| 元伊勢(もといせ)神社 |

| (れんだいこのショートメッセージ) |
2006.12.3日 れんだいこ拝 |
| 【古伊勢譚】 |
| アマテラスが伊勢神宮を構える前時代の伊勢を仮に「古伊勢」と命名する。「古伊勢」は、志摩の磯部と云われ、伊雑宮が建てられていた。つまり、「伊雑宮が本家」と云う事になる。新撰姓氏録によれば、「石辺(磯辺)公は大物主の命の子・久斯比賀多(くしひがた)の命の後(すえ)なり」とあり、出雲系としている。「伊雑宮旧記」によると、伊雑宮は竜宮で、この地方の海人族の護宮で伊雑トミの命が治めていた。この伊雑宮は出雲神道と深く関係していた。 |
| 【伊勢内宮創設譚】 | ||||||||||||
| 垂仁天皇の御世、天照大神が皇女倭姫(やまとひめ)に信託を下して、五十鈴川のほとり山田原に鎮まった。これが内宮となった。天照大神が、元々出雲系の「古伊勢」があったところに鎮まるまでには紆余曲折があった。各地に「元伊勢伝説」があり、天照皇大神が諸国を移動し、最後にたどり着いたのが現在の「二見ケ浦」のある伊勢の地であったというものである。しかし、外宮も移動しており「元伊勢伝説」を持つ。為に、両者がこんがらがって伝えられており詳細が分からない。 天照大神は元々、第十代崇神天皇陵の北に位置し、天理から桜井に向かう途中にある三輪山の山麓にある「檜原神社」に鎮座していたと思われる。これが「元伊勢」のルーツと推定されている。その後、天照大神は大和の笠縫邑を発し丹後に仮鎮座した。その後全国20数カ所 を転々として伊勢に落ち着いたとされている。 「元伊勢伝説」に従えば、内宮移動は「元伊勢=元伊勢神社説」で理解すれば分かり易い。これによれば、伊勢神宮が元伊勢から古伊勢へ遷座するいきさつが次のように伝えられている。
天武天皇の御世、伊勢神宮は20年周期の式年遷宮制を採り入れた。第1回の遷宮は、持統天皇の4(690)年であり、最近では平成5(2003)年に第62回目の式年遷宮している。 |
| 【伊勢外宮創設譚】 | |
| 伊勢神宮外宮は、現在の伊勢神宮の地である古伊勢に鎮座する前に、丹波国比治の真名井原(まないはら)の籠(この)神社に鎮座していたと伝えられている。丹後(京都府宮津市)の宮津湾に日本三景の一つして知られる天の橋立の北側に籠(この)神社が鎮座している。これを仮に「元伊勢=籠神社説」と命名する。籠神社には、宮司である「海部氏」の系図が残されている。 籠神社は、真名井神社を奥宮としており、古称を与謝宮(よさのみや)、別称を豊受大神宮としている。この地が丹波国比治の真名井原だとする説があり、古伊勢と区分する意味で元伊勢とも云われている。 丹後という名前は、もともとは丹波国(現在の京都府中部と兵庫県中部)であったが、都(京都)から見て丹波の後ろにあるという事で「丹後」と呼ばれるようになったと云う。古くは但波(たにわ)と呼ばれ、日本海側において一つの文化圏を 確立し倭政権とも対等に交流をもった国であったとも考えられる。 豊受大神(とようけのおおみかみ、止由気大神)は、籠神社に鎮座以来移動がなく、真名井ヶ原に鎮まり給いて万民を恵み守護していたところ、伊勢神宮内宮創建から5百年後、皇祖天照大御神の御神勅「吾れ既に五十鈴川上に鎮まり居ると雖も一人にては楽しからず神饌をも安く聞食すこと能わずと宣して丹波の比沼の真名井に坐豊受大神を吾がもとに呼び寄せよ」が天皇にあり、同様の御告が皇大神宮々司大佐々命にもあり、天皇に奏上されたところ非常に驚き恐れ、天照大神の御饌(食事係)として「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」を丹後国から迎え入れ、現在の地である伊勢国度会の山田ヶ原に外宮を建立し、大佐々命をして豊受大神を御遷座した。これを祀って外宮とした(天皇陵巡り:伊勢神宮の項参照)。直ちに豊受大神の御神徳を仰ぎ慕う遠近の信者は引き継ぎ大神の御分霊を奉斎して元伊勢豊受大神宮と尊称し、現在に及んでいる。 これにより、伊勢神宮は、奥の内宮と手前の外宮(豊受大神宮)の両宮で代表されることになった。(「元伊勢神社内宮 」、「皇大神社」、「元伊勢外宮豊受大神社」参照) 外宮の境内社の豊川茜稲荷神社は次のように由来を伝えている。
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| 【現在の伊勢神宮考】 |
| 伊勢神宮は仮称であって公式名称ではない。正式には、単に神宮と云う。神宮は、日本の総氏神の地位にある天照大御神を祀る皇大神宮(これを内宮と云う)と衣食住や産業の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮(これを外宮と云う)の二両宮を正宮(しょうぐう)と呼び、それぞれが別宮、摂社、末社、所管社を持つ。その数125社に及ぶ。内宮、外宮、別宮の宮と社(やしろ)を総称して神宮と云う。内宮の神域は98ヘクタール。五十鈴川にかかる宇治橋が内宮の入り口となる。外宮の神域89ヘクタール。神宮の祭祀は、「外宮先祭の原則」が立てられている。神宮の主な建物は20年に一度、「式年遷宮」により建て替えられる。持統天皇の御代に始まり、1300年以上続いている。2010年現在、次の式年遷宮は2013年になる。「唯一神明造」という建築様式を今に伝え、五重の垣根に囲まれている。 鎌倉時代に、内宮と外宮間に、何れが尊きか、どちらが正統で傍系かを廻る正閏(せいじゅん)論争が生まれ、兵火に訴えた歴史を持つと云う。 |
「古代日本ユダヤ人渡来説」(坂東誠著、PHP出版)は次のように記している。
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