お金では買えないものがあるの理

 更新日/2026(平成31.5.1改元/栄和8)年5.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「お金では買えないものがあるの理」を確認しておくことにする。

 2011.5.26日 れんだいこ拝


【お金では買えないものがあるの理】
 お道教理は、「お金では買えないものがあるの理」を諭す。 これを要約すると、神一条信仰の道は、お金で測るものではない測れるものではない。お金ではできない。お金でできることではない。親神は、たんのう(足納)の心は受け取るが、お金でご守護いただきたいという心は受け取らない。金銀や力ばかりでは どうにもならないのが〈悪〉因縁である。お金では心は養えない。お金で出来ることは小さい。大金を積み立たからといって、それで神のご守護をいただけるというものではない云々と云うことになる。  
 みかぐら歌では次のようにお記しされている。
 お筆先では次のようにお記しされている。
 次のようなお諭しが遺されている。
 命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。 (教祖伝逸話篇 292頁「178 身上がもとや」) 

 お指図は次の通り。
 金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥ 金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。 おさしづ 明治22.8.12 (陰暦7.16)
  これもと(これも、と、)金銭づく(尽く)でする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭で出ける事は小さい。おさしづ 明治34.5.25
 神の〉自由(じゅうよう)〈の守護〉というは、何程(どれだけ)の金銭積み立てたと言うて(いうて)成るものやない。 おさしづ 明治35.10.7
 道という尋ねる一つ理、所々一つ〈教会〉名称、この理〈、〉金銭や智者学者で出来たものやない。おさしづ 明治37.7.15
 元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。 おさしづ 明治37.12.17
 この道というは、もう言うまでのものである。金銭ずく(尽く) で求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。又(また)日々稼ぎという、皆(みな)働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩(朝から晩) まで働いたとて、何ぼうの(どれだけの)あたゑ(与え/給与)あるか、よう思やん(思案)せい。 おさしづ 明治40.4.10 (陰暦2.28)午後五時半




(私論.私見)