諏訪大社考



 (最新見直し2008.4.6日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 国譲り神話で、出雲王朝系の軍人頭のタケミナカタは諏訪地方に逃げ込み諏訪大社の神官として生き延びていく事になった。ここで、諏訪大社を検証しておく。

 2006.12.3日 れんだいこ拝


【タケミナカタのその後譚】
 タケミナカタはその後、諏訪大社の神主として生き延びていく事になる。これを仮に「国譲り譚その8」とする。
 「タケミナカタはその後、産業の神、戦の神として諏訪大社を祀っていくことになった。諏訪大社社伝は、「712(和銅5)年、タケミナカタが諏訪に封じ込められた」と語る。諏訪大社はその後全国に系列神社を組織していくことになる」。

【諏訪大社譚】
 諏訪大社は、諏訪湖を挟み南と北に上社と下社に分かれ、更にそれぞれが二社から成り立ち都合四社体制となっている非常に珍しい形態を持つ大社である。南側の上社は山を神実(かみざね)として祀っており、本宮(祭神・タケミナカタの神、健御名方神)と前宮(祭神・ヤサカトメの神、八坂刀売神)の二宮社とからなる。北側の下社は樹木を神実として祀っており、春宮(祭神・タケミナカタの神とヤサカトメの神)と秋宮(祭神・ヤエコトシロヌシの神、八重事代主神)のそれぞれ二宮社から成る。この四社を総称して諏訪大社と云う。

 諏訪大社は信濃の国の一の宮であり、北は北海道から南は九州の鹿児島に至る日本全国に五千数百の系列神社がある。昔から諏訪大明神叉はお諏訪さまと親しまれている。一般に武神、農耕神、狩猟神、守り神として信仰されているが、本来は古来から信仰されていた土着の国津神であり、その縄文時代以来の土着信仰は、「御柱祭(みはしら祭、おんばしら)」、諏訪湖を渡る「御神渡り」などの祭祀行事に名を残している。

 「式年遷宮御柱祭り」は天下の奇大祭として全国に知られており、寅と申の年にあたる7年目毎に、諏訪地方の6市町村の人々がこぞって参加執行する大祭である。上社は八ヶ岳の御小屋山社有林から、下社は霧ヶ峰東俣国有林から、それぞれ直径2m,長さ約16m,重さ約20tにもなるモミの巨木を8本づつ切り出す。上社は約20km、下社は約12kmの御柱街道を独特の”木遣り唄”に合わせて人力のみで曳き、各神殿の四隅に建てる。

 祭りは4月の山出し祭りと5月の里曳木祭り、秋には小宮祭りが行われる。山出し祭りでは、急坂を下る木落とし、川を越える川越しなどの壮観な見せ場がある。また、里曳木祭りでは、騎馬行列や長持ち、花傘踊りなど時代絵巻が繰り広げされ、2ケ月にわたって諏訪地方は祭り一色に染まる。秋に行われる小宮祭りは子供祭りで、全国の市町村にある諏訪大社へ御柱を曳航し神殿の4隅に御柱を建てる。基本的には4月に執り行われる御柱祭りの分社祭りである。

 人が神を祀るには二つの大まかな形があるという。一つは岩に出現させる岩座(いわくら)信仰であり、一つは木に神を下らせる「ひもろぎ」(神籬:古来、神霊が宿っていると考えた山・森・老木などの周囲に常磐木を植えめぐらし、玉垣で囲んで神聖を保ったところ)信仰があるといわれる。

 「ひもろぎ」信仰が発展し、人々は森の中の大きな木を神祀りの社として神社の原形をつくったという。 地鎮祭などで神官が中央に一本の青木を立て、天に向かって声を上げるあのきわめて自然な祭りの形が御柱に通じるともいわれている。
 
 諏訪大社の本家は出雲大社であると云われている。諏訪大社の上下あわせて四社それぞれの四本の柱は本社の出雲大社を模写したもので、本社に崇敬の念を表したものであるとも云われる。柱は、神の依代(よりしろ)である。諏訪大社では、本家・出雲大社の大柱の造営技術を受け継ぎ、自らの社殿の造営に生かしたものが、現在の「御柱祭」となって継承し残されているとも想像できる。(「本日・年月日」参照)

 諏訪大社は、神宮皇后の三韓出兵の折、諏訪大神の神助有りと伝えられている。

 691(日本書紀持統天皇5)年、諏訪大神として登場する。これが初見となる。

 平安初期、桓武天皇の命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂が、途路諏訪大明神の大前に戦勝祈願され、平定後、神恩感謝のため、諏訪郡の田畑山林各千町歩と毎年の作稲8万4千束の奉納が為されている。

 鎌倉時代、源頼朝が、源氏再興の守護神として篤く崇敬して社領を寄進し、叉大社の重要な祭典である御射山御狩神事に年々諸国の武将を率いて参列している。

 戦国時代、隣国甲斐の武将武田信玄が、お諏訪さまを信仰し、武田家の護り神と崇め、社殿の造営や社領等を寄進し、廃絶していた祭祀をも再興させ、あるいは各地への戦いの際にはその都度参詣し、武運長久の祈願を込め、諏訪南宮法性大明神の旗印を先頭に出陣している。

 徳川時代、初代家康の信仰が厚く、上社本宮に神門を寄進、三代家蜜以下歴代将軍が上社に千石、下社に五百石、都合千五百石の社領を寄進している。













(私論.私見)