中西牛郎「神の実現としての天理教」(昭和4年)の「第2章 教祖、第2節 教祖の教育及び其の結婚」のp.66-67に以下のように書かれている。
浄土教を信じ給いたる教祖が、何故に他の多くの神仏を信じ給ひたるか。この二個の疑問に対する解答は、左の如しである。
| この世は文殊、普賢を始めとし、馬鳴(めうな)、龍樹、天親も、南岳、天台、四明も皆これ浄土に期し給ふ。況んや我らは愚かなる、如何に願はぬ ありぬべき。三千世界をおいてぞ、たしかに清浄見定めて、心得違いのなきやうにせよ。 |
これは明治15年4月、即ち教祖85歳の時、松村吉太郎氏の尊父榮次郎氏が地場に詣りし時、御発表になった神諭である。
同じ文章がカナ書きで、『高安大教会史:上巻』(p.41)にもある。『おふでさき』17号外の天啓とも書かれている。
| このよふは、もんじゅ、ふげんをはじめとし、めうな、りうじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、ようめいも、みなこれじよどへ、ごしたまふ、ゆわんや、われらはおろかなる、いかにねがわにありぬべし。三千世界をおいてぞ、たしかに、しようじしようみさだめて、こころちがいの、なきやうにせよ。 |
教祖が仏教はむろん世の様々な思想宗教に通じていたことを知らせ、且つ理解のレベルがかなり高かったことが伺えるエピソードである。 |
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