その7 教祖の世直し論その2、謀反論、晴らし、かやし(返し、報し)論

 更新日/2019(平成31→5.1改元)年10.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「教祖の世直し論その2、謀反論、晴らし、かやし(返し、報し)論」教理を確認しておく。

 2006.1.23日 れんだいこ拝


【謀反論】
 御神楽歌には次のように記されている。
 むほん(謀反)のねえ(根)をきらふ(切ろう) 二下り目六ツ
 お筆先には次のように記されている。
 なにゝても 助け一条で あるからに 
 むほんねへ(謀反の根)を 早く切りたい
三号144
 これさいか 確かに承知 したならば 
 むほんの根へは 切れてしまうに
十三号49
 教祖は次のようにお諭しなされている。
 むほんづとめー あしきを払うて どうぞ むほん すつきり 早く おさめたすけたまへ 
 天理王命 南無天理王命 南無天理王命。

【晴らし、かやし(返し、報し)論】
 天理教の「神のかやし」観は、通常教理と非常時教理に分かれる。通常教理では、貸し物借り物教理から導かれ、人間の心や行いに対して、親神がその結果を「返し」(返報)として現し示す仕組みのことを云う。良い心遣いをすれば良い「かやし」があり、逆に道を外れたり、ほこり(心の汚れ)を積んだりすると、それを知らせて改めさせるための厳しい「かやし」が現象として現れる。災いや困難をただ嘆くのではなく、それを「神様からの教え(お仕込み)」と受け止め、自らの心を反省して成人(成長)するための契機と捉えるよう諭されている。
 お筆先には次のように記されている。
一号**
二号**
三号**
四号**
 働きも いかなることと 思うかな 
 心受け取り 次第かやしを
五号50
 このかやし 何のことやと 思うかな 
 道のり千里 隔てありても
五号51
 このことは 何を云うても 思うても 
 受け取り次第 すぐに返しを
五号52
 この返し 何のことと 思うなよ 
 善悪共に 返すでな
五号53
 良きことを 云うても悪しきを 思うても 
 そのまますぐに 返すことなり
五号54
 これからは 月日の心 残念を
 晴らする模様 ばかりするぞや
六号75
 今までも 月日残念 山々に
 積もりてあるを かやしするぞや
六号77
 今までも かやしと云うて いたけれど
 何のことやと 思うていたなり
六号78
 真実に かやしと云うは このことや
 高山は皆な 承知していよ
六号79
 この月日 大一これが 残念な
 どんなかやしを するやしれんで
六号90
 月日より 真実心 見定めて
 受取りしたい かやしするなり
六号98
 これからハ よき事しても 悪しきでも
 そのまゝすぐに かやしするなり
六号100
 このところ 助け一条 止められて
 何でもかやし せずにいにられん
六号114
 このかやし 大社高山 取り払い
 皆な一列は 承知していよ
六号115
 これからは 月日出張りを するほどに
 どんなことでも かやししてやる
七号59
 今までは 唐やと云うて はびかりて
 ままにしていた 今度かやしを
十号12
 これからの 後なる話し やまやまの
 神の残念 晴らす模様を
十二号49
 この先の 道を楽しめ 一列わ
 神の残念 晴らしたるなら   
十二号72
 このたびは 本真実で あるからに
 これ背いたら すぐにかやすで
十二号154
 月日にも 残念立腹 晴らしたら
 あとハめづらし 道をつけるで
十三号36
 今までに 月日残念 やまやまと
 積もりてあるを 皆な晴らすでな
十四号17
 この晴らし どうして晴らす ことならば
 月日の心 皆なしてみせる
十四号18
 これからは 親が代わりて ままにする
 これ背いたら すぐにかやすで
十四号31
 非常時教理は、おつとめの禁止、甘露台潰しに対する神の側からの報復としての晴らし、かやし(返し、報し)を説いている。
 お筆先十五号、十六号、十七号に次のように記されている。
 このたびは 何でもかでも これをばな
 元の通りに してかやすでな
十五号25
 そのことを 今まで誰も 知らいでも
 このたびこれを 皆な晴らすでな
十五号84
 この晴らし どうして晴らす
 ことならばつとめ一条 皆な表わすで
十五号85
 それゆえに もう精通が 来たるなら
 是非なく今は 返しするぞや
十六号8
 この返し 一寸のこととは 思うなよ
 あちらこちらに 多く見えるで
十六号9
 このたびの 残念と云うは 芯からや
 これを晴らす 模様ないかよ
十六号14
 このことを 神がしっかり 引き受ける
 どんな返しも すると思えよ
十六号15
 この返し 見えたるならば どこまでも
 胸の掃除が ひとりでけるで
十六号16
 今日の日は もう日が詰んで あるからな
 どんなことでも 直ぐに返すで
十六号18
 このたびは 返しをば するほどに
 皆などこまでも 承知していよ
十六号55
 このことは 何のことやと 思うている
 神の残念 晴らすことやで
十六号58
 今までは どのよなことも 聞いていた
 このたびこそは 残念晴らすで
十七号25
 この晴らし どういうことに 思うかな
 何時どこで 退くやらな
十七号26
 これからは この返しをば するほどに
 皆な一列は 承知していよ
十七号28
 今日の日は どのよなことも 詰んできた
 神の残念 晴らすみていよ
十七号33
 しかと聞け この先なるハ とのよふな 
 かやしあるやら これ知れんでな
十七号39
 かやしても 一寸の事とハ 思うなよ 
 どんな事をば 月日するやら
十七号41
 今日の日は もう十分に 詰んできた
 刻限来たら 直ぐに返すで
十七号45
 この残念 一寸の事でハ ないほどに
 どんなかやしを 月日するやら
十七号59
 さあ今日は 日も十分に 詰んできた
 何でも返し せずにいられん
十七号65
 この返し 何のことやと 思うている
 神の残念 ばかりなるぞや
十七号66

【晴らし、かやし(返し、報し)論考】
 教祖はそもそもこれまでは、事の是非に拘わらず「埃は避けて通れよ」との御教えを説いてこられた。官憲の何度もの理不尽な拘引に際しても「神の思惑あってのこと」、「節から芽が出る」と自重してきた。獄中でのご様子もこの観点から語られることが多い。

 この時点までの教祖(おやさま)の対応は、教祖が活動した幕末から明治期は、社会が大きく揺れ動き、一揆や世直し運動が頻発した時代であったが、いわば無抵抗・不服従の姿勢を貫いていた。弾圧に対して対抗暴力(謀反)に訴えるのではなく、心を澄まして互いに助け合う「陽気ぐらし」の世界を目指すよう諭していた。天理教研究者の多くは、この時点止まりの無抵抗・不服従論を唱えている。

 しかしながら、おつとめが禁止され、ほぼできあがりつつあったかんろ台が破壊されたのを機に、我慢の限度を超えたとばかりに、権力の組織暴力に対して「神の残念、立腹、かやし」をお言葉にするようになった。それは従来の無抵抗・不服従論からの明らかな質的転換だった。ここのところをどう拝するべきかが肝要なのに考察されることがない(よって、れんだいこの指摘が初見になる)。それは、怯懦な精神によってであるとしか思えない。これもまた教祖のひながたであり、教弟は自らに引き受けるのが筋だろう。
 2026.9.5日、「天理教教祖の甘露台撤収後のかやし思想」でネット検索すると、「AI 概要」は次の通り。
 胸の掃除の急き立て
 形のうえでは警察による没収ですが、本質的には「世界中の人間の胸(心)にほこりが積もりすぎているため、このままではお救い(十全の守護)ができない」として、親神が世界の大掃除を徹底するためにあえて引き起こした「ふし」であるとされました。

 内省の要求
 外側の敵(権力)を恨むのではなく、「なぜこのようなことが起きたのか」を一人ひとりが自身の心に問い直す(=神からのかやしを思案する)ことを求めました。
 思想史的な研究(村上重良らの言説など)では、民衆の「天皇制政府に対する反抗のイデオロギー」を含んでいたとされる一方で、みき自身は無抵抗・非暴力を貫きました。国家からの迫害を甘んじて受け入れ、自ら監獄に入る姿を示すことで、信者たちに「苦難に耐え忍ぶことで魂が成人する」という精神的抵抗の手本を示しました。
(私論.私見)
 何と詰まらない味気ない、逆(さか)へこ去勢解説なんだろう。「AI 概要」は正しさの詮議はしない、天理教本部模様の見解をオウム写し広報するだけの代物であることが分かる。

【お指図】
 お指図には次のような御言葉がある。




(私論.私見)