奈良県山辺部丹波市町考

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年12.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「奈良県山辺部丹波市町考」をものしておく。

 2010.7..23日、2010.8.7日再編集 れんだいこ拝


【奈良県山辺部丹波市町考】
 西田和夫「宗教都市丹波市の発達とその構造」参照。

 天理教のお地場は山辺郡丹波市町の三島地区にある。1954(昭和29)年4.1日、「昭和の大合併」の流れに乗って、奈良県山辺郡丹波市町と、隣接の朝和村、福住村、二階堂村の3村、さらに郡界をこえて磯城郡柳本町、添上郡櫟本町の計6ヵ町村が合併して奈良県下で4番目の市となる「天理市」を発足させた。両横83.83km2、入口51,031人で、大和高田市、大和郡山市をしのいで奈良市についで県下希2位に当る。全国で初めての宗教名をかざした宗教都市として注目された。1958(昭和33)年10.15日、磯城郡田原本町の一部(大字桧垣・遠田・海知・武蔵)を編入し坤為地に至る。


 東部山麓を通る日本最古の主要道路といわれる「山の辺の 道」に沿う集落である。万来集の歌枕「そのかみ布留」は石上神宮のある一帯の土地で、丹波市の平坦部に当る。が朝廷の武器庫として重要な役割をもつようになり、その神庫の管理には物部氏がたすさわった。丹波市一帯の地名には物部氏とのゆかりをもつものが多い。三島、川原城、田部、田井圧、筑紫、稲葉など物部氏の流れをくむ一族の名に囲んだものといわれる。丹波市は市場町として、近世になって徳川末期に全国的に熱狂的な伊勢語りが行われるよ うになってから、宿場町としても栄えた。清少納言が枕草子の中に「市は つば市」とたたえた海石棉市はここより約8粁南の三輪町金屋付近に当り、丹政市と三輪との中間に当る柳本の市緒の北端につづく部分(旧朝和村領)にも市場の名がある。





(私論.私見)