| 1 | 出雲王朝と出雲銅鐸 |

| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここでは、古田氏の東日流外三郡誌論を確認する。 2009.11.29日 れんだいこ拝 |
以上の情報に接し、わたしに〃酔っばらった〃ような、昂ぶりが体内からつきあげてきたこと、御理解いただけよう。やはり、論理は、わたしをあざむかなかったのだ。 この「発見」は、日本の学界に対して、画期的な意義をもつ。 第一に、「縄文は、沿岸漁業に限る。彼等に遠出は不可能」そのように主張してきた、考古学の旧常識、それは打ち破られた。 第二に、「現在に伝わっている伝承は、せいぜい室町以降。ほとんど江戸時代以降である」といった、「伝承」に関する民俗学の常識は打ち破られた。 第三に、日本列島の歴史を「大和中心」でまとめることは不可能だ。まして「天皇家中心」など、とても、とても。あるいは「出雲中心」あるいは「東北、中心」の歴史観、すなわち、わたしのいう多元史観が、やはり不可欠だった。 第四に、何といっても、「シュリーマンの原則」は、ここでも貫徹していた。神話・伝承の記録と考古学的出土物との一致、この肝心の一事がここでも、立証された。 まして、ずっとあとの弥生時代、その同時代史料たる倭人伝と、日本列島の出土物分布と、この二つが一致せぬはずはない。 そして第五。どんなに、従来の常識から見て、突拍子がなかろうとも、論理に従いきる。それが学問の生き死にする、要(かなめ)の場所である、ということ。 5 参考文献 参考文献一覧トップへ戻る 上の資料に加えて下記の報告などを参照して頂ければ幸いです。
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