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1)はじめに
「能」の出し物の一つに「三輪」というのがある。筆者は謡曲を20年来習っているが未だこの曲は習ってない。三輪大明神がシテとして登場する一寸変わった曲目である。舞台は、三輪神社即ち大神(おおみわ)神社である。
さて、奈良県桜井市三輪に大神(おおみわ)神社(正式名:大神大物主神社)という日本で最古の神社の一つとされている神社がある。ご神体は標高467mの「三輪山」そのものであり、拝殿(現存しているのは1667年造営・重要文化財指定)はあるが、本殿のない神社として有名な神社である。たたずまいは、拝殿ー三輪鳥居(三ツ鳥居として非常に珍しい鳥居形式)ー禁足地ー三輪山となっている。頂上には高宮(こうのみや)という古社と奥津磐座・中津磐座・辺津磐座という磐座郡がある。
この神社がいつ頃出来たのかは、未だよく分からない。一般に神を祀る神殿は、5世紀頃からともいわれている。しかし、それよりも古い弥生時代からあったのではとの説も最近出されている。記紀で三輪山の話が初登場するのは、崇神天皇の時代としてである(4世紀初頭)。祭神は大物主神である。この神の累孫又は子供とされる(記紀で異なる)「大田田根子」なる人物が、この三輪山の大物主神を祀ることになった。とされている。以後この神社の祭祀者はこの子孫が司った。これが後に三輪君(大神君)と称することになるとされている。大三輪氏、大神氏とも記される、古代豪族の一つである。
記紀で若干異なるが大物主神は出雲神話で有名な大国主命(別名:大己貴神:オオナムチ神)と同一神とする説が現在の主流とされている。出雲風土記には登場しない神である。大国主は素戔嗚尊の子供または累孫とされており(記紀で異なる)、その大国主と同体の大和三輪山の神大物主の子供又は累孫とされる大田田根子は、古来「出雲神族」*の嫡孫だとされてきた。古来から多くの天神系の神裔とは区別され地祇系神別氏族の総元締め的存在であったとされている。
記紀には多くの神々が登場するが、その神々には神譜が詳しく記されてある。その中で「素戔嗚尊」にその源を発する神様の集団を「出雲神族」と言って特別な扱いがされている。この中には出雲大社の主神である「大国主命」、諏訪神社の主神である「建御名方神」、松尾大社などの主神「大年神」、稲荷神社の主神「宇迦御魂神」、宗像神社の主神「多岐理姫ら3女神」など日本の古い神社の多くは、この出雲神族に属する神々を祀ってきた。面白いのは、最も有名な出雲大社の大国主を祀っている神官の氏族は「出雲臣族」と称され、出雲神族とは区別されている天津系の「天穂日命(天照大神の子供)」を元祖とする神別氏族とされている。現在もその末裔が「千家」と称して続いている。この件は歴史的経過でそうなったようだがここでは詳細には述べないでおく。
天神系からの古代豪族は物部氏を初め非常に多く存在するが、地祇系からの古代豪族といわれる集団は非常に稀である。三輪氏がその筆頭であるが、それ以外では三輪氏と同族である賀茂朝臣氏、それ以外は、地方豪族である諏訪氏、宗像氏、など僅かしかいない。紀国造家が地祇系の豪族として,古代では明らかに天神系と地祇系とは区別され、少なくとも中央では三輪氏・賀茂氏以外、記紀に登場し活躍した有名な地祇系氏族はいないのではなかろうか。
記紀に記された出雲神話の数々(八岐大蛇・稲葉の白兎・大国主の国譲り神話などなど高原神話とは異なる系統の神話)、出雲風土記に記された記紀には現れない神々の姿などから、我々は出雲の地で一体何があったのか興味がある。しかし,これらは立証不可能な謎だらけの神話の世界・言い伝えの世界である。古来「出雲」については、多くの研究者が神話・記紀・風土記・発掘調査結果などから多くの説を主張されている。筆者の理解した範囲では、出雲は記紀神話では色々語られているが、それはあくまで神話であって、史実としては、重要な存在・役目を果たした土地ではない。新羅系の臭いの強い土地柄である。というのが主流だったように思える。
考古学的価値のある発見がされてなかったのが最大の理由?
ところが1984年(昭和59年)に島根県簸川郡斐川町の神庭荒神谷遺跡の発掘により、弥生中期の銅剣が358本も発見され、さらに、1996年に島根県大原郡加茂町大字岩倉字南ケ廻の加茂岩倉遺跡の発掘により、39個もの銅鐸が発見された。関係する古代史研究家はじめ多くの古代史ファンに衝撃を与えた。一箇所としては、過去最大の銅剣の埋蔵量であり、当時としては国規模の勢力を有する弥生人を率いた首長の間違いない存在を意味する。銅鐸の発見もそれをさらに裏付けるものであった。当時これ以上の勢力を有していた首長の存在は、日本列島に存在したのであろうか。これにより、またまた出雲地方が脚光を帯びてきた。出雲神話の見直し、出雲国の存在、大和王権誕生の真相、三輪王朝との関係、吉備国との関係などなど、百花争論の状態になっている。
一方昔から、倭国の三輪山に何故大昔から出雲の神が天皇家にとっても非常に重要な存在として祀られているのか、多くの疑問があり、これに対しても多くの説が出されている。国譲り神話・出雲系氏族の倭地方への進出・神武天皇皇后の出自(出雲系の血脈)・欠史八代の謎・物部氏との関係・紀国との関係・銅鐸文化圏問題・邪馬台国問題・倭国誕生問題などと、「出雲」は、古代史の謎解きゲームの重要なキーワードになっている。これに本稿である出雲系氏族とされる「三輪氏」が絡んでいるのである。大田田根子と三輪君とは本当に繋がっているのかも疑問視されているのである。
よって、実在がほぼ間違いがないとされている欽明朝から推古朝で活躍記事がある「三輪君逆」らの人物との間をどう考えるのか、古来多くの学者・神社関係者らの議論・研究がされてきた。これだけで本が何冊も書ける程、難解な謎解きらしい。本当のことは、未だ闇の中であるが、大和の大神神社の存在は、厳然たる事実である。それらの総ての原点らしい。大和国家の誕生にも直結しているらしい。今後は文献史学だけでは限界にきているので、発掘考古学の力を借りなければならないことは間違いない。これと記紀など文献に記された神話を含めた照合が重要である。伊勢神宮問題、邪馬台国、にもからんで百花争論的な問題であるが、筆者の独断と偏見によって解説・論考を試みたい。
*太田亮著「姓氏家系大辞典」:「出雲神族」とは、出雲を中心として、本州の西半、四国九州の北部にわたり、勢力を奮いたる強族にして、記紀の神話の伝ふるところにによれば、伊弉諾尊、素戔嗚尊より大国主命に至り、全盛を極めしが、天孫降臨せらるるに及び、所謂譲国して大和に移り、三輪山を中心とする三輪氏族となれりと。と記されている。
2)三輪氏関連人物列伝
三輪氏は、出雲神族を出自としているのである。大国主命までは古事記に準じた列伝とする(古事記表示)。それ以降は日本書紀及び旧事本紀に準じた記述とする。これが正しいというわけではない。記紀及び旧事本紀で大田田根子までの系譜が異なるので、参考までに一番長い系譜をもとに人物列伝を記すことにした。大田田根子以降は、どの系図も大差ないので直系(大神高麿流を嫡流とした)中心の列伝とする。
2−1)須佐之男命
@父;伊邪那岐(イザナギ) 母;(紀では、伊邪那美イザナミ) A子供;多紀理毘売、市寸島比売、多岐都比売***須勢理毘売、八嶋士奴美神
宇迦之御魂神、大年神など
妃;櫛名田比売(足名椎神女)神大市比売(大山津見神女)など
B日本書紀名;素戔嗚尊
C八俣の大蛇退治で知られる高天原から追放された荒ぶる神。
D伊邪那岐の「三貴子」の3番目の子。「海原を治めよ」と命じられる。
天照大神は姉として扱われている。しかし、国を治めず啼きわめき、万物は災いに見まわれた。イザナギは怒って「この国に住んではならない」とスサノオを追放した。おもむく前に姉の「天照大御神」に会いたくて天に上る。ここで「宇気比(誓約)」をする。スサノオは、これに勝ったおごりから天照大神の田、神殿など荒らし回った。ついに天照大御神は、天岩屋の戸を閉じて中に籠もった。(天岩戸神話)その後日本書紀では、神々に追いやられたスサノオが、青草の笠ミノをかけ、神々に宿を請うが、汚らわしいと断られ、風雨のなか留まり休むことも出来ず辛苦を受けた。E次ぎに記紀共に舞台は出雲国に移り、一転して勇敢で人助けをする善神として活躍。八俣の大蛇退治神話、草薙の剣、須賀に宮を定め「櫛名田比売」と結婚。
大国主神話;数々の話。
F備後国風土記;蘇民将来伝承、牛頭天王、八坂神社
G島根県 須佐神社、八重垣神社。出雲熊野坐神社。
H天津神と国津神の間に位置し、高天原出身ではあるが、八百万の国津神の源点的存在
として扱われ、それら国津神の系譜が総て須佐之男に始まるとされている。
勿論素戔嗚尊に関係ない国津神も多々いる。例えば大綿津見神、大山津見神など。
ーーー出雲神話の源ーーー
参考
熊野大社(島根県松江市八雲町熊野2451)
・出雲国一宮
・旧国幣大社
・出雲風土記記事
出雲には大神が4名,大社が2社ある。筆頭大社は熊野大社。次ぎが杵築大社(出雲大社)
である。
・祭神:伊邪那伎真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
これは現在では、「素戔嗚尊」であるされている。(熊野大社公式見解である)
***多紀理毘売、市寸島比売、多岐都比売
@父;スサノオ 母;なし
A子供;不明
B日本書紀名;田心姫、湍津姫、市杵島姫。 タギツ姫以外は、記紀では混乱あり。
C海上交通を守護する宗像大社の3女神。
Dスサノオと天照大御神との誓約の時生まれた神。
E「多紀理毘売」は、後に大国主命に娶られ「阿遅鋤高目子根神」を生んだ。
F宗像大社;沖の島(田心姫)、大島(湍津姫)、玄海町(市杵島姫)
G玄界灘海上交通を守護する神。
H天武天皇妃、高市皇子の母「胸形君善徳娘、尼子娘」
I厳島神社の祭神 イツキシマ姫
(参考)
・大綿津見神(おおわたつみ)
@父;イザナギ 母;イザナミ
A子供;豊玉毘売(日子穂穂手見命妃)、玉依毘売(鵜葺草葺不合命妃)
妃;不明
B日本書紀名;全く登場しない。 綿津見神、海神、少童、に対応?
底、中、上津綿津見神とは別。
C人の貧富を左右する力を持つ水の支配者。
D海神、イザナギ、イザナミの8番目の子。事跡記述なし。
E山幸彦、海幸彦神話。山幸彦を助け海幸彦を服従させる。
(参考)
・豊玉毘売
@父;海神(豊玉彦命)大綿津見神 母;不明
A子供;鵜葺草葺不合命 夫;日子穂穂手見命(山幸彦)
B日本書紀名;豊玉姫命
C夫の山幸彦にワニとなった姿を見られた海神の娘。
D海幸彦、山幸彦神話;綿津見国で山幸彦と結婚。命が帰還後、姫は後を追って妊娠を告げ、 産屋をつくる。それに入るにあたり姫は、決して中を見てはいけないと命にいっ た。 我慢が出来なくなった命が中を覗いた。姫は八尋のサメと化していた。 正体を見られたことに驚き恥じて、綿津見に帰国。 その子供「鵜葺草葺不合命」の子育てを妹「玉 依毘売」に託した。ーーーこの種説話多し。
E鹿児島県知覧町 豊玉神社。
・玉依毘売
@父;大綿津見神 母;不明
A子供;彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神日本磐余彦(神武天皇)
夫;鵜葺草葺不合命
B日本書紀名;玉依姫
C神武天皇の母となった綿津見神の娘。
D玉依毘売の名称を有する祭神伝承多し。
「賀茂神社縁起」 父;賀茂建角身命 母;伊可古夜日女 子供;玉依毘売
その子供;賀茂別雷命
「古事記」崇神紀 三輪大物主神妃「活玉依毘売」伝説。
「千葉玉前神社」祭神 玉崎神「玉依毘売命」
など
「玉依毘売」というのは、特定の神をさす固有名詞ではなく、普遍的な意味をもつ
名称である。「玉」は神霊、「依」は寄りつくことを意味する。即ち「巫女」を表す
語である。
E千葉県一宮 玉前神社、京都 下鴨神社、指宿市 開聞神社。
・大山津見神(おおやまづみ)
@父;イザナギ 母;イザナミ
A子供;足名椎、手名椎(櫛名田比売親)、神大市比売(須佐之男妃)
木花之佐久夜毘売(ニニギ命妃)、石長比売など
妃;不明
B日本書紀名;大山祗神
C山岳修験でも篤く信仰される山をつかさどる神。
D愛媛県越智郡大三島町 大山祗神社 鉱山守護
伊勢原市大山 大山阿夫利神社 山岳修験
富士山本宮 浅間大社、浅間神社、湯殿山神社
三島市 三嶋大社。
(参考)
・木花之佐久夜毘売(このはなやさくや)
@父;大山津見神 母;不明
A子供;火照命(海幸彦)、火須勢理命、日子穂穂出見命(山幸彦)
夫;邇邇芸命
B日本書紀名;鹿葦津姫、吾田鹿葦姫。 古事記;神阿多都比売
C天孫に嫁いだ富士山の女神。
D元々、鹿児島県加世田市付近 「吾田」の地方神であったらしい。
E日向の高千穂の峰に天降ったニニギ命が、吾田の笠沙の岬で一人の美人に出合った。
大山津見神の娘であった。即結婚を申し入れた。神は大いに喜び姉の「石長比売」も副えてニニギ命に送り出した。姉は大変醜かったので命はこれを送り返した。
天津神の御子の生命が石の如く永遠に変わらず、桜の花のように栄えることがその意味に込められていたが、命が石長姫を送り返したことにより、命の生命が桜のようにはかないことなってしまったという話。
F火中出産神話;省略。
G富士山本宮浅間大社、浅間神社。
・足名椎神、手名椎神
@父;大山津見神 母;不明
A子供;櫛名田比売
B日本書紀名;稲田宮主簀狭(スサ)之八個耳、脚摩手摩
別名;脚摩乳、手摩乳
C八俣大蛇退治を機に須佐之男と結婚した櫛名田比売の両親
D八俣大蛇退治神話;須佐之男に問われての名のり。「僕は国津神、大山津見神の子ぞ。
名は、足名椎、妻の名は、手名椎、女の名は、櫛名田比売という」
大蛇を退治後、須佐之男は、娘と結婚。須賀の宮に住む。足名椎を呼んで「汝我が宮
の首任れ」と命じ稲田宮主須賀之八耳と名ずけた。
現在の島根県簸川郡佐田町宮内「須佐神社」である。現当主須佐氏78代目
・櫛名田比売命
@父;足名椎神 母;手名椎神
A子供;八島土奴美神 紀では、大国主命
夫;須佐之男命
B日本書紀名;奇稲田姫
C須佐之男と結婚した稲田の女神。
D八俣大蛇神話。草薙剣神話。;須佐之男と結婚し、須賀に宮殿を造った。
「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を」
和歌の始祖とされる所以である。
E日本書紀では、スサノオと奇稲田姫との子「大己貴神(大国主)」が誕生したと記し
その後スサノオは、根の国へ行ったと伝える。(記紀で非常に異なる)
F島根県 須佐神社、須賀神社、八重垣神社。広島県新市町戸手 スサノオ神社
八坂神社。
・大屋毘古命
@父;スサノオ 母;不明
A子供;不明 (豊都彦)
妃;不明
B日本書紀名;五十猛命
C国中に植林し日本列島を青山となした樹木の神
D新羅国に降臨したが日本に渡り植林をし国中を青山となした。
E紀伊国の大神、妹神「大屋津媛」「柧津媛
」との共同行動。
「伊太祁曽神社」3兄弟を祀る。
F紀伊海人が、韓土にも行っておりこの神の往来神話となった。
G大国主命を助けている。八十神と大国主の争いで大国主の窮地を救った話し。
Hこの流から宇佐神宮「辛島氏」が出たとされる。建内宿禰の母「山下影姫」も出たとの
系図もある。
・大年神(おおとし)
@父;スサノオ 母;神大市比売(大山津見神女)
A子供;大山咋神、羽山戸神、大土神など
妃;天知迦流美豆比売(天上の水の神)
B日本書紀名;不明
C穀物をつかさどり大国主神の国土経営を助けた神。
D大国主神は、はじめ「少名毘古那」の助けを得て国内を治めていたが、少名毘古那が、常世国に渡ってしまったため、「私一人でこの国を治めることは、大変なので誰か私と共にこの国を治めてくれる神はいないだろうか」と提案。大年神が「私は御諸山(三輪山)に坐す大年神であるがこれからは倭の青垣、東の山上に祀るように」と応じた。
間もなく大年神は神活須毘神の娘「伊怒比売神」を娶り「大国御魂神」ら5柱を生み、「香用比売」と2柱、「天知迦流美豆比売」との間に「大山咋」ら9柱を生んだ。 この流れから多くの出雲神が生じた。
・大山咋神(おおやまくい)
@父;大年神 母;天知迦流美豆比売
A子供;不明 兄弟;羽山戸神(妻;大気都比売;多数の神を生む)
B日本書紀名;不明 別名;山末之大主神
C日吉、松尾神社に祀られる山の神(鳴鏑の矢を持つ神)
D松尾大社;大山咋、市杵島姫神 2柱祭神。701年創建。「秦忌寸都里」貢献。
E賀茂別雷神の父説あり。鳴鏑矢伝説。
上賀茂;賀茂別雷神、下鴨;賀茂御祖 玉依姫、建角身命 祭神、これらの親神が
大山咋であるとの説あり。
F日吉大社(創建、崇神7年、3,800社)松尾大社(1200社)
・宇迦之御魂神(うかのみたま)
@父;スサノオ 母;神大市比売
A子供;不明
B日本書紀名;倉稲魂命
C稲荷神社に祀られる須佐之男命の子の穀物社。
D伏見稲荷大社、笠間稲荷神社。
2−2)八嶋士奴美神(やしまじぬみ)
@父;スサノオ 母;櫛名田比売(足名椎神女)
2−3)布波能母遅久奴須奴神
@父;八嶋士神 母;木花知流比売(大山津見神女)
2−4)深淵之水夜礼花神
@父;布波神 母;日河比売(淤迦美神女)
2−5)淤美豆奴神
@父;深淵神 母;天之都度閉知泥神
2−6)天之冬衣神 (あめのふゆきぬ)
@父;淤美豆奴神 母;布帝耳神(布怒豆奴神女)
2−7)大国主神
@父;天之冬衣神(記)素戔嗚尊(紀:旧事紀)
母;刺国若比売(刺国大神女)(記)櫛名田比売(紀) 諸説あり。
A子供;事代主命、建御名方神、他多数。
妃;須勢理毘売(后;須佐之男女)
稲羽之八上比売ーーー木俣神
沼河比売(越の国の女)ーーー建御名方神(先代旧事本紀)
多紀理毘売(須佐之男女)ーーー下光比売、阿遅鍬高日子神
神屋楯比売ーーー事代主神
鳥取神(八嶋牟遅神女)ーーー鳥鳴海神
B日本書紀名;大国主神 別名;大物主神、(国作)大己貴命、葦原醜男、八千戈神
大国玉神、顕国玉神、大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神、 宇都志国玉神、大汝神、大倭神、大神神、ーーー>大黒天
C出雲に鎮まる国作り神話の主人公。
D古事記では、須佐之男の6世孫。日本書紀では、本書に大国主神の名はみえない。
大己貴神と記されている。
一書 清之湯山主三名狭漏彦八嶋野の5世孫とある。
E大和坐国魂大神社(大和神社)の祭神。大和大三輪神社の祭神。
Fイ、稲羽素兎神話、ロ、根の国神話、ハ、八千矛神神話、ニ、国作り神話
ホ、国譲り神話、など出雲神話の主人公。
イ)−−ハ)は古事記のみ。
G出雲大社(杵築大社):島根県出雲市大社町杵築東
祭神:大国主命
(参考)
・大物主神
@父:不明(記)素戔嗚尊?(紀) 母:不明(記)不明(紀)
A記紀での記事
古事記
1)(神代)大国主が国作りする時、初めは少名毘古那神と一緒になって進めたが、後に少名毘古那神は、常世国に渡った。 そこで大国主は、愁いて「私一人でどのようにしてこの国を作ることができるのか。 どの神と私とでこの国を共に作るのか」と告げると、海を照らして寄ってくる神がいた。 その神は「丁重に私の御魂を治めるならば、私が共に作りあげよう。 もしそうでないなら国を作り上げることは難しいだろう」といった。 大国主は「それならば、どのようにして祀り奉ればよろしいでしょうか」というと、「私を倭の青垣の東の山上に祀れ」と答えた。これが御諸山の上に鎮座している神である。
2)(神武天皇代)神武天皇が倭に入り新たに皇后を娶る記事
三島溝杭の娘の「勢夜陀多々良比売は、その容姿が美しくそのため美和の大物主神が見て気に入ってその美人が大便をするときに,丹塗矢に化けてその大便をする厠の溝から流れ下って,その美人の陰部を突いた。そこでその美人は驚いて立ち、走って慌てふためいた。 その矢を持ってきて床のそばに置くとたちまちに立派な男に変わり、すぐにその美人を妻として生んだ子が、名をホトタタラ伊須気余里比売といい,またの名をヒメタタライスキヨリヒメといいます。こういう訳でこの娘は神の御子というのです。」 この娘との間に生まれた子供が2代綏靖天皇である。
3)(崇神天皇代)
この天皇の御代に疫病などで人民が多く死んだ。天皇の夢に大物主が現れ「これは我が御心である。意富多々泥古に我が御魂を祀らせたならば、神の祟りも起こらず、国も安らかに治まるであろう」といった。 そこで色々手を尽くして意富多々泥古を探したところ河内の美努村にその人を見つけ、差し出した。そこで天皇が「お前は誰の子か」と尋ねた.。 「僕は大物主大神が、スエツミミの娘イクタマヨリビメを妻として生んだ子の、名はクシミカタの子イヒカタスミの子タケミカズチの子僕はオオタタネコです」と答えた。
そこで天皇は大いに喜び「天下は治まり、人民は栄えるだろう」といって、すぐにオオタタネコを神主として御諸山にオオミワ大神の魂を祀らせた。 これにより疫病はことごとく止み国家は安らかに治まった。
大物主と陶津耳の娘活玉依毘売の神婚譚の記事もある。
日本書紀
1)大己貴が少彦名を失って一人になってしまった。 誰か私の国作りを手伝ってくれる者がいるだろうかと嘆いていたとき、神光海を照らして忽然と浮かんできたものがあった。
「もし私がいなかったら国造りはできまい。私がいたからこそ国造りができたのだ」と。
大己貴「あなたはどなたですか」と訊ねた。神は「われは汝の幸魂奇魂なり」と。
大己貴「今どこに住みたいですか」と。神「われ日本国の三諸山に住みたいと思う」と。
そこで言葉通りに宮をたてて住んでいただいたが、これが大三輪の神であり、その神の子は甘茂君、大三輪君である。
2)大国主神亦の名は大物主神亦は国作大己貴命ーーーと申す。
3)崇神天皇段
飢饉、疫病などで反乱さえおこりかねない状態になった。
倭迹迹日百襲姫に神懸かりして、「天皇よ心配はいらない。もしよく我を敬い祀ればすぐにも平和になりましょう。」天皇「こんなに教えてくださるのはどんな神か」「我は倭国にいる神、名を大物主神という」そこで天皇は言われた通りに祀ったが効果がなかった。
天皇「まだ祭り方が悪いのか夢で教えて下さい」その夜天皇の夢に「私は大物主神だ。もし吾が子、大田田根子を捜して吾を祀らせたら国はすぐに平和になり、外国も帰順してくるだろう」と。 大田田根子を茅渟縣陶邑で見つけた。 「お前は誰の子か」答えて「父を大物主神といい、母を活玉依姫といいます。陶津耳の女なり」と。 またいう「奇日方天日方武茅渟祇の女なり」と。 天皇大いに喜び大田田根子を大物主大神を主とした。これにより疫病も止み賑わいを取り戻した。
倭迹迹日百襲姫と大物主の神婚譚の記事もある。
先代旧事本紀
1)事代主から大田田根子までの詳細(夫婦)系図が記されてある。)
2)神武紀
大物主神が三島溝杭の娘、「勢夜陀多良比売」と丹塗矢の神婚譚で生まれた「多々良伊須気余里売」が三輪山の麓狭井川で遊んでいるのを神武天皇が見初めてこれを正妃にした。
3)大己貴神、大国主、大物主は同一神としている。日本書紀と同じ。
・少名毘古那神(すくなびこな)
@父;神産巣日神(紀では、高皇産霊尊)母;不明
A子供;不明
B日本書紀名;彦名少命 別名;須久奈比古命
C大国主神とともに国土経営に尽力。
D父の手の俣より落ちこぼれた子(それ程小さな神)
E大国主と兄弟の契りを結んで国土経営に尽くし、その後常世国に渡った。
F温泉神、酒の神
H桜井市 大神神社。
2−8)事代主神(ことしろぬし)
@父;大国主神 母;神屋楯比売命
A子供;五十鈴媛(神武天皇后:紀) 五十鈴依媛(綏靖天皇后:紀)
妃;三島溝杭女玉櫛媛(紀)、天津羽羽命?
三島溝杭女活玉依姫(旧事)
B日本書紀名;事代主神 別名;八重言(事)代主神
C託宣をつかさどる大国主神の御子神。
D国譲り神話;大国主神が、伊那佐、小浜で天神より服従を迫られた時「僕は之白さじ。
我が子八重言代主神、これ白すべし」と答えた。この時事代主神は、「御大の前」で鳥
と遊び、魚捕りをしていたが、「恐し、この国は天津神の御子に立て奉らむ」と父に語り、その乗ってきた船を踏み傾けて,天の逆手を打って青葉の柴垣に変えて隠れてしまった。 (美保神社、青柴垣神事)
E日本書紀;事代主神は、八尋熊鰐になって三嶋の溝織(クイ)媛(玉櫛媛)に通い、タタラ五十鈴媛命を生んだとある。綏靖、安寧天皇妃も子供、孫である。
(古事記には、この記事なし)
古事記では、大和での事績のほとんど記されてない人物。日本書紀では非常に重要な人物。
先代旧事本紀では、大己貴神の子供であり、日本書記と同様な系譜とさらに大田田根子に続く詳しい系譜が記されてある。
F神功皇后紀にも「事代主神を祀れ」とある。
G大嘗祭8坐の一柱。
H天武紀「高市県主許梅」の神懸かり「吾は、高市社に居る名は事代主神なり。−−−」
の記事。天皇の守り神的性格として登場。
I出雲国と結びついて語られるが、その出自が出雲国にあるか疑問。「出雲風土記」
にはその名なし。
参考
・高市御県座鴨事代神社(奈良県橿原市雲梯町689)
式内社、旧村社 現在名:河俣神社
祭神:鴨八重事代主神
・鴨都波八重事代主神神社(奈良県御所市御所513)
旧県社、式内社
祭神:積羽八重事代主神
別名:下鴨社 三輪神社別宮
創祀:崇神朝に鴨積が葛木の地に奉祀
・高鴨神社(御所市鴨神1110)
旧名:高鴨阿治須岐詫彦根命神社 大神神社・大和国魂神社と同じ従二位の神階
明神大社、旧県社、式内社
祭神:味治須岐高彦根命
別名:高鴨社 自称全国鴨神社の総社
・葛木御歳神社(御所市東持田御歳山)
祭神:御歳神、高照姫(事代主神同母妹)
別名:中鴨社
・長柄神社(御所市名柄字宮271)
旧村社、式内社
祭神:下照姫(あかる姫)(味治須岐高彦根命の同母妹)
・建御名方神(たけみなかた)
@父;大国主神 母;不明 「先代旧事本紀」では母;高志沼河姫
A子供;不明
妃;八坂刀売神(綿津見神女?)
B日本書紀名;不明
C諏訪大社に祀られる軍神。
D国譲り神話;建御雷之男の国譲り要求に力自慢のこの神だけは、承服せず、力競べ
を挑んだが敗れ、信濃諏訪湖に追いつめられついに降伏。諏訪に留まって他所には
決して出ないことを誓い服従した。とされる。
E諏訪大社。上社(男神)下社(女神)が祀られた。
2−9)天日方奇方命
@父:事代主神(旧事紀) 母:三島溝杭女活玉依姫
A兄弟:蹈鞴五十鈴姫(1神武天皇后)五十鈴依姫(2綏靖天皇后)
B別名:阿田都久志尼命、鴨王、鴨主命、武日方、櫛御方、
(阿田津奇根、天立櫛根)
別名が異常に多い人物であるが事績は殆ど分からない。記紀には記事なし。
旧事本紀のみに出てくる。
C子供:渟名底姫(3安寧天皇后:4懿徳天皇母)
D旧事紀:1神武朝 食国政申大夫
2−10)健飯勝
@父:天日方奇方命 母:日向賀牟度美良姫
A別名:飯方巣見 兄弟:渟名底姫(3安寧天皇后:4懿徳天皇母)
2−11)健甕尻(槌)
@父:健飯勝 母:出雲臣女沙麻奈姫
A別名:建瓶尻
2−12)豊御気主(健甕依)
@父:健甕尻 母:伊勢幡主女賀具呂姫
2−13)大御気主
@父:豊御気主 母:紀伊名草姫
2−14)健飯賀田須
@父:大御気主 母:大倭国 民磯姫
A兄弟:阿田賀田須(和邇君等祖)この流から宗像氏が発生
胸形徳善娘尼子娘は40天武天皇の妃となり高市皇子を産んだ。
2−15)大田田根子
@父:健飯賀田須(旧事紀)建甕槌(記)大物主神(紀) 母:鴨部美良姫(旧事紀))
A 旧事紀では、母は、鴨部の出身となっている。 これは葛城鴨氏で恐らく非常に古い時代からの鴨族の流れを引くものではないかと想像されている。 すなわち事代主神を祀った鴨族の出身?
これにより大田田根子が古い葛城の賀茂族の名跡をも継いだと考えられる。 これが賀茂君、三輪君の祖といわれる理由であろう。
B記紀、事紀、記事:崇神朝
上記参考大物主神の項参照
古事記:大物主の4世孫「意富多々泥古」と表記され河内国美努邑出身。
日本書紀:大物主と陶津耳娘活玉依姫の子として「大田田根子」と表記され
茅渟県陶邑出身。
記紀ともに賀茂君、三輪君祖となっている。
先代旧事本紀:大国主の子、事代主神の6世孫「大田田根子」表示。
C大神神社の神主となり、大物主神を祀った。
D秀真伝(ホツマ伝)の選者と伝えられている。???
2−16)大御気持(大部主)
@父:大田田根子 母:出雲神門臣女美気姫(旧事紀))
2−17)大友主
@父:大御気持 母:出雲鞍山祇姫 大伴武日女説もある
A兄弟:大鴨積(11崇神朝 賀茂君賜姓、賀茂氏、賀茂部氏祖)、田田彦
B紀記事:垂仁天皇3年
「天日槍」が播磨に到来したとき、長尾市(倭直祖)とともに播磨へ派遣された。
「汝は何の国の人ぞ」と問うたとある。即ちこの頃大王の側近であったらしい。
C旧事紀:11崇神朝大神君賜姓。三輪氏祖
2−18)志多留
@父:大友主 母:中臣連女?
2−19)三輪石床
2−20)身狭
@父:三輪石床 母:不明
A兄弟:五百島
子供:特牛、大神比義、布須
B紀、雄略天皇記事
「市辺押磐皇子」の同母弟である「御馬皇子」と親しかった。 御馬皇子が身狭のもとへおもむく途中、三輪の磐井のほとりで雄略大王の軍に逮捕された話。
履中天皇の皇子と親交があったこと、身狭の居住地が三輪にあったことが分かる。
2−21)特牛
@父:身狭 母:不明
A子供:逆、忍人
・三輪君大口
@父:磐弓(忍人の子)
A646年東国八道の国司担当次官に任命される。
・三輪君子首
@父:大口 母:不明
A壬申の乱で高市麿とともに天武側として参戦活躍。
・大神比義(オオガ))
@父:身狭? 母:不明
A宇佐八幡宮祠官家大神氏祖
B詳細は略す。本当に大神氏の出自かどうかは不明とされている。
2−22)逆(・−586)
@父:特牛 母:不明
A兄弟:忍人
子供:小鷦鷯、弟隈
B紀、敏達天皇14年記事
・物部守屋らと「仏法を滅さむ」と謀って寺塔を焼き仏像を破棄した記事。排仏派
・敏達天皇の殯宮に乱入しようとした「穴穂部皇子」を隼人に命じて阻止。
・炊屋姫(推古天皇)を姦んとする「穴穂部皇子」を防いだ記事。
・586年「穴穂部皇子」が「逆」を殺そうとしたので逆は三諸岳(三輪山)に隠れたりしたが、同族の者の密告にあい殺された。
・三輪君と大王家とは、非常に密な関係があった。
・三輪色夫
@父:弟隈 母:不明
A645年中央僧侶の法頭(財政の監督)に任命される。
B649年遣新羅使
・三輪根麿
@父:色夫 母:不明
A663年征新羅軍中将軍
2−23)小鷦鷯
@父:逆 母:不明
A舒明朝記事:采女を犯したとして自殺。
2−24)文屋
@父:小鷦鷯 母:不明
A子供:利金
B紀、皇極天皇記事
・「山背大兄皇子」が蘇我入鹿によって襲撃され生駒山に逃げた時、大兄皇子に「深草屯倉におもむき、ここから馬に乗って東国にいたり」と再起を進言
2−25)利金
2−26)大神高市麿(-706)
@父:利金 母:不明
A兄弟:大神安麿、狛麿
子供:忍人
B紀記事
・壬申の乱(672年)の時、天武側の軍人として功をあげた。
大伴吹負が将軍に任じられその配下となり、大和路の三輪山西側箸墓で近江軍を撃退。
・天武朝で重用され、持統朝では中納言となる。
・持統天皇の忠臣といわれており、692年持統天皇が伊勢神宮に行幸することを,農事の妨げとなるとこれを止めるよう身体をはって諫言した。 成功せず辞職。702年従四位上長門守に復帰するまで無職を通した。(贈従三位)
C天武8年三輪君を改め大神朝臣姓を賜った。
・興志・安麿・狛麿・道守・乙麿・豊島・(従四位上)
・麿・伊可保・社女・多麿・奥守・伊毛・田麿・東公・未足・人成・三支・船人
など多数の三輪、大神、大三輪、として記紀及びその後の歴史書に名前が出てくる。
2−27)忍人
@父:高市麻呂 母:不明
A大神神社大神主となり以後大神主家を世襲した。
3)三輪氏関連系図
3−1)三輪氏元祖関連概略系図(筆者創作系図)
公知にされている「古事記」「日本書紀」「先代旧事本紀」など諸々の系図を筆者の解説が し易いように三輪君逆までを記した。
3−2)三輪氏元祖詳細系図(古事記準拠)
事代主神までの詳細系図を古事記に準拠して記した。
3−3)三輪氏元祖詳細系図(先代旧事本紀準拠)
事代主神以降については先代旧事本紀が,一番詳しい記録が残されているので,これに準拠し大友主以降については大神神社社家系図など多くの公知系図に基づいて記した。
3−4)大田田根子出自関連系譜
古事記・日本書紀・先代旧事本紀それぞれの大田田根子までの関連系譜を記した。
3−5)別系図1(三輪叢書抄)
3−6)別系図2(秀真伝)
最近人気のある「ほつまつたえ
」の関係系図を参考に記した。
3−7)別系図3(粟鹿大明神元記)
出所がはっきりしている系図。
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