オウム真理教

 更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.2.16日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「日本の宗教史大全」をものしておくことにする。



オウム神理教事件の衝撃

戦後日本の新宗教の歴史で、新宗教の一つオウム真理教が引き起こしたテロ事件が日本社会全体に大きな衝撃を与えます。麻原彰晃(本名、松本智津夫)は、一九八七年にヨーガ教室「オウム神仙の会」を改称して「オウム真理教」という宗教団体を発足させます。自身を神秘能力を持つ者と顕示して、神秘体験に憧れる若者を引きつけ、ダライ・ラマを利用した巧妙な宣伝で教団を拡張します。自身をヒンドゥー教の最高神の中の破壊神であるシバ神とかチベット密教の怒りの神マハーカーラの化身として自分を絶対化、この神の名で目的のためには手段を選ばず、暴力も肯定する方向に向かいます。信者に修行と称して個室に閉じ込めたり脳に人為的な操作を施すなど、教祖への絶対服従を強要すようになり、教団の拡張に手段を選ばないで暴走するようになります。創価学会には対抗意識が強く、一九九〇年には真理党を結成、衆議院選挙に麻原をはじめ多くの候補者を立てますが、全員落選して惨敗します。その年には日本シャンバラ化計画を立てて、阿蘇に土地を購入、反対する地元から得た九億円を超える和解金を資金として活動、ロシアにまで宣伝放送を行なって支部を造っていきます。
麻原は世界の終わりに起こるとされる(ヨハネ黙示録の)ハルマゲドンの戦いが近いことを予言するなど、奇妙な終末予言をするようになり、教団の武装化を図り、サリンなどの化学兵器の研究や武器の準備などを秘密裡に進めます。そのために信者らに対する献金の要求は激しくなり、暴力的強要から被害者もでます。これらの被害者をオウム教団から救出するための運動に対しても、すでに一九八八年には坂本弁護士一家を殺害するなど、暴力的体質をむき出しにして暴走しだします。麻原は王として日本を支配することを空想、幹部を大臣に任命、兵器の密造や化学兵器の製造を進めます。サリン完成後の一九九三年にはサリンによる池田会長暗殺未遂事件も起こし、一九九四年には松本市に進出しようとした教団が、立ち退き裁判担当の裁判官殺害のためにサリン使用を実験、住宅地にサリンを噴霧して八人を死亡、六六〇人を負傷させます。そして教団への操作の撹乱と首都圏の混乱を策謀して、一九九五年の三月に東京の地下鉄五両の車両にサリンを散布、一二名の死者と六〇〇〇人以上の負傷者を出すにいたります。このオウム教団によるサリン事件は日本社会だけでなく、化学兵器による最初のテロ事件として世界を震撼させます。警察は一連の殺人事件の容疑者として幹部を逮捕、同年の五月には富士山麓にあるサティアンと称するオウムの施設に化学防護服の警官隊が突入、隠れていた麻原を逮捕します。この一連のオウム事件の裁判は長引き、二〇一一年に麻原と幹部実行犯一三人に死刑、五人に無期懲役の判決が確定します(死刑は二〇一六年現在だれにも執行されていません)。
戦後五〇年という節目の年に起こったこのオウム真理教事件は、戦後日本の新宗教の進展に深刻な反省を求めることになります。戦後の日本に活動した新宗教は、時代の要請と社会の変動に応えて、民衆の不安をいやし霊的渇望を満たすために大きな影響力を見せてきました。それに対して伝統的な既成宗教は、古い時代の体制宗教としての体質から、伝統的な教義や祭儀などの形式に安住して、民衆の現実的な必要に応えることが僅かでした。しかし両者を比べるとき、伝統的な既成宗教は長い歴史の検証を経ているのに対して、新宗教は活力には満ちていますが、まだ歴史の検証を受けていないという問題点があります。既成の古い宗教・宗派も、それが起こった時代では新宗教であったのです。その新宗教が時代の変化に対応しつつ自己変革を成し遂げ、社会全体の求めに応じてきました。この過程が長い歴史の中で、一つの宗教を歴史によって認証された宗教としています。
宗教の世界、すなわち人間の霊的必要に応えようとする営みには、神の目的実現のために仕える働く霊的な力もあれば、神の目的を妨げようとする霊的な力、すなわち悪霊も働いています。人間は悪霊の誘惑に弱いものです。オウム真理教の場合も、支配欲とか妄想というような教祖の人間的な弱さが、宗教の場面で暴走させた結果だと見ることができます。多くの新宗教は、これからの社会の変容に対応しつつ、長い歴史の検証に耐えていかなければなりません。これらの新宗教が長い歴史の検証に耐えて社会に定着するとすれば、神道系の新宗教は神道の新宗派に、仏教系の新宗教は仏教の新宗派となって、落ち着くのかもしれません。
日本の戦後に発展拡大した新宗教には仏教系のものが多いようです。いづれも真の仏教の回復とか根本仏教への回帰などを掲げています。しかしその活動の中に教団の拡大を追求するあまり、人間の弱さや権力への渇望から、宗教としての本来の使命から逸脱してしまうものも出てきます。その中で、その宗教の歴史的な展開を厳密に辿ることによって、その宗教の根本精神にいたろうとする地道な方向をとる努力もなされています。その方向の努力として、たとえば仏教系の宗教活動の中で、中村元の東方学院の活動をあげることができます。インド哲学・仏教学専攻の中村元は、東大退官後、東方学院を設立、あらゆる階層の人たちに仏教の基本思想を説く寺子屋式の啓蒙活動を始めます。その東方学院は「東洋思想の研究およびその成果の普及」を目的とする文部科学省所管の特例民法法人となって、多くの研究者を養成、公開講座や講演会を開くようになっています。中村元は仏教思想を運ぶ用語を日本語に定着させるために、生涯をかけて数種の仏教辞典を編纂または監修しています。このような地道な仏教の歴史的研究とその普及が、仏教の様々な新しい形態を歴史的検証の場に置いて健全に育てると考えられます。その中村は仏教の到達点を「慈愛のこころ」に見出しています。






(私論.私見)