| 4.「暴力のアート」としての「力比べ」
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| 私は、アナーキストの向井孝にならって、「暴力」概念を、1.対話を拒否して、2.加害の意志をもって、3.物理的力を行使すること、と極めて抽象的に定義する。こう定義すれば、現在我々がイメージしている「平和」状態とは、江戸幕府や近代国民国家が、軍隊や警察という形で「暴力」を独占していることの「効果」としての「疑似非暴力」状態にすぎず、「真の平和」ではない。誤解を招かないように言っておくが、私は、国家や国家暴力が悪だとか、廃絶すべきだと言いたいのではない。軍隊も警察ももちろん必要である。「国家=悪」と言いたいのではなく、いったん「暴力」概念を抽象化することで、社会現象の分析に新たな角度から光をあててみたいのである。 |
(私論.私見) |
| この件の全体の趣意が今一つ分からない。アナーキストの「暴力」概念を持ち出すなら、もう少し説明を要するのではなかろうか。 |
| みきは、国家暴力と対抗暴力の無限連鎖からの解放(みきの言葉では「むほんの根(ねへ)を切る」こと)を、経験に基づいて日本の民俗宗教的な「親神の力」に求めるようになったのではないか。 |
(私論.私見) |
| ここの件はこれで良いのだろう。 |
「疑似非暴力状態」ではない「真の平和」を実現するためには、かつてのマルクス主義のような「暴力革命か絶対平和か」という単純な二分法に依拠することなく、人間は「暴力の大好きな生き物」(みきの言葉では「あざない」(思慮の浅い)者であることを直視して、「暴力の制御可能性」を生活のさまざまな側面とリンクさせながら高めていく「暴力のアート(術)」が必要である。みきの場合、そうした暴力のアートのひとつが、稿本・天理教教祖伝逸話篇に5編も似たような話が記録されている、男性たちとの「力比べ」だったのだと思う。
少なくとも老境に達してからの明治時代の中山みきは、自分のもとを訪れた男性たちに、「力比べ」をもちかけて、簡単に負かしては、「神の方には倍の力」と説いていた。稿本・天理教祖伝逸話篇に、同じような話が複数記録されているのはこの「力比べ」の逸話だけであることから考えて、老境に達した明治期には、みきは自分のもとを訪れる男性に頻繁に「力比べ」を持ちかけていたのだろう。天理教の原典(教典)であるお筆先の、みきが77才となった明治7年に書かれた部分である第3号第84首でもこう説かれている。教団外部の自然科学者なら、男性たちはみきのカリスマ性を前にして暗示にかかったのだ、と説明するだろう。
天理教教団は、他のいかにも宗教家らしい逸話とはやや異質なこうした「力比べ」の逸話に、「教祖はみずからが月日のやしろに坐しますことを示されたのである」と特別にコメントを加えている(「稿本・天理教教祖伝逸話篇」)。しかし、自分が生き神であることを示す方法なら他にいくらでもあったはずで、事実、「病気治し」を代表として、そうした逸話は数多く残されている。天理教教団のコメントは、説明になっていない。
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(私論.私見) |
| ここの件はこれで良いのだろう。 |
| みきは、男性信者たちの暴力を制御する可能性を、親神(天理王命)に対する信仰に基づいて高めようとしたのではないだろうか。 |
(私論.私見) |
| この件の推理は、「宗教と真の非暴力」として理解しようとするのと同じ構図の「捻じ曲げのすり替え」だろう。 |
| 天保の飢饉の時代から、全国の百姓一揆は「世直し大明神」を掲げることが増えた。大塩平八郎も、世直し大明神のひとりとして位置づけられた。それに続く「世直し」という時代の風潮や、明治初期の自由民権運動や不平士族の反乱による騒然たる世相の中でみきの元を訪れた男性たちの中には、「生き神」の噂高いみきに、百姓一揆のような国家に対する「対抗暴力」の運動(みきの言葉では「むほん」)の指導者を期待する「血気盛んな」男性も少なくなかったのではないか。 |
(私論.私見) |
| そうこの件の理解で良い。 |
| そうした男性たちに、「力比べ」を持ちかけて簡単に負かして「神の方には倍の力」と説くことによって、みきは、「暴力に訴えることの空しさ」を暗にさとし、「力任せ」の心理を挫折させて、血気盛んな男性たちをたしなめたのではないか。 |
(私論.私見) |
| この件の解釈は馬鹿げていよう。 |
| みきの「力比べ」に対して、みき教理に基づく信仰は神の道であり、明治政府の弾圧は人の道のものであるから心配するに及ばないということを「神の側には倍の力がある」例証として「力比べ」をして見せ、動揺する信者を鼓舞するのに効果があった云々。 |
(私論.私見) |
| この解釈も、みき教理の「悪しき捻じ曲げのすり替え」である。みきが、「暴力に訴えることの空しさを暗にさとした」言行は見当たらない。もとよりみきの暴力論はマルクス主義的な革命論に基づく攻勢的暴力論ではない。この時点で認められるのは、権力の弾圧にひるむな、毅然として抵抗せよの域の論である。ここではこの程度のことはみきが諭していたことを確認すべきで、「みきが暴力に訴えることの空しさを暗にさとしていた」と受け取るのは逆行だろう。 |