| 備中神楽国譲り譚 |

| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 備中神楽の演目次第が「逸見芳春氏の神楽絵巻1」以下№11までサイトアップされている。早速これを購入してみる事にした。購入先は、「備北民報社の出版物のページ」の「神楽絵巻改訂版」。その後、神崎宣武氏編の「備中神楽の研究」(美星町教育委員会、1984.3.12日初版)を手に入れ、これらを参照に推敲した。 いよ神楽考の本命中の本命、国譲り譚の考察に入ることにする。れんだいこは、神楽の演目はそれぞれ深い意味が有り、どれも外す訳にはいか無い事を承知しつつも、国譲り神楽さえあれば満喫できる。とは云うもののまだ観た事はないのだけれども。 追伸。備中神楽は、他のどの神楽に比しても「国譲り譚」を正面から採り上げていることに意義はあるが、やはり想像していたようにかなり変質、こう云って良ければ高天原-大和王朝系の観点からする侵食を受けて居る。これを如何に当初の伝承原文に戻すか、これが課題になっているように思う。 2008.8.1日、2008.8.13日再編 れんだいこ拝 |
| Re::れんだいこのカンテラ時評446 | れんだいこ | 2008/08/07 |
| 【備中神楽に於ける国譲り譚の歴史的意義考】 れんだいこの判ずるところ、「国譲り神楽」は本質的に政治性を帯びており、危険な裏史実伝承神楽であるやに見受けられる。その「国譲り」が、地元の出雲神楽に於いてよりも備中神楽でこそより生き生きと伝承されており、その意味で備中神楽は稀有希少な神楽に成り得ている。これを逆から云えば、「国譲り」をメインに採り上げ、かくも正面から神楽しているのが備中神楽であり、素晴らしいということになる。してみれば、この価値を減ずる方向の改訂は存在意義をなくし、これを当初より伝えられているところの生硬な形で保持する事が使命と云う事になろう。 「国譲り」が、なぜ出雲神楽にではなく備中神楽に於いて保存されてきたのかが興味深い。推測するのに、地元出雲の地での国譲り神楽が陰に陽に行政的規制ないしは禁止されていた。為に出雲圏に有りながら出雲本地とは隣接しつつも中国山地で隔絶されていた備中に於いてこそ秘かに継承されてきたと云う事情に拠るのではあるまいか。 「出雲王朝の高天原王朝への国譲り」は、日本古代史上の最大政変である。それは、高天原王朝による何の咎無き出雲王朝簒奪劇であった。それは、文明的に優れている方が劣っている方に恫喝と武力で王朝を奪われた事を意味している。日本史は全体的にこの時より大きな歪みを伴って今日へ至っている。 記紀はこの史実を、高天原王朝-大和王朝の正義を裏付けるべく詐術しながら記述する事に並々ならぬ心血を注いでいる。これが当局肝いりの御用史観であるからそのプロパガンダ力は強く、通念となって今日に至っている。戦後になって、その通念的皇国史観は打破されたが、それはあくまで高天原王朝-大和王朝体制批判であり、出雲王朝論は依然として手付かずで現存している。この闇が知られ、探られねばなるまい。 「備中神楽国譲り譚」は万巻の凡史書を退け、圧倒的迫力で史実をより克明に神楽で表現している。備中神楽は、その日本古代史上の最大政変である高天原王朝と出雲王朝の国譲り譚を、出雲王朝の正義と悲劇を語る観点から史実を忠実に神楽で伝承しているところに値打ちがある。 御用史学が、当局ご都合主義的に編纂されている記紀神話に依拠して、高天原王朝-大和王朝史を正統的に記述する傾向があるのに対し、備中神楽は出雲王朝側からする政変ドラマを再現保存している。その史実性が高く評価されて然るべきほどに学問的水準以上のものを表現し得ている。ここに備中神楽の不朽の値打ちが認められる。 加えて、面、踊り、囃子それぞれが有機的一体となって演じており、観客と一体になり、演劇的に堪能するのは無論、自ずと歴史を学ぶ効果を伴っている。しかもそれが、大和王朝的天皇制史観に拠らず、高天原王朝襲来以前の出雲王朝時代の政治を郷愁する役割を果たしている。神楽に興じながら触れるうちに自ずと裏歴史、実は本当の歴史が分かると云う仕掛けになっている。これは凄いと云うべきではなかろうか。 2008.8.7日 れんだいこ拝 |
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| Re::れんだいこのカンテラ時評447 | れんだいこ | 2008/08/07 | |
| 【備中神楽に於ける国譲り譚のあらすじと史実証言】
まず、高天原の勅使として経津主(ふつぬし)の命、武甕槌(たけみかづち)の命の両神が稲佐の浜をさして舞い下る。この神楽を「両神の舞」と云う。荒舞が荒々しく動きの激しい武装した舞であるのに対し、「両神の舞」は地舞であり、優美で端正な舞い方を特色としている。両神が一対となって舞うので高い技巧が要求される。それ以前にも複数の使者が派遣され、出雲王朝に取り込まれた経緯がナレーションで伝えられる。これにより、こたびの両神が有無を言わさずの国譲り使者として来朝したことが示唆される。 次に、大国主の命が登場し「大国主命の舞」となる。大国主命は出雲統一王朝の国治めの神であり、日本書紀に「その子凡て百八十一神ます」と記される福徳円満の神として尊敬されている。王者の気品と威厳を漂わせながら八畳の間一杯に舞い広げる。神楽では、葦原中津国の竈(かまど)廻りをし、餅の福蒔きをした後休息する。 次に、両神が大国主命に出合い、国譲りの談判をする。これを「国譲りの掛け合い」と云う。その遣り取りがさもありなんと思われるほど双方論証的説得的であり興味深い。大国主命は拒否し、小競り合いとなる。 次に、そこへ稲背脛(いなせはぎ)の命が仲裁に入る。史実性は明らかではないが、あるいはこういう史実があったのかも知れない。神楽では「稲背脛命の舞」から「稲背脛命と両神の掛け合い」へと続く。稲背脛命の仲裁は功を奏せず、事代主(ことしろぬし)の命に下駄を預けることになる。 こうして、事代主命の下へ伝令を送り、事代主命が登場し「事代主命の舞」となる。興味深いことに、事代主命は島根半島突端の美保の関で鯛(たい)釣りしていたとされている他方で、「馬を駆り、関に着き、諸手船に乗って海を渡る」仕草を演じる神楽社もあり、 「急ぐには、風の袴に両の駒、千里の道も今ぞひっと飛び」と歌われており、これによるとかなり遠隔地、恐らく大和の神であることが示唆されている。大国主の命の子供とされているが、実際の子供と云うより親子関係的なブレーンであり出雲王朝№2的地位にあった神と考えた方が適切と受け取ることができる余地を残している。案外これが史実ではなかろうかと思われる。 次に、「大国主命と事代主命の親子勘評(かんひょう)」となる。「勘評」と云う言葉は漢和辞典をひいても見あたらない。「勘」は勘当の「勘」であり、「評」は評議の「評」である。語感からすれば、相当きつい相談、評定(評議)が為されたと云う事を伝えているように思われる。 その結果、高天原王朝の命に従い国土を奉献することとなる。この時の遣り取りも興味深く、政治の実権を高天原王朝に譲り、幽界に隠れる経緯顛末が明かされている。それによると、出雲王朝は、無用な戦いを避け「万事和を以って尊っとし」と為し、高天原王朝が創出する新王朝に参画し勢力を温存する作戦に向かったと裏読みする事ができる。案外これが史実かも知れない。れんだいこは、日本型和合政治の原型がここに定まったと窺う。とにもかくにもこうして国譲りが定まった。 次に、この国譲りに反対する建御名方(たけみなかた)の命が登場し「建御名方命の舞」となる。建御名方命も類推すれば、事代主命同様に大国主命の息子と云うより親子関係的なブレーンであり出雲王朝№3的地位にあった神と考えることができるのではあるまいか。建御名方命は、事代主命が和睦派となったのに対し武闘派として抗戦していくことになる。 かくて、建御名方命軍と高天原王朝軍との間に一大決戦が始まる。神崎宣武氏の「備中神楽」(山陽新聞社、1997.4.26日初版)は次のように記している。
これによれば、建御名方命は鬼として表象されている。ということは、古代史上の「鬼退治」は、高天原-大和王朝に服属しなかった出雲王朝内の建御名方命系残党派征伐であったと考えることができる余地を残していることになる。全国各地の鬼退治譚の真相は案外そのようなものであるかも知れない。 この戦いは備中神楽上最大の激闘となる。前半は幣を使い、後半は刀を用いる。刀を使う合戦になると、両神側に助太刀と云う舞い手が加わる。これは、両神側の軍勢の強さを語っており、建御名方命側が多勢に無勢で押されたことを暗喩して入るように思われる。 建御名方命軍は次第に追いやられ、信州諏訪大社へ逃げ込む。高天原王朝軍はこれ以上深追いできなかった。そういう拮抗関係上で和睦となる。神楽では、建御名方命が遂に力尽き、両神に降参したことになる。実際には、建御名方命は、大国主命、事代主命同様に政治的支配権を譲り、その土地の守護神として非政治的に生息する限りに於いて許容されると云う「日本型特殊な手打ち」を見せている。れんだいこは、日本型手打ち政治の原型がここに定まったと窺う。 「祝い込み」で完結する。かくて国譲りとなり、高天原王朝への国土奉献が完了する。備中神楽はこの一部始終を神楽で表現している。 一般に、日本古代史上の歴史通念は、国史書である古事記、日本書紀の記述に従い、高天原王朝の渡来的正義を確認する意識下に有る。ところが、備中神楽ではこの通念に棹差すかの如く、「記紀通念」に歪められることなく出雲王朝時代を追憶し伝承している。この神楽が悠久の歴史の中で保存され今日に至っている価値は大きいと云うべきではなかろうか。 もっとも、このように自覚され保存伝承されてきたのではない。神楽太夫達は古来よりの伝承を非政治的にひたすら墨守する作風で神事芸能神楽として伝承請負して今日へ至っている。下手に政治性を帯びなかったことが弾圧される事なく生き延び得た要因でもあるように思われる。れんだいこ的には歴史の摩訶不思議と云うしかない。 2008.8.7日 れんだいこ拝 |
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| 以下、備中神楽に於ける「国譲り譚」の逐一を検証する。これにより、国譲りの実態がより克明に分かるであろう。記紀文書で判明する史実と神楽で判明する史実を付き合わせれば、なお能く分かるであろう。但し、備中神楽に於いても既にどの時点よりかは不明であるが既に伝承原文は散逸しているようである。これにより社中によって口上が異なるようである。これを比較対照するのも一案であるが、これは別の研究になる。 現在の口上は、恐らく当局の行政的監視により止むを得なかったのだと思われるが、多分に高天原神話よりする書き換えが過剰に為されているように思われる。これにより時局迎合的な事大主義的描写が侠雑している。その辺りを原文に戻さない限り本来の備中神楽にはなり得ない。れんだいこがこれを剥がして、本来はこう口上し演じていたのではなかろうかと推定しながら確認して行くことにする。これを仮に「れんだいこ推理文」と命名する。未だれんだいこ言葉にならないところはそのまま踏襲しておくことにする。恐らく、「れんだいこ推理文」の方が伝承原文に近いのではないかと自負している。 2008.8.12日 れんだいこ拝 |
| 【国譲り神楽その1、両神の天下り】 | ||||||||||||||||||||||||
| 高天原王朝は、葦原中津国の出雲王朝へ国譲りの特使を何度も送っていた。先ず、天照大御神から数えて二代目に当たる天押穂耳の時、天ほひの命を勅使として派遣した。この時は、大国主の命が旺盛に国づくりしている時で、「この葦原中津国は未だ国が若い。今しばらくは大国主の命に治めさせよう」ということになった、と云う。 三代目になって、第一番目に武夷鳥(たけひなどり)の命が派遣された。ところが、武夷鳥の命は大国主の命の国土経営に共感し、誼を通じる事になった。 高天原王朝は二番目の勅使として天若彦の命を派遣した。天若彦には天の加護弓と波々矢を持たせた。ところが、大国主の命の娘・下照姫と恋仲になり、武夷鳥の命同様に大国主の命に誼を通じる事になった。不審に思った高天原王朝は、七瀬の雉を遣わし、天若彦の命の動静を探らせた。天若彦の命は、一鳴きした雉に気づいて、大国主の命に誼を通じる様子を報告されては一大事と云う事で、天の加護弓に波々矢をつがえて七瀬の雉を撃った。ところが、その雉を射た矢がそのまま高天原に舞い戻った。これを見た高天原王朝は、天若彦の命が違背していたならこの矢に当たれ、そうでなければ大国主の命に当たれと射返したところ、天若彦の命に当たり命を失った。 高天原王朝は、最後の勅使として経津主(ふつぬし)の命、武甕槌(たけみかづち)の命両神を派遣した。 |
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「(神の座す)高天原より天下り、瑞穂の国へ急ぐらん」。この神歌とともに、二柱(ふたはしら)の神が並んで現れる。この二神を、通称「両神(りょうしん)」と呼ぶ。
これが、「杵築(きつぎ)の能(のう)」、別名「国譲(くにゆず)り」の始まりである。経津主は弁舌さわやかな智将、一方の武甕槌は武技にすぐれた勇将である。三時間以上に及ぶこの能では、始めから終わりまで登場する重要な神神であって、いわば主役を務める。
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| 【国譲り神楽その2、大国主命の餅投げ】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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舞台は代わって大国主の命が舞いながら登場する。大国主の命は頭に大きな福頭巾(ずきん)をかぶり、大黒面を着け、右手に扇子、左手に打ち出の小槌(こづち)を持っている。頭巾には、「上を見ては及ばぬ事の多かりき。下見て暮らせ己が心を」と記している。 大国主の命は出雲王朝の主であり、縁結びや産子繁栄の神様である。かまど廻りをしながら人々に福の種を蒔くことで知られている。かく出雲王朝政治の善政特質が示唆されている。その大国主の命が、太鼓の胴をトントンと槌で打つと、忽然として「万福袋(まんぷぶくろ)」に入った福餅が現れる。太鼓の囃子に乗りながら、東南西北、さらに中央に餅を一つずつ投げて清める。次に、神前、大当番の順に餅を供え、続いて、神楽場に集まる人々に餅を投げ与える。
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| 【国譲り神楽その3、国譲りの掛け合い】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大国主の命の餅投げが終わり、たくさんの福の種をプレゼントして休憩しているところへ、幕の内から両神が現れる。太鼓のリズムに合わせて、経津主命(ふつぬしのみこと)と武甕槌命(たけみかづちのみこと)の両神が大幕を開け、小幕を蹴って出てくる。両神が相舞とか地舞を舞いながらゆったりと登場する。 両神は同じ衣装を纏い似たような面で登場するが、その面はどちらも受け口で少し口を開けているが、上下の歯が見えるのが経津主命、上の歯しか見えないのが武甕槌命である。経津主命は弁舌逞しく、武甕槌命は武威の神である事を表している。 |
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まず、名乗り合いとなる。
名乗り合いが済み、いよいよ国譲りの交渉に入る。(長編語りとなるので、第一弾、二弾に分けることとする)
この第一弾の遣り取りで、お互いの言い分が交差される。次に、互いの言い分の検証に入る。
国譲りの交渉が決裂し合戦に入る。
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| 【国譲り神楽その3、稲脊脛の仲裁 】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大国主の命と両神の問答は決裂する。両者、戦うが、なかなか勝負がつかない。この時、幕内から「待った。待った。この戦争、しばらく待った」と、手拍子を鳴らしながら声をかけ、中に割って入るのが稲脊脛(いなしはぎ)の命である。元々は高天原より派遣された武夷鳥(たけひなどり)の命である。
稲脊脛の命の元々の口上は散逸しているようである。あるいは、伝承原文そのままに口上するのはよほど不都合があるのかも知れない。現在の備中神楽のこの下りは大きく茶化し、現代評論風に口上されている。これをそのまま書き写しても意味が無いので概略を記しておく。 稲脊脛の命は登場当初、一方的傲慢不遜に、両神の身元調べや罪状などをあばき立てる。ところが、稲脊脛命の身元が明かされ、返す刀で稲脊脛の命の素性が問われ、元々高天原より派遣された使者であることが判明するに及び次第に旗色が悪くなってくる。両神は、使者の役目を放棄した弱みを衝き、稲脊脛の命が結局、大国主命の長子、事代主命(ことしろぬしのみこと)に相談しては、という調停案を出して、両神に許される。その経緯が長々と綴られている。思うに、伝承原文が相当に長かったと云うことではなかろうか。 以下、「れんだいこ推定文」を記す。
参考までに、「稲脊脛と両神の掛け合い現代バージョン」に言及しておくと、史実性の高いと思われる遣り取りを全く無視し、稲脊脛のひょうきんさをのみ浮き彫りにするものに仕立てている。これを現代世相に応じたものにしているので面白みはあるが、国譲りそのものの遣り取りとは関係ないので割愛する。「稲脊脛と両神の掛け合い現代バージョン」は駄作であり、使いものにならない。但し、それまでの緊迫した遣り取りの息抜きとして演芸効果はあるのかも知れない。 |
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| 【国譲り神楽その4、 事代主の呼び出し 】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
稲脊脛(いなしはぎ)は、素元(すもと)を馬に見立てて、幕内から引き出してくる。太鼓の急調子に乗って、美保関めざして、一気に馬を駆る。関に着くまで、畳の上を数十回跳び上がる。このあと、陣羽織をぬいで、艫綱に見立て、諸手船に乗って海を渡る仕草を演じる神楽社もある。
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| 【国譲り神楽その5、 事代主の舞 】 | ||||||||||||||||||
| 大国主命(おおくにぬしのみこと)の長子、事代主(ことしろぬし)の命が、にこやかな面相で舞い出る。 神歌「沖中に、はるかに見ゆるあの岩は、あれぞ、恵比寿(えびす)の腰掛けの岩」。神楽では、舞い出る神々ごとに独特の節回しをもった神歌を歌う。神歌は、いわば、舞い出る神の性格と役割を知らせる一種のせりふだと思えばよい。この神歌の中に「えびす」とあるのは、大黒(だいこく)、恵比寿(えびす)と対になった福の神で、事代主の別名である。 この神の舞は、華やかな衣装と釣竿が特徴である。 舞い手には、おおむね小柄な太夫が選ばれる。また、初心者が習い始めるのも、たいてい事代主である。それは、動きが激しいが、複雑に見えて、実はそれほど難しい舞ではないからである。若い者向きだといわれ、いくらベテランが舞っても、若さには勝てない。 室町時代から江戸時代にかけて人気のあった民間信仰に七福神というものがある。その中に「恵比寿(えびす)」「大黒天(だいこくてん)」という福の神がいる。神楽に登場する「事代主」を「えびす・えべっさん」、「大国主」を「だいこく・だいこくさん」と呼ぶ呼び方もある。いつの間にか民間信仰の福の神に置き換えられ伝承されている。 鯛釣り 島根半島の突端に美保の関がある。ここは昔から鯛(たい)の釣り場として有名であった。対馬暖流にのって回遊する鯛をねらったものだ。 言い伝えによれば、釣り好きな事代主命(ことしろぬしのみこと)が、一番鶏の鳴き声にだまされて、真夜中に鯛釣りに出かけ、鰐鮫(わにざめ)に片足を食いちぎられたという。だから、事代主の舞は、片足ではねたり跳んだりする所作が織り込まれている。軽快で、生き生きと、いかにもうれしそうに、楽しそうに鯛釣りに興じているさまを表現するのが、上手な舞い方である。 この舞いは、各社中ごとに、いろいろ工夫して演出し、特に鯛を釣り上げるところが圧巻であろう。しかし、太鼓のリズムはほぼ共通していて、子どもでも覚えやすい。 ある神楽社で、大国主の命の面を忘れたことがあった。やむを得ず、事代主の面で間に合わせたが、「えろう、こまい面の大国じゃった」と不興を買った。親子だから面相は似ているが、どこそこ違うものだ。 小道具の鯛と竿 神楽では、舞もさることながら、衣装や小道具も大切な必需品である。扇、刀、長剣、槌、素元などの小道具については既に述べた。本文「鯛釣り」で使う小道具は鯛。その鯛の後日談がある。ある時、事代主命舞の太夫が鯛を忘れた。急遽、会場の役員が折り紙で急ごしらえの鯛を作り何とか間に合わせた。竿は前述の素元(すもと)を使うが、両端の花紙は五色紙を用いる。
稲脊脛と事代主の遣り取りは、元々無かったのか割愛されているのか、備中神楽では演ぜられないようである。しかし、その後の流れからして、この時、稲脊脛が「この国を顕界と幽界の二つに分け、顕界即ち政治の表向きを高天原に譲り、葦原中津国は幽界にて生き延びる」秘策を告げ、事代主がこれを名案として承ったと推定される。その遣り取りは表には出てこない。当然、神楽にもなっていないようである。 |
| 【国譲り神楽その6、親子勘評 】 | ||||||||||||||||||||||||||
こうして、いきなり次の「親子勘評の場面」となる。「勘評(かんひょう)」という言葉は漢和辞典をひいても見あたらない。しかし、よく考えて評議するという意味ではあるらしい。
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| 【国譲り神楽その7、 国譲り 】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大国主の命は、出雲の国、神戸(かんど)の郡(ごおり)に社領六万石をもらい、杵築(きつぎ)大社を建て、福の神として祀(まつ)られる。今の出雲大社である。また、事代主の命は、美保の岬に、妻の美保津姫の命と共に美保両神社として祀られ、耕作の神となる。 この間仲裁役として さんざん苦労した稲背脛の命は、島根半島西端のさぎの浦に、ほうそう(疱瘡)の神、さぎ大明神として祀られる。一説に「法曹」の守護神ともいう。こたび見せた名采配が法曹事に当てはまることからかも知れない。 こうして、大国主の命は、出雲大社に拠ることとなった。その社殿は、高天原系が建立する神明造りに比して大社造りと云われる。神明造りの代表が天つ神系の伊勢神宮、大社造りの典型が国つ神系の出雲大社ということになる。神明造りは軒が正面、大社造りは破風(はふ)が正面にくる。 有名なドイツの建築家・ブルーノ・タウトは、日本建築の粋として神明造りを挙げているが、神明造りも大社造りも長短つけがたい。 |
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| 【国譲り神楽その8、建御名方命の談判 】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| かくて、大国主、事代主は、両神に屈し、わずかな社領で隠棲することになった。 しかし、ここに、腹の虫がどうしても納まらない神がいた。 大国主の二男、建御名方命(たけみなかた)の命である。通称「黒鬼」と呼ばれる。 この神を相手に、両神が合戦の準備をする舞を「幕掛かり」という。両神が、持っている幣を幕内に投げ込むと、待っていたとばかりに、建御名方の命が現れる。鬼気漂う。この神を相手に、両神が合戦の準備をする舞を「幕掛かり」と云う。神楽社によっては「山懸かり」とも云う。 前者は、幕内にいる鬼を迎える意味であろうが、後者は、大きな山場にかかるから、とも解釈できる。この舞は、すべての神楽舞の中で最も男性的、かつ華やかなもので、観客の心に一種の爽快さを与える。それに、太鼓のリズムが勇壮である。 この役は、神楽太夫のうち、できるだけ若い方がいい。老練さは評価できても、年輩の者では物足りない。なぜならば、素顔で舞う二枚目役だからである。前半は幣(へい)を使い、後半は刀を扱う。両神の呼吸がぴったり一致し、きびきびと、しかも、切れのいい舞でなければならない。絵でこれを表現するのは難しい。 幕のこと 神楽の幕には大幕と小幕がある。大幕は神楽太夫の控え室、つまり楽屋と神殿を隔てる幕で、舞い出る時には、この大幕を開く。 幕には「備中神楽」とか「神代神楽」という字を染め抜き、社名を入れる。鮮やかな色を配した幕は会場の雰囲気を盛り上げる大切な舞台装置とも言える。小幕は大幕の内側(観客から見て奥側)に低く垂れ下がっている。神々が登場する度に大幕が開かれ、神々は小幕を操って「幕の内」という舞を舞う。それから神殿(こうどの)の八畳間におもむろに舞い出る。大幕が閉じられて背景となる。 建御名方の命が重厚な舞をしたあと、舞台の中央で素元(すもと)を杖にして一息ついているところへ、両神が躍り出て、横合いから素元を激しく叩くと、建御名方の鬼は弾かれたように一回転して、両神と向かい合う。しばらくはにらみ合いの状態で、大きく右回りをしながら、隙を狙う。ここまでを「大仕合(一)」と云う。 次に「大仕合(二)」に入る。太鼓が急調子に変わると、素元の打ち合いが始まる。やがて、素元を握り合ったまま押し合いとなり、鬼の方が両神を追い詰め、馬乗りになって威嚇したり、反対に両神が鬼を舞台の隅に押さえつけたりする。 前半は幣を使い、後半は刀を用いる。刀を使う合戦になると、両神側に助太刀と云う舞い手が加わる。これは、両神側の軍勢の強さを語っており、建御名方命側が多勢に無勢で押されたことを暗喩して入るように思われる。 ついに、鬼は力尽きて、両神に降参する。「祝い込み」で完結する。
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