記紀神話の天地創造説との比較、神名考

 更新日/2025(平成31.5.1改元/栄和7)年2.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、記紀神話との比較、神名考をしておく。

 2009.1.13日 れんだいこ拝


【記紀神話との神名の相似と差異について】
 「元の理」に登場する神名と記紀神話の神名との関係は興味有る考察である。記紀神話には多数の神が登場するので、「元の理」に登場する神名がどういう対応関係の位置を占めているのかを考察する。

 これを図示すれば、次のようになる。
こふき神名 こふき神名かな 記紀神名1 記紀神名2
国常立 くにとこたち 国之常立神 国常立尊
面足 おもたり 於母陀流神 面足尊
月読 つきよみ 月読命 月読尊
国狭槌 くにさずち 国之狭霧神 国狭槌尊
雲 読 くもよみ 同名神なし 同名神なし
惶 根   かしこね 阿夜訶志古泥神 惶根尊
大戸辺  おおとのべ 意富斗能地神 大戸之道尊
大食天 たいしょくてん 同名神なし 同名神なし
伊耶那岐 いざなぎ 伊邪那岐命 伊弉諾尊
伊耶那美 いざなみ 伊邪那美命 伊弉冉尊

 つまり、記紀神話上の神名もあれば新たに登場した神名もあるということになる。その差の詮索がされねばならないだろう。

【天理教神話の諸神と記紀神話諸神の同名性問題考】
 「天理教の創造神話に登場する諸神と記紀神話諸神との同名性問題」に関して、次の見解がある。
 中山みきは、こうした神々の存在を、彼女の息子である秀司が、神道の吉田家に入門し、吉田家で祀られていた国常立尊以下の神々を取り入れていくなかで知った可能性があり、その点でも、独自な創造神話というとらえ方は問題を含んでいる。

 この観点は首肯し難い。末尾の「その点でも、独自な創造神話というとらえ方は問題を含んでいる」とする見立てには同意するが、前段の「秀司の神道の吉田家に入門由来」とする観点は如何なものだろうか。

 みきは、秀司−吉田神道を通じて、これらの神々を知ったというより、もっと奥深い歴史的伝承を踏まえて、みき自身の思想的陶冶の中で咀嚼したと受け取るべきではなかろうか。みきは、何らかの機縁で伊勢系神道のみならず出雲−三輪系神道にも通じており、それを秀司−吉田神道を通じて獲得されたとみなすのは皮相的ではなかろうか。みきは、伊勢系神話、出雲−三輪系神話にも通じたうえで新たな神名を創造しているのではないのか。それらの神名がどのようにして獲得されたのかは分からない。下敷きの幻書Xがあるのかどうか。これはいわゆる古史古伝の真偽考とも通底する。つまり、みきの説諭した「泥海古記創造神話」の奥行きはもっと深いとみなすべきではなかろうか。この点を一言しておきたかったので記しておく。





(私論.私見)