大和王朝民のかまど神話考

 (れんだいこのショートメッセージ)
 大和王朝の建国神話から転じて仁徳天皇以降を「かまど神話」と銘打って考察することにする。これを漠然と追跡しても意味が無い。眼目は、「国譲り後遺症」とも云うべき事象を追跡していくことに有る。そのように解析できていないが、今後追々に書きなおしていくことにする。

 2006.12.24日 れんだいこ拝


【仁徳天皇譚その1、民のかまど】
 仁徳天皇の「民のかまど譚」が次のように記されている。
 第16代の仁徳天皇は、難波の高津宮で天下を治めた。秦人の力を借りて堤防を作り、池を作り、運河を堀り、港を設ける等内治に精励した。或る時、仁徳天皇は高山に登り、四方の国土を見ていた。食事を用意する炊煙が全く見えなかったことを悲しみ、今より三年間、国民の税と夫役を免除するように、と言い渡した。こうして、三年の間、民の夫役や税を免除した結果、宮殿は破損し、ことごとく雨漏りするようになった。しかし、天皇は一切修理をせず、器で雨漏りを受け、雨漏りのしない場所に移るなどして雨漏りを避けた。そして、三年立ったある日、国内を見渡すと、いたるところに炊煙が立っていた。「もう税と夫役を課してもよかろう」。こうして、民は豊かになり、賦役を苦しむことはなかった。そこで、その御世を讃えて、聖(ひじり)の帝(みかど)の御世と呼んだ。

(私論.私見)

 「民のかまど譚」をそのまま素直に理解するのも良い。但し、れんだいこは、国譲り以来、大和王朝は善政を義務付けられており、その統治能力が問われており、仁徳天皇がそれを請けてこのように采配したと云う史実として受け取る。


【仁徳天皇譚その2、吉備のクロ姫】
 仁徳天皇の「吉備のクロ姫譚」が次のように記されている。

 仁徳天皇の皇后のイハの姫の命は大変嫉妬深かった。或る時、仁徳天皇は容姿端麗な吉備国のクロ姫を召し上げた。しかし、イハの姫の凄まじい嫉妬を恐れたクロ姫は故郷の吉備国へ逃げ帰ってしまった。クロ姫が船に乗って難波の海に浮かんでいると伝えきいた仁徳天皇は、 高殿に登り、遠くから船をながめ、歌った。

 沖方(へ)には 小船連(つら)らく くろざやの まさづ子我妹(わぎも) 国へ下らす
 (沖のほうには、小舟が連なっているのが見える。いとしい我が妻が、故郷に下っていくことよ)

 天皇の歌を聞いたイハの姫は怒りに身を震わせ、クロ姫を船から追い降ろして、陸上を歩いて追い返してしまった。天皇は、クロ姫が恋しく、淡路島を見に行くと出かけた。淡路島で、はるか遠くをながめて歌を歌った。

 おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて わが国見れば 淡島 オノゴロシマ アヂマサの 島も見ゆ さけつ島見ゆ

 (難波の崎から、出で立って、わが領有する国をながめると、淡島やオノゴロシマ、またアジマサの島も見える。サケツ島も見える)

 そして、淡路島から島を伝ってクロ姫のいる吉備国を訪れた。天皇が訪ねてくれたうれしさで胸いっぱいのクロ姫は、天皇を山畑のところに案内して、ごちそうした。青菜を摘みに行こうとしたクロ姫の後を追っていった天皇はこう歌を歌った。

 山県に 蒔(ま)けるあをなも 吉備人と 共にしつめば 楽しくもあるか
 (山畑にまいておいた青菜も、吉備のクロヒメといっしょに摘むと楽しいことだ)

 数日後、いよいよ都に帰らなければならなくなった天皇に対してクロ姫は歌った。

 倭(やまと)方(へ)に 西風(にし)吹き上げて 雲離れ 退(そ)き居りとも 我忘れめや

 (大和のほうへ西風が吹き上げて、東のほうに雲が離れていくように、あなたから遠く離れていても、わたしはあなたを忘れはしません)
 倭方に 往(ゆ)くは誰(た)が夫(つま) 隠(こも)りづの 下よ延へつつ 往くは誰が夫
 (大和のほうへ向かっていくのは誰の夫でしょう。ひそかに心を通わせて、通って行くのは誰の夫なのでしょう)
(私論.私見)

 仁徳天皇の「吉備のクロ姫譚」は、大和王朝と吉備王権との交流を物語っていると拝する。
 イハの姫の命=石之日売命。クロ姫=黒日売。

【仁徳天皇譚その3、妃の実家帰り】

 仁徳天皇は大后が紀伊国に行っている間に、ヤタノワキイツラ女と同衾した。そんなこととは露知らず、大后は船一杯に御綱柏を積んで都に戻ろうとしていた。この時、仁徳天皇の浮気を知らされた。大后は大いに怒り、天皇を怨み、船に乗せてあった御綱柏を全部海に投げ捨ててしまった。皇居には戻らず、山代国に向かったて。この時、歌を歌った。

 つぎねふや 山代河を 河上り 我が上れば 河の辺に 生ひ立てる 鳥草樹(さしぶ)を 鳥草樹の木 其(し)が下に 生ひ立てる 葉広ゆつ真椿 其が花の 照りいまし 其が葉の 広りいますは 大君ろかも
 (山代河をさかのぼって私が上って行くと、川のほとりに生い立っている鳥草樹(さしぶ)よ。鳥草樹の木、その下に生い立っている葉の広い神聖な椿、その花のように照り輝いておられ、その葉のように広くゆったりとしておられるのは、わが大君であるよ)

 そして、山代をめぐり、奈良山の入り口について、こう歌った。

 つぎねふや 山代河を 宮上り 我が上れば あをによし 奈良を過ぎ 小楯 大和を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮 我家のあたり
 (山代河を宮をめざして私がさかのぼっていくと、奈良を過ぎ、大和を過ぎて、私が見たいと思う国は、葛城高宮、私の家のあたりです)

 かく詠った皇后は実家に戻ってしまった。そのことを聞いた仁徳天皇は人を遣わし、歌を送った。

 山代に い及(し)け鳥山 い及けい及け 我が愛(は)し妻に い及き遭はむかも
 (山代で皇后に追いついておくれ、鳥山よ。追いつけ、追いつけ。私のいとしい妻に追いついて会っておくれ)

 それでも皇后が戻らないと見るや、さらに人を遣わした。

 みもろの その高城なる 大韋(ゐ)古(こ)が原 大猪(ゐ)子が 腹にある 肝向ふ 心をだにか 相思はずあらむ

 (みもろ山の高い所にある大猪子が原、その名のとおり、大きな猪の腹にある肝せめて心にだけでも、私を思っていてくれないものだろうか)

 さらに、歌を歌いなんとか皇后に戻ってもらおうとした。

 つぎねふ 山代女(め)の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕(ただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ
 (山代の女が木の鋤を持って打ち耕して作った大根、その大根のように白い腕を私が枕としなかったのならば、私を知らないといってもよいだろう) 

 それでも皇后は天皇のもとには戻らなかった。

 天皇の使者口子が皇后の実家に派遣された。雨だった。雨脚が強まり、豪雨になっても口子は戸口で平伏して皇后の返事を待った。 あまりの豪雨に庭にたまった雨水が腰までつかってしまっていた。そして、口子は赤い紐をつけた青色の服を着ていたが、庭にたまった水が赤い紐を浸し、青い服が真っ赤に染め上がってしまった。皇后のクチ姫にして、口子の妹はこう歌った。

 山代の 筒木の宮に 物申す 我が兄(せ)の君は 涙ぐましも
 (山代の筒木の宮で、皇后に物を申し上げようとしている私の兄君を見ていると私は涙がこぼれそうです)

 口子、口日売、およびヌリノミの三人はどうすれば皇后が天皇の元に戻るかどうかを話し合った。相談の後、クチコは天皇の元に戻り、こう報告した。 「皇后がここを出て行った訳ですが、ヌリノミの飼っている虫で、一度は這う虫になり、一度は繭になり、一度は飛ぶ鳥になり、三色に変化する不思議な虫がいます。皇后はこの虫を見に行ったに違いありません」。「そうか、そんなに不思議な虫ならば私も見に行こうと思う」。こうして皇居から川をさかのぼってヌリノミの家に入り、あらかじめヌリノミから三色に変わる虫をもらった皇后のいる部屋に向かった。 「こちらにその虫がございます」。「そうか」。そういうと全てを察した天皇はこう歌った。

 つぎねふ 山代女(め)の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝(な)が言へせこそ うち渡す やがはえなす 来入り参来れ
 (山代の女が、木の鍬を持って、耕して作った大根、その色つやのさわさわではないが、さわがしくあなたが言いさわがれるので、遠くに見渡されるよく 茂った桑の枝のように、多くの供人を引き連れてやってきたのです)

 こうして皇后は天皇の元に戻っていった。

 ヤタノワキイツラ女=八谷若郎女。クチ姫=口日売。


【仁徳天皇譚その4、ハヤブサワケとメドリの心中事件顛末】

 或る時、仁徳天皇は、異母兄弟のハヤブサワケに異母妹であるメドリとの婚儀の使者を命じた。しかし、メドリは、大后の気性の激しさを理由に断った。「私は兄上様と結婚しとうございます」。こうして、ハヤブサワケは天皇のもとに復命せず、メドリと結婚した。使いに出したハヤブサワケが一向に帰ってこないので、しびれをきらした仁徳天皇は自らメドリの元に赴いた。そのときメドリは機(はた)に腰をかけ、衣服を織っていた。「今、あなたが織っているのは誰の衣服なのでしょう」。「いとしいハヤブサワケのです」。仁徳天皇はメドリの気持ちが分かったで、そのまま宮中に帰った。

 天皇の命令を無視してしまったハヤブサワケは少し後悔の念が残っていた。「何を悩んでいるのですか。あなたは皇位も狙えるお立場のはず。いっそのこと天皇を殺して、あなたが王位につかれたらいいのではないですか」。このことが天皇の耳に入ったらわしらはきっと殺されるぞ。「ひばりは空を翔けあがります。あなたもそのように空を翔けあがるハヤブサの名をもった男です。あのサザキの名を持つオホサザキの命を取り殺してしまうのです」。こうして天皇を殺す計画をたてた二人であったが、その企みはすぐに露見し、怒った天皇は軍勢を二人のもとに派遣した。危険を察知したハヤブサワケはすぐさまメドリとともに倉椅山(くらはしやま)に登った。しかし、ついに天皇の追っ手に見つかってしまった。二人は宇陀の曾爾(そに)という場所で殺されてしまった。


 天皇より追討将軍に任命されたヤマベノオホタテノ連は、二人が殺された場所にむかった。殺された二人はしっかりと手を握っていた。
元主人に対して何の感慨も持たないヤマベノオオタテはメドリノミコの手に注目した。それは玉で作った見事な腕輪だった。メドリノミコの死体から腕輪を抜き取った。

 それから月日が流れ、あるとき宮中で酒宴が開かれることになり、各氏族の女ちがみな参内した。このときヤマベノオオタテの妻は、夫からもらった玉の腕輪を巻いてでかけた。皇后のイハの姫は自ら大御酒(おおみき)を盛った杯の柏の葉を取り、各氏族の女たちに与えた。(おや? あの玉の腕輪は?)。メドリノミコの腕輪を知っている皇后は、オホタテノムラジの妻がその腕輪をしているのを怪訝に思った。「あなたにはこの柏はあげることはできません。すぐに退席するように」。なぜ、皇后が自分に退席を命じたのか事情が分からずにとまどうオホタテノムラジの妻を尻目に、皇后はすぐさまその夫、オホタテノムラジを呼び出した。

 皇后が何の理由で自分を呼んだか分からないオホタテノムラジは、黙って立っている皇后に恐れを抱いた。突然、皇后の口からメドリノミコの名が出た。言葉が出ないオホタテノムラジ。 「しかし、お前は自分の主君の手に巻いてあった玉の腕輪を、まだ肌にぬくもりがあるうちにはぎ取ってきて、それを妻に与えるとはどういうことです!」。「その罪を許すことはできません。この者をすぐに死刑にいたしなさい」。こうして、オホタテノムラジは死をもってその罪をつぐなうことになった。

 ハヤブサワケ=速総別王、隼別皇子。メドリ=。ヤマベノオホタテの連=山辺大楯連。


【履中天皇譚、スミノエノナカツミコの反逆事件顛末】

 履中天皇が、難波宮で新嘗祭をし、酒宴を開いた。天皇が寝たことを確認した履中天皇の弟のスミノエノナカツミコが御殿に放火し謀反した。異変に気付いたアチノアタイが、完全に酔いつぶれ意識を失っていた天皇を馬に乗せ、河内の丹比野まで無事逃げおおせた。酔いから醒め事態を知った履中天皇は大和に戻り、石上神宮に居を構えた。

 そこに弟君のミヅハワケの命が参ったが、履中天皇は用心して会わなかった。疑われている事を覚ったミヅハワケの命は、スミノエナカツミコを殺すことで身の潔白を証そうとした。難波宮の護衛は堅く、そこで、スミノエナカツミコの近習ソバカリと連絡を取り、ある企てを相談した。「もし、お前が私の言葉に従えば私は天皇になれ、お前は大臣になることができ、ともに天下を支配することができる」。ミヅハワケの命を受けたソバカリは、大臣待遇の約束に心踊り密かに難波に戻り、何食わぬ顔でスミノエナカツミコの前に姿を現した。そして、スミノエナカツミコが厠に向かった時、先回りして待ちうけ刺し殺した。

 報告を受け取ったミヅハワケだったの表情は暗かった。「ソバカリは私のために大きな仕事をしてくれたが、自分の主君を殺してしまった。これは許されないことだ」。ソバカリを引き連れヤマトに向かっていたミヅハワケは大坂の山の入り口で思案していた。「ソバカリの功績に報わないのは信義に反する。約束を守らなければソバカリの怒りが恐ろしい」。天皇に会う前にこの問題を解決しなければならない。しばし悩んだ後、ある結論に達した。「そうだ、一度はソバカリを大臣にしてやろう。そのすぐ後に殺してしまえばいい。そうすれば約束は果たしたことになる」。

 こうして、ソバカリを殺すことを決断したミヅハワケは、ソバカリを呼んだ。「うむ、こたびのそなたの功績に早く応えるため、今日はここ大坂に留まり、まずそなたに大臣の位を与え、その後ヤマトに向かおう」。こうして、すぐに仮宮を造り、急遽酒宴を催した。そして、大臣に任命した。上機嫌のソバカリに大椀を酒が運ばれた。ソバカリが飲み干そうとした時、椀が顔をすっぽりおおい、周りが全く見えなくなった。その隙を狙って、ミヅハワケは、席の下に隠していた剣でソバカリの首をはねて殺した。ミソギをすませた後、ミヅハワケは天皇のいる石上神宮に向かった。今度は天皇に会うことができ、協力関係を誓った。天皇を救ったアチノアタイは蔵官に任命され、土地が与えられた。

 スミノエノナカツミコ=。アチノアタイ=。ミヅハワケの命=水歯別命。ソバカリ=曾婆加里。


【允恭天皇の皇太子、カルノヒツギの御子譚、禁断の愛事件顛末】

 允恭天皇の皇太子カルノヒツギの命は、同母妹のカルノオホイツラ女を愛し、密通していた。允恭天皇が崩御した後このことが問題なり、允恭天皇のもう一人のお子であるアナホノ御子が後継者として浮上した。身の危険を察知したカルノ御子は朝廷から逃げ出し、オホマヘヲマヘノスクネノ大臣(おおおみ)の家に逃げ込んだ。アナホノの御子はすぐさま軍勢を率い、オホマヘヲマヘの家を囲んだ。

 アナホの御子がオホマヘヲマエの門前にやってきたときに激しい氷雨(ひさめ)が降って来た。そこへ、アナホの御子の前にオホマヘヲマヘが手を挙げ、舞を舞いながらやってきた。「天皇であらせられる皇子に申し上げます。私がカルノミコを捕らえお引渡しいたします」。アナホの御子は兵の囲みを解いて後方に下がった。そして、オホマヘヲマヘはカルの御子を捕らえ、アナホの御子に差し出した。カルの御子の目に、涙を流すカルノオオイツラ女の姿が写った。カルの御子は、カルノオオイツラ女のそばに駆け寄りそっと小声でささやいた。「軽の少女よ、お前がそんなに泣いたら私との仲を他の者が知ってしまうだろう? だから鳩のように忍び泣いておくれ」。その言葉を聞いたカルノオオイツラ女は小さくうなずいた。
 
 捕らえられたカルの御子は伊予の湯(道後温泉)に流された。或る時、カルの御子は、使者にカルノオオイツラメ女の手紙を託した。その手紙には、「必ず戻ってくるからそれまでは私のいた畳は決して汚さないように、身を慎むように」と書いてあった。その手紙を読んだカルノオオイツラ女はすぐさま返事を書き、その日から空を眺めることが多くなった。

 カルノオオイツラ女がカルの御子に手紙を送った。その手紙には、「戻ってくる際に白浜の貝殻に足を傷つけないようにお気をつけてください」と書いてあり、愛する兄に会えない寂しさが書かれていた。引き離されて想いが募るのはカルノミコだけではなく、カルノオオイツラメも同じであった。離れ離れになって月日が流れ、もう耐えられなくなったカルノオオイツラ女はついに伊予にいるカルの御子に会いに行くことにした。

 その知らせを聞いたカルの御子は大いに悦んだ。妹がすぐに御子のいる場所が分かるように大きな旗を立てさせ、カルノオオイツラ女が松山の海岸に降り立つとすぐに抱きしめ放さなかった。「いとしき妻よ。お前さえいたら私はもう何もいらない」。「…お兄様、私もです」。いつまでも抱き合った。そして、カルの御子がカルノオオイツラ女を見つめ、来世を約束しあった二人はそのまま海に入り帰らぬ人となった。許されぬ二人の恋の結末であった。

 カルの御子が島流しになった後、アナホの御子が天下を治め安康天皇と称した。安康天皇となったアナホの御子は父の允恭天皇の異母弟オホクサカの御子のもとに使いとして根臣を送った。安康天皇は、オホクサカの御子の妹であるワカクサカの御子を天皇の弟オホハツセの御子と結婚させたいと考えているので差し出すようにと命じた。天皇の叔父であるオホクサカは四度も拝むという丁重な礼をした。「そのお申し出喜んでお受けいたします。このような勅命があろうかと思い、妹をどこにも嫁に出しませんでした。恐れ多いことでございます。勅命に従い妹を差し出しましょう」。続いて、「大変ありがたいお話をいただきました。返事のお礼としてこの押木の玉かずらを天皇に献上いたします」と述べ、美しい玉かずらを根臣に渡した。

 根臣は、その玉かずらを自分のものにしようとした。安康天皇に、オホクサカの御子が天皇の勅令を拒否したとウソの報告をした。「まさか叔父上がそのようなことをいうはずがあるまい」。「いえ、確かに申しておりました。私が勅命ですぞ、と強く申し上げたところ、オホクサカの御子は怒り出し、『うるさい! 私の妹を同族の者の下敷きになぞさせられるか!』と言いながら太刀に手をやったので、命からがら逃れて参りました」と伝えた。安康天皇は根臣の讒言をそのまま信じ、オホクサカを殺し、その妻を自分の正妻にしてしまった。

 ここから、根臣の私欲から始まる一連の悲劇が生まれることになる。或る時、安康天皇は神託を受けるために神床で昼寝をしていた。先夫であり殺されたオホクサカとの子のマヨワの御子は7歳になっていた。安康天皇は、皇后に、マヨワの御子が成人した時、「私がその父オホクサカを殺したことを知ったら、心変わりをし、復讐しようとするのではないかとそればかり恐れている」と不安を告げた。

 マヨワの御子は驚愕の真実を知るに及び、殺された父の復讐を誓った。或る時、天皇が昼寝をしている隙に近くにあった太刀を抜き、天皇の首を打ち斬ってしまった。宮廷内で白昼堂々の天皇暗殺が演ぜられた。マヨワの御子は、ツブラオホミの元へ逃げた。こうして、オホクサカを殺した安康天皇はその子マヨワの御子に殺害されてしまった。

 天皇が昼寝の時間を過ぎても神床から戻らないのを心配した皇后が、天皇を起こしに行こうと神床に向かうと、そこには頭を切り落とされた無残な天皇の死体が横たわっていた。衝撃の出来事に朝廷は大混乱に陥った。この変事を聞いたオホハツセの御子はまだ少年であったが、憤り大いに怒って兄であるクロヒコの御子のところに駆け込んだ。ところが、兄の態度はよそよそしかった。オホハツセは、兄弟が殺されたというのに冷淡な態度を見せる兄クロヒコを刀を抜いて撃ち殺してしまった。

 すぐさま、オホハツセはもう一人の兄、シロヒコの御子のもとに向かった。しかし、シロヒコもクロヒコ同様それほど驚きもせず、どうでもいい態度をとっていた。兄弟を殺されたことに無関心なシロヒコに愛想をつかしたオホハツセは、シロヒコの襟首をつかんで、小治田の地まで連れ出し、その場に大きな穴を掘り、立ったままの状態で埋め始めた。腰まで埋まってしまったときに、シロヒコはあまりの恐ろしさに両方の目玉が飛び出し死んでしまった。

 そうこうするうちに、天皇を殺したのはマヨワの御子だということが判明した。ツブラオミのところでかくまっていることも判明した。オホハツセはツブラオミの邸宅を軍勢で囲んだ。オホハツセは矛を突き刺し杖にし、ツブラオミの家を伺った。そこは、結婚の約束をした乙女の家だった。ツブラオミはたった一人で武器を身につけぬまま屋敷から出てきた。そのままオホハツセの方を向き、八度も礼拝した。「先日は我が娘を妻にしてくださる約束をしていただきありがとうございます。もちろん、娘は嫁がせたいと思います」。「さらに、我が領土である5ヶ所の屯倉を合わせて献上いたします」。

 ツブラオミの言葉を黙って聞いているオホハツセ。「しかし、娘の父である私があなた様に敵対するのは理由があるのです」。「昔から今に至るまで臣下の者が皇族の宮殿に隠れることはあっても、皇子が臣下の者の家に隠れた例はございません。これはとても名誉あることでございます。しかし、私のような賤しい者が全力を尽くして戦ってもあなた様にはかないますまい」。ツブラオミの顔に悲痛さはなく、むしろその表情は非常にすがすがしかった。「けれども、私を頼ってこの賤しい家に入ったマヨワノミコを私は決してお見捨てになることはできません!」。

 そういうと、ツブラオミは再び武器をとり、家に帰って戦った。しかし、多勢に無勢。ついに力尽きた。「マヨワの御子様、私はすっかり痛手を負い、矢もなくなってしまいました。もう戦うことはできません。いかがいたしましょうか?」。「それならばいたしかたない。ここまでよく尽くしてくれた。もう私を殺して欲しい」。「、ごめん!」。こうして、ツブラオミは刀で御子を刺し殺し、そのまま返す刀で自らの首を斬って死んでしまった。

 カルノヒツギの御子=軽太子。カルノオホイツラ女=軽大郎女。アナホの御子=穴穂御子。オホマヘヲマヘノスクネの大臣=大前小前宿禰の大臣。オホクサカの御子=大日下王。ワカクサカの御子=若日下王。オホハツセの御子=大長谷王。 ツブラオホミ=都夫良意富美。シロヒコの御子=白日子王。

【オホハツセの御子の逃亡譚】

 或る時、近江に住むカラブクロというものがオホハツセに進言し、オホハツセはいとこでもあるイチノベノオシハシの御子を伴って蚊屋野に出かけ、それぞれ別々に仮宮を作って宿泊した。翌朝、オシハシはいつもと変わらない気持ちで馬に乗ったままの状態で、オホハツセの仮宮にやってきた。翌朝、オシハシは、オホハツセのところへ伺うとまだ起きておらず、従者に早く狩場にお越しくださいと伝えてそのまま馬を進めた。オシハシの態度が大柄だったことに不快感を持ったオホハツセの家来たちは、オホハツセにオシハシの御子を警戒するよう進言した。あまりにも家来たちがオシハシのことを悪くいうので、ついオホハツセもそう思うようになり、衣服の下に鎧をつけて、弓矢を携えて馬に乗って出かけた。

 オシハシと馬を並べたオホハツセはおもむろに矢を抜き、オシハシを射殺した。オホハツセは、その場でオシハシの体を斬り、飼葉桶に入れて、地面と同じ高さに埋めてしまった。父がオホハツセに射殺されたことを聞いた、オシハシの子供たちは急ぎその場から逃げ出した。山城の苅羽井についたオケの御子、ヲケの御子は乾飯(ほしいい)を食べていた。すると、顔に入墨をした老人がやってきて、その乾飯を奪ってしまった。「乾飯は惜しくない。が、しかしお前は一体誰だ」。「わしは山代の豚飼いだ」。豚飼いごときに口惜しい思いをさせられたオケの御子であったが、逃げることを優先し、二皇子は播磨の国まで逃げ、その国の住民でシジムという者の家に入り、身分を隠して馬飼い、牛飼いとして使われることにった。

 カラブクロ=。オホハツセ=。イチノベノオシハシの御子=市辺之忍歯王。オケの御子=。ヲケの御子=。

【雄略天皇譚その1、ワカクサカベの御子との結婚】

 或る時、雄略天皇は日下にいた皇后ワカクサカベの御子に会いに行った。道中で、堅魚木(かつを)を屋根にのせて家を造っているのを見て問うた。志畿の大県主(おおあがたぬし)の家であった。家を天皇の宮殿に似せて造っているのに腹を立てた天皇は、「あ奴の家を燃やしてしまえ!」と命じた。天皇が大いに怒っていることを知ったオホアガタはすぐに天皇の前に恐れ慎んで深く頭を下げながら現れた。「私は卑しい奴ですので、不遜に気付かず誤って造ってしまいましたことは、誠に恐れ多いことでございます。お許しいただくためにも、この犬を献上いたします」。そういって立派な白い布をかけ、鈴をつけた犬を献上した。「そうか、ではお前の罪を許そう」。

 こうして、オホアガタを許した雄略天皇は、献上された犬をつれワカクサカベの御子のもとへ行き、鈴をつけた犬を結納の品として差し出した。この時、ワカクサカベの御子は、「天皇であるあなたが日に背を向けておいでになったでしょう。何だかとても不吉なことだと思いますの。私のほうから参上してお仕えしたほうがいいと思います。すぐに私から伺います」と述べ、こうして雄略天皇とワカクサカベの御子は結婚した。

【雄略天皇譚その2、80年の歳月】


 或る時、雄略天皇は三輪川に遊びに行った。川のほとりで衣服を洗っていた美しい少女が目にとまった。天皇は少女に「お前は誰の子か?」と問うた。「私はアカヰコと申します」。「お前は他の男のもとに嫁がないでおれ。今に宮中に召そう」。そういって天皇は朝倉宮に帰っていった。アカヰコは天皇の言葉を信じ、誰が求婚してもその嫁にはならなかった。それから80年の歳月が過ぎた。

 或る日、アカヰコ自らたくさんの品を持って参内した。雄略天皇は、名前に全く覚えがないまま会うことにした。何者か尋ねると、「私はあなたのお言葉をいただき、お召しをお待ち続けているうちに80年の月日が過ぎ去ってしまいました」。天皇は、突然の申し出に驚いた。アカヰコは語り続けた。「今は容姿もすっかり老いて、お召しに預かる望みも全くなくなってしまいました。それでも、これまで天皇のお言葉を守ってきた私の志だけでも、一言お伝えしたく参内した次第でございます」。天皇は、「そうであったか。私はすっかり以前言ったことを忘れておった。それなのに お前は操を守り、私の言葉を待って、女としての盛りをむなしく過ごしてしまったのは、誠に気の毒である」と述べた。アカヰコを気の毒に思った天皇はその場で結婚をしようと思ったが、アカヰコ自身がすでに年老いており、結婚ができないことを悲しみ歌を詠んだ。

 御諸の いつかしがもと かしがもと ゆゆしきかも かしはらをとめ
 (みもろの社の神聖な樫の木。その樫の木のように、神聖で近寄りがたいよ。三輪の橿原乙女は)
 引田の 若栗栖原 若くへに 率(ゐ)寝てましもの 老いにけるかも
 (引田の若い栗林。そのように若いときに、おまえと共寝すればよかったものを、今はすっかり年老いてしまったよ)

 この歌をきいたアカヰコは涙を流し、着ている赤い摺り染めの衣の袖をぬらしてしまった。そして、そんな愛情こもった天皇の歌に返して、歌った歌は、

 御諸に つくや玉垣 つき余し 誰にかも依らん 神の宮人
 (みもろの社につきめぐらす立派な垣。その「つく」という言葉ではないが、神にいつき仕え過ごして、今は誰に頼りましょうか、神の宮にお仕えする宮人は)
 日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨(とも)しきろかも
 (日下江の入江の蓮。美しく咲き誇っているその蓮の花。そのように若い盛りの人がうらやましいこと)

 そこで、天皇はその老女にたくさんの品物を賜って返してやった。

 ワカクサカベの御子=若日下部王。アカヰコ=赤猪子。


【雄略天皇譚その3、ヒトコトヌシ】

 或る時、雄略天皇は葛城山に登り、大きな猪と遭遇した。天皇は鳴鏑を猪に向け放った。矢を射られて怒った猪は唸り声を出し、天皇の方へ向かってきた。唸り声を聞いて恐ろしくなった天皇は木の上に逃げ登った。

 また或る時、天皇が葛城山に登ったとき、お供のたくさんの官人たちはみな、紅い紐をつけた青いすりぞめの衣服を着ていた。向かいの山の尾根伝いに天皇の行幸の列そっくりに歩む姿が見えた。「この大和の国で私以外に大君はいないはずなのに、一体誰が私と同じ様子で行くのか?」。このようにお供のものと話していると、同じような内容の言葉がその山からも聞こえてきた。「無礼な!」。こういうと天皇は矢を弓につがえ、大勢の官人もみな矢をつがえた。すると、向こうの人もみな弓に矢をつがえる。「それでは、そちらから名を名乗れ! そして、互いに名を名乗ってから矢を放とうではないか」。「分かった、そうしよう。私が先に問いかけられたのだから、私が先に答えよう。私は悪い事も一言、善い事も一言で言い放つ神、葛城のヒトコトヌシの大神である」。

 それを聞いた天皇は恐れかしこまってしまった。「それは恐れ多いことでございます、わが大神よ。現実のお方であろうとは気づきませんでした」。そういって天皇は、自分の太刀や弓矢をはじめとして、多くの官人の着ている衣服を脱がせて、拝礼し献上した。ヒトコトヌシはお礼の拍手をして、その献上品を受け取った。そして、天皇が皇居に帰る際には、ヒトコトヌシの一行は山の頂きに大勢集まって、泊瀬の山の入り口まで送った。


【清寧天皇崩御譚、後継者騒動】
 雄略天皇の子シラカが第22代清寧天皇として即位した。清寧天皇が崩御した時、皇后はおろか子供もいなかった。皇位継承者は先代の雄略天皇自ら刃にかけてしまっており、このままでは皇室の系統が絶えてしまう惧れがあった。こうして、イチノベノオシハワケノミコの妹オシヌミノイツラメに白羽の矢がたった。こうして、オシヌミノイツラメが葛城の角刺宮に住むようになった。その間も正当な皇位継承者を探し続けた。或る時、ヲダテが播磨国の長官に任ぜられ、その国の住人で名をシジムという者の新室完成の祝いに招かれた。宴もたけなわになったときに、貴賎長幼の順に従って舞を舞った。最後に、両親を亡くし、身寄りがなかったところを引き取って火焚きの役を命じられている若者が舞を命ぜられた。兄弟は譲り合ったが、兄から先に舞い、続いて弟が舞い始めた。その舞はとても舞を知らない者の舞ではなく、気品漂う優雅な舞だった。あまりにも美しい舞を踊ることに驚いたヲダテは兄弟に問いかけた。「そなたたちは一体何者だ」。「私たちは天下をお治めになったイザホワケノ天皇(履中天皇)の御子、イチノベノオシハの御子の子孫です」。

 この話を聞いたヲダテはあまりの驚きに床から転げ落ちてしまった。周りにいた者どもをみな下がらせて、二人の皇子を左右の膝の上にすえて泣き悲しんだ。「おいたわしや。皇族にお生まれになったのにこのようなみすぼらしいお姿で…。さぞかしご苦労なさったことでしょう。お会いできて本当によかった」。こうして正統皇位継承者を見出すことができたヲダテはすぐさま二人のために仮宮殿を作り、そこに二人を住まわせ、大和に早馬の使者を飛ばした。「イチノベノオシハの御子のご子孫が生きておいでになりました!」。この知らせを心から喜んだオシヌミノイツラメは、すぐさま二人を葛城の角刺宮に招いた。

 ヲケの命(顕宗天皇)が即位する前の出来事。天皇が后にしようと思った少女に、シビという家臣が横恋慕した。シビはその少女の手を取り、少女を自分の妻にしようとした。その光景を見たヲケノミコトは翌朝、弟のオケノミコトと相談した。「全く情けない話だ。朝廷に仕える人々は朝は朝廷に参内し、昼は家臣であるシビの家に集まっているという。これでは、どちらが王といえるのか?」。二人は軍勢を集め、シビの家を取り囲み、たちどころに殺してしまった。

【顕宗天皇譚】

 いよいよ皇位継承者を決める番になった。兄弟は又しても譲り合った。「まぁ、よく聞け。播磨のシジムの家に住んでいるとき、お前が名前を明らかにしなかったら今の我々はないと思う。これは全てお前の手柄だ。だから、私は兄ではあるが、お前が先に天下を治めるべきだ」。「…分かりました。兄さんがそこまで考えてくれているならば、私もこれ以上辞退は致しません。謹んでお受けいたします」。こうして、弟のヲケの命が先に天下を治めることになった。これが第23代顕宗天皇である。

 顕宗天皇が飛鳥宮で即位して8年がたった。その間、亡き父親、イチノベの御子の遺骸を探し続けていた。或る日、イチノベの御子の遺骸について知っているという老婆が現れた。近江国に住む卑しい老婆で、イチノベの御子の歯を持っていた。「父上は三枝のような八重歯だったと聞いている。確かにこの歯は父上のものだ」。「私はイチノベの御子様が殺された場所にたまたま居合わせました。そして、御遺骸を埋めた場所もよく存じております」。こうして、人を動員し、無事イチノベノミコの遺骸を発見し、蚊屋野の東の山に丁重に埋葬した。天皇は老婆を大層手厚くいつくしみ、毎日決まって会うようにした。或る時、老婆は天皇に帰郷のお願いをした。「そうか、いつまでもその恩に報いたかったものを」。

 無事、父親を埋葬することができた後、顕宗天皇はまだ怨みに思っていたことを晴らそうとした。「父上が亡くなった際に、私たち兄弟が命からがら逃げていた際に、食糧を奪った猪飼の老人がいた。すぐに探し出すのだ」。すぐにその老人は天皇の前に連れ出されてきた。「許さん。この男を飛鳥川の河原で殺してこい」。「そうだ、この男の一族も同罪だ。みな膝の筋を切ってしまえ!」。こうして、この一族の子孫が大和に上る日には決まってびっこを引くようになった。

 無事、父イチノベノオシハの御子の遺骸を埋葬した後も、顕宗天皇は父を殺した雄略天皇への恨みは消えず、どうやって報復してやろうか絶えず思案していた。そして、その墓をあばくことで辱めてやろうと思い立った。顕宗天皇は命令を下した。その命令を知った兄オケの御子は驚いて顕宗天皇のもとに駆けつけた。「申し上げます! 雄略天皇の墓を破壊するのに他人を遣わしてはなりません。私自ら行って天皇の思いのまま破壊して参ります」。こうして、オケの御子は自ら行き、陵の傍らを少し掘って皇居に戻った。オケの御子が復命にやってきた。聞くと、陵の土を少し掘っただけだと云う。顕宗天皇は怒気をはらんで問いただした。「父王の仇を討とうと思ったら、その陵墓をことごとく破壊するのは当然だろう! 少しだけ掘ったとはどういうことか!」。

 怒り心頭な顕宗天皇に対して、兄であるオケノミコは冷静に受け応えた。「父上の恨みをその霊に仕返ししようと思うのは誠に最もなことでございます。けれども、雄略天皇は父上の怨敵ですが、私たちの叔父であり、また、天下を治めた天皇です。ここで、今父の仇という理由だけで天下を治めた天皇の御陵を完全に破壊すれば、必ず後世の人から非難されるでしょう」。

 「そうではあるが、では、この恨みを晴らすことはできないのか…」。「いえ、違います。もちろん、父上の仇だけは討たなければなりません」。「だからか」。「そうです。だからこそ、陵のほとりを少し掘ったのです。このはずかしめで、後世に私たちの報復の志を示すのに十分でしょう」。兄にさとされ、すっかり冷静になった顕宗天皇はおだやかな顔でそういった。こうして、野蛮な復讐劇が繰り返されることはなくなった。

 顕宗天皇が亡くなった後、兄のオケの御子が即位し、第24代仁賢天皇になった。仁賢天皇後は子の武烈天皇が即位し、武烈天皇は後継者もなく亡くなった。近江から継体天皇を招き、安閑天皇、宣下天皇、欽明天皇、敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇と続いた。以上で、古事記の記述は終わる。

 シジム=。




(私論.私見)