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『このお道のお話は、一言は十言に値する』と仰る。一言の話でも、なるほど、と腹(心)に治まったら、『救からん身上も救かる』。『治まらん事情も治まる』。なるほど、と治めるところに救かる理があるのや。教祖は『日々教理を聞いて、なるほど、そうに違いない、と感じることは、心の養(やしな)い』と仰る。 早い話は、人間は米(食料)を食うて日々の養い(栄養)を摂(と)っている。食べなければ身上(からだ)は痩(や)せる。日々に教えの理を聞かしてもらい、なるほどと感じることは心の養いである。それで心に力が出来るのである。ゆえに分かった話でも、何遍(なんべん)も何遍も聞かしてもろうて、その時の感じを腹(心)に治める。それが、『なるほどの理を治める』ということになるのである。心に納得できると、心に力ができる。この事を、成人、と言うのである。あんなところ、よう辛抱したものや。ふつうの人なら到底できん。参ってしまう。しかし、本人にしてみれば比較的平気である。ちょっとした事で心を濁らしたり、狂うたりするのは『心に力の無い証拠』である。悪いと知りつつもやめられん、ということを、世界の人からよく聞くのである。お道でも 、あの人のあれは、いづれ、ひどい目に遭わねば治まらん、とよく聞くことである。まことに忌(いま)わしいことである。『日々に教えの理を聞かせてもろうて、心に力を付けることが肝心』である。 心の成人を願う、のである。『心の成人待ちかねる 神の思惑 こればかりやで』。
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