修理肥の理

 更新日/2026(平成31.5.1栄和改元/栄和8)年5.5日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「種まきの理、修理肥の理」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【種まきの理、修理肥の理】
 教祖、あるとき、仰せには『神が働けば、世界一夜の間にもなむ天理王命にしてみせる』と。信者たちは喜んで、「どうぞ、そのようにしていただきとうございます」と。教祖、仰せには『世界一夜の間になむ天理王命にしたところが、誰が修理肥に行ってくれますか』と。信者たちは黙って答えません。教祖、仰せには『修理肥に行ってくれる人がなくてはどもならん。やめておこう』と。
 (「教祖おおせには」、〔註〕奥野道三郎氏からきく。昭和六十年四月発行、高野友治著「教祖仰せには」(天理時報社)18~31pより)。
 「医者、薬は修理肥しゅうりこえ」。

【修理肥の理】
 「肥えの授け」お諭し。
 教祖は、山中忠七に、「神の道について来るには、百姓すれば十分に肥も置き難くかろう」とて、忠七に、肥のさづけをお渡し下され、「肥のさづけと言うても、何も法が効くのやない。めんめんの心の誠真実が効くのやで」と、お諭しになり、「嘘か真か、試してみなされ」と、仰せになった。忠七は、早速、二枚の田で、一方は十分に肥料を置き、他方は肥のさづけだけをして、その結果を待つ事にした。

 やがて8月が過ぎ9月も終わりとなった。肥料を置いた田は、青々と稲穂が茂って、十分、秋の稔りの豊かさを思わしめた。が、これに反して、肥のさづけの肥だけの田の法は、稲穂の背が低く、色も何だか少々赤味を帯びて、元気がないように見えた。忠七は、「やっぱりさづけよりは、肥料の方が効くようだ。」と、疑わざるを得なかった。 ところが、秋の収穫時になってみると、肥料をした方の田の稲穂には、虫が付いたり、空穂があったりしているのに反し、さづけの方の田の稲穂は、背こそ少々低く思われたが、虫穂や空穂は少しもなく、結局実収の上からみれば、確かに、前者よりもすぐれていることが発見された。






(私論.私見)