| 教祖の障害者観 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.20日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「教祖の障害者観」教理を確認しておく。 2003.8.29日 れんだいこ拝 |
| 【教祖の障害者観】 |
| 秀司は、秀司の足痛を通して教祖の神がかりに至ったという意味で、開教の重要なファクタ-になっている。但し、秀司の足痛は完治するまでには至らなかった。 |
おぢば は,天理教本部神殿の中心地を指し,そこが人類 創造のもとの地点であるという。つまり人類のふ るさとである。そのため,本部に行くことはふるさとに帰ることになるため「おぢば 現する)へ帰り」と表。 ここには,信仰の元一日を忘れないようにあえて 完治させないと言う教祖の救済観が現れている。こ のことから推測すると,秀司の足痛が完治しない理由は,秀司や身内および側近の信者達に,立教の元 一日を忘れさせないためである,とも言える。 立教当初、教祖の常識を逸脱した言動に 対して、近所の人々は狐憑きではないかと噂し、家族の者も理解に苦しみ、立教の元一日は忘れたいほどの忌まわしい出来事であった。しかし教祖がその霊力を発揮して信者ができる。教祖は、秀司の足の痛みや後遺症をたすけるための方法 を明示するのである。それは「つとめ」である。 |
| Ⅱ.障害完治の方法および予定 A. 悪事を取り除く方法 「おふでさき第一号」において秀司の足痛は,神の残念であり、立腹であり、病ではないと記され、その完治の条件は悪事をすっきり解決することであると述べられている。 この「おふでさき第一号」が書かれたのは1869年であり、この神言どおり同年おちゑは中山家を去る。この年秀司は49歳で、教祖の言いつけ により小東まつゑ(当時19歳)を正妻として迎える。 秀司の後遺症が完治することはなかった。秀司は教祖の言明に従って内妻と離別している。これをどう解釈すべきか。内妻は中山家を去っ たものの、そのことを秀司自身は納得してもいない し、当然喜んでもいない。むしろ教祖の厳しい要求に不信感を持つ。それでも従う。この翌年、内妻との間に出来た愛娘お秀が夭折する。これらの事実から推測すると、教祖は悪事をのけて、後に正妻を迎えるつもりでいたが、秀司にはそれが納得できずにいたため、つまり秀司の心の 成長(信仰的深まり)が至らなかった。教祖は、次に「つとめ」によって完治する方法を教える。 |
| B.「つとめ」による方法 |
| 教祖の教えた「つとめ」は12種類があり、その中に「ちんばのつとめ」がある。秀司が亡くなる前年1880年執筆の「おふでさき第十五号」には,足痛や後遺症は神意の現れで、もと通りにしてやると言う神言が記されている。 教祖は「つとめ」をすることで世界の改革をはかり,この世を陽気な世界に立て替えようと計画した。しかし,秀司にとって「つ とめ」は,教祖や自分あるいは側近の信者の拘引に 直結する重大な問題なのである。一方教祖は12種類の「つとめ」をすることの先駆 けとして「ちんばのつとめ」をおこない,鮮やかに秀司の後遺症を完治させるつもりであった。この「ちんばのつとめ」により秀司の後遺症がすっき り完治することを通して「つとめ」の偉大さや霊力を誇示し,他に教えた安産のつとめや豊作のつとめの実施を促そうとしたのである。「ちんばのつとめ」 は,天理王命の霊力をあらわすモデルの位置づけで もあった。 この「ちんばのつとめ」の実施については以下の ような史実が伝えられている。或る日教祖様がちんばのつとめを教えて下さっ た。そうすると,秀司先生の留守の間に先生方が よって,どうしても秀司先生の足を癒してもらお うと,おつとめをしておられたのであります。ところが外出先から帰ってこられた秀司先生は,そ れを見るや否や,お前たち何をしているのだ,そ んなことをしてくれるから,又教祖様に警察の御苦労をかける事がわからんのかと言うて止めてお られる。おつとめをしておられる人としては,秀司先生の足を癒してもらうためにやっているので す。思わずかっとなってその事をいゝますと,先 生ははげしく,俺の足みたいなものはほっておいてくれ,俺の足みたいなもの癒らんでもいゝのだ, と言われたのであります。 秀司は、教祖の言いつけを守らず、もっぱら教団の公認運動へと進んだ。しかしこれを教祖は断固として許さず、最終的には神意に背く 行為は、秀司の後遺症を完治するどころか命取り になったのである。 |
| 5.陽気ぐらし世界の実現と障害観 |
| 天理教が目指す世界観から障害者観を述べてみたい。天理教教典には「この世元初りは、どろ海であっ た。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し,人間を造り,その陽気ぐらし
をするのを見て, ともに楽しもうと思いつかれた」と記されてい る。この陽気ぐらしの世界は「つとめ」によって達成される。具体的にどのような世界かというと,「やまず,しなず,弱らない,年を寄るめはない」世界だと言う。
このように「つとめ」がしっかりとつとめられて、 陽気ぐらしの世界が達成される。障碍者は、たとえ肉体的・知的・精神的障害があっても,そのことが生きることに支障を与えない世界になる。現実の世界は陽気ぐらし世界とはかけ離れたものとなっている。「本質的陽気ぐらし」と「実存的陽気ぐらし」に分けて説明をしている。つまり「我々が現に・ここで形成する陽気ぐらしの世界は、決して『病まず死なず弱りなきよう』な本質的陽気ぐらし世界ではありえな い。「本質的陽気ぐらしこそ身心ともにたすかる『自由自在』の世界であるが、そのためには人間のたましいの完全なる浄化が前提とされる。現実の社会は、人間実存の苦闘の場であって、なおかつ遂行される陽気ぐらしとして「実存的陽気ぐらし」がある。ここにおいて障害が消滅することはありえない。そこで障害者との共生をいかにはかるのかということが本質的に重要になる。教祖と秀司のひながたでも述べたように、相手のことを思いやりつつ、時には緊張関係を保ち つつ、しかし心の深いところでは認め合い信頼しながら共生を目指すこと、決して障害を消滅させるこ とにのみに目を奪われるのでないあり方こそ、天理 教教祖中山みきが示した障害者観であると言えよう。 |
| 秀司の障害の完治はなかった。障害の克服は、一方が一方を排除したり差別するのではなく、お互いのたすかりを目指すことが基本となる。障害者自身が、障害をそのまま負って生き続けることにより、またそれらの人々と同じ社会に生きる者一人ひとりが、障害者との関わりのなかで、お互いに心の成長および心のたすかりを達成することこそが第一義に重要なことである。そうすると、障害の克服に障害の完治が必要条件にならないこともあり得る。この論は,障害の完治を否定することではない。教祖と秀司の障害をめぐる「ひながた」
はこのことを示している。 5.陽気ぐらし世界の実現と障害観 天理教が目指す世界観から 障害者観を述べてみたい。天理教教典には「この世元初りは,どろ海であった。月日親神は,この混沌たる様を味気なく思召し,人間を造り,その陽気ぐらし をするのを見て, ともに楽しもうと思いつかれた」と記されている。この陽気ぐらしの世界は「つとめ」によって達 成される。具体的にどのような世界かというと,「やまず,しなず,弱らない,年を寄るめは ない」世界だと言う。 とのよふな むつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよて みなたすかるで このたすけ どふゆう事をもうかな 十号20 やなすしなすに よハりなきよに 十七号53 そのゝちハ やまずしなすによハらすに 心したいに いつまでもいよ またさきハ ねんけんたちた事ならば としをよるめハ さらにないぞや 四号37 四号38 ンの社会がいかなるものであるかということへも示 |
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(私論.私見)