ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)36

 (最新見直し2009.3.19日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ホツマツタエは、古代大和ことばのホツマ文字といわれる図象文字で綴られた全文で40アヤ(章)、五七調で一万余行に及ぶ叙事詩で、大和王朝前の御代の神々の歴史、文化、精神を詠っている。作者は、前半の天の巻、地の巻の1章~28章を櫛甕玉命(クシミカタマの命、鴨彦、神武時代の右大臣)、後半の人の巻29章~40章を三輪の臣である大直根子命(オオタタネコ、三輪秀聡、景行天皇時代)が編纂、筆録したと記されている。古事記、日本書紀と原文で詳細に比較するとホツマツタエを原本としている事が判明しており、いわば記紀原書の地位にある。

 2009.3.19日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)36、ヤマト姫神鎮む文】
 ヤマト姫、伊勢宮を定む
36綾目次

1. たまき宮十二年「やまと姫」が誕生(36-1~2)
2. 「やまと姫」の母、「かばい姫」が産後半月で亡くなる(36-2~3)
3. 垂仁天皇は「たにはちみちうし」の五人の娘をお妃に(36-3~5)
4. その五人の娘の中「たけの姫」だけ宮に入れず帰される(36-5)
5. 五人の娘の長女、妃の「ひはす姫」が皇子・姫を生む(36-5~7)
6. 五人の娘の次女すけ妃「ぬはだ姫」が皇子・姫を生む(36-7)
7. 五人の娘の四女うちめ「あさみ姫」が皇子・姫を生む(36-7

8. 「ほんずわけ」ものが言えるようにと「やまと姫」に祈らせる(36-8-9)
9. 「ほんずわけ」白鳥を見て声を出す(36-9~11)
10. 「ゆかわだな」白鳥を捉え「ほんずわけ」に賜る(36-11~12)
11. 「ゆかわだな」に「とりとり」の氏を与える(36-12)

12. たまき宮二十五年、垂仁天皇の詔、先代に倣い神を祀る(36-13~15)
13. 天照大神の御霊を「とよすき姫」から「やまと姫」へ(36-15)
14. 昔「とよすき姫」が丹後の「よさ」へ行きました(36-16~17)
15. たまき宮三十九年詔、御付きの大臣も代わる(36-17~18)
16. 「とよけ」の神と「天照大神」を祀り、「みちうし」は良い跡継ぎを得る(36-18~19)
17. 「とよすき姫」は「ささはた宮」に帰る(36-19)
18. 再び、「とよすき姫」に神の告げ(36-19~21)
19. たまき宮二十二年「やまと姫」が「みつえしろ」になる(36-21~22)
20. 神に捧げようとした「あめのうずめ」の櫛を落とす(36-22)
21. たまき宮二十三年の新年の初日を「明けの原」で迎える(36-22~23)
22. 「やまと姫」は粥占いで、「ほんずわけ」を祈る(36-23)
23. 「とよすき姫」は、御杖(みつえ)の役を、「やまと姫」に見習わせる(36-23~24)
24. 「おみこ」になった「やまと姫」は、御霊笥を飯野宮から「いそべ」に遷す(36-24~25)
25. 良い宮の候補が「さ」にあると、神の告げを受ける(36-25)
26. 「やまと姫」の「わかご」が「さるたひこ」に出会う(36-25~26)
27. 「さるたひこ」は天照大神からの賜物を「わかご」に授けて消える(36-26~29)
28. 「やまと姫」は、宇治へ行き、三宝が祭られる場所と決める(36-29~30)
29. 宮を建てるため整地する(36-30~31)
30. 宮が完成し落成式に参列された方々(36-31~33)
31. たまき宮二十六年、天照大神が「さごくしろうじ宮」にわだましされる(36-34~35)
32. 垂仁天皇は節休み(五節句)を設ける(36-35~36)
33. 天照大神が「やまと姫」にお告げ(36-36~37)
34. 「やまと姫」はお告げを垂仁天皇に伝える(36-37)
35. 垂仁天皇は和幣をなし、「とよけ」の神への「さおしか」を定める(36-37)
36. 神の教える道(36-38~39)
37. 内宮(天照大神)の鰹木(36-39~40)
38. 外宮(とよけ神)の鰹木(36-40~41)

39. 外宮の神の真意は厚く、国民に厳しい父の役割(36-41)
40. 内宮は、天照大神が、母の子供を慈しむような恵む教え(36-41)
やまとひめかみしつむあや     ヤマト姫 神鎮む文
たまきみや なつきそむ    珠城宮       九年九月十六日
きさきゆめ やまとおおくに     夢        ヤマトオオクニ
かみして たまえはらみ    神の垂       賜えば孕み
つきみちて うまやめて    月 満ちて      生まずに病めて
とせのち なつきそむに    三年後       九月十六日に
うむみこの やまとひめ    生む御子の     名はヤマト姫
あとやみて かなつきに    後病で       十月二日に
ははまかる つつきかはゐの    母 罷る       ツヅキカバヰの
つきのかみ なけきまつりて    ツキの神      嘆き 祭りて
そゐとしの きさらきもちに    十五年の      二月十五日
めすたには みちのうし    召す 丹波      道の治人の女
ひはすひめ ぬはたにいりめ    ヒハス姫      ヌハタニイリ姫
まとのひめ あさみにいりめ    マトノ姫      アサミニイリ姫
たけのひめ はつきはつひに    タケノ姫      八月初日
ひはすひめ きさきたてて    ヒハス姫      に立てて  
いとたり すけうちめに    妹 三人       スケ内侍
たけのひめ とりかえせは    タケノ姫      一人 返せば
はつかしく こしよりまかる    恥かしく      輿より罷る
おちくにそ            堕国
そやとしさつき              十八年 (天鈴706年)五月
きさき うむみこにしき    十日 后       生む御子 ニシキ
いりひこの いむなゐそきね    イリヒコの     斎名 ヰソキネ
ふそまふゆ うむみこやまと    二十年 真冬 (天鈴708年11月)     生む御子 ヤマト
をしろわけ いむなたりひこ    ヲシロワケ     斎名 タリヒコ
つきにうむ おおなかひめと    次に生む      オオナカ姫
わかきにの いむなはるひこ    ワカギニの     斎名 ハルヒコ
すけぬはた うむぬてしわけ    スケ ヌハタ     生む ヌデシワケ
つきにうむ いかたらしひめ    次に生む      イカタラシ姫
あさみうむ いけはやわけと    アサミ 生む     イケハヤワケ
あさつひめ            アサヅ姫
ふそみなつき              二十三年九月     (天鈴711年)
つみゑの みことのり    ツミヱ の     二日 御言宣
ほんつわけ ひけおひいさち    「ホンツワケ    髭 生ひ 騒ち
ものいわ これなにゆえそ    もの言わず     これ 何故ぞ」
もろはかり やまとひめて    諸 議り       ヤマト姫して
いのらしむ かんなきみ    祈らしむ      十月八日 君
とのたつ ときほんつわけ    殿に立つ      時 ホンツワケ
とふくくひ いわくこれ    飛ぶ       見て曰く「これ
なにものや きみよろこひて    何ものや」     君 喜びて
たれこの とりとりんや    「誰かこの     鳥 捕り得んや」
ゆかわたな とみこれとらん    ユカワタナ     「臣 これ 捕らん」
きみいわく とりほめん    君 曰く       「捕り得ば 褒めん」
ゆかわたな くくひとふかた    ユカワタナ     鵠 飛ぶ方
おひたつね たしまいつも    追ひ尋ね      但馬出雲
うやゑにて ついとりて    ウヤヱにて     遂に捕り得て
ねつき ほんすのみこに    十一月二日     ホンズの御子に
たてまつる みこもてあそひ    奉る        御子 持て遊び
ものいえは ゆかわほめて    もの言えば     ユカワを褒めて
とりとりへ かはねたまわる    鳥取部       姓 賜わる
ふそゐの きさらきに    二十五年の (天鈴713年)     二月八日に
みことのり たけぬかわけと    御言宣       タケヌカワケ
くにふくと みかさかしまと    クニフクと     ミカサカシマ
といちねと たけひもろに    トイチネと     タケヒ等 諸に
わかみをや みまきさとく    「我が御親     ミマキは聡く
ほつましる あやまりたたし    ほつま 知る     誤り 正し
へりくたり かみあかめて    謙り下り      神を崇めて
こらす かれそろあつく    己を懲らす     故 繁 篤く
たみゆたか いまわかにも    民 豊か       今 我が世にも
おこたら かみまつらんと    怠らず       神 祭らん」と
やよい あまてるかみお    三月八日      アマテル神
とよすきは はなちつける    トヨスキは     放ちて 付ける
やまとひめ            ヤマト姫
むかしとよすき              昔 トヨスキ
かみつけ みたまけかつき    神の告げ      御霊笥 担ぎ
よさゆく このはしたては    与謝に行く     この橋立
かさぬいの よりみやつの    笠縫の       上より宮津の
まつくも たなひきわたす    に雲(宮津市松原)<を>       棚引き渡す
みつかきの みそこやよ    瑞籬の       三十九年三月三日                                 (崇神天皇)       (天鈴659年)ヒボコが来た年)
みことのり けくにのおとと    御言宣       ケクニの大臣
たけみくら いわひぬし    タケミクラ     斎主とし
います たにはみちうし    イマスの子     タニハミチウシ
みけもり あめのひおきは    御供の守      アメノヒオキ
かんぬしに ふりたまねき    神主に       フリタマ禰宜
とよけかみ あまてるかみお    トヨケ神      アマテル神
まつらしむ みちうしみけの    祭らしむ      ミチウシ 御供の
かんめくみ よきみこたり    神恵み       良き御子 得たり
とよすきは ささはたみやに    トヨスキは     佐々波多宮
かえります またかみつけ    帰ります      また神の告げ
ををかみの かたみいたたき    大神の       形見 頂き
あふみより みのめくりて    央海より      美濃を巡りて
いせいいの たかひおかわに    伊勢飯野       高日拝
すすととむ たかみやつくり    進 止む       高宮 造り
しつめます            鎮めます
ふそふしはす              二十二年十二月                                            (天鈴710年)
すえに やまとめよしこ    二十八日に     ヤマト姫 ヨシコ
ことしそひ かみみつきの    今年 十一      神に貢ぎの
みつえしろ わかこをやこか    御杖代       ワカゴ親子
ともなひて うすめみくし    伴ないて      ウスメが御櫛
 あくるとて おとすくしたに    上ぐるとて     落す櫛田
としこえて いてたつはつひ    年 越えて      出で立つ 初日
あけのはら いせたかみやに    明けの原      伊勢高宮
いりませは おはつかえて    入りませば     叔母と仕えて(トヨスキと一緒に                                            アマテル神に仕ふ)
なつきひめ かゐもてあにの    九月 姫       粥 以て兄の
こといのる かれいゐのみや    殊 祈る       故 飯の宮
とせのち とよすきよはひ    三年後       トヨスキ 齢
ももみつて みつえならと    百三つで      御杖 ならずと
みならわ かねてねかえは    見習わせ      予て願えば
このたひは よしこうちの    この度は      ヨシコを
をみこ みたまけかつき    親王とし      御霊笥 担ぎ
いゐのより いそへうつし    飯野より (竹神社)         磯辺に移し (磯神社)
しつめます よきみやところ    鎮めます      「良き宮所
ありと わかこやれは    南に在り」と    ワカゴを遣れば
 ゐすすかわ ふもやよろの    五十鈴川      二百八万歳の
さるたひこ わかこにいわく    サルタヒコ     ワカゴに曰く
われむかし かみたまもの    「我 昔       神の賜物
さこくしろ うちみやいれ    サコクシロ     内宮に入れ
 あらみたま やよろまち    荒御魂       八万年 待ちし
かんたから あまつひつきの    神宝        『天地つ日月
さかほこき うつくしきすす    サカホコキ     美しき鈴
わいきたち かかんのんてん    地生太刀      カカンノンテン
ときまちて みちあらわせと    時 待ちて      道 現わせ』と
おほろけの ものならかれ    朧げの        物ならず 故
にも そのぬしまつ    子にも得ず     その主を待つ
これさつけ なかたうまれの    これ 授け      長留生まれの
つちきみは もとかえらん    辻君は       元に還らん
もちかえり つけよとてさる    持ち帰り      告げよ」とて去る
おおわかこ かえりもふせは    オオワカゴ     帰り申せば
やまとひめ うちいたりて    ヤマト姫      に至りて
いわく これかんかせの    見て曰く      「これ 神風の
いせみや みくさまつる    妹背の宮      三種は祭る
みなもとと いやまひかえす    源」と       礼ひ返す
あくらいし おおはたぬしと    あぐら石      オオハタヌシ
やそともに ゐそすすはらの    八十供に      五十鈴原
 くさから おちこちやまの    草 刈らせ      遠近山の
きら もとすえもとし    木を伐らせ     本末 戻し
 まなかもて おおみやはしら    真中 以て      大宮柱
しきたてて ちきたかしりて    敷き立てて     千木 高知りて
みやなれは みかともふし    宮 成れば      帝に申し
 みことのり みかさのをとと    御言宣       「ミカサの大臣
いわひぬし わたらひとみは    斎主        ワタラヒ臣
かんぬしに あへたけぬかお    神主に       アべタケヌガ
みかわりと わにくにふくお    御代りと      ワニクニフク
うちかわり ものへとちねお    代り       モノベトチネ
 みうえから たけひあさとお    御上から      タケヒ(大伴タケヒ)朝臣を
みこかわり おのおのもふて    御子代り」     各々詣で
ふそむの なつきそむ    二十六年(天鈴714年)の     九月十六の日
ををんかみ ゐそすすかわの    大御神       五十鈴川
さこくしろ うちわたまし    サコクシロ     内に渡まし
そな みたけはしらお    十七日の夜     御丈柱
をさめしむ これすへらきの    納めしむ      これ 皇の
みつからの たけのみやこに    自らの       丈の都
そろいのり あめかせのふし    繁 祈り       「雨風の節
ほとよくて ゆたかなれと    程良くて      豊かに実れ」と
ふしやすみ いやまひもふす    伏し窶み      礼ひ 申す
めくみや かみよろこひ    御恵や       神も喜び
つけいわく むかしすむ    告げ曰く      「昔 我が住む
さこくしろ しきなみよする    サコクシロ     繁和 寄する
いせみや なかくしつまり    妹背の宮      永く鎮まり
まもるへし とよけかみと    守るべし      トヨケの神と
もろともそ やまとひめより    諸共ぞ」      ヤマト姫より
これつく きみよろこひて    これを告ぐ     君 喜びて
にきてなし とよけのかみえ    和幣 成し      トヨケの神
さおしかは みわみけもち    直御使は      ミワミケモチ
いわひとは たにはみちうし    斎人は       タニハミチウシ
くにぬしの かみおしえは    地主の       神の教えは
ををんかみ つきおほして    「大御神      嗣を思して
いせのみち やもひとくさお    妹背の道      八方人草を
いけめくむ かれかつを    活け恵む      故 カツヲ 八木
ちきうち そくうちみや    千木の内      削ぐは内宮
うちかろく やたみゆたかに    内 軽く       八民 豊かに
またとよけ さかほこのり    またトヨケ     逆矛の法
あめほし こくらあらわし    天の星       九座 表し
かつを ちきそく    カツヲ 九木     千木は外を削ぐ
かれとみや うちあつくいつ    故 外宮       内 厚く 厳
たみちち おそれみちよ    民の父       畏れ 道 得よ
うちみやは きみははお    内宮は       君 母の子を
めくむのりかな          恵む法かな」



 タマキ宮(垂仁帝)九年九月十六日、二度目の中宮のカバイツキ姫が、ヤマトオオクニ神から垂(しで)を賜わった夢を見ました。その後まもなく懐妊の兆しがありましたが、この時はただ病んだだけで結局子供は生まれませんでした。丁度、三年後の九月十六日になってやっと生まれ出た姫御子(ひめみこ)は、ヤマトオオクニ神の夢にちなんでヤマト姫と名付けました。つらい事に母は産後に病んで十月二日この世を去りました。天皇は后の死を心から痛み嘆いて日々を送り、后の社(やしろ)を造って、ツヅキカバイノツキノ神の名を賜い送葬しました。(旧・山城国綴喜郡・ツヅキ・樺井月神社・カバイツキ)

 十五年二月十五日になって、御門(みかど)は三度目の后をお迎えになりました。タニワミチノウシノ姫達で、長女の名をヒワズ姫といい、次はヌハタニイリ姫、中はマトノ姫、次の妹はアサヒニイリ姫、最後はタケノ姫の五人でした。この五人の后達は先のサホヒコの謀叛で、不幸にも巻添えになって失った最初の后サホ姫が死に際に最後の言葉としして乞うた、「私の亡き後、タニワチウシの姫達を後任にお願いします」との、后の約束を果たしたものでした。

 八月一日、姉のヒワズ姫を中宮に立てて妹の三人を各々后としました。しかし五人目のタケノ姫だけは容姿が醜かったので、一人だけ国に送り帰しました。タケノ姫は国に向かう道々、自分の置かれた境遇を心から恥ずかしく思い、御輿(みこし)から川に身を投げて自殺してしまいました。
 この地を旧称乙訓(オチクニ)郡と呼び、羽東師(ハズカシ)の地名と共に日向市(ムコウー国に向う)の名称はあわれな姫のつらい思いを、死してなお今日までとどめています。
 后となられたヒワズ姫は、後に三男一女の子供に恵まれました。この内二十年の十一月生まれた二番目の御子がヤマトオシロワケ、真名(いみな)タリヒコで十二代景行天皇となられました。

 十五年二月八日に君の詔があり、「我が父の先帝ミマキ(崇神天皇)は、聡明な方で、秀でた正しい政治(まつり)を執られ、又時に間違いは勇気を持って正し、驕ることなくいつも謙虚に神を崇めて国民のために身を尽くしたお陰で、豊作が続き、民の生活(くらし)も豊かに平和が続きました。今、我が世にあっても怠らず神を祭ろうと思う」

 三月八日、今日までアマテル神の斎女(いつきめ)として奉祀していたトヨスキ姫から御霊(みたま)を解き放ち、新たにヤマト姫に着けました。昔、トヨスキ姫は夢にアマテル神のお告げを受けて、御霊笥(みたまげ)を担(かつ)いで丹後の国のヨサ宮(現・籠神社・コノ)に行き、アマテル神の御霊を戴いて巡行したことがありました。ヨサ宮の前にいざないかかる美しい天橋立は、アマテル神をお祭りするヤマト(奈良)カサヌイ村から青空高く瑞雲が立ち昇り、それはあたかもミヤズ(宮津)の青い松の枝々に棚引き渡すかのように崇高で美しい眺めでした。

 後にトヨスキ姫は一旦ヤマト、ハイバラ(榛原)のササハタ(篠幡)宮に帰りました。が、再び神の夢の告げを受けると、大御神の形見を戴いて鎮座の地を求めて巡行し、オウミ(淡海)からミノ(美濃)を巡って、又ウダのササハタ宮に帰って後、イセに赴き、タカヒオガワ(高樋小川)という所でやっと鈴の音を止めました。この地にタカ宮(高宮)を建造して御霊安かれと鎮めました。

 二十二年十二月二十八日、ヤマト姫ヨシ子はこの年十一歳の時、神に貢ぐための御杖代(みつえしろ)となる決心を固め、ワカゴ親子(大若子命と乙若子)を伴って、アメノウズメ緑の御櫛(みぐし)を奉納しようとイセに向かう途中、櫛を落とした所をクシダニ(櫛田神社)と言います。
 年を越えて夜の未明にクシダニを発った一行が、元旦の初日(はつひ)を拝んで進んだ原をアケノ原(明野)といいます。イセタカ宮に着いたヤマト姫はトヨスキ姫に伯母(おば)として仕えました。

 二十三年九月一日、君の詔があり、
 「我が子ホンズワケは髭が生える歳になってもまだ子供のように泣きいざち、物も言えないのはなぜだ」と。諸臣たちは早速協議してヤマト姫に祈らせることに決まり、姫は粥占(かゆうら)の神事を行って兄ホンズワケの事を祈りました。この故にこの宮をイイノ(飯野)宮と呼ぶようになりました。

 三年後、トヨスキ姫の歳も百三歳となり、もうこれ以上御杖の役が勤められないと悟ってヤマト姫に見習わせて、かねがねこの由を御門(みかど)に書面を持って願い出ていましたが、この度はやっと聞き入れられて、ヤマト姫は御霊笥(みたまげ)を担いでこのイイノ宮を出てアマテル神の御霊をイソベ(伊蘇宮・イソミヤ)に移して鎮めました。

 又ここで、良い宮の鎮座地が南の方向に有りとの神の啓示を受けた姫は、ワカゴを遣って調べさせたところ、イスズ川の上で、二百八万歳の翁サルタヒコに遭遇し、サルタヒコがワカゴに語っていわく、「我れ昔、アマテル神から授かった賜物をサゴクシロのウジ宮(伊勢神宮の前身)に入れて荒魂(あらみたま)として祭り、八万年待ち続けてまいった。その神宝は、天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の逆矛木(さかほこぎ)と美しき鈴である。ここは地の息の立ち昇る神の聖域なれば、神明を揚げ、祝詞(のりと)を上げ、神楽(かぐら)を奉じて、いつの日か天成道(あめなるみち)を現わしたまえと祈り、天から確かな主が遣わされるのを待ち続けてまいった。素性(すじょう)のはっきりせぬ者には渡せぬ。たとい我が子といえどもこの神宝は譲り得ぬ。

 さあ汝にこれを授けよう。我れナガタ(淡国長田・アワクニ)生まれの土君(つちぎみ)は元のナガタに帰って土となり神上がろう。この神宝を持ち帰って、主にこの旨を告げよ」と言って消え失せました。

 オオワカゴは帰り、ヤマト姫にこの一件を申し上げると、早速ウジに行き、この土地を見ていわく、「これ神風(かんかぜ)のイセの宮、三宝(ミクサ)は祭る源(みなもと)」と申しサルタヒコの座った座石(アグライシ)を敬い拝んで感謝の気持ちを表わし土君神を祭りました。後にオオハタ主と八十人の供の者達に命じて、イソスズ原の草を刈り取らせて整地して、遠近(おちこち)の山から良木を切り出し、木の真ん中を使用して、根の方を上に大宮柱を敷き建てました。千木(ちぎ)の高さも定まり宮が完成したので御門(みかど)にご報告すると、詔があり、「ミカサの大臣(おとど)を斎主(いわいぬし)に、ワタライ臣は神主に、アベタケヌガは天皇の代参に、ワニクニフクは中宮の代参に、モノベトチネは太上后の代参に、タケヒ朝臣(アサト)は、諸皇子(もろみこ)の代りに」と、各々に役を命じて詣でさせました。

 二十六年九月十六日、いよいよ大御神が、イソスズ川のサゴクシロウジ宮に渡御(とぎょ)され、十七日の真夜中には御丈心柱(みたけはしら)を納めました。この時、御門(みかど)が自らタケの都に御幸(みゆき)して豊作を祈り、雨、風、日照り程良くと、国豊かにとの気持ちを込めて五節句(正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)の仕事休みを初めて定め給いました。
 諸民は心からこの御恵み(みめぐみ)に感謝して大いに遊び楽しみました。

 この新しい宮の完成にアマテル神も大層喜ばれてヤマト姫に夢の告げがありました。「昔、我が住むサゴクシロ、重波(しきなみ)寄するイセの宮、永く鎮まり守るべし、トヨケの神と諸共(もろとも)ぞ」 ヤマト姫がこの言葉を御門(みかど)に告げると、君も大変喜んで和弊(にぎて)を自ら造ってトヨケの神への勅使としてオオミワの臣、ミケモチを定め派遣しました。今度の斎主(いわいど)はタニワミチウシでした。

 オオクニヌシの神の教えるところは、「大御神が子孫繁栄を思(おぼ)して、イセ(妹・背)の道を定め給い、八百万人民を活け恵みます。故に鰹木(かつおぎ)の数を八本として、千木(ちぎ)は内側を削る故に内宮という。この意味は、宮内の運営は軽くして八民(やたみ)が少しでも豊かになることを願うからです。又、トヨケ宮は逆矛(さかほこ)の法により、天の高天原の九星座(コクラ)を表わし、鰹木(かつおぎ)は九本です。千木(ちぎ)は外側を削ぐ故に外宮といいます。御心の内は厚くその威光は民の父、神を恐れ道を得なさい。内宮は君の御心はあたかも母親が子を恵む法である。












(私論.私見)

36綾目次

ホツマツタヱ 36綾



やまとひめかみしつむあや
36綾目次 やまと姫 神 鎮づむ 綾

(天照大神の御霊をやまと姫が安置する)


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36-41 外宮の神(とよけ神)と内宮の神(天照大神)の役割

39-40外宮の神(とよけ神)と内宮の神(天照大神)の役割(36-41)  

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39. 外宮の神の真意は厚く、国民に厳しい父の役割(36-41


 うちあつくいつ(36-41)
たみのちゝ おそれみちゑよ



御心の内(神の真意)は厚く、国民に厳しい父の役割です。
おそれて(反発せずに)、その道を学びなさい。(教えに従いなさい。)


40. 内宮は、天照大神が、母の子供を慈しむような恵む教え(36-41)


うちみやは きみはゝのこを(36-41)
めぐむのりかな(36完)


「うちみや」(内宮)は、天照大神が、母の子供を慈しむような恵む教えであります。

この最後の記述が天照大神が女神と勘違いされるようになった原因と考えられます。

36綾完

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36-40~41 内宮(天照大神)と外宮(とよけ神)の鰹木(かつおぎ)

37~38 内宮(天照大神)と外宮(とよけ神)の鰹木(かつおぎ)
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37. 内宮(天照大神)の鰹木(36-39~40

 かれかつおやぎ(36-39)
ちぎのうち そぐはうちみや




それ故に、棟木の上に置かれる鰹木(かつおぎ)を八本(や)にして、千木(ちぎ)の内側をそぐ(削る)ので、うちみや(内宮:ないぐう)と言います。

現在の伊勢神宮内宮の千木は十本あります。後述の外宮の千木は九本です。外宮を祭っている「とよけ神」より、この内宮を祭っている「天照大神」の方が偉いと勘違いされて、後世になって、千木の本数を増やしたものと思われます。



うちかろく やたみゆたかに(36-40)


うち(宮中)は軽く(質素にして)、八民(国民)が少しでも豊かになることを願うからです。




38. 外宮(とよけ神)の鰹木(36-40~41


またとよけ さかほこののり(36-40)
あめのほし こくらあらわし
かつおこぎ ちぎはとをそぐ
かれとみや(36-41)



一方、「とよけ宮」は「さかほこ」(逆矛:刑罰)の「のり」(法)により、天の高天原の九星座(こくら:天にある九神)を表します。鰹木(かつおぎ)は九本(こ)です。
千木は外側を削いでいるので「とみや」(そとみや:外宮)といいます。



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36-39. 「やまと姫」はお告げを垂仁天皇に伝える


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34. 「やまと姫」はお告げを垂仁天皇に伝える(36-37




 やまとひめより(36-37)
これをつぐ



この天照大神の言葉は「やまと姫」に乗り移って、垂仁天皇に告げられました。



35. 垂仁天皇は和幣をなし、「とよけ」の神への「さおしか」を定める(36-37


 きみよろこびて(36-37)
にぎてなし とよけのかみえ(36-38)
さおしかは みわのみけもち
いわひどは たにはみちうし



きみ(垂仁天皇)は喜ばれて、自ら和幣(にぎて)をなし(成す:作る)ました。そして、「とよけ」の神への「さおしか(勅使)」として、大三輪の「みけもち」を定めました。
「いわいど(斎主)」は「たにはみちうし(丹波みちうし)」でした。

「とよけ」の神は「天照大神」の母親「イサナミ」の父に当たる方で、「天照大神」を日高見(今の仙台多賀城付近)で帝王学を教えた経緯があります。



36. 神の教える道(36-38~39



くにぬしの かみのおしえは(36-38)
おおんかみ つぎおおほして(36-39)
いせのみち やおひとぐさを
いけのぞむ




「おおくに主」の神の教えるところは、天照大神は継ぎが多くなるよう(子孫繁栄を願って)、いもせ(妹背:男女の)の道を定め、八百万人民を生き生きと生活できるよう(いけ)恵まれてきました。



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36-36~37. 天照大神が「やまと姫」にお告げ


33. 天照大神が「やまと姫」にお告げ(36-36~37)

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 かみもよろこび(36-36)
つげいわく



神(天照大神)も喜ばれて、「やまと姫」にお告げがありました。(天照大神が「やまと姫」に乗り移ったか、「やまと姫」が霊視したのか、夢を見たのかはわからない)

 

むかしわかすむ(36-36)
さこくしろ しきなみよする



昔、我が住む(天照大神の時だから千年以上の昔になる)さごくしろには「しきなみ」(重波)寄せている。



いせのみや ながくしづまり(36-37)
まもるべし



伊勢の宮は、未来永劫、鎮座して守るべしと告げられました。



 とよけのかみと(36-37)
もろともぞ



「とよけ」の神と諸共ぞ。

「とよけ」の神は「天照大神」の母親「イサナミ」の父に当たる方で、「天照大神」を日高見(今の仙台多賀城付近)で帝王学を教えた経緯があります。


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36-35~36. 垂仁天皇は節休み(五節句)を設ける

32. 垂仁天皇は節休み(五節句)を設ける(36-35~36)


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 たけのみやこに(36-35)
ぞろいのり あめかぜのふし
ほどよくて ゆたかのなれと
ふしやすみ(36-36)



たけの都(たけ神社:伊勢)に御幸して、豊作を祈りました。
雨、風の節目も程よく(天候不順にならないよう)、国が豊かになれとの気持ちを込めて、節休みを設けました。

節休み:竹の節目にたとえて、仕事を休む日を、垂仁天皇は、五節句(正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)として決めました。

 

いやまひもふす(36-36)
みめぐみや



民は心からこの休みを敬い、天皇のこの御恵みに感謝しました。





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36-34~35. たまき宮二十六年、天照大神が「さごくしろうじ宮」にわだましされる

31. たまき宮二十六年、天照大神が「さごくしろうじ宮」にわだましされる(36-34~35)


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ふそむほの なづきそむのか(36-34)
おおんかみ ゐそすゝがわの
さこくしろ うぢにわたまし


たまき宮二十六年九月十六日、天照大神が「いそすず川」(伊勢内宮)の「さごくしろうじ宮」にわだまし(渡御:とぎょ、お入りになる)されました。

「さごくしろ」とは、天上におられる神々のところで高天原とも言う。



そなかのよ みたけばしらを(36-34)
おさめしむ これすべらぎの(36-35)
みづからの


明くる十七日の夜、御丈柱(背丈に合った天の御柱)を納められました。これは、垂仁天皇のご自身の背丈に合わせたものです。




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36-31~33. 宮が完成し落成式に参列された方々

30. 宮が完成し落成式に参列された方々(36-31~33)


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 ちぎたかしりて(36-31)
みやなれは みかどにもふし(36-32)
みことのり



千木(ちぎ)の高さも定まりました。そして、宮が完成いたしました。完成を「みかど」(すべらぎ:垂仁天皇)にご報告しました。
そうしたら、垂仁天皇の詔がありました。

以降、この伊勢の宮の落成式に列席した人が記されています。


 みかさのおとゞ(36-32)
いわひぬし



「みかさのおとど」:国摩(くになづ)大鹿島の命:みかさ文を編纂出録された方)は、「いわい主」(神だけを祀る専任の神職)という役目です。


 わたらひとみは(36-32)
かんぬしに


「わたらい臣」は伊勢内宮の(後に外宮も)神主です。



 あへたけぬがを(36-32)
みかわりと 



「あべたけぬが」(崇神朝の時、「たけぬがわほずまおし」に任命:「おし」は官礼という役職)を「み」(垂仁天皇)の代参として、



わにくにふくを(36-33)
うちかわり



「わにくにふく」(奈良県天理市わに村)を「うち」(中宮)の代参として、

 

ものべとちねを(36-33)
みうえから



「ものべとちね」を「みうえ」(太上后)の代参として、



 たけひあさどを(36-33)
みこかわり おのおのもふで



「たけひ朝臣」は「みこ」(皇子)の代参として、それぞれの役を命じて詣でました。



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36-30~31. 宮を建てるため整地する

29. 宮を建てるため整地する(36-30~31)


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 おゝはたぬしと(36-30)
やそともに ゐそすゞはらの
くさからせ おちこちやまの(36-31)
きをきらせ



その後、「おおはたぬし」(もののべ)と八十人もの供達に命じて、いそすず原の草を刈らせ、あちこち(おちこち:遠近)の山の木を切らせ整地させました。


 もとすえもとし(36-31)

木材は上の方を下に、根の方を上に逆さまにします。(屋根:「やね」は、根が上からきている)
切り取った木でも、さかさまにしないと生きていて成長してしまうので逆さまに置くことを当時から知っていたことに感心します。現在の一般の木造建築で、機械加工をした木の上下の向きが区別できるのか疑問に思います。


まなかもて おゝみやはしら(36-31)
しきたてゝ


木材の中心の良い所を使って、大きな宮の柱にします。
絵図に仕切られたように(従って)建てます。


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36-29~30 「やまと姫」は、宇治へ行き、三宝が祭られる場所と決める

28. 「やまと姫」は、宇治へ行き、三宝が祭られる場所と決める(36-29~30)


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やまとひめ うぢにいたりて(36-29)
みていわく これかんかぜの
いせのみや みくさはまつる(36-30)
みなもとゝ



早速、「やまと姫」は、宇治に行き、この地を見て、この地は神風の吹いた伊勢の宮の跡で、三宝(三種の神器)が祭られる源(本来の場所)である。と、申されました。



 いやまひかえす(36-30)
あぐらいし



おそらく、「さるたひこ」が座った「あぐらいし:座石」を敬い、「さるたひこ」を祀りました。
「いやまひ」の「いや」は、ますますの意味。いやまひ=敬い


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36-26~29. 「さるたひこ」は天照大神からの賜物を「わかご」に授けて消える

27. 「さるたひこ」は天照大神からの賜物を「わかご」に授けて消える(36-26~29)

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 わかごにいわく(36-26)
われむかし かみのたまもの
さこくしろ うぢみやにいれ
あらみたま やよろほまちし


そこで、「さるたひこ」は遣いに来た「わかご」にこう言いました。
私は昔、天照大神から授かった賜物を「さごくしろ」の「うじ宮」(後の伊勢神宮)に入れて、新たな御霊(荒魂?)として祀り、八万年待っていました。


かんたから あまつひつぎの(36-27)
さかほこぎ うつくしきすゞ
わいきたち (はいきたち)


その天照大神から授かった神宝は、天つ日嗣(ひつぎ)の逆矛木(さかほこぎ)と、美しい鈴と、大地(「はにわ」の「は」)の息吹を持った剣である。
「さかほこ」は逆らうものを滅ぼす・ほころぼすを意味しており、イサナギの代までは「さかほこ」が三種の神器の一つであった。



 かゝんのんでん(36-27)
ときまちて みちあらわせと


かがり火を焚いて、たいこをたたいて、毎日祈って、正しい道を表す神を待ち続けていた。



おほろげの ものならずかれ(36-28)
こにもゑず



怪しげな素性の分からない者には渡せない。たとえ、我が子と言えどもこの神宝は渡し得ない。

 

そのぬしをまつ
これさづけ ながたうまれの(36-28)
つちぎみは もとにかえらん


この神宝を授けられる主を待っていた。
今ここに、汝に授けよう。「ながた」(あわくに・淡国長田・滋賀県高島郡)生まれのつちぎみ(さるたひこ)は、元に帰りました。



もちかえり つげよとけさる(36-29)

この三種の神宝を「やまと姫」の所へ持ち帰って、主にこの旨つげなさいと言って消え失せました。



おゝわかご かえりもふせば(36-29)

「おおわかご」は、いさわの宮(磯辺町)の「やまと姫」の元に、帰り、申し上げました。


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36-25~26. 「やまと姫」の「わかご」が「さるたひこ」に出会う

26. 「やまと姫」の「わかご」が「さるたひこ」に出会う(36-25~26)


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 わかごをやれば(36-25)
ゐすずがわ ふおやよろほの
さるたひこ(36-26)


そこで、「やまと姫」は「わかご」(付添い人)を遣って調べさせたところ、いすず川の所で、二百八万歳の翁「さるたひこ」に出会います。


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36-25. 良い宮の候補が「さ」にあると、神の告げを受ける

25. 良い宮の候補が「さ」にあると、神の告げを受ける(36-25)

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 よきみやところ(36-25)
さにありと


もっと良い宮の候補地・都が「さ」にあると、「やまと姫」は神の告げをうけました。
「さ」は、通常、南と解釈できますが、ここでは「さごくしろ」の「さ」を示していると思われます。また、「さるたひこ」の「さ」と解釈も出来ます。

36-24~25「おみこ」になった「やまと姫」は、御霊笥を飯野宮から「いそべ」に遷す

24. 「おみこ」になった「やまと姫」は、御霊笥(みたまげ)を飯野宮から「いそべ」に遷す (36-24~25)

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このたびは よしこをうちの(36-24)
おみことし みたまげかつぎ
いゐのより いそべにうつし(36-25)
しつめます



この度は、「よしこ」(やまと姫よしこ)を、内宮の「おみこ(御神子):御杖(みつえ)の役」として、御霊笥(みたまげ:天照大神の御霊)を担いで飯野宮から「いそべ」(いそのみや:伊蘇宮)に遷(うつ)して鎮めました(安置してお守りしました)。


36-23~24. 「とよすき姫」は、御杖(みつえ)の役を、「やまと姫」に見習わせる

23. 「とよすき姫」は、御杖(みつえ)の役を、「やまと姫」に見習わせる(36-23~24)

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みとせのち とよすきよはひ(36-23)
もゝみつで みつえならずと(36-24)
みならわせ かねてねがえば



三年後(たまき宮二十六年)、「とよすき姫」の歳は百三歳になり、これ以上御杖(みつえ)の役が務まらないと、「やまと姫」に見習わせて、かねてからの願いを申し上げました。

36-23. 「やまと姫」は粥占いで、「ほんずわけ」を祈る

22. 「やまと姫」は粥占いで、「ほんずわけ」を祈る(36-23)


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なづきひめ かゐもてあにの(36-23)
こといのる かれいゐのみや


たまき宮二十三年九月に、「やまと姫」は粥占いの神事を行って、兄「ほんずわけ」の事を祈りました。それ故に、この宮を飯野宮と呼ぶようになりました。(粥-飯:いい)
(36-9)参照

「ほんずわけ」は垂仁天皇と最初のお妃「さほ姫」との間に生まれた子。「やまと姫」は二番目のお妃「かばいつき姫」との間に生まれた子。「やまと姫」からは腹違いの兄になる。

36-22~23. たまき宮二十三年の新年の初日を「明けの原」で迎える

21. たまき宮二十三年の新年の初日を「明けの原」で迎える(36-22~23)


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としこえて いでたつはつひ(36-22)
あけのはら


たまき宮二十三年の元旦になりました。新年の初日を迎えた場所を、「あけのはら」(明野)と呼ぶようになりました。


 いせたかみやに(36-22)
いりませば おばとつかえて(36-23)



その後、「やまと姫」は新しい伊勢の「たかみや」に入られました。
「やまと姫」は「とよすき姫」の伯母にお仕えしました。


36-22. 神に捧げようとした「あめのうずめ」の櫛を落とす

20. 神に捧げようとした「あめのうずめ」の櫛を落とす(36-22)


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 うすめがみぐし(36-22)
あぐるとて おとすくしだに


「あめのうずめ」が持っていた櫛(くし)を、神に捧げよう(奉納)と、伊勢に向かう途中、その櫛を落としてしまいました。そして、櫛を落とした場所を「くしだに」と言うようになりました。「櫛田神社」に伝えられていると思われます。

「あめのうずめ」は、昔、天孫ににきねに言われて、誰も声をかけることが出来なかった猿田彦(ちまた神)に女性の目力で声をかけた美人。

36-21~22. たまき宮二十二年「やまと姫」が「みつえしろ」になる

19. たまき宮二十二年「やまと姫」が「みつえしろ」になる(36-21~22)


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ここで、話の時系列が前後しています。


 ふそふほしはす(36-21)
すえやかに やまとめよしこ
ことしそひ かみにみつぎの
みつえしろ


たまき宮二十二年十二月二十八日(末の八日)に、「やまと姫よしこ」は、今年、十一才になりました。そして、神様に身を捧げる(貢ぐ)「みつえ(御杖え)しろ」になられました。

「みつえ(御杖え)しろ」:神のご意思に従って(神に代わって)、生涯、神様(天照大神)にお仕えする「つきの宮」のこと。


わかごおやこが(36-21)
ともなふて(36-22)


「わかご」(付き添い人)の親子が、「やまと姫」に伴いました。
まだ、「やまと姫」は年も若かったので付き添いが必要と思われます。
「わかご」には「おおわかご」、「こわかご」がいて、分身としても働いていたように見えます。

36-19~21. 再び、「とよすき姫」に神の告げ

18. 再び、「とよすき姫」に神の告げ(36-19~21)


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 またかみのつけ(36-19)

また再び、「とよすき姫」に神の告げがありました。

おおかみの かたみいたゞき(36-20)
あうみより みのをめぐりて
いせいゝの たかひをがわに
すゞとゞむ たかみやつくり
しづめます(36-21)




天照大神の御霊(かたみ)をいただき(身に付けて)、近江から、美濃へ行って、最後に伊勢の飯野の「たかひおがわ:高樋小川」(今の鈴鹿川)に、鈴(天照大神の霊)を留め、高宮をつくって鈴を鎮めました。「たかひおがわ」の「ひ」は、特別の意味を持つ字になっています。


すずか(鈴鹿)の語源:「すずとどむ」の「すず」と「たかみや」の「か」からと思われます。

36-19. 「とよすき姫」は「ささはた宮」に帰る

17. 「とよすき姫」は「ささはた宮」に帰る(36-19)

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とよすきは さゝはたみやに(36-19)
かえります


「とよすき姫」(斎女)は役目を終えて「ささはた宮」(奈良県宇陀の山奥)に、お帰りになりました。

36-18~19. 「とよけ」の神と「天照大神」を祀り、「みちうし」は良い跡継ぎを得る

16. 「とよけ」の神と「天照大神」を祀り、「みちうし」は良い跡継ぎを得る(36-18~19)

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とよけかみ あまてるかみを(36-18)
まつらしむ


「とよけ」の神と「天照大神」をお祭りさせました。

「とよけ」の神は「天照大神」の母親「イサナミ」の父に当たる方で、「天照大神」を日高見(今の仙台多賀城付近)で帝王学を教えた経緯があります。


 みちうしみけの(36-19)
かんめくみ よきみこゑたり


「みちうし」(ひはす姫のお父さん)は神饌を捧げることにより、神の恵みを受けて、良い皇子を得ることが出来ました。良い跡継ぎ(後の景行天皇)を得ました。

36-17~18 . たまき宮三十九年詔、お付きの大臣も代わる

15. たまき宮三十九年詔、お付きの大臣も代わる(36-17~18)


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 みづかきの みそこやよみか(36-17)
みことのり けくにのおとゞ
たけみくら いわひぬしとみ


「みづかき」の宮、たまき宮三十九年三月三日に、垂仁天皇の詔がありました。
けくに(神に食事を捧げる役および政務に関わるご意見番で今の官房長官のようなもの:神武天皇朝以降の役職)のおとど(大臣)として「たけみくら」を「いわい主」(神だけを祀る専任の神職)に指名しました。

天照大神を祀る斎宮が「とよすき姫」から「やまと姫」に換わったため、その他の担当する臣たちも、以下のように新たに換わりました。


いますのこ たにはみちうし(36-18)
みけのもり


「います」の子の「たにはみちうし」は、食事係(神饌:みけのもり)になりました。
「たにはみちうし」は、丹波みちぬし:娘五人の父親で、一番下の「たけの姫」以外は垂仁天皇のお妃になった。先祖は「たかみむすび」で藤原鎌足に続く。


 あめのひおきは(36-18)
かんぬしに


あめの日置は神主になりました。

「あ」は「天」を表す

日置について、「知らざれる古代 謎の北緯三十四度三十二分をゆく」 著者:水谷慶一 に、非常に興味ある調査の記述があります。
読み直して見たいと思っています。



 ふりたまはねぎ(36-18)

「ふりたま」は「ねぎ職」にそれぞれ任命されました。
「ねぎ」は、役職上、神主の下で「さぶり職」の上の宮司。

36-16~17. 昔「とよすき姫」が「天の橋立」(丹後のよさ)へ行きました

14. 昔「とよすき姫」が「天の橋立」(丹後のよさ)へ行きました(36-16~17)


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むかしとよすき(36-16)
かみのつけ みたまげかづき
よざにゆく


昔、「とよすき姫」(崇神天皇の娘で天照大神の斎宮)が、天照大神のお告げを受けて、御霊笥(みたまげ)を担いで、丹後の国の「よさ宮」(現、籠:この神社)に行きました。

「よさ」の語源:「いざなみ」から「ソサノウの尊」が「さちほこちたる」国を治めなさいと授かり与えられた国で、「よさ」とは良い使命された国のことを意味します。


 このはしたては(36-16)
かさぬいの ゑよりみやづの
まつにくも たなびきわたす(36-17)


いざないかかる、この美しい橋立(はしごの事):天の橋立は、「かさぬい村」(やまと:天理市)の縁起の良い(ゑ方)方向から、宮津の天の橋立の松に、空高く雲がたなびいて渡されているかのように崇高で美しいものでした。

36-15. 天照大神の御霊を「とよすき姫」から「やまと姫」へ



13. 天照大神の御霊を「とよすき姫」から「やまと姫」へ(36-15)

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やよいやか あまてるかみを(36-15)
とよすきは はなちてつける
やまとひめ


三月八日、天照大神の斎宮(斎女:いつきめ、いつきのみや)として、奉祀していた「とよすき姫」から、身につけていた御霊(みたま)を解き離し、新たに「やまと姫」に託しました。

36-13~15 たまき宮二十五年、垂仁天皇の詔、先代に倣い神を祀る

12.たまき宮二十五年、垂仁天皇の詔、先代に倣い神を祀る(36-13~15)


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ふそゐほの きさらぎやかに(36-13)
みことのり たけぬがわけと
くにふくと みかさかしまと
といちねと たけひらもろに


たまき宮二十五年二月八日に、垂仁天皇の詔がありました。
「たけぬがわけ親王」と
「くにふく親王」と
(滋賀県神田神社:あだ姫の主人で、あだ姫はあだをなした姫:「あだ」の語源)
「みかさかしま」と
(くになずおおかしまの命、三輪春日系、たかみむすび、伊勢神社。左大臣、鏡の臣)
「といちね」と
(神武天皇の兄に系統、弟はスイゼイ天皇)
「たけひらもろ」の五人に申されました。



わかみをや みまきはさとく(36-14)
ほづましる あやまりたゝし
へりくたり かみをあがめて
みをこらす


我が先代のみまき(みまきいりひこ:崇神天皇)は聡明(さとく)でした。
秀でた真(まこと)を知り、正しい政治をされ、誤り(為政者)を正しました。
驕ることなく謙虚で、神を崇めて(神祀りを行い)、真摯な態度でありました。

「みまき」は「みまな」の国を崇神天皇(みまきいりひこ)がつくったことから来ています。



かれぞろあつく(36-14)
たみゆたか いまわがよにも(36-15)
おこたらず かみまつらんと


その結果、稲穂も豊作になり、(「ぞ」:稲、「ろ」:畑の作物)
民の生活も豊かになりました。
今、我が世にあっても、怠ることなく、神を祀ります。

36-11~12 「ゆかわだな」白鳥を捉え「ほんずわけ」に賜る

10. 「ゆかわだな」白鳥を捉え「ほんずわけ」に賜る(36-11~12)


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ゆかわたな くゞひとぶかた(36-11)
おひたづね たじまぢいづも
うやゑにて ついにとりゑて


「ゆかわたな」は白鳥(くぐい:鵠)が飛んでいった方へ追い尋ねて行きました。但馬路を経て、出雲の「うやえ」という所でやっと取らえることが出来ました。

ねづきふか ほんづのみこに(36-12)
たてまつる


十一月(ねづき:木の根に霜が付く月)二日、取ってきた白鳥を「ほんずわけ」の皇子に賜りました。




11. 「ゆかわだな」に「とりとり」の氏を与える(36-12)

 みこもてあそび(36-12)
ものいえば ゆかわをほめて
とりとりへ かばねたまわる


「ほんずわけ」の皇子はその鳥と楽しく遊び、ものを言うようになったので、「ゆかわ:ゆかわたな」を誉めて、「とりとり」という氏(うじ:名前)を与えました。
この「とりとり」は、鳥取の語源でもあり、「ゆかわたな」は、名前だけでなく、この地も授かったと思われます。

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36-9~11. 「ほんずわけ」白鳥を見て声を出す

9. 「ほんずわけ」白鳥を見て声を出す(36-9~11)


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 かんなやかきみ(36-9)
とのにたつ ときほんづわけ
とふくゝひ みていわくこれ(36-10)
なにものや


十月(かんな:神が並ぶ月)八日に、君(垂仁天皇)が、高殿に立たれたとき、「ほんずわけ」が、突然飛んでいる白鳥(くぐい:鵠)を見て口を開いて、あれは一体何ものだ?と聞きました。

「かんな月」考:
神武天皇以前は「めつき」と言った。「め」=雌で女性は妊娠して十ヶ月で生まれるとされていた。ちなみに男は母親が妊娠してから十二ヶ月で生まれると考えられていたことによる。

 きみもろこびて(36-10)
たれかこの とりとりゑんや


君(垂仁天皇)は、諸臣たちは感激しました。(諸臣たちに頼みました)そして、誰か、この鳥を取ってはくれないかと申されました

ゆかわだな とみこれとらん(36-10)
きみいわく とりゑばほめん(36-11)


「ゆかわだな」という臣(武将)が、私が取りましょうと進言しました。そして、君(垂仁天皇)は、もし、取ってきたら誉めてつかわそうと申されました。

36-8-9. 「ほんずわけ」ものが言えるようにと「やまと姫」に祈らせる

8. 「ほんずわけ」ものが言えるようにと「やまと姫」に祈らせる(36-8-9)


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 ふそみほなづき(36-8)
つみえはの ふかみことのり
ほんづわけ ひげをひいざち
ものいわす これなにゆえぞ(36-9)


たまき宮二十三年九月二日(ほつま暦「つみえ」の最初の次の日)に君(垂仁天皇)の詔がありました。
我が子の「ほんずわけ」(垂仁天皇と最初のお妃「さほ姫」との間に生まれた子)は髭が生える年になってもまだ子供のように物も言えないのは一体どうしてなのだろうか。

もろはかり やまとひめして(36-9)
いのらしむ


諸臣たちは協議して、「やまと姫」に祈らせました。「やまと姫」(かばいつき姫の子供)は「ほんずわけ」と腹違いの妹にあたることになります。

「やまと姫」が「ほんずわけ」を祈る記載について、後述本綾の36-23にもでてきます。


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36-7. 五人の娘の次女すけ妃「ぬはだ姫」が皇子・姫を生む


6. 五人の娘の次女すけ妃「ぬはだ姫」が皇子・姫を生む(36-7)

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すけぬはだ うむぬでしわけ(36-7)
つきにうむ いかたらしひめ


すけ妃になった二番目の「ぬはだ姫・ぬはだにいり姫」が生んだ皇子が「ぬでしわけ」で、その次に生んだ姫が「いかたらし姫」です。

7. 五人の娘の四女うちめ「あさみ姫」が皇子・姫を生む(36-7)

あさみうむ いけはやわけと(36-8)
あさづひめ


四番目のお妃「あさみ姫・あさみにいり姫」が生んだ子供は「いけはやわけ」皇子と「あさづ姫」です。

三女の「まとの姫」には記載がないので、お子さんが生まれなかったのでしょう。

36-5~7 五人の娘の長女、妃の「ひはす姫」が皇子・姫を生む

5. 「たにはちみちうし」の五人娘の長女、妃の「ひはす姫」が皇子・姫を生む(36-5~7)

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ここから、お妃になった娘たちが生んだ子供の記録です。

 そやとしさつき(36-5)
そかきさき うむみこにしき(36-6)
いりひこの いむなゐそきね


たまき宮十八年五月十日に妃(中宮の「ひはす姫」)が生んだ皇子は「にしきいりひこ」で真名(いみな)が「いそきね」です。景行天皇のお兄さんになります。

ふそまふゆ うむみこやまと(36-6)
おしろわけ いむなたりひこ


たまき宮二十年の真冬に生んだ皇子は「やまとおしろわけ」で真名(いみな)が「おしろわけ」(後の十二代景行天皇になる)です。

この記述より、景行天皇は次男であることが分かります。さらに、やまと姫(36-2)は景行天皇の腹違いのお姉さんにあたることが分かります。

つぎにうむ おゝなかひめと(36-7)
わかぎにの いむなはるひこ


中宮の「ひはす姫」に、次に生まれたのが、「おおなか姫」と「わかぎに」で真名(いみな)が「はるひこ」です。

36-5 その五人の娘の中「たけの姫」だけ宮に入れず帰される

4. その五人の娘の中「たけの姫」だけ宮に入れず帰される(36-5)

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たけのひめ ひとりかえせば(36-5)
はずかしく こしよりまかる
おちくにぞ


しかし、五人目の「たけの姫」は、宮中に入れず、一人だけ国に帰しました。「たけの姫」一人が天皇に気に入られなかったというはずかしさで一杯になり、今更一人だけ国へ帰ることも出来ず、御輿から身を投げて自殺してしまいました。その地を、おちくに(堕国・乙訓)と言うようになりました。

丹後に竹野町という名残りがあり、羽束師(はずかし)という地名の語源になったものと思われます。
なお、京都市内伏見区にも羽束師町や羽束師神社があります。
漢字が渡来してこの地の名前を音だけで当てはめたと思われます。そのためか、元の意味が不明になってしまったケースに驚きます。

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36-3~5 垂仁天皇は「たにはちみちうし」の五人の娘をお妃に

3. 垂仁天皇は「たにはちみちうし」の五人の娘をお妃に(36-3~5)

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垂仁天皇の最初のお妃「さほ姫」は兄の謀反の犠牲で火攻めに遭い、若くして焼け死んでしまい、二番目のお妃、「かばいつき姫」にも先立たれてしまいました。
「かばいつき姫」亡きあと、約二年半、お妃なしに終止符がうたれます。「さほ姫」が自分の後見に薦めた「たにはちみちうし」の娘をお妃にします。


そゐとしの きさらぎもちに(36-3)
めすたには みちのうしのめ
ひはすひめ ぬはたにいりめ(36-4)
まとのひめ あさみにいりめ
たけのひめ


たまき宮十五年二月十五日に、垂仁天皇は新しいお妃(三代目)を召されました。
名前を「たにはみちのうし」の娘(五人姉妹)の
長女「ひはす姫」
次女「ぬはたにいり姫」
三女「まとの姫」
四女「あさみにいり姫」
五女「たけの姫」と言います。

 はづきはつひに(36-4)
ひはすひめ きさきにたてゝ
いとみたり すけとうちめに(36-5)


八月一日に、「ひはす姫」を妃(中宮)に向かい入れました。
そして、妹の三人を、「すけ妃」と「うちめ」にそれぞれ取り入れました。
妹の三人とは
次女「ぬはたにいり姫」
三女「まとの姫」
四女「あさみにいり姫」


でも、ここで問題が生じます。

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36-2~3「やまと姫」の母、「かばい姫」が産後半月で亡くなる

2. 「やまと姫」の母、「かばい姫」が産後半月で亡くなる(36-2~3)


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あとやみて かなづきふかに(36-2)
はゝまかる(36-3)


しかし、母(お妃:かばいつき姫)は、産後病になってしまい、十月(かなづき:神が並ぶ月)二日にお亡くなりになりました。

 つゞきかばゐの(36-3)
つきのかみ なげきまつりて


天皇(垂仁天皇)は妃の死を嘆いて、「つつきかばいのつきの神」という名を賜って葬送しました。

36-1~2 たまき宮十二年「やまと姫」が誕生


1. たまき宮十二年「やまと姫」が誕生(36-1~2)

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「やまと姫」が天照大神の御霊を伊勢神宮に鎮めた(安置した)綾(章)です。

「やまと姫」は2代目の斎宮になられた方で、初代の斎宮は「とよつき姫」です。天照大神の御霊を鏡に映して鎮座しました。



たまきみや こほなつきそむ(36-1)
きさきゆめ やまとおゝくに
かみのして たまへばはらみ
つきみちて うまずにやめて(36-2)


たまき宮(垂仁天皇)の九年九月(なつき:ここなづきの略)十六日に、お妃(かばいつき姫)が夢で「やまとおおくに神」(正式には「ことしろぬし」にあたる)から、神の垂(しで)を賜わりました。そうすると、孕みました(懐妊した)が、月が満ちても(月が経っても)生まれませんでした。

みとせのち なつきそむかに(36-2)
うむみこの なはやまとひめ


その後、三年経った十二年九月十六日にやっと生まれました。その子の名前は「やまと姫」と名付けられました。
(やまとおおくに神の夢にちなんで)正式には、「やまとおおくに神」は「ことしろ主」に当たります。

ジョンレノ・ホツマ