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高野山の僧が訪ねてきて教祖にお尋ねしました。『てんりおうの神はどんなことを教えていますか』と。教祖、仰せには、『みすぎよすぎの道を教えています』と。(以下、高野友治氏による解説)
この話しは、昭和十三年頃、大和の友人から聞いた。その時の話しには、高野山の古文書の中に次の記録があったというのだ。一、時の天下に従へ。一、大和国みそこし山に天理大神ぞあらわれにける。一、上街道、朝日に匂う 萩の山ふもとにぞ 神があらわれにける。それで明治維新に、時の天下に従って、高野山は女人禁制を解いた。その後、大和に転輪王が現われたと聞いて、使者の僧を派遣して、転輪王とはどんな神かと訊ねに来たのだという。その時、教祖は『杉三本や』とお答えになったという。使者の僧は怪訝(けげん)に思って、高野山に帰り復命したところ、高野山では成程と言ったというのである。(註、この古文書が高野山にもしあったとするなら、「天理大神」ではなく「転輪王」であったと思う)
それで昭和15年頃、私は高野山光台院の岡田実範師を訪ねて、古文書の話を尋ねたところ、岡田師は知らぬとの答えだった。岡田実範師は奈良県北葛城郡広陵町疋田の生れで、明治13年、日暮宥貞の下で金剛山地福寺の小僧であったことがある。それでお訪ねしたものである。それにしても杉三本とは何のことであろうか。しばらく疑問であった。
昭和40何年頃であったか、主査会の先生方の話し合いの席で、飯降政甚先生の雅号『仰山閣』の話が出、それについて、ある先生から政甚先生の解説といったものを聞いた。政甚先生の話では、教祖存命当時、高野山の僧が訪ねて来て、『天理王命は、どんなことを教えていますか』と尋ねた。それに対し、教祖は、『身すぎ、世すぎの道を教えています』とお答えになった。それで政甚先生は、自分の書斎の庭先に杉を植え、それを仰ぎ、教祖を偲んでいるのだ、と。私は、飯降政甚先生のお話しが本当だと思い、こちらのお話しを第四話にかかげた。
杉三本の話は一休禅師の話しにもあるそうな。また大和の民間歴史家故勝井純氏の話しでは、杉三本は大和一の宮、大神(おおみわ)神社の紋でもあり、日本の太古においては、杉三本を植えて、そこへ天の神から降ってもらう”しきたり”になっていたという。そんな古事来歴はどうでもいい。これらは後でくっついたり、変えられたもの。本物は『みすぎ、よすぎの、道を教えていますで』のお言葉だと思う。このお言葉が尊い。親神天理王命の教えに則(のっと)って、人間の生きる道、身過ぎ、世過ぎの道を教える、それが神の教えではないだろうか。
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