◆「葛城の神」と「葛城王朝」の謎(三)
◆◇◆葛城地方と「土蜘蛛」
大和の葛城地方は、天皇家と深い関係を持つ葛城氏の本拠地である。また葛城氏は、かつては大王家に対抗できる最大の豪族であったようだ。
この「葛城」という地名は、そもそもどこから来たのであろうか? また、この葛城地方には「土蜘蛛」の伝承が残されている。この「土蜘蛛」の伝承は何を意味するのであろうか?
『日本書記』には、昔、この地に朝廷に従わない胴が短く手足の長い「土蜘蛛族」がおり、皇軍が植物の「葛(かづら)」を編んだ網で捕らえ平定して、「葛城邑(かつらぎむら)」としたと記している。
葛城山の一言主神社の境内には「土蜘蛛塚」という塚があり、そこは土蜘蛛を頭と胴と足を三つに切って埋めた所だと云われている。
また、すぐ近くには、土蜘蛛(赤銅色<あかがねいろ>をした八十梟帥<やそたける・八十建>とも)が住んでいたとされる「蜘蛛窟(くもくつ)」もある。
古代日本では土蜘蛛とは朝廷に従わない先住民を蔑視した呼び名であったが、中世には人の怨霊が化けた妖怪として登場する。
土蜘蛛は、中世の軍記物語『平家物語』では武者の源頼光の病床に現れるが、頼光に斬りつけられ、葛城山に追いつめられて退治されたりする。
また、歌舞伎・『土蜘』にはこうした台詞があります。「
我を知らずや其の昔、葛城山に年経りし、土蜘の精魂なり。此の日の本に天照らす、伊勢の神風吹かざらば、我が眷族の蜘蛛群がり、六十余州へ巣を張りて、疾くに魔界となさんもの」。
このように、葛城山など(大江山にも)に残る「土蜘蛛」のイメージは、「鬼」のイメージとも重なり、支配者を悩ます「まつろわぬ」存在であったようだ。
鬼・土蜘蛛退治の伝説は古典芸能の題材となり、朝廷による「まつろわぬ」者たちへの「征伐」戦の象徴として、こうした物語(鬼・土蜘蛛退治の伝説)が繰り返し、後世に語られるようになった。
スサノヲ(スサノオ)
