| 【陽気暮らし考】 |
| おふでさきに「月日には、人間始めかけたのは、陽気遊山が見たい故から」という歌がある。陽気とは、「にぎやかで明るいさまを云う」と解されているが、要するに生命エネルギ-が充実して活動している様を云うと解した方が的確だろう。反対語は陰気。遊山は野や山に出かけて遊ぶことを言う。つまり人間を造った神様は、人間が明るく楽しみながら暮らすサマを見たいということになる。神様は人間が楽しく陽気に暮らすことを見たい、人間は楽しく陽気に暮らす様を神様にご覧いただくのが生きる務めということになる。 |
|
「陽気暮らし」の意義につき、天理教教典は次のように記している。
| 親神は、陽気ぐらしを見て、共に楽しみたいとの思わくから、人間を創められた。されば、その思召を実現するのが、人生の意義であり、人類究極の目的である。(92頁) |
| 親神の守護を身に受けつつ、人々相扶け合うて、明るく浄く、勇んで生を楽しむ境涯に生きる。(略)子供の成人を待ちかねられる親神は、この陽気ぐらしを見て、共に喜び共に勇まれる。(第10章「陽気ぐらし」) |
|
「第十章 陽気ぐらし」 その他で次のように解説されている。れんだいこが意訳する。
助けの道は、その者たちを晴れやかな喜びに包み、湧き上る楽しさに満たす日々にする。それは、その者たちが温かい親神の懐に抱かれ安らぎの中に身を置くからである。これが陽気暮らしの境地である。親神は、人々の陽気暮らしを見て共に楽しみたいとの思惑から人間を創められた。されば、その思召を実現するのが親神の思いに適う道であり、自ずと人生の意義、目的となる。明るく勇んだ陽気な心で日々を送る裡(うち)に幸福があり生き甲斐となる。心がいずんでいては親神の心に適わぬ。親神の守護のままに日々を喜びと楽しみの中に生活するのが人生の妙味となる。心の窓を開き、遍き親神の光を身に受ける時、迷いの雲が晴れて明るい喜びの中に立つ。親神の守護を身に受けつつ生を楽しむ境涯に生きいそしむ日々こそ理想である。この生活の様を陽気暮らしと云う。「皆々心勇めば、どんな理も見え、どんな花もさく」。
陽気暮らしは、道人が共に喜び共に楽しむところに現れる。道人の一手一つの心に自由の守護が頂ける。一手一つの理を欠くならば親神に感応しない。道人が互いに道の理に心を合せ、立て合い扶け合うてこそ陽気ぐらしが全うされる。親神は、人々の成人を待ちかねられている。人々が、世界中皆な一列が隔てない親神の子、兄弟姉妹という理を心に治め、高きものも低きものも、遠きものも近きものも互いに扶け合い、陽気に勇んで、心のきりなしぶしんにいそしむことを待ちかねられている。やがて全人類の心が入れ替り、世が自ずと立て替ってくる。助け一条の思召しが成就して、世界一列の心が澄みきる時、親神の守護は余りなく垂れ、ここに神人和楽の陽気づくめの世界となる。思えば、人類社会は、久しく文化の進展を遂げながらも徒らに迷いを重ね、行方も知らぬ闇路にさすらいつつ今日にいたつた。助け一条の道が人類に真の心の支えを与え、光ある行手を教える唯一の道となる。真の平和世界は、親神の理によつてのみ築かれる。この親神の道による陽気づくめの世界になる時、この世ながらの限りない生気溢れる楽土が全うされる。
教祖は、このたすけの理を明かそうと、元の理を説き、所定の人と所と時の立て合いによつて、この教えを始めた所以を諭し、ここに、親神を天理王命と称えて祈念することを教えられた。教祖が教えを宣べ、身を以てこれを証し、ひながたを示された。教祖ひながたは道の生命である。人は、先ず身上や事情に手引きを頂き親神を知る。更に、身上は親神と人との貸し物、借り物なることを納得し、守護のあるところを悟り、ほこりを払い心のふしんにつとめ、かくして進む成人の道すがらで日々たんのうの心を治め、ひのきしんに勇む。治められた誠真実が他に及び道となる。道の子は用木(よふぼく)を志し、さづけの理を頂いて、たすけ一条にいそしみ、天の理を取り次ぎ、道の先達となる。ここに、不思議なたすけの実が次々とあらわれ更生されて行く。かくて、我も人も共に和し、一手一つの心に、楽しみづくめの陽気ぐらしの世界が守護頂ける。親神の望まれる真の平和世界が現れる。これぞ道の目標である。 |
|
「第十章 陽気ぐらし」参照。
人が、親神の守護を受けつつ、親神の思召しのまにまに、明るく勇んで生を楽しむ境涯に日々生きる。これが陽気暮らしであり、きりなし普請(ふしん)である。子供の成人を待ちかねられる親神は、人々の陽気暮らしする様を見て共に楽しみたいと願っている。人々は、この親心にもたれつつ、『世界中皆一列は隔てない親神の子としての兄弟姉妹』という理を心に治め、相互に扶け合いながら、教祖のひながたの道をたどることが期待されている。人々が、この人の環共和国造りに勤しむならば、やがては全人類の心も入れ替り、世は自ずと立て替ってくる。世界一列の心が澄みきる時、助け一条の思召しが成就して
親神の守護が余りなく垂れ、ここに、人の世は未だかつてない神人和楽の陽気づくめの真正の平和世界、生気溢れる楽土が全うされる御代を迎える。
思えば、人類社会は、今日に至るまで徒らに迷いを重ね、行方も知らぬ闇路をさすらい、弱肉強食の阿修羅の世に棲んでいる。こういう時代は人類創造の際に親神が望まれた世界ではない。人類の歩みをあるべき姿のところに戻すなり創造せねばならない。その道しるべが教祖の教える助け一条の道である。これこそ、人類に真の心の支えを与え、光ある行手を教える道である。真の平和世界は親神の理によってこそ築かれる。親神の道が人々の胸に正しく治められることにより、人々が互い扶けのつとめ合いに向かうことにより、親神の待ち望まれる陽気づくめ世界が創造される。
惟うに、親神が、教祖を月日の社(やしろ)として現れ出でられるや、人間の陽気暮らしを見て、共に楽しもうとの、人間世界創造の思召しを告げ、 専ら助け一条の道を宣べて、助けづとめを教え、又、息、手踊りの授けによって、一列助けを急き込まれた。『元の理』を説き、この教えを始めた所以を諭し、ここに親神を天理王命と称えて祈念することを教えられた。教祖が身を以てこれを証し、ひながたを示された。正に教祖ひながたは 道の生命である。
人は先ず、身上や事情に手引きを頂き、親神を知る。更に、 身上はこれ皆な親神の貸しものなることを聞かされ、親神の守護を悟り、ほこりを払い、心の普請につとめる。かくして進む成人の道すがらには雨の日も風の日もある。その中を日々たんのうの心を治め、ひのきしんに勇む。そこへ治められた誠真実は自ら他に及び、一人の道は多くの人々の道となる。道の子は用木(ようぼく)を志し、授けの理を頂いて、助け一条にいそしみ、天の理を取次ぎ、道の先達となる。ここに不思議な助けの実が次々とあらわれる。かくて、我も人も共に和し、一手一つの心に、楽しみづくめの陽気暮らし世界を創造する。親神の望まれる真の平和世界であり、 これぞお道の目標である。道の子は、親神の懐に抱かれ、ひたすら世界人類の平和と幸福を祈念しつつ助けの道に弥進む。 |
|
「陽気ぐらし」は次のように解説している。
| (「陽気ぐらしとは何ですか?」の問いに対し)陽気ぐらしとは、私たちをはぐくみ育てる大自然を司る親神様の恵に感謝し、そのご守護に生かされ生きている喜びを身体いっぱいに感じながら、私たち人間が互いに尊重し合い、助け合って暮らす、慎みある生き方です。 |
| (「どのようにして陽気ぐらしを実現するのですか?」の問いに対し)人間創造の目的である陽気ぐらしへのたすけの手立ては、教祖を通して教えられました。それが「つとめ※」と「さづけ※」です。多くの信仰者が「つとめ」と「さづけ」を通して困難・苦労を抱える人々にたすけの手を差し伸べることで親神様が望まれる「陽気ぐらし」という生き方が世界中に伝わっていきます。 |
| (「悲しくつらい出来事は世の中にたくさんありますが、それでも陽気ぐらしはできるのですか?」の問いに対し)日常生活に生起する出来事には、それがたとえ病気や問題といった辛く苦しい人生の節となるような出来事であったとしても、そこには「あなたを陽気ぐらしに導きたい」と願う親神様の思召が込められているのです。天理教では「心通りの守護」と教えられます。人生に起こった出来事を通して今までの心遣いを振り返り、教えに照らして日々の心遣いを改めること大切です。いかなる境遇にあっても、心の用い方一つで陽気ぐらしへの道を切り開くことができるのです。 |
|