2010.04.17日 れんだいこ拝
日本書紀(720)に出雲國造をして厳神の宮を作らしむとの記載あり。出雲國風土記(733)、令義解(834)、日本三代実録(901)、延喜式(927)に熊野大神、熊野大社の記載あり。延喜式神名帳(927)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも称され、古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の國の大社と遇された。意宇六社の一つ。意宇六社とは、熊野大社(島根県松江市八雲町熊野2451)、眞名井神社(島根県松江市山代町字伊弉諾84)、揖夜神社(島根県松江市東出雲町揖屋字宮山2229)、六所神社(島根県松江市大草町)、八重垣神社(島根県松江市佐草町字八雲床227)、神魂神社(島根県松江市大庭町)。
上古朝廷の御尊崇極めて篤く、仁壽元年(851)特に従三位を、貞観9年(867)正二位の神階を奉らせ給い、且つ殖産興業・招福縁結・厄除の大神として衆庶の信仰が深い。中世には熊野信仰の影響を受けて「上の宮(熊野三社)」と「下の宮(伊勢宮)」に分かれた(上の宮は明治の神社合祀で下の宮に統合された)。1871(明治4)年、近代社格制度のもとで神社名を熊野神社として國幣中社に昇格した。大正5年、國幣大社に進列された。特に出雲大社宮司の襲職は当社から燧臼燧杵の神器を拝戴する事によって初まるのが古来からの慣で今も奉仕されている。1977年に上古の名前を回復する形で現在の熊野大社と改称した。
出雲国風土記の意宇郡の寺・社の項に「熊野の大社」とあり、山野の項で、「熊野山。郡家の正南一十八里。檜・檀有り。所謂熊野大神の社、坐す」とある。熊野山は現在の天狗山で、熊野大社の旧鎮座地としている。(荻原千鶴「出雲国風土記」)。もとは、意宇川の上流にあり、熊野大神は稲魂の神であった。本殿左の伊邪那美神社は伊弉冉命(イザナミのミコト)を祀り、千木は女千木(めちぎ)である。本殿右の稲田神社は真髪觸奇稻田姫命(クシイナダヒメのミコト)を祀る。
御祭神を「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなこ)
伊邪那伎日真名子」はイザナギノミコト、イザナミノミコトの可愛がられる御子の意。「加夫呂伎」とは神聖なる祖なる神様を云う。「熊野大神櫛御気野命」とは、熊野に坐します尊い神の櫛御気野命という意。この御神名は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名であるとしている。本殿の様式は大社造。建造物は本殿、鑽火殿、舞殿、稲田神社(祭神は櫛名田比売命、足名椎命、手名椎命他六社合祀)、伊邪那美神社 ( 祭神は伊邪那美命他十九社合祀。元々は上の宮の社殿)、荒神社、稲荷神社。神紋は一重亀甲に「大」の文字。

