その5 種まきの理、修理肥の理

 更新日/2026(平成31.5.1栄和改元/栄和8)年5.5日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「種まきの理、修理肥の理」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【種を蒔く】
 み神楽歌に、
 九ツ ここはこの世の でんじなら わしもしっかり たねをまこ
 
 「種市夫婦」の逸話。
 摂津国安立村に「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。二人の間には次々と子供ができた。もう、これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれることになった。それで、タツは、大和の国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて大和へ来た。しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。

 すると、教祖は、「あんたは種市さんや。あんたは種を蒔くのやで」と仰せになった。タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか」と尋ねた。すると、教祖は、「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻るのやで」とお教えになった。更に、お腹の子供について、「子供はおろしてはならんで。今年生まれる子は男や。あんたの家の後取りや」と仰せられた。このお言葉が胸にこたえて、タツは、子供をおろすことは思いとどまった。のみならず、夫の藤助にも話をして、それからは夫婦ともおぢばにへ帰り、教祖から度々お仕込み頂いた。子供は、その年6月18日安産させて頂き、藤次郎と名付けた。こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の胸に伝えて廻った。そして、病人があると、二人のうち一人がおぢばへ帰ってお願いした。すると、どんな病人でも次々と救かった。

【貧に落ちきれ、一粒万倍】
 「一粒万倍」とは、一粒の籾種からやがて何万という収穫が得られるように、人間が真実の心でもってつとめる時、親神様はその心を受け取って万倍の喜びを与えられるということ。

 一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍というのやで。
 神様の御用なら、する事、為す事、皆、一粒万倍に受け取るのやで。
 流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え、玄関造りでは助けられん人助けできん。貧に落ちきれ。貧に落ちきらねば難儀なる者の味が分からん。水でも落ちきれば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。

【貧のどん底、神の働きで先案じは一つもいらん】
 肩あれば着せて通る。口あれば食わせて通る。先案じは一つもいらん。

【においがけ、お助け、種蒔き】
 自分が助かって結構やったら、人さん助けさしてもらいや。あんたの助かったことを、ひとさんに真剣に話さして頂くのやで。
 なむ天理王の命と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻るのやで。
 種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻るのやで。






(私論.私見)