| 「元の理」に基づく十全のご守護と身の内身の外相関の理 (泥海こふきの天地創造観) |
更新日/2025(平成31.5.1改元/栄和8)年7.25日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「十全のご守護」について確認しておく。これを小難しく語る教理が多い。中には著作権つきで語る者も居る。しかしそれは教祖の「ひらがなの教え」の御心に反しているのではなかろうか。れんだいこが分かり易く且つ真髄をついた言葉で語ってみたいと思う。且つ「十全のご守護」を全体と個の働きの両面から確認してみたいと思う。既成の説き分けは案外と饒舌渾然にされており、正確とは言い難いと思う。 |
| 【十全のご守護、神の日々のご守護の理】 |
| 教祖は、人間創造に当っての親神様の御働きを十柱の神様のご守護で説き分けてくだされており、これを図示すれば次のようになる。 天理王の命はこの八方八柱から成っており、子(ね)に国常立命、丑(うし)と寅(とら)の間の丑寅に大食天命、卯(う)に雲読命、辰(たつ)と巳(み)の間の巽(たつみ)に国狭土命、午(うま)に面足命、未(ひつじ)と申(さる)の間の未申に惶根命、西(酉)(とり)に大戸辺命、戌(いぬ)と亥(い)の間の戌亥に月読命が位置してお働きされ広大無辺なご守護を与えてくだされている(「天之理Ⅱ・十柱の神々」その他参照) |
| (身の内身の外相関の理、こふきの天地創造観) |
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| 【八柱の神の相互関係考】 |
| 萬物一切の生成化育は親神の分身とも云える十柱の神によるご守護に支えられている。これを「十全のご守護」という。親神天理王命の十全の守護によって、人間をはじめとする万物皆なその生成を遂げている。この世は親神の身体であって、世界はその隅々にいたるまで親神の恵みに充ちている。 月日両神は万有守護の大元であり万物の親である。月日の御入り込みなくては神の御働きができぬ。十柱の神々は日夜万物にお働き下さつている。陰陽和合即ち月日より万物は産れ出で、各々形を現わし、この世に生命を有す。人間も又月日の神魂より産まれたる分身にして、身体は八柱の神の御心御働きなければ、生まれ出ることも育つこともできない。神が入り込み御居住い下さるが故に、心身の自由用自在が叶い、人間の心に乗って神が御働き下さる。無形の精神、有形の肉体共に月日が親也。個々の人間は精神と肉体が結合している小宇宙、世界は大宇宙の関係にあり共に神と一体也。これらのことを前提で了解しつつ、以下、十柱の神の相互関係を悟らせていただく。 十柱の神様は、くにとこたちの命(水の理)とおもたりの命(火の理)を「二つ一つ」の大作用として横綱的に位置しており、それぞれが東三神女神「国狹槌、大食天、雲読」、西三神・男神「月読、大戸辺、惶根」を三役として輔弼させつつ相互に立て合っている。その中でもさらに、つきよみの命(突っ張り)とくにさずちの命(つなぎ)、くみよみの命(水気上げ下げ、飲み食い出入り)とかしこねの命(息吹き分け)、おおとのべの命(引き出し)とたいしょくてんの命(切る理)が対照している。これら八神の助けを得てイザナギ(岐)、イザナミ(美)の岐美二柱が「二つ一つ」となられて中宮に治まっている。これで十柱の神が出揃うという関係にある。 甘露台地場での神楽勤めは、この十柱の神々が甘露台を囲み、八方からそれぞれが助け合い補い合う勤めの様子を歌と踊りで再現実演している。まず水気、ぬくみの働きがべ-スで助け合う姿を実演する。これにつなぎ、突っ張りの働きが加わり助け合う姿を実演する。次に水気上げ下げ、飲み食い出入りの働きが加わり助け合う姿を実演する。。さらに息吹き分けの働きが加わり助け合う。べ-スの基本に男性的働きと女性的働きが加わり調和する。その調和の中から命が生まれ出し、その調和が続いて次の世代に生き続けて行く。 世界八方八柱神の変化する神仏数量りがたく、これを神道にては八百万神と云う。仏法にては無量諸仏という。観音という観音は皆な月日と仰せられ、一世の間にも色々と御変化下されて神とも仏ともなり、木仏金仏にまで入り込んで、善を勧め悪を戒め、種々と霊験を現わして、人間を教え導き育て下されている。昔より高山には大社を祀り、詣り場所がある。紀州高野山、山城比叡山、甲州身延山、飛騨の高山、越中館山、加賀の白山、伯耆の大山、阿波の剣山、伊予の石鎚山、肥後の阿蘇山等々然り。 親神天理王命の御心は「親心慈愛の情け」である。このご守護を受けるには足納(たんのう)という誠が必要である。欲を離れて心澄ますのが誠である。親神天理王命様の守護に対する埃(ほこり)を去るに従い「親心慈愛の情け」が広く大きく成る。万(よろづ)の徳はこれより出ずる。これを受ければ受けるほど正直清浄な心になり、心の曇りが去り明鏡止水の境地に至る。こうなると天地明らかにして万物が鮮やかになる。世界中の事が天理故、如何なる事も皆な分り知るようになる。大抵の者は、身上が事情に迫ってにっちもさっちも進退窮まらねば心が定まらない。教祖は、『人の好く者は神も好く。心の定まらん者、聞いて心に定めのつかん者は幽霊や。そんな者に元気を入れて聞かせるには及ばんぜ。到底天理の道具には成れん』と仰せられたと云う。 身体は借り物、我が心が我の自由である。この心の自由を磨くのが人の道である。因縁のせいにしている間は、そういう心の間は天理の話しを聞いても身につかぬ。心の定まらぬ者は天理の話を聞いても心に納まらん。心を定め決したら変らん迷わん動かん。この心を神が喜び、神が喜べば御働き下さる。 人を助ける、人の為になる、人を引き立てるの心あれば目が利くようになる。例えば、親は我が子の事によく目が利くが、これは我が子に対して「情け」が深い故よく見分けがつくようになるからである。「何かよろずの助け合い胸の内より思案せよ。一名一人の心に誠。一ツの理があれば内々十分六つまじいという。世界成る程の者、成る程の人と云うは常に誠一ツの理で自由用と云う。よく聞き取れ。人を助ける心は真の誠一ツの理で助ける理が助かる、人を助けると云う理によって我が身が助かるという。よく聞き取れ」と仰せ下さる。 親神天理王命の「親心情け」を受けると人の心がよく見えるようになる。逆にこのご守護を受けぬ者は見分けのできぬ者になる。了見の狭い者は目が利かず、見分けがつかんことになる。神の働きを得て誠の徳を備うるものは人を感化する事大である。小川は僅かな事でも濁る。朝の心が夕に変わるが毎度の如き心にては人の上に立ちて教えることはできない。古言に「豪傑涙に脆し」と云う如く英雄豪傑は情が深い。情が深いから徳がつく。情が深い故、この人の為には命をも惜しまんという様な絆が生まれる。そういう組織が強い。苦労して来た人ほど同情心が強いのもこの理による。 |
| 何事もなく平穏無事な時こそ、親神様の十全のご守護を一つとして欠けることなく戴いているときであって、何事もないときこそ、すべてあるときなのである。教えの素晴らしさが分かったといっても、日々いただいているご守護に気づけなければ本当に分かったとはいえないと、おさしづは戒められる。(橋本道人「おさしづ春秋」) |
| 【命のリズム/「身の内身の外相関の理」】 | |
人の命のリズムは次の通り。これを仮に「身の内身の外相関の理」と命名しておく。
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「貸物、借り物の話」。
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(私論.私見)