| 「こふきの研究」より(その一) |
昭和三十一年五月二十七日から約半年にわたって、〝こふき〟についてのお話を続けて参りました。“おふでさき”や“おさしづ”の中にあります〝こふき〟の言葉から、〝こふき〟と称えられて来た写本の幾つかを紹介して来ました。十四年本の和歌体から、十四年本、十八年本等を見て参ったのですが、その結果、次のような事が、おわかり頂けたと存じます。
先ず第一に、〝こふき〟の内容は、
| (イ) |
“おふでさき”で窺(うかが)いましたように、“かんろだいつとめ”に関係あることでありまして、これは、“陽気くらし”への“たすけ一条”に関係あることを意味されています。言い換えますと、“かんろだいつとめ”の完成されることが、〝こふき〟の完成であり、末代の“たから”であると、仰せられているのであります。 |
| (ロ) |
次に、〝こふき〟と称えられる書き物についてみまするに、年代と共にその内容には、多少の別はありますが、概(おおむ)ね、
一、この世初まりのお話。二、人間身の内の御守護。三、“いんねん”と“ほこり”の話。四、“をびや”の話。五、教祖(おやさま)。六、神道見立(みたて)。七、仏教見立等になってありまして、“おつとめ”の意義の説明から発して、信仰するものの態度にまで及び、その節、その節のお話のあやと思われる説話にまで含まれているのであります。つまり、“つとめ”の理の解き明(あか)しに始まるお話が、それを聴いた人々の執る態度にまで、説明が加わってありまして、年代のすすむにつれて、説明が詳細に渡り、本質的な筋に、種々の粉飾と思われる説話が、増しているように思われます。 |
第二に、〝こふき〟の目指されている目的ともいうべき廉(かど)を窺ってみますと、〝こふき〟の内容を、単に発表されているばかりではなく、〝取次〟養成を意図されているのであります。“たすけ一条”の成就を、独り教祖の努力のみに依るのではなく、助手ともいうべき〝取次〟の手によってもすすめられるべきであり、その〝取次〟養成の為に〝こふき〟が物され、又、その〝こふき〟により、取次が教祖の助手たるの立場、用木の御用が果されるように考えられるのであります。かかる意味から、〝こふきを作れ〟との意味は、〝“つとめ”を完成せよ〟との意味から、〝取次たるものの心得台本を作れ〟という意味に転じているかの如く思われるのであります。当初、“おふでさき”に感ぜられたが如き、〝“つとめ”の完成〟には取次たるものの話の台本、心の定規を作れという具合に感得され、処理された如く思われるのであります。(つづく、以上153~156頁より)
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| 「こふきの研究(その二)」 |
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かくて、教祖は、日々にお話あり、それを取次たる者をして、筆に誌せしめられたのであり、皆、取次にお聞かせ下さるのであります。又、“おふでさき”の終わった頃から増える刻限話や、錦の仕事場たる本席の刻限話等も、〝こふき〟に関係あるものと考えられ、〝こふき〟方法にて、取次をお仕込み下されていることと、察せられるのであります。又、観点を替えて、〝こふき〟と称せられる写本の現れ初める頃は、丁度、“おふでさき”の停った頃であります。忘れるから筆に誌しておいたとお教え下され、親しくお筆をおとり下された“おふでさき”は、教祖の八十四、五才たる明治十四、五年頃に停り、その頃から、〝刻限話〟が増してくること、並びに、聴聞の信者層にも、筆の執れる人が増してきたこと、等から推量して、〝こふき〟は“おふでさき”に次いでなされた〝教話伝達〟の方法と考えられるのであります。
従来〝こふき〟に対しては、〝古記〟の文字を多く用いられて来ました。しかし、この文字は、当初から使われていたのではなく、寧ろ、後年になってから、使われ出したと思われる節が多く、必ずしも、〝こふき〟のお言葉は、〝古記〟と当てるとは、限らないと思うのであります。〝此世始まりのお話〟が〝こふき〟話の初めにある所から、その頃の信者中の有識者が、〝古事記〟等の連想より、〝古記〟との文字を当て、その文字によって、〝こふき〟話が代表称名とされて参ったように思われるのでして、十八年本の小松本に使われていた当字(あてじ)に、〝明治二十年以後ノ古記ヲ貫書(ぬきがき)ス〟とありましたように、明かに、古記は〝古い記〟というよりも、〝こふき〟の音を写したものであり、写音の当字にすぎないと、考えられるのであります。
以上のような諸要件から、私は、所謂〝泥海古記〟は、〝此世始まりのお話〟を指すという、従来からの常識なり、今日迄の私自身の解釈に、あきたらぬものを感じたのであります。これは、〝古記〟の文字にとらわれ、その字義にとらわれて〝こふき〟の語義となした憾(うら)みを感じたのであります。〝こふき〟の音を〝古記〟の文字に写したという事よりも〝古記〟の文字にとらわれて、〝こふき〟の意味を極限したと考えるに至ったのであります。そして、〝古記〟は〝こふき〟の写音であり、文字には大した意味を考えぬ方が本来の意味を生かすものであり、先にのべた〝こふき〟の内容なり、対象を〝取次の仕込み〟において考えるとき、寧ろ、〝こふき〟は口で述べられたお話を〝記(しる)〟された書き物を意味し、“おふでさき”に対しての〝こふき〟、即ち、教祖の親しく筆を執られた書物に対して、教祖が口で述べられ、取次を仕込む上から、筆執り学人(ふでとりがくにん)として、一は取次に筆を執らしめ、一は取次の話の台本とされたものと考えられるのであります。即ち、親しく誌された“おふでさき”に対して、口授(こうじゅ)して書き取らしめられた〝記(き)〟を〝こふき〟と呼ばれたものであり、強いて字を当てれば、〝口記〟の方が寧(むし)ろ、本来の意味を写す文字ではないかと考えるのであります。
以上、半年にわたりました〝こふき〟についての叙述は、この字義を探ろうと考えたからなのであります。そして、〝口記〟に及び、教理説述の方法として、〝口に、筆に、或は行いに〟と述べてあります教典の説明に、更に加えて、〝口授されて書き取らされた〟〝こふき〟の一方法が考えられ、かく考えますと、“おさしづ”も亦(また)、〝こふき〟の一つであると考えられるに至ったのであります。(後略)
中山正善「〝こふき〟の研究 成人譜その三」(153~159p昭和三十二年七月発行)
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従来のように、“こふき”を“古記”と当て、“どろうみ古記”即ち“この世元始まりのお咄”と解釈しますと、所謂“こふき”諸写本中に綴り込まれている節々は、漸次、雑話が混入したと考えなくてはならなくなり、どうも“古記”と限定はできないと、気付いたのであります。つまり、「こふき」がもっぱら「泥海古記」を指すものとすると、「こふき本」に含まれているそれ以外の話が「雑話」になってしまう。それを避けるためには、「こふき」を「口記」
と解釈すればよい。そうすれば「“こふき”は教義伝達の口授手記という一形式ということになり、“雑話混入”という考えから、“種々なる御話”という事になり、所謂“この世始まりのお咄”以外の説話が“こふき”話の中に含まれていても、その解釈ができる。
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というわけである。しかし、この点を確認するだけでは十分でない。正善自身が述べる論理を辿るだけではなく、その論理が依拠している思考の枠組みそのものを吟味するために、彼の研究の動機をいま少し丹念に洗ってみる必要がある。『こふきの研究』の緒言の冒頭部分にはこう語られている。
| 私がもの心ついた頃には、既に、 “どろうみこふきは荒唐無稽である”とて、その筋より干渉を受けた話が語り伝えられていましたが、話ばかりではなく、その後も同じ問題で、種々な事情を起し勝ちでもありました。 |
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次のように解説されている。
| 二代真柱は、冒頭で、こふきという言葉にはどんな漢字をあてるのが相応(ふさわし)いかについて述べられている。まず教祖御在世(ございせい)当時、お傍(そば)の高弟(こうてい)が記されたものは「泥海古記」と〝古記〟と記されていた。古事記、日本書紀のいわゆる記紀神話、ユダヤ―キリスト教圏の聖書に記されているアダムとエバ(イブ)の創世記と匹敵する。〝古記〟は他にも光輝、功記、後記という文字をあてられた例も見受けられる。これらのことを踏まえて、教祖が誌(しる)されたお筆先、口授(こうじゅ)口伝を踏まえて冊子として書き著された記(き)が〝こふき〟であり、「強いて字を當(あ)てれば、〝口記〟の方が寧(むし)ろ本来の意味を寫(うつ)す文字ではないかと考えるのであります」と述べられた。 |
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