天理教研究と著作権

 更新日/2026(平成31→5.1栄和改元/栄和8)年8.11日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「天理教研究と著作権」をものしておく。

 2019(平成31→5.1栄和改元)年.9.26日 れんだいこ拝


【「天理教研究と著作権」考】
 ここで、「天理教研究と著作権」をものしておく。あらかじめ申し上げておくが、著作権狂の者は天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している。よって、本サイトを渉猟せぬが良い。あるいは渉猟した結果、著作権狂から足を洗うのなら良い。渉猟した結果、相変わらず著作権狂いする者とは厳しく対峙する以外にない。なぜなら、申し上げているように「天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している」からである。そういう者が幾ら論を精緻にしても、「天理教教祖中山みきの研究」のまともなものにはなるまい、そう思うからである。

 2019(平成31.5.1栄和改元)年.9.26日 れんだいこ拝

【「無断転載禁止&写真及び撮影の禁止」考】
 「天理教 基本教理 天理教教典 2 [無断転載禁止]©2ch.net」というサイトがある。一見するのに、なかなか興味深いところのやり取りをしているようである。但し、「無断転載禁止」とある。この一点で、私の興趣が殺がれる。「無断転載禁止」は「天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している」。このことに気づかないままの中山みき研究は、論を精緻にすればするほどあらぬ方向へぶれて行くことになるだろう。今から見通しておく。

 そう云えば、天理教の本部神殿入口に行くと、「写真及び撮影の禁止」札が立てられている。これも、「天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している」。

 「無断転載禁止&写真及び撮影の禁止」は、これを平気で打ち出して違和感を感じないほどまでに「天理教教祖中山みきの御教え」から外れてしまっていると思っている。なるほど著作権は時流の権利ものではある。しかし、時流に乗るのが良いとは限らない。乗っても良い時流、乗ってはいけない時流を峻別して、強権著作権化の流れに対しては、これを正しく分別して添わず、教祖の指針せしめた「互い助け合いお役立ち」を邁進せねばならない。

 2021.4.9日、れんだいこ拝
 「【無断転載について】(2011年6月17日追記)」が次のように告知している。
 このカテゴリ『泥海』にYoutubeの中島みゆき動画からリンクが貼ってあり、記事中で紹介した泥海神話のあらすじがそのままコピペされているようです。私はその動画投稿者とは一切関係なく、コピペされたあらすじは無断転載です。また、同一人物だと思われますが、yahooブログにもこの記事中に掲載したイラストを(縦横比を改竄した形で)無断転載し、こちらのカテゴリにリンクしている模様です。当方とは一切関係ありませんので、その点誤解の無いよう付記しておきます。

 この告知者は、堂々たる「無断転載」批判をして悦に浸っているようである。「無断リンク」もお断りしているようである。こういう強権著作権に興じ始めると、お互いがお互いの首を絞め合うことで恍惚することになる。「Youtubeの中島みゆき動画」を知らないが、告知者作成の『泥海神話』のあらすじがそのままコピペされたとして何が不都合なのだろうか。れんだいこには栄誉のように思えるが、告知者と私のどちらがへそまがりなのだろうか。

 告知者的強権著作権に憇う者同士の世界ならそれも勝手だろうが、告知者的強権著作権者が勝手に天理教教祖中山みき教理圏内に入り込み、強権著作権棒を振りかざし振り回すのは如何なものだろうか。天理教教祖中山みきの最も忌み嫌う権利優先病を押し立てての天理教教祖中山みき教理研究なぞあって良いことだろうか。郷に入りては郷に従えではなかろうか。





(私論.私見)