと思うと、心が寝てしまったようなもので、それは北の方位です。反対に、自分も言い過ぎたと反省して、また合おうと思うとそれは日の出で、会おうとお互いの心が通って、お日様が南に達したように道理が通って、旨くいくようになるのです。活気に満ちて心が昂ぶるときは、南向きの状態ですが、それが過ぎ去ると、心の昂ぶりが収まって落ち着いてきます。このように落ち着いた状態が、西向きの状態といえます。そしてお客様は帰って行きますが、そのときの状態を方位に例えると北です。
このように人の心の状態も、お客の来訪も北に始まって北に終わります。言い換えると、ものごとはすべて「北(ネ)より来(きた)たりて寝(ネ)に帰る」のです。今度は方位を木に例えてみましょうね。木は春に若葉を出して、夏には青々と茂ります。秋には燃え立つような煮え紅葉となり、冬はその葉も枯れて落ち葉となります。さっき、人の心に例えたのと同じで、冬枯れの木は寝(ネ)ているのです。春になって生命の伊吹を兆すのが東です。そして夏には最も高く昇ったお日様の光を一杯に受けて、葉を茂らせ栄えますが、秋になってそれが尽きるのが西です。このように、季節の移り変わりも方位に例える事が出来ます。央(ヲ)は君(天神)が坐します場所で、国の中心の地点です。そこにいらっしゃって国を治められるので、東西央南北(キツヲサネ)は四方(ヨモ)と央(ナカ)、つまり君がお治めになっている国全体を指す言葉なのです。このように国と方位も深い関係で結ばれています。
キツヲサネはまた、天上で方位を司る五臓神(ヰクラカミ)という神様なのですが、それはもっと大きくなってからお勉強しましょうね。さて、木は東で花と葉は南、そして木の実は西に例える事が出来ます。木の実は結んで、その実が元の木から分かれて芽を出し、そうやってその種を増やしていきます。人の世も木の実が分かれるのと同じく、子の身を分けて子孫繁栄をします。だから君という言葉は木の実の関係に例えて、夫婦神(ヲメカミ)のことを言うようになったのです。これで東西南北の名について、由来の話はおしまい。分かりましたか』。
後年、ワカ姫がイサワの宮(現三重県志摩郡)にお仕えしているとき、キシヰ邦(クニ・和歌山県地方)の稲田でホヲムシ(いなご)の大発生があり、稲穂の生育が悪くなった。嘆き悲しんだ農民の使者が、その状況を告げるためにイサワにやって来たのだが、あいにく天照大御神な天(アマ)のマナヰ(京都府宮津市)に行幸された後だった。大御神に代わって被害の状況と民の嘆きをお聞きになった正后ムカツ姫は、ワカ姫を伴って急ぎキシヰ邦に行啓された。二人して田の東側に立ち、古の教えにしたがって桧扇(ひあふぎ)で扇ぎながら、ワカ姫が祓いの歌を詠むと、ホヲムシは徐々に稲を放れ始めた。そこでムカツ姫は三十人の侍女を左右つまり田の南北に立たせ、この歌を、声を合わせて歌わせた。それは稲虫を祓うワカのまじない歌である。
タネハタネ ウムスキサカメ マメスメラノゾロハモハメソ ムシモミナムシ
(訳一)田圃や畑地に生うる大麦小麦等の穀物や、稲の穂も葉も食べつくしてしまってはいけない。虫だって皆んな同じものを食べている仲間ではないか。
(訳二)田や畑の土壌を良くしてより多く収穫しようと、耕したり懸命に働いている女達の、稲穂や葉を盗み食いしてはいけない。虫でもそれくらいの良心は持ち合わせているだろう。
この歌を繰り返し三百六十回、声を合わせ大声で歌わせたところ、稲虫は西の海の方へ飛び去って行った。その飛んでいく有様は砂塵が舞うごとくであった。こうして穢(え)を祓ったので、稲は生気を取り戻して、元のように若々しくよみがえった。その年の稲はたわわに稔り、大いに収穫できたことは言うまでもない。キシヰ邦の農民たちにとっては、稔りもさることながら、政事が民衆の方を向いて行われているのを知ったことが、より大きな収穫であった。人々はこの喜びを素直に返した。
キシヰ邦には天日宮(アヒミヤ)という御用邸が置かれていたが、その前に天日の前宮(日前ひのくま神宮)を建造して奉り、別にタマツ宮(玉津島神社)を新築してワカ姫に暫らくのお住まいを願った。天日宮は御用邸としての用途がなくなったので、イサワの出先政庁として使われ、クニカケ(国懸神宮くにかかす)と呼ばれるようになった。タマツ宮は後の世までずっと、ワカ姫の事績を人々の記憶にとどめ、枯れた稲を若返らせたワカ姫の歌に因んで和歌の浦となった。今ではキシヰの名は貴志川の河川名と貴志川町の町名にわずかに名残が認められるだけである。
さて、タマツ宮にお住まいのワカ姫の元には、イサワから度々勅使が遣わされた。ワカ姫は勅使のアチヒコに一目惚れし、思いは日毎に募っていった。母イサナミの兄神皇産霊(カンミムスビ)ヤソキネの長男だから、アチヒコはワカ姫の従兄弟にあたる。募る思いにワカ姫はワカの歌を詠んでウタミ(短冊)にしたため、思案の末思い切ってアチヒコに手渡した。アチヒコは何気なく受け取って目を通すと、びっくり仰天した。
キシヰコゾ ツマオミキワニ コトノネノ トコニワキミオ マツゾコヰシキ
(訳)去年このキシヰ邦で初めて貴方様にお会いした途端に、琴の音のように胸は高鳴り、床に着いても寝付かれず、いとしい貴方様をお待ちしている、それほどに恋い焦がれています。
アチヒコは思った。自分が仕えている君主天照大御神の姉君から、仲人も立てずの求愛である。日本中に二人と居ない素晴らしい女性だから、願ってもないことだが、英明をもって鳴るアチヒコも、突然のことで狼狽してしまい、必死に考えたけれども言葉が見付からず、とうとう返事を待ってほしいと言ってウタミを持ち帰った。イサワの宮に帰り着いたアチヒコは、タカマ(高間)での御前会議の場で、参議の面々に相談した。最長老でワカ姫の養父でもあるカナサキが、ウタミを見て言った。『この歌は、上から読んでも下から読んでも同じ回り歌です。回り歌には、言葉を返すことも、変えることも封じて、読み手の願い事を叶える呪力があります。私も以前、行幸の随行で舟に乗っていたとき、風が激しく波が荒くなって危険が迫ったのを、何とか打開したいと願って歌を詠んだのです。
ナカキヨノ トオノネフリノ ミナメザメ ナミノリフネノ オトノヨキカナ
長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り舟の 音の良きかな
と歌ったところ、風は止み舟は快適に進んで阿波に着くことができました。ワカ姫の歌にも、アチヒコの心を捕らえて、逸らすことを許さない、呪力が込められているのです』。カナサキの説明をお聞きになっていたアマテル神は、勅を発せられた。『カナサキも乗り気だし、この際カナサキの出した助け舟に乗り受けて、夫婦になったら良いではないか』。こうしてアチヒコは晴れてワカ姫と結婚し、ヤスカワ(滋賀県野洲町付近)に新居を構えた。ワカ姫はシタテル姫の名を賜り、アチヒコは先の一件によってオモイカネという神名でよばれるようになった。
ここで一旦話を戻し、ワカ姫が稲虫を祓った呪いの背景にある、古来からの教えについて説明しよう。ヌバタマはヒアフギとかカラスアフギとも呼ばれるあやめ科の多年生植物である。ヌバタマの葉は、扇の要部分のように、茎を中心にして左右対称に重なり合って出る。その花はほのぼのとした紫色の花弁で、その実は赤く、四つに割れて中から真っ黒の種が顔を 覗かせる。古来ヌバタマには災厄を祓う呪力があると言われる。ヌバタマの種は夜を、花は夜明けを、結実は日の出を象徴し、その実は太陽のように真っ赤に染まり、熟し切ると色褪せて中に夜を宿すようになる。桧扇(ひあふぎ)は桧の板を薄く削って作った扇のことである。ヌバタマが葉を広げた形状は桧扇に似ているので、同じ名で呼ばれることもあるのだ。そして桧扇も、ヌバタマの葉の数と同じ十二枚で作り、同じ呪力を持つものとされた。すなわち桧扇はヌバタマのモノザネとして考えられていた。国を守り治める者は桧扇にお日様の図柄を入れて(日扇)身に着け、それで扇げば枉事(まがこと)を祓い天が晴れる(アッパレ)と言い伝えられてきた。桧扇の十二枚が持つ呪力に、アワ歌の四十八音が持つ言霊の力を合わせると、その威力は倍増する。そして言霊の力を引き出すのは、三十二音のワカの歌なのである。ワカ姫がその威力を実証した三十二音の和歌の道。あなたは決して忘れてはならない。
さて、ワカ姫には上からワカヒト(アマテル神)、モチキネ(ツキヨミ神)、ハナキネ(ソサノヲ尊)の三人の弟がある。ある時、末弟のハナキネがワカ姫に、文章や歌を五七に綴るのはなぜかを問うた。ワカ姫は、五七調が日本固有のリズムにピッタリと合うからだと簡潔に答えた。するとハナキネは質問を続け、祓いの歌は三十二音のはずなのに、いま三十一音の歌が多く詠まれるのはどうしてかと問うた。ハナキネの向学心を感じ取ったワカ姫は、今度は懇切丁寧に答えた。『地球の公転周期は三百六十五日余りです。これを四季に分け、春夏秋冬をさらに三つずつ分けると三十一日弱。人の生命リズムは太陽と月の運行の支配を受けています。月も公転しているので、地球から見ると太陽の運行より遅れて見えます。月の満ち欠けの周期は三十日足らずですから、三百八十四日程で太陽より一周遅れます。この日数を同様に四つ三つに分けると、三十二日になります。この一日の違いは太陽と月の運行の差です。特に女性のリズムはつきの運行から受ける支配が強く、この一日の差の間隙に汚穢物(ヲエモノ)が入り込もうと狙っているのです。その汚穢物を祓う歌は三十二音で声が余るのです。この地球上で栄えある日本の国に人として生まれ、皆太陽の運行に従って三十一日周期の生命リズムで生きているのですが、女性特有のリズムは三十二日周期です。お宮参りの日を男は三十一日目、女は三十二日目とするのは、この生命リズムに従っているのです。そして女性は三十二音の歌をもって穢(え)を祓い、地球を取り巻く天体の回転運動に適応しているのです』。
ワカ姫が説明した内容は、まさに縄文日本の思想の根本であり、その中心に和歌の道があったのである。
さて、日本には子供の成長を祝う数々の風習が伝えられてきた。現代における一般的な風習の多くは、縄文後期に当たるこの時代既に一般化されていた。話はワカ姫から暫らく離れるが、この時代における子供の成長を祝う一般風習に触れておこう。情操は嬰児の時身に着くものである。嬰児に注ぐ愛情は過ぎることがない。日本人は見ず知らずの他人の子であろうとも、嬰児をあやして喜ばせる行為を自然に行ってきた。アワワとかチョチチョチとか、あやし言葉を掛けたり、手を打って顔を近付け、目を細めて見せる。目が見えるようになったばかりの嬰児は、大人から受ける愛情を本能で知り、安心と喜びと幸福を感じ取るのである。一年目の誕生日には赤飯を供え、離乳食から一般食へ切り替えのお祝いをする。そして箸を使って自分で食べる訓練を始める。この前後に、伝い歩きから、話した手を振ってバランスを取るようになる。この「立ち舞い」と言われる仕草を初めてみせると、大人たちは「立った立った」と大喜びをして囃し立てる。いよいよ幼児の仲間入りである。三度目の冬には神を整えて、今度は児童の仲間入りである。大人たちは児童の健やかな成長を祈って年中行事を行う。まず元旦には餅を供え天地自然の神を敬う。女の子なら三月三日に桃の花を飾り、雛祭りを行う。男の子なら五月五日に菖蒲を飾り粽(ちまき)を供える。また、七月七日はタナバタ祭りを行い、九月九日は菊と栗の祝いをする。五年目の冬の祝いには、男子は袴、女子は被衣(かつき)を着て正装する。少年少女は一歩大人に近付いたことを認めるようになる。この風習が多少の変化を遂げて、三千年余りを経た今日も、七五三の行事などに残っているのである。縄文後期の子供教育は、アワ歌を教えて常に歌わせることから始まる。
アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シイタラサヤワ
アで始まりワで終わる四十八音のアワ歌を、カダガキという楽器を打ち、琴を弾いて合わせ歌うと、発音も発声も良くなって、身体各部の働きは増し、頭脳は発達し、神経系の応答も良くなる。子供のみならず、アワ歌を歌えば健康が増進し、病気を寄せ付けず、長寿が得られるのである。日本語は単音語で、一音一音が意味を持つと共に、一音一音に神が宿る。アワ歌を歌わせることは言語教育であり、また天地自然の神を敬う教育の始まりでもある。この教育原理に長じているカナサキは自ら実践して長寿を保ち、住江の翁と称えられた。さて、ワカ姫は幼い頃から賢く、アワ歌を覚えると間もなく、養父カナサキに東西南北(キツサネ)の名がどうして付けられたのかを尋ねた。翁はワカ姫に次のように説明した。『毎朝お日様が出て昇っていきますね。お日様が姿を現す方角を日頭(ひがしら)と言って、その言葉が詰まって東と言うようになったのです。そしてどんどん昇っていったお日様は、すべてのものを明るく照らし出すので、皆が物を見ることが出来るのです。お日様が一番高く昇った時が最も明るいのでその方角を皆見(南)と呼ぶのです。南を過ぎてだんだん落ちていったお日様は、燃えたぎるように煮え沈んでいきますね。煮え沈むが詰まって西と呼ぶようになったのですよ』。
ワカ姫は目を輝かせて翁を見上げ、一心に聞き入っていた。翁は続けた。『お米と水をお釜に入れて炊く時に、初めはぼうぼうと火頭が釜を包むほど火を強くしますね。煮え立って、煮え花がなみなみ(ミナミ)と立ってくると火を弱めます。そして水気が少なくなってだんだんと煮え沈むのです。何事もなく平和な時には一日一回ご飯を炊いて食べますが、これも東西南北の名の元になっているのです。大昔には二回だったのが、一と月に三回の米飯をするようになると、人の寿命は百万才になり、一と月に六回米飯を取るようになって二十萬年の寿命になりました。そして今の世は一日一回米飯の食事を取るので、二萬年しか生きられなくなってしまったのです。美味しいからと食欲に任せて、米飯ばかりしていると長生きすることが出来ません。だから天神(あまかみ)になるような人は、一と月に三回の米飯を心掛けて、その上チヨミ草という苦菜の葉や穂を食べるのです。そうすればお日様が南に達したときのように、またご飯が煮え立ったときのように、いつも快活に生きる事が出来るのです。
そして天(ア)の精気を受けて長生きする事が出来ます。そのような生き方をしたいと願って、宮は南向きに建てるのです。南向きに建てた宮の後ろの方角を北と言います。夜、お日様が地面の裏側の北を通っているとき、人は寝るので北をネとも言うのです。ものごとの状態はすべて方角に例える事が出来ます。これを方位と言いますが例えば、もし訪ねて来た人と口喧嘩をしてしまったとしましょう。もう会わないぞと思うと、心が寝てしまったようなもので、それは北の方位です。反対に、自分も言い過ぎたと反省して、また合おうと思うとそれは日の出で、会おうとお互いの心が通って、お日様が南に達したように道理が通って、旨くいくようになるのです。活気に満ちて心が昂ぶるときは、南向きの状態ですが、それが過ぎ去ると、心の昂ぶりが収まって落ち着いてきます。このように落ち着いた状態が、西向きの状態といえます。そしてお客様は帰って行きますが、そのときの状態を方位に例えると北です。
このように人の心の状態も、お客の来訪も北に始まって北に終わります。言い換えると、ものごとはすべて「北(ネ)より来(きた)たりて寝(ネ)に帰る」のです。今度は方位を木に例えてみましょうね。木は春に若葉を出して、夏には青々と茂ります。秋には燃え立つような煮え紅葉となり、冬はその葉も枯れて落ち葉となります。さっき、人の心に例えたのと同じで、冬枯れの木は寝(ネ)ているのです。春になって生命の伊吹を兆すのが東です。そして夏には最も高く昇ったお日様の光を一杯に受けて、葉を茂らせ栄えますが、秋になってそれが尽きるのが西です。このように、季節の移り変わりも方位に例える事が出来ます。央(ヲ)は君(天神)が坐します場所で、国の中心の地点です。そこにいらっしゃって国を治められるので、東西央南北(キツヲサネ)は四方(ヨモ)と央(ナカ)、つまり君がお治めになっている国全体を指す言葉なのです。このように国と方位も深い関係で結ばれています。
キツヲサネはまた、天上で方位を司る五臓神(ヰクラカミ)という神様なのですが、それはもっと大きくなってからお勉強しましょうね。さて、木は東で花と葉は南、そして木の実は西に例える事が出来ます。木の実は結んで、その実が元の木から分かれて芽を出し、そうやってその種を増やしていきます。人の世も木の実が分かれるのと同じく、子の身を分けて子孫繁栄をします。だから君という言葉は木の実の関係に例えて、夫婦神(ヲメカミ)のことを言うようになったのです。これで東西南北の名について、由来の話はおしまい。分かりましたか』。
後年、ワカ姫がイサワの宮(現三重県志摩郡)にお仕えしているとき、キシヰ邦(クニ・和歌山県地方)の稲田でホヲムシ(いなご)の大発生があり、稲穂の生育が悪くなった。嘆き悲しんだ農民の使者が、その状況を告げるためにイサワにやって来たのだが、あいにく天照大御神な天(アマ)のマナヰ(京都府宮津市)に行幸された後だった。大御神に代わって被害の状況と民の嘆きをお聞きになった正后ムカツ姫は、ワカ姫を伴って急ぎキシヰ邦に行啓された。二人して田の東側に立ち、古の教えにしたがって桧扇(ひあふぎ)で扇ぎながら、ワカ姫が祓いの歌を詠むと、ホヲムシは徐々に稲を放れ始めた。そこでムカツ姫は三十人の侍女を左右つまり田の南北に立たせ、この歌を、声を合わせて歌わせた。それは稲虫を祓うワカのまじない歌である。
タネハタネ ウムスキサカメ マメスメラノゾロハモハメソ ムシモミナムシ
(訳一)田圃や畑地に生うる大麦小麦等の穀物や、稲の穂も葉も食べつくしてしまってはいけない。虫だって皆んな同じものを食べている仲間ではないか。
(訳二)田や畑の土壌を良くしてより多く収穫しようと、耕したり懸命に働いている女達の、稲穂や葉を盗み食いしてはいけない。虫でもそれくらいの良心は持ち合わせているだろう。
この歌を繰り返し三百六十回、声を合わせ大声で歌わせたところ、稲虫は西の海の方へ飛び去って行った。その飛んでいく有様は砂塵が舞うごとくであった。こうして穢(え)を祓ったので、稲は生気を取り戻して、元のように若々しくよみがえった。その年の稲はたわわに稔り、大いに収穫できたことは言うまでもない。キシヰ邦の農民たちにとっては、稔りもさることながら、政事が民衆の方を向いて行われているのを知ったことが、より大きな収穫であった。人々はこの喜びを素直に返した。
キシヰ邦には天日宮(アヒミヤ)という御用邸が置かれていたが、その前に天日の前宮(日前ひのくま神宮)を建造して奉り、別にタマツ宮(玉津島神社)を新築してワカ姫に暫らくのお住まいを願った。天日宮は御用邸としての用途がなくなったので、イサワの出先政庁として使われ、クニカケ(国懸神宮くにかかす)と呼ばれるようになった。タマツ宮は後の世までずっと、ワカ姫の事績を人々の記憶にとどめ、枯れた稲を若返らせたワカ姫の歌に因んで和歌の浦となった。今ではキシヰの名は貴志川の河川名と貴志川町の町名にわずかに名残が認められるだけである。
さて、タマツ宮にお住まいのワカ姫の元には、イサワから度々勅使が遣わされた。ワカ姫は勅使のアチヒコに一目惚れし、思いは日毎に募っていった。母イサナミの兄神皇産霊(カンミムスビ)ヤソキネの長男だから、アチヒコはワカ姫の従兄弟にあたる。募る思いにワカ姫はワカの歌を詠んでウタミ(短冊)にしたため、思案の末思い切ってアチヒコに手渡した。アチヒコは何気なく受け取って目を通すと、びっくり仰天した。
キシヰコゾ ツマオミキワニ コトノネノ トコニワキミオ マツゾコヰシキ
(訳)去年このキシヰ邦で初めて貴方様にお会いした途端に、琴の音のように胸は高鳴り、床に着いても寝付かれず、いとしい貴方様をお待ちしている、それほどに恋い焦がれています。
アチヒコは思った。自分が仕えている君主天照大御神の姉君から、仲人も立てずの求愛である。日本中に二人と居ない素晴らしい女性だから、願ってもないことだが、英明をもって鳴るアチヒコも、突然のことで狼狽してしまい、必死に考えたけれども言葉が見付からず、とうとう返事を待ってほしいと言ってウタミを持ち帰った。イサワの宮に帰り着いたアチヒコは、タカマ(高間)での御前会議の場で、参議の面々に相談した。最長老でワカ姫の養父でもあるカナサキが、ウタミを見て言った。『この歌は、上から読んでも下から読んでも同じ回り歌です。回り歌には、言葉を返すことも、変えることも封じて、読み手の願い事を叶える呪力があります。私も以前、行幸の随行で舟に乗っていたとき、風が激しく波が荒くなって危険が迫ったのを、何とか打開したいと願って歌を詠んだのです。
ナカキヨノ トオノネフリノ ミナメザメ ナミノリフネノ オトノヨキカナ
長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り舟の 音の良きかな
と歌ったところ、風は止み舟は快適に進んで阿波に着くことができました。ワカ姫の歌にも、アチヒコの心を捕らえて、逸らすことを許さない、呪力が込められているのです』。カナサキの説明をお聞きになっていたアマテル神は、勅を発せられた。『カナサキも乗り気だし、この際カナサキの出した助け舟に乗り受けて、夫婦になったら良いではないか』。こうしてアチヒコは晴れてワカ姫と結婚し、ヤスカワ(滋賀県野洲町付近)に新居を構えた。ワカ姫はシタテル姫の名を賜り、アチヒコは先の一件によってオモイカネという神名でよばれるようになった。
ここで一旦話を戻し、ワカ姫が稲虫を祓った呪いの背景にある、古来からの教えについて説明しよう。ヌバタマはヒアフギとかカラスアフギとも呼ばれるあやめ科の多年生植物である。ヌバタマの葉は、扇の要部分のように、茎を中心にして左右対称に重なり合って出る。その花はほのぼのとした紫色の花弁で、その実は赤く、四つに割れて中から真っ黒の種が顔を 覗かせる。古来ヌバタマには災厄を祓う呪力があると言われる。ヌバタマの種は夜を、花は夜明けを、結実は日の出を象徴し、その実は太陽のように真っ赤に染まり、熟し切ると色褪せて中に夜を宿すようになる。桧扇(ひあふぎ)は桧の板を薄く削って作った扇のことである。ヌバタマが葉を広げた形状は桧扇に似ているので、同じ名で呼ばれることもあるのだ。そして桧扇も、ヌバタマの葉の数と同じ十二枚で作り、同じ呪力を持つものとされた。すなわち桧扇はヌバタマのモノザネとして考えられていた。国を守り治める者は桧扇にお日様の図柄を入れて(日扇)身に着け、それで扇げば枉事(まがこと)を祓い天が晴れる(アッパレ)と言い伝えられてきた。桧扇の十二枚が持つ呪力に、アワ歌の四十八音が持つ言霊の力を合わせると、その威力は倍増する。そして言霊の力を引き出すのは、三十二音のワカの歌なのである。ワカ姫がその威力を実証した三十二音の和歌の道。あなたは決して忘れてはならない。
さて、ワカ姫には上からワカヒト(アマテル神)、モチキネ(ツキヨミ神)、ハナキネ(ソサノヲ尊)の三人の弟がある。ある時、末弟のハナキネがワカ姫に、文章や歌を五七に綴るのはなぜかを問うた。ワカ姫は、五七調が日本固有のリズムにピッタリと合うからだと簡潔に答えた。するとハナキネは質問を続け、祓いの歌は三十二音のはずなのに、いま三十一音の歌が多く詠まれるのはどうしてかと問うた。ハナキネの向学心を感じ取ったワカ姫は、今度は懇切丁寧に答えた。『地球の公転周期は三百六十五日余りです。これを四季に分け、春夏秋冬をさらに三つずつ分けると三十一日弱。人の生命リズムは太陽と月の運行の支配を受けています。月も公転しているので、地球から見ると太陽の運行より遅れて見えます。月の満ち欠けの周期は三十日足らずですから、三百八十四日程で太陽より一周遅れます。この日数を同様に四つ三つに分けると、三十二日になります。この一日の違いは太陽と月の運行の差です。特に女性のリズムはつきの運行から受ける支配が強く、この一日の差の間隙に汚穢物(ヲエモノ)が入り込もうと狙っているのです。その汚穢物を祓う歌は三十二音で声が余るのです。この地球上で栄えある日本の国に人として生まれ、皆太陽の運行に従って三十一日周期の生命リズムで生きているのですが、女性特有のリズムは三十二日周期です。お宮参りの日を男は三十一日目、女は三十二日目とするのは、この生命リズムに従っているのです。そして女性は三十二音の歌をもって穢(え)を祓い、地球を取り巻く天体の回転運動に適応しているのです』。
ワカ姫が説明した内容は、まさに縄文日本の思想の根本であり、その中心に和歌の道があったのである。
