| 【教祖の透視能力考】 |
みちのだい第33号「教祖特集号」26-27頁の「井筒梅治郎の娘たね手記」は次のように記している。
| 「教祖がいつもジッとお座りになっておられるので、祖父が、教祖、ご退屈でございましょう。一度どこかへお伴させて頂きましょう、と申し上げたところ、教祖が、『ちょっと、ここへ顔をあててごらん』、と仰せられた。祖父が教祖のお袖に顔をあてると、ちょうど牡丹(ぼたん)の花の旬で、見渡すかぎり牡丹の花ざかりだったとのこと。教祖は居ながらにして、どこの事をもご存知なのだと驚いたとのことである。
ご本席様が、まだ“”伊蔵さん“”と呼ばれておられた頃、伊蔵様のご家族の生活が、あまり〈にも〉お気の毒なところから、皆々話し合って、頼母子講(たのもしこう)でもして伊蔵さんを助けようやないか、と相談をしていたところ、教祖は、『思惑あって苦労さしてあるのや。かまってくれるな』、と仰せられた。後になって“”本席“”という理を戴かれて、皆々、なるほどと合点がいった、とのことである。以上、たね母から聞いたことを書かせて頂いた」。
|
|
みちのだい第33号「教祖特集号」27-28頁の植田つる (上田民蔵の娘、本部婦人) 「植田つる 手記」。
| 「またある日のこと。教祖のお側へ行かせてもらったら、『民蔵さん、あんた、今は大西から帰ってくるが、先になったら、おなかはんも一緒にお屋敷へ来ることになるのやで』、と仰った。わしは百姓をしていて、男衆(おとこし)も雇っているし、子供もあることやし、そんなこと出来そうにない、と思うてたが、教祖のお言葉通り、子供の身上から家族みんな、お屋敷へ寄せて頂き、結構に通らせて頂いているのや、と申しました。その話、やはり母と一緒にお屋敷へ帰らせてもらった時、教祖の仰せられたのは、『民蔵はん、お屋敷は先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで』、と聞かせて頂いたことがあるが、教祖の仰せ通り、回廊の下をみんな往き来するようになった。それで父は、教祖はずっと先の見えんことを仰っているが、だんだんと仰せ通りに成ってくるのが誠に不思議なことや、といつも考え込むように申しておりました」。 |
|
逸話篇「97、煙草畑」。
| 「ある時、教祖は、和泉国陶器村(大阪府堺市)の村上幸三郎に、『幻を見せてやろう』、と仰せになり、お召しになっている赤衣の袖の内側が見えるようになされた。幸三郎が、仰せ通り、袖の内側をのぞくと、そこには、我が家の煙草畑に、煙草の葉が、緑の色も濃く生き生きと茂っている姿が見えた。それで幸三郎は、お屋敷から自分の村へもどると、早速煙草畑へ行ってみた。すると、煙草の葉は、教祖の袖の内側で見たのと全く同じように、生き生きと茂っていた。それを見て、幸三郎は、安堵の思いと感謝の喜びに、思わずもひれ伏した。というのは、おたすけに専念する余り、田畑の仕事は、作男にまかせきりだった。まかされた作男は、精一杯煙草作りに励み、その、よく茂った様子を一度見てほしい、と言っていたが、おたすけに精進する余り、一度も見に行く暇とてはなかった。が、気にかからない筈はなく、いつも心の片隅に、煙草畑が気がかりになっていた。そういう中からおぢばへ帰らせて頂いた時のことだったのである。幸三郎は、親神様の自由自在の御働きと、子供をおいたわり下さる親心に、今更のように深く感激した」。 |
|
「ここを見て帰るのやで」。「敷島理事 峯畑長太郎記」、「山田伊八郎・こいそ逸話集」44~45p(天理教敷島大教会編、昭和58年1月発行)
或る時、某が前会長公の前で神様は何事も見抜き見通しだ。めったに忘れられるようなことはないという話をしました。会長公は、それに対してご自分の経験上から更に証明を加えられた。それは会長公が、家業の隙にお地場へ通って教祖のお仕込みを受けられる頃のことだ。一日早朝からお地場へ参ろうと思って着替えをしておられる時、妹様が
、「兄さ何処へお越し」と、尋ねられた。「お地場へ」と、お答えになれば、妹様は、「それならば、私は昨夜ほとんど夜通し、いろいろな夢を見た。けさ起きてもいろいろのことが思い出されて気持が悪い。夢は何故に見るものか神様(教祖のこと)にお尋ねしていただきたい」と頼まれた。会長公が御地場に行って、教祖の前に出てご挨拶申し上げるや、いまだ何事もお尋ねせぬに教祖は、おふでさきの半頃の処を開かれて、『ここを見て帰るのやで』と仰せられた。示された所を見ると、十四号の初めの、どのよふなゆめをみるのも月日なり なにをゆうのもみな月日やで (十四の1)と示された所だった。会長公は”ハッ”と驚いて神威の不可思議なるには、今更の如く感じたと物語られた。 |
|