奈良県天理市新泉町星山306に日本(倭)大国魂大神、八千戈大神、御年大神を主祭神とする大和神社がある。日本大国魂大神はニギ速日の尊の別名である。
大和神社の縁起が次のように伝えられている。
| 「大和神社は、国譲りのときに、それまでの王が天津神に王様の権限を譲るとき、『今まではこの尋矛(ひろほこ)の権威で治めてきた。私は王位を退きます。この矛を私と思って大事にすれば、この領内の村々のヒトノコノカミ(と村長は云っていた)は、新しい政権.天皇政府に服従するでしょう。この矛を粗末にしたら、反乱するでしょう』と言って矛を渡して、根の国(死の国)に行った、という大国主命の神社である。その子が恵比寿」。 |
日本書紀その他古記録拠れば次のように記している。
概要「大和大国魂神はも大和王朝創建以来、天照大神と共に宮中に並斎されていたが、崇神天皇5年、国内に疾病多く、死亡者が続出。崇神天皇6年、天皇は、二神が同床にあるのは畏れ多いこととして、天照大神を倭の笠縫村に移し、磯堅城(しかたき)の神(ひも)ろぎを立てて豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に祀らせた。大和大国魂神を皇女・渟名城入姫を斎主として祀らせた(「大倭神社注進状」では、穴磯村に祀らせたとある)。しかし、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。
崇神天皇7年秋8月、穂積臣(ほづみおみ)の遠祖・大水口宿禰(おおみなくちのすくね)ら3人の夢に貴人が現われて、「太田田根子を大物主の祭主とし、市磯長尾市をもって倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を授けた。叉同年11月にも同じようなことが起こり、大倭直の祖・市磯長尾市を祭主として、神地、神戸が定められ鎮座、創建された。これが大和神社の創起となる。これにより国内は静かになり、五穀は実ったと云う。当初の鎮座地は、現在の鎮座地の東方の山麓であるとみられ、後に現在地に遷座したとされるが、遷座の時期ははっきりしない。一説には現在の長岳寺の位置であるという」。 |