| 出雲王朝考、その真偽考 |

| (れんだいこのショートメッセージ) |
| いまさら出雲王朝論を唱えて何になると云う思いもある。他方で、多くの者は出雲王朝を知らない。よほど歴史に興味を持っている者以外は関心を示さない。これに掉さしておく必要があるとも考えている。れんだいこは、何と天理教教祖中山みき考経由で興味を抱くことになった。中山みきの御教えが古神道(縄文神道)と通じていることに気づき、その古神道と出雲神道との繋がりから出雲王朝に関心を持ち始めたと云う経緯がある。 出雲王朝に関心を持って調べ始めると、古代史上、大和王朝前の「出雲王朝と高天原王朝の国譲り政変」の重要性が分かり始めた。れんだいこの出雲王朝考はここから始まる。「国譲り政変」は、知らぬ者は当然として知っている者でさえ、彼が考えている以上に史的意味と影響が深い。それは、現在に至るまで日本政治の特質を形成している。れんだいこは今そういうことに気づき始めている。 現代世界は、「シオンの議定書」をマニュフェストとして以来台頭著しい国際金融資本帝国主義、これを仮にネオシオニズムと命名すると彼らに牛耳られている。この勢力の日本侵略は戦国時代に於ける鉄砲伝来と共に始まる。しかし、かの時は、豊臣、徳川政権の武力の方が優り、日本浸食を未然に防止した。現在に繫がる襲来は江戸幕末の黒船の来航から始まる。この時より、ネオシオニズム外国勢力の本格的な日本侵攻が始まった。れんだいこは、これに呼応する国内勢力をキリスタンならぬシオニスタンと命名している。現下の日本政治は彼らにままにされている。 出雲王朝考が、現下日本政治の再建にいかほど寄与するのかどうかは分からない。なぜなら、ネオシオニズム系シオニスタンは史上類例のない狡猾非道の侵攻新勢力であり、古代史上には存在しないからである。同種事例があれば、かの時の対応を批判的に学ぶことができる。しかし存在しないので空拳とならざるを得ない。そういう意味で、出雲王朝考を紐解いても直接的な示唆は期待できない。しかしながら、出雲王朝考により日本政治の特質を理解するならば、より有効な対応能力を生み出す為の智恵と方策を生みだすことができますまいか。れんだいこはそう考えており、ここに出雲王朝考の意義を求めている。 幻(まぼろし)扱いされている出雲王朝であるが、それには理由がある。記紀神話は大和王朝を創建した側からの皇統譜を記述することを目的としており、大和王朝前に先行して存在し、且つ善政を敷いていた出雲王朝を悪しざまに否定している。故に、記紀神話執筆者は、それを強いる時の政権の意向に従い、出雲王朝を一貫して日陰者扱いする構図とロジックで言及している。故に、この筆法を鵜呑みにすれば、記紀神話作成者の意のままに出雲王朝を幻扱いすることになるのも止むを得ない。故に、出雲王朝否定者は、時の政権の意向をそのままに受け入れているに過ぎないということになる。 しかし、眼光紙背に徹するならば、出雲王朝が隠蔽されているのは表向きで、記紀神話の筆者は実のところ、大和王朝以前のヤマトに出雲王朝系が存在していたことを知らしめようとしているやにも見受けられる。筆者の念を汲み取るべきだろう。つまり、記紀神話は、中国史書に見られる裏筆法的書き方で為されていることになる。こう読み取らなければ出雲王朝考が始まらない。まずこのことを確認しておきたい。 従って、出雲王朝の存在に対して、架空、絵空事、おとぎ話、幻と見なしてはいけない。この観点に立つ限り、日本古代史の真相が見えてこない。にも拘らず、出雲王朝不存在説を唱えてきた多種多様な通説が在り、その頭脳の貧困たるや如何ともし難い。れんだいこは、そのように考えている。 なお、梅原猛・氏が「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―」を刊行し、氏の過去の言説を自己批判否定し、出雲王朝考に分け入り始めている。れんだいこは読み始めたばかりであるが、梅原氏が出雲王朝の存在を認め、研究を始めたこと自体が興味深いことである。 2008.4.8日、2011.7.14日再編集 れんだいこ拝 |
| Re:れんだいこのカンテラ時評342 | れんだいこ | 2008/04/11 |
| 現実政治にかなり食傷気味のれんだいこは、偶然立ち寄ったコンビニで関裕二氏の「出雲抹殺の謎」を手にし刺激を得た。前半が特に為になり、後半は関流史観についていけなかった。それはともかく新たな知識を加えて「れんだいこの出雲王朝考」を「れんだいこ論文集」の中に採録することにした。従来、「れんだいこの日本神話考」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/nihonshinwaco/nihonshinwaco.htm)の中に取り入れていたが一本立ちさせることにした。 れんだいこは何を求めて出雲に向かうのか。それは、現下政治の逼塞を打破せんが為である。現下政治は、与野党ともどもシオニスタンに占拠され過ぎており、本質的に同じ穴のムジナの翼賛政治の中で政争を演出しつつ現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義ネオ・シオニズムの指令に基づく日本改造計画に勤しんでいる。社共運動も例外では無い。彼らはその昔から飼われている可能性が強い。目下の全政党一致で道路特定財源の一般財源化に向かいつつある流れなぞその極みであろう。政財官学報の五者機関がこれを押し進めるから如何ともし難い。 日本人民大衆は、これに抗する手立てを講ぜねばならない。先ず為すべきは、れんだいこが見立てるところ、我々の情報機関を創らねばならない。現下マスコミの愚民化マインドコントロールとネオ・シオニズムプロパガンダの一方的洪水に対処するにはこれしかなかろう。これを批判する段階は済んだ。今や、日本人民大衆は自前のマスコミを創造せねばならない。人民大衆的機関が送り手になるブック、テレビ、ラジオ、有線、ネット網を創出せよ。 次に、ネオ・シオニズム的歴史観、社会観、これに基く選良政治に抗する為に、諸民族協和志向の別系の歴史観、社会観、これに基く共生政治理論を創造せねばならない。ネオ・シオニズムを対自化させ批判する仕事はまだこれからで、早急に取り組まねばならない。市井にあふれているのは、ネオ・シオニズム系テキストばかりで、学べば学ぶほど阿呆に成る。そういう阿呆な自称インテリがどこにもここにもあふれている。 今や、日本人民大衆はネオ・シオニズム批判に並行して自前の思想を打ち出さねばならない。下手に洋物思想に被れず、それらは咀嚼する対象にせねばならない。こうした折に、我々が依拠すべきが出雲王朝下の史実にある豊富な諸果実ではあるまいか。れんだいこは、そのように考えている。 戦前は、出雲王朝史を抹殺した上に成り立つ近代皇国史観に依拠した為に、愛国愛民族を云いながら却ってミスリードされたのではなかろうか。近代皇国史観はこの観点から批判されるべきであったところ、近代皇国史観の全的否定に向かった事により出雲王朝は却って更に奥深く隠蔽されてしまう結果に成ったのではなかろうか。本当は、戦前も現在も、出雲王朝史を受肉化すべきではなかったか。 れんだいこはそのように受け止めている。ここにれんだいこの出雲王朝考の意義がある。これをれんだいこが独りで為せる訳ではない。共同作業が望まれている。これを通じて、日本の土着型在地主義的共生主義に基く出雲王朝的政治論を確立する。その成果を現代政治に適用していく事により初めて、シオニスタン政治と鋭角的に対決していく事ができるのではなかろうか。 それができていない今は全くダメだ。ここに思い至っただけでも大いなる成果である。そんな風に受け止めている。諸賢のご意見求む。 2008.4.11日 れんだいこ拝 |
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| 【出雲王朝存在論争考】 |
| 出雲王朝を実在とみなす立場からその王朝史を紐解くと次のようになる。当時、日本海沿岸こそ表航路であり、黒潮に乗って様々な文化と交易が盛んであったことは充分考えられよう。この地域は、日本で逸早く開けた史上に云われる国家であった。これら諸国家の中で盟主的地位を確立していったのが出雲王朝であった。 出雲王朝は歴史上それとしては現われていない。しかし、記紀神話の中に極めて変則的に且つかなりの分量で記されている。れんだいこは、相当な分量且つ変則的記述となったのは、出雲王朝成立後に侵略的に登場し支配権を奪った大和王朝が、政権の正統性を権威付けるために、本来善政を敷いていた先行する出雲王朝を悪し様に描きつつ抹殺秘匿した為と見る。もう一つ、出雲王朝を欠いてはヤマト史が記述できず、為に記紀神話の3分の1を占めるほどのかなりの分量となったと見る。あるいは、時の史家がそういう裏記述することにより先行する出雲王朝の存在をメッセージしているのかも知れない。 という事情で、出雲王朝をどう位置づけるのかを廻って、昔から邪馬台国所在地論争ばりの甲論乙論が駁している。れんだいこが見立てるところ、出雲王朝論は、邪馬台国論と並んで古代史上の謎を解き明かす鍵となっている。近代天皇制史観に則り皇統連綿万世一系の見地から出雲王朝の存在を否定するのは、大和王朝側のシナリオに沿う御用史家でしかなく、不明と云うべきではなかろうか。 興味深いことは、日本マルクス主義派の歴史観は更に無知蒙昧である。記紀神話に散りばめられている史実性の否定に躍起となり、彼らは、日本神話総体を「荒唐無稽な架空の絵空事、お伽噺(とぎばなし)」として否定せんとしてきた。記紀神話が正統性を付与している大和王朝に対してさえそうだからして、先行する出雲王朝譚なぞ更に「荒唐無稽な架空の絵空事、お伽噺(とぎばなし)」にならざるを得ず、そういう訳で出雲王朝不存在説を唱えて自己満悦している。 れんだいこは、そういう見解は、既成のマルクス主義派が如何に暗愚であるかを示しているように思われる。マルクス主義派の頭脳とは昔から案外その程度のものかも知れないと云う例証になっている気がする。れんだいこも叉マルクス主義派の末裔の一人と自負しているが、俗流マルクス主義派の諸見解とことごとく齟齬している。いわば別系のマルクス主義派であり、大言壮語すれば今後はれんだいこ系マルクス主義派が登場する出番である。 そういう訳で、本サイトで、れんだいこの出雲王朝探訪を手掛ける事にする。一般的に、神話には、これまで見過ごされてきた貴重な歴史のヒントが隠されており、「神話の知」が宿されていると受取るべきだろう。出雲神話には特にその傾向が強い。そういう風に受取りたい。出雲王朝が如何にその後も根強く日本社会に影響を与えているか、日本精神とはそもそも出雲王朝の精神を意味するのではないのか等々の関心を持って検証していくことにする。 2006.12.7日、2008.4.10日再編集 れんだいこ拝 |
| 【大和王朝成立前の出雲王朝存在考】 |
| 出雲神話は、記紀神話と出雲国風土記神話から成り立つ。記紀神話には国譲り神話があるが風土記には無い。逆に、風土記には国引き神話があるが記紀神話にはない。両神話はほとんど噛み合っていない。出雲国風土記神話の方が土着性が強く、本来の出雲神話の可能性が強い。記紀神話に於ける出雲神話は、大和王朝側から見た都合の良い創作の可能性が強い。出雲王朝譚を「日本神話その4」とする。出雲王朝はかく受取るべきではなかろうか。 天孫族による大和王朝の創始以前、更に言えば、高天原派による出雲王朝来襲前までの日本上古代には、「葦原の中つ国」又は「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国」と云われていた原日本があり、国内の概ねを出雲の神様が統べていた。その支配の仕方は、後の日本政治の原型ともなる緩やかなる連合政権であった。否単に連合政権と云うより政治の手本とも云うべき理想政治を敷いていた。これを仮に出雲王朝と云う。つまり、そういう出雲王朝が実存していたことを踏まえるべきだろう。ちなみに、これに同盟する豪族を国津族と云う。 それとは別に、アマテラス大御神(天照大御神)が統べる高天原王朝が存在していたことになる。これに従う者を高天原族と云う。天孫降臨後は天孫族とも記す。留意すべきは、いずれも八百万の神々達の住む世界であり、これが日本神話の特質を為している。 この両王朝の確執史が日本神話の底流を為している。こう窺うべきだろう。日本神話の告げる日本古代史は、出雲王朝系の国津族と高天原神系の天孫族の抗争と和同史であり、この事情を背景にして古代神道が二系列から形成されていることが注目される。恐らく史実であり、国津族を代表する出雲王朝が高天原王朝に対し、祭祀権だけを残して政治支配権を譲るという形で両者和合する経緯を見せる。これを「国譲り」という。日本史上最大の政変と云うべきだろう。勝利した高天原王朝が天孫降臨し、神武天皇東征譚へと続く。こう看做さないと、日本政治史の流れが見えてこない。 明治維新以降に吹聴され始めた近代天皇制皇国史観は、記紀神話の記す神武天皇東征以来の大和王朝創始の正義と権威に依拠し過ぎた為、記紀神話トリックをそのまま受け止め、出雲王朝を封印することになったように思われる。しかしそれは史実の歪曲でしかない。出雲王朝史は相当紙数を割いて古事記、日本書紀それぞれにしっかりと記されていることである。大和王朝建国譚に於いても、如何に旧出雲王朝勢力に悩まされたか縷縷記述しているところである。ここを見て取らないと、日本神話研究の重要なファクターを欠落させたものになってしまう。そういうものを喧伝したのが戦前の皇国史観であり、皇国史観はそういう意味で批判されるべきものである。(「大国主命、出雲大社」その他を参照する) この出雲王朝の存在に就いては、古田武彦氏が、1975年「盗まれた神話」という著書の中で、「大和朝廷」・「九州王朝」に先行する縄文の出雲王朝』の存在を国譲り神話から提起し、国生み神話とその後の黒曜石の分布などの考古史料から証明を行った。そのほかには鉄剣銘文の「臣」、部民性の史料批判等の論証を通じて出雲王朝の存在について、確固たるものにしたとのことである。(「出雲王朝と出雲銅鐸」その他を参照する) 2006.12.7日 れんだいこ拝 |
| 【津田左右吉史学考】 | ||
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関裕二氏の「出雲抹殺の謎」(PHP文庫、2007.1.25日初版)参照する。 1923(大正12)年、津田左右吉氏は、「神代史の研究」(岩波書店)の中で、次のように述べている。
津田のこの説は、「日本精神東洋文化抹殺論に帰着する悪魔的虚無主義の無比凶悪思想家」というレッテルを貼られ批判された。 1940(昭和15)年、津田の著書が発禁処分を受け、出版法違反で起訴され(津田事件)、昭和17年、禁固3ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。理由は、「神武天皇から仲哀天皇に至る歴代天皇の御存在に疑惑を抱かせるような講説を展開した」というものであった。原告、被告ともに控訴したが、その後審理は再開されず、いつの間にか時効が成立し、津田は免訴された。 |
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れんだいこは、津田左右吉氏の「神代史の研究」を読んでいない。関裕二氏の「出雲抹殺の謎」で知った一文であるが、文面をそのまま読めば、出雲王朝の存在をも視野に入れており時の皇国史観を的確に批判しているように思われる。 2008..4.10日 れんだいこ拝 |
| Re:れんだいこのカンテラ時評394 | れんだいこ | 2008/04/20 |
| 【日本神話の最大の謎としての邪馬台国と出雲王朝の抹殺考】 日本神話を渉猟してみて気づいた事がある。それは、記紀の日本神話のみならず古史古伝と云われる上古代史書の全てにわたって邪馬台国の記述が見当たらない事である。不自然極まりない。魏志倭人伝は、紀元3世紀頃の倭国の様子をかなり克明に記しており、卑弥呼の支配する女王国とその直接の統治国・邪馬台国についても言及している。倭国の様子の正確さからすれば、女王国及び邪馬台国の記述も然りで正確とすべきだろう。距離と方位の問題でなかなか辿り着けないのだけれども。 ところが、記紀の日本神話だけならまだしも、既に幾多も世に出ている古史古伝でさえ女王国及び邪馬台国に関する記述が無い。これは非常にオカシナことである。記紀が何らかの事情で邪馬台国に言及し得なかったとするなら、古史古伝が訂正するべきだろう。ところが、この古史古伝にも記述が無い。気の遠くなるような超古代史に言及している割には肝腎な箇所の記述が欠落している。これは蜃気楼的幻である。 それと同様に、記紀の日本神話に事あるごとに登場する出雲王朝についても、古史古伝も含めて正面からの記述が無い。正確には、れんだいこはそれら全てに目を通している訳では無いので、公開されている記述からすると無いということになる。これはとても不思議な事である。れんだいこは、そういうことに気づいた。 邪馬台国と出雲王朝、両者がどのように関係するのかしないのか不明であるが、面と向かった記述が無い点で驚くほど共通しており、古代史上の最大ミステリーの双璧となっている。この点に注意を喚起しておく。どなたか為になる、為りそうなのでもよいから何か聞かせてくれないだろうか。 れんだいこがこれに拘るのは、日本古代の原基的な社会の在り方、政体の在り方、古代人の生活の様子を知りたい為である。現下の政治の貧相を思うとき、別に理想視する訳では無いけれども、唐文明、西欧文明に汚染される前の日本的政治の良さと限界を見極めたい為である。 ここをしっかり把握しておかないと、唐文明、西欧文明の吸収の仕方の偏向に気づかないのでは無いかと思っている。唐文明、西欧文明を知る事学ぶ事は大いに結構だが、鵜呑みにしてはいけないと思うからである。唐文明、西欧文明の限界が明らかになりつつある今、土着的在地主義的な共生主義に基く現代的価値観、政治論を生み出したい為である。 穀物だって身土不二と云う。伝来のものが一番馴染んでおり、その良さと限界をうまく知りつつうまく漕いで行くのが望まれているのではなかろうか。その点、明治維新以来、戦後以来、我々は大事なことを知らぬまま駄弁ばかりしてきたのではなかろうか。日本左派運動が身につかないのは、こういう理由に拠ってではなかろうか。れんだいこにはそういう思いがある。何とか切り拓きたい。諸賢のご示唆求む。 2008.4.19日 れんだいこ拝 |
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| 【三浦 佑之(すけゆき)氏の「古事記の中の出雲神話」考】 | |
「文藝春秋SPECIAL」2009年秋号(2009年8月27日)の三浦佑之(すけゆき)氏の「古事記の中の出雲神話」に次の一文がある。これを転載しておく。
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| 三浦佑之(すけゆき)氏の「古事記の中の出雲神話」の値打ちは、古事記に於ける出雲神話の比重の重さと日本書紀に於ける出雲神話の抹殺ぶりを対比的に明確に論じているところにある。且つ、「いくつもの糸口を探っていくと、出雲と高志・州羽とは、日本海を通して太いパイプでつながっていたことがわかってくる。とすれば、古事記に伝えられるタケミナカタの逃走譚は架空の話などではなく、出雲と州羽とをつなぐ何らかの歴史を秘めているのではないか」と問い掛けているところにある。これは、どちらも重要な指摘である。これを云いたいが為に全文を転載しておく。 2011.7.13日 れんだいこ拝 |
倉橋 日出夫氏の「古代文明の世界へようこそ」は「出雲の国譲りとは出雲系邪馬台国から天照系大和朝廷へ」で次のように述べている。これを転載しておく。
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