ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)35

 (最新見直し2009.3.19日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ホツマツタエは、古代大和ことばのホツマ文字といわれる図象文字で綴られた全文で40アヤ(章)、五七調で一万余行に及ぶ叙事詩で、大和王朝前の御代の神々の歴史、文化、精神を詠っている。作者は、前半の天の巻、地の巻の1章~28章を櫛甕玉命(クシミカタマの命、鴨彦、神武時代の右大臣)、後半の人の巻29章~40章を三輪の臣である大直根子命(オオタタネコ、三輪秀聡、景行天皇時代)が編纂、筆録したと記されている。古事記、日本書紀と原文で詳細に比較するとホツマツタエを原本としている事が判明しており、いわば記紀原書の地位にある。

 2009.3.19日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)35、ヒボコ来るスマイの文】
 アメヒボコの来朝
35綾 目次
ひぼこきたるすまゐのあや

新羅の皇子「ひぼこ」が来た綾、そして相撲の始まりの綾


35綾 目次

1. 「いそさち」皇子は「いくめいりひこ」(垂仁天皇)に即位(35-1~4)
2. 「さほ姫」を中宮にたて、都は「たまき宮」に移す(35-4~5)
3. 「さほ姫」が皇子「ほんづわけ」を生む(35-5)

4. 任那より使者が来朝、国交が開かれる(35-5~7)

5. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に(35-7)
6. 新羅の皇子「あめひぼこ」が持参した土産物(35-7~8)
7. 新羅皇子の「あめひぼこ」の来朝の目的(35-9~12)
8. 「あめひぼこ」は国を巡った後、但馬に住み「またおお姫」を娶る(35-12~13)
9. 「あめひぼこ」の系図(35-14)

10. 「さほ姫」の兄「さほひこ」が垂仁天皇殺害の計画(35-15~17)
11. 天皇殺害の紐刀を兄は「さほ姫」に授ける(35-17~19)
12. 「さほ姫」は殺害を隠しきれないと知り、天皇に全てを話す(35-19~24)
13. 君(垂仁天皇)は「さほひこ」を討ち取りに(35-24~27)
14. 「やつなだ」が火攻めに、妃は皇子を抱いて出てきた(35-27~28)
15. 妃は自分の後見に「たにはちうし」の娘を願い、焼け死ぬ(35-28~30)

16. 「かばいつき姫」を中宮に立て婚礼の祝い(35-30~31)
17. 初めてのたなばたの神祀り(35-31~32)

18. 「たまえくえはや」という力持ちが力くらべの相手を(35-32~34)
19. 「のみのすくね」と相撲をとり、「たまえくえはや」を踏み殺す(35-34~37)
20. 「のみのすくね」は「ゆみとり」の勇士に(35-37~38)

ジョンレノ・ホツマ
ひほこきたるすまいあや     ヒボコ来る スマイの文
ときあすす むもやそことし    時 天鈴       六百八十九年
ねやゑはる むつきつあとは    ネヤヱ 春      一月 ツアトは
をみゑみこ いむなゐそさち    ヲミヱ 御子     斎名 ヰソサチ
 としよそふ あまつひつきお    歳 四十二      天地つ日月
うけつきて いくめいりひこ    受け継ぎて     イクメイリヒコ
あまきみと かさりたみに    天君と       飾りを民に
おかましむ きみうまれつき    拝ましむ      君 生れ付き
たたなおく こころほつまに    ただ直く      心 ほつま
おこりなく ゆめしるしに    驕り無く      夢の徴に
みよのはつ あきあおくれ    御世の初      秋天に遅れ
ふゆおさめ ははいまなそこ    冬 納め       母 今 七十九歳
みうえ おおははことし    御上とし      大母 今年
ももやそこ としきさらき    百八十九歳     二年二月
さほひめお うちみやたつ    サホ姫を      内宮に立つ
にいみやこ うつすまきむき    新都        遷す 纏向
たまきみや しはすうむみこ    珠城宮       十二月 生む御子
ほんつわけ あえものいわ    ホンツワケ     得 もの言わず
みまなより そなかしちて    任那より      ソナカシチして
みつきあけ はつみよいわふ    貢 上げ       初御世 祝ふ
ををんみき たまひたまもの    大御酒       賜ひ 賜物
ゐついろの かつみねにしき    五色の       上熟錦
あやもも みまなきみに     百機       任那の君に
たまわりて しほのりひこか    賜わりて      シホノリヒコ
のほりたて くにおくれは    幟 立て       国に送れば
みちひらく            道 開く
もろすけ              三年一月(天鈴691年) モロスケ
とみめす むかしひほこか    臣に召す      昔 ヒボコ
みやけもの はほそあしたか    土産物       ハホソ アシタカ
うかかたま いつしこかたな    ウカカ珠      イツシ小刀
いつしほこ ひかかみくまの    イツシ矛      ヒ鏡 奠の
ひもろけす いてあさたち    胙陶        イテアサの太刀
このくさ たしまおさむ    この八種      但馬出石神社)に納む
みつかきの みそこひほこは    瑞籬の       三十九年(天鈴659年) ヒボコは
はりまより いたるししあわ    播磨より      至る宍粟
そのときに おおともぬしと    その時に      オオトモヌシ
なかおいち はりまにやりて    ナガオイチ     播磨に遣りて
とはしむる いわくしらきの    問はしむる     曰く「新羅
きみあこ あめひほこ    君の天子      名はアメヒボコ
おとちこに くにゆつりて    弟 チコに      国を譲りて
やつかれは ひしりきみに    僕は        聖の君に
まつろい つかいかえりて    服いぬ」      使 帰りて
これつく よりてはりまの    これを告ぐ     よりて「播磨の
いてさむら あわちししあわ    出浅村       淡路 宍粟
ままおれ ひほこもふさく    ままに居れ」    ヒホコ 申さく
すむところ ゆるしたまはは    「住む処      許し給はば
 めくりん きみゆるされは    巡り見ん」     君 許されば
あめひほこ うちかわのほり    アメヒボコ     宇治川 上り
あわうみの あなむらにすむ    アワ海の      吾名村に住む
またさらに わかさめくりて    また更に      若狭 巡りて
すむたしま ともすえひとは    住む但馬      供末
はさまたに のこしいすしま    挟処に       残し 出嶋
ふとみみか またおめとり    フトミミが     マタオを娶り
あめひほこ もろすけうむ    アメヒホコ     モロスケを生む
もろすけは ひならきおうむ    モロスケは     ヒナラギを生む
ひならきは きよひこおうむ    ヒナラギは     キヨヒコを生む
きよひこは たしまもりうむ    キヨヒコは     タジマモリ 生む
なつき つうゑをなゑ    四年 (天鈴692年) 九月      ツウヱはヲナヱ
さほひこか きさきとふは    サホヒコが     后に問ふは
あにをと いつれあつきそ    「兄と夫      何れ 篤きぞ」
きさきつひ あにとこたふに    后 つひ       「兄」と答ふに
あつらうる なんちいろもて    誂うる       「汝 色もて
つかゆれと いろおとろいて    仕ゆれど      色 衰いて
めくみさる あになかからん    恵み 去る      あに永からん
ねかはくは われとなんちと    願はくは      我と汝と
みよふまは やすきまくらや    御世 踏まば     安き枕や
たもたんそ きみしいせよ    保たんぞ      君を弑せよ
わかためと ひほかたなもて    我がため」と    秘刀 持て
さつくとき あにこころね    授く時       兄が心根
いさめも きかしれは    諌めおも (=諫めようも)     聞かぬを知れば
 さほひめの なかこわななき    サホ姫の      中心 慄き
ひもかたな せんかたなくも    秘刀        為ん方無くも
そてうちに かくしいさめの    袖内に       隠し 諌めの
 せみなつき            六月(天鈴693年)
はつひすへらき              初日 皇
みゆきて くめたかみやに    御幸して      来目高宮
ひさまくら きさきおもえは    膝枕        后 「思えば
 このときと なんたなかるる    この時」と     涙 流るる
きみかほ きみゆめさめて    君の顔       君 夢 覚めて
のたまふは いまわかゆめに    宣給ふは      「今 我が夢に
いろおろち くひまとえて    色オロチ      首に纏えて
さほあめ おもてぬらは    騒の雨       面 濡らすは
なにさか きさきこたえて    何の清汚」     后 応えて
かくし ふしまろひつつ    隠し得ず      臥し転びつつ
あからさま きみのめくみも    あからさま     「君の恵みも
そむき つくれあにお    背き得ず      告ぐれば兄を
ほろほせ つけさるときは    滅ぼせり      告げざる時は
かたむけん おそれかなしみ    <治世を>傾けん       恐れ悲しみ
なんた あにかあつらえ    血の涙       兄が誂え
ここなりと きみひるねの    ここなりと     君が昼寝の
ひさまくら もしくるえる    膝枕        もしや狂える
ものあらは たまさかえる    者 あらば      偶に得る
いさおしと おもえなんた    功と        思えば涙
ふくそてに あふれかお    拭く袖に      溢れて御顔
うるほせ ゆめかならす    潤せり       夢は必ず
このこたえ おろちこれと    この応え      オロチはこれ」と
ひもかたな たせすへらき    秘刀        出せば 皇
みことのり ちかかたある    御言宣       近方にある
やつなたお めしさほひこ    ヤツナダを     召してサホヒコ
うたしむる ときにさほひこ    討たしむる     時にサホヒコ
いなきなし かたくふせきて    否垣 成し      堅く防ぎて
くたり きさきかなしみ    降り 得ず      后 悲しみ
われたとひ あるとても    「我 たとひ     世に在るとても
しむかれて なにおもしろと    シム 枯れて     何 面白」と
みこいたき いなきにいれは    御子 抱き      否垣に入れば
みことのり きさきとみこお    御言宣       「后と御子を
たすへしと あれいたさ    出すべし」と    あれど 出さず
やつなたか ひせめなせは    ヤツナダが     火攻めになせば
きさきまつ みこいたかて    后 まず      <臣をして> 御子 抱かせて
しろこえ きみもふさく    城を越え      君に申さく
あにつみ のかれために    「兄が罪      逃れんために
われいれと ともにつみある    我 入れど      共に罪ある
ことしる たとひまかれと    ことを知る     たとひ罷れど
めくみお わすらのちの    御恵みを      忘らで 後の
さためには たにはちうしの    定めには      タニハチウシ
もかな きみかゆるしの    女をもがな」    君が許しの
あるときに ほのほおこりて    ある時に      炎 熾りて
しろくつる もろひとされは    城 崩る       諸人 去れば
さほひこと きさきまかる    サホヒコと     后も罷る
やつなたか いさおしほめて    ヤツナダが     功 褒めて
たまふは たけひむけひこ    賜ふ名は      タケヒムケヒコ
 ふつき はひこもつみの    七年七月(天鈴695年)        初日 コモツミ
つつき たるねかはゐ    子の筒木      タルネカバヰ
つきひめお たつきさきの    ツキ姫を      立つ后 妹の
かくやひめ なるうちめ    カクヤ姫      なる内侍 五日
ことほき はつたなはたの    言祝し       初棚機
 かみまつり            神祭
あるとみきみに              ある臣 君に
もふさくは たえまくえはや    申さくは      當麻クエハヤ
おおちから ちかねのは    大力        地金を延ばし
 つのさく かなゆみつくり    角を割く      金弓 作り
とこかたり これふみはる    常語り       「これを踏み張る
わかちから くらへんと    我が力       余に競べんと
もとむれと なくまかるや    求むれど      無くて罷るや」
ひたなけく きみもろとふ    ひた嘆く      君 諸に問ふ
くえはやに くらふるちから    「クエハヤに    競ぶる力
あらんおや もふさくのみの    あらんをや」    申さく「ノミの
 すくねなり なかおいちて    スクネなり」    ナガオイチして
これめす のみのすくねも    これを召す     ノミのスクネも
よろこへは あすくらへんと    喜べば       「明日 競べん」と
みことのり ちからくらふる    御言宣       力 競ぶる
かみのり すまいさとに    上の法       争いの里
はにわなし たえまより    埴環 成し      タエマは東より
のみに あひたちふめは    ノミは西に     合ひ立ち踏めば
のみつよく くえはやかわき    ノミ 強く      クエハヤが脇
ふみまた こしふみころす    踏みて また     腰 踏み殺す
とききみ うちはあけて    時に君       団扇を上げて
とよまは とみよろこひ    響ませば      臣も喜び
くえはやか かなゆみおよひ    クエハヤが     金弓および
たえまくに のみにたまわり    當麻国       ノミに賜わり
いえつま つきなしのみは    家は妻       付無しの身は
ゆみとりこれ          弓取ぞこれ



 ミマキイリヒコ(崇神天皇)の御世のことです。

 君が新都をミズカキ宮に定めて39年目に、ヒボコなる外国人が初めて船に乗りハリマ(播磨)にやってきました。ハリマに一時停泊した後船出してアワジ(淡路)のシシアク村に至ります。

 君はオオトモヌシ、ナガオイチの両大臣を急ぎハリマに遣わして、はるばる遠国からやってきた理由を質問させます。アメヒボコの答えは、「私はシラギ(新羅)国王の王子です。名はアメヒボコと申します。国にある時、東海の日出ずる国には、神を崇めて正しい政(まつり)を執る聖(ひじり)の天皇(きみ)が居られ、国は美しく整って民も豊かに暮らしていると聞き、弟のチコに国を譲った後、敬愛する天皇(おおきみ)に服(まつら)うためやってきました。どうか私の願いを君にお伝え下さい」

 二人の使者が都に帰って、アメヒボコの話しを君に報告します。
 君は諸臣と議(はか)った後、アメヒボコに詔りし、「ハリマのイテサ(出浅)村とアワジ島のシシアワ(穴粟)村の二村を賄うから、汝の好むように暮らすが良い」と申されました。それを聞いたヒボコが恐れながら申すには、「もし私の我がままがお許しいただけるならば、まず先にこの美しい国土を巡り見てから後に、自分の住む土地を決めたいと思います」と、願い出ました。
 君のお許しを得たヒボコは、早速ウジ川(宇治川)を船で遡り、アワウミ(近江)のアナ(吾名)村にしばらく住んで、山紫水明の近江を訪ねて巡り、良質の陶土(とうど)に恵まれた鏡山の麓のハザマ谷に供や従者の陶人(とおじん)を居留させました。

 村人達は温かく異国の人達を迎え入れたので、ここがこの者達の安住の地となりました。
 アメヒボコは、後に彼等をこの地に残して一人旅を続け、ワカサ(若狭)の国に入り、西に転じてタジマ(但馬)に至り、この地でイズシマ・フトミミとゆう豪族の娘、マタオオ姫を娶りました。生まれた子の名をモロスケと名付け、モロスケはその子ヒナラギをもうけ、ヒナラギはキヨヒコをもうけ、キヨヒコの子がタジマモリです。後タマキ宮(垂仁天皇)三年、タジマモロスケ(但馬諸助)は臣(とみ)の位を賜わり昇殿しました。

 このアメヒボコが来朝の折り献上した宝物は、ハボソ玉、アシタカ玉、ウカガ玉、出石小刀(いずしこがたな)一口、出石矛(いずしほこ)一枚、日鏡(ひかがみ)一面、熊神籬(くまのひもろげ)一具、出浅太刀(いであさたち)一振りの併せて八種にのぼり、但馬社(やしろ)の蔵に納め祭られました。

 八十八年七月十日、イソサチ君の詔があり、
 「昔、シラギの王子ヒボコが来朝の時持参した宝物が但馬に納めてあると聞いているが、永い年月の経った今、なぜか急に見たくなった」と言って、ヒボコの曾孫キヨヒコに勅使を遣わしました。タジマに居たキヨヒコは急ぎ参上し宝物を奉りました。ハボソ、アシタカ、ウカガ王、出石小刀(いずしこがたな)、出石矛(いずしほこ)、日鏡(ひかがみ)熊の神籬(ひもろげ)一具、出浅(いでしあさ)の太刀(たち)、この八種の内、出石小刀だけはなぜか思い入れがあり、なんとか自分の元に残しておきたいとの思いにかられて、そっと袖の中に隠しておき、太刀だけを佩(は)いて昇殿しました。

 天皇はこの一件に気付かず、キヨヒコの早い対応をたいへん喜び、念願の宝物を興味深げに御覧になった後に、キヨヒコに御酒(みき)を賜わりました。杯の数を重ねているうちに、キヨヒコはついに気がゆるみ、酒を呑もうとした時、肌身に付けていた小刀がすべり落ちて見つかってしまいました。君は目ざとく見つけると、「それは何ぞ」と問いかけます。事ここに至っては特に大切な物とはいえ、これ以上隠しとうせず、潔く献上しました。君はまたいわく、「その宝は、身から離せないほど特別なものか」と話されました。いずれにしろ全ての宝物は君に奉られ、しっかりと宮中の蔵に納めました。後に蔵を開いてみると小刀が失われているのに気付き、君は再びキヨヒコを召して問いただされ、「もしや、失われた小刀がお前の元に帰っていないかね」

 キヨヒコが答えて申し上げるには、「昨年秋の黄昏時のことです。不思議にも小刀(こだち)が自然に帰ってきましたが、翌朝再び失せてしまいました」
 この話を聞いた君は衣を正して畏(かしこ)まり、二度とこの件に関して聞きませんでした。実はこの小刀は自ら淡路島に飛んで行き、土地の人々から神として崇め祭られていました。

 皇太子イソサチは、御年四十二才の春一月元旦、皇位を継承して即位しイクメイリヒコ(垂仁)天皇(あまきみ)となられました。君は生まれつき実直で、心は常に清く正しく秀でて、決して奢ることなく優しい性格でした。

 翌年春二月に、サホ姫を中宮に立てて、新しく都をマキムキ(纒向・まきむく)の地に遷し、タマキ宮と名付けました。
 十二月、サホ姫との間に生まれたホンヅワケの皇子は、なぜか生まれつき口をききませんでした。この年ミマナ(任那)王は、ソナカシチを使者に遣わしイクメイリヒコの初の御世を祝って貢ぎ物を献上しました。
 君は、ソナカシチに天盃を賜わり、ミマナ王には五色(いついろ)の数峯錦織(かずみねにしき)と紋綾織(もんあやおり)を百匹(ももは)を贈り物として賜わりました。又帰路は武勇に勝れた、名立たるシオノリヒコの記(しるし)の幟(のぼ)りを船に立てて進んだので、シラギ人の妨害も無く、無事に海路は開かれました。

 四年九月一日、皇后(きさき)の兄サホヒコが、サホ姫に突然こんな問いかけをしました。
 「妹よ、この兄と、お前の夫の天皇とどっちが好きかね」と。后(きさき)はつい、「兄です」と答えると、「お誂(あつら)え向きだ。今お前は色気で夫に仕えているが、色なんぞいずれ衰えて捨てられるがおち、この兄との仲は永遠さ。願わくば、我とお前が組んで天下をとれば、枕を高くして寝られ、いつまでも良い夢を見られるぞ。我がために天皇を殺してくれ」と言うや否や、紐刀(ひぼがたな)を懐から取り出して強引に授けました。

 この時、サボ姫は半ばたじろぎつつも、兄のこの恐ろしい企てを止めさそうと、必死に諌めますが、物にとりつかれた兄の狂った心根(こころね)をどうにも正せませんでした。自分の非力を悟った姫の心はわななき、罪の意識に苛(さいな)まれて、すでに諦めの境地をさまよっていました。放心して言われるままに紐刀(ひもがたな)を衣の袖中(そでうち)に隠し持ったその時から、兄の心を嘆き悲しみ、涙を流して思いとどまるよう哀願する暗い日々を重ねました。

 翌五年、緑に薫るみな月(六月)一日を迎えます。
 君は久方ぶりに御幸をされ、クメの高宮で皇后(きさき)の膝を枕に昼寝をしておられました。
 皇后はこの時、ふと、兄の思いを果たすのは今だと思ったとたんに、涙がとめどなく流れ出て、君の顔に落ち下りました。この時、君は夢からさめて、「今、私の夢に、錦色の小蛇(おろち)が首にまとわりつくと、急にサホ川の彼方から雨がふりだし、私の顔を濡らしたのは何のしるしだろうか」と、何も知らずにお尋ねになりました。皇后はもうこれ以上隠しとうせず、わっと泣き伏し転(まろ)びながら、兄の企みの一部始終を打ち明けました。

 「君の優しいお恵みにも背くこともできず、告げれば兄を滅ぼすことになり、もし告げざる時は、国を傾け大事となり、もう恐ろしくて悲しみのあまり、血の涙を忍びつつ日を重ねてまいりました。私を信じ切って膝枕でお休みの君に対して、狂人でもないのに、悪魔の企みに手を貸そうと思っただけでも、申し訳なくて涙を袖で拭こうとした時、君の顔に溢れ落ちて濡らしてしまいました。

 君の夢の答えは、まちがいなく兄の裏切りでございます。オロチはこれですと、紐小刀(ひぼがたな)を取り出し見せると、君は即座に詔して、近県に勢力を持つヤツナダにサホヒコを討ちとるよう命じて兵卒を差し向けました。
 一方サホヒコも、この一大事をすばやく察知して兵を集めると稲城(いなぎ)を築き、堅固に守ってなかなか降伏しません。戦いは一進一退を繰り返し、長期戦にもつれ込む状態です。皇后の心は間(はざま)にゆれて悲しみを増し、「私はたとえこの世に生きながらえたとしても、身内の兄一族が滅んでしまっては、何の生き甲斐がありましょう」と言って、皇子(みこ)を抱いて稲城に入れば、詔り、「皇后(きさき)と皇子(みこ)を出しべし」と、いえども出さず。

 将軍ヤツナダは最後の手段に打って出て、城に火を放ち火攻めにすると、炎の中から皇后が先ず皇子を乳母に抱かせて城を越え出て、君に申すことには、「兄の罪をなんとか逃れさそうと、私と我子は城に入りました。が、今では兄と私は共に罪があることを知りました。たとえ私が死んでも君の御恵(みめぐみ)は決して忘れません。どうか私の後見には、タニハチヌシの五人の女性を入内させてください」

 君のお許しが出るとまもなく、城は炎を吹き上げ崩れ落ちました。
 サホヒコ軍の兵卒が皆逃げ散った後に、サホヒコと皇后は炎の城中で焼け死にました。
 一件落着の後、君はヤツナダの功を褒め、賜う名は、タケヒムケヒコです。

 二十三年九月二日、詔り、「我が子ホンヅワケは、年すでに二十二才にもなって髭が生えているというのに、未だに子供のように泣きいざち、物も言わない。いったいこれは何故なのだ」
 諸臣は議(はか)って、ヤマト姫にホンズ皇子(みこ)が物を言うように、神に祈らせました。

 十月八日、君はホンズワケ皇子を供なって高殿に立たれ、秋の景色を楽しまれました。その時です。近くに侍るホンズワケが空を飛ぶ鵠(くぐい・白鳥)を指していわく、「これなにものや」と、尋ねました。
 君は驚きたいそう喜んで、「誰かこの鳥を取り得んや」と触れると、ユカワダナが、「臣(とみ)、これを取ってまいります」と進み出ました。君いわく、「もし鳥を得たらば、褒めてつかわす」と励ましました。

 ユカワダナは、鵠(くぐい)が飛び去った彼方を追い訪ねて、但馬路(たじま)を行き、出雲(いずも)に至り、ウヤエ(宇夜江)の海岸でやっと鳥を捕えて、十一月二日に帰京し、ホンズの皇子(みこ)に奉りました。 ホンズワケは楽しそうに鳥と遊び戯れて、自然に物を言うようになり、君はユカワを褒めて、トリトリベ(鳥取部)の姓名(かばね)を賜いました。

(垂仁天皇)
天鈴暦 六百八十九年 春正月(一月一日)
実名  イソサチ 年四十二歳
    イクメイリヒコ(活目入彦天皇)

 第十一代垂仁天皇(イクメイリヒコ・実名イソサチ)は即位二年目キサラギ(二月)に新都をマキムキ タマキミヤに遷都しました。
 御世七年目の事です。ある大臣が天皇に申し上げるには、「タエマノ・クエハヤ(当麻蹴速)という大怪力の者がいて、日頃得意気に語るには、「我は地金を延ばし、角を折る大力だ。」最近、特大のカナユミ(鉄弓)を造らせて得意になり、いつも寝物語に自慢して、「これを踏み張る我が力を見よ、世に我と力競べする勇士はおらんのか。このままいたずらに死にたくない」等とひたすら嘆いているそうです。これを聞いた天皇は早速臣下の者たちに詔りし、「クエハヤ(蹴速)と力競べする力持ちはおらんのか」

 すると一臣が進み出て言うには、「それは出雲の勇者ノミノスクネ(野見宿禰)です。」
 君は早速臣下のナガオイチに命じてノミノスクネを呼び寄せると、ノミノスクネも喜んで早々と、「明日力競べを決行」と神の法(のり)が下りました。急の事とてマキムキのスマイ(天皇お住まい)の里にハニワ(埴輪—土を盛って輪を作った土俵)を造り、タエマはキ(東)より、ノミはツ(西)に両人相立ち合い、お互い足を上げ蹴合えば、ノミが優勢でクエハヤの脇(わき)の骨を踏み砕き、又、腰を踏み潰し殺してしまいました。その時君は、団扇(うちわ)を上げて大音響でどよませば、大臣達も皆歓喜の声を上げてノミノスクネの勝利を祝福しました。

 ノミノスクネは褒賞にクエハヤのカナユミ(鉄弓)及びタエマ国の領地を賜り、同時にクエハヤの妻と家財もみな賜りましたが、嫡子にはめぐまれませんでした。ノミは勇士ユミトリ(弓取)と称えられ生涯を終えました。

語源
  • タエマノクエハヤ -タエマノケハヤ(現在)
  • スマイ(天皇の住まい)-相撲、角力
  • ハニワ(埴輪)-土俵
  • ウチワ -軍配団扇(相撲で、行司が勝った力士を指示する)
  • ユミトリ-弓取(相撲で勝者が賞として弓を受ける儀式)
  • 東(ヒガシ)西(ニシ)-相撲の取組前、力士は「東~○○(四股名)」、「西~△△」と呼び出され、土俵へ入る。また、興業物などで口上を述べるとき等に「東西、東西」と言う。
  • 脇 -「脇が甘い」相撲で、防御の姿勢がしっかりしていない。相手に付け込まれやすい、の意。












(私論.私見)

35-37~38. 「のみのすくね」は「ゆみとり」の勇士に

20. 「のみのすくね」は「ゆみとり」の勇士に(35-37~38)


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くえはやが かなゆみおよび(35-37)
たえまくに のみにたまわり
いえはつま つぎなしのみは
ゆみとりぞこれ(35-38)



「(たまえ)くえはや」の作った金弓と「たまえ(くえはや)」の領土を「のみ(のすくね)」に与えました。
しかし、「たまえくえはや」の家は「たまえくえはや」の妻に残しました。「たまえくえはや」には世継ぎの子供がいませんでした。
「のみ(のすくね)」には、「ゆみとり」の勇士を与えました。



今でも相撲の勝者に弓取り式が語源とともにしきたりとして残っていることに感動しました。

35綾完


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35-34~37. 「のみのすくね」と相撲をとり、「たまえくえはや」を踏み殺す

19. 「のみのすくね」と相撲をとり、「たまえくえはや」を踏み殺す(35-34~37)


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 のみのすくねも(35-34)
よろこびて あすくらべんと(35-35)
みことのり ちからくらぶる
かみののり



「のみのすくね」もこれを聞いて喜びました。明日、力くらべをやろうと詔が出ました。



 すまゐのさとに(35-35)
はにわなし


天皇が住まわれている里に急遽土俵を作りました。
(江戸時代まで相撲、角力を「すまい」と言っていた。また、土(はに)を固めて作った事から今の土俵の元になっている)



 たまえはきより(35-35)
のみはつに あいたちふめは(35-36)


「たまえ(くえはや)」は東(き)より、「のみ(のすくね)」は西(つ)から登場して、お互いに(あい)立ち会って、しこを踏んで力を誇示した。



のみつよく くえはやがわき(35-36)
ふみてまた こしふみころす



「のみ(のすくね)」は強く、「(たまえ)くえはや」の腋を踏み倒して、更に、腰を踏んづけて殺してしまいました。



ときにきみ うちはをあげて(35-36)
どよませば とみもよろこび(35-37)



勝負あったそのとき、君(垂仁天皇)はうちわを挙げてどよませました。(軍配の始まり)周りの臣たちもよろこびました。

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35-32~34. 「たまえくえはや」という力持ちが力くらべの相手を

18. 「たまえくえはや」という力持ちが力くらべの相手を(35-32~34)

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ここから、相撲の始まりの話になります。



 あるとみきみに(35-32)
もふさくは たえまくえはや
おゝちから



ある臣が君(垂仁天皇)に申されました。「たまえくえはや」という者が非常な力持ちである。



 ちかねをのばし(35-32)
つのをさく かなゆみつくり
とこかたり(35-33)


鉄(ちかね)を引き伸ばし、牛の角をへし折り、鉄の弓を作ることを、ところ構わず吹聴している。



 これをふみはる(35-33)
わがちから よにくらべんと
もとむれど なくてまかるや
ひたなげく 


この鉄棒を撓めて弓を張ることができる俺の力を、この世で力くらべをしたいが誰もいない。俺はこのまま死んでいくのかとひたすら嘆いていた。



きみもろにとふ(35-33)
くえはやに くらぶるちから(35-34)
あらんおや



君(垂仁天皇)は臣に誰か「(たまえ)くえはや」と比べる力持ちはいないのかと問いました。



 もふさくのみの(35-34)
すくねなり ながおいちして
これをめす



すると、臣の一人が「のみのすくね」という者がいると進言しました。
君(垂仁天皇)は、早速、「ながおいち」という臣に「のみのすくね」を呼び寄せるよう命令しました。



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35-31~32. 初めてのたなばたの神祀り

17. 初めてのたなばたの神祀り(35-31~32)


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 はつたなばたの(35-31)
かみまつり(35-32)


婚礼の祝いが終わって、初めての「たなばた」の神祀りをしました。

七月一日から五日間婚礼の祝いの後であるから、ちょうど七月七日頃に当たる。

「たなばた」の語源は「蚕棚」の「たな」と「機織機」の「はた」を示している。
機織機は錦織りのできる高機織機。当時の中心をなす作業であった。



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35-30~31. 「かばいつき姫」を中宮に立て婚礼の祝い

16. 「かばいつき姫」を中宮に立て婚礼の祝い(35-30~31)

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なほふづき はひこもづみの(35-30)
このつゞき たるねがかばゐ(35-31)
つきひめを たつきさきとの
かくやひめ なるうちめゐか
ことほぎし


たまき宮七年七月一日、「こもずみ」親王の子の「つづきたるね」の娘「かばいつき姫」を中宮に立てました。妹(と)の「かぐや姫」は「うちめ・うち妃」になりました。そして、五日間婚礼の祝いをいたしました。


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35-28~30. 妃は自分の後見に「たにはちうし」の娘を願い、焼け死ぬ

15. 妃(さほ姫)は自分の後見に「たにはちうし」の娘を願い、焼け死ぬ(35-28~30)


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 たとひまかれど(35-28)
みめくみを わすらでのちの
さだめには たにはちうしの(35-29)
めをもがな



たとえ、私が死んでも、君の御恵みは決して忘れません。どうか、私(さほ姫)の後見には「たにはちうし」の娘を妃に召されるようお願いします。



 きみがゆるしの(35-29)
あるときに ほのほをこりて
しろくづる



君のお許しが出たとき、炎が噴き上げて城は崩れ落ちました。

 
もろびとされば(35-29)
さほひこと きさきもまかる(35-30)



「さほひこ」軍の兵卒が皆逃げ散った後に「さほひこ」と妃(さほ姫)は焼け死んでいました。


やつなだが いざおしほめて(35-30)
たまうなは たけひむけひこ



君(垂仁天皇)は「やつなだ」の功績を称え、「たけひむけひこ」の名前を賜いました。


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35-27~28. 「やつなだ」が火攻めに、妃は皇子を抱いて出てきた

14. 「やつなだ」が火攻めに、妃は皇子を抱いて出てきた(35-27~28)

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やつなだが ひぜめになせば(35-27)
きさきまづ みこいだかせて
しろをこえ きみにもふさく


将軍「やつなだ」が、火をつけて火攻めにしました。すると、炎の中から、妃(さほ姫)が最初に皇子を抱いて城を越えて出てきて、君に申し上げました。



あにがつみ のがれんために(35-28)
われいれど ともにつみある
ことをしる



兄の罪を何とかかばう(守る・のがれる)ために、私は中に入りました。しかし、私も兄と同じ罪であることを知りました。


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35-24~27. 君(垂仁天皇)は「さほひこ」を討ち取りに

13. 君(垂仁天皇)は「さほひこ」を討ち取りに(35-24~27)


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 ちかがたにある(35-24)
やつなだを めしてさほひこ(35-25)
うたしむる



近県(ちかがた)にいた将軍「やつなだ」に命令して、「さほひこ」を討ち取るよう兵を差し向けました。



 ときにさほひこ(35-25)
いなぎなし かたくふせぎて
くたりゑず


状況の変化を知った「さほしこ」は、そのとき稲城(いなぎ)を作り堅固に防いで、降参しませんでした。
(稲城(いなぎ)とは、屋敷の外側に稲束を積上げて、中からは外が見えるが、外からは矢の攻撃を防ぐ簡単な城構え)

 

きさきかなしみ(35-25)
われたとひ よにあるとでも(35-26)
しむかれて なにおもしろと
みこいだき いなぎにいれば



妃(「さほ姫」)は悲しみ、我はたとえ世に生きていたとしても、心は枯れて死んだも同然です。何で生きていて楽しい(面白い)ことがあるものでしょうかと言って、皇子「ほんづわけ」を抱いて稲城に入ってしまいました。



みことのり きさきとみこを(35-26)
だすべしと あれどいださず(35-27)



そこで、君(垂仁天皇)は「さほしこ」に妃と皇子を城から出しなさいと命じました。しかし、命令があっても出しませんでした。



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35-19~24. 「さほ姫」は殺害を隠しきれないと知り、天皇に全てを話す

12. 「さほ姫」は殺害を隠しきれないと知り、天皇に全てを話す(35-19~24)


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 はつひすべらぎ(35-19)
みゆきして くめたかみやに
ひざまくら


(たまき宮五年六月の)一日、すべらぎ(天皇:垂仁天皇)が「くめ」の高宮に御幸されました。そして、「さほ姫」の膝枕で昼寝をされていました。



 きさきおもえば(35-19)
このときと なんだながるゝ
きみのかほ(35-20)



妃(「さほ姫」)は、兄の命令を果たすのは今だと思ったこの瞬間、涙が止め処もなく流れ出し、君(垂仁天皇)の顔の上に落ちました。



 きみゆめさめて(35-20)
のたまふは いまわがゆめに
いろおろち くびにまとえて
さほのあめ おもてぬらすは
なにのさが(35-21)



そうしたら、君(垂仁天皇)は夢から覚めて、おっしゃいました。
今、私が夢の中で錦色の小蛇(おろち)が、首に纏わりついて「さほ」(麻糸のような細い)雨が降り、私の顔を濡らしたのは、何の前兆だろうか。とお尋ねになりました。(「さほ姫」とかけている)



 きさきこたえて(35-21)
かくしゑず ふしまろひつゝ
あからさま



妃(「さほ姫」)は、もうこれ以上隠し切れないと、泣き伏して畏まって兄の企てを包み隠さず打ち明けました。

 


きみのめくみも(35-21)
そむきゑず つぐればあにを
ほろぼせり(35-22)



君(垂仁天皇)の恵(いつくしみ)にも背くことは出来ず、告げれば兄を滅ぼすことになります。

 

つげざるときは(35-22)
かたむけん



もし、告げないでいれば、国を傾ける大事になります。




 おそれかなしみ(35-22)
ちのなんだ あにがあつらえ
こゝなりと きみがひるねの
ひざまくら(35-23)




恐ろしくて、悲しくて血の涙を流しました。兄の企てた命令をやるのは、今ここだと一瞬思ったのが、君が昼寝されている膝枕でした。




 もしやくるえる(35-23)
ものあらば たまさかにえる
いざおしと おもえばなんだ
ふくそでに あぶれてみかほ
うるほせり(35-24)


こんな事を考えるのは狂人だと思いましたが、万一の手柄(いざおし)をたてる機会であるかも知れないと思いました。
そう思ったら、申し訳なく涙が出てしまい、袖で拭こうとしましたが拭いきれずに溢れて落ちて、君の顔を濡らしてしまいました。



 ゆめはかならず(35-24)
このこたえ おろちはこれと
ひもかたな だせばすべらぎ
みことのり



君(垂仁天皇)のご覧になった夢は間違いなくこの兄の裏切りのことです。小蛇(おろち)はこれですと紐刀を取り出して見せました。
それを見て、すべらぎ(垂仁天皇)は即座に詔(命令)を発しました。



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35-17~19. 天皇殺害の紐刀を兄は「さほ姫」に授ける

11. 天皇殺害の紐刀を兄は「さほ姫」に授ける(35-17~19)

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 きみをしいせよ(35-17)
わがためと ひぼがたなもて
さづくとき


我がために、天皇を殺してくれと迫り、紐のついた小刀(紐刀)を懐から取り出し強引に授けました。

 
あにがこゝろね(35-17)
いさめおも きかぬをしれば(35-18)



この兄の恐ろしい思い込みをいさめようとしましたが、何としても聞き入れないことを知りました。



さほひめの なかごわなゝき
ひもかたな せんかたなくも
そでうちに かくしいさめの
せみなづき(35-19



「さほ姫」の「なかご」(心の中)では、罪の意識にさいなまれ、怖さにふるえながら紐刀をいわれるまま袖の内に隠し持ちながら、自分の行為を責め続けていた六月でした。蝉が鳴くように心も高ぶっていたことを言っている。
せみなづき:瀬見の小川(糺の森:ただすのもり)から来ている説もあるようです。

「なかご」は鋳物の中芯に入れる型のことを示す語源になっています。


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35-15~17. 「さほ姫」の兄「さほひこ」が垂仁天皇殺害の計画

10. 「さほ姫」の兄「さほひこ」が垂仁天皇殺害の計画(35-15~17)


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ここからは、別の話になります。


よほなつき つうえはおなえ(35-15)
さほひこが きさきにとふは
あにとおと いつれあつきぞ


たまき宮四年九月(ほつま暦の「つうえ」の月)一日(「おなえ」の日)に「さほひこ」(「さほ姫」の実の兄)が、「さほ姫」に問いました。「妹よ。この兄とお前の天皇(「おと」の「お」は天皇を示す)とどちらの方が好きか?」と突然聞かれました。



きさきつひ あにとこたふに(35-15)


妃(「さほ姫」)は、つい、兄ですと答えてしまいました。



あつらうる なんぢいろもて(35-16)
つかゆれど いろおとろいて
めぐみさる



その答えを聞くや「さほしこ」(「さほ姫」の実の兄)は、お誂え向きだ。汝は色気で今は天皇に仕えているが、色気などは衰えてくれば、天皇のお恵みは去ってしまうだろう。(捨てられてしまう)



 あにながからん(35-16)


この兄との仲は末永く枯れることはない。
天皇の愛は長くは続かない。
(ここで「あに」は「兄」とも取れるし、否定を意味する「あに」にも取れる。)



ねがわくは われとなんぢと(35-16)
みよふまば やすきまくらや(35-17)
たもたんぞ



願わくは、我と汝で天下(王位)を取れば、枕を高くして安心していつまでも良い夢を見られるぞ。
ここでの我は「さほ姫」の実の兄「さほしこ」で、汝は「さほ姫」を言っています。


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35-14. 「あめひぼこ」の系図

9. 「あめひぼこ」の系図(35-14)

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あめひぼこ もろすけをうむ(35-14)
もろすけは ひならぎをうむ
ひならぎは きよひこをうむ
きよひこは たじまもりうむ


「あめひぼこ」の系図の説明がはいります。

「あめひぼこ」は子供「もろすけ」をもうけました。
その「もろすけ」は「ひならぎ」をもうけました。
さらに「ひならぎ」は「きよひこ」をもうけました。
そして、「きよひこ」は「たじまもり」をもうけました。


この「たじまもり」は垂仁天皇の命により、かぐ(橘樹)の木を求めに常世国へ行き10年滞在します。
「たじまもり」は、その地で「たちばなもとひこ」の娘の「はなたちばな姫」を妻とし、その子供が「おとたちばな姫」になります。

後になって、「やまとたけ」が東征に向かい、富士の裾野で蝦夷退治した後、船で上総に向かう時、嵐になり、この「おとたちばな姫」は嵐を鎮めるために身を投げてしまいます。

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35-12~13. 「あめひぼこ」は国を巡った後、但馬に住み「またおお姫」を娶る

8. 「あめひぼこ」は国を巡った後、但馬に住み「またおお姫」を娶る(35-12~13)

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 きみゆるされば(35-12)
あのひぼこ うぢがわのぼり
あわうみの あなむらにすむ


天君(崇神天皇)のお許しを得た「あめひぼこ」は、宇治川を舟で遡り、近江の「あなむら」(かがみやまの麓)に住みました。


またさらに わかさめぐりて(35-13)
すむたじま ともすえびとは
はざまたに のこしいずしま
ふとみゝが またおゝめどる


その後更に若狭の国を巡り、但馬に住みました。お供の者(末のもの)どもは「はざま谷」に残して居留させました。ここで、「あめひぼこ」は「いづしまふととみ」という豪族の娘「またおお姫」を娶りました。

「すえびと」は後の「須恵器」の陶人を示すことになります。



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35-9~12. 新羅皇子の「あめひぼこ」の来朝の目的

7. 新羅皇子の「あめひぼこ」の来朝の目的(35-9~12)


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みつかきの みそこひほこは(35-9)
はりまより いたるしゝあは



「みつかき宮」(崇神天皇の代)三十九年に新羅の「ひぼこ」が播磨にやってきました。そして、淡路島の「ししあわ」(穴粟)に至りました。



そのときに おゝともぬしと(35-9)
ながおいち はりまにやりて
とはしむる(35-10)



新羅の「ひぼこ」が来たことを知り、君(崇神天皇)は「おおとぬし」(「おおたたねこ」の孫と「やまとながおいち」の両臣を播磨に行かせて来た理由を問わせました。



 いわくしらきの(35-10)
きみのあこ なはあめひぼこ


答えて言うには、私は新羅の国王の皇子です。名前は「あめのひぼこ」と申します。



おとちこに くにをゆづりて(35-10)
やつかれは ひじりのきみに
まつろいぬ(35-11)



弟の「ちこ」に国を譲ってきました。我輩(やつかれ:へりくだった言い方)は聖の君(やまとの国の天皇)に服らう(お使いする)ためにやって来ました。
(日、出ずる国は、神を崇めて正しい政を執る聖の天皇がおられるということを聞きました。)



 つかいかえりて(35-11)
これをつぐ


二人の使い(「おおとぬし」と「やまとながおいち」の両臣)は宮中に帰って「あめひぼこ」の話を崇神天皇に報告しました。

 

よりてはりまの(35-11)
いてさむら あわちしゝあわ
まゝにおれ


報告を聞き、君(崇神天皇)は諸臣と議って、「あめひぼこ」に、播磨の「いてさ」(出浅)村と淡路島の「ししあわ」(穴粟)村を与えるから汝の好きなように暮らすのが良いと申されました。

 

ひほこもふさく(35-11)
すむところ ゆるしたまはゝ(35-12)
めぐりみん



そうすると、「あめひぼこ」は、住む所ですが、もし、お許しが賜えられるならば、この美しい国を巡り見てから自分の住む所を決めたいと思いますと、申しました。


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35-7~8. 新羅の皇子「あめひぼこ」が持参した土産物

6. 新羅の皇子「あめひぼこ」が持参した土産物(35-7~8)


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 むかしひぼこが(35-7)
みやげもの はぼそあしたか
うかゞたま いづしこがたな(35-8)
いづしほこ ひかがみくまの
ひもろげず いであさのたち
このやぐさ たじまにおさむ



昔、新羅の皇子の「ひぼこ」が来朝したときに持参した土産物は、

① 「はぼそ」(葉細玉)一個、
② 「あしたか」(足高玉)一個、
③ 「うがたま」(鵜鹿玉)一個、
④ 「いつしこがたな」(出石小刀)一口、
⑤ 「いづしほこ」(出石矛)一枚、
⑥ 「ひかがみ」(日像鏡)一面、
⑦ 「くまのひもろげず」(熊神籬)一式、(熊は虎のことを言っているかも知れない)
⑧ 「いてあさのたち」(出浅の太刀)一振、

この八品を但馬に納めました。(この土産物の内容はこの後の37-42~43にも重複記載あり)


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35-7. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に

5. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に(35-7)

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5. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に(35-7)



 みほはもろすけ(35-7)
とみにめす


(たまき宮)三年元旦(一日とだけで月の記載はないが元旦を意味していると考えられる)に「もろすけ」(後述の「あめひぼこ」の系図より「あめひぼこ」の長男)を大臣に迎えました。



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35-5~7. 任那より使者が来朝、国交が開かれる

4. 任那より使者が来朝、国交が開かれる(35-5~7)


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みまなより そなかしちして(35-5)
みつぎあげ はつみよいわふ




この年(たまき宮二年)、任那より「そなかしち」が任那王の使者として来朝し、垂仁天皇の初の御世を祝う貢物を献上いたしました。


おおんみき たまひたまもの(35-6)
ゐついろの かつみねにしき
あやもゝは みまなのきみに
たまわりて


天杯(天皇が自らお神酒を勧めること)を与え(賜う)、賜物を与えました。
五色の数峯錦織と綾織錦を二百反(二反で一衣:匹)を、任那の王に賜りました。

このときは「たかはた織り機」で織る錦織が日本の特産品であったことが分かります。
数峯錦織とは、山々が連なった柄のものですが、現物は確認されていません。


 しほのりひこが(35-6)
のぼりたて くにゝおくれば(35-7)
みちひらく



帰路は、「しほのりひこ」が、舟に幟(のぼり)をたてて、海賊などに妨害されることもなく、任那国に無事、送り帰しました。そして、正式に国交が開かれました。

(「しほのりひこ」は、八代孝元天皇と「はにやす姫」の間に生まれた「はにやす」の子孫で、任那に雪解け;問題解決のために派遣された)



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35-5. 「さほ姫」が皇子「ほんづわけ」を生む

3. 「さほ姫」が皇子「ほんづわけ」を生む(35-5)



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 しはすうむみこ(35-5)
ほんつわけ あえものいわず



十二月に「さほ姫」が生んだ皇子は「ほんづわけ」です。しかしながら、「ほんづわけ」はものを言いませんでした。(声を発しませんでした)

後日、「さほ姫」は垂仁天皇を殺害するよう「さほ姫」の兄「さほしこ」から言い寄られます。しかし、最後は火攻めに遭い亡くなってしまいます。

ジョンレノ・ホツマ
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35-4~5. 「さほ姫」を中宮にたて、都は「たまき宮」に移す

2. 「さほ姫」を中宮にたて、都は「たまき宮」に移す(35-4~5)



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 ふとしきさらぎ(35-4)
さほひめを うちみやにたつ



(垂仁天皇は)翌年(二年目)の二月、「さほ姫」を中宮(うちみや)にたてました
(迎い入れました)


にいみやこ うつすまきむき(35-4)
たまきみや(35-5)



(垂仁天皇は)新しい都を纒向(まきむき)の地に移し(遷都)「たまき宮」と名付けました。


ジョンレノ・ホツマ
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35-1~4「いそさち」皇子は「いくめいりひこ」(垂仁天皇)に即位

35綾 新羅の皇子「ひぼこ」が来た綾、そして相撲の始まりの綾

1. 「いそさち」皇子は「いくめいりひこ」(垂仁天皇)に即位(35-1~4)


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ときあすゝ むもやそことし(35-1)
ねやゑはる むつきつあとは


時は「あすず暦」の六百八十九年(神武天皇より)、「ほつま暦」では「ねやゑ」の春、新年の一月の「つあと」(日にち)は一日のことです。
(「あすず暦」は「あずさ」の木に印しをつけて暦にしていました)


おみえみこ いむなゐそさち(35-1)
としよそふ あまつひつぎを(35-2) (あ)=天
うけつぎて いくめいりひこ
あまきみと



「おみえ」(中心におられる)の皇子(みこ)は実名を「いそさち」と言い、年令は四十二歳で皇位を継承して即位されました。「いくめいりひこ」天皇(あまきみ)となられました。「いくめいりひこ」天皇は、後世になって「垂仁天皇」と名付けられました。



 かざりをたみに(35-2)
おがましむ



かざり(三種の神器、装束、宝飾など)を、国民、民衆に拝ませ、支持を受けました。(=即位の礼、天孫ニニキネ以降続いている)



 きみうまれつき(35-2)
たゝなおく こゝろほづまに(35-3)
おごりなく



君(垂仁天皇)は生まれつき、実直(たたなおく)で、心はいつも清く真で秀でて、決して驕ることがない優しい性格でした。



 ゆめのしるしに
みよのはつ あきあにおくれ(35-3) (あ)=天
ふゆおさめ



思っていることが夢に出てきて、それを実行されました。(天皇の夢あわせ)
垂仁天皇になった、この御世の元年の秋に、天国に送りました。そして冬(十一月二十三日以降)に陵に納めました。
亡くなった後、一年間、遺体は枯らしてから、天に送る儀式をしていたことが分かります。



 はゝいまなそこ(35-3)
みうえとし おゝはゝことし(35-4)
もゝやそこ




母(垂仁天皇の母であれば、「みまき姫」、崇神天皇の母を言っているのならば「いきしこ姫」)は今七十九歳で、太政皇后(みうえ)にしました。大母(太政皇太后)は今年百八十九歳になりました。