察し心遣いの理
更新日/2026(平成31.5.1改元/栄和8)年5.5日
(れんだいこのショートメッセージ)
ここで、「察し心遣いの理」を確認しておくことにする。
2011.5.26日 れんだいこ拝
【察し心遣いの理】
昭和18年②月号みちのとも「朝起・正直・働き」の梶本宗太郎「
人と打ち解けるには
」。
私のところによく別科生がひのきしんに来て下さる。そんな時、私は別に遠慮せずに、あゝして下さい、こうして下さいとお願いします。ところが、それから何年か過ぎた後でも、巡教先の教会や路で見知らぬ人から、別科生時代は、先生のお宅でえらい世話になりまして‥、と挨拶されます。すると自然に親しみを覚えます。それというのも、次のような教祖様のお話を伺っていたので、私も真似させて頂いたのです。
信徒さんなど子供連れで教祖様をお尋ねすると、手持無沙汰な子供がむずがっていると、何かやさしい仕事をその子供に頼まれる。また娘さんが教祖様にお会いして、さて話も済んだがまだ教祖様のお傍に居たいと思う時など、教祖様はそれと察して、糸つむぎなどの仕事をさして下さる。じっと何もする事がない程退屈な時はありません。だから教祖様はそれぞれに人に動いて貰って、自然主客うちとけて、意志が疎通するという風であったと聞かせて頂いています。
※別科生とは、今でいう修養科生のようなもの。
(私論.私見)